Old And Wise
by しムす
初出(某掲示板):2004/12/18
改訂:2004/12/27

Old And Wise

いつか時間の霧の彼方で尋ねられたら
微笑んで、貴方は友人だったと答えよう
そして哀しみが私の瞳から浮かび上がる
ああ、年月を経て私が大人になれたなら

皮肉なものだな。
サードインパクトの、地球規模の後始末のために、旧NERVの情報接収に立ち会った、元日本重化学工業共同体の時田シロウはひとりごこちた。

彼のチームが幾多の歳月と予算をつぎ込んで作り上げた無人兵器ジェット・アローンは、関係者を集めて華々しく開催された公開試験で暴走し、危うくメルトダウンを起こす寸前まで行った。それを、敵であるNERVに救われた形となり、時田は大恥をかく結果になった。
ところが、サードインパクト後の混乱の中、NERVの背信行為が明るみに出るに及んで、NERVの、そしてエヴァンゲリオンの調査を行うには、素人目には同じように見える兵器を曲がりなりにも動かした実績のある時田以上の適任者は居なかった。

かくて時田は、政府調査委員会の座長として、かつて自分に大恥をかかせたエヴァンゲリオンの秘密を解明する任に当たることとなったのだった。

政府調査委員会は、ありとあらゆる分野の専門家で構成されていたが、NERVの全てを調査するにはそれでも足りなかった。なにしろ世界最高の頭脳が結集していた組織である。
そして、エヴァンゲリオンそのものが、どうやらサードインパクトの原因と判明している以上、その調査は最優先事項であり、時田自らも直接そのデータの検証に関わることになった。

『なんと、こういうことだったのか』
『ああ、こんなデータまで』
『こんなことが可能だったのか』
時田は夢中になった。魅了されたと言っていい。MAGIに蔵されたデータは膨大かつ詳細をきわめていた。まさに、宝の山。研究者であればこの状況を喜ばなければ嘘だ。そして、時田は、管理職である今でも研究者の端くれを自認していた。
もはや政治なぞどうでもいい。毎日が刺激的だった。1ヶ月に近い期間、時田は、ひたすらMAGIに蓄えられたデータの解読作業に没頭していた。
そして気付いた。
その論文、レポートの多くのシグニチャ。この世界の権威、赤木リツコ博士の名前だった。
論文、レポートのほとんどは英語で、ドイツ語もまじっていたが、管理職として部下の論文を含め、年間に何百もの論文を読んでいる時田から見ても、いずれも完璧と呼んで差し支えないものだった。簡潔にして要領を押さえた記述。その論理的な構成力。そして、オーバーテクノロジーを支えにしているだけとは思えないその発想力。
調査団の同僚の研究職の、こんな環境に居れば誰だって成果は出せるさ、という言葉は負け惜しみに過ぎない。同じ状況であったとしても、自分ではここまで持って来れなかっただろう。
正に天才とは、彼女のためにある言葉だな。時田は認めざるを得なかった。

時田は、椅子に背中を持たせかけて、右手で目頭を揉む。随分喉が渇いていることに気付いて、傍らのカップを取るが、その中の褐色の液体は冷え切っていた。一口だけ飲んで、またテーブルに戻した。

JAの披露パーティーで、赤木博士とやりあった時のことを思い出す。金髪に染めた髪が似合っていた。頭の回転のすこぶる速い女性だった。そして、激情家でもあった。
嫌味の応酬になってしまったし、その直後の暴走事故は、どうやらNERVに、してやられたらしいと見当はつけていたけれど、今となっては不思議と憎しみは湧いてこなかった。それは自分が今、絶対的に優位な立場にいるからなのか。
そうだ。あらゆる動物や植物の話を理解することができるという指環の力を得た、伝説の王、ソロモンでさえも、このような興奮すべき状況には出会えなかったろう。今やNERVの、いや宇宙のあらゆる秘密は、すべて私の前に跪き、暴かれる時を待っている。

