=プラハ音楽紀行(2006年5月3日編)=

 3年ぶりのプラハ訪問は、過去と勝手が違う。何がかといえば、第1に短期であること。第2に全日程に同行者がいること。同行者といえども、嫁でも彼女でもなく、大学の先輩というか友達である。ゴールデンウィークという事で、混雑を避けたいので早めに成田空港に到着。しかしこれが空いていた。5月3日にもなると、ピークは過ぎ去ったのだろうか。暇なので、チェックインしても暇なので早速ビールを飲む。
 これが最初の1杯であったが、この先何杯のビールを飲むのだろうと言う下らないことは気にしてはいけない。っていうか、何杯飲んだのだろうか。
 今回は、エールフランスで初めてパリ経由で渡欧。特別な理由は無いが、要はパリ経由の航空券しか手配できなかっただけ。乗換えだけだが初めてフランスに乗り込むのだ。パリ行きの電車には3回くらい乗った事はあるのだけどね。機内では「ウィウィ」とかいう聞いた事の無い言語が飛び交う。訳分からん。フランス語なんて「ウィ」「ジュテーヌ」「ドビュッシー」「ラヴェル」(作曲家かよ)くらいしか知らない。
 でもエールフランスは、機内でシャンパンが飲めるのは嬉しい。故にまずはシャンパンにワインにガバガバ飲む。ちなみに友達とは、席が前後してしまい、勝手に1人居酒屋状態である。隣りにはカップル。まぁ仕方ない。飲んで寝て、飲んで寝て・・・・を繰り返して、ようやくペテルブルグが近づくのである。それでもまだまだパリは遠いのだ。
 そして現地時間5時30分のほぼ定刻でパリ・シャルル・ドゴール空港に到着。しかし遊んでいる暇は無い。乗り換えはたったの45分。急いでバスに乗り込み、プラハ行きのターミナルへ移動する。
 そして18時15分定刻でパリを出発して、プラハに向かう。よー考えたら、1月にケイマルが帰った時も、同じルートだったような気がする。7時半と定刻より早くプラハ・ルズニェ空港に到着。着いてびっくり。どうも様子が違う。立て替えたのか、キレイになったのか・・・と思ったら、第2ターミナルが完成したようだ。
 入国審査で、俺のICチップ入りのパスポートに検査官が興味津々。「こんなのみたことある?日本の新しいパスポートだよ?」「お、凄いな。こんなふうになっているのか?」「へー」(想像です)と2人で楽しそうにしていたから早速「日本の新しいパスポートだよ」と教えてあげた。
 新しい空港に驚きつつも、空港を出て、バス地下鉄の7日券を購入。そして119番バスで、デイヴィツカに向う。そして地下鉄を途中下車して、ドヴォルジャーク・ホール、旧市街地広場、スメタナホールを拝んで、ホテルに向かう。3年ぶりのプラハとはいえ、勘が一気に戻ってきた。
 9時前にホテルに着いて、荷物を簡単に片付けて、早速ホテルのバーへ向かう。この時点で日本時間午前5時くらい。少ししんどいところではあるが、ピルスナーウルケル生を飲まない訳には行かない。
 日本でもビンで買えるのだけど、やはり生にも勝てない。っていうか、ここで飲まなければ意味無しなくらい、プラハで飲むと美味しいのである。このためにプラハに来ていると言っても過言ではない。プラハ初登場である同行M氏(以下M)は、ご機嫌でこれを飲み干した。そして、更にチェコと言えば、コゼルも飲まない訳には行かない。コゼルは、ノイマンが別荘構えていた、フェルケー・ポポヴィツェの地ビールである。これまた非常に美味しい。特に黒が美味しい。黒ビールが苦手な人にも、お勧めである。と言う訳、この日は、ビール三昧で飲みまくり。
 12時近くまで、バーでダラダラしながら飲みまくった。もちろんこのために来ているのだから、問題ないのである。






=プラハ音楽紀行(2006年5月4日編)=

