プロジェクトF

「DAY FOR NIGHT」の三年間

Project F

Three Years of DAY FOR NIGHT


 

 わが映画感想ザンゲ録

 The Confessions of My Reviews

 夫馬 信一

 by Shinichi Fuma

 

 ここでは僕がこの3年間に「DAY FOR NIGHT」で発表してきた映画感想文に中での痛恨の文章のいくつかをご披露しようと思います。

 まぁ3年間もやっているといろいろボロも出る。筆力が足らず出来損ないになってしまったもの、あえて感想文を書くまでもないのについつい綴ってしまったもの、長い間にはいろいろありますよ、正直言って(笑)。ただ、そんなのを列挙していったらキリがありません。そこで、ここでは心ならずも曲げて書いてしまったもの、まるっきり誤って書いてしまったもの…実感をこめて自分に正直に書くなどと啖呵を切りながら、「ウソ」を書いたり滑って書いてしまったものを挙げていきたいと思うわけです。今だから語れる真相!というわけですね(笑)。

 

ライフ・イズ・ビューティフル(1999/05/09)

 これは「黄金週間・映画三昧」と題して、ゴールデンウィークに見た映画の感想を束にしてまとめたもの。この当時の僕の感想文はとても人にご披露できるシロモノでなかったし、ここではとにかく一本一本についての言及が短くて、とても感想とは言えない。そんな中でもこれはちょっと…ずっと気に病んでいて、出来ればかくしてしまいたいと思っていたのが、この映画についての部分です。

 ここで見るとイヤな予感がしただけど傑作だった…と書いていますよね。この映画自体、さまざまな映画祭でも評判になり、批評も良かったし当たった。監督主演のロベルト・ベニーニもオスカーをとったしね。映画の題材もナチのホロコーストを扱っていてご立派なもの。そこを子供のためにけなげな「ごっこ」遊びに徹して頑張るお父さんベニーニの姿で笑わせ泣かせようというもの。真面目な題材ですよ。これは文句のつけようがない。

 ところがここだけの話、僕はこの映画ノレなかったんですよ正直言って。まず前半のベニーニのアチャラカ芝居がやかましくてうるさくてイヤ。後半からは急にマジメになって本題に入るんだけど、ベニーニの子供のための「ごっこ」が、そんなことはいくら何でもないだろうという絵空事にしか思えなかった(笑)。

 でも、僕はさすがに世評の高いこの映画、誰も文句がつけようのないナチの蛮行を糾弾する映画を、ケナす勇気がなかったんでしょうね(笑)。あるいは見た直後は、「みんなも褒めてるんだし、きっとあれはいい映画なんだ」と自分を言い聞かせていたのかもしれない。かくして「イヤな予感がしてたけど傑作でした」なんてウソを書くハメになってしまった(笑)。

 話ちょっと変わるんですが、「はだしのゲン」ってマンガがあるのをみなさんはご存じですよね? 原爆投下された広島の惨状を、自身も被爆者のマンガ家がゲンという主人公に託して描いている、マジメなマンガです。世評も高く原爆や被爆者を描いた立派な作品ということになっている。誰もケチのつけようがないんですが、僕はこれとっても苦手なマンガだったんですね。

 大変申し訳ないけど、真面目な題材を取り扱っているということと、作品として質が高いということは違うと思うんですよ。で、僕はあのマンガ生理的にダメなんです。いや、別に被爆の状況の惨たらしさの描写がイヤとか言うんじゃない。あのマンガ家の絵のタッチがとってもイヤなんですね。主人公の絵柄なんかもどうしても好きになれない。ハッキリ言ってマンガとしてこれは致命的だと思っているんです。あれがいい作品だと思う人に考えを改めろとは言わないけど、僕はあの絵がイヤなんです。

 でも、僕と同じに感じている人も、被爆者が被爆体験を描いた志の高そうな作品をケナすことなんか出来ないと思われているんじゃないでしょうか? そういう事が言えないムードってあると思うんです。たぶん僕が「ライフ・イズ・ビューティフル」に感じていたのもそれなんでしょう。そこで無理やり「傑作だな〜」なんって言ってしまった(笑)。

 実際これに懲りて以後は心にもないことは極力書かないようにしているんですが、果たしてどうでしょう?

