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12 years in the "Nati"
Story (Part1)
Story (Part2)
Story (Part3)
 ベティスで好発進
 オーストリアに敗北
 イルレタ監督とのトラブル
 ブラジルに敗戦
 クーン監督への不満
 ベティスの監督交代
 スイス代表3連敗
 代表落ち宣告
 壊された夢
 監督解任と残留決定
 エバートン移籍は暗礁に
 叶わなかったマラソン出場
 ベティスと契約解除で合意
 ブラックバーン移籍決定
 成功したデビュー
 “試合ごとに強くなっていく”
 ポーツマス戦で初勝利
 監督交代とプレシーズン
 「監督交代の犠牲者」に
 監督再交代でチャンス?
 代表復帰への扉
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Johann Vogel Story : Part3
ベティスでの苦境、代表離脱、移籍問題のこじれ、裁判、ブラックバーンでの再出発・・・
激動の2年半のストーリー。
(データは全て2009.1.25現在のものです。)
 ベティスで好発進
ベティスでのデビューは2006年9月10日、リーガ第2節のアスレティック戦。チームに加わってからわずか2日後でした。他の選手たちの名前さえまだ知らない状態でしたが、フル出場で3-0の快勝に貢献。「とにかくチームメイトが大いに助けてくれた」と、同僚たちに感謝しました。
地元マスコミの評価も高く、Diario de Sevilla紙は、「スイス製の時計のように静かに機能しつつ、正しい瞬間に正しい場所にいた」と書いています。

3節のセビージャダービーでもスタメン出場し、87分までプレー。
「素晴らしい選手だよ。本当にチームに貢献してくれている」(FWマルドナードのコメント)と、チーム内でも早くも実力を認められました。 その後も順調に起用され、デビュー以来4試合連続スタメンという上々のスタートを切った後、代表戦のため一時チームを離れました。

オーストリアに敗北
10月11日の親善試合の相手は、EURO2008の共催パートナーであるオーストリアでした。当時のオーストリアは、敗戦に次ぐ敗戦でドン底状態。先のワールドカップ・ドイツ大会でベスト16まで進んだスイスとは、FIFAランキングでも大きな開きがあり、スイスの勝利を疑う者は殆どいませんでした。

EURO2008のマスコットが初登場してスタジアムを盛り上げた後、キックオフ。スイス代表は、この1試合だけのためにPUMAが用意したゴールドのユニフォームで登場しました。
ところが前半ミスを多発し、闘争心あふれるオーストリアに2点のリードを許してしまいます。フォーゲルは後半ベンチに下げられました。

その後1点を返したものの、2-1で屈辱の敗北。マスコミは「W杯の好成績で慢心していた」と批判し、楽観的ムードだった国内に俄かに危機感が生まれました。
結果的にこの試合は、スイス代表のEUROまでの迷走の始まりとなり、フォーゲル個人にとってもその後の運命を左右するきっかけになってしまったのです。

イルレタ監督とのトラブル
ベティスに戻ったフォーゲルは、10月中の3試合では依然主力としてプレーしていました。ところが、11月5日のビジャレアル戦で突然のベンチ外に。原因は、前日の練習中に起きたイルレタ監督とのトラブルでした。
意見の相違から口論となり、監督が威圧的で無礼な話し方をしたために、礼儀を重んじるフォーゲルが
「気をつけて下さい。僕はあなたの犬ではありません」と言って監督の怒りを買ったようです。(この件に関して詳しくは、インタビュー 「必要なリスペクトが欠けていた」 をお読み下さい。)
その後配られた招集メンバーリストには、フォーゲルの名はありませんでした。

続くスペイン国王杯・レクレアティーボ戦は再びフル出場だったので、監督の怒りは解けたかに見えましたが、次のリーグ戦・レバンテ戦ではまたも招集外でスタンド観戦。
これはフォーゲルにとってショックだったようで、スイスマスコミの取材に
「できるだけ早くチームに戻るためにベストを尽くすよ。僕には(EURO出場のために)実戦が必要なんだ」と答えています。

