
ナチ戦争犯罪情報公開法の成立について
清水正義
一、ナチ戦争犯罪情報公開法の概要
アメリカ議会は一九九八年一〇月八日にナチ戦争犯罪情報公開法(Nazi War Crimes Disclosure
Act)(以下、ナチ情報公開法と略す)を、次いで二〇〇〇年一二月二七日に日本帝国政府情報公開法(Japanese Imperial Goverment
Disclosure
Act)を制定した。前者はナチ戦争犯罪に関して合衆国政府機関が保管する機密扱い記録の機密解除と公開を、同様に後者は戦前日本政府・軍の戦争犯罪に関する機密扱い記録の機密解除と公開を主旨としたものである。両者はほぼ同一内容であり、後者は前者の執行過程で前者を補完するものとして制定された。本稿末尾にナチ情報公開法の和訳文を掲載しておくが、その主要な点をまとめれば次のようになろう(1)。
ナチ情報公開法は、アメリカ政府機関が所有するナチ関係記録で現在なお機密扱いされているものについて、なるべく広範に機密解除をするべくしかるべき機関が三年間の期間限定で記録調査、目録作成、機密解除指定等を行うことを定めている。すなわち、同法によれば、
一、法発効後九〇日以内に関連機関を横断する機関「ナチ戦争犯罪人記録省庁間作業部会(Nazi War Criminal Records Interagency Working
Group)」(以下「省庁間部会」と略)を設立し、
二、省庁間部会は一年以内に次の任務を行う。
(1)合衆国のすべての機密扱いされたナチ戦争犯罪人記録を探索し、確認し、目録を作成し、機密解除を勧告し、そして国立公文書館記録管理局で公衆が利用できるようにし、
(2)各省庁と協力し、これらの記録の公開を促進するのに必要な行動をとり、そして
(3)これら記録のすべて、これら記録の処理、及び本セクションに基づく省庁間部会と各省庁の活動を記した報告書を、上院司法委員会及び下院政府改革監視委員会を含む議会に提出する。
三、ナチ戦争犯罪人記録は原則として公開され、公開しない場合の例外事由について詳細に規定される。例外事由を要約的に列挙すれば、
(A)個人のプライバシーを不当に侵すもの
(B)国家安全保障上の利害を損なうような情報源、情報手段を暴露するもの
(C)大量破壊兵器の情報を暴露するもの
(D)暗号システムを損なう情報を暴露するもの
(E)兵器テクノロジーの情報を暴露するもの
(F)現行の軍事戦争計画を暴露するもの
(G)外交活動を弱体化させるような情報を暴露するもの
(H)大統領その他の保護に当たる政府官吏の能力を損なうような情報を暴露するもの
(I)現行の国家安全保障非常事態準備計画を損なう情報を暴露するもの
(J)条約または国際協定に違反するもの
である。機密解除の例外となるこれらの事由はきわめて個別的具体的であり、記録を公開しないという判断は、それが上記(A)から(J)までの事由のいずれかにおいて「有害であると省庁の長が決定した場合にのみ許され」、しかも「かかる決定を行った省庁の長官は、上院司法委員会と下院政府改革監視委員会を含む適切な管轄権を備えた議会の委員会に、直ちにそれを報告するもの」とされている。
以上のように、本法はナチ戦争犯罪に関する合衆国政府保管の機密記録を極力例外なく、全面的に機密解除、公開する方向を示している。
二、ナチ戦争犯罪記録省庁間作業部会の活動
さてナチ情報公開法に則って、一九九九年一月一一日、クリントン大統領はナチ戦争犯罪人記録省庁間作業部会を設立した。省庁間部会の構成員は現在までに若干の変動があるが、開始時点では次の通りである。
国立公文書館記録保管局(NARA) マイケル・カーツ(Michael Kurtz、議長)
公益委員 トーマス・H・ベアー(Thomas H. Baer、元検察次長)
リチャード・ベン=ヴェニスト(Richard Ben-Veniste、多くの議会活動)
エリザベス・ホルツマン(Elizabeth Holtzmann、元下院議員)
国防省 スチュアート・アリー(Stewart Aly)
中央情報局(CIA) デイヴィド・ホームズ(David Holmes)
ホロコースト記念博物館 デイヴィド・モーウェル(David Marwell)(後、ポール・A・シャピーロ(Paul A.
Shapiro)に交代)
司法省特別調査室 イーライ・M・ローゼンボーム(Eli M. Rosenbaum)
国務省 ウィリアム・スレイニー(William Slany)(後、マーク・J・ササー(Marc J.
