荒野のウエスタン劇場

第5部 F's ウエスタン・ショー

Chapter 5: F's Western Film Reviews


 「駅馬車」

  Stagecoach


 

この感想文にはネイティブ・アメリカンの人々に対する不適当な表現が登場しますが、この作品の制作年1939年当時の状況を考慮に入れ、作品の雰囲気を壊さないためにあえて使っています。ご了承ください。

 

 

 

 西部の荒野を騎兵隊の伝令が、馬を走らせ息せき切って駆けめぐる。辿り着いたはアリゾナ州トントの町。実は昨今、付近で不穏な動きを見せるアパッチの動向に注目が集まっていた。案の定、アパッチはジェロニモをリーダーに蜂起を計画していると言う。折しも遠く離れたローズバーグの町から急を告げる電報が届く。だが電文は全文が届く前に電線を切断された。判読できる単語はただ一つ…「ジェロニモ」

 ローズバーグの町周辺が危ない。

 そんな折りもおり、このトントの町から出発しようとする一台の駅馬車があった。行き先は例のローズバーグ。だが、ご存じのような事情でローズバーグまでの行程は極めて危険だ。そこで途中の停車場ドライフォークまでは騎兵隊の護衛が就くことになった。だが、その後は護衛なしだ。

 その頃、トントの町の保安官ジョージ・バンクロフトは、服役中だったリンゴー・キッドことジョン・ウェインが脱獄したことを知る。となれば、何をするつもりかは明らかだ。リンゴー=ウェインは宿敵のプラマー三兄弟を討つために出たのに決まってる。だが法の番人たるバンクロフト保安官はそれを黙認する訳にはいかない。聞けばプラマー兄弟はローズバーグの町にいると言う。ちょうどそこに駆け込んで来たのが、駅馬車の御者アンディ・ディバインだ。彼は声を裏返しながら叫ぶ。「誰かうちの馬車の護衛についてってくれぇ!」

 願ったり適ったり。バンクロフトは駅馬車の護衛を買って出た。

 さてその頃、町のご婦人がたの盛大なお見送りを得て、この町を去ろうとしている女が一人。酒場女のクレア・トレバーだ。盛大なお見送りと言ってもトレバーが去るのを惜しんでいる訳ではない。町の婦人会が「風紀の乱れ」を理由に、日頃から蔑んで見ていた酒場女を一掃すべく立ち上がったと言うわけだ。何も悪いことはしていないのに…と悔し涙に暮れながらの旅支度。そんな彼女はこの町で数少ない顔見知りの一人、「酔いどれ天使」なアル中医師トーマス・ミッチェルを見つけて泣きついた。

 「先生、何とかして。私、なんで追い出されなければならないの?」

 しかしミッチェル医師とて止めるすべもない。それどころか、ミッチェル医師自身が家賃滞納で追い出され、この町から追われようとしていたのだ。もっともこのミッチェル医師、何が理由か深酒三昧、肝心の医者の商売も開店休業中とあらば、そうなっても致し方あるまい。かくしてミッチェル医師は酒場女トレバーを傍らに寄せ、蔑みの眼にもめげずに堂々たる退場ぶりを見せる。もはやこの町には用はない。いざ、我ら駅馬車に乗り込まん!

 だが、医師ミッチェルが堂々としていたのはそこまで。今回の旅の道連れとなる小心そうな小男ドナルド・ミークが、事もあろうに酒のセールスマンだと知るや、仲良くしようぜとばかりすり寄って早速小ビンの一本も口をつけるから油断も隙もない。

 この町に駅馬車に乗りに来た人物は他にもいた。見るからに上品そうなご婦人ルイーズ・プラットがそれだ。彼女は騎兵隊員の妻で、身重の身をおしてわざわざ夫に会いにやって来たのだ。その夫がいるのが次の停車場ドライフォークのはず。かくして、そこまでなら何とか着けるだろうとの算段で、問題の駅馬車に乗り込もうというわけだ。そんなご婦人プラットを見るや、いきなり紳士然とした態度で最敬礼の男…ジョン・キャラダイン。思わずその身についた作法にどこの紳士かとプラットは周囲に尋ねるが、聞いてみると何とこの男流れ流れのさすらいのギャンブラーとか。だが、ただの賭博師には到底思えないその物腰は…。賭博師キャラダインの方はキャラダインの方で、このご婦人をまるで掃き溜めの鶴とばかりに眼を細めるばかり。それが危険な駅馬車の旅に出ると聞けば、本物のレディは自分がお守りしないと…とでも言わんばかりに、自ら護衛役を買って出るのであった。