ふふ。時田は微笑む。そう、そして、その世界の王が、この不味い、冷え切ったコーヒーで喉を潤してるわけだ。なんたる皮肉。

ふと、時田は、赤木リツコ博士本人も、その王の権勢の例外ではないことに気付いた。
赤木博士は、戦自とNERVとの戦闘のさなか、拳銃で撃たれたようだったが、LCL漬けになっていたことが幸いし、出血の影響が最小限に抑えられたらしい。瀕死の状況でLCLの海から救出されていた。現在は日本政府の監視下において入院しているはずだ。

私の権限には、参考人に対する事情聴取もあったな。時田は、インターホンを取った。

案内された病室で、時田は切り出した。
「政府調査委員会の時田です。お久しぶりです」
「・・・」
「JAの件ではお世話になりました。今は政府委員座長として、NERVの調査を委嘱されています」
時田は心持ち胸を張って、IDカードを示す。リツコの表情は更に強張る。
「赤木リツコです。私に何の御用でしょうか」
さすがに、以前会ったときに比べると、やつれている。化粧気のない顔。その無防備な素顔に、無性に気持ちが動いた。そんな内心を悟られないように、ことさらに、威圧的に言った。
「事情聴取です。NERVのテクノロジーに関する」
「伺いましょう」
言葉とは裏腹に明確な拒絶がそこにはあった。

しまったな。これでは駄目だ。時田は心の中で舌打ちをし、舞い上がっていた自分を、素直に恥じた。
会社での初任管理者の研修を思い出した。正攻法では、こじらすだけだ。
時田はベッドの周囲を見た。スリッパが揃えて置いてあるのが目にとまった。
「おや、もう歩けるのですか」
「ええ。体のほうはもう大丈夫です」
時田は、それほど苦労せずに微笑みを作った。
「では、折角ですから、外に出ませんか。そんなに堅苦しい話をしに来たわけじゃないんです。・・・本音は研究者としてのあなたに敬意を表したい。それだけなんです」
リツコは用心深く、それでも少しだけ微笑んだ。

「いや、いつぞやは失礼しました。NERVの接収にあたって、あなたの論文を今、調査しているところですが、いや、素晴らしいですな」
リツコは歩きながら、値踏みするような目で時田を見た。お世辞のつもりなのか、リツコには判断がつかない。
「特に、スーパーソレノイド機関に関する考察。あれは凄かった」
どうやら本当に論文は読んでいるらしい。
「与えられたデータを考察しただけですわ。同じ状況にあれば、誰でも同じ判断を下したでしょう」
「いえ、ご謙遜ですな。私も技術者の端くれ。専門ではありませんが判りますよ」
時田は話をしているうちに、当初の目的をすっかり忘れていた。緊張をほぐすために、わざわざ外に連れ出したのに。時田は、自分の気持ちが高揚しているのを感じる。
「あれは葛城博士の業績を踏まえているように見せながら、ほとんど貴方の独創ですね。葛城博士も放り出していた例のデータの、あんなにすっきりした説明は初めて見ましたよ。あの論文だけでもノーベル賞ものですよ」
「それはどうも」
ただの馬鹿ではなさそうね。そっけない返事を返しながらも、リツコも満更ではない。
時田は、結局、一方的にしゃべりまくってその日の面会を終えた。
「何をしに来たのかしらね」
リツコはひとりごこちたが、決して不愉快ではなかった。

久しぶりに陽光にあたったためだろうか。それとも違う理由だろうか。時田は非常に愉快な気分で、再びデータの海に潜った。MAGIの中で、NERVの色々な論文、レポートは相互に関連付けられ、重要度に比例して重み付けがされていたから、今までは主要な部分だけを追いかけていた。
ひとつ、気になることがあった。
スーパーソレノイド機関こそがサードインパクトの原因と考えていたのだが、赤木リツコ博士は食いついてこなかった。なぜだ。あれほどの大成果が、ひどく瑣末な事象のように彼女の中で位置付けられているような印象を受けた。
時田は、今までの方針を変えて、後回しにしていた、孤立したデータ群を掘り進み始めた。
「ふうむ・・・」
機密レベルがやけに高い、孤島のようなデータ群の最初のインデックスを一瞥して、時田は当惑した。意を決して、事態経過が追えるレポートから見ていく。
読み進めるに連れて、吐き気がした。そしてなぜこのデータ群に手をつけずに来たのか思い出した。
「・・・どういうことなんだ、これは。何が書いてあるんだ、これは・・・」

