東京裁判をどうみるか

 

小泉首相の靖国神社参拝問題で騒がれたA級戦犯合祀の問題なんですけど、あのA級戦犯というのは東京裁判で裁かれた人たちですよね。

太平洋戦争の開戦時に首相だった東条英機などが裁かれた裁判だね。全部で28名が被告になった。うち3名は公判中に死亡したりして、残り25名が判決を受けました。東条ら7名が死刑、16名が終身刑、2名が有期刑になったわけだ。このときGHQは全部で100名を超えるA級戦犯を逮捕しているけれど、結局、東京裁判の被告席に着いたのはこの28名だけだった。逮捕されたけれども裁判を免れたA級戦犯容疑者の中に、戦後首相にまでなった岸信介もいました。

処刑された戦犯などが英霊として後に靖国神社に祀られるわけですね。それで、中国、韓国などはA級戦犯まで祀られている靖国にお参りに行くとは何事だと怒っているわけですが、しかし、そもそも東京裁判というのは連合国の裁判でしょ。そこで裁かれたからといって、日本政府がその判決に拘束されるのですか。

戦後、日本が連合国と結んだサンフランシスコ講和条約第11条には、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し……」とあります。つまり日本は東京裁判を講和条約で認めているのです。東京裁判だけではありません。アジア諸国で行なわれたBC級戦犯裁判(約1000名近くの戦犯が処刑された)をすべて承認しているわけです。

そうですか。しかし東京裁判を認めないと言っている保守的な議員や評論家もたくさんいますね。

自民党のタカ派議員や保守派知識人は、東京裁判は「勝者の断罪」で、これこそ戦後日本社会を駄目にした元凶のように言っていますね。そもそもこの「勝者の断罪」論は、東京裁判のときの日本側弁護人の立場でした。その立場を簡単に要約すると、ひとつは、戦争を開始するのは犯罪ではなく、また仮に不戦条約違反だとしてもそれを理由に当時の政治軍事指導者個人の刑事責任を追及することはできないということ、もうひとつは、裁判官は勝った側からではなく公正な中立諸国から出るべきだということです。

筋の通った弁護論のようにも聞こえますが。この議論のどこがおかしいのですか。

国際法の立場からみると、東京裁判の法理にはやはり問題点があるというのが一般的な見方のようですね。私自身は法律の専門家ではないのでこれ以上は言えませんが、現代史家の立場から言うと、そもそもニュルンベルク裁判にせよ東京裁判にせよ、確立した国際法をベースに行なわれたものではなく、戦争末期の連合国内のさまざまな政治的思惑の中で準備されたものですので、法理上の問題点があるということは前提として議論をしているのです。

はあはあ。それでは、現代史家としての立場からは東京裁判はどう評価できるのですか。「勝者の断罪」論を前提として認めてしまったら、センセーの日頃の主張と違うことになりませんか。日本の戦争責任を承認するのではなかったのですか。

戦後世界のイデオロギー構造の中で、東京裁判とドイツでのニュルンベルク裁判が持った影響力は大きいですね。つまり、枢軸国=ファシズムと暴力、連合国=民主主義と文明というステレオタイプが戦犯裁判の中で疑問を許されない真理のように扱われました。私はこの二分法はとりません。

と言いますと……・。

枢軸国、具体的にはドイツと日本、それにイタリアの世界史的な責任、これは疑いようがありません。それはいいのですが、そのことは、米英ソ等の連合国のこれまた世界史的責任を免罪するものではありません。原爆とかスターリン時代の虐殺のこともありますが、別にそのことだけを言っているのではありません。もっと基本的な歴史的責任です。

何ですか、それ。

つまり、世界史の中で問題行動をしたのは別にファシズム国家だけではなくて、欧米列強の問題であり、そして恐らくこの問題は世界史上のどの社会、国家も免れることのできないものだということです。

なんだか一億総懺悔論みたいですね。

近代世界史は欧米列強による他地域に対する侵略の歴史でした。しかし同時に、侵略は別に近代世界史に限ったことではなく、いつの時代にもありました。近代史の特徴はそれが西欧国民国家の成立と時期的に一致し、これまでにない技術的な進展の中でグローバルな規模で行なわれたということです。

