邦画に夢中!2

続・洋画ファンに捧げる日本映画入門

We Love Japanese Films ! Part 2 

なかなかに熱く読み応えのある文章が並んだ今回の特集の中で、今さら邦画あんまり見てなかった…などとアホな文章は披露したくないもの。しかし、今回の特集の締めくくりとしては書かないわけにいかないでしょう。見栄を張っても仕方ない。こんなサイトやってて偉そうな事言っててもこの程度ですから。ともかく、重い腰を上げてようやくポツポツと邦画を見始めた洋画ファンの目に、最近の邦画はどう写ったのか。前回特集での「ある舶来映画愛好家の懺悔録」の続編として、映画館主・Fことこの私が綴ります。


 

 ドライアイスは溶けたか?

 「五条霊戦記」と過渡期の日本映画たち

 または洋画偏愛者の付け焼き刃邦画日誌

 A Way to "Gojoe"

 Movie Diary by a Foreign Film Lover

 夫馬 信一

 by Shinichi Fuma

 

 

前号までのあらすじ

子供の頃から見る邦画見る邦画すべてに期待を裏切られてきたFは、もう邦画なんか信じないと一切邦画を見ない男になっていた。そんなある日、平成「ガメラ」シリーズに出会って衝撃を受けるF。さらに「鮫肌男と桃尻女」を見るに至って、これからは邦画も見なきゃ…と当り前のことを、さも自分が初めて発見したかのように偉そうに周囲に言って回るのであった。

 

人工衛星から沈みゆく日本列島をとらえた映像とおぼしきショットが何カ所か挿入されるんだけど、その引き裂かれて分断される日本列島の模型の裂け目に、ポコポコとかわいくドライアイスの煙が上がってるんだよな。そりゃあないだろう? 日本列島の模型自体は人工衛星からの写真を元にリアルにつくったと豪語してたけど、そこに洋菓子についてるようなドライアイスの煙がポコポコ。もう、トホホなわけ。(特集「邦画に夢中!」収録、「ある舶来映画愛好家の懺悔録」より)

 

 これは何のことを言っているかというと、「日本沈没」に登場する特撮シーンの一場面について語っているんだね。そして、これは僕の日本映画観をほぼ象徴しているようなエピソードでもあった。確かに日本列島の模型はリアルに出来ているし、広大なスタジオ内を圧するほど巨大なもの。大変な労力と技術、金額がかかっているものなのだが、なぜかそこにセコくドライアイスなんか使っちゃったんだよねぇ。それまでの努力が水の泡…どころじゃなくって、安っぽくて手を抜いてるみたいでみっともない。肝心要のセンスがない。つまり、見ていて恥ずかしい…それが日本映画というわけだ。これって大半の洋画ファンも長い間共有していた感覚じゃあなかったかね?

 昔からの日本映画ファンには申し訳ないが、だから洋画ファンって大半が邦画なんてまるで見ていなかったと思うんだよ。邦画なんか見ちゃったら、「物好きだねぇ」と言われかねない雰囲気あったもの。もちろん大変失礼なことだとはわきまえているよ。でも、ブッチャけた話すれば実際のところそうだった。

 ところがどうも昨年、一昨年あたりから様相が一変し始めたんだよね。洋画ファンと言われる人種が日本映画を見にいくことに抵抗がなくなった。と言うより、そんな魅力的な作品が揃い始めたのだと言ったほうがいいのかも。実際のところ作品的にはかつてとそんなに違わないのかもしれない。だけど以前の日本映画と言ったら、肝心なところで「日本沈没」のドライアイスみたいなことを必ずやって興ざめさせてきたんだからね。作品としていい悪いの前に、見て恥ずかしいかどうかってところの攻防戦になっちゃうんだから、これはお金をいただいて人様に見せようというレベルの話じゃないよ。でも、それがここでちょっと変わってきた雰囲気が確かにあった。それらは作品に変化があったのか、それともつくり手の意識の違いなのかは分からない。だが、何よりそこにはかつて日本映画にあった「恥ずかしさ」が消えていた。かつての黄金期とも没落期とも無縁な、全く新しいスタイルでつくられた作品群だ。