 さぁ、これで終わりかと思えば、またもう一人。町の銀行家のオッサン、バートン・チャーチルもまた旅のお供と相成った。だがこのオヤジ、どうにも胡散クサい。肌身離さず持っている重たいカバンも、何やら訳ありの雰囲気が濃厚だ。乗り込んで来た時に「電報でローズバーグに呼ばれた」と言っていたものの、電報は確か不通になったはず。保安官バンクロフトはこのオッサンを怪しんだものの、今のところ目前にある問題で頭がいっぱいだ。すなわちアパッチの攻撃と、逃げたお尋ね者リンゴー・キッドことジョン・ウェインだ。

 かくして駅馬車はトントの町を後にした。しかし、まだこの時は御者のディバインも大して心配してはいなかった。まだ事の重大さが分かっていなかったし、何より傍らには騎兵隊の護衛付きだったからだ。

 そんな駅馬車がさほど走らぬうちに、いきなり前方に男が立ちはだかって、ライフル銃を発射したから驚いた。駅馬車を慌てて停めると、男は颯爽と仁王立ちして口を開いた。

 「この俺も馬車に乗せてくれ」

 その男こそ、保安官バンクロフトが探していたリンゴー・キッド=ジョン・ウェインその人であった。

 何と大胆不敵に駅馬車に堂々乗り込んで来たリンゴー=ウェイン。だが、それは自分の馬が倒れてしまったからだった。そんなリンゴー=ウェインを厳しく見つめる保安官バンクロフト。「オマエの身柄は俺が拘束する。銃をよこせ!」

 一瞬緊迫した雰囲気が流れるが、護衛の騎兵隊に取り巻かれるやリンゴー=ウェインは折れた。かくして駅馬車はまた新たな乗客を乗せて走り出すことになった

 保安官バンクロフトは御者と隣り合わせに座りながら、ついその胸の内を語る。リンゴー=ウェインが例の三兄弟と戦おうもんなら、三対一でどう考えても不利だ。敵討ちなどと馬鹿げたことをやらかす前に、俺が奴をブタ箱にブチ込んでやる。実は保安官バンクロフトは、リンゴー=ウェインの死んだ父親の友人だったのだ。そんな保安官バンクロフトのリンゴー=ウェインを思いやる真情に、御者ディバインは意外な思いを隠しきれない。「俺はまた懸賞金目当てだと思ってたよ…」

 やがて一番最初の停車場ドライフォークにやって来る駅馬車。馬車が停まるや否や、貴婦人プラットは騎兵隊の所在を確かめようとする。だが、騎兵隊はもうここにはいなかった。任務を帯びて次の停車場アパッチ・ウェルズへ向かったと言う。

 ともかくは一休みと腹ごしらえということで、店に入る一同。だが、ここでも酒場女トレバーに世間は冷たい。いかにも同席したくないと言わんばかりに、貴婦人プラットとその付き人のように引っ付いた賭博師キャラダイン、そして銀行家のチャーチルは、トレバーの近くから離れて座る。そんな彼女を優しく扱ったのは、あのリンゴー=ウェインただ一人。賭博師キャラダインはじめ、どいつもこいつもが貴婦人プラットだけを特別扱いするのを見たウェインは、思わずこう言わずにはいられない。「レディはここにもいるぜ!」

 さて、ここで思案のしどころなのは、騎兵隊がもう帰ってしまうという事情があるため。ここから先に行くか騎兵隊と共に戻るか。駅馬車はともかくは目的地を目指す。しかし各人それなりの事情が会って、後には戻れない。唯一小心者の酒商人ミークを除いて、一同先に進むと決めていた。こうなれば多数決で前進あるのみだ。

 というわけで、駅馬車はドライフォークを出発した。やがて騎兵隊は方向を変えて、そのまま来た道を戻っていく。かくして周囲に広がる荒涼たる大地に囲まれて、駅馬車一台が実に頼りなげに走って行くのであった