 さて、今日から本格稼動する。朝飯を食べて、8時半くらいに、ケイマルの携帯に電話をする。昨日しておけばよかったのだけど、「ズィコフ(本当は本名を名乗りましたよ)です」と電話したら「チャオチャオ」言ってた。ケイマルの奥さんにメールをしておいたので、それを読んでいたようで、来ているのは知っているので、10時からのゲネプロに間に合うように行くと伝える。
 天気が良くて、非常に素晴らしい。東京よりも暑いくらいである。早速ルドルフィヌムのトランペットセクションの部屋にお邪魔する。そしたらトンダーとシェディビー兄弟が居て、大喜び。よく来たなぁ!いつもケイマルとばかり話しているから、たまには違う連中と話すのも楽しい。10時になって、訳の解らない現代曲のリハが始まった。ケイマルはそちらに乗っているので、会えず・・・・ということで、ラッパ部屋で待たせてもらう。右のように、過去の偉大な先人達の写真が飾ってある。ようするに今も偉大な先輩達に見張られて日々を過ごしているのである。しっかりやっているかと、語りかけているかのようでもある。でも壁には、マリリンモンローの写真、エロ本が切り抜いてあったりと、男ばかりの部屋である事を改めて思う次第である。
 シェディビー弟に「この曲何分くらい?」と聞いたら「知らない」。「良い曲なの?」「知らない。いや素晴らしい曲だ!」とのこと。テレビで舞台の様子を見たら、まだ始まってなくて静かだったから「この曲は音がなくて良い曲だ!」と冗談をばかり言っている。
 それにしても、この連中がさらっている音を聞くと、本当にみんな同じ音なんだよね。もちろん1人1人強烈な個性があるし、そういう意味では音は違うのだけど、方向性が全く同じ。もちろん同じでないと、このオケで仕事はできないのだけど、改めてその偉大さを感じるのである。
 そうこうしているうちに、リハも終わりケイマルが戻ってくる。そしてすかさず、ゲネプロ聞くかい?というから、もちろんというと、ホールに案内してくれた。休憩になったら、ビールをご馳走するから、すぐに戻って来いよ!って。
 ということで、客のいないドヴォルジャークホールの音響というこの上ない贅沢を堪能する。客が入っても、美しい音響であることに変わりはないのだが、更に美しく響くのだ。しかもマーツァル指揮マーラー交響曲第6番。5年前、アシュケナージが指揮したときもここで聞いた。前回が本当に素晴らしい演奏であったので、今回も楽しみである。ホール一杯に響き渡る音の美しさに圧倒されながらも、やや物足りない。ホルンがヴォヴォジル氏で美しいのだが、パンチがない。ヤルダーも素晴らしい。しかし3番にはシェディビー。最強のトンダーは4番。どうも様子が変である。それでもやはりチェコフィルの伝統的な音であることには変わりが無い。
 しかし雛壇を使わないで演奏するのは何ゆえであろうか。ケイマル曰く「マーツァルが昔のチェコルは使わなかったから」と言ったからというが、それはそれでちょっと変である。やはり管打楽器高い位置から、遠くに音を飛ばさない事にはどうにもならないだろう。編成が大きいから、ベタにしているのかと思いきや、そうではないらしい。
 1楽章が終わり、休憩になる。そこで右の写真を撮影。そして食堂へ向かいビールをご馳走になる。どうやら長い休憩らしく、食事をする奴等、ビールを飲んでいる奴等もいる。仕事中にビールなんて日本の感覚から言ったら、ありえないだろうけど、そこはチェコフィルだ。お構いなし。ビール片手に議論している。ビールが本当に水みたいなものなんだろうなと。
 休憩を挟んで、残りの楽章。マーツァルはもちろん止める事なく、通すだけ。細かい指示をすることはない。リハでどこまでやったのか知らないけど、アンサンブルをもう少し整えて欲しいと感じるところもあるけど、それはそれなのか。本番は、また違うエネルギーを出すオケだし。
