思い出のテレビ駄菓子屋映画
わが劇場未公開テレビ放映作鑑賞記

Memories of Unknown Movies
on the Good-Old TV


1982


THX-1138 THX-1138

(1971年・アメリカ)

監督:ジョージ・ルーカス

出演:ロバート・デュバル、ドナルド・プレザンス、ドン・ペドロ・コリー、マギー・マコーミー、イアン・ウルフ

フジテレビ 1982年3月5日

ジョージ・ルーカスの劇場映画第一作。物語については皆さんご承知の通り、未来における極端な管理社会が舞台。そこでは男女の恋愛感情やセックスも禁じられている。ところが主人公のTHX(デュバル)はLUH(マコーミー)という女と愛を交わしてしまった。一方でTHXに関心を抱いた男SEN(プレザンス)が、妙に迫ってきたりする。そのうちにTHXとLUHの関係は当局に知れることとなり、二人は捕らえられて引き離されてしまう…。とにかく一般的な商業映画と言うよりも実験作の色彩が強く、全編極端にセリフが少ないので一般の人は面食らってしまうのではないか? 全員頭を丸めて坊主頭になっていたり、周囲が一面真っ白な世界という異様な画面の連続で忘れがたい鮮烈な印象。確かにユニークな作品ではあるが、ずっと見ているのは結構ツラかった印象がある。徹底的に盛り上がりには欠けているようで、THXの脱獄のあたりは不満だとメモにも書いてあった。ラストにTHXを追いつめていった警察が、「予算超過のため追跡中止」との命令で引き返していくあたりは、なかなかうまい発想だしちょっと皮肉な味だったと記憶している。

 

女囚暴動 Prigione de donne (Sex Life in a Woman's Prison)

(1974年・イタリア)

監督:ブルネロ・ロンディ

出演:マルティーヌ・ブロカード、マリル・トーロ

テレビ東京 1982年4月6日

一体どれだけの女囚モノ映画(主にイタリア製)を東京12チャンネル(テレビ東京)で見てきたか分からないが、この作品はそれらの中でも群を抜いたチープさ。というか、いろいろと奇妙な点があるので忘れがたい。まずはガランとした刑務所内にヒロインが連れて来られ、お約束の身体検査。ここで唐突にヒロインがなぜ捕まったかを回想で説明。ヒロインはフランスからイタリアに来た留学生だが、野原で麻薬を楽しんでいたヒッピーを見つけて、たまたま一緒にいたところを警察にとっ捕まったという設定だ。さてヒロインは「新入り」として同房の連中にガン飛ばされたりして…いよいよこれは何か起きるか…と思うと、何も起きない。この「何か起きそうで何も起きない」ってのはこの映画の特徴のようで、女囚モノ映画お約束のアレコレが出てくるものの、それは散発的に出てくるだけで話が発展することはなかったようだ。そもそも物語は、ほとんど同房の女たちだけの間で進む。これって結局あまりお金をかけられなかったということなんだろう。セットもどれもこれも新東宝映画みたいに安い。映画は中盤で待ちに待った暴動になるが、ここで盛り上がるかと思った僕がバカだった。なぜかこの刑務所には看守らしき人間がいない。修道女の格好をしたオバサンたちで運営されているらしいのだ。このあたり、イタリアの女子刑務所って一体どうなっているのだろう? だから女囚たちは暴れ放題だけど、誰も止める者がいない。誰も止めようとしないし戦いにならない暴動なんて見てても面白い訳がない。コントロール不能状態になった刑務所内で女囚たちは歌って踊って大騒ぎ。扉を開けて外に脱出するかと思いきや、なぜか屋上に上がって中継のテレビカメラに向かってわめくだけ。やっとこ機動隊が攻め込んでくるが、女囚・機動隊ともに人数の少なさは如何ともし難かった気がする。かくして暴動は鎮圧。彼女たちはさらに寂しい離れ小島の刑務所へと島流し。すると夜な夜な寂しさに耐えかねて、ヒロインはじめ女囚たちが裸で絡み合いだす。ここで注目したいのは、抱き合って絡み合う女たちの姿になぜか海岸で波がザブ〜ンとうち寄せては砕ける映像がオーバーラップされること(笑)。この無意味に思い入れたっぷりな演出が泣かせる。ところがヒロインが仲間と「結ばれた」翌日、彼女一人が唐突に無罪放免を告げられるから見ている方も驚く。ヒロインも釈然としないのか、せっかく「結ばれた」相手に後ろ髪が引かれるのか、呆然としながら刑務所を出て船に乗り込む。その彼女の姿に、今までのこの映画の名場面集(笑)みたいなインサートが挟み込まれる…といったところで幕。僕もいろいろ見てきたけれど、こんなに貧乏くさい映画も珍しいかも。そしてこれだけは特に語っておきたいのだが…ヒロインが無罪放免を言い渡される直前、島の刑務所内に鐘の音が鳴るのだ。それを聞いた女囚たちは、口々に「釈放の鐘だわ」…とつぶやく。「釈放の鐘」なんてものが本当にあるのかどうかも不思議なところだが、問題はその鐘の音。それって、僕が今まで耳にしたさまざまな音の中でもダントツの、思わずうつむかざるを得ないようなショボい音なのだ(笑)。どんな音だったかを説明することは出来ないし、記憶にもすでに残ってないけど、とにかくすごく安い音だったことだけは忘れられない。それを確かめるためだけでも、もう一度見てみたい気がする映画だ(笑)。