ブラジルに敗戦
レバンテ戦の翌日、スイス代表に合流。11月15日の親善試合の相手はブラジルでした。世界トップクラスの強豪国との対戦を前に、チームにはポジティブな高揚感が満ちていました。
ピッチ入場を待ちながら、キャプテン同士隣に並んだ元チームメイトのカカと、笑顔で言葉を交わすフォーゲル。良い試合ができれば、ベティスでのモヤモヤした気分を吹き飛ばせたかもしれません。
しかし、前半ブラジルのペースにはまったスイスは2点を失います。後半フォーゲルは新鋭ジェマイリにポジションを譲り、ベンチに退きました。オーストリア戦に続き、2試合連続の途中交代です。(その後ブラジルのオウンゴールで1点を返し、2-1で試合終了)

フォーゲルは、W杯予選12試合(プレーオフ2戦を含む)と、W杯本大会4試合の全てにフル出場し、不動の6番の地位を築いていました。
しかしW杯後の親善試合4試合では、フル出場1回、前半のみ出場が3回。代表内での彼の立場に変化が起こり始めたようでした。
そして同時に、クーン監督との間に築かれていた信頼とパートナーシップも、少しずつ揺らぎ始めていたのです。

クーン監督への不満
ドイツW杯開幕直前、「ケビ・クーン」というタイトルの本が出版されました。伝記形式ではなく、スイス代表選手全員とスイスサッカー協会の人々が語った、それぞれのクーン監督とのエピソードを一冊に収めたもので、「スイス代表チームの監督へのオマージュ」という副題がついています。

フォーゲルのページには、こんな事が書かれています。
「僕は1999年から2005年までの6年間、PSVアイントホーフェンでプレーしていた。その間にクーン監督が代表監督に就任した。彼はしばしばアイントホーフェンを訪ねてくれた。彼の訪問は毎回嬉しかった。選手にとってそれは栄誉であり、自分の価値が認められているという実感でもあった。」

「ケビはいつも、アイントホーフェンに最も近い空港であるドイツのデュッセルドルフに飛び、そこからレンタカーでPSVの練習場に来た。フライト時刻の都合で、トレーニングは終わりの方しか見られなかったけれど、彼の主な目的はPSV監督や僕と話をすることにあった。この話し合いを僕は特に楽しみにしていた。ケビはサッカーに限らず、多彩な関心を持っている。彼とは何でも話し合えた。一緒に昼食をとりながら、サッカーの話が終わった後は、料理・食べ物・ワイン・僕の子供のことなど、いろんな話が弾んだものだ。」

EURO2004ポルトガル大会が閉幕した後、クーン監督はフォーゲルをキャプテンに任命。以後、W杯2006までの2年間に、2人の間には強い信頼関係が築かれました。監督はいろいろな事について、フォーゲルの主将としての意見を求め、フォーメーション決定にさえフォーゲルの考えが取り入れられていたということです。

ところがW杯が終わると、監督は燃え尽きてしまったかのように、選手との積極的なコミュニケーションを取らなくなってしまいました。所属クラブを訪問したり、電話をかけて状況を尋ねることは殆どなくなり、独断で物事を決めることも増え、フォーゲルは
「監督は変わってしまった」と感じ始めていました。

ベティスの監督交代
ベティスに戻ったフォーゲルは、12月10日のヘタフェ戦で後半途中から投入され、6週間ぶりのリーグ戦復帰を果たしました。続く20日のヒムナスティック戦では、フル出場で勝利に貢献。イルレタ監督の怒りはようやく解けたようでした。

ところがその翌日、イルレタ監督辞任の知らせが。成績不振で以前から解任が囁かれ、一度は続投が決まったものの、降格圏から抜け出すことができず、自ら契約解除を申し出たようです。
新監督はルイス・フェルナンデスに決定。フォーゲルは監督交代を歓迎し、
「僕にとって新しい段階が始まる。なぜなら僕とイルレタ前監督の間には問題があったから」と現地紙にコメントしました。

年が明け、リーガ再開。フェルナンデス監督はフォーゲルに信頼を置き、スタメンで起用しました。チームは徐々に調子を上げ、1月末のバレンシア戦勝利により、ついに降格圏を脱出。
フォーゲルはフェルナンデス監督の手腕を評価すると同時に、スタメンで常時出場していることにより
「また代表でいいプレーをする準備はできたと思う」と語りました。

スイス代表3連敗
新年の最初の代表戦は、2月9日の親善試合ドイツ戦でした。フォーゲルはスタメンで、57分にジェマイリと交代。スイスは期待に反する低調なパフォーマンスで、3-1の完敗を喫してしまいました。

とうとう3連敗です。それまで国民的英雄扱いされていたクーン監督に、初めてマスコミからあからさまな批判が浴びせられました。
自国開催のEURO2008を1年4ヶ月後に控え、監督には測り知れない重圧がのしかかったのです。

