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味まつりの篠山   篠山市北新町   

 今回の旅は、「丹波篠山味まつり」が開催されている篠山のまちです。

 これまでに、何度も出かけたことがありますが、この時期、古い町並みを散策しながら、美味しい黒豆ご飯をいただいて、帰りには、丹波栗をお土産に求めてこようと、またまた、訪ねました。

 三連休の初日で、予想以上の大賑わいです^_^;

■ワンポイントアドバイス:まつりの開催時期は、篠山川の河川敷に、臨時駐車場がありますので、こちらに止める方が、結果的に、動きやすいでしょう。
■満足度:☆☆☆
 9時過ぎに加古川を出発しましたが、途中、道路工事の渋滞に巻き込まれ、篠山に着いたのは、予定より、1時間以上遅れて、お昼前です。

 篠山川の河川敷に設置された臨時駐車場に車を止めて、まず、河原町の街並みに入り、妻入商家群を散策しました。

 何年か、前にも、こちらで、いただいたことがありますが、早速、このお店で、黒豆ご飯の昼食です。
 旧街道の面影を残した河原町は、築城後まもな
くまちづくりが始められ、城下町篠山の商業の中
心地として栄えたそうです。

 家並みは、妻入商家に代表されます。5〜8メート
ルほどの狭い間口ですが、奥行きは、大半が40メ
ートル以上と深いです。

 表構えの大戸、千本格子や荒格子、中二階の出
格子、虫籠(ムシコ)窓、さらに、袖壁、うだつが残
り、素晴らしい景観を今に伝えています。
 多紀連山をはじめとする山々に囲まれた丹波篠山は、篠山盆地の中心にあって、縄文・弥生時代を物語る出土品も数多く発見されているようです。

 中世の終わりには、波多野氏が八上城を拠点として、丹波一帯に勢力を持っていましたが、天正3年(1575)ごろから、織田信長の命を受けて、丹波攻めを行った明智光秀により、天正7年(1579)6月に落城したと言われています。

 この辺りに、妻入商家の趣を、よく、残しています。
 慶長13年(1608)、徳川家康は大阪城と山陰・山
陽路の連絡を絶ち、西国大名に対する抑えとする
ため、常陸国の笠間城から、実子松平康重を八
上城に移し、新城の築城を命じました。

 慶長14年(1609)、西国15ヵ国20の大名に助役を
命じ、1日8万人を動員して、わずか6ヵ月で、「笹
山」という丘陵に、城を完成させました。

 こちらのお店では、栗を網で焼いて、売っておら
れました。
 その城を中心に広がった城下町が篠山で、京文化の影響を受けながら、丹波の都として栄え、独特の気候風土の中で、独自の発展を遂げ、優れた文化遺産を今に伝えています。

 この河原町妻入商家群は、国重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。 
 この通りには、いろんなお店屋さんに交じって、
能楽資料館や丹波古陶館などの展示館もありま
す。
 下河原町の鉾蔵ですが、どうやら、この日のために公開されているようです。
 こちらは、小田垣商店です。

 小田垣家は、もとは、鋳物師として享保年間に創
業され、明治元年(1868年)に、種苗店に転業した
そうです。

 江戸後期から大正初期にかけて建造された、店
舗の重厚な外観や、離れ座敷のある住宅の落ち
着いた空間構成などが特徴で、国の登録有形文
化財に登録されています。
 別に、知り合いでも何でもありませんが、何度来ても、川北産の黒豆大豆を、こちらのお店で買ってしまいます。

 その後、お隣の和菓子屋さんで、焼き餅を買い求め、食べながら、イベント会場を見て回りました(^_-)-☆
 こちらは、大正12年から、平成4年まで、篠山町
役場として活躍した建物です。

 平成5年6月3日、「大正ロマン館」として、装いも
新たに、オープンしました。

 最後まで、ご覧いただき、ありがとうございまし
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