 道中も例のギクシャクぶりは続く。銀行家のチャーチルは騎兵隊が戻って行ったことを怠慢だとなじる。身重の貴婦人プラットはさすがに具合が悪そうだ。水筒の水を飲まそうとした賭博師キャラダインは、その時胸元から銀のカップを取り出すではないか。レディにはそれなりのもてなしを…という訳だが、この銀カップを 見て思わずプラットは驚いた。有名な名家の紋章が入っているのだ。さてはこの男…。

 そんなキャラダインも、リンゴー=ウェインが酒場女トレバーに水をやろうとすると、さりげなく銀カップを引っ込めてしまうこすっからさ。これにはリンゴー=ウェインもトレバーも苦笑せざるを得ない。

 さらに旅が進むと、折から冷たい強風が吹いてきた。これにはアパッチも手を出すまい。駅馬車にとっては好都合な冷風だったが、長旅の乗客にはこたえる。殊に身重の貴婦人プラットは辛そうだ。その顔色の悪さに見るに見かねたトレバーは、「自分に寄りかかって」と申し出る。しかしプラットはあくまで蔑んだ目で、彼女を拒否することしかしなかった

 さて、そんな辛い行程を経て着いたアパッチ・ウェルズ。メキシコ人のオヤジが開いている宿屋に、疲れ果てて辿り着いた一同。ところが飛び込んで来たのは、騎兵隊はここもすでに引き払ったという事実だった。やっと辿り着いたのに、またしても一足違い。しかも問題の夫は重傷を負っているらしいと聞き、さすがの貴婦人プラットも緊張の糸がプツリと切れた。思わずその場に倒れ込むと、そのショックからか産気づき始めた。

 さぁ大変!

 ところがその瞬間にやるべき事をわきまえていたのは、事もあろうに酒場女のトレバーだった。「すぐにお湯を湧かして! たっぷりとよ!」

 そして一同の目はこの場のたった一人の医師、アル中のミッチェルに注がれた。この非常事態にミッチェルは肌身離さなかった酒瓶を置いた。そして毅然とした態度で宿屋のオヤジに告げるのだった。「コーヒーをブラックでたっぷりと! 出来るだけ濃くしてな!」

 酒が完全に抜けるまでしこたまブラック・コーヒーを飲んだミッチェル医師は、トレバーを看護婦代わりにプラットの横たわった寝室へと入っていった…。

 やがて生まれた赤ん坊。その泣き声は、一同の気持ちを一時和ませてくれたのだった。

 ところが子供が生まれたとなると早速出発したがる銀行家チャーチル。何をそんなに慌てているのか分からないが、そんなことは出来るわけがない。医師ミッチェルの厳命と共に、アッという間にチャーチル提案は却下。母子ともに休ませるために、さらにもう一日この場に投宿することになった。

 そんなプラット母子のために、甲斐甲斐しく尽くす酒場女トレバー。そんな彼女を見ていたリンゴー=ウェインは、ついに彼女に求婚をした。俺にはいつか落ち着こうと用意した牧場がある、そこに来てくれないか…。

 だがトレバーはスンナリ首をタテに振らない。もちろんリンゴー=ウェインの思いやりをここまで感じて来て、憎からぬ相手と思って来たトレバーだ、彼の言葉が嬉しくなかろうはずがない。だが、リンゴー=ウェインはあくまでローズバーグに辿り着き、三兄弟と果たし合いをするつもりだ。親兄弟を殺した憎っくき相手、その気持ちは分かろうでもない。

 だが多勢に無勢、三対一では勝ち目はまずない。仮に生きて帰ってこれたとしても、三兄弟に生き残りがいれば命を狙われる毎日ではないか。そんな暮らしはイヤだ。

 いや、確かに彼女の気持ちはそうだろう。だが彼女がリンゴー=ウェインの申し出に首をタテに振らなかった理由は、実はもう一つあったのだ…。トレバーはリンゴー=ウェインにつれない返事をしながら、その後で医師のミッチェルをつかまえて、彼の求婚の件を告げた。「私だって愛し合ってもいいわよね? そうしてもいいと言ってちょうだい!

