
追弔―ついのとむらい―
(16:彼岸花)
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さむざむしい縁側から風が吹き込んできて振り向くと姉の睦月がよそゆきの鶯いろの着物を着てすわっていて、 「ちゃんと咲くのかしら、」 と、言うのだ。 縁側からは庭の白梅の木が見えていて、季節ではないので葉群が茂るばかりである。落葉の時節を示し、仄かに色づきはじめる頃だった。 「さあ如何だろう」 七生はかたわらに膝を抱えて座り込む。そうしたい気分だったのだ。風がとても冷たくて、単の裾あたりがすうすう寒かったががまんした。 「ほんと如何なのかしら。……一生に一度のことだから思い切ってナオちゃん達に頼んだけれど、軽はずみだったかしらねえ。だってわたしたち、おなかにややも入らないのよ」 骨なんか埋めちゃって大丈夫かしら。 来年には枯れてしまうんじゃないかしら。 だってほら、と睦月は波打つ髪を揺らしきれいな横顔をかたむける。よそゆきの着物の腰のあたりに、ぽつんと黒い染みが浮いた。それがみるみる広がっていって白い足袋を穿いた足首のあたりで赤い網の目になったので、七生にもそれが血だということがわかった。女の月水だ。冬見の女子が長じてむかえる月経はひどく不順で、初潮から先は迎えないこともじゅうぶんに有り得た。 「ねえ、ナオちゃん、これが子どもを殺すのよ」 「姉や、おなか痛くないの」 「痛くないわ――ほら、だって、知ってるでしょう?」 かすかに顔をしかめて言う七生に、睦月はにっこり微笑んで答える。 ああそうだったそうだった。 うっかりして忘れていた。姉の睦月はもうせんに死んで、焼いて、灰にしたのだった。遺言で灰を梅の根方に埋めたのが、よっぽど気にかかるらしい。 「お茶をお取替えしましょう。伯母上」 すす、と足音もなく入ってきた六道は相変わらずよく気のつく子だ。細い手首をまげて乗せている盆には茶と干菓子。きょうのお八つは奮発して二条筋の舗がつくる色とりどりの〈貝づくし〉で、でも一人分しか用意されていない。 「おれの分は?」 「あるわけないでしょう。まだ生きてるくせして図々しい」 あからさまに白い目を向けられた。こりこり、と頭を掻いて姉やの方に向き直ると、なんだかすっかり薄くなってしまって向こうを透かしてすわっている。どうしようきっと血を出し過ぎたのだ。どうしようどうしよう。 「ねえ、丁度よかったわ、りくちゃん。雨彦さんを呼んでくれないかしら――?」 体の中心から広がる、赤い花のような血の中に座り、いまでは顎の先から雨粒のように滴っている。討伐のあとみたいで、それでもやっぱり姉やはきれいだ。こんなに艶然とほほえむ、睦月の表情を七生は生きているあいだに一度だって見たことがない。 「雨彦翁なら寺へ墓参へ出掛けて、以来この家には帰っておりません」 「あら。そうだった?」 「彼の世へ行く道の中途で髪を風に吹かれておりますから、まだ辿り着いてもないでしょう」 きょとん、と首をかしげる姉やがなんだか子どもみたいで、七生は少しだけ笑った。 「なら、やっぱり、どうしても無理なのかしら――」 雨に打たれた花首めいてさみしく顔をうつむけて、次の瞬間、どっと音を立てて赤い花弁が部屋じゅうに飛び散った。 ◇◇◇ 何であんな怖い花がうちにあるのだろう。 茫漠と、そう思っていたようだった。 何時開いたかわからない瞼は横倒しの視界、転寝の肘枕の先がすっかり痺れてしまっていた。 心臓が走ったあとのように激しく波打っていて、そのくせ単の背中は水でも被ったかのような汗を吹いてひどく冷たいのだった。この分では出かける前に着替えがいるだろう、と考えるともうそれだけでおっくうだった―― ところで、何処へ出かけねばならぬのだろう。 そう思ったところで、すす、と入ってきた六道が、 「ちゃんと伯母上の追弔をしたいと仰ったのは六代様ではないですか。きょうを逃すともう暇がありませんが、よろしいのですか」 と、言う。 このところ体をわるくした兄やが臥せっていることもあって、めっきり補佐らしくなった。きょうは外出のために用意したのか、見慣れぬ黒い衣をふわりと着ていた。 「それ、なあに」 「蔵で見つけました。丈も丁度ですし、折柄の用ですので着てゆこうかと。似合いませんか」 よく見たら坊主のよく着る僧衣というやつで、虫除けの樟脳と除虫菊のにおいがただよい、七生は微かに顔をしかめる。さらさら零れる黒い髪や仄白い襟首やなんかがよく映えて大層似合うのは確かだったが。 なんだか少し、頭が痛かった。 床の間の花瓶いっぱいに活けられた赤い花はけさに双子のどちらだったかが摘んできたもの、それを見てやっと七生は自分のことばを思い出す。 ――姉やにちゃんとお弔いをしたいなあ。 一度気になりだすと他のことは何ひとつ手につかない、七生はそういうたちなのだった。