「金神奈落」

 ――血が温い。
 その温さに知らず、血の付いた指さきをそ、と食んだ。

◇◇◇

 ちいさな子供が居る。

 そう思った。

 ちいさな子供が霧の中に居て、ふしぎそうに足元を見おろしている。

 六道はそう思い、ぼんやりと金眸をまたたかせた。気づくとぬかるんだ地面に倒れていた。
 ――ところで、どうしてこんなに地面が近いのだろう?  転倒した瞬間が記憶に残っておらず、意識のうえでは連続した状態であるので、それは大変奇妙なことに思われた。
 ともあれ、杖を拾わねば。
 倒れ臥したときに手元から飛んでしまったらしい、外出にいつも持ち歩く錫杖は一間ばかり先に転がっていて、大した距離ではない筈なのだが、なかなかそこまで届かない。
 ぐ、と力を込めた手の甲に、あおじろい節の影が浮く。
 霧が深い。
 そのとき目の前に立った人影の、朦朧とした輪郭が見えた。

 子供だ。

 ああ、矢張り、随分と小さいな。

 淡いあわい色をしている。さながら、蜃の吐くまぼろしのような。
 貝のうちがわの光沢めいた虹いろがひかって見える。子供の指さきがひかって見える。あれと同じものを見たことがある、そう、たとえば、生まれたばかりの息女の額の星をみつめたとき、そのうちの瞬きに。

 一瞬の放心からはたと心づいてみれば、それは子供ではなく青年の背丈をしていて、途方に暮れたように足元の血だまりを見おろしているのだった。
 成る程、道に喀血して倒れている男がいればそれは近寄りたくはあるまい。
 だが己は家に帰らねばならず、そのためには立たねばならず、杖は手元にはなく、いまの状態で自力で立ちあがるのは少々難しい。六道は嘆息して、乾きかけた血でがさつく唇を開いた。
「……手を。貸してもらえると有り難いのだが」
 思ったより低い声が出て、青年はびくりと頭を揺らした――「あ。ああ、」
 差し出された掌はやはり子供のまるまるとしたものではなく青年らしい骨張った繊細な感触で、ずいぶん奇妙な感じがした。べつに珍しいことではない。昔から人とちがうものを観ていたが、老境に入ったからか、このごろの六道はよく己の眸に映ったものとそこにあるものとを取り違える。触れてみればそれとたしかに判るので、何の不便もしていない。
 ぎくしゃくと背を支えられ、肩を貸された。そのまま何も言わずに歩き出そうとする青年につい、責めるような口調になった。
「何処へ行く」
「……うちへ。」
 一瞬、肩がおののくように震えた。そんなに怖い声を出したつもりはないので、少しすまなく思う――ゆっくりと息を吐くと、青年はふいと顔をそむけてぶっきらぼうに言葉を続けた。
「そんなんじゃ歩けないだろ。うちへ来て、すこし休んでくといい」
 六道は考えようとした。言い訳を。或いは反論を。だが血を失いすぎていて立っているだけで目が眩む、この状態で考えごとをするのはつらかった。
「――……そちらがそれで構わないのなら、そうしよう」

 それで、そういうことになった。

 霧が、また少し深くなった。――