 かく言う僕も、細々ではあるが日本映画を劇場で見始めた。サイト開始の1999年の感想文には皆無だった邦画が、2000年ぶんからボチボチ顔を出していることがお分かりだろう。もちろん話題作だけじゃねえかとか、これっぽっちじゃねえかとかご批判は承知の上。それでもあの強いアレルギーが消えてきたことは素直に認めていただきたい。大体元々が「ドライアイス」ありきなんだから。

 そこであえて恥を偲んで、洋画に偏向していた典型的洋画ファンであった僕の2000年からの邦画日誌と題して、こちらの特集からはもれた何作かを紹介したい。正直言って今回の特集は、みなさんの熱い心のこもった文章揃い。それらが居並ぶ中ではいささかお寒く退屈な僕の一文ではあるが、一人の邦画食わず嫌いの映画ファンの率直な思いとして読んでいただければ幸い。それは奇しくも邦画嫌いの洋画ファンだった僕に多くのものを示唆した、過渡期ならではの象徴的なラインナップとなった。

 

「どら平太」

 これはこちらに感想文もアップされてるから詳しくはそれを読んで欲しい。黒澤明、木下恵介、市川崑、小林正樹の4人の遺産みたいな脚本を、他の3人が亡き後に一人残った市川が撮る。主演はいまやミスター日本映画みたいな役所広司。まぁ、いくら洋画ファンでもちょっとは見てみたくなるでしょう。悪徳がはびこるどこかの藩に、江戸から新たな町奉行として赴任した望月小平太がその主人公。この男、町奉行というのに遊び人でチャランポラン。だけどそれは、悪党どもを油断させるためのカラクリで…というお話の典型的明朗痛快時代劇。こういった分かりやすい面白さを狙った時代劇なんて、本当に長い間制作されなかったから嬉しい。テレビ時代劇にこれ風な物語はあったかもしれないが、このクラスのクリエーターが関わった本格的作品としては、近年ではたぶん皆無だろう。例えて言えば、戦前の伊丹万作作品「赤西蠣太」あたりから、黒澤作品「椿三十郎」あたりの雰囲気を想起していただければ間違いない。脚本はガッチリとつくってあるので、お話を追って見ていくぶんには結構久々に楽しめる本格時代劇なのだ。役所広司の遊び人芝居やらタンカ切る口調もなかなか楽しいしね。ボ〜ッと見てるぶんには楽しめる映画なんだよね。だから僕もこれ嫌いじゃない。実際、最初に見たばかりの時は結構評価してたんだ。感想もそう書いてる。

 ただ後々考えてみると、この映画楽しかったことは楽しかったけど、何だかシャキッとした元気に乏しい感じもあったんだよね。こういう痛快明朗時代劇つくるにしては、市川の演出の歯切れが今ひとつ悪いみたいなんだよ。そう言えば、この映画は制作費を浮かすためかシンセサイザー主体の音楽が入っているのだが、これが何だかポンヤリとしてメリハリが全くきかない。市川演出の歯切れの悪さもこの音楽みたいなもので、こうした娯楽時代劇はパリッ!シャキッ!としたコシみたいなものがないとダレるんだよね。そこがちょっと弱いみたいなんだ。

 あと、クライマックスの50人相手の大立ち回りのシーンで、何を血迷ったのか変なストロボ・アクションみたいな処理を施したのもいただけなかった。もうこんな奇をてらったような寒い画面づくりそのものが、時代からズレてるんだよな市川崑(涙)。

 まぁ、いくら豪華絢爛と言っても黒澤明、木下恵介、市川崑、小林正樹ときたら、今から30年以上前に第一線だった巨匠たちなんだよね。確かに腕のあった人たちだから、彼らが残したシナリオをそのまま撮ってもちゃんと楽しめる出来映えになる。でも、それってやっぱり現在現役バリバリの映画ってことにはならないかもしれないよねぇ。今だんだん元気になって来てる日本映画って、ほとんどそんな過去の黄金時代とは断ち切られたような、無縁の人々がこさえてきてるんだからね。なかなか楽しいこの映画が、にも関わらずどこか寝ぼけたような印象がある理由は、そういうちょっと旬がズレたような部分があるせいかもしれない。