3日後、時田は再びリツコの病室に現れた。
「今日は、そもそもあのエヴァの制御に関する質問なんですが」
時田はあえて内心を見せない喋り方をしているが、リツコはそれに気付かなかった。
「制御に生体反応を生かしているのは判るんですが、その制御は、どうやっているんですか」
「生体反応の基礎はご理解されてます?」
リツコは時田のレベルを探りつつ言葉を捜す。
「いえ、正直なところ、門外漢ですが、電気的パルスを化学的に反応させるということくらいは」
「そのパルスをどう増幅するか、ではなくて、化学反応の連鎖をどう維持していくかが、基本的な問題になるわけです・・」
時田は真面目に話を聞いているが、その表情は沈んでいる。その程度の話を聞きたいわけではなさそうだ。
「A-10神経接続」
ぼそり、と時田が言う。
「私は困惑している。あのデータが示すことは、その・・・」
リツコは黙り込んだ。
「コアって、何だ」
「・・・」
「申し訳ないが、大体の推測はついている。Sd250-Kfz0013から続く一連のレポートは読んだ」
一旦言葉を切って、時田は言った。
「それでも、あなたの口から、それを聞きたい」
時田の目を見る。リツコの表情の変化を見逃すまいとする目。審判者の目だ。しまった。もう遅い。すでに退路は絶たれている。もう逃げ場はない。やはり、この男は馬鹿ではなかった。リツコは、足元が崩れていくような感覚を味わう。

いいだろう。

時間にして、ほんのわずかの逡巡の末、リツコは心持ち、背筋を伸ばした。
この男に、背負い切れるだろうか。それもまた一興だ。自虐と紙一重の、嗜虐的な感情がむくむくと沸き起こる。
「私はあの計画の主要構成員です。責任は私にあります。いいでしょう。責任者の義務として、お話しましょう」

「・・・軽蔑しますか、私を」
リツコの声がする。時田は我に帰った。言葉とは逆に、まるで、自分が鞭打たれているようだ。
「いや・・・ああ、もうこんな時間でしたか。女性の病室に、随分長居してしまった」
「いえ」
リツコは時田を見て勝ち誇ったように微笑んだ。時田は逃げるように病室を出た。

なんてことだ、なんてことだ。
私は酷い男だな。あの時、赤木博士の『告白』をまともに受け止められなかった。
執務室に帰ってからも時田はずっと考え続けていた。

私ならどうしていただろう。人類の危機。禁断のテクノロジー。シンクロ・・・コアの秘密・・・魂の封入・・・
私は馬鹿だった。表層的なデータの羅列に狂喜して、本質を見誤っていた。いつもそうだ。
いつぞや、人のつくりし物に対する不信感を露わにしていたのは彼女だ。あれは、制御不能なオーバーテクノロジーに対するする畏怖だったのだろうか。いや、人の心の奥底に潜む魔を見ていたのか。彼女も苦悩していたんだ。なぜ気付かなかったんだ。

2日後、時田は病院の売店で売っている花篭を持参して、またリツコの病室にやってきた。精一杯気を利かせたつもりなのだろうが、ネクタイはこの前と同じネクタイだった。
時田は、やけに快活だった。
「それでは、今日は、JS系列の実験の考察について、教えてもらいましょうか」

「?」
リツコは、面食らった。時田の様子からは、侮蔑も怒りも感じられなかった。
誠実な技術者であれば、私を軽蔑したろう。
偽善者であれば、私を許してはおかないだろう。
目の前の時田は、間違いなく、その両方に当てはまる人間のように思えたのだが。リツコには、さっぱり理解できなかった。
質問は技術的分野に集中していた。そもそも時田の専門とする分野が中心で、リツコはいつしか、時田に誘導されるような形で話を引き出されている自分を発見して、驚いた。