 

サムシング・ビッグ Something Big

(1972年・アメリカ)

製作・監督:アンドリュー・V・マクラグレン

出演:ディーン・マーティン、ブライアン・キース、オナー・ブラックマン、キャロル・ホワイト、ベン・ジョンソン

フジテレビ 1982年5月28日

ディーン・マーティン主演のウエスタンで、監督はジョン・ウェイン晩年の西部劇とか「ワイルド・ギース」「北海ハイジャック」などのアクション映画をつくったアンドリュー・V・マクラグレン。婚約者(ホワイト)を東部に放ったらかしたまま、「何かでっかいこと(原題の意味)」をやらかしたいと西部で好き放題に暴れている無法者(マーティン)が主人公。その婚約者が自分を連れ戻しに西部へ来ると知るや、それまでに何とか「でかいこと」を…と、悪党一味を一網打尽にする計画を練り始めるマーティン。この計画のためには機関銃が必要だが、機関銃を手に入れるには女と交換だ…ということになる。そこでさらって来た女(ブラックマン)は、実は退役間近の騎兵隊長(キース)夫人だったから大変。騎兵隊長は片腕のベン・ジョンソンを連れてマーティンを探しにやって来る…。となると、緊迫感あるサスペンスになるかと思いきや、何ともユーモラスにのんびりとお話は展開。さらわれたブラックマンも自分を恭しくレディとして扱うマーティンの態度に好感を持ち、何とか彼の「でっかいこと」を実現させてやりたいと考えるようになる。マーティンはマーティンで、彼女と夫との愛情物語に感銘を覚え、置いてきた婚約者ホワイトの事を思い出す。悪党一味以外は悪人がまったく出てこないし、最後にはみんな仲良し。悪党一味を倒して連中の隠し財宝を手に入れる。かくしてマーティンと婚約者ホワイト、キースとブラックマン夫妻は一台の馬車に同乗して、東部めざして旅立つという幕切れ。マーティンがスットボけた味を出して、後味もホンワカと良かった印象がある。

 

シドニー殺人指令 No Room to Run

(1977年・オーストラリア)