 だからこの時点において「どら平太」という映画を見ること、そして面白いんだけど何かが足らないと感じることって、まさに今の日本映画の過渡的状況を目で体験していることなのかもしれない。それはかつて絶対の強さを誇った横綱千代の富士がメキメキ腕を上げてきた若手の若花田(現・若乃花)に負けた時みたいに、一つの時代が次の時代にバトンタッチされる瞬間を目撃するみたいなことなのだろう。先に挙げた立ち回りでのお寒いストロボ・アクション処理も、考えようによっては例の「ドライアイス」的とでも言おうか、ちょいと恥ずかしかったかつての日本映画の名残りみたいと言えなくもない。そういう意味で僕にとってこの映画を見たことは、黄金時代から没落を経てきた往年の日本映画に引導を渡す、一つのセレモニーに参列したような感慨があったんだよね。

 

「MONDAY」

 上の「どら平太」に過去の日本映画の栄光の終焉を見届けるような趣きがあったのに対して、こちらは現役バリバリのSABU監督による最新作。実はこれを見るまで、まるっきりの商業娯楽大作とは言え「クロスファイア」「ホワイトアウト」を見て、それなりに健闘している日本映画を確認済みだった。だから、かなり安心したかたちでこの「MONDAY」を見に行ってるわけ。もう、あんなかつてあった恥ずかしいものは見なくて済む。だって東宝の劇場にバ〜ンとかかる大作ですら、あの独特の恥ずかしさとは切れてる。日本じゃメジャーの映画のほうが恥ずかしそうだもんね(笑)。まして今評判の高いSABUの撮るような非メジャー映画ならきっと寒さとは無縁だろう。もう恥ずかしい「ドライアイス」なんて永久に見なくて済みそうだ、と思っていたら…。

 気弱なサラリーマン堤真一が知人の葬式に出席した後で、酒を飲んで泥酔したのが運の尽き。翌朝目が覚めてみると、とんでもない騒動に巻き込まれていた…。

 これの予告編を僕は何度も何度も見ていたんだよね。そして、この予告編が実に傑作だった。喪服着た堤真一が酔っ払って無敵になっちゃった話であることは分る。なぜか銃を振り回してヤクザもタジタジ。なぜか松雪泰子が「いい女」ふうに登場して、二人で踊るシーンもある。かなり普段の弱気と酔ってからの大胆さがかなり落差あって面白そうなんだろうな…とすごくワクワク。何よりブラス隊がガンガン鳴ってるイキがよくて派手な音楽がいかしてる。予告編の編集のリズムもバッチリ。こりゃ〜相当面白そうだぞ〜。

 確かに開巻まもなくの葬式のエピソードはかなり笑えるし、いいテンポだ。バカバカしくてブラックな味もある。主人公の弱気さ、だけど間が悪いのか要領悪いのか、どんどん望んでない方向にいってしまうオカシサ。その後の展開を予想させる筋運びだ。

 その後、スナックで飲んでいるうちにヤクザの一団と遭遇して、無理やり飲まされて泥酔。なぜかヤクザに気に入られて連れて行かれたのはいいが、そこでひょんなことからヤクザを殺すハメになってしまう。後は泥酔して何がなんだか分からなくなっている主人公の意思をよそに、事態が雪だるま式に大げさになっていくのであるが…。

 これ見ててねぇ、途中まで俺はホントにニッコニコだったんだよね。こういう突飛なバカバカしいシュールなコメディって面白いじゃない。気弱な主人公が運命のいたずらでコワモテに大変身ってそれだけで楽しいじゃない。堤真一も頑張ってたしさ。思いきり楽しむつもりでいたんだよ。それがなぜ…。

 どんな奴かはともかく、無礼なアベックを銃で殺すあたりから、ちょっとシャレでなくなってくる。この映画、一体どうやってシュールなコメディとして決着つけるんだろうと、最初は興味しんしん、だんだん心配になってくる。主人公が泊り込んだホテルを警官隊が取り囲んだところで、主人公は目を覚まして酔いからも覚め、事態が飲み込めてくる。でも、もうどうにもならないんだよ。