 

八月のクリスマス(1999/6/27)

 これまた世評の高い「八クリ」。韓国映画のわが国でのステータスを「シュリ」とともに上げた作品ですよね。僕の感想文を読むと、すごく泣ける映画として見に行って、いい映画だと思いながらも泣けなくて、こんなもんかと思ってカレー食いに行って、後から胸がじ〜んならぬ腹からじ〜ん…みたいなことを書いていたけど、これもウソなんです(笑)

 予告が泣きに泣かせる映画という感じで、同じアジア映画ということでは香港の「誰かがあなたを愛してる」とか「ラヴソング」があったし…というとこは、感想文に書いた通り。実はこの香港の二作はかなり泣かせるメロドラマ構成をとっていて、だからこれを期待したあたりから大間違いだったんですけどね。

 だから映画が開始しても淡々とするばかりで全然泣けない。ここも感想文通りです。見ていて「いい映画」だということは伝わるんですよ。でも、こっちが期待しているのは全然違うものでしょう? だからツラかったですよ正直言って。

 ここまでは感想文の書いていたことは正しいんですけど、最後がいけません。カレー屋でじ〜んとなんか来なかった(笑)。いい映画だったけど全然泣けなくてガッカリ…っていうのが正直な感想だったんですよ。だけど「いい映画」だったしみんなも「いい映画」だと言っている。俺は全然ノレなかったと言ってニブイ奴と思われるのが怖かったんでしょうね(笑)。それゆえ、あんな何を言ってるのか分からないことを書いてしまった(笑)。

 あれは一言、俺はガッカリしたでよかったんですよ。

 

マトリックス(1999/09/26)

 これのザンゲについてはいろいろなところで書いていて、代表的なのは「五条霊戦記」のイントロなんで、そこを読んでいただいてもいいです。

 でも、実は見た直後の感想としては、感想文に書いたことにウソはありませんでした(笑)。

 ホントにこれは愚作だと思ったんです。その一因として言い訳をさせていただければ、この映画の予告編があるんじゃないでしょうかね。代表的な見せ場であるビルのロビーでの大立ち回り。キアヌ・リーブスとキャリー・アン・モスが銃弾の雨あられの中、クルクル回りながら逃げまどい自動小銃をぶっ放して走る。壁や柱は粉みじんに吹っ飛ぶ、あの壮絶なシーン。そこに予告編では男声コーラスを主体にした荘厳とも言えるBGMを付けていたんです。これで僕のなかの「マトリックス」イメージは完成してしまった。

 ところが実際の作品にはハードロックみたいな今風のチャラチャラした音楽が付いていた。もうこの時点で僕はノレなかったんですね。

 そしてドラマがカラッポ、キアヌのキャラがカラッポというのも本音です。これじゃドラマとは言えないんじゃないか? 映像だけカッコよくても映画とは言えないだろう…と。

 ところが後になって新しい感覚の映画がどんどん出てきてみると、映像だけカッコよくてなぜ悪い?という問いかけに、僕自身が答えられなくなってきたんですね。確かになぜ悪いんだ?

 DVDになって出た「マトリックス」を部分的に散見すると、これが実にカッコいいんですよ。もう音楽による違和感もなくなっていた。そうすると、「これはこれでアリ」かもしれないと遅ればせながら思えるようになってきたんですね(笑)。

 そうなると、最初にこの作品を認めることが出来なかったのは、僕自身の感性の衰え、つまりは「老い」だったんだと思い知らされたわけです。今、僕が「ELECTRIC DRAGON 80000V」なんかを積極的に認めるのも、そういった理由があるからです。

 だけど、この映画が大ヒットしていた当時はツラかった。薄々、自分の感性が古びたことを感じながらも、一旦出した感想文は引っ込められない。しかも、これに共感してくれた方も少なからずいたんですよ。そういう人たちが、「まったくその通り!」とか「あんなの映画じゃない!」とか言ってくれてるのに、今さら僕が違うとは言えないじゃないですか(笑)

 ハッキリここでザンゲしますが、意味づけとかテーマとかのみで映画をとらえて解釈するのはいかにも古い。あまりに古くさい考えだったと認めざるを得ません。

 

マルコヴィッチの穴(2000/09/25)

 この映画の感想文、いつもと違うスタイルで書いていることにお気づきでしょう? だけど、いくら読んでも何が書きたいのか分からないですよね?