Susser)に交代)
連邦捜査局(FBI) ジョン・E・コリングウッド(John E. Collingwood)
国家安全保障会議(NSC) ウィリアム・H・レアリー(William H. Leary)
省庁間部会の事務部門は国立公文書館記録保管局(National Archives and Records
Administration,NARA)が担当し、会議もここで行われた。省庁間部会には独自の財源はなく、司法省特別調査室から四〇万ドル、国立公文書館から二〇万ドルが提供されている。省庁間部会議長カーツの後任として二〇〇一年二月一五日から情報保護監視局(Information
Security Oversight Office,ISOO)の局長スティーブン・ガーフィンケル(Steven
Garfinkel)が議長を務めている(2)。
省庁間部会は大統領行政命令の翌一二日にNARAで第一回会合を開いた後、当初は一ヶ月に一回程度、後には数ヶ月に一回程度の頻度で会合を開き、二〇〇一年九月現在までに計二〇回開いている。またそれと並行して、一九九九年六月二四日と七月一二日にロサンゼルスのサイモン・ヴィーゼンタール・センターで、九月二七日にはニューヨークのマンハッタンで、また翌二〇〇〇年八月二一日には同法提出者であるオハイオ州選出上院議員マイク・ドゥワインと共同してクリーブランドのコミュニティ・ミーティングでそれぞれ公開討論会を開催し、専門家を交え意見交換している。また、二〇〇〇年一〇月三〜五日にはリトアニアの首都ヴィリニュスにおいて「ホロコースト時代の略奪文化財に関するヴィリニュス国際フォーラム」を開催している。一方この間、議長カーツは一九九九年一〇月二七日に議会に対して省庁間部会活動の中間報告を提出し、二〇〇〇年六月二七日には同じく議会の政府経営情報技術小委員会で省庁間部会の進捗状態について報告している。
二〇〇〇年二月二四日、省庁間部会はナチ戦争犯罪、戦争犯罪人、ナチ迫害行為、ホロコースト期の略奪財産に関する専門家七名からなる歴史諮問委員会(Historical Advisory Panel)を付設している。七名は、ゲアハード・ワインバーグ(Gerhard Weinberg
議長)、レベッカ・ブーリング(Rebecca Boehling)、ジェイムズ・クリッチフィールド(James
Critchfield)、ピーター・ヘイズ(Peter Hayes)、クリストファー・シンプソン(Christopher
Simpson)、ロバート・ウルフ(Robert Wolfe)、ロナルド・W・ツワイク(Ronald
Zweig)である。
ところで、二〇〇〇年五月以降、省庁間部会はナチ戦争犯罪にとどまらず日本政府・軍の戦争犯罪に関する記録公開についても活動を広げ、そのための日本関係専門家として、五月二三日にリンダ・G・ホームズ(Linda Goetz Holmes)、一〇月二三日にエドワード・J・ドリア(Edward John
Drea)を新たに歴史諮問委員として補充している。先に見たように日本帝国政府情報公開法の成立は二〇〇〇年一二月であり、それにともなって省庁間部会の名称も「ナチ戦争犯罪及び日本帝国政府記録省庁間作業部会」と改称され、活動期間を二〇〇三年一二月まで延ばすことが決定されているが、ナチ戦争犯罪にとどまらず戦前日本の戦争犯罪についても記録を公開するべきであるという立場は日本帝国政府情報公開法の制定以前からすでに既定のものとなっていたことはこの点からも明白である。実際、省庁間部会の会議議事録を見る限り、すでに一九九九年一月の第一回会合の時点で極東における戦争犯罪記録が機密解除の検討対象になるかどうかが話題とされており、第二回、三回と回を重ねるごとに日本に関する記録も対象になるであろうことが当然の方向のように考えられていた。
これとは別に、省庁間部会は今後機密解除さるべき記録の歴史的評価に関する助言を求めるための歴史研究スタッフとして、二〇〇〇年二月にアメリカン大学のリチャード・ブライトマン(Richard Breitman)とヴァージニア大学のティモシー・ナフタリ(Timothy
Naftali)の二名の歴史家を任命し、さらに二〇〇一年三月に歴史諮問委員会メンバーの一人で三〇年以上にわたり国立公文書館で押収ドイツ文書等のアーキヴィストを務めたロバート・ウルフを、同年八月にオハイオ大学のノーマン・J・W・ゴダ(Norman
J. W. Goda)とメリーランド大学のマーリン・J・メイヨ(Marlene J.
Mayo)(日本史専攻)を任命している(3)。
三、アメリカ政府のナチ戦争犯罪人受け入れ政策
さて、ナチ情報公開法はアメリカ政府機関保有のナチ戦争犯罪に関する機密記録を公開するための法律であるが、その意味を戦後のアメリカ政府のナチ戦犯政策から考えてみよう。というのも、戦後アメリカはナチ戦犯の相当数の入国を意図的か否かを問わず事実上許容してきたからであり、今回の記録公開によりアメリカの知られざるナチ戦犯容認政策の実態が暴露される可能性があるからである。
一九四五年五月のドイツ降伏、連合国軍隊のドイツ占領統治の開始とともに、戦時中、ユダヤ人、占領地住民、敵国民などに対する残虐行為を働いたものたちに対する身柄の拘禁と裁判が始まった。しかしその一方、連合軍の目を逃れて逃亡するナチ犯罪者も相次いだ。敗戦時、故国に帰ることができない、あるいは望まないおよそ百万人に及ぶ難民の山がドイツに取り残されていたが、その中には戦争犯罪者が多数存在し、彼らの少なからぬ部分がアメリカに移住したのである。ある研究書によれば、アメリカには一九四八年の難民法施行から一九五二年六月三〇日の失効までに約四〇万人の移民が流入し、その混乱の中で約一万人の元ナチが入国したとも言う(4)。それだけではない。ナチ戦犯の側での逃亡のための努力とは別に、アメリカ側からもまた、元ナチ戦犯のうち科学者・技術者を素性を隠して計画的にアメリカへ入国させる努力が続けられていた。彼ら元ナチ科学者の中で最も有名なものは、戦後アメリカのロケット開発の父とも呼ばれるヴェルナー・フォン・ブラウンである。彼はドイツ中部ノルトハウゼン近郊のミッテルバウ・ドーラ強制収容所のトンネル状の地下工場で自身の開発したV2型ロケット製造のため収容者に奴隷労働を強いた中心人物であり、製造に駆り出された約六万人の三分の一にあたる二万人が死亡したと言われる。一九四五年四月、ミッテルバウ・ドーラ強制収容所を解放したアメリカ軍は貨車三〇〇両分のV2型ロケット部品、製造機械等をアメリカに持ち帰るとともに、フォン・ブラウンをはじめ技術者たちをアメリカに入国させた。二ヶ月後に同地にたどり着いたソ連軍は、ロケットの秘密を隠蔽するため米軍によって爆破された地下工場の残骸を見ることになる(5)。
