
「転人」
―うたてひと―
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女児が人形を愛でるように好きだった。 だって小さいときから欲しくて堪らなかったのだ。指通りの良い髪やしなやかな手脚、それに何より綺麗な顔。ずっとずっと欲しかった。 ――比べたら、ねえ、あたしなんて。 女らしく見せたかろうと誤魔化しようもなく広い肩幅。目も鼻も口も大づくりで大雑把な顔だちは化粧をしても道化のようで滑稽でもの悲しくなるばかり。髪だってごわごわのくせ毛の始末に困り、短く刈り詰めてしまっている。綺麗な着物も愛らしい櫛笄も似合わない。だからずっと我慢をしていた。踊ることは、少しだけ楽しい。討伐に行くのは、少しだけ楽しい。思うように思うままに扇を振って、好きなだけ科を作って愛敬を振り撒いて、どんなに笑われたって気にならない。どうせ見ているのは鬼なのだし。どうせ自分達で殺すのだし。 ◇◇◇ その日兆が無明が眠っているのをみつけたのは縁側の簀子のうえで、ぎゅっと長い手足をまるめている。今はちょうど影になっているけれど、じきに眩しいことになるだろう。そっと近寄っていっても目を覚まさないのはかれがそれだけ気を許しているしるしで、討伐等ではそれこそ野生の獣のように聡い。だが起きぬとなるとこれまた少しばかり厄介で、いまや六尺を越す身の丈に育ったこの男を踊り屋の細腕で屋内に運んでいくのはやや無理があろう。とりあえず揺り起こそうかと伸ばした手をひっこめ、思い直してとなりに座った。腿に頭を乗せてやる、膝枕のかたち。ふところから取り出した愛用の青嵐ノ舞をかざすと、目許に影が落ち、これなら少なくとも眩しくはない。 我ながら過保護なことだ。 そう思って、ちょっとだけ笑った。日差しは強く、風はそよとも動かない、汗ばむような陽気だ。 ◇◇◇ 起きて動いているときの無明はそのふるまいといでたちが相俟って野人めいた得体の知れぬ印象ばかりが強いが、寝ているときならあたりまえだが仔獅子のようにおとなしい。底光りするような眼光が隠れるとその顔だちから受ける印象自体が柔らいで、あどけなかった。 しぜん、溜息が出る。 もつれた白髪をそっとかきのけるとあらわれる、すんなりと通った鼻筋。閉ざした瞼が描く半月のかたちの弧、あわい霜の柱のような睫毛が仄かな影を落とすのが何とも、まぼろしめいた風情だ。美しい線をもつ横顔に、しなやかな躍動感ある体躯。かれを見て得る感慨は、自然の一瞬の相を美しいと思うのに似ている。滴る水の水滴、蜘蛛が織り成す糸の紋様、滝の飛沫に射す光が一瞬で虹になる。ふと息を止めて目を凝らす、その静けさ。 「ん、……」 ふいに幼子の覚束なさで口許が動き、何ごとか口にしようとする。何を呼ぼうとしているのか、兆にはわざわざ耳を凝らさなくともわかる。 ――草壁。 頑是なく育て親の名を呼び、瞬きを繰り返す。手の付け根で目許をこする子どもめいた仕草との落差に、くすくす笑いが洩れた。 「ざーんねーん、外れー。……こんなとこでうたた寝なんて、目に悪いわよ? 昼寝なら部屋のなかにお入んなさいな」 過去の眼疾ゆえにその名をもつ無明である。瞼ごしとはいえ強い光はその目に良くはない。 初陣まえにぶ厚く白い晒布で瞼を覆っていた、一種異様ないでたちの童子のすがたを兆はよく覚えているし、忘れようもない。よくお手玉やおはじきを持ち込んで遊び方を教えにいった。いっとき屋根裏から降りてこなくなった時分にはずいぶん心配して、世話をしていた草壁の帯につかまって、ちょこまかと覗きに行ったものだ。今でこそ無愛敬無愛想の権化のように思われがちの無明だが、亡父が存命していたその時分は目こそ見えねどじつに屈託ない童子であり、たわむれに鸚鵡のように言葉の端を繰り返させてはきゃっきゃと笑いあった。