日本じゃ知られざるフレンチ・ニューウェーブの旗手。

エリック・ロシャン Eric Rochant

私のおすすめ作品/F. recommends:「愛さずにいられない」Un monde sans pitie (1989) 、「愛を止めないで」Aux yeux du monde (1990)

 (1999/11/21)


 私がエリック・ロシャンの長編映画デビュー作「愛さずにいられない」を初めて見たのは、1990年のこと。正直言って事前の情報も何もなし。時間が空いてて他に見るものがなかったので、六本木のシネヴィヴァンに出かけたというような記憶がある。だいたいタイトルがタイトルだもんねぇ。

 ところが見て思わずぶっ飛んだ。というか、そのカラッとした作風に引かれた。現代的で楽しくて、頭でっかちじゃない。

 だいたいフランス映画って一部の作品を除いて回りくどくて理屈が多くて、何が言いたいのかよくわからない作品が多い。これが恋愛映画だとなおさらで、彼らどうも恋愛の達人だと自分たちのことを思いこんでいるのか、どうも屁理屈が多すぎる。確かに「愛」のことについては、フランス人って一言も二言もあるようで、ついつい多弁になってしまうのもわからぬでもない。

 でも、例えば腕のいい料理人がついつい自慢話に花を咲かせるのはいいが、得てして食べる人に食べ方味わい方を強要したりして、あんな店二度と行きたくないと思われてしまうように、達人ってのはごたくが多くてせっかくの腕を台無しにしてしまうものなんですよね。だから、テレビの「料理の達人」とか出てくるような奴の店なんか食いに行かないほうがいいし、やはりテレビでツボとか掛け軸を見て「いい仕事してますねー」なんて言ってるような骨董屋には行きたくないですよね。ロクなことなさそうだから。

 フランス映画で言えば「真夜中の恋愛論」なんて映画があったけど、これなんかセックスしようとしてる男女が寝室で素っ裸になりながら、あーでもないこーでもないとベチャクチャ恋愛やセックスについて全編しゃべりまくる。なーにが「恋愛論」だよ。そんなのどーでもいいから、さっさとセックスしろっつーの。これがいかにバカな状況か、わからないフランス人はやっぱりどこかヘンなんじゃないか。

 何だか単純にスケベとかやりたいとかいう話なのに、無理矢理自分は高尚な話をしているのだと思いこもうとしているみたい。お互い素っ裸になってそりゃーないでしょう。その代わり、日本の女の子がこういうの喜ぶのもよーくわかるんだよね。偽善どおしでウマが合う。

 最近ではアルノー・デプレシャンという新鋭が「そして僕は恋をする」で、ベチャクチャしゃべりまくる恋愛映画をつくってたけど、私この監督もいいセンスしてるとは思うけど、何か頭でっかちだなーと思うんですよね。

 基本的に映画というのは映像が基本だし、感覚で見せるもの。もっとも「マトリックス」公開されたときに一部のファンが言ってたような、映像さえかっこよければドラマなんてどうでもいいというのには賛同できないけど。でも、やっぱりどっか迫力やリズムで見せるところが欲しい。そして、それは必ずしも船一隻を海に沈めるとか、CGやSFXとかでないと得られないものでもないんですよね。

 1980年代あたりから出てきたフランス映画の新鋭監督たちって、みんな多かれ少なかれ、このへんのとこを克服すべく出てきた人たちって気がする。いまや大家になったリュック・ベッソンも、衰弱したフランス娯楽映画にハリウッド的なパワーを注入して、注目を集めた。

 だけど、この人の場合は最初の頃こそ表だっては出てこなかったものの、だんだん幼稚で単純な発想が露わになるにつれて、ハリウッド臭も強くなりすぎで鼻持ちならなくなってきた。「フィフス・エレメント」なんて、その最たるもの。それなら純正ハリウッド映画を見たほうがいい。