監督:ロバート・マイケル・ルイス

出演:リチャード・ベンジャミン、ポーラ・プレンティス、バリー・サリバン、ノエル・フェリア、レイ・バレット、アン・ハディー

テレビ朝日 1982年6月5日

サンフランシスコに本拠を置くコングロマリット企業のエリート社員(ベンジャミン)が、その企業の陰謀に巻き込まれるサスペンス映画。彼は会長(サリバン)の大のお気に入りで、彼の方も世界的に慈善事業に力を入れる会長を尊敬している。この企業がオーストラリアのシドニーでコンサートを主催する事になったので、主人公は打ち合わせのため現地に出張となる。その際に会社の同僚から、「重要書類の入った」スーツケースをついでに持っていくように頼まれたのが運の尽き。シドニー空港で待っている仲間に渡すはずが、二人の男に襲われて相手は殺される。思わず主人公はその場に落ちた拳銃を拾い、謎の二人組のうち片方を撃ち殺してしまった。かくして追われる身となった主人公は、たまたま逃亡途中で知り合った女(プレンティス)の家に匿ってもらい、事件の真相を探っていくことになる。実はこのコングロマリット企業は世界各国に政治献金や賄賂を贈り、役に立たない政治家は暗殺していた。その悪の元締めが会長だったのだ。結局、主人公は企業主催のコンサート会場に乗り込み、証拠の録音テープを会場に大音響で流してすべてを暴露。「オマエを必ず殺してやる!」と脅す会長のわめき声を背にしてその場を去っていく。この場面での進退極まった会長の往生際の悪さ、主人公への激しい脅し方は尋常ではない。これほどの大陰謀で、しかも「必ず殺す」という脅しまでかけたとなれば、主人公がただで済む訳はないとつい思っちゃうよね。案の定その後で主人公と協力者になった女がイチャつく場面が出てきて、見ている方としては「こりゃあ奴ら殺されるな」…と思わず身構える。ところがこいつら「結婚しようね」とかフヤけたことを言って、そのまま映画は終わってしまうから拍子抜けだ。あのもったいつけた思わせぶりな「必ず殺す!」は何だったのだ。悪党が一度口に出したのなら、ちゃんと公約通り「必ず殺して」欲しいところだ(笑)。主役のベンジャミンは「ウエストワールド」などに出演した俳優で、後年は「マネー・ピット」などの監督も手がけた人物。正直言って僕にはあまり好感の持てるイメージの俳優ではない。この映画でも知り合った女の家に押し掛けて無理難題、あげく車を勝手に借りてぶっ壊してしまうという役柄でイライラさせられる。メモによればこの主人公は終始不用心で無神経なところが見ていて気にさわるらしく、企業のシドニー支社の建物にも何度も平気で侵入出来るなど、設定もかなりいいかげんなようだ。主役級三人はいずれもやや格落ちのアメリカ俳優。やはり同時期のオーストラリア映画「ザ・ラスト・ウェーブ」の主役に、リチャード・チェンバレンが起用されたのと似たようなものか。この後で破竹の勢いになるオーストラリア映画も、この当時はこんな調子だったのかもしれない。

 

大竜巻 Cyclone

(1978年・メキシコ、イタリア)

製作総指揮・脚本・監督:レネ・カルドナ・ジュニア

出演:キャロル・ベイカー、アーサー・ケネディ、ライオネル・スタンダー、アンドレス・ガルシア、ヒューゴ・スティルリッツ、マリオ・アルマダ、カルロス・イースト

TBSテレビ 1982年7月5日

メキシコ・イタリア合作のパニック映画という珍品。台風のために遊覧船、飛行機、漁船がそれぞれ遭難。メモによると、これら三者が台風を避ければいいのに無謀にも自分から遭難しに行くような設定になっていてイライラさせられるとか。遊覧船には金持ち女キャロル・ベイカーや神父アーサー・ケネディが乗船。船は嵐の間じゅうエンジンを動かしたのでオイル切れしてしまう。飛行機に乗っているのは、強欲な社長ライオネル・スタンダー。この飛行機の墜落によって乗客は海に投げ出され、機体は海底に沈む。再びメモによるとここでまるで「ジョーズ」みたいなアングルの水中ショットが多用されるが、ほとんど意味のない思わせぶりな演出。お約束のサメはそれからしばらく経って一匹出てくるだけで、しかも乗客を一人食っただけで大人しく去っていく(笑)。漁船は嵐で持ちこたえられなくなり、船員は救命ボートで脱出。この遊覧船と飛行機の乗客、そして漁船の船員が嵐が去った後に海のど真ん中でハチ合わせする。お察しの通り、三組も遭難させるのは話をモタせるため。だが派手な嵐のパニック場面の後にダラダラ漂流場面が続くから、余計退屈さが倍増する。飲み水の配給で揉めたりお約束の船上での出産があったりするが、ハッキリ言って盛り下がる。遊覧船の上は飛行機の乗客と漁船の船員も加わって大人数になるが、そのうちの大半がいてもいなくてもどうでもいいメンバー。キャロル・ベイカーなど一応キャラクターがある役どころの連中もウロウロしているだけで、何とヒーローらしき人物が一人もいない。この漂流場面はかなりつまらなかったようだが、いよいよ救援が来る事になったところで強欲社長ライオネル・スタンダーがバカをやって船は沈没。みんなが海に投げ出されたところに、なぜかいきなりサメが大量に現れてバクバク食いつき出す。さっきはたった一匹だったのに、いつの間に集まってきたのか? 結局、水上飛行機がやって来て何人かが救われるものの、このラストの無意味な殺しで何ともイヤ〜な後味で映画は終わる。

