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上下町       府中市上下町上下

 今回の旅は、かつて幕府の天領として、山陰・山陽を結ぶ石州街道(別名 銀山街道)の宿場町として栄えた、白壁のにあうロマンのまち「上下」です。

 備後・備中5万石を支配する代官所が置かれ、いち早く中央の文化が伝わった歴史と文化の薫るまちで、当時を偲ばせる白壁やなまこ壁が、訪れる人々をロマンへと誘います。

 春の連休の1日、高速道路の「休日上限1000円割引制度」の有終の美を飾るべく、出かけてきました。

■ワンポイントアドバイス:JR上下駅の駅前無料駐車場に車を止めて、散策すると便利です。
■満足度:☆☆☆☆
 加古川から約220kmですが、7時30分に出発し、途中、山陽自動車道サービスエリアでトイレ休憩しても、11時過ぎには、JR福塩線の上下駅前に着きました。

 連休中ですが、「じょうげ端午の節句まつり」が5月5日に終わったからでしょうか、無料の駅前駐車場もゆったりしていて、予想外に、静かです。

 まず、駅舎に入って、ウォーキングマップをいただき、「白壁の道」と名付けられた商店街に入っていって、散策を開始しました。
 こちら↑は、最初に訪れた「真野資料館」です。

 入館しようとしますと、親切にも、「観光ならば、先に、無料の『上下歴史文化資料館』で、説明を聞いてから、お越しください。」と教えてくださいます。

 白壁の道に戻って、ウォーキングマップを見ていますと、「旧角倉家の外門ならば、こちらですよ。」と言って、案内してくださったのが、この建物です。

 こんな風に、まちのあちこちで、何度も、多くの方に、親切に、いろんな説明をいただきました。
 戦後の道路敷設で分断され、今は、一部しか残っていませんが、明治時代の財閥、角倉家の建物は、奥行きだけでも、200m近くあったそうです。

 こちらは、上下歴史文化資料館に展示されていた旧角倉家の全景写真ですが、写真中央の建物が、今も残るこの↑外門です。

 この写真から、角倉家が、いかに、広大であったかが解りました。
 再び、白壁の道に戻ると、右手に、上下町のシンボルともいわれる上下キリスト教会が見えます。

 旧角倉家の土蔵だったものを、昭和25年(1950年)に、上下キリスト教会が入手して、蔵の上に八角形の塔を建て増したそうで、広島県文化百選に選ばれています。


 ところで、上下(じょうげ)という地名は、この土地が芦田川水系と江の川水系の分水嶺になっていて、ここに降った雨が日本海と瀬戸内海に流れ込むからだそうです。
 次に出かけたのが、明治の文豪、田山花袋の小説『蒲団』のヒロインのモデルとなった岡田美知代の生家、旧岡田邸です。

 花袋は、この家を訪れたとき、思い出を紀行文『備後の山中』に詳しく記しています。

 上下を代表する町家建築で、解体の危機にあったものを、上下町(当時)が入手、改装して、平成15年10月17日、上下歴史文化資料館としてオープンしたものです。

 真野資料館で、教えていただいたとおり、上下のまち散策方法や見所、それに、岡田美知代の生涯などを説明してくださいました。
 こちらは、上下歴史文化資料館に展示されていた上下人形です。

 広島県県北部では、三月の初節句に、子どもの誕生の喜びと成長への願いを託して、男女ともに、三次人形を贈る風習があり、その影響を強く受けて、上下町で作られていたものが上下人形です。

 粘土を型にはめて成形し、素焼きで焼き上げ、最後に、彩色と膠(ニカワ)の塗布を行います。

 天神、女物など、三次人形そっくりのできで、判別もなかなか困難だそうです。
 この上下人形は、明治時代から、安友徳吉、唯一郎父子により作られていましたが、昭和初期に廃絶したそうです。

 ところで、上下歴史文化資料館は、当時の建物を改修して使用されていますが、明治20年代当時の梁なども活かされており、こちらは、田山花袋が泊まったといわれる二階の客間で、今も、当時のままに保存されています。
 こちらは、白壁の道の中ほどにある、重森本店です。

 江戸末期の商家の趣を残しています。

 ところで、上下の歴史ですが、元禄11年(1698年)、福山藩水野家が、後継ぎの死亡により断絶すると、検地を行い、後任の松平氏に10万石を与え、残り5万石を直轄地の天領としたそうです。

 幕府は、石見銀山の銀を運搬する街道を手中にするため、天領としたもので、元禄13年(1700年)、天領代官所が置かれます。(※1に続きます。)
 こちらは、上下画廊の隣にある、歴史の面影を残した商家です。

 この通りでは、電線の地中化が行われ、歴史的景観がうまく保存されています。

 (※1) その後、享保2年(1717年)、うち2万石分が豊前中津藩に分割編入され狭くなったのを契機に、上下代官所は大森代官所の出張陣屋となり、江戸へ銀を運ぶ上での中継基地として重要な役割を果たすようになりました。(※3に続きます。)
 この吉田本店は、明治初期に建てられた二軒連結の呉服屋で、黒漆喰のなまこ壁が重厚な感じを与えています。

 上下では、立派な卯建(うだつ)と呼ばれる防火対策用の壁が残っている商家跡をよく見かけますが、 「うだつがあがる。」という言葉は、この卯建に由来しています。
 次に、この旧田辺家は、江戸時代、上下が天領だった頃の御用商人掛け屋(幕府の公金を扱うところ)で、上下最大の有力金融業者だったそうです。

 上下川越しにみた旧田辺邸ですが、明治時代には、酒造業も営み、その面影を残すトロッコレールが、今も、見られます。

 現在、指物「濱一」という家具屋さんが買い取って、家具の展示場にしていますが、その奥は、喫茶店になっています。
 こちらの喫茶店で、休息を兼ねて、お汁粉をいただきましたが、中庭に咲いていた椿です。

 紅白の花弁が見事です。

 (※3)もともと、鉄や米の集積地として栄えた上下でしたが、これをきっかけに銀をはじめ、様々な物資が集まるようになり、人々の往来も増え、「宿場町」としての賑わいをみせはじめました。(※4に続きます。)
 通りのほぼ中央にある十里堂辻広場です。

 無料で、湯茶の接待が行われていて、ボランティアガイドではありませんが、ご近所のおばさんが、まちの歴史や見所スポットを説明してくださいました。

 (※4)やがて宿場町としての風格が整いますと、役人や商人、文化人などが訪れるようになり、こうした中で、徐々に有力な金融業者や清酒、醤油などの醸造を営む豪商も現れ、まちは、活気付き、発展ていきました。
 白壁の道のハズレの交差点には、このKATANAのモルタル看板と入口のガラスに「片野製パン所」と表示が残るモダンな(?)建物があります。

 でも、今は、パン屋さんではなくて、白壁の道に面して、雑貨屋さんのようなお店を営業されています。

 ここから、左折して、翁座を目指します。
slide15.jpg へのリンク  途中、末広酒蔵資料館に立ち寄って、上下人形や骨董品を見せていただきます。

 こちらは、末広酒蔵資料館の酒蔵付近から見た旧警察署ですが、明治時代に建てられた建物で、見張り櫓が当時のまま残されています。

 天領蕎麦などが食べられる岡田屋という食事処でしたが、現在、休業中です。
 最後は、この翁座で、大正時代に建てられ、集会や芝居、映画の上演などが行われる劇場として賑わっていたそうです。

 当時の面影をとどめる木造建造物としては、県下唯一のもので、戦後は、高田浩吉、大友柳太郎、鶴田浩二らも出演したそうです。

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