 ゲネプロが終わって、ケイマルと楽屋食堂で昼飯をご馳走になる。チェコ風のチキンのカレー煮込みとライス。ケイマルがカレーは日本の方が美味しいというが、これはこれで美味しかった。ここでケイマルに、お土産のCDを渡した。(これが後々大いに利用されることを俺はまだ知らないが・・・)そしてコンサートのチケットをもらい、Mを観光に連れて行く。
 音大の近くにある小さいCD屋で早速お買い物。
 さて俺はもう何度も来ているからプラハ観光はもう良いやなんて言ったら、怒られるところだ。っていうか、プラハ城の周りは何度来ても美しい風景に心打たれるのだ。天気は良いし絶景としか言いようが無い。右はプラハ城の聖ヴィート教会の塔の上からの風景。しかし登るのは、狭い階段しかなく、非常に辛い太目の方、体力に自信の無い方には行かないことをお勧めする。肉体に大いなるダメージを追うこと間違いなし。っていうか、登りで何人も追い抜き、降りる時は息切れしている太った人を見かけた。その都度「やめたら?」と日本語で言ってみた。もちろん通じる訳ないのだけどね。
 そして、そして大きい店にCDを買いに行く。ハラバラのルサルカのDVDなど探していたものを数点購入。まだまだ足りないのであるが、まだまだ探す時間はあるだろう。
 1度ホテルに戻って、荷物を置いてからドヴォルジャークホールへ向かう。席は2階後方であったが、ケイマルとトンダーは出てくるなり我々の姿を見つけて、手を振っている。いつものことながら、この人達は何やっているんだか。面白くて仕方ないのだけどね。
 最初の現代曲は、何気にトランペットが活躍するので、寝なかった。後半は、お待ちかねのマーラー6番であるが、すでにゲネプロで1度聞いているのである。一日に2度聞くのは、堪える曲である。っていうか演奏する側は、全くお疲れモードなしだから凄いのだ。アンサンブルの若干のほころびはあったが、なかなかの熱演であった。マーツァルに大きなブラボーが飛んでいた。そして終演後、オクタヴィアの江崎さんに会いに行ったら、53箇所のミスがあると頭を抱えていた。酷い演奏だと・・・・確かにぼろくそに言うほどでもないけど、商品にするにはキツイ演奏だろう。
 そしてケイマルに今度は、飲みに連れて行ってもらう。3年前も連れて行ってもらった店である。ここでスヴィチコヴァとビールをご馳走になる。飲みながら、53箇所のミスの話やら、いろいろ真面目な音楽の話をして盛り上がった。この人は基本的に真面目な音楽家なのである(当たり前)。いつも冗談ばかり言っているから、つい忘れてしまう時があるのは、よくない。ケイマルと翌日音楽院でのレッスンにおいでということで「ドブロウノッツ」。
 そして12時前になって、店から旧市街地広場を抜けてヴァーツラフ広場へ向かう。ケイマルによるミニプラハ観光案内。地下鉄の終電でホテルに戻りやっぱり軽くビールを飲む。

 =プラハ音楽紀行(2006年5月5日編)=

 今日は、ちょっと疲れたのでゆっくり起きてまずは買い物に行く。スメタナホール横の楽器屋は、10時からちょっと時間が早かった・・・そして本屋で、待望のヤクブ・ヤン・リバのクリスマス・ミサのスコアを購入。これが欲しくて仕方なかったのだ。ついでにCDも数枚購入。そしてヤマハを覗いたら、大したものは無かった。そして中古レコード屋で怪しいレコードを大量購入。そしてMは、スメタなホール横の楽器屋で結局、ポストホルンを購入。1度ホテルに荷物を置きに帰り、再度出発してまずはお昼を食べる。かつてケイマルの日本人の弟子に教えてもらったレストランだ。やはり量が強烈に多い。でも美味しい。お昼は爽やかにスタロップラーメンなるビールを飲む。爽やかなビールであるが、チェコでは嫌いな人が多いらしい?お腹が満ちたところでプラハ音楽院に向かう。音楽院は、ドヴォルジャークホールのすぐ裏にあるのでケイマルにとっては都合の良い近い職場だ。