要するにアメリカは戦後の対ソ政策上、旧ナチ軍事・諜報・科学技術専門家を必要としたのである。たとえそのドイツ人がナチ戦犯であっても同様であった。今回のナチ戦犯記録の公開によってこうした戦後アメリカのナチ戦犯容認政策が明るみにされる可能性は高いが、これはむしろ、冷戦政策そのものの見直しというアメリカの新しい方向を示唆していると思われる。実際、省庁間部会議長カーツが一九九九年一〇月二七日に議会に提出した中間報告はアメリカの負の部分を容赦なく暴く姿勢に貫かれている。ナチ情報公開法制定の重要な背景を扱っているので、やや長い引用になるが、ここで該当部分を紹介しておこう(6)。
ドイツを占領した米軍の中でドイツ戦争犯罪人の捜索、逮捕の任務を負ったのは戦争犯罪・治安犯罪容疑者中央登録所(Central Registry of War Crimes and Security
Suspects,CROWCASS)と陸軍防諜部隊(Counter Intelligence
Corps,CIC)だった。戦犯中央登録所は一九四五年の設置後三年間に八万五千件の「捜索依頼」を処理し、一三万件の拘置報告書を一二ヶ国の捜査当局に提出し、人道に対する罪で捜索中の人物の登録簿を発行した。一方、陸軍防諜部隊は米占領地区における戦争犯罪人の発見と逮捕に主たる責任を負い、占領後一〇ヶ月でナチ党指導者、親衛隊員、ゲシュタポ、軍高級将校、戦争犯罪容疑者を含む逮捕リスト掲載の一二万人を逮捕した。防諜部隊はまたオーストリアの米占領地区でも活動した。これらの戦犯容疑者はニュルンベルク国際軍事裁判、アメリカ占領軍当局によるニュルンベルク継続裁判、ダッハウ裁判などにより処罰され、またポーランドなど犯行地国に引き渡されたものもいる。また管理理事会による非ナチ化裁判の対象者は一三〇〇万人に及び、後にドイツ裁判所に引き継がれたものを含めおよそ六〇万人が何らかの処罰を受け、うち約三六〇〇人が禁錮または懲役刑を受けている。
一九四五年五月一〇日、統合参謀本部(Joint Chiefs of
Staff,JCS)はアイゼンハワー司令官に対しすべての戦犯の逮捕命令を出しているが、そこでは「貴官の判断において諜報その他の軍事的理由から必要な場合は例外措置をとりうるものとする」としていた。米諜報機関は戦争犯罪人を発見逮捕するためにも、また起こりうるドイツ人の抵抗を鎮圧するためにも、旧独軍・諜報関係者を活用しようとした。こうした戦後初期の諜報活動に従事したのが、陸軍防諜部隊と戦略事務局(Office
of Strategic Services,OSS)だった。
冷戦の進行とともにアメリカ当局は旧敵国人からソ連に関する情報を得ようと東部戦線に従軍していた軍関係者を徹底的に取り調べるなどしていた。そうした中で、陸軍G2(諜報関係)は、ソ連軍の組織、装備、戦略、戦闘能力などを探るためラインハルト・ゲーレン将軍(Reinhard Gehlen,元参謀本部東部外国軍課長 (Abteilungsleiter Fremde Heere
Ost)で対ソ連諜報活動責任者)と接触した。ゲーレンは彼の旧スタッフを集め、大規模なドイツ諜報機関、いわゆるゲーレン機関を創設することになる。
陸軍防諜部隊はソ連に関する知識を持つさまざまな人物と接触し、ネットワークを構築した。このネットワークに雇われたエージェントの中には戦時中の過去を持つものもいた。その一人がフランスのユダヤ人検挙とレジスタンス弾圧で後に裁かれることになるクラウス・バルビーである。陸軍はバルビーをひそかにヨーロッパから脱出させ、その後三〇年間の南アメリカでの潜伏を助けた。
戦略事務局が一九四五年に解散した後、諜報活動はいくつかの機関に受け継がれたが、これらをとりまとめる形で中央情報局(Central Intelligence
Agency,CIA)が一九四七年に創設された。一九四八年以降、中央情報局の活動が拡大し、例えば政策調整局(Office of Policy
Coordination)は特別作戦局(Office of Special
Operations,OSO)と対抗するまでになった。一九四〇年代後半から五〇年代初頭、とりわけ朝鮮戦争以後、ソ連に対抗する作戦が大規模化し、その作戦のために多くの反共分子を雇ったが、その中に元ナチもいた。
戦後数ヶ月、戦略事務局ないしその後身の諜報機関はヨーロッパにいては危険な人物、とくにソ連赤軍から寝返った人物やソ連圏からの亡命者を「ラットライン」(Ratline)を使って南アメリカに逃走させた(7)。一九四九年の中央情報局法はCIA長官に対し「国家の安全保障上利益があり、または安全保障上の任務を継続するために不可欠である」と決定した場合は検事総長と移民局長官の同意を得て年間百人まで入国を許可する権限を与えているが、このいわゆる「百人法」は寝返り人物や代理人がソ連諜報機関に誘拐ないし暗殺されるのを救うために合衆国へ移住させるのを主たる目的としていた。移民割当数は制限があったし、さらに重要なことに合衆国移民法は共産党員であった人物の入国を禁じていたから、こうした人物の入国は通常の経路では認められなかったのである。
「百人法」がナチ共謀者や戦犯容疑者のアメリカ在住を許容するために使われた少なくともひとつの事例がある。国防省はドイツ、オーストリアの科学者、技術者を合衆国に受け入れることに多大な努力を払うようになっていた。一九四五年七月六日、統合参謀本部はトップシークレット計画(コードネーム「OVERCAST」)において「選抜された稀少頭脳を開発し、その知的生産を継続させて利用する」ことを決定した。統合参謀本部は三五〇名のドイツ、オーストリア人専門家をただちに合衆国に連れてくることを命令した。
一九四六年までに国防省統合諜報目的局(Joint Intelligence Objectives
Agency,JIOA)はさらに多くのドイツ・オーストリア人科学者、技術者を雇用する計画を開始した。一千名の旧敵国科学者に米市民権を与えるというのである。ドイツ人科学者、技術者の多くはナチの諸機関のメンバーであったから、統合諜報目的局はこの計画に大統領の承認を必要とした。一九四六年九月、トルーマン大統領は「名前だけのナチで積極的な支持者でなかったものに限り計画参加を許す」として統合諜報目的局の計画を承認した。コードネームは「ペーパークリップ」(Paperclip)とされた。司法省と国務省の代表からなる審査会で統合諜報目的局側が米国移送を希望する科学者を選別した。一九四七年初頭から、審査会は合衆国占領軍政府(Office
