Mr.Yesman
by しムす
初版:2006/12/06

Mr.Yesman

「な、どしても人手が足らんのや、頼むわ」
目の下に隈を作ったトウジから頼み込まれたのはいつだったろう。シンジはクリスマスの夜だというのに一人で仕事に精を出していた。

トウジは大学に入ってからは、学業はそこそこ、アルバイトが生活の中心になってしまっていた。
それもこれも、みんなビンボーが悪いんや、とトウジは言うけれど本当のところはちょっと違う。
失った右足はNERVの最先端テクノロジーの応用で、ほぼ原型に戻っていた。それは、要するに人体実験の結果だから、費用は要らないということだったし、妹さんの病気についても、トウジの負担は大したことがないはずだった。それでも、そういう風に世話を焼かれている自分に不本意なんだろう。『自分で稼ぐ』ことに、トウジは異様なまでに固執していた。

トウジが新聞配達に始まって、様々なアルバイトを経験した後、最終的にたどり着いたのは、ビルのメンテナンスのアルバイトだった。深夜の時間帯の仕事が多く、実入りがいい。その分、キツいことは確かだが、昼間には別のバイトもできる。とはトウジの弁だが、じゃあ、いつ眠るつもりなんだろう。いつもシンジはそのバイタリティに感心する。

トウジと同じ大学に進んだシンジも最初は普通のアルバイトをやっていたけれど、人手が足りないと頼み込まれてトウジを手伝うようになった。仕事が性に合ったこともあり、いつの間にかこの仕事でも中堅どころの存在となってしまっていた。
NERVの庇護を離れたシンジにしても稼がなければならない事情は同じだったけれど、トウジのように、この仕事にずっぽり漬かるだけの自信はなかった。だから本当のアルバイトとして、週に何回か、特定の現場での作業だけ受ける、というスタンスを取っていた。

シンジ達の仕事はメンテナンスといえば聞こえはいいが、人の出入りがある日中を避けて、深夜にこそこそビルの床を清掃し、ワックスをかけるという仕事である。この仕事、年末時期はかきいれ時でいつもフル回転となる。やはり新年は綺麗にして迎えたい、という心理が働くのだろうか。物理的にも年末には人の出入りが止まるということもある。仕事が殺到し、時間帯に関わりなく仕事をこなしても、こなしきれない。社員達は文字通り不眠不休でビルを飛び回っている。トウジ達ベテランの域に達したバイト達は社員となんら変わる所なく、もう何日も寝ていないらしい。

いつもの現場が終わった後、帰ろうとするシンジをトウジが引き止めた。もう夜明けが近い。
「実はな、新しく建ったビルの仕事があってんけど、内装屋がペンキこぼしてもうてな。しかもそれをシンナーで拭いてまいおって」
そこは知っている。何かの庁舎で、大事な仕事だから、ということで途中にシンジも何回か引っ張り出されていた。
「ワックス、まだらに剥げてもうて。で、剥離からやり直しつーことになってな」
トウジは、吐き捨てるように言った。
「へえ、そりゃ大変だ」
何を言い出すかは想像がついた。
「ところが、作業できる人間が、もうおらへん。しかも間の悪いことにクリスマスやろ、彼女の居るバイトどもは皆逃げてしもて」
バイトのレギュラー級の半分は帰省してしまっている。その上に更に逃げられたとあっては、確かに使える人間が居ない。剥離作業となれば、猫の子でもできるという種類のものではないからだ。
「で、モテない僕なら大丈夫、と」
「すまん、この埋め合わせはするさかい!」
「しょうがないな」
まあ、どうせ今日は寝るつもりだったし、もうひとふんばりくらいはできるだろう。
一人寂しくクリスマスを過ごすより、有意義かも知れない。
そんなわけで、シンジは疲れた体ごと、この都市のど真ん中の、竣工を新年に控えたビルに機材と共に連れて行かれたのだった。

