なつめのひとりごと


病院坂の首縊りの家(横溝正史、角川文庫)
 なんという壮大なスケールの作品だろう。始まりは明治初期である。そして終わるのが昭和48年。およそ100年ほど続いた法眼家の歴史を縦軸に、その間に起こるいくつかの殺人事件を横軸に動くのである。

 この小説は過去石坂浩二さんの金田一耕助によって再現された。監督は市川昆さんである。石坂金田一版「病院坂の首縊りの家」を見た時、正直言って意味がよくわからなかった。察するに、横軸である殺人事件は描けているものの、縦軸の法眼家の歴史が描けなかったのではないか?またその映画の主軸が昭和48年に置かれているのも、映画版「病院坂の首縊りの家」をわかりづらくしている一因ではあるまいか?だが、これは石坂さんや市川さんを恨むべき筋ではない。スケールがあまりにも大きすぎて、完全な映画化は不可能だったのだろうから。改めて言うが、この物語は法眼家の100年の歴史という縦軸と殺人事件という横軸をしっかりと描けなければ、映像化は恐らく無理だろう。

 ただ石坂版「病院坂の首縊りの家」はラストがすさまじく美しい。原作のラストとは異なっているが、金田一ファンは必見である。

 この作品が金田一耕助シリーズのラストらしいので、ラストから読み始めちゃった私はなんなのか・・・。でもこれを読んでいると京極夏彦さんがモロに横溝正史さんの影響を受けているのがわかりますね。

 ちなみに、稲垣吾郎さんが演じた「犬神家の一族」の冒頭に、金田一がアメリカを放浪していたという部分がありますが、あれはおおむね原作に忠実です。「病院坂の首縊りの家」にも記述が見えますし、金田一はアメリカから帰ってきた後、岡山県に現れて「本陣殺人事件」を解決したという設定になっていますし・・・。また原作にも何食わぬ顔で横溝正史さんが出てきますよ。ただしこれは古谷一行さんの演じた金田一シリーズ1作(作品名は忘れました)と稲垣金田一以外では省略されていますけどね・・・。

 もし興味のある方は読んでみて下さい。上下2巻に渡っているので、頑張って読んでね。

新潟中越地震から1週間経って(10月30日)
 自分のところだけではなく、知り合いのサイトの掲示板も利用させていただいて、義援金&救助物資の協力を募った。みなさん関心を持っていただいてありがたかった。

 新潟も少しずつ復興の兆しを見せ始めている。震源地に近い場所はまだまだ交通が麻痺しているが、それ以外のところでは元に戻り始めている。まずは上越新幹線。昨日から新潟〜燕三条間が復旧した。わずか一区間であるが、それでも嬉しい。こちらも情報が錯綜しているが、11月上旬には燕三条〜長岡間が復旧予定だ。長岡から越後湯沢までは代替バスが走る予定だ。そうすればとにかく新潟〜東京駅間が一本で繋がる。ただ時間はかなりかかる。新潟〜長岡間が約30分。越後湯沢〜東京駅間は1時間半弱。ただ長岡〜越後湯沢間がどのくらいかかるのかわからない。震源地を迂回しながら行くので。2,3時間はかかるのかな。そうすると乗り物に乗っている時間だけで4,5時間。普段の倍。待ち時間を合わせるとどのくらいかかるのかな。わかんないです。

 先ほど作家の大沢在昌・宮部みゆき・京極夏彦さんの公式HP「大極宮」へ行ったら、新潟中越地震に関するコメントが寄せられていて、心が温かくなりました。大沢さんの「こんな時小説家は無力だ」という言葉を胸に刻みつけながら、小説家を目指す私がそこにいました。ちなみに1週間前本震の後の数度の余震の最中でもShellyを書いていた私。あの頃のほうが怖くなかったかもしれない。

 またNHKスペシャルで新潟中越地震の特集をやっていました。全村避難となった山古志(やまこし)村に2時間の一時帰宅を果たしたおばあさんが衣類を鞄にしまい、手作りの味噌をバケツに入れ、家を去る瞬間に「さよなら」と言って号泣した姿に涙しました。おばあさんの年齢からいってももう山古志村には帰れないかもしれません。それどころか山古志村は地形が変わってしまい、土から染み出した水が浸食して天然ダムのようになってしまい、廃村の憂き目に遭うかもしれません。