of Military Goverment United
States,OMGUS)が作成した関係書類を精査した。この書類は陸軍防諜部隊の事前調査に基づいて作成されていた。当該人物が合衆国の安全に対する現実的ないし潜在的脅威であると認められた場合は、合衆国移住のチャンスはほとんどなかった。何人かの科学者はナチの過去を指摘され、国防省の移住要請は規定に従って審査会に却下された。そこで統合諜報目的局長は合衆国ヨーロッパ司令部(United
States European
Command,EUCOM)の諜報局長に打電し、書類の「修正」を要請した結果、いくつかのケースでは科学者が「ペーパークリップ」作戦に参加できるようになった。
一九四五年から一九五五年までに七六五名の科学者、技師、技術者が「OVERCAST」「ペーパークリップ」その他の計画に従って合衆国に移住した。少なくとも半分、おそらくは八〇lは元ナチ党員だったと見られる。一九八〇年代半ばまでにこれらのうち三名が戦時中の活動の故に米を離れている。うち一人アルトゥーア・ルドルフ(Arthur
Rudolf)はV2ロケット計画の技師で、最初は陸軍、ついでNASAのサターンV型ロケット開発のために働いた。彼は一九八四年に合衆国を離れ、市民権も返上しているが、その理由は数千名の収容者が死亡したノルトハウゼン強制収容所のV2ミサイル地下工場での奴隷労働者迫害に彼が果たした役割を司法省特別調査室が発見したことによる。
一方、政府の公的な仲介なしで移住した者はもっと多い。一九四八年の難民法は四年間に四〇万人以上のヨーロッパから合衆国への移民を許可した。主として東欧、とくにバルト諸国、ウクライナ出身者だが、ドイツ系移民もいた。難民法はとくに戦争犯罪人、敵の民間人迫害に助力した者、合衆国に敵対的な運動のメンバーに対して適格性を拒否していた。陸軍防諜部隊は一九四八年難民法並びに後の一九五三年難民保護法に基づいて合衆国への入国を希望する者全員を調べ、何千ものヴィザ発給申請者を戦時中の活動への疑念からこれを拒否した。しかしながらこれらの移民の大半は合衆国と協力関係にない東欧共産圏出身だったので、陸軍は申請者すべてについて充分な情報を持ち得なかった。戦争犯罪人は戦時中の過去を正直に語らなかったり嘘をついたりして、正体を隠すことに成功した。
一九四五年以降に合衆国が外国人を受け入れる計画は他にもあった。例えば一九五〇年のロッジ修正法は、陸軍が一万二千人の外国人を徴募し、その見返りに五年後に市民権を付与することを認めた。一九五二年の移民国籍法(Immigration and Natonalty
Act,INA)はナチ戦争犯罪人とその協力者の入国を明示的には禁止せず、一九七八年のホルツマン修正条項の発効までこの状況は続いた。この修正条項により、一九三三年三月二三日から一九四五年五月八日までの期間に「人種、宗教、民族的出自、または政治的見解を理由にいかなる個人をも迫害することを命令し、教唆し、幇助し、またはその他の方法で参加した」すべての外国人の合衆国入国適格性を否定したのである。
外国人を追放処分にするべきとの申し立てを調査するのは移民帰化局(Immigration and Naturalization
Service,INS)の責任である。一九七三年以前において、ナチ協力者として追放処分とされたケースはわずか九件のみで、そのうち実際に追放されたのは一件のみである。なぜこんなに少なかったのか。移民帰化局は一九七〇年代までナチ戦争犯罪人を発見しようとの統一的努力を何一つしなかった。一九七八年の会計検査院(General
Accounting
Office,GAO)報告『いわゆるナチ戦争犯罪人調査を妨害する広範な陰謀、手に入る証拠では支持されず 論争は続く』によると、移民帰化局の調査は一九七三年以前は「不十分ないしお座なりのもの」で「ぜんぜん調査が行われないこと」もあった。ナチ戦犯の申し立てをいくつ受けたかも把握していない。世論の高まりとともに移民帰化局も確認努力を傾けた。一九七八年四月までに二五二件の申し立てがあり、そのうち一九七三年以前のものは再検査することにした。加えて政府は一三人について法的手続きを開始した。
合衆国において「ナチ・ハンティング」プロセスが広範な基礎のうえに開始されたのは、司法省刑事局内に特別調査室(Office of Special
Investigations,OSI)が設けられてからである。特別調査室は一九七八年一〇月三〇日に議会を通過した公法九五―五四九に基づき、一九七九年九月四日に設立された。任務はナチ、およびその他の枢軸国による迫害行為に参加した個人をつきとめ、国籍剥奪と追放処分の法的手続きをとることである。一九九九年九月までに六三人のナチ迫害参加者の国籍を剥奪し、五二人を追放した。またこれまでに一五〇人以上のナチ迫害容疑者を合衆国港湾において上陸を阻止し、退去処分にしている。
以上、長い紹介になったが、このカーツ報告によって、ナチ情報公開法成立の背景となった合衆国対ナチ戦犯政策の裏面を伺うことができたであろう。
四、公開された記録
以上に見たように戦後アメリカは冷戦政策の一環として旧ドイツ軍諜報関係者、科学者・技術者を積極的に移民させ、また移民帰化局の不作為によりかなりの数の元ナチ関係者の入国を許容してきた。こうした状況は冷戦の集結とともに当然変化し、ナチ戦争犯罪情報公開法の成立もこのような情勢の中で行われたのであった。
省庁間部会が調査した記録は六億頁に及び、二〇〇一年夏の現時点において約三〇〇万頁分が機密解除されており、最終的に機密解除される予定の記録は五〇〇万から八〇〇万頁になるという。とくにCIA、国防省、FBI、NARAが最も大量の記録を持っている。一方、戦争犯罪人を確認するために提出したリストには五万九七四二名の氏名が書かれていた。これまでに機密解除された記録ファイルは以下の通りである。
・General
Records of the Department of State(RG59)
・Records of
the Federal Bureau of Investigation(RG65)
・Records of
the Office of Alien Property(RG131)
・Records of
the Office of Strategic Servieces(RG226)
・National
Archives Records of the American Commission for the Protection and Salvage of
