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宝厳寺・長命寺         長浜市早崎町竹生島 近江八幡市長命寺町 

 今回の旅は、1年12回で満願になる、西国三十三ヵ所巡礼の旅という触れ込みの、お手軽バス旅行、第8回目で、30番札所 宝厳寺と、31番札所 長命寺です。

 なかでも、宝厳寺は、琵琶湖に浮かぶ竹生島にありますので、初めて、船で、参拝です。

 今回は、長浜港から、乗船しましたが、この竹生島へは、JR湖西線の「近江今津駅」やJR東海道線の「彦根駅」の、近くからも、観光船が、出ています。

■ワンポイントアドバイス:公認先達の先導があり、ご朱印は、添乗員の方が代行してくださいます。
■満足度:☆☆☆
 いつものように、8時に明石を出発し、三宮で、20名近くの方と先達さんが乗られると、バスは、ほぼ満員です。

 生田川ランプから、再び、阪神高速に乗り、西宮から、名神高速に乗換えて、一路、、長浜を目指します。

 長浜からの船中は、どちらかというと、巡礼の旅というよりも、観光旅行の雰囲気が強く、かなり、賑わっていました。
 周囲約2kmの花崗岩からできた、竹生島は、切り立った断崖で、古くから、神の住む島、霊の地として、独特の地位を保っています。

 船着場から見た、宝厳寺の全景ですが、山腹に密着するような形で、建物が建てられ、数軒ある土産物屋の前を通り抜けてから、急な石段を登って行きます。

 ご覧のとおり、今回の旅は、何故か、素晴らしいお天気です^_^;
 参拝所で、込み合わないよう、私たちの班は、まず、「観音堂」から「都久夫須麻(つくぶすま)神社」、そして、「本堂」というコースを進みました。

 これは、正面から見た「唐門」ですが、その後ろに、チョコッと見えているのが、「観音堂」です。

 唐門も観音堂も、慶長7年(1602年)に、京都東山の豊国廟から移築されたそうで、いずれも、桃山時代の代表的な建築物とされています。
 その唐門をくぐると、正面は、観音堂の壁面になり、右折すると、観音堂の正面に出ます。

 この観音堂は、西国三十三ヶ所札所の中心的建物で、こちらの「千手千眼観世音菩薩像」を、西国三十三ヶ所霊場宝厳寺の、ご本尊とする記述も、多いそうです。

 そんな訳で、まず、ここで、先達さんの先導で、みなさん、ご一緒に、般若心経を、お唱えしました。
 観音堂から、都久夫須麻(つくぶすま)神社本殿へは、この「舟廊下」を渡って行きます。

 秀吉の御座舟を利用して造られたことから、舟廊下と呼ばれているのだそうです。

 この舟廊下も、慶長7年(1602年)、豊臣秀頼が、片桐且元に命じて、京都から移築したものです。
 都久夫須麻(つくぶすま)神社の本殿です。

 社伝では、雄略天皇3年(420年)に、浅井姫命を祀る、小祠が作られたのに始まると伝えられています。

 その後、神亀元年(724年)、聖武天皇が神託をうけ、行基を勅使として竹生島に遣わし、寺院を開基させます。

 行基は、早速、弁才天像を彫刻し、ご本尊として、本堂に安置し、翌年には、観音堂を建立して、千手観音像を安置しました。
 もう一度、舟廊下を渡って、本堂へ向かいます。

 中世、比叡山の影響で、神仏習合が進み、「日本三大弁財天」の一つと称されましたが、明治の神仏分離令により、両者は分離され、本堂は、神社の所有となります。

 結果、仮安置となった、大弁才天ですが、昭和17年(1942年)に、この本堂が、再建されます。

 ここで、もう一度、先達さんの先導で、みなさん、ご一緒に、般若心経を、お唱えしました。
 この三重塔は、平成12年(2000年)5月、江戸時代初期に焼失したといわれるものを、約350年ぶりに、再現しました。

 三重塔は、お釈迦様の遺灰を納めた仏舎利塔を形どったもので、特に、この塔は、古来の工法で、建築されたそうです。

 各柱や長押には、うんげん彩色や牡丹唐草紋様が描かれ、その装飾は、昔ながらに、岩絵の具を膠水で溶いて描いているそうです。
 長浜市から近江八幡市までは、琵琶湖の東岸を、地道で進みます。

 彦根付近では、結構、交通渋滞もあって、長命寺の駐車場についたのは、午後3時近くになっていました。

 何分、西国三十三ヶ所札所のなかでも、難所の一つに数えられていますので、上醍醐の例で、かなり、プレッシャーを感じながら、登り始めましたが、しばらくすると、この山門風の建造物が有ります。
 長命寺参道の石段は、本堂まで、808段ということですが、ご覧のとおり、1段の段差が、かなり、大きく、とても、段数を数えながら登るというような、余裕がありません。

 それでも、上醍醐の貴重な経験から、ゆっくりとしたペースで進み、何とか、皆さんから遅れることもなく、登りきることができました ^_^;
 こちらが、本堂ですが、伝承によると、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰が、この地で柳の木に「寿命長遠諸元成就」と彫り、長寿を祈願して、300歳の長命を保ったそうです。

 その後、聖徳太子は、この地に赴いて、宿禰が祈願したときに彫った文字を発見し、ながめていると、白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫り、この地に安置するよう告げたそうです。

 太子は、早速、十一面観音を彫り、この地に安置し、宿禰の長寿にあやかり、長命寺と名付けたと伝えられています。
 本堂で、先達さんの先導で、みなさん、ご一緒に、般若心経を、お唱えした後、しばらく、境内を散策しました。

 これは、本堂の西側に近接する、三仏堂です。

 三仏堂は、近江守護の佐々木定綱が、戦死した父、佐々木義秀を弔うため、元暦元年(1184年)に造立したもので、薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来の三尊が祀られています。

 現在の建物は、永正13年(1516年)の焼失後、永禄年間に再建されたそうです。
 右手前の建物は、護法権現社の拝殿で、本殿は、この奥にあり、長命寺の護法神として、開山、武内宿彌が祀られています。

 そのため、護法権現社は、「開山堂」とも呼ばれています。

 護法権現社拝殿の西側、一段高いところに、鐘楼が建てられています。

 この鐘楼の鐘は、琵琶湖の龍神が、長命寺の観世音に捧げたものという伝説があります。
 これは、本堂東側にある三重塔です。

 慶長2年(1597年)に建立されたそうで、内部には、四天柱・須弥壇があり、胎蔵界大日如来が安置されています。

 相輪は、竜車に、文化6年(1810年)の刻銘があるそうです。
 本堂の裏側にある、この大きな岩は、六処権現影向石(天地四方を照らす岩)です。

 案内板に、「当山開闢武内宿禰大臣 此の聖地に於いて祈願 三百歳以上の長寿を全うす。」と説明してあります。

 この外にも、長命寺には、修多羅岩や飛来石などの巨岩伝説があります。
 これは、本堂の東側、三重塔の北側にある、お堂です。優しい佇まいで、調べてみましたが、説明がありませんでした。

 次回は、第20番札所 善峰寺  第21番札所 穴太寺  第22番札所 総持寺 第23番札所 勝尾寺です。

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