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F私撰・韓国映画の20本

F's Choice : 20 Korean Films


第一部 知られざる時代

「シバジ」

"Surrogate Woman"(1986)

監督:イム・グォンテク

出演:カン・スヨン、イ・グスン、ハン・ウンジン


 韓国映画の国際的評価の発端をどこと見るか…については、人によっていろいろと諸説あると思う。だがごく一般的に考えるならば、この作品を筆頭に挙げる人が多いのではないか? ベネチア映画祭で主演のカン・スヨンに女優賞をもたらしたこの作品こそが、韓国映画の質の高さの最初の証明になった事は間違いない。

 僕がここでこの映画を選んだのは、もちろん前述の理由による。だがそれだけではない。巨匠イム・グィンテクの作品を一つだけ挙げたかったが、「曼陀羅」(1981)、「キルソドム」(1985)、「風の丘を越えて/西便制」(1993)、太白山脈(1994)、「祝祭」(1996)、春香伝(2000)、さらに酔画仙(2004)…などなどなど、あまたある優れた作品の中からどれを選べばいいか迷ったということもある。ならば、最初に国際的に決定的評価を得たこの作品を挙げるのが妥当だろう。

 さらには、僕にはこの作品を挙げる理由がもう一つだけあった。

 元来韓国映画には、昔から延々と連なる女性受難劇の系譜があった。女性の地位が比較的低かったアジア諸国では、昔から女性受難劇が数多くつくられている。その中でも韓国は、厳格な儒教思想の伝統からか女性受難劇の名産地。とにかくイビりまくられイジメ抜かれて、虐待拷問強姦殺害…は当たり前。家の体面のために犠牲にされ、服従と忍耐を強いられるという物語が数多くつくられた。ホラー映画や恋愛映画、犯罪映画に時代劇…カタチを変え品を変え、とにかく女性受難の物語が大量生産されていた。そんな、現代の韓国映画からは想像の出来ない状況が続いていたのだ。

 だからこの手の作品からも代表選手を選ばねばならないところだが、正直言ってそれらは見ているのもツラい作品が多い。正視に耐えない凄惨なお話だったり、見た後でひたすら気が滅入るお話だったり、言いたい事は分かるのだが「だから何なのだ?」と言いたくなってしまうような後ろ向きの「恨み節」的なお話だったり…ちょっとよその人間としては付き合いかねるレベルの残酷劇だったりする。そしてありがちなパターンとしては、女性受難劇のコロモを着せたエロ映画だったりもするわけだ。こうなると、当初あったはずの真面目な意図も疑いたくなるシロモノなんだよね。

 で、とてもじゃないが「今の韓国映画」に慣れ親しんだ人たちに、この手の作品に付き合えというのも酷だろう。

 その点さすがにイム・グォンテクは、そんな女性受難劇をも見応えのあるレベルでガッチリつくっている。もちろん悲惨は悲惨だが、ある種の描く側の冷静さを失っていない。ベネチアでの評価はダテじゃないのだ。

 物語は子供が出来ない名家の跡取りの元に、「シバジ」と称する「貸し腹」の娘が連れてこられるところから始まる。驚くべきはこの「シバジ」はそういう血筋であって、「シバジ」の娘もまた「シバジ」となると決まっているらしい。かくしてまだ愛も恋も知らない若い娘が、「シバジ」としてこの名家へと連れて来られるのだ。そして、いきなり跡取り息子と夜のお勤めのお相手をさせられる。だが、完全に感情抜きでそんな事が出来るわけでもない。「シバジ」の娘はそんな夜を繰り返していくうちに男に愛を感じ、男もまた娘を憎からず思うようになっていく。そんな甲斐あって娘が妊娠すれば、今度は安産を願っての妙ちきりんな習わしの数々…。

 ハッキリ言って名家がてんやわんやで行う風習やら習わしの数々は、今の僕らにはまるでナンセンス・ギャグか何かにしか見えない。実はあまりに残酷でバカらしくてムチャクチャなので、一種のシュールな笑いの領域にまで到達してしまっている。冗談抜きで笑っちゃう人もいるんじゃないだろうか? 僕は見た人が笑っちゃったとしても、決して不思議ではないと思うよ。

 この映画の非凡な点はそこで、他の凡百の同ジャンルの作品は「悲惨さを嘆く」にとどまっていたのに対し、「シバジ」はシュールなナンセンスまでいってしまってる。もちろんコメディなどではないし、マジメもマジメ、大真面目で深刻な映画だ。だが無茶な状況を感情に溺れず冷徹に見据えた結果、ナンセンスさが思いっきり際だってくる。そのバカバカしさこそが、「既成概念を疑わずに受け入れる事の愚」を告発している。決して昔の人は無知でアホだったという話ではない。彼らは至って大まじめだ。ただ、それがバカらしい事だと気づかなかっただけだ。そんな事なら今の僕らにだっていくらでもあるだろう。そこを冷徹に突く事が出来たために、イム・グォンテクはあまたある女性受難劇とは一線を画する事ができたのだ。

 この「シバジ」は「単なる」女性受難劇にはとどまらぬ映画ではあるが、ある意味で女性受難劇のストレートど真ん中を狙った作品でもある。それらの作品が言いたかった事は、全部この映画にある。生まれたばかりの赤ん坊から無理無理引き離されるヒロインは、毎夜のお勤めで人間的な「情」が生まれたのにも関わらず、用がなくなると「道具」のように名家から放り出される。そんな彼女は、映画のラストで死を選んでしまうのだ。また、一方で男にはちゃんと妻もいるわけで、彼女は自分という者がありながら「シバジ」を呼ばれるという屈辱、そして夫が他の女を抱くという苦痛…に耐えなければならない。夫は夫でそんな愛する妻がいながら、連れてこられた「シバジ」を抱かねばならない。

 ともかく誰がどう見ても不条理な事が、「正しい事」として行われてしまう。ここではそんなもっともらしい「愚行」が徹底的に糾弾されるのだ。これ一本見れば、このジャンルの作品が言いたかったことは全部分かると言っていい。それは決して過去の話ではない。迷信も何もないはずの現代の我々も、飽きもせず同じ事をやっている。人間に共通する、今も変わらぬ愚行をこそ鋭く告発しているのだ。

 カン・スヨンはこの後で同じイム・グォンテク監督と組んで、世俗にまみれながらも仏の道を究めようとする若き尼の話「ハラギャティ」(1989)で、今度はモスクワ映画祭の主演女優賞を獲得する。飛ぶ鳥落とす勢いで一気に国際女優となった彼女だが、韓国映画全盛の今なぜかその活動が聞かれなくなったのは寂しい限りだ。

 


 

 

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