(四)


「―――わからぬのはそちらではないかな」
 玄関先に、六道のいたくひややかな、突き放すような声がひびいた。
「何度も申し上げるが、この家に客があるかないかなど、余人には関わりなきこと。然様に問いただされるいわれはござらん。よし居たとして、突然押しかけてきた素性確かならざる相手を、だいじの客人と対面させるわけにはまいらぬ。お引き取り願おう」
「左様ですか……よくわかりました」
 木で鼻をくくるような六道の応対に、答えたのは、低く抑えた男の声だった。冬見家の面々にはまるで聞き知らぬ声だが、乃々花にとっては、聞き覚えがあるどころではなかった。ありすぎた。
(でも、まさかそんなこと……)
 それでもまだ半信半疑で玄関を覗いた乃々花は、そこに予想通りの、しかしてこの場にいるはずのない顔を見出し、今度こそ完全にあっけにとられた。
「私は、こちらにお邪魔しているはずの家の者をここへ呼んでほしいと言っているだけなのですが……それほど拒むということは、呼んでは都合の悪い事情があると解釈します。だったらこっちにも考えってもんが―――」
「当主!! なんでここにいるの!?」
 玄関の三和土に立って、柳眉を吊り上げ、鼻筋を皺め、唇を非対称に歪めた険悪な形相で六道と向き合っているのは――そしてそんな表情をしていてさえ麗しいと形容できる稀有な容貌の持ち主は――乃々花を使いに送り出した橘家の七代当主冬至(とうじ)に他ならなかった。


 乃々花の後ろからついてきていた葉常が、廊下の端から首を出してのぞきこみ、まじまじと目を見はって、はー、と溜息混じりに呟く。
「あれがののちゃんちの当主様なんだー。ほんとにすっごいキレイな人だねえ。九曜の話聞いた時は、正直オオゲサっしょって思ったけど、本当に人形が動いてるみたい。世の中にはあんな人もいるんだー」
 並んで顔を出していた常葉が釣られて頷き、
「いやまったく、飾っときたいくらいだわ。……あれで女じゃないとかえらいもったいねえな」
 ぼそりと呟いた途端、葉常が悪戯を思いついた子供の顔になった。底意地悪げな含み笑いで、細めた横目遣いを兄にくれる。
「あ、なにそれ、ひょっとしてあっちの当主様に気があるってこと? 兄キって惚れっぽいヤツだったんだ」
「な、何言ってんだよ! 美人だってのはお前が先に言い出したんだろ!」
「そりゃまあ、確かに美人だけど? でも、あたしは断然りくちゃんだな! りくちゃんよりいい男なんていないね! 兄キと違ってあたしは一途なんだよー、兄キの浮気もーん」
「ばっ、ばかやろー俺だって……、っ」
 挑発に乗ってうっかり口を滑らせかけ、常葉は顔を真っ赤にして絶句した。


 そんな他愛ない双子のやりとりをよそに、乃々花は玄関先に駆け寄っていた。わざわざ当主が迎えに来るなんて、家で何かあったのだろうか。
「乃々花!?」
 声に弾かれたように顔を向けた冬至は、紅の双眸を裂けるほど見開き、彼女の肩を飛びつくようにつかんだ。
「よかった―――無事でしたか!」
「は? 無事って……?」
「どこか怪我は? 痛むところはありませんか? どんな目に合わされたか落ち着いて話して下さい、泣き寝入りなどもってのほかです」
「ちょっ、ちょっとちょっと!? いきなり現れて何失礼なこと言い出してんのさ! どうかしちゃったの!?」
 彼女の無事を上から下まで確かめながら立て続けにまくしたててくる冬至を、乃々花は泡を食って押しとどめた。常日頃、他人様に対し礼儀と敬意を欠いた振る舞いをしてはいけない、と彼女に教え諭している当主らしくもない軽挙妄動ぶりだった。
(着物……普段着だし)
 冬至が身につけている褪せた紫紺の羽織と馴れた無地の単は、自室でくつろぐ時の装いである。絹糸めいた白銀の髪もさほど整えられておらず、麻紐でゆるく束ねられたきりだ。彼が、たとえ近所を散歩するだけであれ、こんな気の抜けた格好で表に出たところを、乃々花はこれまで見たことがなかった。
「な、なんか勘違いしてるみたいだけど、あたしは何ともないよ。ここん家の人はみんな親切で、お茶出して歓迎してもらってたんだよ。おかしなことなんか何にもないから」
「本当に何もなかったんですか?」
 冬至はなおも彼女の真意をはかるようにのぞきこんでくる。
「ほんとだってば」
「本当の本当に?」
「くどいよ!!」
 しつこさに辟易して乃々花が叫ぶと、その剣幕に冬至も一瞬ひるんだ。
「……それならいいのですが……」
 完全に納得しきらない様子ではあったものの、多少冷静さを取り戻したらしく、冬至はようやく肩の力を抜いた。