 まだまだ終わりませんが、とりあえず1週間経った私の気持ちを吐露しました。


ル=ガルー 忌避すべき狼(京極夏彦著、徳間書店)
 狼に魅入られた。とでもいうしかない。かねてから気になっていた「ル=ガルー 忌避すべき狼」を読み終わっての感想である。いまだに本の世界から抜け出せない。この作品はやっぱり現在刊行されている京極作品をすべて読破した上で、最後に読んだ方が良い。少なくても巷説百物語と京極堂両シリーズだけは必ず読んで欲しい。

 簡単にあらすじを紹介しておこう。舞台は2030年の日本。2030年の日本では、学校と言うものがなくなり、児童は自宅でモニタを通して学習する。基本的に人と会うこと(リアルコンタクト)をすることはない。週に一度、コミュニケーション研修と称して児童はエリア内のカウンセラーに会い、人と接する機会を学ぶ。食事は植物以外はすべて合成肉だ。魚も牛も豚も鳥も殺さない。使わない。何で出来ているのかわからない合成肉で作られている。生態系から外れた人間の世界。その中で次々と起こる連続殺人。真相に迫る中年刑事橡(くぬぎ)とカウンセラー不破。真相に気づいた6人の少女たち(神埜歩未、牧野葉月、都築美緒、矢部祐子、佐倉雛子、麗猫ーレイミャオ)。京極堂シリーズで出てきたある人物の最期が描かれたミステリーである。

 この作品は作り方も面白くて、アニメージュ(徳間書店)を通して、3年の歳月を掛けて作者と読者の双方向のやり取りを続けた上で作られた小説である。作家が一方的に読者に作品を提供するのではなく、作者と読者が協力して作り上げた物語である。

 登場人物の設定は京極堂シリーズと巷説百物語シリーズを混ぜた感じ。なぞらえるとこんな感じだろうか。神埜歩未ー御行の又一、牧野葉月ー山岡百介、都築美緒ー榎木津礼次郎、佐倉雛子ー中禅寺秋彦(京極堂)、麗猫ー木場修太郎。(矢部祐子は該当なし)。

 ちなみに、近未来という設定なので、現代では当たり前の言葉がいろいろ言い換えられています。例えばテレビは画像受信機、漫画はデフォルメーションキャラクター。さて、ここで問題です。フラボノイド系ドリンクとは何でしょう?現代の呼び名で答えてね。わかった方には先着1名様にグリーティングカードをプレゼントします。欲しい方はメールアドレスを付記の上、BBSに答えを書き込んで下さい。ご応募お待ちしております!


白蝋の死美人(9月14日)
 タイトルは、2004年4月にTBS系で放送された古谷一行主演の金田一シリーズ(以下古谷金田一と記載)である。古谷金田一は「女径」以外全て見た。「白蝋の死美人」は古谷金田一シリーズの中では、面白いと思ったものの一つである。この脚本は2つの横溝作品をモチーフにしたオリジナルである。「白蝋の死美人」がなぜ良かったか。それは古谷一行演ずる金田一耕助の人間くささに共感したからである。

 金田一耕助は過去様々な役者さんによって演じられてきた。私が見たのは石坂浩二、古谷一行、豊川悦司、稲垣吾郎。その中でも石坂金田一こそ、最高の金田一だと思っていた。石坂金田一は垢抜けていて理知的で冷静で情に流されない部分があった。市川昆監督の極彩色の演出ともあいまって、郡を抜いて私の目を引いた。そして今回書いている古谷金田一は、私の中で一番苦手なシリーズだった。古谷金田一は好奇心は旺盛だけれども、野暮ったくて人情味がありすぎて、私の持つ名探偵像とあまりにもかけ離れていた。しかし原作者の横溝正史氏はこの古谷一行こそ、金田一を演ずるに相応しい役者だと思っていたようである。そしてなぜ横溝氏が古谷金田一をお気に召していたのか、合点がいかなかったのである。

 しかし今回の「白蝋の死美人」を見て、横溝氏が古谷金田一に惚れ込んだ理由が少しだけわかったような気がした。横溝氏は血なまぐさい殺人事件に関わる金田一耕助に、人間らしい温かさと包容力を求めていたのかもしれない。犯人を断罪するのではなく赦し、殺人事件に関わった人を一人でも多く救うようにと、願っていたのかもしれない。それを演じたのが古谷一行だったのかもしれない。古谷金田一はどの作品でも愛嬌たっぷりで、かつ情に厚い。「白蝋の死美人」でも冤罪を被せられ、かつ利用される孤独な女性を最後まで信じ、探し続けた。そこが古谷金田一の最大の特色かもしれない。

