ファイナル・アンサー(笑)!

Final Cut ?

初公開版は不完全版なのか?


それでは最後にこの僕が、現在のディレクターズ・カット=完全版ブームの口火を切った作品について語りましょう。そして、その作品を語ると言うことは、ある意味で僕の個人的映画鑑賞史を振り返ることにもなるのです。そして僕はなぜ「完全版」に対してこれほどの猜疑心を抱くに至ったのか? スティーブン・スピルバーグ監督作品「未知との遭遇」とその「特別編」についての僕の話を聞いていただければ、みなさんにもいくらかはご理解いただけるかもしれません。

 

 「未知との遭遇/特別編」への苦い思い

 Bitter Memoirs for the Special Edition of

 "Close Encounters of the Third Kind"

 夫馬 信一

 by Shinichi Fuma

 

「未知との遭遇」とスピルバーグ

 人からもらったタダ券で見た「激突!」の鮮烈な印象は、今でも忘れがたいものがある。この時初めて知ったスティーブン・スピルバーグの名も、同時に僕の頭に強く焼き付けられた。その次の「続・激突!/カー・ジャック」はあいにく見逃したものの、続く「ジョーズ」の大ヒットで監督スピルバーグの名が世間に知れ渡るや、やっぱりあいつただ者ではなかったとの思いは改めて脳裏をよぎったんだね。

 今でこそスピルバーグの名など出そうものなら映画ファン連中からは嘲笑を浴びかねないけれど、当時スピルバーグと言えば、若手出世株の最右翼として大いにもてはやされたものだった。現在こんなに彼が軽視されるのも、あまり大ヒットばかり連発してハリウッドのメイン・ストリームを歩み続け、誰でも知ってるビッグネームになってしまったから。今ではタランティーノがそうなりつつあるね。これが低予算のサスペンス映画ばかりつくって渋谷の単館ロードショー館の常連監督ででもあったなら、今でもたぶん「凄い演出力」とか「映画を知り尽くしてる」とか賞賛を浴び続けただろうし、彼自身妙にシリアス路線を模索してスッキリしない作品を多作することもなかったろう。彼は元々映像の語り部として優秀なのだから、変なテーマ主義に陥ったらたちまち馬脚を現してしまう。単純・幼稚なのは当たり前なのだ。その点、引き合いに出しては申し訳ないが、思想性に乏しく本来が単純発想の黒澤明なんかと共通するところもある。

 映像で語りきろうと決意する時、その明快さ単純さは逆に貴重なはずなのにね。そして、彼があえて大衆映画の王道にこだわり続け、そこに居座ったことにこそ意味があるのだ。そういう面から彼を見ようとする映画ファンはいまだに誰もいないけど。

 ともあれそんな1977年のこと、「スター・ウォーズ」の空前の大ヒットと共にSF映画ブームが到来すると、「ジョーズ」で若手映画人の筆頭と目されることになったスピルバーグが、次回作としてUFOをテーマにしたSF映画を制作すると発表したんだからそりゃ期待もする。

 僕は元々SFファンだったから、とりわけ期待は大だった。しかも主演には「アメリカン・グラフィティ」で注目されたとっちゃん坊や顔のリチャード・ドレイファス、共演にフランスの映画作家フランソワ・トリュフォーときた! 僕は1976年秋に「アメリカの夜」でトリュフォー作品を初めて見て大いに感銘を受けていたし、同作で主役級の監督役を演じていたトリュフォーも見ていたから、いやが上にも期待は高まる一方。時は1978年春。僕は息せき切って劇場に駆けつけたんだよ。そしてノックアウトされた。

 実際、僕も今日に至るまで映画をずっと見続けているけれど、あんなに見るまで期待が高まり続けた作品もなかったし、また実際に見た作品が期待以上だったこともない。今のファンはもうあの巨大なマザー・シップの映像をイヤと言うほど見ているし、お話も知っているだろうから、この作品を見ても何の衝撃も受けやしないだろう。そういう意味で、今の映画ファンがスピルバーグ自身もこの作品のことも、極端に軽視する気持ちは分からないでもない。おまけに公開当時から、まるで安っぽい宗教的なエンディングなんていささか的はずれな批評が流布されて、しかもこの誤った評が定説として固定してしまった。イメージも手垢が付きまくっちゃったからね。ホントにお気の毒としか言いようがないよ。素直な目でこの作品を見ることが出来ない、最近の映画ファンたちには同情を禁じ得ない。