Artistic and Historic Monuments in War Areas(RG239)
・National
Archimes Collection of Foreign Records
Seized(RG242)
・Records of
the Central Intelligence Agency(RG263)
・Records of
the Army Staff(RG319)
・Records of
the Office of the Secretary of Defence(RG330)
・Records of
the United States Army Commands, 1942-(RG338)
・Records of
the U.S.Army Forces in the China-Burma-India Theaters of
Operaton(RG493)(8)
これらのうち特徴的なものを、国立公文書館が発行している「ニュース・リリース」をもとにいくつか例示しておこう。
[ミュラー、ルドルフ文書](9)
一九九九年一二月一五日、ハインリヒ・ミュラー文書(一三五頁分)とアルトゥア・ルドルフ文書(一六五頁分)が国立公文書館で公開された。両資料とも米陸軍諜報部隊(Army Intelligence Command, INSCOM)の研究記録保管所(Investigative Records
Repository,IRR)から受けたもの。国家秘密警察(ゲシュタポ)長官であったミュラーは戦後、消息を絶った。殺害説、自殺説、またチェコスロヴァキア、アルゼンチン、ロシア、キューバ等の各国政府のために働いていたとの憶測もあるが、確たる証拠はない。文書はそのあたりの情報について一九四五年から六三年までをカバーしている。一方、先に見たようにルドルフは戦後米陸軍に雇われ、ミサイル計画に携わった。一九五八年にNASAが設立されてからはそこに移り、サターンV型ロケット計画の局長として働いている。一九八四年、司法省特別調査室により戦時中の地下V2ロケット工場での奴隷労働迫害における役割を指摘され、米市民権を返還、米を出国した。
両資料は国立公文書館内のレコード・グループ三一九「陸軍スタッフ記録」(Records of the Army Staff)中の「諜報参謀次長記録」(Records of the Assistant Chief
of Staff for Intelligence)に見ることができる。
[ドイツ警察記録](10)
二〇〇〇年三月、ドイツ警察記録(一九三四年から一九四三年まで)が国立公文書館で公開された。およそ九一〇〇頁分。この記録はハインリヒ・ヒムラーその人自身について、あるいはヒムラーから直接出たものではなく、さまざまな警察署、軍、とくにゲシュタポ、防諜部隊からの記録である。その中には例えば、英国、ソ連、フランス、ポーランドなどのナチ支配領域内の諜報活動に関する情報や、デンマーク、スカンジナヴィアにおける関心ある人物のリストなどがある。
この文書はレコード・グループ二四二「国立公文書館押収外国記録」(National Archives Collection of Foreign Records Seized (Record Group
242))に見ることができる。
[陸軍戦略事務局(OSS)文書](11)
二〇〇〇年六月二六日、陸軍戦略事務局(OSS)及びその後身である戦略事務部隊(Strategic Services
Unit,1945-46、SSU)の記録約四〇万頁分が公開された。これらの記録については歴史顧問官のリチャード・ブライトマンとティモシー・ナフタリが省庁間部会に文書報告しているので、それに従って紹介する。
OSS記録はOSSの活動やナチ・ドイツ及びその同盟国に関する資料が多く、戦争犯罪とはほとんど、あるいはまったく関係ない資料もずいぶんある。また活動の質がきわめて高かった英国諜報機関からの情報で価値あるものが多い。その中で注目されるのは、一九四三年夏から秋にかけて英国諜報機関が親衛隊保安部(SD)のローマからベルリン(及びその逆)への暗号無線を傍受し解読していた記録である。一九四三年七月にムソリーニ政権が瓦解し、九月にバドリオ政権が連合国に降服すると、ドイツ軍と親衛隊がローマを占領、それとともにローマ在住ユダヤ人のアウシュヴィッツ移送が早くも問題になった。OSS記録が伝えるところでは、九月一八日に上級親衛隊警察指導者としてローマ入りしたカール・ヴォルフ(Karl
Wolff)はただちに活動を開始し、国家保安本部のテオドール・ダネッカーをイタリア・ユダヤ人の検挙のためローマに行かせた。またハイドリヒ亡き後、国家保安本部長官の座にあったエルンスト・カルテンブルンナー(Ernst
Kaltenbrunner)が駐ローマ・ドイツ外交代表部のヘルベルト・カプラー(Herbert
Kappler)に対しローマ・ユダヤ人の把捉を命令、これに応えて、カプラーは一〇月一六日にユダヤ人一二五九名を把捉、外国籍ユダヤ人などを釈放した後、一〇〇二名をウィーン、プラハ経由でアウシュヴィッツに移送を開始したことを伝えている。
この記録はイタリアにおけるホロコーストの実状を生々しく物語るものであるが、同時にまた、ローマのユダヤ人一〇〇〇名強がアウシュヴィッツに移送され、根絶されることを英米諜報機関が察知していたことを伝えるものでもある。ブライトマンとナフタリは、従来事実関係が不明確であったローマのユダヤ人移送問題について、とくにヴォルフの関与が明るみにでたことを重視し、彼が国際軍事裁判でもアメリカの軍事裁判でも裁かれていないことを問題視している(11)。
OSS文書の中にはもうひとつ「ユダヤ人問題の最終解決」に関する興味深い文書もある。OSSの前身である情報調整局(Coordinator of
Information,COI)のファイルの中に、一九四一年一一月二四日に在プラハ・チリ外交官が本国に送信した報告の翻訳コピーがある。これをCOIはイギリス諜報関係から少し後に手に入れた。ナチのユダヤ人根絶に関するものだった。ドイツ占領下のプラハは諸国の外交官がほとんど引き払っていたが、前チリ領事であったゴンザロ・モント・リバス(Gonzalo
Montt
Rivas)はナチ・ドイツと中立国チリとの良好な関係の故に当地に留まることができた。彼は自分の立場を利用してナチの情報を察知し、本国への報告の中でユダヤ人根絶計画について触れている。この報告は英国諜報機関によって察知され、情報調整局長デイヴィド・ブルース(David
Bruce)に渡された後、部下で後のOSS局長ウィリアム・J・ドノバン(William J.