 またはジャン・ジャック・ベネックス。「ディーバ」はハリウッド映画もかくやの迫力、スピードに加え、ヨーロッパ映画ならではの鮮やかな感覚もあって、この人でなければ出せない味があった。でも、「ベティ・ブルー」を発表した後が続かなかった。今でもこの人に期待はしてるけど、今のところどうも難しい感じだね。試行錯誤したまま年老いていっちゃった感じで。

 そんな中ではジャン=ジャック・アノーが堅実な映画づくりが続けてたみたいだけど、それでもチベットの映画にブラピを起用するとくればちょっと「?」だよね。

 その点、このエリック・ロシャンの「愛さずにいられない」(1989)は、一見屁理屈恋愛映画に陥りそうなところを、楽天的・魅力的なキャラを配し、乾いたタッチと小気味いいテンポで描いて口当たりも後味もさわやかな佳作になってる。お話は定職にもつかず気ままに生きる男イポリット・ジラルドと、キャリア指向のエリート女子大生ミレイユ・ペリエの恋愛をカラッと描いて痛快。ジラルドの相棒としておチビのイヴァン・アタルが出てきて、この二人の掛け合いがちょっと「傷だらけの天使」のショーケン&水谷豊ふうで楽しい。終盤近くペリエ嬢がアメリカ留学に行くシーンがあるように、どこかアメリカ(とともにアメリカ映画=ハリウッド)に対する愛情あふれる視線も感じさせる作品ではあった。やっぱり彼も、アメリカ指向なのかなぁ。

 でも、彼のアメリカ、ハリウッド指向ってのは、あくまで彼のフランス人としてのフィルターを一回通したものなんだね。だから洗練されてるし、付け焼き刃な感じがしない。

 次に来たのが、恋人に会いたくてスクールバスをバスジャックしたアホなアンチャンのお話「愛を止めないで」 (1990)。主役はイヴァン・アタルで、彼の愛すべきおチビぶりが生かされてて絶妙。はっきりいってアホなこの男が、観客にとっても人質にとっても愛すべき存在に見えてくる。私の中では、「狼たちの午後」で銀行に立てこもる強盗役アル・パチーノと、どこか地下の水脈でつながっているようなキャラクターだ。引率の先生役が、「イングリッシュ・ペイシェント」以来ハリウッドでもぐっと注目を集めだしたクリスティン・スコット・トーマスというのも、今となっては驚き。エンディングでアタルが警察に捕まってしまった後、スクールバスで帰路につく一同のどこかうつろな表情にスティービー・ワンダーの「フリー」という曲が流れるあたり、人と人との出会いの不思議さ、心のふれあいの不思議さを感じさせて、何とも言えない余韻がある。これを見てもわかる通り、ヨーロッパの新鋭監督がハリウッド映画の映像的なスペクタクル性の模倣に走るなか、アメリカ・ハリウッド映画のどこか陽性でダイナミックなハートの部分をヨーロッパに移植しようと試みていたのがロシャンって感じがする。

 でも、日本じゃロシャンって人、全然知られていないみたいなんだよね。こんなにすてきな映画撮る人なのに。娯楽映画見たい人は単純ハリウッド映画かベッソン映画、小難しいヨーロッパ映画見たい人はフランス映画社か何かが配給する難解な作品と、日本の映画ファンの指向はバックリ二つに分かれてしまうんだね。結局、映画そのものの魅力で対峙してないから。ハンドバッグやら服みたいにブランド志向と同じ。ロシャンはこうした二つの分類だと、その裂け目に落っこちてしまう存在なのだ。

 それを強く感じたのが3作目「哀しみのスパイ」 (1994)。イヴァン・アタルの平凡でどちらかと言えばサエない学生が、軽ーいバイト感覚でイスラエルのスパイの仕事を始める。このへんのさりげなさも凄い(ホントに日常の中にスパイがいるって感じなんだよね)。そのうち任務に協力している高級コールガールと心を通わせるようになるが、国際政治の世界は甘くないというお話。面白くて、でもさっき言ったようにアクション映画とはチト違い普通の生活のタッチもあって、そして切ないロマンス。でも、アートシアター系のお客さんは「スパイ」と聞いただけで引いちゃうだろう。やっぱりバカだなぁミニシアターの客って。案の定、上映していたシネヴィヴァンの場内は、土日というのにガラガラだった。日本の映画ファンって面白いとダメらしい。