 それでも、作者はきっとうまい決着を考えついているんだろうと思って見てたけど、どうもそんな僕の期待とはどんどん逆方向に行くんだよ。果ては警官が死んだりもする。失礼なアベックやヤクザは死んでも仕方ないかもしれないが、ここまで来るとホントに笑って済ませられない。あげく、警官隊に包囲されてヤケのヤンパチの堤真一、「みんな銃なんか捨てろ」とか言って感動を呼んだりするくだりになると寒くて寒くて仕方なくなった。何でいきなり唐突に「武器や武装に反対」なんてマジなメッセージが出てくるんだ。結局一瞬は主人公の説得が勝ったように見えたものの…。

 僕はバカバカしくてシュールでおかしい映画を見に行ったつもりだった。実際、前半まではそうだった。イヤ、終盤だって主人公が警官隊に取り囲まれたホテルで遺書を書くくだりは、明らかにバカバカしいコメディとしてつくられていた。それなのに、なぜ殺しまでいっちゃうの? 何で笑えないシリアスな話になっちゃうの? どうして武器反対みたいな、それまで毛ほども見せなかったとってつけたメッセージを言い出すの? 一体何なんだよこの後味の悪さはよぉ〜(怒)。

 第一、この主人公は本当は何も悪いことしていない。それがそのまま奈落の底に真っ逆様ってどういうこと? これじゃあこの映画、何が言いたいのか分からないよ。酒なんか飲むなってこと? 武器はいけないよなんて教訓、主人公とは何も関係ないじゃん。

 ちょうど同じ時期公開されたアメリカ映画に「鬼教師ミセス・ティングル」っていうのがあるんだよ。文字どおり鬼みたいな陰険教師ティングルに目を付けられて、奨学金もらっての大学進学が危うくなった高校生のヒロインと仲間たちが、先生を説得しようと自宅を訪問。そこでひょんな事から先生を監禁せざるを得なくなる話。これ明らかにバカバカしいコメディのつくりだけど、こんな事が実際に起こったら犯罪だよね。でも、映画はあくまでオカシくもノリノリで、最終的にかなり強引かつ力業ではあるんだけど誰も傷つけないかたちに落ち着くエンディングとなる。後味もさわやか。見ている間は、この状況でどうやってうまく終わらせるんだろうとハラハラしたけどね。だって、まんま終わったらハッピーエンドになるわけない。さもなきゃ先生を殺さなきゃならないだろうが、それでは観客の反発くらうだろう。だから、そのどちらにも行かずに見事ハッピーに終わらせるあたり、娯楽映画のプロとしての腕を感じさせるわけ。別に脚本の出来はすごく優れているわけではないんだろうけど、そういう落としどころの確かさだけはさすがなんだよ。

 「MONDAY」の設定ってとっても面白い。気弱な男が酒入って性格一変。とんでもないことをしでかすなんざ、楽しいじゃないか。悪い奴らをキリキリ舞いさせたりして。ところがそこまでは良かったんだけど、広げた大風呂敷をどう閉じていいか分からない。イケイケのバカバカしいお話だったのに落としどころが見つからない。せっかく話がシュールに舞い上がったのに、結局、日常とか常識とかの範疇から飛翔し切れない。やっぱりマジメなんだろうか? 否、おそらくロジカルなモノの考え方が苦手なんだよハッキリ言って。「ミセス・ティングル」に限らず、面白おかしい飛躍のある映画の脚本には論理的な組み立てが必要だ。だけど、それが日本人には一番難しいんじゃないだろうか?