 

避暑地の異常な夜/犯されて L'agression

(1974年・フランス、イタリア)

監督:ジェラール・ピレス

出演:ジャン=ルイ・トランティニャン、カトリーヌ・ドヌーブ、クロード・ブラッスール

フジテレビ 1982年7月10日

豪華スター共演のフランス・ミステリー大作…と思いきや、なるほどこれは未公開になるしかない…と思わされる発狂作だった(笑)。トランティニャンが妻子を車に乗せて、避暑地に向かって高速道路をひた走っている。このトランティニャン扮する主人公がやたらイラだって車の追い越しをしたりする不愉快な男。そのうち三人組の暴走族に絡まれて、よせばいいのに突っ張ったから車は転落。降りたところを暴走族に襲われボコボコにされる。気づいてみたら妻子は殺されていた。警察に取り調べを受けるトランティニャンだが、落ち込む代わりにイラだってばかり。葬儀には妻の妹カトリーヌ・ドヌーブが参列。トランティニャンはドヌーブを連れて飲みに行き、勝手にガンガン飲んでだらしなく泥酔。あげくドヌーブに家まで送ってもらうと、「寂しいんだよ」とか言って彼女に襲いかかる。もうこの段階でトランティニャンの主人公は、まったく理解不能なサイテー男だ。ところが信じられないのはトランティニャンのキャラだけじゃない。ドヌーブもさんざ抵抗したあげくにいきなり自分から身を任せてしまう。こうしてねんごろになったトランティニャンとドヌーブが、彼の妻子を殺した暴走族の捜査を始めるわけだ。警察で犯人らしき三人組を突き止めるが、確証がないため捕らえられず歯ぎしり。もっとも、この三人組が犯人だって根拠が声の記憶だけって言うんだから、そこからして無理があるのだが…。あげくトランティニャンはドヌーブを連れて、釈放された三人組を山の中まで深追いしていく。案の定、彼らの隠れ家に忍び込んだところを捕まって絶体絶命。このあたりのトランティニャンの行動はあまりに無謀で、よせばいいのに…としか思えない。ところがこの三人組は「自分たちがやったんじゃない」…と主張して、トランティニャンとドヌーブをおとなしく解放する。ここで登場するのが、現場付近のドライブインでレストランのマスターをしているクロード・ブラッスール。トランティニャンはここに何度も足を運んでいるうちに、すっかりこのマスターと顔なじみになっている。そして何とこのマスターに、銃を手に入れるよう頼んだりするのだ。ただしこのマスター、気のいい人の良いオヤジ風かと言えばさにあらず。ネチネチとした陰湿な男で、盗聴やら覗きが趣味の変態男なのだ。ところが何を考えてるのか、ドヌーブがこのオヤジに媚びを売りまくり、それを見たトランティニャンが機嫌を損ねる…って、一体こいつら何を考えているのか分からない。結局トランティニャンは暴走族を呼び出してオトシマエをつけようとする。それに気づいてブラッスールとドヌーブが現場に到着した時には万事窮す。暴走族の一人がすでに撃たれていて、そのガールフレンドが助けを求めている状況だ。で、ここがなぜだか分からないのだが、このガールフレンドはオッパイを出している(笑)。それを見たブラッスールはいきなり発狂。テレコを取り出して盗聴テープを聴きながら、興奮してドヌーブに襲いかかる。そしてこのテープの内容から、実はトランティニャンの妻子を殺したのがブラッスールだと分かるのだ。ブラッスールはドヌーブを殺し損ねたあげく、高速道路で二重三重衝突事故を起こして捕まる。かくして山の中まで残りの暴走族を追って来たトランティニャンは、真相を知った警官に押さえられる。その時の警官の言い草が素晴らしくて、「暴走族がケガだけで死んでなくて幸いだった」…(笑)。それですべて済むのか? ともかくこれだけのスターを使ったA級大作のはずなのに、主人公たちの言動が理解に苦しむことばかり。この映画の脚本と演出を担当した奴の頭は大丈夫なのか?…と本気で心配になる。なお三人組暴走族のガールフレンド役で出ているのは、おそらく「エデンの園」「個人授業」などのイタリアのヌード専門若手女優レオノーラ・ファニ