Donovan)に回されたとされる。そこには「ボヘミア・モラビア保護領ではユダヤ人問題は部分的には解決されつつあります。すでにユダヤ人全員を根絶し、何人かはポーランドへ、また別の何人かはテレジン、さらに遠い場所に送ることが決定されています。ドイツが勝てばヨーロッパからユダヤ人はいなくなります。この試練を生きながらえたユダヤ人はシベリアに送られるのは確実で、そこではユダヤ人の富の力を利用するチャンスもなくなります」などと書かれていた。
これらの記録はホロコースト計画の存在について英米がどのような認識をしていたかを探るうえできわめて貴重なものである。省庁間部会の公益委員トーマス・ベアは「計画中のジェノサイドについて連合国からヨーロッパのユダヤ人に対して警告が発せられたことは一度としてない。……警告はホロコーストを止めさせはできなかったろうが、人命を救うことはできたろう」と語り、もう一人の公益委員エリザベス・ホームズは「最近機密解除されたこの記録は、わが国政府官僚たちがホロコーストについてどの程度、いつ知ったかを正確に突きとめるのに役立つ。次の問題は、わが国政府が、英国については措いておくとして、なぜ何も反応しなかったかということだ。ユダヤ人「根絶」計画がこれほど関心の薄い事柄であったとは考えにくいのである」と指摘している。省庁間部会への報告の中でブライトマン、ナフタリもまた、これらの記録は英米がホロコーストについてどの程度の情報を得ていたか、またそれだけの情報があったならば何ができていたはずであるかについて改めて歴史的疑問を生じさせると問うのである。
OSS文書はこれ以外にも、ドイツ人戦争捕虜どうしの会話を密かに録音したもの、強制収容所でのナチ官僚、囚人からの聞き取り記録、OSSの情報源 反ナチのドイツ外交官フリッツ・コルベ(Fritz Kolbe)についても言及がある。文書はレコード・グループ二二六「戦略事務局記録」(Records of the Office
of Strategic Servieces(RG226))に見ることができる。
[CIA文書](13)
二〇〇〇年九月、CIAは連邦地方裁判所にこれまで五〇年間ものあいだ闇のベールに包まれていたゲーレン機関との関係を認める宣誓供述書を提出した。これは情報公開法(Freedom of Information Act,FOIA)に基づいて研究家カール・オグレスビー(Carl
Oglesby)氏が開示請求したことに応えたもの。すでに省庁間部会が六月二六日に公開した戦略事務局(OSS)記録によれば、CIAの前身、戦略事務部隊(SSU)は戦争捕虜キャンプにゲーレンの関係者を探し出し精力的に尋問した。一九四六年、冷戦の進行とともに、ソ連諜報活動について未経験であったアメリカ諜報当局は、その中に戦争犯罪人がいることを知りつつ、ドイツのソ連専門家を使うことを決めたのである。CIA文書はこれらについてさらに事実関係を明らかにするものと見られる。(NARA,
CIA Intends to Release Records on Cold War
Spymaster)
二〇〇一年四月、CIAはナチ著名人の「ネーム・ファイル」を公開した。省庁間部会議長ガーフィンケルの言葉を借りれば「機密解除の件では私はCIAと二〇年以上もやりあっているが、その私の経験で言っても、省庁間部会が達成した協力のレベルは例を見ないものであった。……この記録の公開は世界史とアメリカ史のもっとも深刻な結合を告げる重要な新情報をもたらす」のである。このファイルはCIAが関心を抱いた個人のさまざまな情報を含んでおり、最終的には数百ファイルに及ぶであろうもののうち今回は二〇ファイルを最初に公開する。この中には、アドルフ・ヒトラー、クラウス・バルビー、アドルフ・アイヒマン、ヨーゼフ・メンゲレ、ハインリヒ・ミュラー、クルト・ヴァルトハイムといった重要人物が含まれている。同時にまた、このファイルには、ナチの過去を持ちながら米国、ソ連、英国その他の諸国に諜報源として使われた人物の記録も含まれる。
ちなみにCIA文書を調べたスタッフの暫定的結論は「ゲシュタポ長官ハインリヒ・ミュラーはおそらく戦後生き延びていない」「ミュラーがアメリカの諜報源になったことはありそうにない」「ヨーゼフ・メンゲレがまだ生きていると信じて、一九八五年にパラグァイでメンゲレを逮捕する作戦を提起した」「元国連事務総長クルト・ヴァルトハイムを合衆国が諜報源として使ったことはなく、ソ連がそうしたこともない」「北イタリア戦線の早期和平のため戦略事務局のアレン・ダレスがスイスでドイツ側と接触し、戦後ナチがそれを利用した」等々となっている。文書は、レコード・グループ二六三「中央情報局記録」(Records of the Central Intelligence
Agency(RG263))に見ることができる。
五、今後の展望
ナチ情報公開法に基づく機密解除と記録公開によって、戦後のナチ戦犯とアメリカとの関係、「ユダヤ人問題の最終解決」に関する連合国側の認識程度、また「最終解決」に対する連合国としての政策の内容といった問題など、これまで謎とされた部分が明るみになる可能性が出た。その意味でも同法の制定は、現代史研究上、またアメリカ社会における新しい政策方向の模索といった意味でも、重要な意味を持っている。現在、ナチ情報公開法に基づく機密記録解除作業のうちヨーロッパ段階はほぼ収束し、次に日本帝国政府記録の機密解除に重点が移っている。従って今後公開される記録は日本の戦争犯罪に関するものが主になるであろう。日本の戦争犯罪についてどのような新資料が出るかは今後の課題であるが、歴史資料の公開にきわめて消極的な日本政府の態度が改まらない現状の中で、今後予想される日本関係記録の機密解除と公開は日本現代史研究者の「ワシントン詣で」をさらに常態化、必然化させることであろう。自国の資料に限らず必要ならばどこにでもでかけて資料を探索する努力はもとより必要なことであり、それを云々するのではないが、私たちとしては、自国現代史の暗部を暴露する機密記録を限りなく例外を設けずに公開しようとするこうした他国の努力を貴重な先例とする態度もまた必要ではあるまいか。
[参考資料] ナチ戦争犯罪情報公開法
合衆国規則タイトル5、セクション552及び1947年の国家安全保障法を修正し、司法省、または一定の情報関連部局によって、もしくはその他の目的のために行われる、いかなる調査もしくは訴追をも損なうことなく、情報公開法(Freedom
of Information
Act)のもとでの一定の人物の機密解除を要求し、ナチ戦争犯罪人記録の機密を解除するための法案。
開会中の議会において合衆国上院及び下院は以下の立法を行われたい。
セクション一 略称
本法の略称は「ナチ戦争犯罪情報公開法」とする。
セクション2 ナチ戦争犯罪人記録省庁間作業部会の設立
(a)定義 本セクションにおける用語
(1)「省庁」(agency)は合衆国規則タイトル五、セクション五五一でこの用語に与えられている意味で用いる。
(2)「省庁間部会」(interagency
group)は本セクション(b)により設立されるナチ戦争犯罪人記録省庁間作業部会を指す。