代表落ち宣告
フォーゲルはベティスでその後もスタメンを確保し、好調を維持していましたが、2月下旬の練習中に膝を負傷。半月板を痛めて数週間の離脱となりました。

30歳の誕生日を翌日に控えた3月7日の晩、クーン監督から久々に電話がかかってきました。誕生祝いかとフォーゲルが一瞬喜んだのも束の間、聞こえてきたのは耳を疑う言葉・・・
「今後はもう君を招集しない」
呆然とするフォーゲルに対し、監督は
「君が『クーン監督のもとではスイス代表はもう成功できない』と発言したと、ある情報筋から聞いた。我々の信頼関係は壊れた」と続けました。

思い当たるのは、オーストリアとブラジルに連敗した後で、タブロイド紙の取材を受けた時のこと。フォーゲルは記者に、
「チーム内のコミュニケーションが不十分だ。監督は、選手を訪ねたり電話することをほとんどしなくなってしまった」と話したそうです。これが曲解されて監督の耳に入ったのだとフォーゲルは確信しました。
(詳細は、インタビュー
「クーン監督に裏切られた気分だ」 をお読み下さい。)

翌日記者会見を開き、フォーゲル外しを発表した監督は、
「チームの雰囲気は長いことおかしくなっていた。私はメスを入れねばならなかった」、「このようなシグナルは、今の私にとって緊急に必要だった」と述べました。
3連敗で批判の矢面に立たされた監督は、“何かをしなければならなかった”のでしょう。誰にも相談せずにたった1人で決めた“メス入れ”は、信頼関係が崩れつつあったフォーゲルを追放することでした。

2人の関係が悪化し始めたのは、オーストリア戦で後半ベンチに下がったフォーゲルが、交代に納得できず監督に激しい調子で抗議したのがきっかけだったと、監督はのちのインタビューで語っています。

壊された夢
「パラダイス」と称していたミランを、たった1年で去ることを決意したのは、ひとえにEURO2008出場という目標のためでした。
ミランに残ることを勧めた代理人に、フォーゲルはこう話したそうです。
「僕は代表キャリアの締めくくりとして、自国でのEUROで素晴らしいパフォーマンスをしたいんだ。でもそのためには、クラブで試合に出ていなければならないんだ。」
彼はEURO後に代表引退することをひそかに決めていたのです。
しかし、最後の大舞台EUROで輝くという彼の夢は、たった1本の電話によって壊されてしまいました。

1995年3月8日、18歳の誕生日に代表デビューを果たしたフォーゲルは、ちょうど12年後、94キャップという記録を残して代表ユニフォームを脱ぎました。

監督解任と残留決定
2月下旬に膝を痛めてから2ヶ月。それまで大きな怪我をしたことがなかったフォーゲルにとって、キャリア初の長期離脱でしたが、4月28日のアトレティコ・マドリー戦で交代出場しカムバック。5月13日のバルセロナ戦ではフル出場しました。

ところが6月はじめに再び膝を負傷し、9日のオサスナ戦は欠場。ホームで行われたこの試合で、ベティスは5-0という大敗を喫し、フェルナンデス監督が解任されました。
残留か降格か。運命は残された最終戦(対ラシン)に委ねられましたが、ベティスBのチャパーロ監督の指揮のもと2-0で勝ち、残留が決定しました。

エバートン移籍は暗礁に
喜びも束の間、またも新しい試練が待っていました。新監督に就任したエクトル・クーペルは、複数の選手を構想外としてリストアップ。その中には、フォーゲルの名も入っていたのです。
「スペイン語を上達させるために8月からコースに通う」と張り切っていたフォーゲルは、急遽移籍先を探さねばならなくなりました。

ベティスとの契約は2年残っていましたが、即時契約解除で合意し、フリー移籍に。複数のクラブが興味を示す中、具体的な交渉が進んだのはエバートン。8月にはサイン目前までこぎつけていました。
ところが、エバートン側が契約成立を待たずに公式サイトで発表してしまったために、厄介な事が起きてしまいました。

ベティスの大株主として実権を握るマヌエル・ルイス・デ・ロペラ前会長が、エバートン移籍間近を知って突然横槍を入れてきたのです。彼は一転してフリー移籍を許さない方針を打ち出し、エバートンに300万ユーロの移籍金を要求しました。
同時に、ベティスと協力関係にあるスペイン2部のカディスにレンタル移籍させようとし、フォーゲルに承諾を迫りました。