 もっとも実際この作品を映画として純粋に見たとき、こうした鮮度という点では衝撃性が減じてしまっているものの、今でも十分面白いはずだと僕は断言出来るよ。一度曇りのない目で作品を見直して欲しい。ピーターパン・コンプレックスだとかディズニー偏愛とかハリウッドの大成功者でマーチャンダイジングで大儲けとかドリームワークスの創設者だなんて、その後のマスコミや映画批評や情報に毒された映画ファンたちが積み重ねたイメージを一切排して見てみれば、そこには良質なアメリカ映画が本来持っている、いい意味での「見せ物性」が横溢しているはずだ。

 実際、僕が一番好きなスピルバーグ作品は?と問われれば、何と言っても「未知との遭遇」にとどめを刺す。

 それに、アメリカの若手映画作家で新たなハリウッド・エンターテインメントの作り手として注目されたスピルバーグと、フランスのシネフィル上がりの映画作家トリュフォーが、意外なところで結びついたのが嬉しかったんだね。何か自分と同じこと考えているんじゃないかと共感さえおぼえた。前述したように、僕が映画好きを自認するくせに一番気になる映画作家がスピルバーグだなんて言うと、決まって老若男女の映画ファンから遠慮なく侮蔑の視線を投げかけられることになる。でも、それはここまで書いてきたような事情を汲んでもらえなければ、到底分かってもらえないことなんだね。逆に僕が映画ファンをどこか信用のおけない存在としてイマイチ信じられない理由もここにある。映画なんて結局作品そのものと対峙しなければ意味がないのに、あまりにその前で物事決めてかかっている映画ファンが多すぎるからなんだね。

 このSF大作「未知との遭遇」を再び大ヒットさせたスピルバーグは、次にまたしても超大作の「1941」を発表する。ただ、これは今までの彼にしてはいささか畑違いのコメディで、お金もかかってニギヤカなのはいいけれど、見終わった後は祭りの後の寂しさというか、取り残されたような気分にさせられたのも事実だった。そんな頃だろうか、僕が「未知との遭遇/特別編」のプロジェクトの存在を知ったのは。

 スピルバーグが「未知〜」の仕上がりに満足していないという話は、公開直後からマスコミからも伝え聞いてはいた。実際、編集でかなりカットされた箇所があったとも聞く。その彼が「1941」制作中から、コロンビア映画より新たな資金を得て撮り足しを行い、自ら再編集をして「特別編」を完成させると言うのだ。初公開版でもあの素晴らしさなのだ。「特別編」は果たしてどれほど凄いのだろう? 「1941」で軽い失望をおぼえていた僕は、「特別編」に新たな希望を見出したわけだ。

 そして対面した「特別編」…。それは僕が「未知との遭遇」に初めて接した時の感激を、改めて思い出させてはくれたものの…。

 実はその後ビデオ発売された「未知との遭遇」もテレビ放映版も、現時点で「未知との遭遇」と言えばこの「特別編」しかこの世に存在していない。実は「特別編」完成時にスピルバーグが命じて初公開版のプリントをすべて廃棄処分にしたとのこと。「特別編」こそが彼のファイナル・カットというのだ。したがって現時点で初公開版を目にする術はどこにもない。

 そこで僕は今回の原稿を執筆するにあたって「特別編」のビデオを再見したが、残念ながら初公開版については自分の古い記憶を頼るとともに、「特別編」公開時のパンフレットを参照するにとどまった。非常に怪しげな文章になるのは致し方ないが、今のところこれしか手元に資料がないのでどうか勘弁していただきたい。今年中に発売予定される「未知との遭遇」DVDでは、何とか初公開版も収録されることを強く望みたいところだが、とにかく後は僕自身の記憶を頼りに両者を自分なりに検討していきたい。

 