 

恐怖と戦慄の美女 Trilogy of Terror

(1975年・アメリカ)

監督:ダン・カーティス

出演:カレン・ブラック、ジョージ・ガインズ、キャサリン・レイノルズ、ロバート・バートン、ジョン・カーソン

フジテレビ 1982年7月30日

三話オムニバスの怪奇テレビ・ムービーだが、何と三話とも原作がリチャード・マシスン。それだけで大いに期待させられるが、主演が三話ともカレン・ブラックというワン・ウーマン・ショーというのも興味深いところ。第一話「Julie」で彼女が扮するのはオールドミスの大学教師。メガネをかけてマジメ一辺倒の堅物だ。ところが、こんな彼女になぜか目をつけた大学生の男の子もいた。彼はブラックをドライブ・イン・シアターに誘い出し、眠り薬で眠らせてヌード写真を撮ったあげく犯してしまう。この写真をネタに男の子はブラックとの関係を続けるのだが、実は元々彼がブラックに目をつけた事自体、すべてブラックの仕業だった(これが催眠術でも使ったのかどうなのかは映画を見ていても不明)。最後には男の子はブラックに飽きられて殺される。彼女のつくったスクラップ・ブックには、今まで関係して殺した男の子の死亡記事がワンサカ。そこにまた一人の学生が、個人教授を頼みにやって来る…。第二話「Millicent & Therese」は、両親が死んで二人きりで大きな屋敷に住む姉妹の話。姉はヤボてんで道徳を重んじるこれまた堅物。妹をふしだら女として忌み嫌い、悪魔教の呪いで殺すことを決心する。この姉妹をカレン・ブラックが一人二役で熱演するが、残念ながらこの二人が同一人物で二重人格の産物だということは早々に割れてしまう。さて、それまでの二話はマシスン原作をウィリアム・F・ノーランが脚色したものだが、最後の第三話「Ameria」はマシスン本人が脚本まで担当。アパートに一人暮らしを始めた女がブラックで、その部屋だけを舞台にしたお話。登場人物もブラックだけだ。恋人の誕生日プレゼントに…と、ブラックは骨董屋から土人の殺し屋の人形を買って来る。ところが人形につけてあったクサリが切れてしまい、なぜか魂が吹き込まれて人形が動き出す。こうしてこの土人の殺し屋人形がブラックを狙って部屋中暴れ回る…というお話。この人形が牙をむき出した顔で結構怖い。しかもかなり凶暴。マシスン自身の脚本であるせいか、ショック度は三話中ピカ一。受けて立つブラックも言ってしまえば人形相手の一人芝居だけに、ここは演技の見せどころ。超大作に見えて実はお話がコクピットにほとんど限定された「エアポート'75」を、圧倒的な演技力でサスペンス大作に見せてしまったカレン・ブラックならではの大熱演だ。結局人形を電子レンジで焼き殺したものの、その魂は生き残ってヒロインに取り憑く。ラストは、彼女がそれまで無意識下に憎んでいた母親を電話で呼び出し、刃物を持って牙をむき出しながら待っているところで幕となる。短編恐怖作家としてのマシスンの腕と、カレン・ブラックの芸域の広さが結びついたなかなかの好編だ。

 

幻想殺人 Una lucertola con la pelle di donna (A Lizard in a Woman's Skin)

(1971年・イタリア、フランス、スペイン)