フォーゲルが2部行きを拒否すると、契約に反するとしてトレーニング参加を禁じました。ベティスは全ての選手との契約に、「クラブが指定したレンタル先に行かなければならない」という条項を盛り込んでいるのです。

フォーゲル側も、給料の一部がまだ支払われていない事と、チームから除外された事を契約違反だとして、クラブを訴えることを検討。
ベティスとの問題が解決しない限り、エバートンへの移籍話は凍結となってしまいました。
練習させてもらえない、移籍もできない・・・嫌な言葉ですが「飼い殺し」の状況になってしまったのです。

9月6日に双方の弁護士が、スペインサッカー協会の仲裁機関で話し合いましたが、合意には至らず。これにより、争いは法廷に場を移すことになりました。

叶わなかったマラソン出場
チーム練習から締め出されている間、フィットネスコーチを雇って個人トレーニングしつつ、毎日1時間〜1時間半の走りこみをしていたフォーゲルは、11月4日開催のニューヨーク・シティ・マラソンに出場しようと思い立ちました。ベティスとのトラブルがなかなか解決しない中、「ポジティブなエネルギーを得て、穴に落ち込まないために」マラソン挑戦という目標を自分に課したのだそうです。
しかし、エントリーを済ませスタートナンバーを貰った後で、初公判の日程がマラソン翌日の11月5日に決まり、出場はキャンセルせざるを得なくなりました。

その代わりにエントリーしたのは、10月28日の第1回ルツェルンマラソンです。申し込み期限は過ぎていましたが、主催者とコンタクトを取って参加を快諾され、
「目標は完走すること。すごく楽しみだ」と張り切っていました。
ところが、開催日の数日前になってこちらもキャンセル。弁護士から、
「出場することが裁判で不利な材料になるかもしれない」とストップがかかったのだそうです。とても残念な出来事でした。

ベティスと契約解除で合意
公判は11月中に3回行われました。フォーゲルからの2つの訴え(給料の一部が未払い/チームからの除外が契約違反)が審議されたものです。

12月27日、ベティスの公式サイトが、「双方の合意により契約が解除された」と発表しました。
「僕の望みはひとつ、早くまたサッカーがしたいということだ。この忍耐の時間が早く過ぎる事を願っている」と語っていたフォーゲルの、苦しい日々がようやく終わりを告げたのです。

ロペラ前会長の嫌がらせのおかげで、ベティスとの別れは残念ながら後味の悪いものになってしまいました。
しかし、チームメイトとの間には何の問題もありませんでした。彼がベティスの一員として、1部残留のためにベストを尽くして仲間とともに闘ったことを、忘れてはならないと思います。

近所に住むオドンコールとエドゥと一緒に、Pro Evolution(ウイニングイレブンの欧州版)をプレーして降格プレッシャーからの気分転換をはかったり、ベティスの状況について長いこと話し合ったこともあったそうです。
複数の言語に堪能なフォーゲルは、スペイン語も早くマスターし、オドンコールの通訳を引き受けていました。
2007年夏に加入したイリッチも、
「ベティスに来た時スペイン語が全く分からず、監督の言う事も理解できなかった。でも、フォーゲルが本当に良く助けてくれたんだ」と語っています。
自分自身は放出リストに入って移籍先探しを始めていた頃に、新加入選手を親身にサポートしていたフォーゲル。その人間性はきっと、チームメイトから信頼されていたことでしょう。

ブラックバーン移籍決定
「2007年は僕にとって暗黒の年となった」 とインタビューで振り返ったフォーゲルですが、新年を迎えて気分も一新、いよいよピッチ復帰を目指して始動です。1月下旬からは、ローザンヌ(スイス2部)のチームトレーニングに参加してフィットネスを保っていました。

しかし、移籍先はなかなか決まりません。ガラタサライ、ラツィオ、フルアム、ランスなどが関心を示したものの、具体的な交渉には至らなかったようです。エバートンも、交渉が暗礁に乗り上げていた数ヶ月の間に状況が変わってしまったらしく、話は白紙に戻ってしまったようでした。

3月初め、ブラックバーンの練習に参加するためイングランドへ。2週間のトライアルを経て契約書にサイン、移籍が決定しました。
「砂漠を横断する旅がようやく終わった。新しいリーグでの新しい始まりだ」、「プレミアリーグはセリエ、リーガとともに3大リーグの一つ。イングランドでプレーするのは常に僕の目標だった」と、フォーゲルは喜びを語りました。

