アスコット競馬場訪問記-3      2006/11/21


パドックは南向きなので、日が当たって、少し、暖かい。
スタンドの日陰になるトラック側よりはましだ。
パドックはここも日本と違って順番にでてくるわけでもなく、ほとんど姿を見せない馬もいる。
目立つのは、馬を引いているのが、ほとんど若い女性であることだ。
生き物の世話をするという面では、女性の方が向いているということなのだろうか。
レースによっては全員が女性の時もあった。
2人引きはなく、1人で引いている。
馬がいなくなると、10分後には出走と電光掲示板にでる。
とにかく、パドックから出走までの時間が短い。
しかし、ブックメーカーで単勝を買うだけにしたので、それでも時間は充分あった。
スタートはトラックの向こう側でかなり遠く、
しかもターフビジョンも小さくてよく見えないので
スタートしたとわかるには放送の声が頼りだ。
私の買った馬、1番の長老11歳馬!の6番See You Sometimeは途中で落馬。
当たらないにしろ、馬券を買ってみると、やはり面白い。
結局、次のレースも参加。

第5レース。
わたしは5番のKeepers Mead(9倍)
ヒシミワクルは11番のPotts of Magicの単勝(8倍)を買う。
7番Asudoが圧倒的な1番人気、オッズは忘れたが、2倍以下だったと思う。
障害は長距離レースだが、このレースはこの日の最長のトラック約2周
3マイル1ファロン(5000m)。
とにかく長いのだ。
1周目も2周目もそれほど飛ばさず、ゆっくり走っているように見える。
それでも遅れる馬はいて、勝負にならない馬も一緒に走っているようだ。

ラスト直線の前の、最後から2番目の障害前後からややペースがあがって、
そのとき突然、通常のレースのように、勢いよく走り出した馬がいた。
これまでの障害レースの中では見たことのない勢いだ。
しかし、とにかく、肉眼でもターフビジョンでもよく見えないので、
帽子の色と勝負服をしっかり覚えていないといけないのだが、
日本のように、枠によって帽子の色が決まっているわけではない。
どの馬なのかよくわからなかったのだが、放送で馬の名前を呼ぶので、
先頭3頭くらいの中に、1番人気のAudoとヒシミワクルのPotts of Magicが
入っているらしいことはわかった。
直線の最後の障害を他の馬とは違う勢いで飛び越して、先頭に躍り出た馬が見えた。
よくはわからないのだが、放送の中で、Potts of Magicが呼ばれる頻度が上がっている。
どうも、ヒシミワクルが買った馬が先頭らしい。
結局、かなりの差をつけて、Potts of Magicが勝ち、2着がAudo。
しっかり、勝ち馬を当てたヒシミワクルは寒さも忘れてご機嫌になる。

わたしは1回くらいは当てたいと、もう1レース。
次は5頭立てのハンディキャップレース。
1番が1番人気で、2番が2番人気、5番が3番人気で2−3倍台の配当。
ハンディは1番の馬が一番重く、次が2番、一番軽いのが5番だった。
最初は5番の馬がよく見えたのだが、途中で1番の馬もよく見えだした。
しかし、5頭立てで、2頭選ぶわけにもいかないので、結局5番Fill The Bunkerの単勝を購入。
馬券を買ってから、ブックメーカーのオッズの動きを見ていると、
5番のオッズが少しずつ下がりだして、場所によっては1番人気にまでなった。

レースは1周目の前半で1頭が落馬。これが2番。
私の5番はほぼ先頭外側の位置で、内側に1番。
なかなかいいレースになりそうだと思ったのだが、
1周目の4コーナーを回ったところの障害で、その5番が落馬。
一周目の直線で、すでに私のレースは終わり、そのまま、帰り支度をしてスタンド内に戻る。
帰る前にもう一度コースに目をやると、まだレースがおわっていない。
結局、1番の馬が大差をつけて、楽勝。
最後の直線の障害は止まりそうなゆっくりした跳び方でクリアし、
ほんとうにゆっくりとゴールイン。

3レースで、当然勝ち馬は3頭だが、落馬も3頭。
そのうちの2頭を選ぶとは、なんという眼力だろうとわれながら、あきれてしまった。
イギリスの障害レースが落馬する馬をあてるんだったらよかったのにね
さんざんイヤミを言われた。

次回は、Premierを経験したいとヒシミワクル。
しかし、Royal Ascotでは、全体の入場料が上がって、もう一段下のランクの入場券もできるらしい。
Premierでは、ジャケット、タイ着用の男性の方はごまかせるが、
女性の方が大変なのではないだろうか。
今回のような普通の競馬の日に来て、4階にあがったとしても、
食事をするために1階まで降りてくることになりそうだが、
それもいい経験なのかもしれない。


     アスコット競馬場訪問記-2      2006/11/20

General Admissionで入ることができるのは、スタンドの1階の一部だけだ。
1階の観覧席の半分くらいの場所には、Premier Admissionでないと入れない。
PremierとGeneral Admissionの間に柵があり、その柵がコースまで続いているため、
Premierの前に広がる芝生の部分にも入れない。

ブックメーカーはGeneral Admission側にだけ出ている。
スタンドでは日本のように、マークシートで馬券を買うこともできる。
パンフレットを見ると、 Win(単勝), Place(複勝), Exacta(馬単), Trifecta(3連複)などがある。
それぞれの馬券で異なるマークシートを使う。
おもしろいことに、パンフレットではあることになっているWinのマークシートがどこにもない。
Bookmakerのために、わざとなくしているようだ。

スタンドは立派な5階建てなのだが、Premier Admissionでも入れるのは4階と1階のみだ。
残りの部分は一般客は入れない。
2,3階などにもレストランがあることになっているが、馬主やメンバー専用らしい。
Premierの客は、専用のバッジをくれるのだが、それがないと4階にはあがれない。
エスカレーターの乗り口でチェックをしている。
エスカレーターはPremier用の4階直通のものと、馬主、メンバー用の2階、3階にいくものがある。
エスカレーターで上がって降りるだけということさえもできない。
そこらへんだけは厳密にやっている。
4階のPremierのレストランは高級らしく、ランチのコースが30ポンド台から、
アフタヌーンティーは15ポンドくらいというのをなにかで見た。
一階はレストランと呼べるところはなく、着席して注文をとるような場所はない。
カフェというべきか、あるいはマクドナルド風というべきか、フードコートの自由席風だ。
改装したばかりなのできれいだが、値段は高くて、あまりおいしくなさそう。
しかし、Premierの客でも、一階に下りてきて食べている人が結構いる。

私達の前で、カシミアの立派なコートを着たPremierの初老の上品な夫婦が
中華のテイクアウトのような容器に入ったヌードルのようなものを食べている。
女性は黒い帽子・革の手袋・黒のカシミアのロングコートに黒いブーツで
ニコンの双眼鏡を胸にさげ、男性はグレーの帽子でロングコートの中はスーツだった。
彼らがプラスチックのフォークを使ってテイクアウトの食事をする様子は
こんな席には全くのミスマッチで、なんとも優雅で上品だった。

私たちのとなりには、夫婦、子供2人のファミリーがいて、お父さんが大きく馬券を当てたらしく、
上機嫌でテーブルにシャンパンを1本あけて飲んでいる。
お父さんは札束をもってあたりにもみせびらかしながら、奥さんや子供にお小遣いだといって渡しているのだが、
お父さん以外はしらけきっていて、特に小さい方の男の子がすっかりいじけているようすで涙さえうかべている。
ぼおっと彼らの方を見ていた私たちにその上機嫌の矛先がむけられ、私たちが座っているテーブルにやってきて、
香港のハッピーバレーがなんだかんだといわれたのだが、彼がなにをいいたかったのか、結局わからなかったし、
お小遣いももらえなかった。
私たちは、列車の中で軽く食事を済ませたのだが、何かもっと食べようかと考えながら、
周りの人の様子を見ているうちに、第3レースのGrade 2のレースが終わってしまった。