監督:ルチオ・フルチ

出演:フロリンダ・ボルカン、スタンリー・ベイカー、ジャン・ソレル、レオ・ゲン

テレビ東京 1982年8月27日

この監督とキャストの顔ぶれを見れば誰でもイタリアかスペインあたりの話だと思うが、なぜかこの映画の舞台はロンドン。ただし、ロンドンでなければならない必然性はゼロ。フロリンダ・ボルカン扮する人妻が見る奇妙な夢から、物語はスタートする。それは彼女が隣のマンションに住むジュリアなる女に会いに行く夢だ。そんな夢を連日連夜見ているうちに、ある晩ボルカンは夢の中でジュリアという女を殺してしまう。しかも、実際に隣のマンションでジュリアという女が殺されてしまうのだ。証拠はすべてボルカンが怪しいことを示すものばかり。そこで乗り出してくるのが、スタンリー・ベイカー刑事。ボルカンがそれまでの夢の内容をノートに書き記していたので、それを見た彼女の夫ジャン・ソレルが犯行を企んだのでは…と疑われたり、彼女の父親レオ・ゲンが怪しい行動に出たり、ボルカンが妙なヒッピーに誘い出されて危ない目にあったり、さらには彼女の娘が殺されたり…と、奇怪な出来事が続発。結局父親の自殺から彼が犯人ということになるが…。ここからはネタバレになるが、実は犯人はやっぱりヒロインのボルカンで、動機はジュリアという女との同性愛関係のもつれと説明される。ただメモによると、どうも画面でウソついちゃってる部分があって映画としてズルい結論であるらしい。そもそも、主人公が犯人ではないか…と疑われて、一体どうなるかと最後まで見ていったら結局ホントに犯人でした…という結末では、何だかんだ言ってもやっぱり見ていて空しい(涙)。オレが今まで見ていたあの2時間は何だったの?…とでも言いたくなる。

 

ゴールデン・ガール Goldengirl

(1979年・アメリカ)

監督:ジョゼフ・サージェント

出演:ジェームズ・コバーン、スーザン・アントン、クルト・ユルゲンス、ハリー・ガーディノ、レスリー・キャロン、ロバート・カルプ

フジテレビ 1982年9月3日

日本ではジュエリーのCFにファラー・フォーセットに続くイメージ・キャラクターとして起用されて知られるようになった(というより、それしか知られていない)、スーザン・アントンの主演映画。このヒロイン(アントン)が義父の科学者(ユルゲンス)に薬物を投与されたりして、スーパーウーマン的な陸上選手へと肉体改造されていく。そのためにプロジェクト・チームも編成されて、ハリー・ガーディノやレスリー・キャロンもメンバーに参加。巨大なスポーツ・エージェントのボス(コバーン)もプロジェクトに参加する。目標はモスクワ五輪で金メダル三個獲得。映画のヤマ場はそのモスクワ五輪だが、実際にはアメリカはポイコットして出場しなかったのだから見ていて奇妙な気がする(この映画はモスクワ五輪ボイコット決定以前に製作されている)。それに今と違って五輪スタジアムをCGで出す訳にもいかないから、競技場面はどうしてもどこかチャチで適当に誤魔化しているように見えてしまう。ドラマの途中ではヒロインに薬の副作用が出るし、ヒロインとコバーンとの間に愛情が芽生えるし、ユルゲンスの科学者はすっかりマッド・サイエンティストに変貌しちゃうし、スポーツ・ライター(ロバート・カルプ)が周囲を嗅ぎ回るし…で、何か起きそうな雰囲気は漂うが実は何も起きない。結局ヒロインは無事金メダルを三個ゲットする。エンディングはその記者会見場で、ヒロインが愛するコバーンを探すがそこには彼はいない…結局ヒロインは自分が操り人形だった事を悟る…というちょっと苦い幕切れとなる。お話も大人しいし、娯楽大作なのかB級のクセ球映画なのか、つくる方も決めかねている中途半端な映画という印象だった。

 

ドイツ軍用列車 Bastardi senza gloria (The Inglorious Bastards)

(1977年・イタリア)