で、どうなったのですか。

世界史とはいわばこうした侵略の歴史であったと言えるかも知れません。しかし、その侵略の責任を問題にし始めたのが現代の特徴だと言っていいでしょう。これまでならば、侵略された側が捲土重来を期し、次の戦争のときにリベンジをするというのが歴史の論理だったと思います。しかし、そのようなやったやられたの歴史では、急速な技術的進展のなかで余りにも人的被害が大きすぎる、何とかしてこの人間の性とも言うべき暴力的問題解決をストップさせる手段はないかと考えたときに、現代史最大の発明である「戦争責任」という論理が出てきたのです。

はあはあ、なるほど……。

ちょっと小難しく言うと、戦争という問題解決方法を法的統制のもとに置くということです。国際政治において、国家間の紛争はこれまで自力救済が一般的原則でした。今日でもまだその原則が通用しています。しかし自力救済を野放しにしておくことができたのは、人間の技術水準がある程度の範囲に収まっていた時代に限られます。20世紀に入り、第一次世界大戦で約1000万人の戦死者ができました。民間人の死亡を合わせると戦争犠牲者はこの倍はいたと思われます。第二次世界大戦の犠牲者ははっきりしていませんが、どう少なく見積もっても3000万人から5000万人はいたと思います。こんなにたくさんの犠牲者が出るのを、人類はもう見捨てておくことはできなくなったのです。

その象徴が原爆ですかね。

まさしくその通り。広島型原爆1発で20万人もの犠牲者が即座にでます。と同時に、民間人に対する空からの無差別攻撃である空襲というのも、原爆と並び象徴的です。実際、1945年3月の東京大空襲では一晩に10万人以上が犠牲者になりました。

それにも関わらず、東京裁判は負けた日本の側だけを一方的に断罪しますね。

ちょっと待って。慌てずに、順序だてて話を聞いてください。要するに現代の戦争はその技術的水準からしてもはや野放しですむものではなくなったのです。第一時世界大戦後の国際連盟規約でも、国際紛争を平和的に解決する義務が語られていますし、1928年には有名な不戦条約も調印されました。つまり国家間の紛争を国際法的な統制のもとに置くような試みが始まったのです。にも関わらず、第二次世界大戦が勃発しました。この戦争は、英米仏ソといった連合国側からすれば、何よりもナチス・ドイツの暴力的政策が第一原因でしたし、またアジアでは新興国日本の攻勢的政策が重大な要因でした。

でもそれは英米側の見方ということなんでしょう、センセーの見方では……。

そうです。ひとつの方向からの見方です。でも誤解しないで下さい。私はこの見方が「間違っている」と言いたいのではありません。「ひとつの見方だ」と言っているだけです。チャーチルやルーズベルトといった英米の政治家、蒋介石や毛沢東といった中国の改革者たちの目から見れば、この戦争の原因がヨーロッパではヒトラー率いるナチス・ドイツ、アジアではヒロヒト天皇と東条英機率いる軍国日本の側にあることはまったく当然のことで、それを自明の前提に政策を形成しています。ですから、これらの指導者たちが戦後世界を展望するとき、戦争原因を作ったドイツ、日本の政治・軍事指導者を処罰することは絶対に必要なこととされました。もっとも、彼らを処罰するのに、「裁判」という手続きを踏むかどうかは当初ははっきりしていませんでした。

東京裁判をやろうと決めたのはいつですか。

東京裁判はニュルンベルク裁判とほとんどまったく同じ脈絡で開廷が決められました。そのニュルンベルク裁判をやることが最終的に決まったのは、1945年5月くらいのことです。

あれ、そうですか。ドイツが降伏したのが1945年5月ですね。そうするとニュルンベルク裁判の決定はドイツ敗北とだいたい同じ時期なのですか。そんなに遅かったのですか。戦争中にそういう方針だったのではないのですか。

戦争中はまだそういうことは本決まりではなかったのです。ニュルンベルク裁判をやることが決定的になったのはドイツ敗北とほぼ同じ時点です。それにはいろいろと事情があるのですが、今はそれを説明するのは止めておきましょう。とにかくチャーチルとルーズベルト、そして国際軍事裁判の開廷に尽力した英米の政治家、軍人、法律家たちは、戦争責任がドイツと日本にあることを完全な前提において、そのうえで、それを指導した政治家や軍人を処罰しようとしました。そして、その時点ではドイツや日本が戦争責任国家であることを否定する世論はなかった、というか、そういう風なことを言える状態ではなかったわけです。ドイツや日本の中には、この裁判を苦々しく思っている人もいたでしょうが、少なくとも法廷での弁護方針は、ドイツ、日本の戦争責任そのものを頭から否定するのではなく、そこは大きな争点にしないで、個々の被告人の刑事責任を否定する、ないし少なく見積もるという方針でやったのです。