「・・・ああ、また長居してしまいましたね。すいませんね」
「いいえ、お気になさらずに。」
リツコは曖昧に微笑んだ。

強い女性なんだな。
時田はつくづく思う。彼は今、リツコの草稿段階のレポートをサルベージしている。そこには、行間の端々に、彼女なりの葛藤が見え隠れしていた。
それでも。端末のキーを叩く。司令官にのみ許された機密レベル9。見つけてしまったのだ。消去しそこなったらしい、保安部のレポートの断片。それで充分だった。
彼女は事実上、司令官だった碇ゲンドウの愛人だった。いや、戸籍上は二人とも独身だから、別に構うことではないかも知れないが、時田は彼が好きではなかった。
あんなに聡明な女性が。やはり、彼女も人間だということか。
しかし、そのデータを見たことで、時田は、逆に、赤木リツコは信頼に足る人物だと思えるようになってきた。
彼女の犯した罪は重い。いや、ギルティではないな。シンの方。しかし、同じ状況に置かれたとしたら、私は、技術者として、それを躊躇っただろうか。すべての解がそこに隠れているというのに、それに手を伸ばさない技術者が居るだろうか。
私はパイロットの安全のために、JAにリアクターを搭載した。しかし、そのために、暴走したときのリスク見積もりを意図的に軽んじてはいなかったか。
時田は誠実な技術者であったし、偽善者であることを恥じたこともないが、一つの組織を束ねる管理職でもあった。大の虫を生かすために、小の虫を殺すことを厭うほど、ナイーブではない。

そうだ。結局、我々の手は、いずれ血塗られる運命にあったのだ。遅いか、早いかは別として。

「こんにちは」
時田が現れた。今日は差し入れと称して、ケーキを持参していた。
扱い方をよく知らなかったのだろう。ショートケーキは箱の中でひっくり返っていた。
「や、これは申し訳ない」
リツコはくすくす笑う。
「今日は、さしずめ、Kv系列の技術情報に関することでしょう?」
「なぜそれが判った?」
「MAGIのインデックス通りの順番でしょう、それは」
「む・・・」
リツコは優しく時田を見る。相変わらずこのむさくるしい男は、よく理解できない。演技なのかと思うところもあるのだが、むしろ威圧的な管理職としての顔の方が演技なのかも知れない。
そもそも、エヴァの秘密を時田に打ち明けた時、彼を打ちのめそうというサディスティックな気分がなかったと言えば嘘になる。そして、本人もそれを理解した筈だ。それにも関わらず、親しげにリツコの許を訪れる時田。
まあ、今となってはもう、どうでもいい。
時田との会話は楽しい。そちらの方がより重要だ。なにより、知的に同じレベルの人間と、腹蔵なく話ができる機会など、ついぞなかった。それに、今や何も隠す必要はない。リツコには話す義務があったし、時田には聞く義務があった。リツコはこの機会を楽しんでいた。

最近、時田は、執務室の端末の前で考え込むことが多くなった。リツコのところへ行くのが楽しい。いつまでも話をしていたい。それに比べてこの執務室の空虚さはなんだ。
端末は、紛れも無い赤木リツコの痕跡を次々に映し出す。
ふん。まるでガキじゃないか。技術的興味もさることながら、今は話の接ぎ穂を見つけるためにデータを検索している自分に気付き、苦笑いを浮かべる。
そろそろ、行こうか・・・

・・・もうそろそろかしら
病室で、リツコはなんとなく落ち着かない。下の売店に行って、残り少なくなったコーヒーでも買いに行きたいところだが、いつもならそろそろ時田が現れる時間である。
「入れ違ったらまずいわよね、さっさと来ないかしら・・・」
なんとなく鏡を見た。最近は、薄くではあるがルージュを引くようになった。

ほどなくして、時田が現れた。
「こんにちは。お加減はいかがかな」
「また、同じネクタイね」
「うっ、いや、これは失礼」
恥じ入る時田を見て、リツコは、心の底から楽しそうに笑った。

時田は、ダウンタウンでネクタイをまとめて買った。同じフロアにある宝飾品の店のディスプレイに目が止まる。デザインリングが、照明を浴びて輝いていた。
ふうむ。
こんなところに、こういう店もあったんだな。