「乃々花どの。こちらはまこと、貴家の当主どのか?」
 それまで二人のやりとりを黙って見ていた六道が問いかけてくる。乃々花は慌てて彼に向き直った。
「うん、そう。この人がうちの七代目。―――当主、名乗ってないの?」
 だいぶ長いこと問答していたのだろうに、素性も告げていないのかと訝ると、冬至は大仰に眉をそびやかした。
「まさか。先刻からそう名乗り上げておりましたよ。家の者がお邪魔しているはずですのでここに呼んで頂きたいと再三お頼み申し上げたのですが、こちらの御方は、じつに稜々たる方でいらっしゃいまして、証なくては信用できぬの一点張りで、頑として取り次ごうとして下さらず、大層困り果てました」
 慇懃無礼を絵に描いたような冬至の口ぶりに応じて、六道も負けず皮肉らしく、
「それはそれは失礼つかまつった。されど、そのように物騒な代物を手に、殺気立って他家の門口に立つような非常識な御仁が、一家の主たる方とは、当方容易に信じがたいことでしてな」
 六道の指摘通り、冬至の肩には、愛用の大薙刀が担がれていた。討伐以外で彼が薙刀を持って出るのを目にしたのも、乃々花は初めてだった。いつもは、護身用としてもせいぜい小太刀を差すくらいで、こんなものを持って歩かない。薙刀はただでさえ嵩が張って人目を引くうえ、冬至の得物は、普通の物より刃が幅広で分厚く、伸びる仕掛けが施されているため柄の部分も太い。小柄で軽い体格の不利を補うため、武器自体の重みと遠心力で殺傷力を増す仕様に改造された凶悪な品である。乃々花も思わずあきれて言った。
「ほんとに物騒だよそれ。何でそんなもん持って来てんのさ」
 すると冬至はきりりと眦を吊り上げ、一層声を尖らせた。
「仕方がないでしょう。あんな文を寄越されては、何があったかと思うじゃないですか。あなたの身に万一のことがあれば、相応の対処というものが必要です」
「相応の対処?」
「あんな文……?」
 乃々花がきょとんとし、六道が何やら思い当たったように顔をしかめた。