 だがミッチェル医師は知っていた。痛いほど伝わるトレバーの気持ちとともに、この事が何を意味するかを…。ローズバーグに着けば、すべて分かってしまう。トレバーの過去…どんな暮らしをしていたかを…。

 だから、彼をローズバーグに行かせなければいいのだ。

 トレバーはリンゴー=ウェインの求婚を受け入れる代わりに、彼に今すぐこの場を発つように言った。今ならみんな油断しているから逃げられる。私は後からあなたの待つ場所に行くわ。何とトレバーは手回しのいいことに、ちゃんとライフルも馬も準備していたのだ。そこまで言われたらリンゴー=ウェインも覚悟を決めた。彼女の手引き通りに立ち去るとするか。

 保安官バンクロフトが気づいた時には、リンゴー=ウェインは馬に乗って立ち去ろうとしていたところ。楽勝で逃げられる…はずだった。

 だが、なぜか立ち去ろうとしないリンゴー=ウェイン。

 慌てて駆けつけた保安官バンクロフトに捕まって手錠をかけられても、リンゴー=ウェインは微動だにせず、ただ遠方に目をやるばかりだ。一体どうしたのか?

 「奴らだ!」

 何と不吉なことに、彼方の山にアパッチの狼煙が上がっているではないか!

 かくして駅馬車のアパッチ・ウェルズからの出発は、不吉な予感から始まった。案の定、川の渡し場は焼き討ちにあっていた。渡し船が失われた以上、駅馬車そのもので川を渡るほかあるまい。不安の中を苦心惨憺して進む一同。

 それでも見通しの効く広大なモニュメント・バレーの荒野に出てくると、一同の胸にも安堵の思いがわき起こった。この荒野さえ過ぎれば…ここさえ越えれば、そこはローズバーグの町だ。

 そんな安堵の思いが、本来は小心者の酒商人ミークの口を緩めたのだろう。「まぁいろいろありましたが…ともかくはスリル満点の旅でしたな」

 !!!!!!!

 次の瞬間、そのミークの胸に矢が突き刺さっているではないか!

 ど、どこからだっ。誰がやったっ?

 来た来た来た来た〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!

 広大なモニュメント・バレーの荒野に、この全速力で走るちっぽけな駅馬車を取り囲むように、アパッチの軍勢が後から後から雲霞のごとく押し寄せて来ていたのだ…。

 

 

 あまりにも有名なこの名作のことを書くのは、実際のところ本当に難しいね。

 実は僕はこの映画とは結構縁がある。映画に関心が湧いた頃の中学時代、たまたまこの作品がリバイバルされたんだね。僕はこの映画まずは映画館で見ているわけ。

 ジョン・フォード作品は小学校高学年から中学校にかけて、テレビでガツガツあさるように見たうちでも印象深い作品群だ。うちの親父も割とフォード好きだったので自然と見た。「荒野の決闘」「怒りの葡萄」「わが谷は緑なりき」、そして「黄色いリボン」などの騎兵隊三部作…。中でも僕が感銘を受けたのは、タイロン・パワーが陸軍士官学校の教官を演じた「長い灰色の線」<注1>。これにはやたら感動した記憶があるんだね。確か「日曜洋画劇場」で見たと思う。だけどテレビではなかなか「駅馬車」はやってくれなかった。結局、待っているうちにたまたまリバイバル上映が始まったわけ。

 何でまた「ポセイドン・アドベンチャー」やら「ゲッタウェイ」が見たい盛りに「駅馬車」なんて…とは言いなさんな。やはりこのあたりで映画雑誌など読むようになっていっぱしの映画ファンづらしだすと、一応歴史上の名作は押さえておきたい気になってたんだろう。おそらくは大した期待もなしに、僕は映画館に行ったはずだと思う。

 見たらびっくりだよ。「ポセイドン」も面白かったけど明らかにこれには負けていた。面白い。そして興奮した。これぞ映画の醍醐味だって、初めて自覚的に思ったのがこの「駅馬車」の時だったと思うよ。以来、テレビでやっているとつい見ちゃって、5〜6回は見ているのかな。見るといつも通して見ちゃうから、やっぱり何度見ても面白いんだろうなと思う。

