
霧籬―幕間―
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箸を使う仕草ひとつにつけ、ひどく様になるひとだった。 「何か?」 もしや、顔に何か付いておりますでしょうか――等と秀麗な顔だちに存外似合う冗談めかした笑みをして、ひらりと白い手を返す。そのさりげない所作でさえ蝶の羽博きを思わせる優雅さなのだった。 「あ。ううん――」 見惚れる余り開けっ放しだった口を閉め、葉常はついついいつもの調子で受け答えてしまったことに気付いて、ちょっと鼻先をあかくした。余所様の当主というのにどれだけ礼儀を正して振舞うべきなのか、まずその線引きがわからないのだ。何せ我が家の六代目ときたらあの通りの、大猫じみた胡乱な御人柄なもので。 そしてまた、雪の精かとみまがうような麗人から目を転ずればそのとなりに、膳部を前にしゃっちょこばった子ども。 自分たちのものではない見馴れぬ赤毛にまるい翠の眸をみはり、無意識にか鼻の頭に皺までよせている。一所懸命横目を使わないようにしているものの、となりの当主さま――柑子さんだったか冬至さんだったか――の一挙一動に神経を集中しているのがみえみえだ。恐らく、彼の真似さえしていればよもや失礼はあるまいといちずに信じ切っているのだろう。箸の持ち方から膳に手を出す順序まで、さながら軽鴨の子が必死に親のあとをついて歩くような有様が何とも可笑しく、そしてこれまた可愛らしい。可愛らしいが、このようすではさて、味などわかるものだろうか。 ――よし。 向かい合わせに丼飯をかっ込んでいた常葉と暫時、目が合った――以心伝心、どちらからともなく顎先だけでうなずき合う。まこと連携にだけは余人にひけをとらぬ双子であった。 「ね、ね、ののちゃん。こっちのお皿、そっちのお膳にはついてないでしょ? はい、ひとくちご相伴――」 「おう、こっちの煮物もな、芋がいい味出してんだ。ののちゃん芋好きか?」 突如横から食え食えと勧められ、赤髪の童女は見るからにおろついた。どうしていいやら、辺りを見回せば頼りの当主はその品を失わぬまま翳した袖の影で失笑を噛み殺しそこねており、食が細いのか早々に箸を置いている黒髪の補佐はなぜか感心の態。 「ほう……まさかお前らが膳部を取り合わぬ日がこようとは。これはこの分では、明日には槍が降ろうな」 「わあ、ひっでえ。俺らだっていっつもいっつも、そんな食い意地張ってねえって」 「そうだよ、ひどぉい。――話半分にきいてね、りくちゃんたらいっつも大げさなんだもん。おかわりいる? 五目ちらし、ののちゃんだったら何の具が好き? あたしは錦糸卵かなぁ」 顔つきよりもむしろこちらがそっくりの表情で双子同士、互い違いにくちびるをとがらせ、矢継ぎ早に喋る喋る。年下連がかしましく騒ぐ中、当主とは逆の側から誰かがちょんちょん、と乃々花の袖を引いた。 「ごめんね、うるさくして。うちね、いつもこんな風なの。ごはんどきは特にそう」 見ると、上向き加減に眉を寄せてないしょ話のように喋る、自分と同じ顔が。「あ、ああ、うん」 そうかい――と、ちょっとばかり口籠りながら返事する。既に双子間の会話は五目ちらしの具の好き嫌いから何故か紅生姜の染め色の是非についてという議題に推移しており、白熱した論争が乃々花と九曜の頭越しに繰り広げられているのだった。 「ね、わたしごはんがすんだらお庭におりるんだけど、ののちゃんも行かない? 案内したげるね」 そこで更に声をひそめ、「きつねさんを助けにいかなきゃだし。りくちゃんあのままでいいって言うけど、一晩も結んだままじゃしっぽの血が止まっちゃう」 行く、と思わず勢い込んで頷いてしまった。