イギリスの競馬場は、基本的には一般客を相手にしていないような作りになっているようだ。
上流階級のお遊びのためのものと言われれば、納得できそう。
日本の大衆競馬とはだいぶん雰囲気が違う。
入場料も非常に高額だ。出走馬の載っているパンフレットは2ポンド50もする。
この国は海外にバケーションにいく人がかなりいて、研究所の学生でも、パリ、モロッコ、
トルコなど、いろいろ遊びに行くのだが、値段を聞くと、日本では考えられないほど安い。
つい最近、パリに学生が遊びに行ったのだが、安いチケットでEurostarで往復40ポンドだそうだ。
トルコは80ポンドくらいといっていた。
そういう類の安いチケットを使って、どんどん海外に遊びに行っている。
そういう中では、競馬の入場料は非常に高いといっていいと思う。

この日はほとんど快晴で天気はよいのだが、寒くて、スタンドの中にいても暖まらない。
もう雰囲気はわかったから帰ろうかと思ったが、とにかく、一度はパドックとレースを
見てからにしようと思い、パドックに馬を見に行った。


     アスコット競馬場訪問記-1      2006/11/19



マイルCCの前日に、アスコット競馬場に行った。
ヨーロッパの競馬シーズンは終わっているようだが、
それでも、毎週イギリスのどこかで競馬はやっているようで、
先々週はBBCでレースを放送していた。
わたしがBBCで見たのは障害レースで、日本と較べると
かなりいいかげんなレースのやり方で、面白かった。
スタートがいいかげんなのだ。
ゲートはない。
スタート地点に綱を張っているのだが、
綱が除かれた後、ゆっくりとスタート地点と思われる方向に向けて集団で走っていく。
そしてそのまま、走り続ける。
つまり、いつのまにかレースが始まっているのだ。
障害自体もそれほどたいしたものはなく、馬の脚があたると、
倒れるタイプのものが多く使われていて、そのタイプを飛び越す場合は
障害をなぎ倒していく感じになる。

TVを見ているうちにイギリスの競馬も見て帰るべきかとネットで調べると、
2週後にアスコットで障害レースをやっているとのことだったので、
今年の春に改装が終わったらしいアスコット競馬場がどんなものか、
見ておくことにした。
ハーツクライが今年、惜しくも3着に負けたレース、
King George VI & Queen Elizabeth Diamond Stakesの競馬場で、
7月のそのレースの日はこちらではRoyal Ascotと呼ぶらしい。**
http://www.ascot.co.uk/

**これはまちがいでした。King George Dayというのだそうです。
Royal Ascotは6月の4日間で25万人が集まる、競馬界、社交界のお祭りで、
王室主催のレースが行われる期間のことを指すようです。

アスコットまで、ロンドンのWaterloo駅から約50分。
アスコットの駅から徒歩約10分、上り坂の、森の中の散歩道のようなところを抜けると、道路に出て、その向こうが競馬場だった。
確か、第1レースが12時半くらいからで、第2レースのパドックの時間くらいに到着。
Premier Admission (20ポンド)とGeneral Admission(14ポンド)があり、

庶民の私達はGeneral Admissionを選んだ。



入場して、すぐに、きれいなスタンドが見えて、しばらくその方向に歩くと、パドックが左手に見えてきた。
半すり鉢状のパドックで、スタンドの3階、4階?からもせり出しに座って見れるようになっている。
スタンドに入って、そのまま、馬場の方に抜けると、座席があり、そこを降りると、ブックメーカーの立ち売りが並んでいる。
その向こうがコース前の芝生で、馬場内には小さな、日本と較べると本当に小さなターフビジョン。

ブックメーカーの立ち売りというのは、立て看板くらいの幅のオッズ表示板があり、出走馬の馬番と単勝オッズがでている。
ほとんどの店のオッズは電光掲示板になっているが、手書きのところもある。
1 5:1となっていると、1番の馬の単勝が5倍ということになる。
店の人がだいたい2人いて、ペアで仕事をしている。
1人は踏み台の上に立っていて、注文を受ける役だ。
例えば、客が1,2poundsなどというと、1番の単勝を2ポンド買うことになり、その注文を受けて、現金をもらって、注文を繰り返す。
その声を受けて、もう1人がレジスターのようなもので打ち出す。
そして、当たった場合の金額を書いた、コンビニのレジのレシートのようなものをくれるのだ。
そのレシートに1番上にきく表示されているのは、ブックメーカーの名前だ。
当たってもそこに持っていかないと、換金できない。
賭は単勝だけのようで、最低のbetが2 poundsのところと5 poundsのところがある。
そういうブックメーカーが10軒くらいでていて、それぞれ微妙にオッズが異なる。
一番オッズのよいところから買えばよい。
そのオッズも見ているうちに、少しずつ変わってくる。
売れ具合によって、下がったり、上がったりするようだ。
1軒だけ、レースが始まってもしばらく(20秒くらい?)売り続けている店があり、そこは傘をオッズ表示板の上に立てている。
傘がたたまれると、おしまいという具合だ。

 
 
     凱旋門賞後のディープインパクト      2006/10/10 (Tue)

ディープインパクト、天皇賞参戦か?というばかばかしい記事に
けんじぃ同様、大きな怒りを感じる。

ディープインパクトは、一馬主の一存でどうにでもできるような馬ではない。
天上世界から日本競馬界にプレゼントされたような馬で、二度と見られない、
すくなくとも私達が生きているうちには見ることのできないような馬だ。

私の好きな「オーラの泉」のようないい方をすると、
金子オーナーの人生はディープインパクトのオーナーになって、
彼の全能力を発揮できるように全力を尽くすためにあるのであって、
ディープインパクトで金儲けをするためにあるのではないはずだ。
もし、金が儲かるようなことが起これば、それは全力を尽くしたことに対する、
天からのご褒美ということだ。

多くの人の願いは、もう一度、ディープが凱旋門賞に挑戦して、
全力を出し切ったレースを見ることにあるはずだ。
そのために、馬のためにもっとも良い方法をとってほしいと思う。
天皇賞挑戦なんぞは論外だ。
日本でこれからいくら勝っても彼の評価は変わりはしないし、
多くの人の夢が叶わないまま残るだけだ。
多くの良識のある競馬ファンの思いが伝わることを願っている。

     凱旋門賞観戦記       2006/10/01 (Sun) 


外国にいるとなにかと思うようにいかないことが多い。
私はイギリスに来てから、もう一月以上経つのに、もらえる約束の生活費の補助がまだもらえないし、自宅からインターネットにアクセスできない。
一つの原因ではなく、いろいろなことが重なってそういう事態に陥っている。
日本にいればなんの障害もなくスムーズに進むことが、外国にいると思うようにいかないという状況をいかに乗り越えていくかということが外国にいるときの試練でもあるし、また、その経験を通して見えてくるものも多い。

ディープインパクトの敗因は一つではなく、いろいろな要素が重なったものというのが私の感想だ。
ローテーション、馬場の違い、負担重量、レースの展開、圧倒的な一番人気になった異常事態、これらの要素の複合的な作用が3着という残念な結果をもたらしたのだと思う。

能力は明らかに高い。
しかし、その能力を100%発揮するのでなければ、awayで世界一決定戦のようなレースを勝つことは難しい。
そのことを確認できたことは、ディープインパクトの陣営や、日本の他の競馬関係者にとって、マイナスにはならないだろうと思う。

ローテーション:
ディープは6月の宝塚記念以来のレースになるが、3ヶ月以上のレース間隔を開けて勝った凱旋門賞馬はいない。
ハーツクライのキングジョージのときも一度使っていたらと言う騎手のコメントがあったが、他の馬に比べて、不利であることは間違いない。
では、どうすればよかったのかというとかなり難しい。
一番良いのは、エルコンドルパサーの時のように、フランスに長く滞在して、レースを使いながら、準備していくことだろう。
その場合はフランスの厩舎に預けなければいけないので、今回のように日本チームで、ということはできない。

馬場の違い:
なぜ、長く滞在して準備した方がよいのかというと、馬場の違いがかなり大きいことにある。
ロンシャン競馬場ではカメラマンやTVクルーがターフ内に入って撮影することが許可されていて、彼らがレース終了後カメラなどの機材を抱えて芝の上を走っていたが、芝が長く、靴がのめり込みそうに見える、かなり重そうな馬場だ。
このような馬場を走る場合、軽い日本の芝と同じ走り方でよいかというとそうではないようだ。
馬場の状態にあった走り方をマスターするのに、しばらく時間がかかり、使う筋肉も違ってくるらしい。
3−4ヶ月は必要というのをどこかで読んだ気がする。
ディープが2ヶ月前からフランスに行って、準備をしていたのは、日本チームで挑むなら、最善に近い方法をとっていたといってもよいのかもしれない。