 そこへ、待ちくたびれたらしい七生がひょいと白い頭を突き出した。
「ねえ、どうしたの? そっちのひと、誰?」
 図体にそぐわない子供のような仕草で首を傾げる七生に、冬至が胡乱そうな目を向ける。乃々花は紹介役をかって一歩横に出た。
「当主、あの方が、冬見家の六代当主の七生さまだよ。お使いの書簡はきちんとあちらに渡したからね」
 言うと、冬至の紅瞳がすうっと細まった。
「そうですか、この方が……―――お初にお目にかかります。私、橘家七代柑子と申します。この度は、うちのものが大変、お世話になりましたようで」
 大変、に妙に力がこもっている。向けた笑顔も、大輪の薔薇のごとくあでやかで一点の曇りもないが、どこか、それこそ薔薇の棘に似て剣呑な気配を帯びているように乃々花には感じられた。
(あたし、今何かヘンな紹介した?)
 じわじわと発される威圧感に、乃々花は冷汗をにじませたが、七生はまるで意に介していないようで、
「いえいえ、ののちゃんはほんとにかわいくってねぇ。何しろ娘と同じ顔だから、他人とは思えないですよう。手紙にも書きましたけど、そちらさえよければしばらくうちで預かりたいくらいだねって、みんな言ってます。ねえ、九曜。お前もきょうだいが出来たみたいでうれしいよねぇ」
「うん、おとさん。はっちゃんとときちゃんのきもちが、すこうしわかったみたい」
 七生の足下で、九曜がはにかんだように笑う。
 その顔を見た冬至は、わずかに眉を上げたが、何も言わなかった。
 乃々花は思い出して冬至の袖を引いた。
「ちょっと、当主」
「はい? 何です?」
「あんた、九曜とあたしがそっくりだって、知ってたんだね」
 上目遣いに問い詰めると、冬至は少々ばつが悪そうな表情になった。それだけで答えは知れ、乃々花は人の家の玄関先であることも忘れてくってかかった。
「何で教えといてくれなかったんだよ! あたし一人だけ何にも知らなくて、恥かいたじゃないか!」
「いえ、ほら、前もって知らない方が驚きが大きくなるでしょう?」
「大きくなくて結構だよ! なんだよおもしろがって!」
「それは誤解です。あなたをからかおうとか、そういうつもりはなかったんですよ。ただ、どれだけ驚くか想像すると微笑ましくて」
「やっぱりおもしろがってんじゃないか!!」
 すっかり周囲をなおざりに掛け合いを繰り広げる冬至と乃々花の横では、六道が七生に小声で問いかけていた。
「六代目……先程出した手紙ですが、何ぞ余計なことを書きませんでしたか」
「よけいなことって?」
「俺が言った以外の事です」
「うん。だって、あれじゃあんまりそっけなかったんだもの。もっと気持ちをこめなくちゃ、おれたちがののちゃんを歓迎してるってことが伝わらないと思ってねえ」
「……何を書いたんですか」
「ええとねえ、いろいろ。ののちゃんはとっても可愛いですってほめたよ。うちでしばらくあずかりたいくらいです、とか。あとは、そうだ、ぎゅっとしたらすごくびっくりして、こっちもびっくりしたこととか。むこうの家では、普段のスキンシップが足りないのかなあ」
 頭を抱えた六道であった。見知らぬ家に上がってしゃっちょこばる乃々花をなだめたり、騒ぐ双子をたしなめたりするのに気を取られ、七生に書かせた手紙に目を通さないまま式神に託して送ってしまったのは大失態だった。てっきり口頭で指示した通りに書いたものと油断していたが、この分では、他にも色々と誤解を招きかねない内容を勝手に書き連ねていたに相違ない。まずもって「あずかりたい」にちゃんと「くらい」を付けたかどうかが大いにあやしい。
 訪ねてきた橘家の当主は、言葉つきこそ丁寧だったが、六道の目には険悪さと敵意があけすけで、応対するのも不快感を隠せず邪険にしたものだったが、届いた手紙がそんな胡乱な文面で、しかも七生の悪筆では、先方が疑心暗鬼に駆られるのもやむなしと言えた。仮に、九曜を使いに出した先からそんなあやしげな文が届いたとしたら、六道だって弓矢を携えてすっ飛んでいく。彼女の身に何事かあれば、相手方を残らず血祭りにあげることも辞さないだろう。
 取るものもとりあえず駆けつけたといった風情の冬至に、仄かに親近感が湧いた。