成功したデビュー
労働許可取得までに少し時間がかかりましたが、4月5日に待ちに待ったデビューの瞬間がやってきました。トッテナム戦でスタメン起用され、フル出場。前年の5月19日以来、実に10ヶ月半ぶりの実戦でした。

マーク・ヒューズ監督にとって、フォーゲルのパフォーマンスは嬉しい驚きだったようです。長いブランクの後なので、90分もつとは期待していなかったそうですが、疲れを見せることなく安定したパフォーマンスを続けていたため、最後までプレーさせたのだそうです。
監督は、フォーゲルがすぐにスピードに慣れて、必要とされるプレーを把握したことを評価し、
「長い間ゲームから遠ざかっていたにしては、例外的な優れたパフォーマンスだった」、「終盤になっても疲れ切っていなかったのは、彼がブランク中にいかにプロフェッショナルに自分自身をケアしてきたかを示している」、「彼はこれからさらに良く、強くなるだろう」とコメントしました。

FWロバーツも、
「フォーゲルはスパーズ戦で印象的なデビューを果たした。彼はまさに、ピッチに入って違いを見せることができる経験豊かなプレイヤーだ。ボールキープに長け、非常に優れたテクニックを持っている。ビッグゲームにおいては、クオリティと経験を持つ選手が必要になるが、彼はその両方を沢山持っている」と賞賛。

フォーゲル自身は、デビュー戦の感想を以下のように語っています。
「試合直前に監督からスタメンと知らされた。再びピッチに立てるという喜びが、緊張を忘れさせた。10ヶ月間試合に出ていなかったが、身体的にも精神的にも準備はできていた」
「僕は90分プレーし、それを楽しんだ。長くプレーすればするほど、本領を発揮できていると感じた。もちろん、もっと向上するポテンシャルはある。でも、現時点では自分のパフォーマンスに満足している。2つのトップチーム、リバプールとマンチェスター・ユナイテッドと対戦する次の2試合が楽しみだ」

“試合ごとに強くなっていく”
その後、シーズン最終戦まで全試合(トッテナム戦を含めて6試合)に連続スタメン出場。
4月19日にホームで行われたマンU戦では、C.ロナウドのゴールを阻む好プレーを見せるなど、マンUの攻撃をよく食い止めて高い評価を得ます。86分に交代した際には、観衆のスタンディングオベーションで送られました。(先制したブラックバーンは終盤までリードを守りましたが、88分にテベスのゴールで追いつかれて残念な引き分けでした。)

ヒューズ監督は、
「フォーゲルはプレーする度に強くなる。彼は10ヶ月間全くサッカーをしなかった後、ここに来た。リザーブチームでプレーしていたとかではなくて、サッカー自体を全くやっていなかったんだ。私は彼をスパーズ戦、リバプール戦、マンU戦で起用し、いきなり難しい仕事をさせた。そして、試合ごとに強くなっていくのを見た。一度我々と共にプレシーズンを過ごし、実戦を経験していけば、プレミアリーグに慣れて、来季は我々にとって傑出したプレイヤーになると確信している」とコメントしました。

ポーツマス戦で初勝利
スパーズ戦引き分け、リバプール戦敗戦、マンU戦引き分けの後、デビューから4戦めのポーツマス戦(4月27日)で待望の初勝利。
フル出場したフォーゲルについて、
「彼はゲームを理解している。サッカーのインテリジェンスを備え、ボールを保持している時のチームが何をしようとしているかが理解できる。スペースを埋め、一歩踏み込んで攻撃を潰す。素晴らしい視野と角度をもってパスを出す場面も沢山見た」と、監督の賛辞は止まりません。
ブラックバーンのサポーターサイトでは、4月の最優秀MFに選出されました。

次のダービー戦でも勝利したものの、最終節のバーミンガム戦で敗れたブラックバーンは7位に終わり、インタートト杯出場は叶いませんでした。

監督交代とプレシーズン
ようやく真価を認めてくれる監督と出会ったフォーゲル。しかし、その幸運は長くは続きませんでした。ヒューズ監督が、6月初めにマンチェスター・シティに電撃移籍してしまったのです。後任には、監督歴2年の新進ポール・インスが就任しました。

