「狐嫁入」
―きつねよめいり―



 夫婦というのは、ずうっと一緒にいる約束だと思っていた。
 だって、おとさんがそう言ったのだ――
 ずうっと一緒にいる約束をして、一緒にいて、一緒のものを食べて、一緒に寝て、一緒のことに笑ったり泣いたりするのだ。
 それは何だかとてもすてきだなあと思ったものだから、そう言った。そうすると父親の七生はくしゃりと九曜とおそろいの色をした髪の毛をかきまぜて、「うん。そうだねえ」と言ったのだ。
 うん、そうだねえ、おれもそう思う。

◇◇◇

 しと、しと、しと、と小糠雨。
 雨宿りに駆け込んだ先の、神社の軒下である。さあっと冷たい風が雨の幕を揺らして通り過ぎていった。
 ――降りみ降らずみ定めなき、時雨ぞ冬の始めなりける
 口ずさむ俗謡にもまこと相応の、神無月の雨。
 少しばかり髪が濡れてしまった。お使いのついでに少し足を伸ばしただけだったのだが。でもどうしようか、止むまで待っては、きっと遅くなって心配させてしまうだろう。……
 悩みながら上げた目にうつる、鉛色に霞む雨にひとしお鮮やかな、ぽんと開いた紅い傘。それを持つ手は何処か獣じみて骨張っており、その下からのぞく眸は傘と同じく、むろん紅い。
「きつねさん」
 彼女――九曜は、見目ばかりは典雅な貴族めく男をそう呼んだ。
「難儀をしているだろうから迎えに行けとの仰せだよ。ったく、識神使いが荒いったらありゃしねえ」
 次郎丸――神名・稲荷ノ狐次郎は斜に構えて、ぶっきらぼうに言い放つ。
「ありがと、あのね、お土産あるんだよ。お口開けて」
 九曜は手に持っていた、油の染みた包み紙を開いた。こうばしい匂いに、人のなりをしながらこれは獣の形のままの耳がぴんと立つ。続いて口に放り込まれる妙味にううむ、と一声唸った。
 出迎えの駄賃は、油揚げひとくち。

◇◇◇

 二人でゆく一つ傘を、ぱらぱらと打つ雨音。
 ふいに射したうす明るいひかりは重い雨雲の隙間からこぼれ出していて、雨滴とともにその光も降るのだった。
 きつねのよめいり、と九曜はつぶやく。「ねえねえ、きつねさんのお友達? お呼ばれしなくていいの?」
 ああん、と狐次郎は胡乱げな声を出した――「辰川明神だろ。どっちかってと俺が挨拶されなきゃならん側だ。下手に出ると舐められる」
 どうにも言動が三下くさいが、京のこっちより南じゃ姐御ほどじゃねェが結構顔なんだ、などと胸を張る。
「ふうん。ねえ、きつねさんってさ、およめさんいないの?」
「ぶっふ!」
 吹いた。と、言うより噎せた。「そ、そりゃあまあ、暇つぶしにだな。こう尻尾がふさっとしてて、後姿がそりゃあシャンな美人を昔は」
 狐だった頃の話であるが。しかも神仙になってこの方、当時の記憶はめっきり曖昧なのであるが。それでも冬見の末娘――今月は女児が来訪する予定で、そろそろこの呼び方ともお別れだ――は、へええ、と草色のまるい眸を更にまるくする。
「どんなだった? やっぱり、ずっといっしょにいた?」
 へ、と今度は狐次郎が紅い瞳をまるくした。
 雌狐ならば噛み合いの儀式までは仔を育てともに暮らすが、生憎こちとら雄である。つれあいを持つ季節のほかは群れることも知らぬ生きものだった。
 しどろもどろにそんなことを喋ると、九曜は「ふうん」と目を伏せる――残念そうな、それでいてほっとしたような、複雑な色がその瞳にゆれていた。
「おとさんはね、夫婦っていうのは約束だって言ってた」
 ずうっと一緒に居る約束なんだって。それはとてもとても、すてきなことなんだって。
「ねえ、でも、それだったらきつねさんは大丈夫だよね。ずうっと一緒にいられなくっても、泣いちゃったりしないよね」
 ただの獣を慈しむように伸ばされた手が、金毛三尾の野狐の本性もつ頬に触れた。泣いていないのを確かめるふうに、足りぬ背丈を爪先立ちで埋めて。
「わたしはずうっと一緒にはいられないから、だからきつねさんのおよめさんには、なれないの」
 死ぬだろう。
 己は、じきに死ぬだろう。かつてこの目で見たように、紅い血を華のように撒き散らさずとも。かつてこの目で見たように、紅い焔を衣のように纏って灰にならずとも。
 でも、ねえ、それでも良かったら。
 きつねさん、と言い掛けて、九曜は向き直る。神に祈るように、両の掌をそっとあわせて一礼する。
「稲荷ノ狐次郎さま。……どうか、わたしに子どもをお授け下さい」
 
 返された返答はなんとも無愛想に、「もってろ」との一言だった。
 言われたままに傘を受け取るやいなや、男はくるりととんぼを切って本性の獣の姿をあらわす。
「そこで待ってろ。……いや、なるたけ回り道して、ゆっくり帰ってこい!」
 あわただしく叫び、そうしてばしゃばしゃと足元の水溜りを蹴立てて走っていってしまう。家の方へ、冬見の屋敷のある方角へ。
「…………ええっと、」
 まだお返事、きいてないんだけど。きくまでもない、という気もするけれど。
 九曜はくるり、と傘を回し、そうして何だか、おかしくなってしまって笑った。雨がやむまで、少し辺りを散歩しながら帰ろう。
 仰いだ空はさあさあと静かな雨が落ちてきて、それでも不思議と仄明るい、狐の嫁入り日和だ。
(リクエスト:俺屍・九曜と狐次郎)