* * *

 その後、みんなで双六大会をしようという七生の誘いを丁重に謝絶して、冬至と乃々花は冬見家を辞した。
 名残惜しげに門前で手を振って見送ってくれた一同が辻の陰に見えなくなると、何度も振り返っては頭を下げていた冬至は、ほっと息を吐いて歩調を速めた。
「やれやれ、すっかり遅くなってしまいましたね」
 陽はすでに没し、西の空がわずかに残照で明るんでいるばかりだ。誰そ彼どきの薄闇に、冬至が下げた借り物の提灯の灯がぼんやりと足下を照らしている。冬見家の紋入りのその提灯は、行きに六道が下げていたのと同じ物のようだった。
 足取りに合わせて揺らぐ灯の輪にかろうじて入る位置から、乃々花は無言で冬至の後をついていく。
「うちでは皆心配しているでしょうねえ。何せろくに説明もせず出てきてしまったものですから」
「…………」
「早く帰らないと、誰かが迎えに来ようとしかねません。すれ違いにでもなったら事です。急ぎましょう」
「…………」
「……乃々花?」
 そこで冬至は、乃々花が冬見家を出てからずっと黙り通しであることに、ようやく不審を覚えたらしい。さっきから、灯が届くぎりぎりの距離から近寄ろうとしていないことにも。
「乃々花、ひょっとして何か怒ってますか?」
「…………」
 乃々花が、沈黙を答えに顔を向けもせずにいると、冬至は思案するように首を投げて、
「先方に瓜二つの子供がいることを黙っていたのをまだ怒っているんですか? 本当に悪気はなかったんですよ。あなたがそんなに気分を害するとは思いませんでした。反省しています」
「…………」
「それとも、もっと遊んでいたかったですか? 確かに、うちには男しかいませんし、女の子の友達が出来て楽しかったでしょう、ですが今日のところは……」
「そうじゃないよっ!!」
 的外れなことばかり並べる冬至に業を煮やして、乃々花はつい大声を出してしまった。
「何で迎えに来たりしたんだよ! まかせるって言ったくせに、あたしのこと全然信用してないんじゃないか! そのくらいなら最初から自分で来ればよかっただろ!」