このころ、兆がすでに己のもつ違和感に気付いていたこともまた、少しは影響していたろう――肩肘はらずに過ごせる塗籠の奥に、ちんまりと坐った童子。見えぬのだからどんなに可笑しな子供が相手でもそれを笑うことはなかった。 あれからすっかり丈たかく伸びて余人には雲間の頂にあらんかという頭はいま、兆の膝のうえ。野狂とも怪士とも、畏怖と同時に世にも稀なる白獅子のごとくと巷間に流布する世評、それと裏腹、むじゃきな仔猫のように懐っこい仕草。おさななじみという親しみに交じる、ほんの少しの優越感。ずっと、それで満足だった筈なのに。 「……兆?」 ふいに名を呼んだかすれた声に一瞬、なぜか動揺した。 「…………兆?」 いぶかしげに頭をかしげる、骨張った首筋がひどく目についた。膚の下からうっすらと透ける、青ずんだ血の管のいろ。なめし皮めいて日に焼けた肌と、ほんのわずか衣の蔭から覗く日に焼けぬ白さの対比。 動揺した。 からからに干上がった口中を潤そうと空唾を呑めばその音が思いのほか耳に大きく響いて、聞こえやしなかったかと内心、ひどく浮き足立った――実際、外見は寝惚け面の薙刀士を膝に置いて眼をしばたたく踊り屋に過ぎなかったわけだけれど。 むに、と頬をつまむ指がそれを暫時打ち払い、強いて笑い飛ばそうとする。 「――やあね、」 首を振るとすぐに柔らかく離れていく、筋張った指さき。無明は意図せず人に迷惑をかけることは多かれど、人のいやがることは決してしないのだ。むかし、当主に毛虫の乗った棒きれなんかで追いまわされていたせいだと思う。いやがらせというか、むしろいじめだった。当主のほうに悪意はなく、ただただひたすらに面白がっているだけなところがたちが悪かった。ちなみに今となってはずんずん大きくなった無明はかの当主と一尺ちかい身長差を得、体躯と膂力と間合いをあわせて渡り合えばよもや老練の技巧には及ばずとも、決して負けはせぬと兆あたりは踏んでいるのだが、当の本人はこの小柄な餓鬼大将めいた当主を未だひどくこわがっていて、顔をあわせれば逃げる。おなじ討伐面子に引っ張り出すのも一苦労である。 とりなすように、兆は続ける。何でもいいから言葉を口にしていたい気分だった。 「でもねえ、第一不用心よ、こんな風に寝てたんじゃ。地獄ばっかりじゃなく、あと鬼ばっかりじゃなく、山だって都だって悪い人は沢山いるのよ?」 ――家にだって。 心の内でだけつけくわえたその一言を、口にした覚えはない。兆はこれで気働きのする方だし、普段のぞまぬ成りをしているだけに物言いや振る舞いも抑制が利いている。嘘のひとつやふたつもお手の物だ、それもいたって罪のない、こんな会話の端々くらい。 「だいじょうぶだ」 淀んだもの思いを真っ二つに割くように、迷いないいらえ。 「どうしてよ」 少しく棘のある口ぶりは、後ろ暗さの裏返し。膝の上に置いた頭をのぞきこむと、あまりに直ぐなまなざしに目を逸らすのも忘れた。 「兆がいるもの」 万年も昔に思える。塗籠の中の目の見えぬ童子と、目隠し鬼をして遊んだ日が。 手の鳴るほうへ手さぐりで伝いあるく幼子を両手をひろげて迎えいれたのが。いきおい余って二人して後ろに倒れ、そのまま仔犬どうしが戯れ合うときそっくりに転げては笑った。 ――ちょっと、ねえ、何よそれ。 盃の縁を越える水のようだ。音もなく注がれて、ふいに外へ溢れ出すその一瞬のようだ。「……だいじょうぶか。どこか痛いか」そうやって気遣わしげに眉を寄せた表情のほうが、目に痛いほどだと思った。 女児が人形を愛でるように好きでいられたら、まだましだった。 「――だいじょうぶよ、」 ちゃんと笑えているだろうか。 首筋に腕を巻きつけ、ほっとして笑い返す素直な片頬にこわばった片頬を寄せる。目の前の耳朶に、どうして己が尋ねずにいられるのか不思議なくらいだ。 ――ねえ、だから、諦めさせてよ。 このままじゃあんまり惨めだから。 |