08/09シーズンは背番号が「8」から「14」に変わりました。グラスホッパー時代・PSV時代・ミラン時代につけていた愛着の深いナンバーです。
プレシーズンの最初のテストマッチでは、レギュラー組が起用された前半に出場し、1アシストを含む好パフォーマンスで上々のスタートを切りました。
しかしその後太ももを負傷し、残りのテストマッチ6試合には3割程度しか出場できませんでした。

「監督交代の犠牲者」に
プレミアリーグ開幕直前にも筋肉のトラブルが起き、開幕戦のエバートン戦を欠場。1週間から10日の離脱という診断でした。
休んでいる間に、フォーゲルと同ポジションの選手が2名、ブラックバーンに移籍してきました。1人は、インス監督がブラックバーンの前に指揮を執っていたミルトン・キーンズ・ドンズでキャプテンを務めていたアンドリュースです。

監督は早速、秘蔵っ子のアンドリュースを積極的に起用。フォーゲルは怪我が癒えた後も、ベンチにすら入らなくなりました。
「監督は僕を信頼していない。でも僕はプロフェッショナルに対処している。自分が信頼に値することを証明するために、ハードにトレーニングしているんだ」、「クラブを離れたくはない。ポジション争いをする準備はできている」と、フォーゲルは9月下旬、スイスの新聞にそう語りました。

しかし状況は変わらぬまま時が過ぎ、10月下旬イングランドのメディアに、「フォーゲルがブラックバーンを去る方向」という記事が掲載されました。「フォーゲルは監督交代の犠牲者となった。インス監督の指揮下では今後も出番がないのはほぼ確実なため、ウィリアムズ会長が“移籍先探しを開始してよい”という許可をフォーゲルに与えた。これを受けて、既に複数のクラブと接触している」という内容でした。

監督再交代でチャンス?
そんな中、チームは不振に陥っていました。9月27日のニューカッスル戦勝利を最後に勝ち星から見放され、11月9日のチェルシー戦以降は6連敗で降格圏に転落。12月半ば、ついにインス監督の解任が発表されました。
後任には「ビッグ・サム」ことサム・アラダイスが就任。フォーゲルの代理人セメラーロ氏は
「この監督交代はヨハンにとってチャンスだ。」とコメントしました。

アラダイス監督は、
「全ての選手に公正なチャンスを与えたいのはもちろんだが、現在の特殊な状況(=降格圏内)においては、自分が既に知っている選手を起用するのがベストだ。ブラックバーンで一定期間プレーしてきた選手たちに、私は最も大きな信頼を置くべきだ。だから、フォーゲルらプレミアリーグに来て間もない選手たちにとっては、ちょっと難しくなるだろう。彼らはチャンスが来るのを待たねばならない」とインタビューで語りました。
降格圏を脱するという緊急ミッションにおいては、未知の選手をテストする余裕はないという事で、今しばらくは忍耐を強いられそうです。

監督はフォーゲルについて、
「彼が再びフットボールをエンジョイできるクラブを見つける方が良いかもしれない」と発言したとも伝えられています。
“移籍先探し”は継続されているのかもしれません。しかし、ブラックバーンに在籍している限りは、そこでチャンスを掴み取るべく、静かに闘志を燃やしながらトレーニングに全力を注いでいるはずです。

代表復帰への扉
待ちに待った自国開催のEURO2008で、グループリーグ敗退という失意の結果に終わったスイス代表は、引退したクーン監督の後任にオットマー・ヒッツフェルト氏を迎えました。
新監督は就任会見で、
「代表への扉はすべての選手に開かれている。フォーゲルにもだ。」と、復帰の可能性があることを示唆。
その後も、
「フォーゲルはプレシーズンに負傷したため、テストマッチにはわずかしか出場できなかった。しかし私はこれからも、彼を集中的にウォッチしていく。クラブで常時出場し、良いパフォーマンスをしていれば、扉は彼にも開かれる」と語っています。

EURO2008でのスイス代表のパフォーマンスには、2年前のワールドカップでの力強さが微塵も感じられませんでした。特にディフェンスの脆さ、パスミスの多さ、経験豊富でリーダーシップのある選手の不足が指摘されました。
フォーゲルの速く正確なパスワーク、強固な守備力、そして94キャップの経験が今こそ必要なのではないでしょうか。
一日も早くクラブでピッチに戻り、その実力で代表への扉を開け、もう一度rotweiss(赤白)のユニフォームを着て輝く日が来ることを心から願っています。

Johann, wir glauben an dich!!