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脇町      美馬市脇町大字脇町

 今回の旅は、高速道路1,000円で、乗り放題のメリットを生かして出かけた、四国は、うだつの町並み、「脇町」です。

 「うだつ」は、二階の壁面に造られた袖壁のことで、もともとは、防火が目的でしたが、うだつを造るのに多額の費用を要したことから、「うだつが上がる」という言葉を生み、富や成功の証の象徴となりました。

 若干、観光化されてはいますが、それでも、藍の集散地として栄えた町並みが、保存され、今井町大宇陀のように、素敵な中世のまちへ、タイムスリップできます。

■ワンポイントアドバイス:駐車場は、道の駅「藍ランドうだつ」を利用すると、便利です。
■満足度:☆☆☆☆
 加古川を8時に出発し、第二神明から神戸淡路鳴門自動車道に乗り、途中、淡路島サービスエリアで、トイレ休憩を兼ねて、一服です。

 この施設の目玉は、明石海峡大橋から神戸空港まで見渡せる、全高65mの大観覧車です。でも、後の時間が気になりますので、お楽しみは、次回に、お預けです。

 橋の見える丘からは、先程、渡ってきた明石海峡大橋が、一望できます。

 その後、板野インターで、高松自動車道を降りて、藍住インターから、徳島自動車道に乗り、一路、脇町を目指します。
 途中、車線が1車線に減少して、少し、イライラしましたが、しばらく走ると、追い越し車線があり、予定通り、2時間ちょっとで、道の駅「藍ランドうだつ」に到着です。

 東側から、順序良く、町並みを散策するため、大谷川の「南橋」を渡って、まず、この脇町劇場「オデオン座」へ向かいました。

 脇町劇場は、1934年(昭和9年)に、パリの国立劇場「オデオン座」をまねて、芝居小屋として建てられ、歌舞伎や浪曲などが催されました。

 戦後は、映画館となり、地域の憩いの場として、親しまれたそうです。
 間口が14.5m、奥行き27.3mの二階建てで、花道、うずら桟敷、太夫座等の施設があり、直径6mの廻り舞台も整っていました。

 しかし、映画の斜陽化と建物の老朽化により、平成7年に閉館し、取り崩される予定でした。

 ところが、松竹映画「虹をつかむ男」(山田洋二監督)の舞台になり、一躍脚光を浴び、文化的価値が見直され、平成11年6月に、昭和初期の創建時の姿に修復されて、一般公開されたのです。
 いよいよ、脇町の探索開始です。

 大谷川の「南橋」から、全長400m余りの、南町の町並みを望みますと、まず、本瓦に鬼瓦を乗せた派手な屋根が、目に入ります。

 白漆喰の、うだつや、虫籠窓、出格子窓が、印象的で、ここから、中世へのタイムスリップが始まります。
 歩き始めて、まず、目に付くのが、この「ふれあい館」です。

 進行方向の、左手にありますが、江戸末期の呉服商家を利用した休憩施設で、藍染の資料や作品、藍窯が見られます。

 お茶の接待(セルフサービス)や、町内案内ビデオ、パンフレット類もあり、冬期を除いて、藍染めの実演が見学できます。
 「ふれあい館」の隣が、この「野崎呉服店」です。

 ガラス戸が、いかにも、懐かしい、雰囲気を見せています。

 1856年(安政3年)創業の、伝統あるお店ですが、藍染めの土産物が、とても、手軽な値段で、並んでいます。
 こちらは、野崎呉服店の斜め向かいにある、「正木酒店」です。

 店先には、明治時代の郵便ポストがあり、「うだつのあがる酒」という名の、地酒が売られています。

 ←こちらの写真をクリックすると、ちょこっと、大きくなりますので、向かって左側の店先にある、方屋根の黒い箱をご覧ください。
 「正木酒店」を過ぎて、しばらく、進むと、左手に、井戸が見えます。

 1823年(文化10年)5月につくられた、共同井戸だそうで、綺麗に整備され、町並みに、とても、よく似合っています。

 時代劇に出てくる、長屋の井戸とは、ちょっと、雰囲気が違います。
 脇町の中心は、南町で、約430mが、明治以前の本通りだったそうです。

 この日は、秋の観光シーズン真最中の、土曜日でしたが、予想外に、観光客は少なく、素晴らしいロケーションです。

 電柱が地中化されていますので、テレビや映画の時代劇で、たびたび、ロケが行われているそうです。
 さらに進むと、道の駅「藍ランドうだつ」から、脇町へ入ってきたところにある、「吉田家住宅」です。