シンジが連れて行かれたのは、まるで体育館のようなだだっぴろい空間だった。
そこには、部長と、顔を知らない社員の二人しか居なかった。
「・・ねえ、本気でここを剥離するの?いつまでに?」
「明日の朝には、什器が入るらしいから・・・夜までには終わらせんと・・・乾燥もある程度見とかんといかんし」
「おう、シンジ君、来てくれたか、お疲れ様」
部長の目の下は疲れからか、どす黒く変色している。
「早速だけどワックス頼むよ。剥離終わったところから、どんどん塗っていって」
部長はよれよれになった作業服の腕を伸ばして、遥かかなたの床を指差した。
どうやらとんでもないことになっているな、と今更ながら実感した。

作業自体は単純な話だ。一旦仕上げたワックス加工を、一度、剥離液を使って、完全に除去する。その床を丹念に水で拭いて乾燥させてからワックスをかけ直せばいい。ただ、剥離液は取扱いが面倒だったし、床面を完全にふきあげないとワックスが均一に乗らないので、剥離作業は皆から嫌われていた。

機材を準備してワックス作業にかかる。この仕事で一番大事なのは段取りで、仕事の順序をきちんと考えておかないと、酷い目に会う。だから大事な仕事には慣れた人間同士で組む。シンジはこの点、申し分ない。阿吽の呼吸で、剥離作業のコース、タイミングをはかって、何をどこからどうするか、いちいち指示を受けずに仕事ができる。問題はこの広さだ。本当に終わるんだろうか。

あっという間に日が傾いてきた。
剥離作業は完了したようだった。
こっちは残り2/3くらい。まだまだ終わらない。
「じゃ、シンジ君、済まないけど、僕はもう帰るから。帰りには高速、使ってもいいから」
「え?」
「子供が待ってるんだ。もう1時間遅刻してるけど」
「うっ、それじゃしょうがないですね」
部長にはまだ小さい子供が居て、クリスマスにはパパと過ごせると、ずっと楽しみにしていたらしい。昼夜逆転したこの仕事の宿命で普段は全然構ってやれないのだ。これを言われると、シンジは弱い。

二人の社員も、違う現場に回るため姿を消し、そして、最後まで残っていたトウジも、もじもじしながら、言った。
「すまん、ワシももう、帰らんと・・・用意があんねん・・・」
しまった、という顔をしたトウジの顔を見て、鈍感さでは定評のあるシンジでも、委員長との約束だろうとピンときた。
「ああ、そうだね、いいよ。気をつけて」
ほっとした表情で去っていくトウジ。

そうして、機材一式と共にシンジ一人が残された。

「はああ、終わった・・・かな」
シンジは、道具を缶に突っ込むと、その場にへたり込んだ。

時計は10時を回る頃だった。集中してやれたせいだろうか、予想よりは早かった。それに、出来栄えも悪くない。少しだけ、シンジは満足した。
シンジのワックスには定評がある。仕事が丁寧だし、仕上がりも綺麗だった。また、シンジ自身も、自分の仕事の良し悪しが目に見える形になって残るこの仕事が好きだった。

もうひとふんばりだ。
機材を水道で洗う。水が手を切るように冷たい。
ざっと洗ったモップ類を缶に詰めて、機材をワゴンに積み込む。ワックス缶はほとんど空になっていたので、嵩張るだけで重さは大した事は無い。空き缶は置いていって構わないと言われたけれど、きちんと廃材置き場まで持っていくのがシンジのシンジたるところ。

さっさと帰ろう。
シンジは片づけを終えると機材を積み込んだワゴンに乗り込み、ハンドルを、躊躇することなく高速道路のランプに向けた。

「失敗だったなあ」
シンジは自分の選択を呪った。高速道路はドライブを楽しむつもりのカップル達で大渋滞していた。夜景を見ながらのデートってわけか。なんだか馬鹿馬鹿しくなった。クリスマスなんて、呪われてしかるべきだ。こっちは疲れてるって言うのに。
渋滞情報を聞こうとラジオのスイッチを入れた。ところが流れてくるのは定番のクリスマスソングばかり。みんな楽しいんだろうな。