――それでは、頼まれてくれますか。乃々花。


 そう言われて、ようやく少しは一人前扱いしてもらえたと思って、嬉しかったのに。
 心配されて迎えに来られて、手を引かれて帰るなんて、こんなんじゃ、子供の使いにもなりやしないじゃないか。
 腹立ちまかせに言いつのる乃々花に、冬至は秀麗な面差しを申し訳なさそうに翳らせた。
「確かに、一旦任せると言った以上、あなたをもっと信頼するべきでした。余計なことをしてしまったのは謝ります。ですが、そうは言ってもやはりあなたはまだ子供なんですよ。まして女の子なんですから。今回は誤解ですみましたが、色々と心配なことがあるんです。そこはわかってもらえませんか?」
「……もういいっ」
 乃々花は、冬至の釈明を一方的に打ち切って足を速めた。本当はわかっている。当主が悪いわけじゃない。自分が、用事を済ませてすぐに戻っていれば、こんなことにはなっていないのだ。初めて訪れたよその家が物珍しくて、歓待してもらったのをいいことに、ぐずぐずと帰らずにいた自分が悪いのだ。
 わかっていても、頬がふくれるのを止められない。
「乃々花、待って下さい、一人で先に行っては危ないです」
 後ろで呼ぶ声を無視して、黙々と足を運ぶ。こんな時、当主の「正しい」顔は見たくないのだ。目を見て事を分けて諭されたら、絶対納得させられてしまうに違いないのだから。せめて家に着くまでの間くらい、存分にふてくされていたかった。
 そんな態度こそ、子供の証に他ならないと、それも重々わかってはいるのだが。
「ほら、もうすっかり暗いでしょう、そんな遠くにいたら足下が―――乃々花」
 冬至の声の調子がふいに変わった。乃々花はとっさに立ちすくんだ。
 いつまでもふてているから、ひょっとして本当に怒らせてしまっただろうか。
 ためらいがちに振り返ると、冬至が、行く道を示すように手に持つ提灯をかかげ、もう一方の手で彼女を差し招いている。
「道が違いますよ、乃々花。そちらではありません」
 気づくと、まっすぐに歩いていたつもりだったのに、いつの間にか辻をそれていたようだった。慌てて元の道に戻る。それでも、頑迷に冬至の顔は見ず、その脇をすり抜けた。そのまま歩き始めると、
「乃々花、そっちじゃない」
 再び冬至が言った。その声が、妙に遠かった。振り向くと、数歩しか歩まなかったはずなのに、冬至の姿が夜闇に融けかけていた。提灯の灯が頼りなく揺れた。
「――――っ」
 急に水を浴びたようにぞっとして、乃々花は、一散に駆け戻って飛びつくように冬至の着物の袖をつかんだ。
「おかしいですね」
 冬至が訝しげに周囲を見渡している。
「な、何が……?」
 肌を粟立たせながら袂をつかむ手に力を込める乃々花に、冬至は眉をひそめて訊ねた。
「乃々花、こちらへ来る時に、この道を通りましたか?」
「え? 多分、そうだと思うけど……」
 乃々花は虚をつかれて首を巡らせたが、四方はただ暗いばかりだ。辻に目立つような印は見あたらず、一度通った道かどうか、はっきりとは断言できない。そもそも行きも霧が深く、風景などまるで記憶に残っていなかった。
 冬至はしきりに首を傾げながら、独り言めいた呟きを漏らす。
「妙ですね……一度たどった道であれば、これほど戻りづらくはないはずなのですが……」
「あ」
 乃々花は思わず声を上げてしまった。問うように見下ろした冬至の顔が、先程とは別の意味でまともに見られず、うつむきがちに口を開く。
「あたし……来る時、歩いてなかったんだけど……途中で、六道さんに……おぶってもらったから……」
 訥々と、迷子になった経緯や迎えの六道と遭遇した顛末などを説明しながら、顔から火が出そうだった。六道がいなかったら、そもそも冬見家にたどりつけていたかどうかすらあやしかったくせに、よく当主にやつあたりなどできたものだ。
 乃々花の告白を聞いて、冬至はようやく得心がいったようにうなずいた。
「成程、そういうわけでしたか。今度からそういうことは、先に教えてくれなければいけませんよ。先方にお礼を言いそびれてしまいました。俺も色々と不躾をしてしまいましたし、後ほどお詫びに何か送るとしましょう」
「うん……ごめんなさい……」
 悄然と肩を垂れる乃々花の頭に、冬至の手が乗せられる。
「そんなにしょげないで下さい。大事な地図を、あんな紙片に書いたまま渡してしまった俺の責任です。危うくあなたを迷子にするところでした。悪かったですね、乃々花」
 謝られては、ますます立つ瀬がない。小さくなってしまった乃々花を、冬至は苦笑混じりに見やり、ふと何事か思いついたようにその顔をのぞき込んだ。
「そうですね、では乃々花、これから、俺の言うことをちゃんと聞けますか?」
「う、うん!」
 乃々花が慌てて首肯すると、冬至はよろしい、というようにうなずき、乃々花に背を向けてしゃがみこんだ。 「乗って下さい。おぶって帰ります」
「え、ええ!?」
 乃々花はうろたえて半歩下がった。
「な、何でそうなるんだよ! それじゃ当主が重いだけだろ!」
「行きに歩かなかったのなら、その方が早いんですよ。ほら、早くしなさい」
 冬至がそう言って、手招きでうながす。乃々花はしばらく逡巡していたが、繰り返しせかされ、おずおずと冬至の肩に手をかけた。
 片手に提灯を持ったまま、乃々花を背負って軽々立ち上がった冬至は、歩き出しながら肩越しに笑みを含んだ眼差しをくれ、寝ていてもいいですよと言った。
「その方が楽ですから」
 そういえば六道も、乃々花は眠っている方が早く着くとか、そんなことを言っていた。どうしてそうなるのかさっぱりわからないが、この道は、そういうものなのだろう。きっと。
 反駁する気力もなくして、乃々花は、冬至の肩にぺたりと頬をつけた。萎えた布地の柔らかさと、鍛え上げた筋の弾力が、彼女の頭を支えるちょうどいい枕になる。
 冬至の背は六道よりずっと低いため、見下ろす地面はだいぶん近い。歩幅の違いか、体の揺れも小刻みで、肩幅も狭いから少しばかり収まりが悪い。おまけに、斜に担いだ薙刀の柄が邪魔になる。
 なのに、どうしてかほっとする。
 着物ごしにつたわる体温と、襟元から漂うかぎ馴れた香の薫り。
 そうだ。やっぱりこの背中だ。
 そう思った。次の瞬間、ことりと眠りに落ちた。


* * *

 その後、乃々花は、六道のようには気を回してくれなかった冬至の背中でぐっすりと寝入ったまま帰宅し、彼の着物に涎の染みまでつけて、潮にさんざん笑いのめされることになるのだったが、それはまた別の話である。