 これはここですべてを語ると長くなりすぎるが、昔の自然主義文学などの伝統から見て、日本人が自分のイマジネーションを日常から飛躍させるのは至難の業だと思うよ。それは何も宇宙がロケットが…というようなことを持ち出せということじゃない。むしろそんなのは上辺の道具だてが変わっただけで、実は発想は地面からちっとも舞い上がっていない。むしろ大風呂敷広げるのは簡単なんだ。だけど、それを最終的にいかにまとめていくかという、ロジカルな計算とツメの部分が難しいんだよ。そして、そこが日本人は一番苦手だ。でもおそらく外国映画では、そのツメの部分が一番脚本の腕の見せどころなんではないか? 「ダイ・ハード」も「ディーバ」も「恋におちたシェイクスピア」も、そこの部分に最も力を注いでる。そして、それが話術というものなんだ。

 より良いフィクションというものは、現実にはありえない夢を観客に見せなければならない。泥酔して銃持ち出した男が、人も殺さず警官にも捕まらず射殺もされないで、でもシラフの時には出来なかった大胆なことが出来たら、それは極上のフィクションだろう?  しかし「MONDAY」はそれができなかった。そして物語をそのまま放置してしまった。泥酔して銃持ち出して暴れた男が、人殺して警官隊に捕えられたり射殺されたりするのは、ただの現実だ。誰でもそんなオチは言える。プロの専門家が創意工夫をこらして創ったものとは、残念ながら俺は認められないよ。

 あげく「武器反対」のメッセージを乗っけてるのも、何かこの空疎なオチの言い訳が欲しいからだろう。最後、警官隊が踏み込んできてテンヤワンヤになったところで、何か悪魔だか死神めいた連中が出てくるのも、実は行き当たりばったりなのに一見メッセージやテーマがあるように見せたいからだろう。その印象は、ドリフの「8時だヨ!全員集合」の前半部分のコントが終わって舞台がグルリと回り、ゲストの歌手の歌に切り替わるあたりの雰囲気に似ている。とにかくテンヤワンヤにしてしまって、何だかわからない得体の知れない状態のままゴマカして幕切れとするほうが楽だからだ。そして、この理屈が通らない、ロジカルな構成をとれないユルユルな脚本って、実はかつての僕が苦手にしていた日本映画の悪しき特徴じゃあなかったか? つまり「ドライアイス」だ。

 このSABUって監督、すごく優秀だと言われている人だけに僕は愕然となったよ。だって、この人の脚本はハッキリ言って三流だもの。僕が忌み嫌っていたかつての日本映画のような、理屈が通らないままゴマカして投げ出した脚本。それをこんな今の作家、それもメジャーの作品を手がける商業作家ではなく、マイナーな作家で見せられるハメになるなんて。ただし「MONDAY」予告編をつくった演出家は、今すぐ監督デビューさせたほうがいい。間違いなくSABUなんかより優秀な映画監督の素質があるからね。

 やっぱり「ドライアイス」はまだ溶けきってないのだろうか?

 

「五条霊戦記」

 僕はかつての黄金時代から引きずっていた「日本映画的なもの」の終焉を見届けたつもりで、「新しさ」に満ちた最近の作品に大いに期待を抱いていた。新しい感覚の作家が生まれやすいマイナーではなく、メジャーの映画づくりにすらすでにその片鱗が覗いているあたりが心強かった。そうしてすっかり気をよくしていた僕だが、なぜか「MONDAY」という予想もしなかった作品で、そうした過去の亡霊を見つけてしまったのに愕然としてしまったんだね。

 元々長年にわたって日本映画そのものに疑いの目を向け続けてきた僕だから、たちまち日本映画を見たいという欲求も萎えてきた。そんな時にたまたま見たのが「五条霊戦記」だったんだね。

 ここらへんはうちのサイト上にアップした「五条〜」感想文ともかなり重複してきちゃうんだけど、この作品賛否両論だったから実はあまり見る気がなかったんだよね。おまけに監督の石井聰互ってあまり好きじゃなかったし。それが知人のアドバイスもあり、用事でたまたま銀座に行って時間が空いた時に、思わず劇場に飛び込んだわけ。

 これがねぇ…圧倒されちゃったよね。カッコよくて。お話はかの有名な義経と弁慶のお話に、何だか超自然的なパワーとかをまぜてかき回した感じ。だが、見せ方がとにかくカッコいいのだ。そして抜群の音の良さ。僕はこんなに音を意識して映画を見たことはなかったよ。刀と刀がガンガンぶつかる火花散る音が間近に聞こえてくるんだよね。