別に彼女が居ないのはシンジだけではないが、みんなそれぞれに帰るところがあるというのが羨ましい。いつも同じような愚痴をかこっていた友人たちはさっさと帰省してしまっていたし、自宅から通っている連中にはそれぞれ家族も居るだろう。シンジだけが地球上に一人取り残されたようだった。

渋滞の中、シンジの思考は現実を離れてふらふらと彷徨う。
去年のクリスマスには、アスカが居た。アスカとミサトさんとの奇妙な同居生活は高校卒業まで続いて、ケンスケも呼んでちょっとしたパーティーをしてたっけ。そのケンスケも、今年はそれなりに楽しんでいるみたいだ。随分昔のことのように感じる。

僕はこれから、会社に戻って機材を降ろして・・・一人だけの晩餐になるんだろうな。
疲れていたから、もう自分で作るつもりはなかったけれど、ファミリーレストランに行っても、よけいに惨めだろうな。コンビニにでも寄って、何か買って帰ろう。そう決めた。

アスカ。

強いて言えば、アスカが僕の、彼女っていうのに一番近い存在だったんだろうけど。その名前を思い出すだけで心が痛い。
アスカには結局、僕の気持ちは打ち明けられなかった。
クリスマスには腕を振るって、心を込めて料理を作ったのに、酔っ払ったミサトさんがほとんど食い散らかしちゃって。アスカがちゃんと僕の焼いた本物の七面鳥を食べてくれたかどうかは判らなかった。何だか、えらく怒っていたのだけは覚えている。あまりの剣幕に、とりあえず、ごめん、と謝ったら、何でアンタが謝るのよ、なんて、また怒らせちゃって。なんて小心者だったんだろう、僕は。
シンジは、それを思い出すだけで赤面してしまう。
ええい、もう過ぎた話じゃないか。

携帯電話が鳴った。
「おう、シンジか。今、どこや?」
トウジの、隣に誰かがいるのだろうか、どこか遠慮がちな声がした。彼なりに気を使って、デートの途中にかけてきたんだろうと思うと、シンジは悪態をつく気にはなれなかった。
「高速だよ、渋滞しちゃっててさ。仕事は終わったよ。あとは片付けるだけだから」
「そうか、済まんかったのう」
「いいよ、しょうがないし」
「それで・・・帰ってくるんは何時ごろになる?」
「さあねえ、この調子じゃあ、判らないよ。でも、まあ、日付が変わる前くらいには何とか」
「そ、そうか、いや、判った。ホンマに済まんかった。で・・・」
「あ、車、少し動き出したから。切るよ」
「お、おう、済まん」
やけにおどおどした物腰だったな。また委員長に怒られてるのかな。トウジと委員長の、喧嘩というか、じゃれあっている様子を想像すると、また惨めさが込み上げてきた。
何だかなあ。もうどうだっていいや。

そういえば、アスカとの最後の冬、クリスマスの前、アスカの誕生日にも、プレゼントを渡そうとして、色々考え抜いて。委員長にもちょっとつきあってもらって。あの時も寒かったなあ。
委員長と歩いているところをアスカに見られてしまったけれど、かえって、もしかして嫉妬してくれるかも知れないなんて、変に期待したっけ。なのにアスカは気に留める風もなくて。それで、すっかりそのプレゼントも渡しそびれちゃったんだよな。あれ、そう言えば、あのプレゼントはどうしたんだっけ。アスカの青い目と同じ色の、アクアマリンのネックレス。

相変わらず渋滞は続いている。ラジオからは、相変わらず甘ったるいクリスマスソング。シンジはいらいらして、ラジオを切った。
そういえば、外国では、クリスマスは家族で過ごすものなんだそうだ。こんなにカップルばっかり、いちゃいちゃする風習はないらしい。そうだよ、皆、変なんだよ。気づいてよ・・・そんなこと言っても慰めにもならないのは判ってるけどさ。
アスカはクリスマス、どう過ごしているんだろう。アスカの家族か。義理のお母さんだっけ。うまくやれているんだろうか。アスカも、寂しかったりするのかな。