 ラッパ部屋に行ったら、すでに学生がいた。そして何をするかと思いきや、俺が今回ケイマルに上げたCDを皆で聞こうって言うわけだ。
 音楽院の壁にはこちらも過去の偉大な先生の写真が飾ってある。特に戦前のチェコフィル奏者で、音楽院教授であったヴァーツラフ・ヴァチュカーシュが大きい写真がある。彼は教育者として数多くの教則本を書いている。見せてもらったが、こんなの完璧に演奏できたらとんでもなく上手になるに違いない。共産圏という閉ざされた中で、彼等は自分達独自の方法を生み出し、伝統を維持してきたのだ。
 さらにロシア(当時のソ連)からも取り入れ、教育してきたようで、ロシアの教本も数多くあった。非常に興味深いことであり、これらのエチュードがアーバンなどとならんで今も使用されているのだ。そして道を1本隔てた、チェコフィルのメンバーを育成すべく教育してきたのだろう。
 さてさて、今回ケイマルにプレゼントしたCDは、ヤンソンス指揮ロンドン響マラ6、コリン・ディヴィス指揮ロンドン響「惑星」、ハーセスのブランデンブルグ、ベニー・グッドマンのウェーヴァーのクラリネット協奏曲(マルティノン指揮シカゴ響の伴奏)。
 ケイマルは、モーリス・マーフィーのよるマラ6が気に入ったようで、冒頭のソロを遅れてくる学生全ての戻って聞かせていた。そしてモーリス・マーフィーは3月のロンドン響来日公演で、冒頭1ヶ所ミスしただけで、完璧だったという、昨夜俺等と飲んで話していたことを学生に何度も話していた。
 4時くらいになって、日本人の学生(っていうか女満別のセミナーで会ってる)を、中国人だとかまた冗談言ってるし。プラハ音楽院はここで撤収。取り合えず、ルドルフィヌムで今夜のチケットを購入。日本でチェコフィルのサイトから予約したものだ。昨日は予約を破棄したが、今宵は使用。当日受け取らなければ自動的にキャンセルになり、支払いチケット売り場ではカード決済できて非常に便利である。
 そしてホール内のCD屋で少しお買い物。ここにも中古レコードがあるのには驚いた。掘り出し物があるかもしれないと思いつつ、荷物を増やすのは辞めた。でもって昨夜ケイマルと飲んだレストランで、ピルスナーウルケルを飲む。だらだら時間を潰していたら、あっという間に7時になりホールへ向かう。ホールには、チェコフィル110周年記念グラスがあった。最初1個買おうとしたら、もう1個欲しくなり、おばちゃんにビックリされながら2個購入。
 今宵の席は、昨日よりも若干前に移っただけ。でも2階最前列のちょっと端っこ。ここで今宵のマーラーを堪能する。印象としては、昨日と同じ。この手の大曲で、2日とも同じような高レベルのパフォーマンスをすることはチェコフィルといえども、なかなか無いことだ。いろいろあるのだろうけど、彼等のポテンシャルの高さを伺う事となる。
 そして演奏会が終わり、少しの休憩を置いて10時から11時まで2日間のライブ録音を修正するレコーディングセッションが組まれていた。こんなことは、日本のオケだったらできないスケジュールだ。それにこの日の午前中は、翌日ヴィス・バーデンでのベートーベン交響曲第7&8番のリハーサルをしていたのだ。そして翌日、朝6時にプラハ駅に集合して、電車に乗り込み6時間掛けてヴィス・バーデンで向かうと言う。全くタフな連中だ。でもケイマルは降り番。
 そんなこんなで1時間のセッションをこなし、オクタヴィアの江崎さんとホテルで軽く飲む。チェコフィルといえども、かつての輝かしさはないことに嘆いていた。そしてマザーチェクが来年退団するらしいという情報を得た。まだ60歳になるかならないかであるが・・・・彼も残りの音楽家人生を指揮者として活躍したいということらしい。というかすでに指揮者としての活動も積極的に行っているのだがね。