 ただ古谷一行さんもさすがに年齢には勝てないようで(初演が約20年前)、容色が衰えてきたのが残念。そろそろ新しい金田一耕助が出てきてもいいかなと思ったのも本音。やっぱ10月1日「八つ墓村」でしょ。楽しみにしてるよ、吾郎ちゃん。吾郎ちゃんには石坂金田一の理知的な部分と古谷金田一の人情味を兼ねそろえた金田一耕助を演じて欲しいです。

 「白蝋の死美人」は多分ビデオ、DVD化はされないと思います。見逃した方は、想像で補って下さい。それにしても見たのが放送から半年後。お蔵入りかと思ったこともありました。何とか見れました。良かった〜。

1泊2日東京の旅(8月9日)
 8月7日午前10時。新潟県某所で美里友達(みさとも)6人と待ち合わせ。高速道路に乗り、いざ東京へ!目的が西武ドームで行われる渡辺美里コンサートのため、往路はずーっ美里の曲を掛けっ放し。いつものメンバーもいたけど、初対面の人もいて車に乗り込むまでは随分緊張したけど、美里の前では緊張もほぐれました。谷川岳SAでは、いつもなら、燻製たまごを食べたり谷川岳の水を汲んだりちょっとそこら辺を歩き回ったり写真を撮ったりするんだけど、今年はことごとくアウト。着いて少ししてから大粒の雨が降り出し、やがてひょうに変わり、視界0の状態になりました。私は後部座席にいたけど、それでも運転が怖かったな。真夏のひょう。怖いよ〜。赤城SAで食事を摂りいざ西武へと助手席に乗り込んだ瞬間気づいたことがあるのです。赤城SAから西武は何事もなければ毎年ノンストップ。助手席に乗る人は運転者のナビをしなければならないのです。もちろんカーナビ積載の車ではあったけれども、でもやっぱりナビは必要で・・・。入間インターを降りるときに、運転者に「地図が読めない・・・」と言ったら、「何!?」と言われました(そうですよね・・・)。それでも市販の地図と運転者自らがあらかじめ作成したお手製の地図を駆使して渋滞に巻き込まれることもなく、予定時刻には西武ドームに着きました。

 西武ドームに着いてから開演前までは結構自由行動でした。なので私は当サイトのリンク集にもある「BIG WAVE 渡辺美里図鑑」様のオフ会へ参加しました。管理人のNacky様をはじめ、美里ファンの方たちと盛り上がり記念写真も撮りました。

 肝心の美里のコンサートは本当に素敵で・・・。選曲も私好み。オープニング曲もドンピシャで当てたし、ファーストアルバムタイトル曲「eyes」やすごく聞きたかった「あなたの好きな歌」も聞けて感動でした。久々にダンサーが出て美里のダンスも拝めたし、言うことなしです。

 翌日は今度はスマップ友達(スマ友)と会いました。有楽町駅にAM11時に待ち合わせ。「無印良品」のカフェでランチ。それがすごくヘルシーで美味しかった。900円弱でお惣菜を4品選べてパンかご飯とドリンクが付きます。私の選んだお惣菜は「水菜とひじきのサラダ、生ほうれん草とカリカリベーコンのサラダ、洋風おから、豆腐とトマトのサラダ」でした。ドリンクはアイスハーブティ。特に豆腐とトマトのサラダは美味しかったです。その後は私の、美味しいケーキが食べたいというリクエストに応えてもらって、お店の名前はわからないのですが、銀座の小さなケーキ屋さんで「季節のフルーツタルト」を食べました。実はそのケーキ屋さんは、私の会社の東京営業所の人がお土産に買ってきてくれたお菓子を作っているところで、すごくびっくりしました。

 お食事も美味しかったけど、スマ友さんたちの気遣いにもすごく感謝しています。現在自由にテレビを見ることができない私のために、スマップが出ている番組を片っ端から録画してきてくれたり・・・。それはみさともさんにも感じたことなんだけど、こういうことがあると、人間っていいなと素直に思います。人の温かさに触れた2日間でした。

 みさともさん、スマ友さん、本当にありがとう。たとえ1年に1回しか会えなくてもあなたたちと会うと元気が出ます。それが私の活力です。社会人になっても、そういう人たちがいて、喜んだり悲しんだりできる私はすごく恵まれているんだと思いました。Thank you!