(3)「ナチ戦争犯罪人記録」(Nazi war criminal
records)は、本法セクション三でこの用語に与えられる意味で用いる。
(4)「記録」(record)はナチ戦争犯罪人記録を指す
(b)省庁間部会の設立
(1)総論 本法施行日以後六〇日以内に、大統領はナチ戦争犯罪人記録省庁間作業部会を設立する。省庁間作業部会は設立後三年間存続する。
(2)構成員 大統領は、本セクションの定める期間内に、もっとも完全かつ効果的に省庁間部会の任務を遂行するであろうと大統領の決定した個人を省庁間部会に任命する。そのうちにはホロコースト博物館長、国務省歴史官、合衆国文書士、大統領が適当と認めたその他の省庁の長、および三人以下のその他の人員が含まれる。大統領により任命された省庁の長官は、省庁間部会において長官の代理として活動する適当な公務員を指名できる。
(3)第一回会合 本法施行の日付から九〇日以内に、省庁間部会は第一回会合を持ち、本セクションの要求する任務を開始する。
(c)任務 本法施行日から一年以内に、省庁間部会は最大限可能な限り本法セクション三と合致するように
(1)合衆国のすべての機密扱いされたナチ戦争犯罪人記録を探索し、確認し、目録を作成し、機密解除を勧告し、そして国立公文書館記録管理局で公衆が利用できるようにし、
(2)各省庁と協力し、これらの記録の公開を促進するのに必要な行動をとり、そして
(3)これら記録のすべて、これら記録の処理、及び本セクションに基づく省庁間部会と各省庁の活動を記した報告書を、上院司法委員会及び下院政府改革監視委員会を含む議会に提出する。
(d)財政 本法の条項を実行するために必要な金額を割り当てられるべき権限を与えられている。
セクション三 ナチ戦争犯罪を犯した人物に関する記録の機密解除の必要条件
(a)ナチ戦争犯罪人記録 本法の目的に従い、「ナチ戦争犯罪人記録」という用語は
(1)一九三三年三月二三日(ドイツ議会における全権委任法の制定日……注清水)に始まり一九四五年五月八日(ドイツ降伏日……注清水)に終わる期間中に、
(A)ドイツ・ナチ政府、
(B)ドイツ・ナチ政府の軍隊により占領されたあらゆる地域のあらゆる政府、
(C)ドイツ・ナチ政府の援助を受け、または協力して設立されたあらゆる政府、または、
(D)ドイツ・ナチ政府の同盟者であったあらゆる政府、
のいずれかの命令により、またはいずれかと共同して、人種、宗教、民族的出自、もしくは政治的見解を理由に、いかなる人物に対しても迫害を命令し、教唆し、幇助し、またはその他の方法で荷担したと信じられるべき根拠を有すると合衆国政府が認定したあらゆる人物に関する、または、
(2)(A)一九三三年三月二三日に始まり一九四五年五月八日に終わる期間中に、ドイツ・ナチ政府またはその同盟国の命令により、その利益のために、もしくはその権威のもとに、迫害された人物から奪われた財産を含んでおり、または
(B)その取引がこれらの財産の所有者、または相続人、または譲受人、またはその他の正当な代理人の同意なしに行われた、
と信じるられるべき根拠を有すると合衆国政府が認定したあらゆる取引に関する、
機密扱いされた記録またはその記録の一部を意味する。
(b)記録の公開
(1)総論 パラグラフ(2)、(3)および(4)にもとづき、ナチ戦争犯罪人記録省庁間作業部会は、小セクション(a)に記述されたナチ戦争犯罪人記録を全体として公開するものとする。
(2)プライバシーによる例外 省庁の長官は、以下のような特定の情報をパラグラフ(1)に基づく公開から除くことができる、
(A)個人のプライバシーを明らかに不当に侵すもの
(B)秘密の人的要員の所在を暴露し、または諜報源もしくは諜報手段の利用に関する情報を暴露し、あるいは情報源の不当な暴露により合衆国の国家安全保障上の利害が明白かつ明示的に損なわれるであろうときに人的情報源の所在を暴露するもの
(C)大量破壊兵器の開発または使用において有益な情報を暴露するもの
(D)合衆国の暗号システムまたは暗号活動を損なう情報を暴露するもの
(E)合衆国の兵器システムにおける最高水準のテクノロジーの適用を損なう情報を暴露するもの
(F)今でも有効である現行の合衆国軍事戦争計画を暴露するもの
(G)合衆国と外国政府との関係を重大かつ明示的に損なうような、または進行中の合衆国外交活動を重大かつ明示的に弱体化させるような情報を暴露するもの
(H)国家安全保障上の利益から保護活動が公認されている大統領、副大統領その他の公務員の保護に当たる合衆国政府官吏の現有の能力を明白に、かつ明示的に損なうような情報を暴露するもの
(I)現行の国家安全保障非常事態準備計画を重大かつ明示的に損なう情報を暴露するもの、または
(J)条約または国際協定に違反するもの
(3)例外の適用
(A)総論 パラグラフ(2)の小パラグラフ(B)から(J)に想定された例外を適用する際には、ナチ戦争犯罪記録の公開に対する公衆の関心はその記録の機密解除と公開によって満たされることを前提としなければならない。かかる例外の主張は、機密解除と公開が例外として確認された特定利益にとり有害であると省庁の長が決定した場合にのみ許される。かかる決定を行った省庁の長官は、上院司法委員会と下院政府改革監視委員会を含む適切な管轄権を備えた議会の委員会に、直ちにそれを報告するものとする。パラグラフ(2)で述べられた例外は、さもなければバラグラフ(1)により公開されるべき記録を省庁の長が除外できる唯一の根拠とされるべきものである。
(B)タイトル五の適用 パラグラフ(2)の小パラグラフ(B)から(I)に規定された例外を適用するという省庁の長の決定は、合衆国規則タイトル五のセクション五五二(b)(1)に基づいて保有する記録の場合に適用されるものと同一の審査基準に従うものとする。
(4)適用の制約 この小セクションは記録には適用されない。
(A)司法省特別調査室によるあらゆる積極的もしくは消極的な調査、審問または訴追に関連し、あるいは支持するもの、または
(B)特別調査室のみが所有、保管、または管理するもの
(C)一九四七年国家安全保障法の例外の非適用性 一九四七年国家安全保障法(五〇U・S・C、四三一)のセクション七〇一(a)は、本法セクション三のもとでのナチ戦争犯罪人記録を構成するいかなる作戦ファイル、またはそのいかなる部分にも適用されないものとする。
セクション四 ナチ戦争犯罪人記録に対する情報公開法の要求の早急な処理
(a)早急な処理 合衆国規則タイトル五のセクション五五二(a)(6)(E)にもとづく早急な処理のために、ナチ戦争犯罪人記録を要求しているいかなる人物もこれら記録に対する急迫した必要を有するものと考えられるべきである。
(b)要求者 このセクションの目的のため、「要求者」という用語は本法セクション三(a)(1)で述べられた方法で迫害を受け、ナチ戦争犯罪人記録を要求するあらゆる人物を意味する。
セクション五 発効日
本法ならびに本法によりなされた修正は本法制定後九〇日の時点で発効する。
一九九八年一〇月八日裁可
議会記録
六月一九日 上院通過
八月六日 下院通過
(注)