 僕はこの時、「五条霊戦記」って外国映画の2本の作品と同時多発的に一括りの作品ではないかと感じたんだよね。その一本はアメリカの「マトリックス」、もう一本は中国の「グリーン・デスティニー」。いずれも、まずその見た目の「型」の美しさ、カッコよさで圧倒的に目を引く作品だよね。

 奇しくもこの3本、確かに新しさが売り物の作品だが、なぜかそのベースには制作国や作者のルーツに根ざしたお話が横たわっているのも面白い。アメリカの「マトリックス」は僕が見た当初には中味カラッポと思っていたが、その背後には聖書的なものが存在していたようだ(当サイト2000年秋の特集「映画を読む」収録、かのこさんの「聖書で映画を読みとろう」参照)。そしてアメリカ独自のポップな文化=コミックでコロモを付けた感じと言えばいいのか。他にも日本アニメ、テレビゲームなどの影響はあるだろうが、それぞれすべてポップカルチャーの要素として吸収されているのだろう。

 一方「グリーン・デスティニー」は中国伝統の剣戟が基礎にある。そこに剣戟映画の第一人者=故・キン・フー監督の映画が味付けだ。

 そしてわが「五条霊戦記」は、間違いなく脈々と受け継がれてきた日本映画の時代劇の記憶がベースにある。でなければ、これほど堂々たる安定感は生まれない。

 こうした伝統に根ざした要素を根本に持ちながら、見せ方は新しいのがこれら3本に共通する作戦なんだね。CGとワイヤーアクションの見事な融合とか見事なオーディオとか最新テクノロジーを導入することで、型の良さカッコよさで見る者を圧倒してしまう。言わばおなじみの要素や古い題材を、新たなスタイルで焼き直すその手つきが斬新なのだ。

 この映画、巷では浅野忠信と永瀬正敏の2大スター共演!なんて感じで売っていたが、実際のところこの2人はサイドに回っているんだよ。で、主役はと言うと、実は主要登場人物中第3の男=弁慶を演じる隆大介がそれなんだね。浅野・永瀬とは大分知名度の点で水を開けられている隆だが、この映画での存在感はまさに重量級。こうなってみると、かつて晩年の黒澤時代劇「影武者」「乱」を経験している強みなんだろうか。

 しかし石井聰互って人がここまでやるとは、僕は自分の不明を恥じたよ。この人は昨日今日出てきた人じゃないから、所謂かつての日本映画とはまるっきり断ち切れたところから出てきたわけじゃない。だが「五条〜」という作品に流れているものこそ、まごうことなき新しさじゃないかと僕は思う。

 しかも、この映画が訳のわからんマイナーな映画として「新しさ」を発散してるならまだしも、ちゃんと堂々たる娯楽映画の面白さを主張しているから驚く。このへんについては、前述の「マトリックス」「グリーン・デスティニー」とも共通する部分なんだね。

 それにしても、一昨年に「鮫肌男と桃尻女」をビデオで見た時は「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」「ラン・ローラ・ラン」「アムス・シベリア」などの当時の新しい感覚の映画の流れに、日本も何とか間に合ったという感があって感激だったよね。そしてこの「五条〜」と「マトリックス」「グリーン・デスティニー」との関連…そう。当然のことながら日本の娯楽映画も、世界の映画の潮流と歩調を合わせて動いている。そこが単に「面白い」「新しい」にとどまらない、最近の日本映画のアブラの乗り方やイキの良さなんだろうか。

 

 「ドライアイス」は溶けてしまったか?

 それは劇場のスクリーンで、あるいはご自宅のテレビ画面で、みなさん一人ひとりが確かめてください。

 

 

夫馬 信一(映画館主・F)

前回の好評から1年半。ようやく念願を果たすことが出来ました。これからは、秋の巨大特集に向けてラストスパートです。

DAY FOR NIGHT - SHINICHI FUMA'S Movie Fan Site

http://plaza.harmonix.ne.jp/~fuma/

 


 

 Japanese Films - Index

 "Whiteout"

 "Cross Fire" 

 "Satorare"

 "Party 7"

 "Brother"

 "Face"

 "Obahchan no Omoide"

 "Nabbie's Love"

 "Eureka"

 "Battle Royale"

 


 

 

 Cinema Toy Box

 

 Warehouse Index

  

 HOME