 藍の豪商として繁栄した、吉田家は、町並みで最大の床面積を誇り、当時の藍商人の繁栄を感じる事ができます。

 一般公開されていて、中には、商談に使った、みせの間や帳場、使用人部屋があり、裏手には、吉野川の水運を利用した舟着場跡も残っています。
 藍商は、藍染めの原料を販売する商人で、幕末から明治にかけ、多いに、繁盛しました。

 吉田直兵衛が、1792年(寛政4年)に創業した藍商で、屋号を「佐直」としました。

 町並みに面した間口十一間、奥行き三十間の敷地に、二階建ての主屋と、二つの蔵、藍の寝床、離れを有しています。
 吉野川流域で栽培された藍の葉を集め、寝床と呼ばれる作業所で、水をかけながら発酵と攪拌を繰り返し、約80日かけて藍玉に仕上げ、それを各地の染め業者に販売していたそうです。

 二階板の間に、多くの労働者を住み込ませ、また、身分の高い武士等の接客のため、「御成玄関」(右上の写真、左上は「西玄関」)と呼ばれる特別な玄関も作られています。

 南町と吉野川を繋ぐ小路にも、素敵な趣があり、中に入ると、空を圧して、左右に迫る白壁が、不思議な空間を形づくっています。
 吉田家住宅の向かいに、古い「大塚食品ボンカレー」の、琺瑯看板のかかったお店があります。

 松下食品店という表示がありますが、こちらでは、「生活改善グループ」の皆さんが、豆腐の田楽や、お味噌、ジャムなどを販売されています。

 とても、美味しそうでしたが、さきほど、「茶里庵」の前を通ったとき、帰りに、「そば米雑炊」いただく約束をしましたので、我慢しました(^_-)
 吉田家住宅の隣が、この「田村家」です。

 1711年(宝永8年)に建てられ、この通りでは、2番目に古い建物だそうです。

 うだつを取り入れた建築様式以前のもので、二階部分が低く、古風な構えをしています。
 田村家の2軒隣が、この「国見家」です。

 1707年(宝永4年)に建てられ、この通りでは、一番古い建物だそうです。

 敷地は、表通りから、当時の吉野川まで達する広いもので、川岸に門があり、石段を通じて、吉野川の船着場に出ることができました。
 国見家から、3軒となりが、この12世将棋名人、「小野五平」の生家、「平田家」です。

 五平は、1831年(天保2年)に、脇町の旅館の長男として生まれ、泊り客のさす将棋を見て、病みつきとなり、7・8歳の頃、すでに、負かすものがいなかったそうです。

 19歳のとき、江戸に出て、十一代大橋宗桂に入門し、1900年(明治33年)に(1898年(明治31年)とする資料もある)、十二世名人となりました。
 平田家のお向かいにある、懐かしさを感じる建造物です。

 うだつは、最古のものとしては、1707年(宝永4年)につくられたものが、確認されているそうです。

 うだつのほかにも、虫籠窓(むしこまど)、格子造り(こうしづくり)、蔀戸(しとみど)など、旧家ならではの建築風景が心ゆくまで堪能できます。

 1988年(昭和63年12月16日)、うだつは、重要伝統的建造物群保存地域に認定されています。

 うだつの町並みの西の端に、この「美馬市観光文化資料館」があります。

 1988年(昭和63年)まで法務局として利用されていた建物で、明治時代の、税務署庁舎の写真を参考にして、改装されたものです。

 うだつの町並みの今昔を伝える資料を展示し、観光ボランティアガイドの受付や観光情報が発信されています。
 最後に、田村家の前の「茶里庵」まで、戻ってきて、「そば米雑炊」をいただきましたが、テレビの時代劇「水戸黄門」のロケがあり、そのとき、主役の方と撮った写真を見せてくださったり、楽しいお話を聞かせていただきました

 こちらは、船着場の雰囲気を残す、道の駅「藍ランドうだつ」から見た、カフェスタイルの「藍蔵」です。

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