「未知との遭遇」という映画

 ストーリーはみなさんご承知のことだろう。漆黒のスクリーンにタイトル・クレジット。静かに流れていたテーマ音楽が突然ジャーンと大音響で鳴るや、パッと画面は明るくなってビックリ。冒頭からきなり脅かしのケレン味たっぷりの演出だ。明るくなったとは言えグレー一色のスクリーン。そこに二つの光が現れ、「すわ UFOか?」と色めき立ってみると、実はグレーは砂漠の砂嵐、光は走る車のヘッドライトという、またまたのはぐらかしだ。最初からとにかくヤッテクレルのだ。

 こんな調子でいちいち紹介してたら日が暮れる。ここはメキシコの砂漠。われらがフランソワ・トリュフォーのUFO学者ラコーム率いる調査チームが、ひなびた寒村にやってくる。地元の老人いわく「昨夜、太陽がやって来て歌を歌った」 砂漠にはなぜか第2次大戦中の戦闘機。何だこれは?

 次がインディアナポリスの航空管制センター。突然モニターに現れた未確認飛行物体。いよいよかな?

 付近一帯では停電事故が発生。リチャード・ドレイファス扮する電気技師のロイ・ニアリーが、車で停電事故の復旧のため呼び出され、車であわてて飛び出していく。真夜中の道で地図を片手に場所を調べていたニアリーは、いきなりすさまじい光の渦に巻き込まれた。

 出た!

 あたりが静まってから上空を見上げると、巨大な飛行物体が飛んでいるではないか。ニアリーはいても立ってもいられず車で猛然と追いかけていく。あまりよく考える前に、ついカラダが動いてしまう森の石松的キャラクターのドレイファスが最初からハイ・テンションで本領発揮だ。

 一方、森の一軒家では寝静まって真っ暗なのに、いきなり電動のオモチャ類が動き出す。ケイリー・グッフィー扮するバリー坊やが眼を覚まし、つい嬉しくなって外に飛び出していく。でも独り身の寂しさを慰めてた母親ジリアン(メリンダ・ディロン)の大人のオモチャは動かなかったらしく、坊やが出かけたのも知らずグースカ。 UFOは電動のオモチャ類ったって何でも動かすわけじゃない。やっぱ童心に訴えてくるんだわな。それでもすぐに異変に気づいて、坊やを捜して外に飛び出す。

 UFOは一機じゃなくて何匹もいるみたいで、猛スピードでハイウェイを突っ走っていく。ニアリーもシャカリキになって追っていく。パトカーもあわてて追っていく。その場にはバリー坊やも母親のジリアンもやって来る。でも、ついにはみんなを振り切って、東の空へ飛んでいかぁ。

 おっと。こんなこと書いてたら、いつまで経っても終わらない。ニアリーはUFOで頭が一杯で、夢中になりすぎて変な山のイメージばかり考える。おかしくなっちゃったダンナに、嫁さんのテリー・ガーはついていけなくなっていく。バリー坊やも変な五音階が頭にこびりついてる。母親ジリアンはというと、ご多分にもれず例の山の絵をやたら描きまくってるんだね。一体どうしちゃったんだ?

 その頃ラコーム博士ご一行はインドへ。原っぱに大勢の人がいて、空から音が降ってきたと例の五音階の大合唱。イマドキならここでラジニカーントが出てきてみんなで歌ったり踊ったりなんだろうが、生憎とまだマサラ・ムービーのブームは起こっていなかった。

 ニアリーのUFOマイ・ブームは一向に冷めず、しまいにゃ会社をクビになるしまつ。ついに嫁さんはキレて、子供を連れて家を出ていった。ガックリ失意のその時も、ニアリーは家の中でどデカイ山の模型づくりに余念がない。するとテレビに例の山が映ってるではないか。何と付近で化学物質の流出事故が起きて、立ち入り禁止になったというのだ。ニアリーまたまた森の石松と化して、車を飛ばして現地にやってきた。もちろんジリアンもバリー連れて現地入り。

 何で山が立入禁止になったかというと、ラコーム博士たちが調べた結果、UFOの着陸地点がここだと割り出したから。で、ニアリーもジリアンもバリーもここでつかまってしまう。他にもやむにやまれぬ衝動でここへ来てしまった人間が多数いた。彼らは施設に閉じこめられて取り調べだ。