寝ても起きても庭の方ばかり見ている。もうじききちんと正装して儀式をして交神だってしなくてはならないというのに何ひとつ手につかないので、六道がこうして万事いいように段取りをつけてくれたのだった。 それだのに。 ず、と鼻を啜り上げる――ちょっと寒かった。ぐずぐずに着崩した単の襟をかきあわせ、帯を締めなおす。七生がまるで衣服に頓着しないのはいつものことなので、六道はべつに何も言わない。うちうちの弔いで、本人は黒ずくめのかしこまった姿で控えているが、それを人に押しつけたりしない辺りが七生は好きだった。 「梅が咲いたら、姉やに教えてあげなくちゃなあ」 でも、何処に文を出せば届くだろう。六道が打てばひびくように、 「咲けば判りましょう。何と言っても、そこにおられますからには」 と、答えるのですんなり納得した。 縁側から庭をまわってゆこう。踏み石に脱ぎっぱなしの雪駄をちゃらりと鳴らして足先に引っかける。何だか足元がふわふわするが、べつだん気になるほどではないと思った。 「忘れておりますよ。こちらは私がお持ちしましょうか、六代様」 腕いっぱいの、赤い花。 骨のかわりに、摘んで、供えて、川に投げようということになった花である。 ――ああ、まただ。 ぞくり、とする。 背中にぞわりと冷たく、毛虫でも這うような違和感。 なんだか、だめだ。何がどうなのかわからないけど、とてもだめだ。夢の中で姉やが血を出したときと同じ感じだ。とっさに伸ばした腕が、まだ痺れている。目測が狂う。勢いをつけ過ぎている。どうしようどうしよう。 どっと、目の前に、赤く、 振り払われた腕から、部屋じゅうに、 ――この子はどうして、平気なんだろう。 夢で見た風景との相似にくらくらと目眩がする。「ご、ごめん」わあどうしようどうしよう。とりあえず散らばった花を拾おうとしゃがみこんで、そのまま何だか上と下がぐるぐるした。叔父上、叔父上、しっかりなさい、如何したというのです。驚愕と不安のないまざった白い顔。強烈な悪寒と吐き気のなか、取り残されたようにぽかんと冷静な一部がまるで関係ないことを考えている。 ――おれは、こんなにも怖いのに。 ◇◇◇ 「知恵熱、だ」 三日星の診断は冷静かつ的確、それに三分ほどの呆れがまじりあって、何とも微妙な声色だった。 六道がはあ、と気の抜けたようなほっとしたような、これまた何とも微妙な声を出した。 「あとは風邪の引き始めだな。俺も起きて起きられんわけじゃなし、此奴の面倒くらい看られよう。行ってやってくれ」 俺たちの姉上のために。 頭をお上げ下さいとしきりに聞こえるので、頭を下げているだろう。六道に、兄やが。 やがて遠巻きにひそひそ囁き合っていた子ども達の声が高くなったり低くなったり、行くの行かないの、時折しーっと声をひそめる気配を混ぜながら足音が遠くなる。 「七生」 「……行っちゃった?」 手の下の敷布団をぎゅっと掴んで、掛け布団の下からそう声を出す。縁側から運び出されるあたりで既に気がついてはいたが、なかなか起きるきっかけを掴めなかったのである。 「お前もなあ、どうして昔からこうなんだ」 布団越し、頭に手が乗せられる。兄やがさほど怒っていない感じでほっとした――昔から、たまに、こういうことがある。七生が知っているのはそれだけだ。 「しらない」 鼻水が出てきたので、答えはずいぶん鼻声だった。風邪なんか引くのは殆ど子どもの頃以来で、だから七生にはいちいち新鮮だ。転寝してへんな汗をかいたのがよくなかったのに違いない。傷やなんかはまるで平気でいくさどきにはちっとも痛くなかったりもするのだが、こうして寝ているだけで天井がまわると、ちょっと酔う。兄やの指が七生の白髪をそっとかきのけて額にさわり、そのまま暫く撫でてくれていた。 ――でも怖い 口には出てこないままのことばを察してくれたのか、そうされると、少しだけ落ち着いた。指さきの冷たさに、雪を思い出す。 熱を持った瞼にちらめく、鈍色の山のつらなり。雪の白さ。 大江山の雪をゆくたおやかな姉のうしろ姿がどっと赤い血飛沫の花に変わり、墨染めの衣の腕に抱きとられ、見もしらぬ誰かの横顔が見慣れた仄白い細面と入れ替わる。夕暮れの土手の道、長い髪を風に吹かれ歩いていく人影。うしろに影を長く引き、、地獄極楽ひとつみち、両腕いっぱいにかき抱いて。振り返り振り返りしながら、手ぶらの七生はそんなに一杯、ひとりで大丈夫かとしきりに尋ねている。六道は何のためらいもなく、 ――これが私の幸せなのです と、答える。 ああじゃあどうしようもないなと思って、それから咲きたくなくとも花は咲くのだなと思った。それらはみな、眼裏にたえまなく赤い花の舞い散る熱のなかで見た夢だった。 地には七本、血のやうに、 血のやうに、 ちょうど、あの児の年の数。 何時まで取っても曼珠沙華、 曼珠沙華、 恐や、赤しや、まだ七つ。 ――――――――――――「曼珠沙華」北原白秋 |