控えめな「いい人…」脱皮のボンド映画で“男”になれるか。

マイケル・エイプテッド Michael Apted

私のおすすめ作品/F. recommends:「アガサ/愛の失踪事件」Agatha (1979) 、「Oh!ベルーシ絶対絶命」Continental Divide (1981)

 (1999/05/16)


 突然ですが、みなさんはマイケル・エイプテッドという映画監督の名をご存じでしょうか? マイケルご本人には申し訳ないが、おそらくほとんどの方がごぞんじないのではないでしょうか? では、彼の監督した作品は? 残念ながらこれも一般の人には耳慣れないタイトルばかりかもしれません。良質な娯楽映画を作り続けてきながら、どうも今ひとつアクがないというか、どこか控えめな印象が災いしているのでしょうか。

 かつてファースト・アーティスツという映画会社があったことを憶えている人は、今ではあまり多くないのではないでしょうか。ファースト・アーティスツとは、当時のハリウッドのスーパースターたち、スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン、バーブラ・ストライザンド、シドニー・ポワチエらが、自分たちの満足できる映画をつくろうと旗揚げした会社。後にダスティン・ホフマンも参加、最初こそマックイーンの「ゲッタウェイ」、ニューマンの「ロイ・ビーン」など作品的にも興行的にも順調でしたが、その後、ワーナー・ブラザースが配給権を得る頃になると徐々に下降線を辿るようになり、いつしかそのウワサも聞かなくなってしまいました。マイケル・エイプテッド(長らく日本での彼の名前の表記はアプテッドだったが、ここでは最近の表記に合わせる。)の日本におけるデビュー作「アガサ/愛の失踪事件」(1979)は、そんなファースト・アーティスツの雲行きが怪しくなった頃、ダスティン・ホフマンの同社における2本目のプロジェクトとして製作されました。推理小説家アガサ・クリスティが数日間失踪していたという謎の事件の実話を基に、その失踪中何があったのかをフィクションで描く作品。夫の不貞に悩むクリスティ(ヴァネッサ・レッドグレーブ)が、自分の正体を隠して湯治場へ行く。世間がクリスティの失踪に大騒ぎになっているとき、偶然に彼女と出会い、彼女に接近するアメリカ人の新聞記者(ダスティン・ホフマン)…というこのお話、実はよく見ると、巧妙に元ネタが隠されてはいますがあの「ローマの休日」のバリエーションなのです。ホフマン扮する新聞記者が特ダネ目当てのクリスティに接近しながら、しだいに彼女に惹かれていき、最後自らの想いを胸に静かに身を引いていくあたり、これ意外や意外…の味わい深い作品。この1作で、エイプテッドの名は私の胸の中深く刻み込まれました。

 すると、彼の新作がすぐに私の前に登場しました。ジョン・ベルーシの死後に公開された主演作「Oh!ベルーシ絶体絶命」(1981)がそれです。シカゴの敏腕記者と山暮らしの鳥類学者、このミスマッチな男女が喧嘩しながら仲良くなっていって…という典型的ロマンティック・コメディ。当時、「スター・ウォーズ」シリーズ、後に「レイダース/失われたアーク」などで新進脚本家として売れ出していたローレンス・カスダンのシナリオを得て、なかなか快調。ベルーシもイメチェンをかけた作品だっただけに、彼の死は彼自身にとっても作品にとっても不幸な出来事でした。

 しかし、この作品よりもエイプテッドの名を高めたのは、カントリー歌手ロレッタ・リンの半生を映画化した「歌え!ロレッタ愛のために」(1980) ではないでしょうか。主演のシシー・スペイセクにアカデミー主演女優賞をもたらした作品でもあり、業界内でのエイプテッドの名を高めるのに大いに役立ったであろうと思われます。しかし、日本の我々にとってみれば、向こうの「美空ひばり」みたいな国民的歌手のお話なので全く馴染みがなく、シシー・スペイセクの演技の「どこが」名演なのかわからないという作品となり、正直言ってさほど印象に残らない作品となりました。

 この後は、ベストセラーのミステリ小説の映画化で、旧ソ連・モスクワでの殺人捜査を描く「ゴーリキー・パーク殺人事件」 (1983・未公開、テレビ放映のみ)。当時、東側へのロケは許可される訳もなく、アイスランドかどこかに再現されたモスクワや、ウィリアム・ハート演じるソ連の刑事がリアル。「家族の絆」(1984) は、女手ひとつで子供を育ててきた母親の新しい恋人が、家庭に入ってきたとたんに豹変して暴君となる話。お話としては、「クレイマー、クレイマー」や「普通の人々」など当時はやっていた家庭劇なのですが、暴れ出した男の描写などはまるでフレディやブギーマンみたいなホラー仕立てで、私などは困惑しつつもうれしくなったものです。続く「スティング/ブルー・タートルの夢」(1985) は限定公開だったので私は未見ですが、当時、初ソロ・アルバムを発表したスティングのコンサート・ツアーを描いた、エイプテッドとしては異色と思える音楽ドキュメンタリー。