 映画というものは時代の産物だから、時の流れの中でどうしても色あせてしまいがちなものだ。しかし、なぜか数少ない限られた作品だけは、そんな劣化から免れている。チャップリンの「黄金狂時代」、「丹下左膳余話・百万両の壷」…そして「駅馬車」。これらの作品は、なぜか時代の風化をはね返して、今見ても同じような興奮を呼び起こしてくれる。

 映画そのものを未見でこの一文を読んでいる人は、何を大げさな…と笑うだろう。名作を形容する時の常套句である、「いつまでも新しい」ってフレーズと同じだと思うだろう。ともかくそれなりに映画史的価値はあるだろうが、今見ても新作並みに興奮するってのはウソだと思うだろう。まぁ、大概「古びてない」なんて旧作を持ち上げる映画ファンや批評家の言葉ってのは70〜80パーセントの確率でウソだね(笑)。見たらやっぱりツラい。当時は面白かったんだろうけどねぇ…くらいの、かつては「楽しさ」「面白さ」「すごさ」だった残骸が転がっているのみだ。

 だが、この作品に限っては断言していい。間違いなくこの作品は、現存する中で最高レベルの娯楽映画であり続ける。今回僕はこの原稿を書くためにもう一度見直すことになり、正直言って気が重かった。見たくて見るんじゃないのって、それでなくても気が重い。そこへきて、戦前のモノクロ映画。ジョン・フォードとしては初のトーキー西部劇だって言うくらいだから、その古色蒼然ぶりはうかがい知れるだろう。そして始まった映画はやっぱり劣化の激しいモノクロ・スタンダード画面。サウンドトラックもボロボロ。こりゃシンドイわ…と、今まで何度も夢中になって見たことも忘れてぼけ〜っと見ていた。ところがいつの間にか姿勢を正して見ているんだよ。そのうち前のめりになって見てる。夜中に家人が寝静まってから見始めたので、眠くなったらいつでもビデオ止められるように…と思っていたのだが、結局最後の最後まで見終わってしまった。満足のため息とともに…。

 やっぱりこの映画、「ダイ・ハード」級に面白いわ。

 いや、どっちがどっちなんて事は不毛だからこれ以上言うまい。フイルム状態もサウンドもボロボロのこのモノクロ・スタンダード映画が、ドルビー・ステレオでワイド・スクリーンのカラー作品と拮抗するパワーを発散し出すんだからね。これは本当に尋常でない面白さなんだよ。

 とにかくシッポまでアンコが詰まった鯛焼き状態とでも言おうか。脚本がまず素晴らしい。さまざまなキャラクターが交錯して、それらの特徴を少しづつ小出しにしていって、徐々にどんな人物か浮かび上がらせる。しかも旅の最中にキャラクターは成長する。一つ例を挙げれば小男の酒のセールスマンだ。酔いどれ医師に見本の酒を飲まれても文句一つ言えない。アパッチが怖くて引き返したいのに、意見は黙殺される。言ってみればチンケな臆病者のキャラなのに、いつの間にかバンバン正論を吐いて横暴な銀行家をやりこめたり、蔑まれてた酒場女を貴婦人と共に「レディーズ」扱いする、何ともカッコいい花も実もある紳士ぶりに変貌するのだ。このキャラはみんな好きになると思うよ。

 まぁこういった移動する乗り物での人間模様ってのは、いわゆる「グランド・ホテル形式」の変形版なんだよね。言ってみれば「エアポート」シリーズなどの原型と言うべきものだ。極限状況の最中で産気づいた女が出産…なんて趣向は、何度パニック映画で見たか分からないよね。ただし、出来映えはこっちが数段勝っている。緻密な構成、伏線の張り方…どこから見てもこうまで決まった出来になる作品ってのは稀だよ。

 この点に限らず、「駅馬車」はその後の映画のさまざまな手法、スタイル、構成の、一つの原型になった作品なんだよね。「駅馬車」が一番最初、これがなければ出来なかった…なんて映画や場面が山ほどある。だが、これがそんな「原型」であることは、映画史を研究している人間ならともかく、今この作品を見ようとする人にとってはどうでもいいことだ。この映画の本当にスゴイところは、「原型」でありながら、すでに「完成型」でもあることなのだ。

