
映画の中の現代史
「白バラの祈り」ドイツ、2005年
監督 マルク・ローテムント
前評判通りの緊張感溢れる映像と言葉の世界。ベルリン映画祭「銀熊賞」最優秀監督賞、最優秀女優賞受賞も分かる。ベルリン映画祭に助演賞があったらゾフィーの相手役の検察事務官を演じた俳優も受賞していたろう。それほど演技は光った。 映画の核心は、反ヒトラーのビラをミュンヘン大学構内にばらまいた学生たちの一人ゾフィー・ショルと彼女を取り調べた検察事務官の言葉と心理の闘い。 ゾフィーは最初、ビラを3階からまき散らしたのは自分だが書いたのは自分ではないと言い逃れようとする。これは半分正しい。書いたのは兄ハンス・ショルだったのだから。このように言いくるめることでナチの手から逃れようとしたのは、はじめのうちはゾフィー自身にとってもひとつの抵抗だったのだろう。 けれど、ビラを印刷したアトリエ、郵送に使った切手などの物証が次々と出てきて、ゾフィーの抗弁は効かなくなる。ビラを作成し頒布したことを認める兄ハンスの供述調書を見せられて、ついにゾフィーはあきらめ、本当の抵抗を始める。 「そうです。ビラを作って撒きました。それをしたことを誇りに思っています」と。 当時のドイツでヒトラーを批判し、ユダヤ人迫害を糾弾することは不可能に近かった。酒場のひそひそ話で、教会の祈りにかこつけて、家族の間の共通了解として、または軍や官僚の幹部の間の秘密のやりとりで、そのようにすることはあった。しかし公然とそうすることはできなかった。 「白バラ」の英雄性はこの公然性にあったのだろう。学生仲間の酒飲み話ではなく、大学構内にビラを撒いたという、権力に真っ向から楯突くこのやり方、これに権力は怒り狂い、行った行為に比べると度はずれて重すぎる死刑判決を出す。 だからある意味では「白バラ」は素人じみた反抗だった。戦術も戦略もない、ただ学生特有の直行型抵抗。それに真っ向から応じたナチス権力の方がむしろ「弱さ」を出したのかも知れない。映画の検察事務官モーアがゾフィーの毅然たる態度に時折見せる「たじろぎ」はその証明のように思える。 「白バラ」の素人性は監獄に同房する共産党女性党員のエルゼが、いかにも古参抵抗者らしくゾフィーの世話をやくところにも見られる。裁判で死刑判決を受けても99日間は猶予期間がある、とエルゼはゾフィーを励ます。古典的抵抗組織である共産党に対して見せるナチの猶予は「白バラ」のような直情型反抗運動に対しては見られない。 20年前にも「白バラ」は映画になった。そのときは、ゾフィー一人に焦点をあてるのでなく、白バラのグループ全員を紹介し、また助力者であったクルト・フーバー哲学教授の役割も細かく紹介していた。今回の映画はそれに比べると、当時の事情にうとい人にはやや不親切な作りになっている。 ドイツには「ゾフィー・ショル」を名前に戴く小中高校がたくさんある。。これだけの真性の評価を受けているゾフィー・ショルを描くのは、まかり間違えば「贔屓の引き倒し」になる危険もある。 この映画がそれを免れているのは、監督及び作品のきまじめさと女優ユリア・イェンチの迫真の演技のおかげだろう。 |
「灰の記憶」アメリカ、2001年
監督・脚本:ティム・ブレイク・ネルソン
| <ストーリー> 舞台はポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所。1944年秋。 ヨーロッパ各地から貨車で移送されるユダヤ人。 そのユダヤ人たちをガス室に誘導し、死体から金歯を抜き、髪を切り、焼却炉で焼き、灰を川に捨てる役目を強制されたのは、ゾンダーコマンドと呼ばれるユダヤ人たち。 そのゾンダーコマンドがSSに抵抗し、死体焼却炉の爆破を試みる。 軍需工場で強制労働につく女性収容者が火薬を集め、ひそかに第三焼却炉部隊に運ぶが、計画は発覚、女性収容者が拷問にかけられる。 暴動のうわさが流れる中、ついに蜂起の開始。1棟の焼却炉が爆破され、それを合図にゾンダーコマンドたちがSSを相手に銃撃戦を展開するが、抵抗は長くは続かず、やがてSSの火器により鎮圧され、捉えられたユダヤ人たちは一人一人処刑されていく。 |
| <みどころ> この映画はこれまでの「ホロコーストもの」とちょっと違うところがある。 まず、強制収容所のガス室、死体焼却施設、死体処理施設の詳細が映像によって再現される。これまでのホロコースト映画では、ここまではっきりと映像化されていない。 もうひとつ、ユダヤ人でありながら同胞のユダヤ人を殺す側に回ったゾンダーコマンドに焦点をあてていることも、この映画の特徴だろう。 ただ、これらの「みどころ」は別の観点からみると、この映画の弱点ともなる。 |
<映画評> アウシュヴィッツ強制収容所のもっとも陰惨な部分をあえて映像化した勇気と努力は特筆に価する。 しかしこの映画にはどこか「うそ臭さ」が感じられる。 まず、登場人物がみな「生き生き」している。何十時間もの詰め込み貨車からやっと降ろされた人たち、ゾンダーコマンドとして働くユダヤ人たち、軍需工場ではたらく女性収容者たち……。 この俳優たちの演技はまるでハリウッド映画を見ているよう。陰惨で、声にも出ない当時の葛藤を表現するのにこんなに「生き生き」と演技してはいけない。 ユダヤ人ゾンダーコマンド(を演じた俳優たち)は、あまりにも体格が良過ぎ、発声が良過ぎ、感情表現がほとんどアクション映画そのもの。リアリティが感じられない。 いちばん現実感があったのはSS軍曹役を演じたハーヴェイ・カイテル。ドイツ人SS隊員もユダヤ人ゾンダーコマンドも、みな「自分の仕事をしているだけだ」とうそぶくこのSS軍曹は、映画「スペシャリスト」で暴露されたアドルフ・アイヒマンを連想させる。 |
<「戦場のピアニスト」との対比> 「灰の記憶」は、2002年度アカデミー監督賞、主演男優賞をとった「戦場のピアニスト」とは対照的な映画である。 「戦場のピアニスト」の舞台はワルシャワ、裕福なユダヤ人中流家庭、主人公は才能ある芸術家。ユダヤ人「カポ」の助力でトレブリンカ絶滅収容所送りを免れ、単身、ドイツ軍の追っ手をまきながら戦後まで生き延びる物語。 映画の中では、裕福なユダヤ人一家の絆と葛藤、突如あらわれた乱暴極まりないドイツ軍、ユダヤ人に加えられる意味不明の暴力、有無をいわさぬ追放と略奪がえんえんと描かれる。 しかもピアニストがSSの追及を免れるうえで助力をしてくれたのが、このピアニストのピアノ演奏を堪能した、いかにも音楽の国ドイツの人にふさわしい教養あるドイツ人将校。 要するに「戦場のピアニスト」はユダヤ人、ドイツ人、戦場、救済、芸術がほとんど記号化され、ステレオタイプ化された世界だ。この映画がハリウッドでこれほど評価されたのは、逆説的に言えば、このステレオタイプのおかげだろう。 一方、「灰の記憶」はなんとかしてこのステレオタイプを打ち砕こうとの意図が見える。これに成功しているかどうかは分からない。しかしその姿勢は貴重だろう。 |