(1)日本帝国政府情報公開法は荒井信一氏の試訳がある(荒井信一「アメリカ議会の対日真相究明法案について」『季刊戦争責任研究』第二八号(二〇〇〇年夏季号)所収)。ナチ戦争犯罪情報公開法と日本帝国政府情報公開法は細部を除きほぼ同文であるので、訳出にあたっては荒井氏の訳文を参考にした。なお両法のもっとも重要な相違は、機密解除の対象となる記録の定義として、ナチ情報公開法においては「……人種、宗教、民族的出自、もしくは政治的見解を理由に、いかなる人物に対しても迫害を命令し、教唆し、幇助し」た人物に関する記録か、または「ドイツ・ナチ政府またはその同盟国の命令により、その利益のために、もしくはその権威のもとに、迫害された人物から奪われた財産」の取引に関する記録となっているのに対して、日本帝国政府情報公開法では、「……人種、宗教、民族的出自、もしくは政治的見解を理由に、いかなる人物に対しても人体実験(傍点清水)ならびに迫害を命令し、教唆し、幇助し」人物に関する記録とされている点である。すなわち、ナチ情報公開法においてはナチのユダヤ人迫害と並んで略奪ユダヤ人財産の問題が明示されているのに対して、日本帝国政府情報公開法ではとりわけ「人体実験」の問題が明示されている。これが関東軍防疫給水部(いわゆる七三一部隊)における生体実験を含意していることは明白である。日本帝国政府情報公開法についてはさらに、荒井信一「日本の戦争関連記録の情報公開について」『季刊戦争責任研究』第三〇号(二〇〇〇年冬季号)を参照。またナチ情報公開法成立の背景に、九〇年代後半以降アメリカ国内で第二次世界大戦中の強制労働・捕虜虐待をめぐり日独の政府・企業に対する損害賠償請求の動きが相次いだことがある。これらについては、荒井信一「アメリカにおける強制労働集団訴訟」『季刊戦争責任研究』第二九号(二〇〇〇年秋季号)、徳留絹枝「追及の刃はどこに向いているのか」『論座』二〇〇〇年五月号、高濱賛『日本の戦争責任とは何か』(アスキー、二〇〇一年)を参照。
(2)以下、ナチ情報公開法に関する資料、省庁間部会に関する資料はいずれも国立公文書館記録保管局のウェブサイト上のホームページを参照した。URLは、http://www.nara.gov./iwg/
である。
(3)以上のうち、省庁間部会の活動記録についてはウェブサイト上の「プレスリリース」「ニュースリリース」(いずれもURLは、http://www.nara.gov./iwg/pressrel.html、http://www.nara.gov./iwg/pressrelease/nr01-xx(ニュース番号が入る).html)が概要を知るには便利である。毎回の会議議事録も公表されている(http://www.nara.gov./iwg/mmxxxxxx(日付が入る).html)。なお、歴史研究スタッフの一人リチャード・ブライトマンは英国諜報機関がホロコースト情報を詳細に把握していた状況を暴露する研究書を発表したばかりであり、日本でも邦訳された(リチャード・ブライトマン『封印されたホロコースト』大月書店、二〇〇〇年)。
(4)Alan S.
Rosenbaum, Prosecuting Nazi War
Criminals (Boulder/San Francisco/ Oxford, 1993), p.75.
(5)Angela
Fiedermann/Torsten Hess/Markus Jaeger, Das Konzentrationslager Mittelbau Dora. Ein
historischer Abriss (Berlin/Bonn, 1993), S.67-70.
(6)以下、とくに断らない限り本章のこれ以降の記述はカーツの中間報告に依拠する("Implementation
of the Nazi War Crimes Disclosure Act. An Interim Report to
Congress"、URLは、http://www.nara.gov.iwg/report.html)。
(7)「ラットライン」についてはすでに早くから知られており、バルビー逃亡の際の米国の関与についても知られていた。「ラットライン」経由の逃亡数は数万とも数十万とも言われる。Rena
Giefer/Thomas Giefer, Die Rattenlinie.
Fluchtwege der Nazis. Eine Dokumentation, Frankfurt am Mein, 1991), S.7f,
参照。
(8)"Interagency
Working Group (IWG): Declassified Records", (http://www.nara.gov/
iwg/declass.html).
(9)NARA News
Release, December 14,1999, "National Archives to Open einrich Mueller and Arthur
Rudolph Files" (http://www.nara.gov/nara/pressrelease/
nr00-19.html).
(10)NARA News
Release, March 23,2000. "German Police Records Opened at National Archives"
(http://www.nara.gov/nara/pressrelease/nr00-52.html).
(11)Richard
Breitman and Timothy Naftali, "Report to the IWG on Previously Classified OSS
Records" (http://www.nara.gov/iwg/report/ossrecs.html); NARA News Release, July
2, 2001, "Early Intelligence Record on Nazi Final Solution. Discovered in
Documents Decalssified under Nazi War Crimes Disclosure Act"
(http://www.nara.gov/nara/pressrelease/nr00-76.html).
(12)
ヴォルフは一九四九年にドイツの裁判所で四年の刑を受け、すでに服役していた期間を差し引いて結局釈放されていたが、六〇年代の裁判で再び一五年の刑を受け、後、健康状態の悪化で保釈されている。
(13)NARA News
Release, "Nazi War Crimes Disclosure Act Prompts Rare Release of CIA 'Name
File'"
(http://www.nara.gov/nara/pressrelease/nr00-61.html); Richard Breitman,
"Historical Analysis of 20 Names Files from CIA Records"
(http://www.nara.gov/iwg/declass/rg263.html).