 ラコーム博士たちの調べで、彼らはUFOから招待されているのだと分かるが、そんなこと政府や軍の堅物どもに通じる道理もない。結局体よく追い返されるハメになるのだが、さすが森の石松の本領発揮で、ニアリーとジリアン母子はうまいこと逃げ出した。

 さあ、デビルズ・タワーと称するこのお山に登っていくと、向こう側にはでっかい着陸施設が建設されているではないか。そこにお待ちかねのUFOが次々登場。しかし、そんなのは序の口。トリを務めますはやっぱりこの人美空ひばり…ならぬ、大きさでは「インデペンデント・デイ」ほどではないが、あんなにイヤミじゃない大きさのUFO母船だ。

 さぁ、例の五音階で交信が始まった。やがて、母船が開いて降りてきたのは、例の第2次大戦時の戦闘機から行方不明になっていた人々。そしてドンジリに控けえしは、ひょろ〜っとひ弱なエイリアンだ。

 その時には学者や軍の連中に混じってちゃっかりその場に居合わせるニアリー森の石松。宇宙人だってねぇ、神田の生まれよ…でコミュニケーションもバッチリ。石松も混ぜなきゃダメだとラコームもここで頑張った。石松ったってガッツじゃないよ。

 やがて地球代表ってんでお上が選んだ面白くもおかしくもない連中に混じって、ニアリーも代表団の仲間入りだ。そうだよ、次郎長一家にゃあ石松が欠かせねえやと、思わずラコームもうれし泣き。くそっ泣いてなんかいねえや、これは眼が汗をかいてるんだよぉ。行ってくるぜぇ。達者でなぁ。

 デビルズ・タワーも今宵限りだぁ。可愛げのねえてめえたちとも別れ別れになる門出だぁ。

 UFOが鳴いて、東の空へ飛んでいかぁ…。

 

 と、まぁこんなとこが初公開版のあらすじ(笑)。こぼれ話をいくつか付け加えると、元々このお話を暖めていたスピルバーグは、最初は主役をジャック・ニコルソンに想定して構想を練っていたらしい。それを「ジョーズ」撮影中に聞いて出演熱望したリチャード・ドレイファスが、念願かなって主役に抜擢されたというのは有名な話だ。また脚本を当初書いていたのは「タクシー・ドライバー」などの脚本を書き、後年には「アメリカン・ジゴロ」等で監督に進出したポール・シュレイダーが執筆。ところが、というか案の定というか、UFOをめぐる政府の陰謀話になってしまったためスピルバーグが却下。結果的にシュレイダーが降りて、スピルバーグが自分で脚本を書くことになったわけ。

 

どこが「特別編」なのか?

 で、肝心の「特別編」との違いなんだけど、これが驚いたことにほとんど違いがない。もちろんハッキリ違う点はあるんだけど、お話的には変わったところはないんだよね。では、どこが変わったか?

 まず明確に追加されたシークエンスが二つ。メキシコやインドでUFOの調査が進んでいる場面が出てくるが、そこにもう一つ、ゴビ砂漠でのシーンが加わった。ここに巨大なタンカーがど〜んと置いてあるという場面なんだね。そこに調査隊がやってくる。

 そしてラスト間際、UFO母船内に入ったドレイファスが、がら〜んとどでかい母船内部を見て愕然とするという場面。

 実は追加場面はもう一つあって、最初の頃のUFO登場のくだりに、ガソリンスタンドの給油ホースが勝手に動き出したり、駐車場の車のヘッドライトが点灯したりといったショットがあったとか。ところがこの噂を耳にしたジョン・カーペンターが「ザ・フォッグ」の中でこれをパクって使い、「特別編」の公開がその後になったことからスピルバーグがこのショットの使用を断念したという話がまことしやかに伝わっている。だけど、これホントかねぇ?