総評 巷説百物語(7月5日)
 切々と胸に迫るセンチメンタリズム。メランコリズム。百介は生涯又市の影を追い続けて生きてきたのだなと思う。又市とともにからくり仕掛けに関わる時が百介にとって「生きている」と感じるときで、そうでないときは「死んでいる」と感じていた。ただひたすら彼岸の彼方に行きたくて、けど行けなくて、行き来も出来なくて、生涯を此岸の彼方で生きるしかなかった百介。そんな百介が最期に思いついたのが「百物語」。若かりし頃の百介が開版したくてしたくてしょうがなかったもの。又市のからくり仕掛けにはじめて加わったときに行われたのもまた「百物語」だった。又市もまた百介を頼ってくれていたことを知って、又市の仲間のおぎんの無念を晴らすために執り行った「百物語」。そこに百介の哀愁が見えるのである。

 巷説百物語は現在発刊されている京極作品のほとんどとつながる作品です。「嗤う伊右衛門」からはじまって「京極堂シリーズ」にまでつながる作品。京極作品の中心に位置しているといっても過言ではないと思います。1冊1冊が分厚いけど、5から6篇の中篇から成り立っていて読みやすいです。

 また学校の歴史の教科書では決して教えてくれない、江戸時代の裏の歴史も楽しめます。士農工商から外れた人々。彼らの大変だけど、自由な生き方。そこに目をつけて巷説百物語を書かれた京極夏彦はまさに慧眼です。

 御行の又市、事触れの治平、山猫廻しのおぎん、算盤の徳次郎、御燈(みあかし)の小右衛門、百介らの、鮮やかで歯切れがよく、そして切ない人情話をとくとご賞味下さい。


綾戸智絵ライブレポ(7月4日)
2004年7月4日(日)新潟市民芸術文化会館 綾戸智絵コンサート

曲目
1、アメイジング・グレイス
2、テネシー・ワルツ
3、ゲゲゲの鬼太郎
4、センチメンタル・ジャーニー
5、ワンダフル・ナイト
6、ラブ・レターズ
7、Mr.Boyangles
8、プライベート・ムーン
9、スロー・ダンサー
10、、黒衣のオルフェ
11、ストーリー・マンデー
12、ゲット・イントゥ・マイ・ライフ
13、サマータイム

ENCORE
ブロウイン・ザ・ウインズ

 開演直前スタッフが譜面を持ってステージに現れる。ピアノの上に譜面が置かれ、いよいよ綾戸登場!今日コンサートが行われた新潟市民芸術文化会館のコンサート用舞台ははもともとクラシックコンサートを行うために作られたもので、舞台を中心に360度客席がある構図になっています。(池袋のグローブ座に行ったことがある人はわかるね?)今日のステージもピアノの後には合唱団が登壇するための壇が組まれているのですが、綾戸は登場するなりそこに駆け上り、手を振ったり投げキッスをしたりして、観客の声援に応えています。黒のパンツに黒のヒール、ショッキングピンクのブラウスを着ていました。その綾戸さんの姿を見るなり、涙が浮かんできました。彼女は私の憧れの人だから、ね。1曲目のアメイジング・グレイスは白い巨塔のアレンジとは異なり、最初は正直気づかなかった。高音部のメロディを聞いて、もしかして?と思ったら、もしかしてでした。2曲目のテネシー・ワルツ。この曲が一番印象に残ったかなぁ。やっぱ十八番だけあるんですよ。既に自分のものになっている!完全にオリジナルになっていました。12曲目のゲット・イントゥ・マイ・ライフは綾戸さんのオリジナル曲で、息子イサ君に捧げた曲だそうです。10から13曲は今日が初舞台という新人の20歳の男の子を舞台に上げて、綾戸さんのパートナーのギタリストと3人でやったものです。

 曲目は上記のとおりなので細かくは述べませんが、いろいろと綾戸さんが言った言葉で印象に残ったものがあります。

・ワンダフル・ナイトを歌うとき、私の頭の中には映像が浮かんでいる。私が歌った歌が今日来ている老若男女の人生に跳ね返り、また私のもとに戻ってくる。それが面白くて、この曲は何度歌っても飽きない。

・時間って大切なもの。(心が)痛い日もある。それを時間が癒してくれる。

・言葉なんてなんでもいい。英語でもジンバブエ語でも。歌詞がようわからんかってもなんとなく歌の内容が伝わればそれでいい。

・仕事が忙しくなってきたとき、子供が「お母さんは僕のことを見てくれていない。いつもお客さんの方ばかり見ている。たまには僕のために何か歌ってよ」と言われて、ゲット・イントゥ・マイ・ライフを歌った。生活のために仕事を忙しくしていた時期だったけど、このときが一番家族との対話ができたと思う。