 特に語るべきは…誰もが指摘するであろうアパッチの襲撃シーン。これほど激烈なアクション・シーンってのは、長く映画を見ていてもそうあるもんじゃない。何度見ても熱くなるよ。チラッと考えてみただけでもこのフルスピードの移動撮影によるアクションの数々には、例えば「フレンチ・コネクション」の地下鉄高架線下でのカー・アクション、「スター・ウォーズ」第一作のデス・スター攻撃シーンが何らかの影響を受けているはずだ。直接影響で言えば「レイダース/失われたアーク」での、ハリソン・フォードが車にしがみついての猛烈アクションを想起すべきだろう。ともかくはそれもほんの一例で、実は数え切れないほどの映画の中に引用されている。そして、それらを見た後でもこの「駅馬車」の問題のシーンは素晴らしい。そんな事ってあるのかって? それがあるんだなぁ(笑)。仮にこの映画の他のシーンがかったるいと思う人はいるかも知れない。いや、実はそれも僕には信じがたいんだよ。でも、世の中にはいろんな人がいるからね。仮に五十歩譲ってそうだったとしても、このアパッチ襲撃シーンだけは誰もが圧倒されるんじゃないか。そのくらい、ものすごいエネルギーとスピードの猛烈アクションなんだよ。

 もちろん「駅馬車」は単に一本の西部劇映画としても楽しい作品だ。駅馬車、騎兵隊、酒場女、キザな賭博師、脱獄したアウトロー、それを追う保安官、歌うメキシコ人たち、そしてアパッチ…。映画の終盤にはダメ押し的に悪党がたむろする酒場や決闘が出てきて、西部劇のお約束は一通り楽しませてくれる。典型にして…そして頂点なのがこの作品なのだ。

 だが、何と言ってもこの映画の素晴らしいところは、ジョン・フォードの気概みたいなものが、人物造形から感じられるところだ。

 この映画の登場人物たちは、その社会に置かれたポジションや見た目とその内実が違う。常に立派に見える者や正しく見える者と蔑まれたり低く見られたりする者の位置関係が逆転するかたちで描かれるのだ。

 脱獄犯リンゴー・キッドは親兄弟の敵討ちに燃える気のいい男、商売女の過去も持つ酒場女は、誰にも親切で優しい女、酔いどれアル中医師は腕も確かで高潔な人物、小心者の酒商人は一本スジの通った善良な男…。それに対して銀行家は公金横領をした悪党だし、騎兵隊員の妻は貴婦人かもしれないが、助けてもらうまで酒場女を蔑んでいた心の狭い女だった。ここで唯一屈折しているのがジョン・キャラダイン扮するギャンブラーで、紳士然としてはいるものの実は賭博師。しかも酒場女をあからさまに差別する偏狭な男。さらに、その実体は名士の息子だ。

 この映画の登場人物で、権威やら身分やら金やらを背景に出てくる人物は結局すべて望ましくない人間や大したことのない人間と糾弾され、失墜したり死んだりする。そんな後ろ盾なしの人物たちにこそ、人間の真の素晴らしさが見いだされる。このあたり、何となくジョン・フォードを師匠と仰ぐ黒澤明が大好きな、山本周五郎の小説みたいなスピリットが横溢しているんだね。しかもラストには保安官がリンゴーの敵討ちを黙認してやった上で、愛する女とともにその場から逃してやる。マッカーシズム旋風吹き荒れる当時のハリウッドで、決然として反旗を翻したと言われるジョン・フォードらしい反骨精神の表れとは言えないか? 

 この作品は制作当時にしていわゆるノー・スターの映画だったらしい。ジョン・ウェインはこれまで鳴かず飛ばずだったことは有名な話だが、それ以外のキャストもうまい俳優ではあったが有名スターというほどの役者は出ていないという。しかし配役はいいよ。その当時のビリングの筆頭だったのが酒場女のクレア・トレバー。ちょっとハスキーなガラ声がまた鉄火女の雰囲気を出している。彼女はずっと後、ロバート・マリガン監督のロマンティック・コメディ「キスミー・グッバイ」に、サリー・フィールド、ジェフ・ブリッジス、ジェームズ・カーンらと競演しているのを見たことがあるが、歳はとってもドスのきいたガラ声にはやっぱり聞き覚えがあったよね。そしてこの作品でオスカー助演男優賞をとったトーマス・ミッチェルは、さすがに場面をさらうトリックスターぶりだ<注2>