 では、これらの追加場面が挿入されて、どう印象が変わったかというと…正直言って、あってもなくてもいい(笑)。物語の全体に何ら影響がないんだよ。それより僕にしてみればマイナス点のほうが多い。

 特にゴビ砂漠の場面では違和感が強い。追加撮影時にフランソワ・トリュフォーが参加出来なかったのか、参加を辞退したのかは知らないが、彼の代わりに助手役で出ていたボブ・バラバンが一人で頑張ってる。でも、ここだけトリュフォー出てこないのは何とも不自然なんだよね。

 ラストの母船内部だって、もう十分巨大感は伝わってるんだから、やらずもがな。むしろ見せてもらわなかったほうが、僕らの想像力が刺激されてよかったね。やりすぎなんだよ。

 で、細かいところが再編集されたりしてるみたいなんだけど、どうでもいいようなとこばっか。ドレイファスの家庭崩壊のくだりが割とつままれちゃってるみたいなんだけど、これは残して欲しかった気がする。

 というわけで、手間がかかった割に効果が全然出てない感じなんだよ。何だよこの「特別編」って?やらなかったほうがよかったんじゃないか。これは初めて見た時から今まで、僕が一貫して持っている印象だね。

 

「特別編」の背景にあるもの

 それにしても、スピルバーグにこの「特別編」をつくらせた背景には、一体いかなるものがあったのだろう? それは「ジョーズ」発表当時に立ち戻ってみなければなるまい。

 その後の資料などを見てみると、「ジョーズ」の舞台裏はかなり壮絶なものがあったようだ。「ウォーターワールド」の惨状を例に挙げるまでもなく、海での撮影というものはかなり困難を極める。天候や潮の流れは言うことをきかない。機械仕掛けのサメは故障を繰り返す。当然スケジュールも予算も大幅に狂いが生じ、当時大抜擢だが興業上の実績ゼロのスピルバーグにはいささか荷が重かったのかと、一時は監督降板もささやかれるほどだったとか。撮影済みフィルムも膨大な量になり、ここで編集の大ベテランであるヴァーナ・フィールズが登場。大ナタをふるってあのシャープでダイナミックな完成版が生まれたわけだ。

 言わば大ベテラン編集者の胸を借りて男にしてもらったスピルバーグだが、元々は8ミリ映画出身ですべてを一人でコントロールしてきただけに、この結果には大いに不満が残ったはずだ。いつか制作すべてをコントロールしたいという欲求はいやが上にもつのる。後年、彼が自分のプロダクションであるアンブリン・エンターテインメントのみならず、ついにはドリームワークスなる映画会社設立にまで突き進む原点は、たぶんここにこそあったのだろう。

 次なる大作「未知との遭遇」は、珍しや自らの脚本による作品(確か脚本を自分で書いたのは…少なくともクレジットされたのは、この作品だけのはず)。さぞや愛着もひとしおだったろうが、またしても予算とスケジュールに苦しめられる。「ジョーズ」の大ヒットを引っさげての作品とは言え、興業面で見ればまだ一発屋の身。プロデューサーには「スティング」でオスカー受賞の余韻もまだ生々しいフィリップス夫妻があたっているとなれば、彼との力関係は明らかだ。不本意ながらも彼らの条件をのまずには済まなかったのだろう。

 かくしてまたしても不満の残る仕上がりとなった「未知〜」だが、これが再び大ヒットして、ようやくスピルバーグは名実ともにヒットメイカーとしての地位を安定させたわけだ。こうして得たハリウッドでの高い地位を背景に、彼は「特別編」制作に着手する。

 しかし、実はこの時期のスピルバーグは完全にバランスを崩していた。「1941」のバカ騒ぎを見ればそれは明らかだ。たぶん元々構成力の弱い監督で、コンストラクションもあまり緻密に立てないタイプなのではないだろうか。その構成力の弱さは、後年の「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」あたりにも覗かせてはいる。そんな彼が作品の完全なコントロール権を確保した結果、「特別編」もまた、どことなく座りの悪い作品となってしまったのではないかと思われる。

 ハッキリ言って両者を比較した時、どう考えてもプロデューサーや映画会社、また編集者の判断が正しかったのではないかとの思いが強くなる。往々にして作り手というものは、作品にのめり込むあまりバランスが見えなくなるきらいがある。そういう時、冷静で距離を置いたプロの眼というものが、バカにならないこともあるのだ。映画マスコミなどでは、作家主義が尊重されるあまり監督の意図に沿わないカットや再編集を評価しないことがままある。より作者のプランに忠実にするほうが好ましい…という考え方が、昨今の完全版、ディレクターズ・カット・ブームの背景にはあるのだろう。そして、そうした完全版ブームのはしりに位置づけられるのが、この「未知との遭遇/完全版」なのだ。