 僕も全然分からなかったんですよ。

 この映画の感想文が誰のも同じになるのは、確かに僕の予想通りでしたね。大体が「発想が斬新」とか「アイディアが素晴らしい」とか。だけど、この発想のこのアイディアの、どこがどう斬新で素晴らしいのか語らなければ、それは語ったことにならないんですよ。ハッキリ言ってみんな分からなかったに違いありません。でも感想書きながらそれは白状出来なかった。

 この映画について少なからず分かった、あるいは分かろうとした形跡があるのは、僕が知る限りでは「マダム・DEEPのシネマサロン」の大倉里司氏と「cubby hole」のかのこさんのみ。後はこう言っては申し訳ないけど、みんな分かったフリしてるけど分かってなかったと思うんです(笑)。

 で、僕も一番やっちゃいけないことをした。分からないとは言えなかったんです(笑)。

 まぁ、みんなもやってるから…とか言ったら辻元清美サンになっちゃうんで、言えませんけどね(笑)。

 ともかく分からなかったってのは文章を読めばそれば一目瞭然なんですよねぇ。これはホントにみっともなかったですよ(涙)。

 

ことの終わり(2000/11/06)

 この映画について後半の「神との契約」の概念を「渡世の義理」として書いた解釈は、実は違っていて当然の内容だったんですね。

 実は徹底的に無神論者である、あるいは神がもっと身近なところに宿っていて気安い間柄でもある日本人には、まったくピンと来ないのが当たり前。僕だっててんで分かってないんです。でも、それはそれでいいと思った。

 だから、何がどうあれ主人公たちの感情を分かってやろうと腹をくくって、「渡世の義理」とやったわけで、これは仕方ないことだと思っています。僕は「サクリファイス」を見た時もこれを思っていて、それは「ことの終わり」感想文でも披露していた通り。そのあたりには思い違いこそあれ「ウソ」はないんです。それを恥じてはいない。

 ただあの気品ある映画に対して、敷居を低くしようとするあまり下ネタの連発は確かにいただけなかった。それも、何とか市井の人々の話にしたかったあまり、同じ下ネタは下ネタでも卑しい下ネタに終始した。これはマズかったと思っているんです。

 僕は下ネタはちっとも悪いなんて思っていない。例えば僕はあまりやらないですが、「オマ×コ」なんて単語を出したところでどうってことないと思っているんです。だってこれはただの記号だからね。それだけのものでしかない。それでガタガタ言う奴の品性の方が低い。それは、なにか見る側が「いやらしさ」を内に宿らせているからガタガタ言いたくなるんでしょう?

 問題はそういう話題を持ち出す側、言葉を発する側の志にあるわけでして、ここに卑しさがあると言葉も紙面も汚くなるんですよ。

 で、残念ながらこの時の僕がまさにそれでした。「神との契約」なんて気取ったこと言ってないで、ハッキリさせようぜという気負いがあったのか、なかなかその概念を掌握しきれない焦りがそうさせたのか、とにかくテーマを手近に引きずり落とそうという無理な思いが裏目に出てしまった。それで紙面が(ここではコンピュータのディスプレイ上と言うべきでしょうが)汚れてしまった。これは今でも恥ずべきことだったと思っています。映画はとても素晴らしいものだっただけに残念なことをしました。

 僕がこれ以後下ネタを手控えるようになってきたのは、もちろん他の事情もあったんですが、この感想文が大きなきっかけになったんですね。

 

 実はいつもワンパターンの感想文を書いている僕ですが、時にちょっとスタイルを変えてみたいといろいろやってはいるんですよ。

 そうしたものの例としては無声映画弁士ふう白い花びら、落語ふう「奇人たちの晩餐会、テレビの「新婚さんいらっしゃい」ふうLIES/嘘などがあります。ちょっと映画のスタイルをまねて詩みたいにやってみようと無理をした花様年華とかダンス・オブ・ダスト、カントリーソングふうオー・ブラザー!なんかもありますね。

 でも、このうちまぁまぁ何とかなったのは「白い花びら」「ダンス・オブ・ダスト」くらいなもの。後は見るも無惨な出来映えだったと言えますね。やっぱりこういう実験は、実験でしかないのでしょうか? 自分の筆力不足を痛感します。

 

 こうして見ると最後にチラっと挙げた「花様年華」「ダンス・オブ・ダスト」「LIES/嘘」「オー・ブラザー!」などを除いては、2000年の感想文が挙がっていないとみなさんお気づきのことと思います。では、それら2000年以降の感想文については満足出来る出来映えなのか?

 いやいや、ザンゲするにも心構えや覚悟ってものがいります(笑)。自分がアホでしたなんて、みなさんだってそうそう素直には言えないでしょう?

 それらの失敗作については、あと何年か経ってもししかるべき機会が出来た時にでも、申しあげることになるでしょう。その時にはまた僕のザンゲにおつき合い願いたいと思います。

 

  


 

 

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