 だが、とにもかくにもこの映画でのジョン・ウェイン登場シーンの鮮やかなこと! どう見たってスター誕生と思わせる華やかさ。フォード自身が見いだしながらもスターとしては不発だったウェイン。それをテコ入れすべく起用したのがこの「駅馬車」などというエピソードは僕が今更ここで述べるまでもないことだ。だが、ウェインを売りだそうとどれだけフォードが心を砕いたかということは、この登場シーンのカッコよさですべて了解できるよね。ここまで鮮烈な登場シーンもなかなかないよ。ここからウェインの西部劇スターとしての歴史も始まり、フォードとのコンビも続くわけ<注3>。そんな「決定的瞬間」という強烈な印象が、あの登場シーンにはみなぎってるね。

 いや〜、もう僕ごときが語るべきことはないな。後はただ見てもらう他ないよ。見たら一発で了解の面白さなんだから。

 

 

 

<注1>余談ではあるが、今回ジョン・フォードの「長い灰色の線」The Long Grey Lineに言及した時、僕は即座にテレンス・マリック監督の「シン・レッド・ライン」The Thin Red Lineを想起した。もちろんタイトルの類似性は言うまでもない。その上で、太平洋戦争下の地獄の戦場を描いた「シン〜」は、理想的なアメリカン・ウェイを体現する軍人の半生を描いた「長い〜」を意識下に置いていたのではないかと思ったのだ。テレンス・マリックが「シン〜」で扱われていた太平洋戦争時について、「長い〜」で描かれていたようなアメリカン・イノセンスの“喪失の始まり”ととらえていた可能性はあるだろう。これに先立つ「地獄の逃避行」「天国の日々」でも、やはりアメリカン・ウェイのダークサイドを描いていたマリック。「天国の日々」はまた、拡大解釈すればよりハードでリアルに描いた「怒りの葡萄」とも見てとれなくもない。さらに、フォードは軍属として太平洋戦争に従軍し、幾多の記録フィルムを撮影していた。占領軍として日本に降り立ち、黒澤明の撮影現場を訪れたのは有名な話だ。だからテレンス・マリックがジョン・フォードの強い影響下にあった、少なくとも太平洋戦争を背景にした「シン・レッド・ライン」制作時にはそれを強く意識していた…と言うのは、さほど突飛な話でもないと思うがいかがだろう。

 

 

<注2>それにしてもこの年は「風と共に去りぬ」の大量受賞があったために、「駅馬車」のオスカー獲得はこの助演男優賞と作曲・編曲賞にとどまったということだ。まったくこの1939年という年はアメリカ映画にとって何という実りある年だったんだろう!

 

 

<注3>ここでまた脱線だけど、フォード=ウェインのコンビはよく黒澤明=三船敏郎のコンビに並び称される。確かに黒澤はフォード・イズムの継承者だし、ウェインと三船を見いだしたのはそれぞれフォードであり黒澤だ。そして最初の作品から起用したわけではないのも同じ。また、ウェインと三船両者がそれぞれフォードと黒澤から離れて出た作品では、お世辞にもうまいと言えない役者であるところも似通っている。もっと言えばウェインにはそんなフォードと共に恩人たるべき「リオ・ブラボー」などのハワード・ホークスがいて、三船には「宮本武蔵」やリメイク版「無法松の一生」に起用してくれた稲垣浩がいた…という構図まで似ている気がする。

 

 

 

 

駅馬車 Stagecoach(1939年・アメリカ)

ユナイテッド・アーティスツ映画製作

監督・製作:ジョン・フォード、製作総指揮:ウォルター・ウェンジャー、脚本:ダドリー・ニコルズ

出演:ジョン・ウェイン、トーマス・ミッチェル、クレア・トレヴァー、ルイーズ・プラット、ジョン・キャラダイン、ドナルド・ミーク、ジョージ・バンクロフト

 

2003年3月11日 ビデオにて鑑賞(1985年6月2日・NHK教育テレビ放映時に録画)

 


 

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