・子供には私より先に死んで欲しくない。私を送ってくれる人が欲しい。

・神は私にニ物を与えた。1つは美(笑)。もう1つはお客さん。デビューして7年、音楽は顔も知らない、ひとりでも多くの人と出会う手段になった。私はひとりでも多くの人と会うために、音楽という手段を使っている。

・小さい頃、お母さんにボブ・ディランの「ブロウイン・ザ・ウィンズ」を聞かされた。そのときは「なんやこれ」と思ったけど、この年になって聞きなおしてみて、これは私が歌わなあかんと思った。だからニューアルバム「Time」に入れた。あと何度青い空が見れるだろうと歌ったボブ・ディランは偉大だと思う。

 MCだけ書き連ねても多分読んでいる人は情景がつかめないかもしれない。でも私は思った。「生きるって大切なこと。与えられた命をまっとうするのは素晴らしいこと」

 綾戸智絵という人はほんまに喋り捲る人で、コンサート時間の半分をMCに使っていた。かなり赤裸々な告白もしていた。普通の歌手なら2時間でこの倍は曲目をこなしていると思う。でも私は思った。綾戸智絵はエンターティナーだと。歌もピアノも喋りも全部含めてとても演出上手な人だと思った。最後の終演アナウンスも自分でこなしていたし(笑)。ギタリスト君が登場してからは加藤茶のちょっとだけよをやったり、クラシック用のコンサート会場で踊りまくったり、持っているパワーをその時々に応じて使い分けることができる、器用な人だと思った。声量もすごくて、マイク一本で会場に綾戸の声がじわじわと浸透する。これほどの声量の持ち主は私はあと1人しか知らない。あと1人の名は渡辺美里。美里の場合は、浸透というよりも発散といった方が近いけれども。

 本当は「夜空ノムコウ」をすごく聞きたかったけど、これは次回におあずけということで。以上です。


京極夏彦の歩き方(5月9日)
 京極夏彦作品といえば、分厚い本で有名である。本屋で見かけただけで、あの厚さから尻込みをする人も多かろうと思う。京極ファンの私が見つけた、京極夏彦の歩き方を伝授しちゃいます。

1、嗤う伊右衛門、覗き小平次などのどのシリーズにも属さない小説から読む。
 これは意外とお勧めです。特に嗤う伊右衛門は映画化もされているので、馴染みやすいと思うんです。嗤う伊右衛門に出てくる小股潜りの又市さんは巷説シリーズの主人公でもありますし、時系列で見ても無理がない入り方です。四谷怪談なんかは誰もが知っている物語ですしね。ただし短篇であっても、ル・ガルーは除いて下さいね。

2、巷説百物語シリーズを読む。
 このシリーズも分厚いですが、中は6から7つの中篇小説から成り立っています。ゆえに、好きなときに読み始めて、好きなところで止められるという利点があります。主要登場人物も少ないです。京極先生ご自身も巷説はどこから読んでも構わない。どこから読んでも話がわかるように作ってあるとおっしゃっていますし、分厚い割にお手軽なところが売りです。

3、ひゃっきシリーズを読む。
 ひゃっきは話によって、百鬼とも百器とも置き換えられるのであえてひらがなで。このシリーズは京極堂シリーズ(後出)の背景や後日談を集めて作られています。京極堂シリーズの後に読むのが正解なのかもしれないけど、そうするとここに来る前に挫折してしまう人が多数いると思われるので、こちらを前に出しました。京極堂シリーズの前に読んで知っておくと理解が楽な部分も多いです。全く関係のない、エピソードも多数ありますし、短編、中編小説としてお勧めです。

4、京極堂シリーズを読む。
 このシリーズの第1作「姑獲鳥の夏」が京極先生のデビュー作となってしまったために、こちらから読む人がほとんどだと思いますが、投げ出す人が多くて、不当な評価を得ることが多くて、ファンとしては泣けるところです。このシリーズはとにかく、登場人物が多い、どの作品をとっても長編小説である、京極堂こと中禅寺秋彦の独り語りが多くて理屈っぽい、背景の説明が足りないなど読みにくいことこの上ないのです。主要登場人物に特別な思い入れができれば大丈夫なのですが、そうじゃないとうぶめが読めてもその後が続かなかったり、順番どおりに読まないとなかなか理解できなかったりと、京極作品の中で一番難しい作品なのです。逆に、このシリーズが読破できれば、どの京極作品をとってもお茶の子さいさいで読めることでしょう。このシリーズとひゃっきしリースのみ、続刊となっています。