負担重量:
59.5kgというのは、ディープにとってこれまでの最高負担重量だと思う。
58kgを超えてからの負担重量は馬の直線の伸びに確実にマイナス要素として効いてくるらしい。
0.5-1.0kgで1-2馬身くらいの違いがあるというのを聞いたことがあるが、軽量のディープには大型馬よりも負担になるはずだ。
勝った三歳馬のレイルリンクの負担重量が56kgで4歳馬とはかなりの差がある。
これが原因で、凱旋門賞は3歳の勝ち馬が多い。

レースの展開:
最後にゲート入りしたディープだったが、入った途端にスタートし、これまでになく良いスタートで2番手になってしまったのは誤算だろう。
いつもと違う展開で、最後の直線ですぐに先頭に立つことになってしまったが、3コーナーから4コーナーにかけてのいきっぷりがいつものディープとは違って見えた。
あのまま押し切るほどの力の差はなかったということだろう。
イギリスの新聞のスポーツ欄には、直線残り500mで5−6番手なら日本のsuperstarのDeep Impactに勝つチャンスがあるだろうと書いてあったが、今回の展開はエルコンドルパサーの時を思い出させるもので、レースを見ながら、不安を感じてしまった。

圧倒的な一番人気という異常事態:
ロンシャンのターフビジョンで武豊が到着してからの様子を写していたが、堂々としていて、何の不安も感じさせないものだった。
ところがパドックでディープに乗ろうとするところや、本場馬に入るときの武豊の表情にはかなりの堅さがあり、不安を感じさせるものに変わっていた。
彼のコメントを聞いていないので本当のところはわからないのだが、圧倒的な一番人気という明らかに異常な状態に一因があるのではないかと思う。
このような異常な状態を作り出した原因の大部分はJRAにあるのではないかと思う。
挑戦者であるはずのディープがなぜか、Defending Championかのようなオッズをとっているのは、異常な日本の盛り上がりを演出したJRAの責任が大きいように思う。
本当の競馬関係者は、ディープの挑戦が簡単なものではないことは十二分にわかっていて、それでもディープなら、そのハンディキャップを乗り越えてくれるのではないかという期待をもって応援していたはずだ。
武のそれまでのコメントからもそういうニュアンスが感じられるはずだ。

今年は日仏友好??年にあたるのか、ロンシャンでもしきりに日本についてコメントされ、日本人の応援の姿が映っていたが、日本人向けの馬券サービスや、日本語での場内アナウンスは、フランス側の賛成あるいは提案があったのかもしれないが、やりすぎだと思う。
競馬も文化であり、凱旋門賞という伝統のあるレースで、日本をことさら強調する必要はないはずだ。
日本人向け馬券サービスは便利ではあるが、そんなものは本当は自分で勉強して、苦労しながら買うものだ。
それこそが本当の文化交流というものである。

ディープの敗戦は残念だったが、できれば、また来年、挑戦してもらいたい。
ディープはやはり、おぼっちゃんというのが、私の感想。
競馬に負けて涙を流したというシンボリルドルフのような精神的な強さを彼から感じることはないが、勉強したものを次に生かす賢さは持っている。
チャンスはもっと大きくなるはずだ。

菊花賞観戦記       2005/10/26 (Wed) 


ディープインパクトのレースを自分の目でしっかり見るというのが
今年の菊花賞の私のテーマだった。
特に4コーナーから直線にかかるところ、ディープインパクトが
shift-upするところをきちんと自分の目でとらえたいと思った。

今年の菊花賞は大変な混雑になる予感があった。
ダービーの時にもすでにその兆候があった。
これまでの菊花賞のように、ゆっくり家を出ていたのでは、
スタンドの通路に場所を確保することさえ難しく、
オーロラヴィジョンでディープの姿を追いかけるのが精一杯だろう。
朝の苦手な私が朝早く競馬場に着くには、近くにホテルを取って
前日泊まるしかない。

そう思っていながら、実際に行動を起こしたのは、
秋華賞が終わった後、10月16日の夕方。
もう遅いんですね、一週間前では。
京都競馬場は京阪電車の淀駅にある。
JR京都駅からだと、JR奈良線で一駅、東福寺まで行き、
京阪に乗り換えて8駅、20分くらいで淀だ。
近鉄京都駅からでも同じようなもので、途中の丹波橋で乗り換えて、
20分弱で行ける。
淀駅から、競馬場までは徒歩10分くらい。
京都駅周辺だと値段は少々高いが、ホテルは多いし、競馬場まで30分だ。
しかし、秋の京都で土曜日(しかも京都三大祭りの時代祭の前日)の
ホテルを1週間前にとろうなんて、やはり無理だった。
京都市南部の山科や伏見のビジネスホテルも空いていない。
もしかしたら、これは菊花賞も関係あるのだろうか?

結局予約できたのは、JR京都線の茨木駅のビジネスホテル。
私たちは普段、京都競馬場に行くには、家から、神戸市営地下鉄で
神戸の三ノ宮まで行き、JRの新快速に乗り換えて、大阪の高槻まで行き、
普通列車に乗り換えて一駅、山崎駅で降りて、バスに約20分乗るという
ルートをとる。
大阪方面から京阪に乗るのは乗り換えなどが結構面倒で、
こちらの方が便利なのだ。
JR茨木駅は山崎の3つ手前の駅だ。

では、何時に競馬場に行けば、席を確保できるのか?
今はなんでもネットで調べることができる。
その結果、例年通りなら、菊花賞は7時30分開門で、混み具合によっては
10〜15分くらいは早くなる可能性もあること、
開門1時間後にはすべての席がなくなってしまうということがわかった。
例年通りなら、7時30分くらいに競馬場に着けば、席を確保できるはずだ。

茨木駅のビジネスホテルを朝の6時20分くらいにでれば、
6時30分に茨木駅を出発、山崎には6時50分に着き、タクシーを捕まえれば、
7時30分には充分間に合うという計画をたてた。
セイコジャスティスさんには楽勝の計画だと思うが、
わたしにはこれでいっぱいいっぱいなのだ。

しかし、人生はなかなか計画通りに進まないもので、
私たちが菊花賞の当日、小雨の京都競馬場に着いたのは、なんと6時30分。
しかし、これが結果的に幸いする。

すでに、長い列ができていた。
京都競馬場の地図を見てもらえばわかると思うが、
入場は第2ゲートからで、そこから駅の方へ、人が8〜10列で並べる幅で、
競馬場の端近くまで、人の列ができている。
その距離は想像するに、京都の外回りの直線ほどの距離、
400mくらいはあると思われる。
1mの幅に20人ほど入るとすると、
20x400=8000人はすでに並んでいることになる。
私たちの後ろにもどんどん人が並んでいく。

開門は7時20分、少しずつ列が前に進んでいって止まる。
一定の人数だけ、入場させるシステムだ。
私たちが入場できたのは、7時40分くらいだったと思う。
プログラムをもらってから、2手に別れて、席を確保するためスタンドに向かう。
ゴールに近い側には席はないはずなので、4コーナー側を目指す。
誰も走って席を確保しようとはしていない。
当然のことながらスタンド内の人も少なく、
なんとなく、席は大丈夫な気になっていたが、
外に出るともうすでに空いた席がないように見えて一瞬あせった。
しかし、よく見れば、まだ、空きがあった。
天気が悪く、小雨ぱらぱら、そのうえ、風がふいているが、
自由席の上段、屋根がある部分に席を確保できた。
4コーナーから直線にかけてよく見えるはずだ。
ヒシミワクルに電話をかけると、彼女も席を確保していて、
後でお互いの席を確認すると、結構近くで探していたことがわかった。
この時点で7時50分。
5分後には席はなくなっていたはずだから、6時40分に並んだ人たちが
席を確保できるかどうかの境目だったことになる。
もし、計画通り7時以降に競馬場にきていたら、席はなかったのだ。