監督:エンツォ・G・カステラーリ

出演:ボー・スベンソン、ピーター・ホーデン、フレッド・ウィリアムソン、イアン・バネン、ミシェル・コンスタンタン、フラビオ・アンドレイニ

テレビ東京 1982年9月7日

イタリア製の第二次大戦を舞台にした冒険アクション。1944年、ドイツ敗色の色濃いフランスが舞台。軍法会議にかけるために連合軍の札付きのワルどもを護送中だったトラックが、突如ドイツ軍に襲われる。このドサクサでワルのうち5人が脱走。リーダー格の男(スベンソン)をはじめとするこの5人は、何とかスイスまで逃れようとする。こいつらの中には便利屋がいたり臆病者がいたり…というのはお約束。ヤクザ者(ホーデン)と屈強な黒人男(ウィリアムソン)が反目し合う…というのもありがちな設定。途中でドイツ脱走兵も加わって面白くなりそうだったが、これをすぐに殺しちゃったのはもったいない気もする。ところがパルチザンの一団(リーダーがコンスタンタン)と出会って米軍特殊部隊と勘違いされた事から話は一転。実はこのワルご一行は特殊部隊をナチと間違えて殺してしまっていたのだ。仕方なく一行はこの特殊部隊になりすまして秘密作戦に参加することになる。それを後で知った作戦の指揮官(バネン)はカンカン…ってな行き当たりバッタリな展開。作戦は列車で運ばれるV2ロケットの弾頭コンパスを奪うというもの。なぜかワルどもはここで急に改心して、「愛国心のために戦う!」なんて言い出すから笑っちゃう。だが作戦進行中に彼らは一人また一人と死んでいく。リーダーのスベンソンまで撃たれ、列車がドイツ兵でいっぱいの駅構内に入ったところを、自らを犠牲にしてV2ロケットを爆破させる。ただ、ワル連中で一番印象の悪い男だったヤクザ者が唯一生き残り、パルチザンの女の子と手に手をとって幕になるってのがどうにもスッキリ来ない。気楽に見ているぶんには楽しめるが、時々アクション・シーンに意味のないスローモーションを入れたがるのは、以前見た「アベンジャー」同様この監督の趣味なのだろうか?

 

愛のそよ風 Breezy

(1973年・アメリカ)

監督:クリント・イーストウッド

出演:ウィリアム・ホールデン、ケイ・レンツ、マージ・デュセイ、ロジャー・C・カーメル、ジョーン・ホッチキス

フジテレビ 1982年9月10日

クリント・イーストウッドが出演せずに、初めて監督に専念した作品。それもラブ・ストーリーだ。「マディソン郡の橋」を映画化した今なら別に違和感もないが、僕がこの作品を見た当時なら驚くべき事だったろう。妻とも別れて大きな家に一人で住んでいる初老の男(ホールデン)が主人公。ある日、彼の車にいきなりヒッピー娘のブリージー(レンツ)が乗り込んできて以来、彼女は主人公の家に勝手に住み着いてしまう。最初はこのヒッピー娘の奇矯な言動やら、孤独な独身生活をかき回されてる事に迷惑顔だったが、いつの間にかそれを楽しみ始めている主人公。彼は元々恋人もいたが、彼の煮え切らない態度に別の男と結婚してしまう。そんな一種人間嫌いのような主人公だったが、ついにはこのヒッピー娘と恋に落ちてしまう。ところがある時、彼女との年齢差を痛感した主人公は、再び頑なになって彼女を家から叩き出してしまう。これで彼女とはこれっきりか…と思った時、かつての恋人が事故に合ったという連絡が入って、主人公は慌てて病院に駆けつける。彼女はハネムーン中に交通事故を起こし、夫になった男は死んでしまった。そんな彼女の涙ながらの言葉を聞いているうち、主人公は限りある命の大切さ、愛情の大切さを痛感し始める。病院を出た主人公は、ヒッピー娘を迎えに行くのだった…。どうって事ない話なんだけど、後味も爽やかな小品。これまたアメリカン・ニューシネマの残照みたいなものを感じる作品だ。イーストウッドって意外にロマンティストだったんじゃないか? ホールデンは最晩年の「アドベンチャー・ロード」でも人間嫌いで孤独な老人を演じていて、この映画のキャラクターと共通するムードがあった。音楽はジャズもお手のもののミシェル・ルグラン。さてはイーストウッドの人選か?

 

白昼の暴行魔 II The Last House on the Left

(1973年・アメリカ)