結局は戦勝国の言いなりですね。

言わばそういうことかも知れません。しかし、戦勝国の言いなりというのなら、その後の占領政策自体がある意味では戦勝国の国家意思の押し付けと言えるわけですし、その中で行なわれた一連の戦後改革も戦勝国の意思に沿って、あるいは少なくとも彼らの意思に反しない範囲で行われたと言っていいわけです。戦争の敗北の結果、そして無条件降伏勧告の受入れの結果、ドイツと日本の国家主権は、全部または一部、占領当局によって制約を受けました。ニュルンベルク裁判も東京裁判もそういう歴史的文脈の中で評価しなければなりません。そして、この不正常な状態、不正規な状態を、占領解除後にも法的に有効なものと見なすために、たとえば日本はサンフランシスコ講和条約において東京裁判の判決を承認する旨、明示的に示したのです。

そうすると、東京裁判は占領下という条件の中で行なわれた法律的には疑義の大きい裁判、つまり「勝者の断罪」だという保守派の見方にも一理あるということになりますか。

そこのところ、言い回しがなかなか微妙ですね。「勝者の断罪」というのは東京裁判を否定する側から出してきた批判の論理です。それに対して、日本の戦争責任を認める側は、まさしく日本の侵略の歴史的事実を暴露し提示して、東京裁判の妥当性を承認するわけです。しかし私は、戦前日本の大陸政策がいかに侵略的なものであったとしても、そして日本軍がいかに残虐な戦争犯罪行為を犯したとしても、そのことが東京裁判の妥当性を保障するものであってはならないと考えるのです。なぜかというと、戦前の侵略政策も残虐な戦争犯罪も日本だけの専売特許ではないにも関わらず、戦後の国際裁判で裁かれたのは敗戦国の側だけだったからです。

ますます分かるようで分からなくなりました。要するにセンセーは自民党の政治家たちや自虐史観批判者たちが言っている東京裁判批判と同じことを言っているのですか。

戦争責任論というのは難しいですね。私は戦前日本の侵略政策責任は認めますし、東京裁判によってそれが断罪されたことの妥当性も認めます。しかし、そのことは他者の側、連合国側の責任を隠蔽するものであってはならないと言っているのです。チャーチルやルーズベルト、スターリンがニュルンベルク裁判を決めたとき、自分たちの側にも戦争責任があったなどとは夢にも考えなかったでしょう。それは戦勝国の政治指導者の傲慢な態度です。近代世界における植民地支配の責任という一般的な意味だけでそう言っているのではなく、例えばドレスデンの空爆や広島・長崎を考えても、戦後日本兵士のシベリア抑留、強制労働などを考えても、狭義の意味で戦争犯罪を犯したという意味でそう言えます。

しかし、勝った側が自分たちの戦争責任を裁判するなどというのは現実にあり得ないのではないですか。センセーの言うのは理想論に過ぎないのではないですか。

それは認めましょう。そもそも歴史というのは理屈ではありません。人間の行為がまずあり、理屈は後になってくっついてきます。もしも、第二次世界大戦の時点で、今日の国際刑事裁判所のもっと発展した完璧な制度があったなら、ナチスの強制収容所は真っ先に摘発されたでしょうし、広島・長崎の原爆投下もただちに法廷にかけられたと思います。しかし、現実には国際刑事裁判所は当時まだなく、戦争政策の責任者を裁判で裁くという考えそのものが未熟でした。ただ、戦争を野放しにせず法的統制のもとに置くこと、戦争に伴う残虐行為を刑罰をもって処すること、こういう方向に人類の歴史が進んでいることも事実で、こうした国際的発展そのものは逆に、ニュルンベルク裁判や東京裁判をはじめとする先例を前提にしてはじめて成し遂げられたものです。

要するにニュルンベルク裁判や東京裁判は問題はあったが、前例という点で意義があるということですか。もしそうなら、そこで死刑にされた多くの人々は歴史の人柱ですか。

「人柱」というのは、昔、堤防工事などのとき生贄として人間を水底に埋めたことから来ている言葉です。つまり工事の完成という明確な目的があって、そのために犠牲となるのです。東京裁判で死刑になった7人のA級戦犯は、何のために死刑にされたのでしょうか。みせしめでしょうか、報復でしょうか。ことによったらそうなのかも知れません。ある種の政治の犠牲者なのかも知れません。つまり連合国の戦後世界秩序の構築のための道具にされた、と。もっともこれらの戦争責任者が何の責任もとらずに戦後を生き延びたとしたら、それはそれで戦後政治に甚大な影響を及ぼしていたでしょう。なにしろA級戦犯容疑者として逮捕された岸信介が戦後首相になり、東京裁判で有期刑を受けた重光葵が出所後に代議士になって吉田茂と首班指名を争うまでになる、そういうお国柄ですから、A級戦犯と名指しされるほどの戦前政治・軍事の大物が何の制裁も受けずに戦後に生き延びたときの影響力を考えると恐ろしくなります。