けんじぃが8時30分くらいに到着。
Y村さんも9時すぎに到着。
パドック派の彼らには、私たちが確保した席はパドックからは遠くて、
あまりよい席ではなかったが、今日は仕方がないだろう。
とにかく、こんなに朝早くから人の多いG1レースは関西では初めてだ。

私の今日の仕事は終わったも同然。
後は、ディープインパクトが勝ってくれるだけだ。
馬券は午前中はまずまず。
パドックをスタンドの3階から見て、馬を選んで、馬券を買う。
遠くてよくは見えないが、雰囲気はわかる。
今日は馬を見る目がまずまずだ。
人気のあまりない連対馬を何頭か見つけることができたが、
長打を逃して、単打のみ。
しかし、午前中の4レース中、3レースが的中して、昼休み。

昼休み後、当たり馬券をまとめて換金すると、なんと合計が7,770円。
7番ディープインパクトの7戦7勝無敗そして3冠達成の前祝いか。

午後は、当たってもマイナスの馬券ばかりで、だんだん疲れてくる。
ディープインパクトの単勝と、3連単を早めに買って、菊花賞に備える。
レースが近づき、ますます人が増えてくる。
ダービーほどではないが、通路にも人が座り込むようになり、
身動きがとりにくくなる。

いよいよ、菊花賞。
パドックのディープインパクトは入れ込みもなく、落ち着いてよく見える。
他の馬もよく見えるものが多い。
しかし、あまりまじめに見ていない。
普段のG1ほど当てようとする気が出てこない。

いよいよレースが始まるというときになって、立ち上がろうとすると、
私たちの席の前や回りでは誰も立ち上がらない。
誰も立たなければ座ったままで見える。
座って見るG1レースなんて記憶にない。

心配だったディープインパクトのスタートも問題なく、うまくゲートを出た。
ところが、よすぎたスタートのせいか、かかり気味だ。
いつものように、後ろからだんだんペースを上げていくという戦法がとれない。
中団より前、内にいる。
先頭は8番シャドウゲイト。
続いて、6番アドマイヤジャパン、4番ローゼンクロイツ、12番ピサノパテック、
その後に、1番コンラッドと14番フサイチアウステル。
その後ろがディープだ。
こちら側のホームストレッチにきても、まだ、かかっている。
しかし、一周目のゴールを過ぎたあたりから、落ち着いたようで、
2周目はいい感じで走っている。
縦長の展開で、シャドウゲイトが快調に逃げ、少し離れた2番手がアドマイヤジャパン。
そこから、ディープまではかなりの距離がある。

3コーナーから4コーナーの手前まで、そのままの状態で進む。
4コーナーを回って、直線に入りすぐ、アドマイヤジャパンがスパート。
シャドウゲイトは手応えがなくなり、さがっていく。
ディープは4コーナーで外に持ち出し、いつもように追い出される。
先頭のアドマイヤジャパンまでかなりの距離がある。
しかし、shift-upしたディープは、やはりディープだった。
あっという間に加速したディープを見ながら、思わず、立ち上がってしまった私は、
アドマイヤジャパンを抜き去ろうとするディープに、いけ!いけ!と叫びながら、
ゴールまでの幸せな瞬間を味わったのだ。
そして、多くの人の穏やかな喜びや満足感に包まれているように感じながら、
レース後の時間を過ごすことができた。

私たちがなぜ朝の6時半に競馬場に来てしまったのか、
ディープが夢の中で起こしてくれたと言えれば、出来過ぎた胡散臭い話になるが、
もちろん、そんなことなはい。

駅に近接した安ホテルに泊まった結果、スプリングのいかれた小さなベッドと
冷蔵庫の音、夜中にも走る列車の音のせいか、真夜中になっても眠れない。
朝の5時前になってから、ヒシミワクルが一度、家に帰って休んでから出直すという。
5時40分にチェックアウトした私たちは、茨木駅に行って、私は5時58分の
普通で山崎へ、ヒシミワクルは5時54分の普通で三宮へ向かうことにした。
その時間には快速はなく、普通のみだ。
待っているうちに、ヒシミワクルが少し元気になって、結局、一緒に山崎まで
行くことになった。

山崎には6時12分に着く。
タクシー乗り場にはすでに3人並んでいた。
2-3分待っているうちにお客を2人乗せたタクシーがやってくる。
乗り場の1番手の若い女性に2,3番手の年輩の夫婦が競馬場まで、
一緒に乗っていってよいかと聞いている。
降りた客が指定席はなくなったよ、と言うと、2,3番手の夫婦が
それなら行くのはやめた、といなくなる。
私たちは1番手の女性とともに淀に向かうタクシーに乗ることができた。
次のタクシーがいつ来たのかはわからない。
10分後なら、もう席はなかった。
いつもどおりのドタバタだが、それでも、ディープの三冠達成の瞬間を
自分の目でしっかりと見ることができたわたしたちにはまだ、
少し運が残っていたのかもしれない。

*****************

というのはだいおーバージョンで、ここからヒシミワクルバージョン。
私はそんなにがんばってディープくんの三冠達成を観戦するつもりは、
さらっさらありませんでした。
ダービーのように、お昼前ぐらいに行ってオーロラビジョンに映し出される
彼の雄姿を同じ空間で味わえれば、それでよかったのです。
そのつもりでした。

ところが、だいおーはすっかり入れ込んでしまって
東京で午後からの学会でも前日から乗り込んで東京泊まりという
朝の苦手なひとのはずなのに開門時には到着しておかなくてはと、
京阪線とJR京都線沿線のホテルの手配を始めてしまいます。

京都競馬場には、京阪線の淀駅からだと徒歩で行けますが
JR京都線の山崎駅からだとバスかタクシーです。バスの始発は8時すぎなので
タクシーの予約の手配まで調べ始めます。
ところがタクシーは予約は受けつけないとのこと。
結果的にはこれが幸いしますが。

「今日さぁ、すっごいショックだったんだよ」
「えっ!?予算が通らなかったの?」
彼のショックの原因は、以下の書き込みでした。
*************************

競馬場で働いてる者です。
G1の開門後の席の埋まり具合を毎年見てるのだが
ネオの三冠挑戦の時を参考にして予測してみると
開門後15分でゴール前の自由席2Fから4Fが埋まる
開門後30分でゴール前の自由席1F及び周辺が埋まる
開門後1時間で辺鄙な所も含めて自由席は全て埋まるでしょう。
11時ぐらいにはゴール前の通路も新聞ひいた場所取りで埋まります。
その後「座る場所ない」とさまよう難民多数発生、
レープロを置くだけで使用してない席をめぐり難民と席占有者のケンカ発生
14時頃、立見してもレースがよく見れない者多数発生、ターフビジョン頼み。
15時半頃、建物の中からターフ側に出ることが困難に。最悪モニターで観戦(>_<)
菊花の開門は7:30だろうと思います。
あまりにも多くの人に並ばれたら5分〜15分ほど早めるかもしれませんが

開門と同時にダッシュできるのは、おそらく徹夜組だけ
それ以外の奴は、前が完全に空くまで門からちょっと離れたところで待たされ
る(完全規制になる)から
その待ってる間に入場券を買える
徹夜する奴は回数券必須、それ以外は回数券を持ってても持ってなくてもほと
んど変わらないと思う

開門時に並んでいれば回数券がなくてもレープロ・メモリアルブック・席も大
丈夫!ただ席に関しては良い席は厳しい〜菊は例年7:30これより早くはお
そらくならないと思う

********************
「開門前には行ってないと席はないかもしれない」と
すっかりかかってしまって暴走・迷走するだいおーと、ますますさめていく私。

ベッドに横にはなったものの、なかなか寝付くことができません。
暴走するだいおーと折り合いをつけることができずに
彼のペースにはまってしまった自分にだんだんはらがたってきて
アタマがどんどんさえていってしまい、始発電車の音が聞こえたとき
「アタシ、カエルッ!」
「一旦家に帰って休憩してでなおすから」

JR茨木駅でだいおーは右へ私は左へのはずだったのですが
早朝のため快速がまだ走ってなかったのと、
現地調達を約束した馬券のこともあるし
ベッドから起きあがって冷たい雨の中を歩き始めたら、
心がおちついてきたこともあって
結局一緒に右方向に行くことになってしまいました。

京都競馬場は小雨が降って風も冷たく寒かったのですが
とりあえずスタンドに席を確保して中を歩いていたら
映画館のような室内席のシグネットホールというイベント用のスペースがあって
暖かいし、ここでゆっくり仮眠をとることができ少し元気もでてきました。
それも私が座席を確保してトイレに行ってるほんの10分ぐらいで
あっという間に満杯になりました。

レースについてはいろんなところでいろいろ書かれてますが
レース後のセレモニーでの花束のプレゼンターが井上W香ちゃんでした。
ところが彼女は、かんじんの花束を持ってくるの忘れてきてしまったのです。
彼女のミスだったのか、担当のひとが持ってくるのを忘れたのかどうかはわかりませんが、
武くんは優しくお花を受け取ったふりをしてくれて
両手でしっかりと握手されてました。
記念撮影でもW香ちゃんのお隣で、オーロラビジョンにどアップで
映し出された彼のおめめのめじりは、すっかりさがってましたよ。
会長さんっ!