 でも、これはロシャンとしてはたぶん最大の野心作だったんだろう。イスラエル、そしてついにアメリカ・ロケを敢行。小さい役ながらハリウッドのスターであるナンシー・アレン(「ミッドナイト・クロス」「殺しのドレス」「ロボコップ」)を起用するという、恐らくロシャン長年の夢をちょっぴり実現した作品だったはずだ。それでも映画が大スパイ・アクションにならず、切なくホロ苦い恋愛映画になっているのがフランス映画、ロシャン印のいいところ。

 さて次にはどんな展開が…と期待すると、4作目「アンナ・オズ」 (1996)はベニスを舞台にしたサスペンス・スリラーだという。ますます娯楽指向というか、娯楽映画のいろいろなジャンルを試そうとしているのか。

 しかも今回は、今まで全部脚本は自分で書いていたのに対して、ベテラン・ライターのジェラール・ブラッシュを起用しているのも注目できる。この人、ロマン・ポランスキー作品を中心にジャン=ジャック・アノー、アントニオーニなど、さまざまな巨匠とも仕事をした人。ポランスキーの「フランティック」のサスペンスフルな味を思い出せば、今回の起用の絶妙さがよくわかる。

 そして、主演には大スターに成長したシャルロット・ゲンズブール。彼女は「愛を止めないで」でゲスト出演したけど、ロシャン作品の本格的主演はこれが初めて。こりゃあ期待できるぞ。

 と言いながら、私は何となく不安を感じてはいた。今までずっとつきあってきたイポリット・ジラルドやイヴァン・アタルなどのレギュラー陣の名が、なぜかまったく見られないのだ。大丈夫かなぁ。

 お話はパリで住む平凡な女の子アンナ(ゲンズブール)が見る夢に、ベニスで謎めいた屋敷に住む別の自分が出てくるところから始まる。ところが、どんどん夢のほうがウエイトが大きくなっていって、どっちが夢か現実かわからなくなって…というもの。面白そうでしょ? だが、実はこの映画どんなふうになっていったか、私もうろ憶えなんです。結局何だかわからないまま劇場を後にしたんじゃないかな? 

 考えてみればロシャン映画の魅力って何かと言えば、それは明快さじゃないかと思うんですね。他のフランスのハリウッド・フォロワーたちがスペクタクルに目を奪われているうちに、彼はハリウッド映画の明快さに着目した。だから彼独自の魅力があったのに、今回アメリカ映画ふうのジャンルであるサスペンスを手がけるにあたって、不条理映画の作り手を起用してしまったのが運の尽き。一見ハマった起用だと思えたんだけど、ロシャンの持ち味である明快さを欠いてしまった。たぶんロシャンも何を撮ってるのかわからなくなってしまったんだと思う。

 それに加えてジラルド、アタルの出ていない全くの他流試合。よく野球やサッカーなどのスポーツでは、自分たちの野球ができてない、自分たちのサッカーができてないという言葉が使われ、大体そう言われるチームが負ける。ここでのロシャンも自分の映画ができてなかったのではないか。

 実はロシャンの日本公開作は現在のところこれが最後。その後、アタルを再び起用して「Vive la republique 」なる作品を手がけたようだが、完成したかどうかはわからない。どうなっちゃったんだろエリック・ロシャン。

 元々、あまり日本では語られることのなかった彼。このままでは完全に埋もれた存在になってしまうよね。私があえてここで話題にしたのも、そんな訳がある。

 ロシャンの映画をすべて上映してくれた、シネヴィヴァン六本木の閉館が間近の今だからこそ、彼にあえてスポットを当てたいと思います。

 

 

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