脚本・監督:ウェス・クレイブン

出演:サンドラ・カッセル、デビッド・フェス、ルーシー・グランサム

テレビ東京 1982年10月12日

この映画は題名に偽りありで、「II」などと書いてあるが続編でも何でもない。「白昼の暴行魔」はこれに先だってテレビ東京の同じ映画枠で放送されたイタリア映画。こちらは何の関係もないアメリカ映画だ。年頃の娘二人がコンサートに出掛けたまま何者かに拉致される。これが脱獄犯二人にその息子と愛人という4人組。二人の娘のうち片方の家では、彼女の17歳の誕生日を祝おうとしていたのに帰ってこないのでヤキモキ。翌日、脱獄犯たちは二人の娘を林に連れて行き、そこで弄んで惨殺。何食わぬ顔で近くの家に「車がエンコした」と上がり込んでしまう。だがそこは偶然にも、先ほど彼らが殺したばかりの娘の家だった。そのうち娘の両親は彼らが娘を殺した事を知り、秘かに復讐に転じる…というお話。正直言ってその頃テレビ東京で腐るほど放映されていた、「暴行」とか「強姦」とかいうタイトルのクズ映画と大して変わらない印象の映画だったようで、殺される女の子がモテモテの可愛い子という設定なのに、いかにもギャラが安くてすぐに脱ぎそうな女優なのが興ざめだったとかメモには書いてある。警察は徹底的に無能で、脱獄犯に気づいて駆けつけようとするとパトカーがガス欠(笑)…だとかマヌケな設定。やっと駆けつければ犯人たちが殺された後…というあざとさ、後味の悪さ。復讐に走る娘の両親が上品で温厚な医者の夫婦だったのに、しまいには電動ノコギリまで持ち出す過激さには当時の僕も驚いたようだ。ところが本来ならエログロが売り物の映画のはずなのに、いざその手の場面になると直接描写を避けたがっているようで、当時のメモでは僕は盛んにその事を不思議がっていた。娘が弄ばれる場面でも、その様子が直接画面に現れることはない。脱獄囚たちが復讐されるくだりでも、直接殺しの現場はほとんど出てこない。映画そのものの出来はさほど感心していなかったみたいだが、そんな単なるエログロに逸しない態度はかなり印象的だったようだ。で、実は…というか、ここには最初から書いてある通り、この作品は今をときめくウェス・クレイブンの二作目の監督作。放映当時はテレビ東京が「ウェス・グラベン」(どうしてそう読めるんだろう?)と発表してたから、僕は今の今までクレイブンの初期作品を見ていたとは気づいていなかった。まぁ、「エルム街の悪夢」が1984年の作品だから、見た当時に「ウェス・クレイブン」とちゃんと表記されたところで誰だか分からなかったろうが(笑)。ただ、残虐描写をいたずらにエスカレートさせる事なく観客に想像させるカタチにとどめたあたりは、なるほどクレイブンならではの見識なのかもしれない。そして、今回ストーリーを改めて見直して気づいたけれど、これってイングマル・ベルイマンの「処女の泉」のリメイクではないか! 後に「スクリーム」三部作を発表するクレイブン、その初期においても「いかにも」の題材を手がけるふりをして映画マニアらしいところを出していたということか。

 

激突!燃える大彗星 A Fire in the Sky

(1978年・アメリカ)

監督:ジェリー・ジェームスン

出演:リチャード・クレンナ、エリザベス・アシュレー、デビッド・デュークス、ジョアンナ・マイルズ、ロイド・ボックナー

テレビ朝日 1982年11月13日

「エアポート'77」「レイズ・ザ・タイタニック」などの劇場映画も手がけたジェームスン監督のテレビムービー。とある天文台が彗星の地球への激突を予知。大統領によって緊急会議が招集されるが、これが田舎の別荘みたいな所に学者数名と軍人数名が集まっただけの小ぢんまりしたもの。この小ぢんまりさは映画全編に渡って目に付き、世界中の天文台がこれに気づかないのも変なら、激突地点がテキサス州フェニックスと分かってからは話がこの町から一歩も出なくなるチマチマさ加減。役人どもは事なかれ主義でコソコソ事を進めようとするが、ローカルテレビ局の女社長(アシュレー)はそれをスッパ抜いて、町の人々を救おうとする。この女社長と夫の新聞社社長の夫婦仲の冷却やら、リチャード・クレンナとジョアンナ・マイルズの天文学者同士の恋愛とか、お約束の群像ドラマが展開。いよいよ激突が迫って、ミサイルによる彗星の迎撃が失敗。住民の避難が開始される。だがクレンナは観測がしたいと言って立ち退かない。驚いた事には、たまたま子供連れでキャンプしに来たお父さんは、ラジオで彗星激突を聞いていきなりその場に穴を掘る。 それだけではない。車で逃げ遅れた人々のために、町の地下に避難所が掘ってある。彗星が激突したら、そんなんじゃとても助からないんじゃないの? 地表なんか全部えぐれちゃうんじゃないのか? 彗星激突の特撮はなかなかうまく出来ているが、そもそも被害についての考えの甘さが映画を子供だましにしている。ラストはクレンナがどうなっちゃったかは分からないが、テレビ局女社長と新聞社社長の夫婦仲は修復されメデタシめでたし。

  

 

INDEX

1978

1979

1980

1981

1983

1984

1985


 

 

 Cinema Toy Box

 

 Warehouse Index

  

 HOME