晴れ渡った青空。世間は休日だったが、時田とリツコの二人は朝から、病院に隣接する公園のベンチの木陰にいた。
「・・・だから、それこそ技術的な問題にすぎんよ。ただ単に、計算が膨大なだけで」
なんでこんなことにムキになってしまうんだろう。時田は遠く過ぎ去った学生時代を思い出した。夜を徹して語り合った日々。青臭かったけれど、充実していた日々。
「例えMAGIを100台並べて100年かけても答えが出ないなら、それはもう永遠に判らないというのと同じことよ。何かが違っているんだわ」
「それなら200台並べればいい。300台でもいい。本質的な問題はそこじゃないはずだ。何らかのメカニズムがあるんだ」
「違う、あなたにはあれの恐ろしさが何一つ判っていない!」
時田はそれでも納得はいかなかったが、それよりも火のごとく激情を迸らせたリツコの表情に、不覚にも胸が熱くなるのを覚えた。

そう、今ならわかる。彼女は、気丈にも乗り越えてきたのだ。人類の未来。重すぎる十字架。そして、彼女は踏み越えたのだ。そして彼女の理性はそれを是としたのに、彼女の本質はそれを拒否していたんだ。
過去、自分はそれを強烈に皮肉ったのではなかったか。そして、それは存外、的を射ていて、彼女の心の奥底の、弱い部分を抉っていたのかもしれない。科学は人を幸せにはしなかった。少なくとも彼女にとっては。
辛かったんだろうな。愛おしさが込み上げてくる。

「姫様!」
時田は内心の動揺を押さえて芝居がかった声を出した。
「どうやら我々の意見が交わることはないようだが、もうお昼も近いことだし、休戦といきませんか」
リツコは毒気を抜かれて、怒りの矛先を失ったが、それでも嫌味たっぷりに切り返した。
「いいでしょう。でも、私を誘うのでしたら、それなりに覚悟はしてもらいますからね」
「結構です。私の覚悟の程、とくとご覧いただきましょう」
その芝居がかった調子に釣り込まれて、リツコは思わずくすり、と笑いを漏らした。

時田がリツコを誘ったのは、意外にもちゃんとした、小綺麗なレストランだった。毎日のランチにしてはちょっと値が張る店だ。
「大したところじゃないけどね、結構美味しいんだ」
「いいでしょう、合格にしてあげましょう」
「これは光栄の至り」
「でも、どうしてこんな場所の店を知ってるの?」
リツコが素に返って尋ねた。時田は苦笑いを浮かべた。
「独身だからね。外食ばかりだから、自然と情報は集まるのさ」
確かにランチは気が利いていて美味しかった。
「では姫様、お手を」
帰り際、さりげなく、時田は、リツコの手を取った。・・・細い指だな。サイズは9号くらいかな。

ダウンタウンに寄ってから、ジオフロントに戻った時にはもう3時を過ぎていた。
時田の端末上には未決裁の案件がずらりと並んでいる。時田はその一つに目を留めて、息を呑んだ。
直ちにインターホンを取り、調査団の団員の一人である戦略自衛隊の技術士官を呼びつけた。
「赤木博士を収監する?なぜだ!どういうことだ!」
「当たり前じゃないですか」
また戦自が策を弄しようとしていると邪推しているのだろう。その士官はそう推測して、うんざりした調子で答える。
「彼女はNERVの幹部の一人ですよ。裁きを受ける義務がある。これは戦自のからみでも何でもない。検察庁の出向組からの上申なんですよ」
「司法に彼女を裁けるというのか?」
「時田参与、あなたにも判っているはずでしょう。彼女の罪状は、どう見積もっても両手では足りない」
「それは彼女の罪ではない。技術者が等しく負うべき十字架だ!」
「それは私の知ったことじゃない。それこそ司法の判断すべき事項ですよ」
「・・・なんてことを。彼女こそが全ての鍵だというのに」
その士官はにやりと下品な笑いを漏らした。
「時田参与ともあろう人が、私情を挟んじゃいけませんな」
「馬鹿者!技術者の端くれなら、彼女が本物だ、ということくらい、判らんのか!」
士官は、真顔に戻って言った。
「個人的能力、資質と、為したことへの責任は、とりあえず関係ありませんよ。私は、NERVがなぜあのようなことをしたのか、それが知りたいだけです」

