大商PTAの沿革
校  訓
   士 魂 商 才          
   質 実 剛 健
校 歌( 式場用 )
  作詞 : 栗村 虎雄
  作曲 : 信時 潔

1.豊の海 東を洗ひ  由布の嶺 夕日に映ゆる  漂緲の浪 雄偉の姿  朝に眺め 夕に望む 
   比處に吾等の學舎ぞ立てる  光榮あれや 我が大分商業
2.學びの海 行手涯なし  人生の路 仰げば遠し  久遠の理想 進取の精神  心に體し 胸に蔵め 
   向上一路 進みて知らず  光榮あれや 我が耀く前途
3.身を修む 道に違へず 國富ます 念に燃えて  剛健の意思 經綸の能  鍛錬つとめ 研鑽倦まず 
   士魂の商才 ならびて具ふ  光榮あれや 我が尊き教訓
4.香はしく 櫻咲く國  うら若き 命に生きて  國土の丹圖 興國の意氣  雄心強く 希望に勇み 
   奮ひ立つなる 男兒の集ひ  光榮あれや 我が五百健兒

校 歌( 行進用 )
  作詞 : 栗村 虎雄
  作曲 : 信

 東を洗う豊の海 白雲なびく由布の嶺 漂緲かすむ沖つ辺や
  山半月に冴えぬる夜を ときじく眺めむわが学舎 栄光あれや大分商業
 行手涯なき学びの海 仰げば遠き人の路 理想の星は遙けくも 向上一路たゆまずば
  行きて進まん術はあり 栄光あれや我等が前途
 ああ人生の春にして 正大の気に磅磚れつつ 念は燃ゆる国富の基 士魂商才あわせとり
  国守る人とならんとす 栄光あれや我が教訓
 文化の潮の高鳴りは 眠りて聞かん時なりや 醒めん我友いざやいざ 思えば紅顔永遠ならじ
  白雉城下の光りなれ 栄光あれや五百健児




 

大商とPTAの沿革!  


大正6年3月17日
市立大分商業学校を大分市に設置、翌4月より開校を認可される。校長事務取扱ー大分市長後藤喜太郎。
大正6年5月3日
駄ノ原光明寺の仮校舎において、予科第1年生生徒50名の入学式を挙行。
大正6年5月5日
公立実業学校長、川田長兵衛が校長兼教諭に任命され、大分市長後藤喜太郎が校長事務扱を免ぜられる。
大正8年12月13日
大分商業学校と改称。
昭和2年5月3日
本校創立10周年記念式典を挙行。校歌を制定。
昭和7年3月31日
県立移管式を挙行、大分県立大分商業学校と改称。
昭和12年5月29日
本校創立20周年記念式典を挙行。
昭和19年4月1日
本校に大分県立大分第二工業学校を併設。
昭和21年3月31日
併設の大分県立第二工業学校を廃止。
昭和22年5月3日
本校創立30周年記念式典を挙行。
昭和23年4月1日
学制改革により大分県立大分第二高等学校と改称。
昭和24年5月9日
本校定時制(夜間)商業課程設置。
昭和25年4月1日
定時制(昼間)戸次校舎(大分郡大南町)が大分県立大分鶴崎高等学校より本校に所管替となる。
昭和26年4月1日
大分県高等学校再編成により、旧大分県立大分第二高等学校より分離独立し、大分県立大分城崎高等学校と改称。大分県立高等学校通信教育部が本校所管となる。
昭和28年4月1日
大分県立大分商業高等学校と改称。
昭和31年10月3日
本校創立40周年記念式典を挙行。
昭和35年3月19日
市内今津留に新校舎新築移転のため敷地15,444.45坪を購入。
昭和37年3月31日
定時制課程(夜間)を本校より分離、新たに大分中央高等学校として独立。
昭和38年6月5日
新校舎落成式を挙行。
昭和40年3月24日
体育館建設起工式を挙行。
昭和41年5月3日
本校創立50周年記念式典を挙行。
昭和41年10月23日
第21回国民体育大会秋期大会体操会場として本校体育館使用、三笠宮妃殿下御来臨。
昭和47年9月4日
プール完成(7コース25M)。
昭和50年2月28日
雨天ピッチング練習場完成。
昭和51年3月31日
60周年記念庭園完成。
昭和51年5月1日
本校創立60周年記念式典を挙行。
昭和56年10月30日
本校創立65周年記念式典を挙行。
昭和60年4月1日
昭和60年度入学生より営業科、経理科を商業化に統合、商業科7学級、情報処理科2学級となる。
昭和61年11月2日
本校創立70周年記念式典を挙行。
平成4年3月31日
部室・卓球場を新築移転、水球プール新設。
平成6年3月10日
水球プール上屋新設。
平成7年4月1日
国際経済科新設。商業科5学級、国際経済科2学級、情報処理科2学級となる。
平成8年11月3日
本校創立80周年記念式典を挙行。
平成9年4月1日
商業科4学級、国際経済科2学級、情報処理科2学級となる。
平成15年4月1日
商業科3学級、国際経済科2学級、情報処理科2学級となる。


●ーーー終わりーーー●