彼もオトコノコなんだなぁって思いました。
私の後ろのおねぇさんは「なぁんでW香なのよ!」って怒ってました。

「アタシ、カエルッ!」のおかげで予定より1時間早く到着して席も確保できたし、
まぁ結果オーライですね。

 

  記憶と忘却のはざまで・その3    2005/6/13 (Mon) 


やっと、その3。
今回は、混乱、暗示、書き換え、という記憶が変化する現象のうち、
混乱について紹介したい。

「デジャ=ヴュ」というのがある。日本語では既視感と訳したと思う。
現在の状況が過去のものと全く同じであると強く確信し、
次に何が起こるかはっきり知っているという感覚だ。
これは現在の経験によって過去の似たような経験が呼び起こされたのだろうと
一般には考えられているが、現代心理学では、過去の記憶とは何の関係もなく、
現在の感覚を過去の経験と入れ替えてしまうという、記憶の混乱によって
起こるのではないかと考えられている。
脳が、前に経験したと勘違いしてしまうのだ。

滅多に起こらないデジャ=ヴュに関してはそれほど研究が進んでいないが、
他のタイプの記憶の混乱、起こったことのない出来事を覚えていたり、
出来事自体は正確に覚えていても、それが起こった場所や時間を間違える
ような記憶の混乱や、自然に沸いたイメージや考えが他人のものであっても
それに気づかず自分の創造だと考えてしまうような記憶の混乱については、
かなり研究されているようだ。

記憶の混乱の一例として、目撃証言の間違いが取り上げられている。
目撃者の証言が決め手になって犯罪が立証される場合には、
目撃者の記憶が正しいことが前提になる。
それがどのくらい正しいかというと、心許ない数字が出ている。
アメリカのケースだが、DNA鑑定の結果、冤罪が確定した40件のうち、
36件で目撃者の証言が間違っていた。

私たちは、人に会ったことをどうやって詳しく記憶しているのだろうか。
例えば、ある日の午前中、仕事で外出して、2人のビジネスマンと
彼らの会社のオフィスで会い、その日の午後は、自分の会社の会議室で、
2人のクライアントと会ったとする。
その一週間後に、その日の仕事のことを聞かれたら、一人一人の外見と
会った場所を思い出さなければならない。
誰が何を着て、どの顔がどの名前で、誰がどこにいたか、それぞれの地位も
思い出さなければならない。
人物、服装、地位、場所を正しくつなげて思い出す必要がある。
つまり、ある状況を構成する様々な部分をひとつの完全な記憶に
まとめなければならない。この操作を「記憶結合」と呼ぶ。
ひとつひとつの要素を思い出せても、それを正しく結合できないと、
間違った記憶が形成されてしまう。

その人物を見たことがあるが、それがいつ、どこだったかという記憶が
不完全なときに、誤った記憶結合が起こってしまえば、間違った目撃者証言に
つながってしまう。

容疑者の面通しの場面をテレビや映画で見ると、証人は数人の容疑者全員の
顔を見た後で、容疑者を特定するように求められる。この方法は
記憶の混乱を起こしやすい。犯人を知っているはずという感覚に頼って
判断すると、最もよく知っているという感覚を起こさせる人物を選んでしまう。
この選ぶという作業を通して、間違った記憶結合が起こってしまうのだ。

これを防ぐには、証人が容疑者を1人ずつ見て、そのたびごとに犯人かどうかを
判断し、それを親指の上げ下げのような動作で示すように指示するとよい。
証人は自分の記憶を注意深く探って、目の前の人物が記憶の顔と一致するかどうか
検討するようになる。
アメリカの連邦司法省が作った目撃者証言を得るためのガイドラインには、
こういう方法が取られるべきだと書かれているらしい。

意識しない盗作がなされる場合がある。
他人の著作や発想に関する記憶を無意識のうちに自分の創作だと思いこんで
しまうのだ。これは「潜伏記憶」と呼ばれる記憶の混乱だ。
自分自身の発想を「盗用」することさえある。
「老齢になって最もがっかりさせられることは、自分がたった今口にしたすばらしい
考えが、自分がすでにどこかで発表したものだったことに気づくときだ」という
ある心理学者の言葉が紹介されている。
つい最近気がついたのだが、このタイトル、「記憶と忘却のはざまで」は
どうも、セイコジャスティス、マコトライデンのフィレンツェ行きのせいらしい。
「冷静と情熱のあいだ」のパクリのようだ。
自分の考えの基を意識的に探す努力によってこういった間違いを減らすことが
できるらしい。

結局、記憶の混乱は、あるできごとに対して、曖昧な親近感を覚えたときに、
その親近感の源の情報がはっきりしないにもかかわらず、その源の情報を
無理に得る必要に迫られたり、自分で性急に判断してしまうことによって、
親近感を間違った情報につなげてしまうことによって起こっていることがわかる。
潜伏記憶の場合は、頭に浮かんだものとその情報の源を結びつけられないために
新しいできごとだと勘違いしてしまうということになる。

高齢者は親近感の源の詳しい情報の欠如から、記憶の混乱を起こしやすい。
しかし、高齢者は、全ての出来事において、細かい記憶がないわけではない。
強い印象を与えられた場合は、細部まで覚えておくことができる。
それにもかかわらず、高齢者は、過去の詳しい内容を思い出せないと
思いこんでいることが多いらしい。
それにつけ込んだ詐欺行為が報告されている。その手口はこうだ。
高齢者に電話をかけておしゃべりして、そのあいだに個人情報を集める。
翌日、もう一度、電話をかけて、相手が昨日の会話を覚えているかどうか
探りを入れる。もし、忘れていたら、例えば、こんなふうに話しかける。
「あなたから1200ドルの小切手を受け取りましたが、金額は
950ドルでよかったんです。950ドルの小切手を送ってくだされば、
1200ドルの小切手をお返しします。」
それについて覚えていないことを恥ずかしく思った高齢者は
小切手を送ってしまう。
日常の些細なことならありうるが、大事なことを忘れることはあり得ないと
自分を信じるべきなのだ。もちろん、大事なことは、何らかの方法で
コード化する努力は必要だ。


これまで紹介したような記憶の混乱が、もうひとつの記憶のエラー、
暗示による思い違いと組み合わされると、実際に起こっていない出来事を
詳しく思い出すといったことが起こってしまう。
心理療法は暗示によって間違った記憶が作られる危険性の高いもので、
数多くのやっかいな事件を引き起こし、いくつもの家庭を崩壊させ、
多くの人の人生をうち砕いてしまったことがわかってきた。
次回は暗示による偽の記憶の誕生について紹介したい。


 "We will rock you"とFreddie Mercury   2005/5/30




ダービー観戦のため、土曜日に上京。
ついでに、新宿コマ劇場"We will rock you"を見る。
全曲、Queenの曲が流れるmusicalだ。
3年前にロンドンで見ている。