「そうなの」
話を聞いたリツコは、深くため息をついたが、ただそれだけだった。来るべきものが来た。彼女にとってはそれだけの話だった。すべては時田の手に委ねていた。その時に、踏ん切りはついていたのだ。
むしろその話を伝えた時田の方が動転していた。

「なんたることだ。なんたることだ」
時田は苛々した調子でリツコのベッドの周囲を歩き回った。
「私は誓って、君を収監なんぞさせるつもりは無い。司法ごときに、君ほどの天才を裁く権利などない」
「ちょっと落ち着きなさいよ」
「そ、そうだ、次の検診で、熱があることにしよう。それで、収監に適さないということにして、私が議案の再提出を求めれば、1週間は稼げる。そうだ、そのためには・・」
「私はあなたに話をしたときから、覚悟はしていたわ」
「い、いや、駄目だ、1週間では。なんとかして、なんとかして・・・」
「私のために何とかしてくれるのは有り難いけど、それは迷惑よ」

「迷惑とは何だ!私が、君に、してあげたいって言ってるのに!」
時田は、つい声を荒げた。
「もうゲンドウは居ないんだ!私が!私なら!君を守れるはずだ!もう君には私しか居ないんだ!」

時田がリツコの表情の変化に気付いて、我に返ったときにはもう手遅れだった。

「私は籠の中の鳥だわ。確かに生殺与奪の権利はすべて貴方に握られている。媚を売るべきなんでしょうけど、生憎私にはそんなつもりはないわ」
リツコの目には冷ややかな怒りと、悲しみがあった。
「いや、それは違う」
時田は静かに言ったつもりだったが、やや早口になっていたかもしれない。
「私は裁きを受けます。余計なことはしないで頂戴」
断固たる拒絶。
「違うんだ・・・」
今や、時田は、明らかにうろたえていた。
「済まない。ただ・・」
時田はそこで言葉を飲み込んだ。リツコの顔を見る。自分に向けられた、冷たく透き通った視線。そこに居たリツコは、さっきまでのリツコではなかった。自分には理解できない、一人の女性。今更ながら、固く結ばれた唇に、淡いルージュが引かれていることに気付いた。

学生時代を思い出した。勇気を奮って、告白しようとしたこと。そして、手ひどく振られたこと。
『あなたには何も判っていない!』
そのときの彼女の表情が、リツコに重なる。そう、私には判らない。

おそらくは、もう全て終わってしまったのだ。いや、始まってさえいなかったのかも知れない。全ては幻想だったのだ。私にはソロモンの指環はなかった。私には何も判っていなかった。

今、彼女に跪いて許しを乞うたら、彼女は私を許してくれるだろうか。
・・・時田は大きく息を吐いた。

「いや、済まない。忘れて欲しい」

そこには、政府調査委員会の座長を務める時田シロウに戻った、一人の男が居た。

「事情聴取は、これで終了します。長い間、ご協力ありがとうございました」
リツコの視線が痛い。
「では・・・お体に気をつけて。失礼します」
時田は、一礼して、廊下に出た。もう誤解を解く機会は訪れないだろう。私は間違ったことをしたのか。どこで間違ったのだろう。
・・・最近、昔話ばかり思い出すのはなぜなんだろう。
とりとめのない思考を弄びながら、時田は歩く。

ポケットに入れた手が、何かに触った。時田はそれを手に取った。宝飾店の包装紙にくるまれた、小さな箱。しげしげとそれを眺めてから、再び乱暴にポケットに納めた。昔の自分と今の自分。立場も、自由になる金も桁違いだ。なのに。結局大事なところは何も変わっていないんだな。

病室で、リツコは上体を起こしたまま、放心したように、ずっと病室のドアを見ていた。
「馬鹿・・・」

駐車場に向かう出口は、すでに照明も落とされ、暗かった。
明日は雨かな、時田はぼんやり考えた。