番外編、ル・ガルー
 これは私もまだ未読なので何も言えないのですが、京極堂シリーズの子孫が出てきたりするようです。近未来小説らしいですね。これはちょっとラストに読んだ方が賢明かもしれません。

 私なりの、京極夏彦の歩き方はいかがでしたか。すべからく、全員に応用が効く訳ではありませんので、あしからずご了承下さい。


2人の芥川賞作家(5月3日)
 いうまでもなく綿矢りささんと金原ひとみさんのことである。19歳と20歳の芥川賞作家。本の売れ行きも絶好調である。2人の作品を読んだ。正直に言おう。2人も芥川賞をもらうには早すぎた。綿矢さんの「蹴りたい背中」は文章や言葉の選び方は品がいい。でも行間を埋める何かが足りない。背景をもっと描きこんでも良かったのではないかと思う。主人公がにな川に向けるあの衝動はすごくよくわかるのだが、なぜそういう行動を選ぶのかが理解できない。説明が足りない。ふーんとそれだけで終わってしまいそうな作品なのである。金原さんの「蛇にピアス」は背景はものすごく描かれている。ちょっと描きすぎという感も否めないのだが、主人公の行動原理はわかる。だが、彼女の文章は品がないのだ。身体改造、スタッキングタン(舌を2つに裂いて造った蛇のような舌)、ボディピアス、刺青など聞いているだけで痛そうな内容を取り扱っているが、文章も痛そうなのだ。それだけリアリティがあるのかもしれないが、もうちょっとオブラードに包んだ言い方は出来なかったのだろうか。とにかくグロイ、エロイ。yahooの作品批評で、冒頭のグロイ部分にさえ耐えられれば読みこなせるとあったが、物語の冒頭こそが大事なのではないだろうか。身体改造の趣味を持っている、あるいは興味があるという方以外にはとっつきにくい作品に仕上がっている。

 彼女たちが今後どのような作家人生を送っていくのかわからないし、書き続ける気があるのかどうかもわからない。(綿矢さんは「インストール」という作品を発表しているが)。ただもうちょっと文章の書き方を勉強した方がいいのではないだろうか。綿矢さんは行間の埋め方、金原さんは言葉の選び方を工夫した方が良いと思う。これが2人の芥川賞受賞作品を読んだ感想である。

シェリーの生い立ち(3月21日)
 ShellyはShellyでなかった・・・。と書くと怪訝な顔をされる方も多いでしょう。でもそうなのです。私はあの小説にShellyと名付ける気は毛頭なかったのです。タイトルも主人公も別の名前を考えていました。
 なぜ変える気になったのか?今年の初めだったでしょうか。私は通勤途中の車の中で尾崎豊さんのセカンドアルバム「回帰線」を聞いていました。そしてシェリーと邂逅したのです。あの時、なぜかとても興奮したのを覚えています。そしてこれしかないと、なぜか思ったのです。(思い込みってコワイね)。シェリーをモチーフにした小説を書きたいとは思っていましたが、タイトルまで頂いてしまうとはあの時までは考えていませんでした。第一、ものすごく不遜だと思っていましたから。でも今はこれで正解だと思っています。

 私は尾崎(敬意を込めてこう呼ばせて頂きます)のシェリーを聞くと、いつもある1枚の絵画を思い浮かべるのです。それは「マグダラのマリア」。改悛してイエスに教えを乞うた売春婦。汚された聖女。あの絵をどうしても思い浮かべてしまうのです。シェリーという歌自体、主体がとても曖昧で、尾崎以外の人が歌うととてつもなく気持ちの悪い歌になってしまうように感じます。あの歌は終始問いかけと叫びがないまぜになっています。そして尾崎は最後に言葉にはならない、叫びとも違う唸り声で答えを出しています。その答えは何なのか。私の貧弱なボキャブラリーでは言葉にできませんし、また私自身もその答えが見つからないでいるのですが、何か人生への問いかけの歌と捉えています。その答えが見つかるか、果たしてわかりませんが、Shellyという小説を通して、考えていくことができればいいなと感じています。

 今年は尾崎の十三回忌です。私も機会があったら、尾崎の墓参をしたいなと考えております。それまでにShellyが書きあがるかどうかはわかりませんけど・・・。


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