ロンドンの劇場は、かなり古い外観で、中もそれなりに古く、
一流ミュージカルを上演する劇場とは思えなかった。
開演30分前くらいに入ったときには、ミュージカルに特有の
着飾った人もなく、席も3割くらいの埋まり方で、
あまり期待できないのかも、と心配したほどだった。

開演が近づくにつれてどんどん人が入ってきて最終的には
満杯状態になったのだが、都会人というよりは、
中年のカップルを中心とした田舎の団体Tourで埋まっているという印象だった。
終演後には、お迎えの大きなツアーバスが劇場前に集結していた。

そのとき私は、Queenの曲は、有名なものしか知らなかったので、
これは全部Queenなの?これもQueenなの?と思ったほど、
無知な状態で参加していたのだが、それでも充分楽しかった。
ただ、イギリス人特有の皮肉をこめた政治や時事に関した
笑いを誘うくすぐりのセリフがかなりあったようなのだが、
それがよくわからなかったのが、とても残念だった。

最後に、音楽監修のBrian MayとRoger Taylorがステージ上で紹介された。
ちょうど、ロンドンの地下鉄のストのあった日で、
帰りはホテルまで30分くらい歩いて帰ったことも思い出深い。

そんな中で、思わず涙したバラードが1曲あった。
あとでヒシミワクルに聞くと、やはり同じ曲が琴線にふれ1番印象深かったそうだ。
日本に帰ってから、QueenのCDを4枚買い込んで、その曲が
Freddieが亡くなってからBrian Mayが作った"No one but you"
だったことがわかった。良い曲です。

日本公演は演歌の殿堂新宿コマ劇場ということで、ロンドンの印象からすると、
これはなかなか正しい選択なのではないかと思った。
Queenはイギリスでは、日本でいうならさぶちゃんや幸子さんの位置づけと
同等なのかもしれない。
2度目の日本公演のとき、Freddieが新宿2丁目へ戻ってきたときの
有名なエピソードを思い起こすと、新宿というのはやはりよい選択のように思う。

http://www.1101.com/2_chome/2003-04-27.html

(三人、英雄を語る。その8 フレディ・マーキュリーさまに捧ぐ。の項)

今回はストーリーもわかっているし、曲も聞き込んでいるので、
字幕を見る必要もないはずなのだが、字幕が出ているとつい目がそちらに行ってしまう。
storyは全く同じなのだが、細かいくすぐりのセリフは少なくなっているようで、
前半はあまり会場からは笑い声はわかない。
たぶん、イギリス人にしかわからないようなものが多数あったのだろう。
私たちの涙した"No one but you"の独唱の場面も、記憶している場面と
登場人物や設定が違っていたので、日本向けに変更があったのかもしれない。

後半の途中からはコンサートになって、最後はいけいけのヒットパレード。
終わり方も日本ヴァージョンで、Londonとは曲が違う。
私たちの後ろの席にいた男性2人がショーの初めから非常にのりがよく、
最後は大声で歌い出して、ステージの声が聞こえにくくなるほどだった。
終わってから退場するときに、まだ座席に座っていた一見普通の男性2人連れを
めざとくチェックしたヒシミワクルによると、
ポップコーンの食べ方、お茶の飲み方、椅子の座り方にそのテの特徴があり、
どうやら2丁目関係の方が、すっぴんでおでましだったようだ。

いつまでたっても古くならないQueenの音楽はすばらしいのだが、
そのむこうにやはりFreddieのvocalの記憶があり、
その記憶を通すことによってより大きな楽しみを得ているように感じた。
同じ世代に生き、彼らのライブに参加することも可能だったことを思うと
今後はもうあり得ないということが、残念でならない。

"One by one Only the good die young
They're only flying too close to the sun
And life goes on -Without you..."
" No one but you"の歌詞がせつなく美しい。

Queen好きの人は必見だが、それほどでもない人も充分楽しめる
とても良くできたミュージカルだ。
ボヘミアン・ラプソディーの歌詞は知っていた方がよいかも。
お勧めです。

 

 記憶と忘却のはざまで・その2    2005/4/7(Fri)

 

その1は読書感想文だったが、その2では「なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか」
(記憶と脳の7つの謎)の内容を紹介したい。
その1に書いたように、7つの記憶のエラーとは、
1)物忘れ、2)不注意、3)妨害(度忘れの原因)、という記憶が抜け落ちる現象3つと、
4)混乱、5)暗示、6)書き換え、という記憶が変化する現象3つと、
7)つきまとい、という何かを忘れられなくなる現象だ。

1)−3)の内容はかなりわかりにくいのだが、今回は、記憶が抜け落ちる現象の
いくつかの興味深い例とその解釈、可能な対策を紹介したい。

次の3つの例の違いがわかるだろうか?

A) 男がゴルフでティーショットを打つ。仲間が続いて、ティーショットを打った後、
自分の番が来たと思い、また、ティーショットを始めてしまう。
B) 男がめがねを外してソファーの端に置く。数分後にめがねの場所がわからなくなり、
家中を探し回る。
C) 男がバイオリンを車の上に置く。その少し後、置いたことを忘れて車で走り出してしまう。
後で、バイオリンがなくなっていることがわかったとき、車の上に置いたことを思い出す。

どれも同じように見えるかもしれないが、原因は異なっている。

A)はアルツハイマー病の初期段階だ。
病気によって記憶を保てなくなっている。

B)はめがねをソファーの上に置いたことを記憶しようとしなかったために起こった。
もし、めがねを置いた場所がいつもよく置くところなら、すぐに見つかるはずだが、
この場合、そうではなかった。
他のことに気を取られていて、めがねを置いたときに、その行動を記憶にとどめる意識を
払わなかった(記憶にとどめる意識を払うことをこの本の中ではコード化するという)
ことが原因だ。
したがって、この場合、メガネが見つかったときにも、そこに置いたという記憶がない。

C) はバイオリンを車の上に置いたということを記憶しているので、
コード化はできているが、思い出すべき時に思い出せなかったのだ。
この場合もバイオリンを置いたときに何か別のことを考えていて、そこに置いたという
情報のコード化のみができていて、後で車の中にバイオリンを動かすことや、あるいは、
そのまま車を動かしてはいけないことなどの、後の必要な行動とバイオリンを置いたこと
を関連づけるコード化ができなかったようだ。

結局、記憶を保てるかどうかは、情報をいかにうまくコード化するかに依存している。
コード化の方法は古代ギリシャの時代から考案されていて、例えば、視覚イメージ記憶法
という、記憶すべきものを何かの視覚イメージと結びつけて覚える方法があるが、
それらは受験勉強のような、強制的に何かを覚えるときには役に立ちそうだが、
わたしたちの日常生活にはあまり役には立たないように思う。
B)やC)は不注意の例だが、注意を払えば、エラーがすくなることは確かだ。
わたしたちができることは、大事なことは注意して、きちんとコード化する習慣をつける
ことぐらいだろう。

わたしたちが特に忘れて困ることは、人と会う約束などの、将来にやるべきことだ。
例えば、A) 出社してAさんに会ったときに、B社に電話するように伝える場合と、
B) 午前11時になったらAさんに電話をかけて、B社に電話するように伝える場合、
どちらが忘れやすいだろうか?