 このように、エイプテッド作品はバラエティに富んでいると言えば聞こえがいいものの、実際は変幻自在ぶりばかりが目につく、作家の実態が全く見えない作品群という印象に終始しています。それは、エイプテッドが元々、英国のテレビ界の出身であることに起因しているのかもしれません。テレビで要求される小回りのきく機動力、なんでも屋的器用さ、手っ取り早いサービス精神…それらは、みなエイプテッド作品に見られる資質の一部です。また、テレビ時代にドキュメンタリーを多く手がけたということも、自分の作家性より素材の良さを優先するという作風に影響を与えているのかもしれません。良くも悪くも控えめな性格…それがエイプテッドの監督としての最大の特徴に他なりません。そこが、エイプテッド作品が私の心を引きつける原因の一つなのでしょう。

 しかし、かつての日本の社会ならいざ知らず、残念ながら控えめが美徳などということは今の世の中では全く売りになどなりません。しかも、彼が住んでいるのはエゴが渦巻くクリエイターの世界。彼の作品も、シガーニー・ウィーバーがアフリカでゴリラの研究に励む科学者に扮してオスカー候補になった、実話の映画化「愛は霧のかなたに」 (1988) を最後に、あまり人々の話題にのぼることがなくなってきました。その後、古巣のテレビ界に戻ったり、数多くの日本未公開作の合間をぬって「瞳が忘れない」 (1994) 、「ネル」 (1994) 「ボディ・バンク」 (1996) などの作品が公開されましたが、それらも極めて地味な扱いで忘れ去られていきました。

 映画誕生100年と騒がれた1995年、「世界映画の100年」と題して、各国の代表的映画作家が自国の映画の歴史をつづるTVドキュメンタリー作品を制作しました。わが国は大島 渚が、アメリカはマーティン・スコセッシが手がけたこのシリーズ、イギリス編は当時売り出し中のスティーブン・フリアーズが担当していました。そのテーマは、「ハリウッドに頭脳流出していくイギリス映画人」。フリアーズはハリウッドで活躍しているイギリス出身監督を呼んで、ミニ座談会を開きました。その時、「フェーム」「ザ・コミットメンツ」などで知られるアラン・パーカーとともにスタジオに呼ばれたのが、エイプテッドその人。私が、動く映像で彼を見た最初の瞬間でした。そこでのエイプテッドは、常に独立独歩の反骨のイギリス映画人ケン・ローチを褒め称えながら、「それにひきかえ俺たちなんか…」というように自嘲気味に発言しているのが印象的でした。その表情には、職人として何でもこなしながら、良心的な作品を生み出そうと苦闘してきた、彼の疲れがかいま見えた気がしました。

 1999年、ピアース・ブロスナンを迎えて3作目となるジェームズ・ボンド・シリーズ最新作の発表が行われました。そのタイトルは"The World is Not Enough"。その相手役にソフィー・マルソーが決まったとか、悪役が売れっ子のロバート・カーライルだとかなんてことより私の関心を集めたのが、監督としてのエイプテッドの起用でした。かつては御用監督を起用したり、身内のスタッフを昇格させたりでまかなってきたボンド・シリーズの監督ですが、前作「トゥモロー・ネバー・ダイ」ではすでに実績のあるロジャー・スポッティスウッドを起用して大成功。その好評を受けてのエイプテッド起用となった訳です。

 本来なら映画作家として明らかに後退といえるボンド映画への起用ですが、エイプテッドにとってはこれは新たな挑戦ととるべきなんじゃないかと私は思います。控えめで誠実な彼の人柄や作品、それは好感を持てる個性ではありましたが、強烈さやケレン味、明確なアピールに欠けているという弱点にもつながりました。エイプテッドもここでそろそろ勝負の時。もう充分、「いい人」は務めてきました。華やかな表舞台に飛び出してもいい頃でしょう。

 頑張れ!マイケル・エイプテッド!! 彼が監督する新しいボンド映画が、シリーズに新風を吹き込む快作であることを、私は心秘かに願っているのです。

 

 

 

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