何の制裁も受けずに生き延びたといえば、天皇についてはどうですか。天皇は東京裁判で結局裁かれませんでしたね。天皇の戦争責任についてセンセーはどうお考えですか。

東京裁判の政治的な性格がいちばん露わになる部分ですね。GHQ総司令官マッカーサーの天皇観がどう築かれたのか私はよく知りません。マッカーサー自身がある意味で貴族趣味的な、剛腹な、もったいをつけた不遜な人物だったわけですから、あるいは彼は天皇制というもの、ヒロヒト天皇というものにある種の敬意を持っていたのかも知れません。日本統治のために必要であるからこそ天皇制を温存させたことは間違いないとしても、その背景にはマッカーサーの人間性があると思います。しかし、それはともかくとして、天皇が戦犯指名を受けなかったこと、東京裁判の被告にならず、証人として出廷することもなかったことは、日本社会にきわめて甚大な影響を及ぼしました。端的に言って、最高元帥たる天皇が戦争指導の責任を取らないで済むなら、下のものがなぜ責任を問われなければならないのかという戦争無責任史観を、たぶんは無意識のうちに、生み出しました。日本の政治指導者の中に敗戦によっても日本国家の根本は変わっていないという信念を持たせました。おそらく、戦後日本人の被害者意識は天皇免責の問題と非常に関係があるでしょう。日本人は自らの運命をどこかで天皇の運命とオーバーラップさせて考えているふしがあります。東京裁判の被告中、最高位のものは東条英機ということになるでしょうが、天皇免責のいちばんの被害者はたぶん東条でしょう。日本国民は東条をこそ戦犯第1号として、彼に「大東亜戦争」の全責任を負わせることで、本当の戦争責任者を免訴している自分たち自身の後ろめたさをどこかで糊塗していると私には思えてなりません。

難しいですね。東条英機は犠牲者ですか。靖国神社に祀られる資格ありというわけですね。それにしても、最初の問題に返りますが、東京裁判というものが持った意味は何だったのでしょうか。

太平洋戦争で戦死した日本兵士は戦後の平和樹立を目的として犠牲になったのではありません。日本は敗戦という「予期せぬ」結果のうえに戦後の平和が築かれたのです。今日私たちが享受している平和な日本社会は、戦争に負けたが故に存在しています。日本兵士が命をかけた戦った目的が達成されなかったことを前提に、今日の私たちがいるのです。東京裁判は日本が不正義の戦争をしたことを全世界に知らせました。日本国民は東京裁判を承認することで自分たちの過去の過ちを悔いたのです(少なくとも外見上、あるいは国際法上はそういうことになります)。ところが、国民の一部に、実は過去を悔いてなどいなくて、むしろ自分たちの行状を何とかして正当化したいと考える人たちがいます。というか、そういう人が戦後日本社会のトップを占めます。この人たちは日本の戦争責任など認めたくない。しかし、講和条約や対米関係などの際にそうはいかない。しかたなく、しぶしぶ戦争責任を認めるかのような態度をとります。私は東京裁判がさまざまな制約を持っていたこと、一種の欺瞞的内容をすら持っていたことを認めます。しかし同時に、この裁判がもしなければ、戦後日本は戦前の軍国主義政治をもっとずっと簡単に肯定する態度に転じたでありましょう。それはちょうど憲法9条に似ています。9条にまつわる欺瞞は周知の通りです。しかしながら、9条が戦後日本で果たした役割は否定できません。同様に東京裁判も、さまざまな制約や不当性を前提としながらも、それが果たした役割は認めなくてはなりません。しかしそれにしても、東京裁判は連合国側の裁判でした。この裁判が日本国民の主体的選択によるものでなかったこと、従って裁判については常に第三者的な立場でしか肯定も否定もできなかったことは事実です。こうした没主体的戦争責任論が、よかれ悪しかれ、日本の戦争責任論の色合いを決定してきました。このような意味で東京裁判は、近代日本の中間総括として常に後代の基準点をなしているのです。

2001/08/17

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