アスカが帰国する時も、僕は荷物を持って、空港まで送っていった。とても、何も言えそうになかったから、手紙を書いて渡そうとして、一晩中悩みぬいて書いたけれど、翌朝、その文面を見て、あまりの恥ずかしさに、身もだえしたんだったよなあ。
そう言えば、あの手紙、ちゃんと処分したんだっけ。あの後、僕自身もミサトさんのマンションを出たから、どうなったか判らないや。
あああ、あんなモノ、他人に見られたら、自殺モノだよね。

それでも、僕は、最後の最後くらい、アスカが何か言ってくれるんじゃないかと、わずかに期待して。ミサトさんやら委員長やらがお別れを言っている横で、僕は所在なさを装って、ずっと立っていたけれど。彼女は一言も言ってくれなくて。僕と目が合ったとたん、ぷい、と身を翻して、そのまま振り返りもせずゲートに消えていったんだったっけ。
あああ、もう過ぎた話じゃないか。何でこんなに悲しいんだ。

何でこんなことばっかり思い出して、こんなに惨めにならなきゃならないんだ。やっぱりクリスマスが悪い。


もし、今だったらどうするだろう。
もし、時間が巻き戻ったら。

車列が動き出したので、手近なところで高速を降りた。

倉庫に着いたのは本当に日付の変わる直前だった。
寒い。ワゴンのドアを開けようとしたら、白いものがちらほら落ちてきた。雪だ。寒いはずだよ。まったく、本当に今日は最低な一日だな。
シンジにしては乱暴に、機材を仕舞うと、倉庫の片隅のロッカーで2日前に着ていた私服に着替える。眠い。眠いけれど、業務日報を書かなきゃ。ノートをぱらぱらとめくると、トウジの筆跡のメモがあった。
『下宿で待っとる、まっすぐ帰って来い』
なんだろ。デートを切り上げたのかな。言いたいことがあるんなら、携帯にかけてくればいいのに。委員長も堅いところがあるから、清く正しく門限時間までのデートだったのかな。
ミサトさんのところから引っ越す時には、トウジとケンスケが手伝ってくれた。おかげで、二人は暇なときには当然のような顔をしてシンジの下宿にやってくる。二人のために、シンジは外出するときも、鍵を二人にだけわかる場所に隠して外出するくらいだ。

万一雪が積もりだすと大変なので、スクーターで寄り道もせずに帰ると、下宿の階段の下に、トウジが佇んでいた。
「おう、お疲れやったな」
なぜだろ?トウジがにやにやしている。
「・・・ひどいよ、人に仕事、押し付けといてさ」
疲れているのはお互い様のはずだったけど、さすがにむっとして言い返した。肩に積もった雪を払う。

「いや、な、話せば長いんやけど、間に合うて良かったわ」
間に合った?何に。

「時差と準備の関係でな、どうしてもセンセを10時過ぎまでは引っぱっとかな、いかんかって」
時差?何でそんな言葉が出てくるんだ。

「ちょい遅なったけど、ま、特別な日なんで、そういうこだわりは大事らしいから」
こだわり?誰の?

「いや、センセの本心は伝えといたった・・・センセはワイの命の恩人やからな」
本心?本心ってどういう意味だ?

「お互い、意地っ張りやから。苦労したんやで、ホンマ。ま、苦労したんは、委員長の方やねんけど」
お互い?お互いって誰と誰なの。

「大丈夫や。もう、バッチリ。手紙も、プレゼントも、ちゃーんと、な」
え?手紙?プレゼント?それってまさか。

「あかん、しゃべりすぎたわ。ほな。メリークリスマス!」
「ねえ、ちょっと待ってよ!」

トウジが逃げるように去っていくのと、階段の上に明かりが灯ったのは同時だった。

「あんた、いつまで待たせる気よ!」
僕は振り返って、階段を仰ぎ見る。

「本当に・・・いつだってあんたは待たせてばかりで・・・私だって・・・私だって・・・」
ちらちら舞い落ちる雪の向こう、その人影の胸には、彼女の目と同じように青い、アクアマリンのネックレスが・・・

おしまい