どうにも自分のせいで割を食わせてしまったような気がして、あの柄の悪い狐の安否は彼女も心中ひそかに気になっていたのである。 ◇◇◇ 「――そういえば、貴家の御当主は、お体の具合でも?」 ふと空の座に目をやって、冬至が首をかしげた――白絹の艶もつ髪がさらりと零れ、意識せずともこれだけ格好がつくというのならそれは大変すごいことであるし、意識してやっているというのならそれはそれで、べつの意味でまたすごい。 「いや、蔵だ。冬見家の伝統だ」 端的に答えたのは、すでに食後の茶をゆるりと嗜んでいた六道である。全体に口にする量が少ないのと、食に対する興味が薄いのとが相俟ってこの男、双子や他の一族とくらべ食事に掛ける時間が格段に短い。 「伝統……?」 蔵、と、伝統。微妙にそぐわない語感である。馴染みない他家とあって何らかの奇習でもあろうかと思いを馳せる橘家七代当主、そしてそれを尻目に既にぞんざいに砕けつつある口調で流暢に嘯く冬見家六代当主補佐。 「家の蔵はせんの春に普請をしたのだけれど、それ以前の建物はそれはもう暗いわ軋むわ鼠は走るわ、昼に見るにも物凄まじい風情でな。俺にもうっすらと記憶はあるが幼時には、夜半厠に行くのにあの前を通らねばならぬのが厭で厭で。……ま、建て替えてからはあやしい光物もせぬし何度元に戻しても何故か出しっぱなしのままの鏡台もおとなしい普通の蔵だが、お小さい頃から身に覚えのある六代様には他のどれより矢張りあの場所が一番霊験あらたかなのだ。効果覿面だ。」 ……迂遠きわまりない物言いだが要するに、我が家の当主様は本日の罰(おしおき)として暗くてこわい蔵に閉じ込められてしまっています、と。 「…………それはまた、御苦労な伝統ですことで」 呆れ返りすぎて、とっさに気の利いた言い回しを思いつけなかった。冬至としては、まず滅多にないことである。当人がよっく自覚し利用し尽くしているその美貌とともに、その口と頭の回転の速さは彼の持ち前の武器であるからして。 「なに。誰しも覚えのある事ではないか? 貴殿も幼き時分に悪戯など過ごしたことが、まさかなかったとも見えぬのだが?」 うえええん父上えええ叔母上えええもうしません、もうしませんから出してよお、出してえええ。 「――さて、そんなことがありましたかねえ」 天窓越しの月の光。幼子の手にびくともしない扉の重み。手で何度もぬぐいあげる流涕の熱さ。泣き涸らした喉の痛み。啜り上げる水っぽい鼻声。 そして何より薄闇になずむ肌をした手と、 艶やかに夜に沈む花弁のような髪のあかさと、 『……冬至、ほんとうにもうしないって、約束できる? 約束できるんなら冬至が兄様にあやまりにいくのに、私がついていってあげるから。』 優しすぎるほどに優しい声と、 「――――…………本当に、そんなことがあったものでしょうかねえ?」 その端麗な口唇からこぼれて落ちる、何処かしらうつろな呟き。 まるで雪片のような、心許ない響きだった。 「……業の深い、」 やれやれ、とばかりに六道は首を振り、ついと目を逸らす。 お互いに、とは、口にして付け加えるまでもないような気がした。 ◇◇◇ 「……ううう暗いよおせまいよおさみしいよお、おおーい誰かあー、誰でもいいからあー、おなかすいたよおー」 一方その頃の冬見家敷地の隅にある建物から洩れ出でる面妖な声が誰のものかなど、最早言っても詮のないことであろうし。 「うるっせえぞ、そこ! ……ちちち畜生、感覚ぜんっぜんねえ……まだついてんのか? 俺の自慢の尻尾……」 天地空たる狐の眷属の誇り、仙骨の数をも示す獣尾の行く末に悶々としながらのたうち回る怪しき気配に救いの手が差し伸べられるのも、もうじきであろうし。 ――全体からしてみればごくごく平穏に更けてゆく、冬見家のいつもの夕餉どきである。 |