 そんなこんなで1時過ぎまで話していて、タクシーで帰ることに。プラハでタクシーと言ったらボッタクリなのだが、少しはまともなものがあるらしく、電話で呼んでくれてインターコンチネンタルホテルから200コルナくらいだった。
 さすがに疲れていたので、寝ることにしたzzzzz

=プラハ音楽紀行(2006年5月6日編)=

 さすがに疲れていたので、ゆっくり寝た。朝飯を食べてさらにダラダラして10時半くらいにホテルをでる。途中、少し買い物をして、ケイマルの家の近くの駅に向かう。12時に待ち合わせであったが、予想とおり5分ほど遅れて車で現れた。そしてケイマル・カーに乗り込み、ノイマンの墓参り等に連れて行ってもらう。そしてまずは車で、「ここが俺の家、で少し行くとこの2階がティルシャルの家」と通過してくれた。この2人は、私生活でも仲良しらしい。というかお互いこんな近くに住んでいるのかよ!と突っ込みたくなってしまった。
 というこで、まずは高速道路をすっ飛ばしてフェルケー・ポポヴィツェの墓地に眠る我らのヴァーツラフ・ノイマンに会いに行く。ケイマルは今朝、ノイマンとの最後のマーラー交響曲6番〜4楽章を聞いたそうで、良い演奏だよなぁとつぶやいていた。そんなこんなで墓地に到着。墓には、ヴァーツラフ・ノイマンの書いてあるだけで、指揮者であったこともチェコフィルの名前もない。この近くに別荘がありその近くで眠りたいという意思だそうで。ケイマルも初めてここに来た時は、あまりの小さい墓に驚いたそうだ。ケイマルが「昨日の演奏会があなただったら、どれだけ幸せだったろう」と話しかけていた。俺は何もいえなかった。
 そしてお昼ご飯を食べに、ケイマルの別荘近くにのレストランに向かう。南ボヘミアの農村地帯というか、のどかな田園風景。プラハなど都会に住む人の多くは、週末をこうした郊外で過ごすのだという。そのレストランは、土曜の昼ということで、店内は満席である。ここでもケイマルは顔馴染みらしい。農家の友達を見つけるや、おしゃべりに夢中。そんな中、グヤーシュとビールをご馳走になる。俺が「ドブジェ」というと、ケイマルの友達が「おお、チェコ語解るのかぁ!」と言っていたが、んなことはない。知っているのは単語だけだ。でも少しは解るけどね。
 そして今度は、車でブラニーク(右写真)と呼ばれる場所に行く。どこがどうって言うわけでもないが、その一体をそう呼ぶらしい。なんだか解らない気分になってきた。
 続いて、マーラーが少年時代の夏休みを過ごしたという家に向かう。マーラーはここの城(左下写真)から聞こえてくるポストホルンを聞いて、交響曲第3番の3楽章でその頃の記憶を回想したと言う。
で、その近所に別荘を持つケイマルは、マーラー交響曲第3番の伝統的な風景の中で生きているということだ。それも世界で最も数多くこの交響曲の3楽章を得意とし演奏し録音した人物だ。そんな人に案内されると言うのはこの上ない喜びである。
 ケイマルは疲れると(疲れることがあるのだと初めて知った)、ここに来て音楽的なインスピレーションを取り戻すと言う。
 つい数時間前に、この交響曲をもっとも得意としてノイマンをお参りして、ノイマンの下で何度も演奏してきたケイマルにこの地を踏む。そしてケイマルはあの3楽章を歌いながら散歩する。
俺はなんという音楽的贅沢をしているのだろうか。俺は身震いし、涙がでるくらい感動した。
 そしてここがマーラーが過ごした家(左写真)である。今は誰かが住んでいるらしいけど、当時のままの雰囲気で保存され、マーラーが過ごしたというプレートが付いている。