A)は出来事ベースの記憶に頼ることになり、B)は時間ベースの記憶に頼ることになる。
出来事ベースの記憶とは、ある特定の出来事に出会ったときに、特定のことをするという
記憶で、時間ベースの記憶とは、ある特定の時間に、特定のことをするという記憶だ。

出来事ベースの記憶の方が時間ベースの記憶より保たれやすい。
年をとっても出来事ベースの記憶はあまり衰えないらしい。
時間ベースの記憶は、年齢とともに衰えやすい。
10分後と20分後にボタンを押すという簡単な実験でも、
若者と老人では確実に差が出るという。

対策はある。時間ベースの記憶に頼らなければいけないものを、
出来事ベースの記憶に頼れるように変えてしまうのがよい。
難しいことではない。例えば、明日、銀行で振り込みをすると仮定すると、
朝起きて必ず目にする場所、たとえば朝食をとるテーブルの上にメモや請求書を置いたり、
出かける前に必ず開ける玄関のドアに張り付けたり、靴の上に置いておく、
というふうに、思い出すためのヒントをつくっておけばよい。

それでは、思い出すためのヒントは、いつ得られればよいのだろうか?
テーブルの上に置かれた請求書は、朝食をとっているうちに忘れ去られてしまうかも
しれないのだ。ヒントは実行の直前に与えられた方が効果が高い。
笛吹きケトルは、まさに、火を止めないといけないときに鳴り出すから効果があるのだ。

「度忘れ」というのがある。
ヒシミワクルがJ・アンドリュースの映画のタイトルを忘れたのは、不注意による記憶の
しそこないでもなく、過去の出来事をだんだん忘れていくような通常の物忘れでもない。
情報は確かにコード化されているのだが、そこになかなかたどり着けないのだ。

度忘れをもっともおこしやすいものは、人の名前だ。
わたしも同じ職場の同僚の名前が出てこないことがある。
自分の仕事とあまり関係ない人で、部屋も違っていて、話したり見かけたりする機会が
少ない人の場合によく起こる。
なぜ、人の名前を度忘れしやすいのかというと、人を記憶するときのメカニズムを考えれば、
納得できる。

「パン屋のベーカーのパラドックス」と呼ばれる有名な実験がある。
2人の男(A, B)の写真を見せ、
Aさんの名前はポッター(Potter)で職業はベーカー(Baker)、
Bさんの名前はベーカー(Baker)で職業はポッター(Potter)であると教える。
あとで、もう一度写真を見せ、教えた情報を思い出させる。
そうすると、職業の方をよく思い出すのだ。
つまり、Aさんについては、名前のポッターより、職業のベーカーであることの方を
思い出しやすいし、Bさんについては、職業のポッターを思い出しやすい。

写真は視覚的情報であり、職業は概念的情報で、名前は語彙的情報だ。
名前は単に名前でしかなく、そこから得られる情報は非常に少ないが、
職業はそれに関連した様々な情報を与えることになる。
その様々な情報と視覚的情報を一緒にして、その人のことを記憶する。
思い出すときは視覚的情報につながった概念的情報を引き出して、最後が名前だ。
名前は概念的情報に、弱い一本の糸によってのみ結びついているのだ。
なかなか出てこなくなるはずだ。

脳の損傷によって、固有名詞を思い出せなくなった人がいる。
固有名詞失語症と呼ばれる症状なのだが、固有名詞以外は問題なく思い出せるので、
職業も言い当てることができる。
しかし、職業などの概念的情報と人名を結びつける糸がきれているのだ。

度忘れが起こった場合、良い対処法はあるのだろうか。
多くの場合は、1分以内に解決するらしい。
すぐに思い出せなくても、時間をかければかけるほど、思い出す確率は高まる。
しかし、人の名前ならなるべく早く思い出したいはずだ。
その場合は、職業などの情報を思い出そうとするよりも、音情報を探した方がよい。
アルファベット順(日本なら50音順か)にチェックしてみる。
最初の音がわかったら、前に会って名前を呼んだときのことを思い浮かべてみる。

普段からできる対策はあるだろうか?
問題は人名が概念的情報を持たないことだ。
忘れやすい名前があるなら、その名前になんらかの概念的情報を
無理矢理つけてしまえばよい。
本の中には、ビル・コリンズという税理士の名前を覚える例が出ている。
コリー犬がじゃれて彼のポケットから1ドル札(ビル)を抜き去るところを
想像しろという。
かなり下手な例だと思うが、思い出せるのなら、そんなものでもよいのだ。

次回はいよいよこの本の重要なメッセージである、記憶が変化する現象について、
紹介したい。

 

 記憶と忘却のはざまで・その1    2005/4/1(Fri)


今に始まったことではないが、
何を見ても読んでも片っ端からどんどん忘れている。
最近何か映画見た?と訊かれたときに、すぐに出てこない。
かろうじて思い出した映画は、「ネバーランド」。
その話をしてごまかしたが、実はまだ見た映画があるはず
と思いながら、すぐには思い出せない。
話し終わってから1人でずっと考えてやっと、
その後に見た「オペラ座の怪人」を思い出す。
実はこっちの方が話すことが多かったかもしれないのに、
頭に浮かばない。

 
「J・アンドリュースさんが新作映画キャンペーンで来日」の芸能ニュースを見ていたヒシミワクルが
「J・アンドリュースさんの代表作ってメァリー・ポピンズなの?私にはあれだけどなぁ」
と言ったきり、その映画のタイトルが出てこない様子。
「ほら、エプロンドレスで両手を広げて歌ってるポスターで子供がたくさんいる軍人の家庭教師役で
最後は一家全員でスイスに亡命したエーデルワァ〜イス、エーデルワイス♪
どぉはドーナツのどぉ〜♪のあ・れ・よっ!」

こんな経験はありませんか?それほどボケていないって?

こういうことは年をとると誰にでも頻繁におこることで珍しくはないようだが、
人の記憶というものはどの年齢の人にとっても誤りを犯しやすいものらしい。
最近読んだ「なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか」(記憶と脳の7つの謎)
(日経ビジネス人文庫)に記憶のエラーについて詳しく書かれている。

この本を読めば、すこしは物忘れをしなくなるような何らかの方法をつかめるかと
ちょっと期待したが、そんな甘い本ではなかった。
科学ジャーナリストが書いたちょっと堅めの記憶に関する本だと思って読み始めたが、
実は、記憶と脳の研究をしている最先端の心理学者が書いた、専門的な話が満載の
非常に立派な良い本であることがわかった。

冒頭で、川端康成の「弓浦市」がでてくる。
川端のもとに、30年前弓浦市という所で会って親しくしたという女性が訪ねてくるのだが、
川端は全く覚えていない。
普通なら忘れる事などできないはずなので、川端は非常に動揺し、
必死で思いだそうとするのだが、全く身に覚えがない。
実は弓浦市という場所は存在せず、会ったこともない女性で女性の側の記憶の間違いだったのだ。
かなり深刻な間違いだが、現実世界でも起こりうることなのだ。
ホロコーストの生存者として、幼い頃のその生々しい体験を本にした人が
実はそんな体験をもっていないことが判明するのだが、本人はまったく嘘を
ついているという意識はない。

この本では、記憶のエラーを7つに分けて、それがどういうふうに起こるのか、
最新の知見に基づいた科学的な解釈を行っている。
7つの記憶のエラーとは、
物忘れ、不注意、妨害、という記憶が抜け落ちる現象3つと、
混乱、暗示、書き換え、という記憶が変化する現象3つと、
つきまとい、という何かを忘れられなくなる現象だ。
「弓浦市」の女性やホロコーストの偽体験者のエラーは記憶が変化する現象だが、
この本を読んでいくうちに、それがそんなに特殊な例ではなく、
もっと多くの人に起こっていても不思議ではないことのように思えてくる。
それほど記憶はかわりやすいものなのだ。
しかし、それを知ったからといって恐れる必要はない。

記憶というものの本質を理解することは、わたしたちが記憶と忘却の狭間に
とらわれることなく、安らかな老後を送るのに、役に立つはずだ。
すこしばかりのエラーは大目に見ればよい。
忘れたり、記憶が変わったりすることによって、私たちはよりよい人生を
送ることができるのだ。

つづく

 

 自己探索の旅「モーターサイクルダイアリーズ」    2004/11/23(Tue)


モーターサイクルダイアリーズを見た。
ご存じ、キューバ革命で有名な、革命家チェ・ゲバラの回想記を元にした、
ドキュメンタリータッチのロードムービーだ。
彼は、ある種の人たちにとって永遠のヒーローだが、この映画は、その時代のチェ・ゲバラの話ではない。
若い彼の自己探索の旅の物語だ。

1952年1月、23歳のエルネスト・チェ・ゲバラと彼の友人29歳のアルベルト・グラナードが
アルゼンチンのブエノス・アイレスから、モーターサイクルに乗って
ベネズエラまでの1万2千キロの旅に出発する。
3ヶ月間で、アンデス山脈を抜け、チリの海岸線に沿って進み、アタカマ砂漠を通って
ペルーのアマゾン上流へ出てから最後にベネズエラでグラナードの30歳の誕生日を迎えることが
彼らの計画だ。
モーターサイクルはポンコツで、金もなく、前途多難の旅が予想される。