 だがカットや再編集は、必ずしもプロデューサー・サイドがバカげた権力を振るいたがったためになされるものとは限らない。大体、苦労して撮ったカットや自慢のシークエンスなら、全体のバランス度外視で残したくもなるだろう。だから、カットが必然のことだってあるのだ。

 また、一旦公開してお客さんからお金を稼いだ後で、何度も金儲けするために生まれる「完全版」だってあるんじゃないか? ビデオ、DVD、テレビ、BSなどの二次使用が当たり前となった今日、こうした「完全版」の要請だって少なからずあるに違いない。

 大体いつまで経っても再編集を繰り返し、ファイナル・カットがなかなか作れない映画作家って一体何なのだ? こんな映画史上の名作をマナ板に乗せるとバチが当たりそうだが、かの有名なアベル・ガンスの「ナポレオン」の話なんかどう思う? 僕はテレビで部分的に見ただけで作品としては未見だし、映画史に残るこれほどの作品を引き合いに出すのも何だけど、何十年も何回にもわたって撮り足し再編集を繰り返したため、カットのたびにフィルムの画質が変わり、ナポレオンを演じる役者もコロコロ変わっていく。暴言とは知りつつも、あえてこう言いたい。そんなものを「作品」と言えるのだろうか?

 スピルバーグはワンマン・コントロールで映画をつくれるようになったが、そうして出来た「1941」は歯止めがきかない作品となってしまった。彼が復調の兆しを得るのは、ワンマン・コントロールで映画をつくるのではなく、改めて自分と拮抗するようなパワーを持つプロデューサーと出会った時。ジョージ・ルーカスと組んだ「レイダース/失われたアーク」がそれである。ここでのスピルバーグは昔の連続活劇のスピード感を得るため、大作監督のレッテル返上して早撮りと予算内での撮影を厳守することになった。そこには友人とは言え大プロデューサーでもある、ルーカスへの気配りもあったろう。とにかく、このスケジュール内予算内での制作という制約を自らに課したスピルバーグは、そのためにどうしてもコンストラクションを緻密に立てる必要に迫られたはずだ。これが結果的に彼に幸いした。彼の最も成功した作品「E.T.」はこの時の経験から、不必要な予算とスケジュールを組まずにコンパクトな制作規模でのぞみ、おそらくはきちんとしたコンストラクションを立てた結果生まれた。彼はこの時の失敗から何かを学んだんだろうね。悪しき「完全主義」の弊害も分かったのだろう。 それは時として映画作家のエゴでしかないこともあるのだ。

 ディレクターズ・カット…それは不本意ながら作者の望まぬかたちで生まれ出た作品を、もう一度原点に立ち返らせる有意義なチャンスではあると思う。だけど…だからこそ、そのチャンスを大事に使って欲しい。映画を見るお客さんにとっては、いつだって初めて見たバージョンこそがファイナル・カットなのだから。

 

 

参考資料:「未知との遭遇/特別編」初公開時パンフレット(1980年 コロムビア映画会社・発行)

 

なお、当サイトのゲストブックに書き込まれたノンマルト氏からの本特集批判と、それに対する私からの回答はここから飛べます。

ゲストブック上での批判に対する回答(夫馬 信一)

 

 

夫馬 信一(映画館主・F)

今年新春から暖めていたこの企画も、ようやく日の目を見ることが出来ました。この後も強力な企画が現在複数進行中。ぜひご期待ください。

DAY FOR NIGHT - SHINICHI FUMA'S Movie Fan Site

http://plaza.harmonix.ne.jp/~fuma/

 


 Final Cut ? - Index

 "Blade Runner"

 "Gone with the Wind"

 "The Godfather"

 "37.2 Le Matin"

 "The Big Blue"

 "A Brighter Summer Day"

 "The Exorcist"

 "The Abyss"

 "Heaven's Gate"

 


 

 Cinema Toy Box

 

 Warehouse Index

 

  

 HOME