チェ・ゲバラは当時医学生、グラナードは生化学者。彼らはまだ、何者でもない。
彼らはまだ、自分が何をやるべきかわかっていないのだ。

映画はゆっくりとしたペースで進む。
展開の早い最近の映画に慣れている私たちには、退屈なペースだ。
しかし、人の変化というものは、
長い時間をかけて心の中に少しずつ刻まれていくものによって
不可逆的に起こっていく。
それを映画の中でわたしたちに追体験させるには、このペースでなければならないのだろう。

彼らの旅は結局、アマゾン奥地のライ病棟での3ヶ月間のボランティアを含む、
9ヶ月に及ぶ長い旅になる。
その旅の中で、彼らは南米世界そのものに対する認識を変えていきながら、
自分が何者なのかを理解していく。

あまりなじみのない南米の風景が印象深い。
心の奥深いところを揺さぶられる映画である。

映画のストーリーと解説は以下のオフィシャルサイトに詳しい。
http://www.herald.co.jp/official/m_cycle_diaries/index.shtml

以下はその抜粋。物語の本質は、彼らの言葉が全てを表現していると思う。

ウォルター・サレス監督は言う。“この原作には非常に影響を受けました。というのも、これは一個人がアイデンティティとこの世界における居場所を見つける旅を描いているのですが、それだけでなく、ラテン・アメリカのアイデンティティとでも呼べるものの探索をも描いているからです。この個人的探索と、これら南米各地を故郷とする私たち全員にとってはもっと深い意味を持っていた探索とが、からみあい一体となっていたことに、私は深く心動かされたのです”。
サレスは続ける。“この本を読み終えると、世界はそれを理解し参加することによって本当に変えることができるのだという気持ちになれます。この旅が美しいのは、世界に対する彼らの認識が変わるからです。彼らは見ることを拒まなかったのです。そして今度は逆に、この旅で理解したことをよりどころにして、自分たちが世界を変えようと進んでゆくのです”。

メキシコ人の有能な俳優ガエル・ガルシア・ベルナルを起用することにした。サレスは彼を、“同じ世代の俳優たちの中ではもっともユニークで才能豊かなひとり”と評している。ベルナルは、伝説的人物の若き時代を演じるチャンスに心引かれ、承諾した。ベルナルは言う。“チェがぼくらの人生に与えた影響は大きなものです。特にキューバ革命後に生まれた世代にとっては…(ぼくの世代には)生まれた時から、現代ラテン・アメリカの英雄が存在したわけですから。彼は自分の信念のために闘った男です。アルゼンチン人ですが、祖国でもない国で闘い、ラテン・アメリカの市民、世界の市民となった人です…この物語のお陰で、みんながもっともっと自分の信念を探し求めるようになるんじゃないかと思います”。

ウォルター・サレス監督の1995年の長編「Foreign Land」はブラジルの年間最優秀映画賞他、8つの国際映画賞に輝いた。次作「セントラル・ステーション」は脚本がサンダンス・NHKシネマ100賞を受賞し、1998年のサンダンス映画祭でプレミア上映された。その後、同年のベルリン映画祭で金熊賞(最優秀作品賞)と主演女優賞を受賞。1999年のゴールデン・グローブ賞及びBAFTA賞(英国アカデミー賞)の外国語映画賞を受賞し、アカデミー賞では二部門にノミネートされた。最近作「Behind the Sun」は2002年、BAFTA賞とゴールデン・グローブ賞の外国語映画賞にノミネートされた。

 

 「ジャンプ」する忌野清志郎             2004/11/21(Sun)


あなたはジャンプする忌野清志郎を見ましたか?
新曲「JUMP」のPVには2種類あるらしく、選挙編では飛ばないが、
live編では、あまり高くはないのだが、確かに飛んでいる。

musicianの仕事は良い音楽を作ることだ。
世の中で何が起こっていても、よい音楽さえ作れば、それで充分だという考え方もある。
若ければそれでいい。自分のまわり50m以内の世界のことを歌っていても、
多くの人の共感を呼び起こすような力を持つ歌を一曲でも作ることができれば、
大成功だといえる。
しかし、年をとった人間にはそれなりの責任がある。
ましてや、成功して年をとった人間にはより大きな責任があるだろう。
自分の生きている世界のあり方に対して、何らかの自己表現をする責任だ。

清志郎の歌は詩に独特な力がある。
常套句を使わず、彼自身の言葉で表現する。
彼はその言葉を使って、これまで、たびたび、より大きな世界に向けた歌を作ってきた。
「JUMP」は、何かを変えるために新しい世界へ飛び出そうというメッセージだ。
これまでの彼のその類の曲と違って、この曲は具体的な対象は表現されていない。
そのため、より普遍的な意味を持つ曲となった。
多くの人のジャンプのために、その背中を押してほしい。

「JUMP」はエースコック・スーパーカップのCMソングだが、
full versionは以下のページからメーキングムービーの中で
聞くことができる。
http://www.acecook.co.jp/frame/head_1f.html
(ページの一番上のJUMPのバナーから入る)

 

 佐伯祐三の意味するもの             2004/11/16(Tue)

日曜日に、大阪の心斎橋にある大阪市立美術館の別館で、佐伯祐三展を見た。
50点ほど展示するということだったが、彼の絵をそんなにたくさん一度に見た記憶がない。
50というのはデッサンや習作などを含めた点数で油絵はそれほど多くはないだろうと思っていたのだが、
わたしの好きだった有名な広告シリーズの数点の油絵以外はほとんど見たのではないかと思えるほど、
充実した展覧会だった。
この美術館の佐伯コレクションからの展示なので、ここがほとんどの佐伯の絵を持っていることになる。
彼の絵は、大学生の時から10年ほど前の東京での展覧会まで何度か見に行っているが、
いつも佐伯の若い感情を強く感じることができる絵に満足して帰っていた記憶がある。
ところが今回は充実した展示にかかわらず、佐伯の絵がわたしの心にまっすぐ届かなくなっていることに
気づいて、動揺してしまった。

展覧会は、パリに行く前の絵、最初にパリに行ったときの絵、日本に帰っていたときの絵、
2度目のパリとその近郊で書いた絵(彼の最後の絵を含む)を順番に見ることができる構成になっている。
佐伯の絵を好きだった理由は、たぶん、若さの持つ、気負い・焦り・苦しみ・望み・喜び、
そのすべての熱をキャンバスにぶち込んだような彼の生き様をその絵から感じられたからだと思う。
それが素直にわたしに届かなくなっているのは、わたしの側の問題なのだろう。
佐伯の絵は暗い。トーンが暗いのだ。
しかし、暗さの中でほのかに明るさを感じることのできる一連の絵がある。
それは、最初のパリ時代の絵だ。その明るさは、佐伯の心の中の生きる喜びの明るさなのだ。
若い命の明るさなのだ。

2度目のパリ時代の初期の絵には、その明るさがない。もっと重いのだ。
多分彼は死を覚悟して、もう一度、パリへやってきたのだろう。
そして苦しみながら、絵を描いていたのだろう。
パリ近郊の村モランで書いた風景画は、わたしにはつらかった。
しかし、彼の絵に変化が現れる。不思議な清澄感が絵に現れてくる。
その後、彼はパリに戻ってくる。最後の数点を書いて死の床につく。
今の私には、このモランの後期から最後のパリの絵が一番心に響く。

佐伯の絵を最も感じられるのは、彼と同年代の若い人たちに違いない。
しかし、展覧会にはその年代の人は少なく、私たちか、それよりも上の年代の人たちがほとんどだった。
わたしは上の年代の人たちに佐伯の何が好きなのか、聞いてみたい気がした。
彼らから、年をとるとはどういうことなのか、ひとつの答えが聞けるように思う。

佐伯は若くして死んでしまったが、長生きしていればもっといい絵を描いていたような気がする。
しかし、何かを生み出すためには、何かを犠牲にしなければならないというのも真実だと思う。
ものを創り出すことを目指している人にとって、彼の生き方が好きであろうとなかろうと、
一度は見ておかなければいけない作品群だと思う。


http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/05-artscene/00-mus-exhibition/161008-osakinbi-saeki/01osakinbi-saeki.html