 そんなこんなしていると、3時過ぎになる。一度、ケイマルの別荘による。どこかと思ったら、本当に近くでびっくりした。そしたらラッパ吹きの息子が寝てた(見てないけど)。記念にトイレを借りてみた(なんのこっちゃ?)。で5時からプラハの教会でコンサートがあるケイマルは、ぼちぼちプラハに帰るかと車に乗り込んだら、ちょうどケイマル夫人の登場。夫婦の会話をしていたのか、どうなんかは定かではない。
 しかし時間のないケイマルは、高速道路を150キロで飛ばし一気にプラハに戻る。よく考えたらこのおじさん、さっき昼飯の時ビール飲んでいたなぁ・・・まぁ酔っ払い運転ではないけど、飲酒運転ではある。日本だったら捕まったらやばいだろうけd、この国だと飲酒運転は良いのだろうか。あっという間にプラハに到着し、しばし練習するということで、ケイマルはルドルフィヌムへ。「開演直前に教会の前に来れば、チケット無しで入れるから来いよ」ということだ。今日のコンサートは、観光客向けに教会(左写真がコンサートの案内板)で、オルガンのイジーナ・ポコルナさんとだ。入場料は400コルナということで、チェコフィル並みに高価であるが、観光客には大した事ないだろう。こうしてケイマルも観光客相手にお小遣いを稼いでいるのだろう。
 お金払う必要ないから、聞きに来いと言う訳で、この旅2度目のお金を払わずに聞くコンサート。曲目は、ケイマルお得意のアルビノーニ「アダージョ」、ヘンデル「グローリア」、アヴァ・マリアなどなど。ポコルナさんのソロも数曲あって、時間にして約1時間ほど。あちこち連れて言ってもらってちょっとお疲れ気味だったので、静かに聞くバロックは嬉しい。
 ケイマルの演奏はと言えば、もうケイマル節炸裂で豪快に歌いまくり。65歳目前とは思えない圧倒的なパワーである。この人のパワーは本当にどこにあるのか判らないけど、至って元気で年齢を全く感じさせるところがない。本当に凄い人だ。
 終わってから、ポコルナさんにもご挨拶。「ケイマルさんとは長く古い!友達なのよ」と。この2人でバロックの録音もしているし、仲良しなのだろう。明日は、また2人でどこだかでコンサートをすると言っていた。ポコルナさんに「ナスフレダロウ(さようなら)」と言ったら、「あらチェコ語判るのぉぉぉ!」と大喜び。ポコルナさんは、ケイマル以上に英語が苦手な模様。「いや挨拶だけです」と言ったら、でもニコニコして「ナスフレダノウ」とポコルナさんは教会を後にした。ケイマルと言えば、その間ずっとここのエージェントと話をしていた。ギャラの話か、今後のスケジュールのことか?良く判らないけどね。
 そしてケイマルとともに教会をあとに、10分待ってて!という事で、とある店の前で待っていた。そしたら10分後、大きな紙袋を抱えて出てきて「プレゼントのボヘミアングラスだ」と渡された。ちょっと驚いた。ここまで至れり尽くせり案内してもらって、ご馳走してくれてさらにお土産までももらって。
 そしてこの旅最後の晩餐に近くのイタリアンレストランに向かう。そして俺はラザニアを食べて、ケイマルはピザを食べながらビールを飲み、いろいろと話す。ビールが入り若干顔が赤くなったところでこんな感じ(右写真)。
 7時半くらいになったところで、楽しい時はお開きに。今度10月に大阪に行く予定があるから、またその時に会おう!と抱擁し硬い握手をしてケイマルと別れた。それにしてもケイマルに本当に至れり尽くせりで、ここ3日間過ごしたなぁ。いやはや本当に楽しかった。ケイマルには本当に感謝。
 そして同行の友達と一緒に、ホテルに戻り少々休憩。というかさすがに疲れたのだった。でも今宵も飲まない訳にはいかず、おもむろにホテルのバーで飲みまくり。ビールに始まり、モラビアワイン、チェコ特産のスパークリングワインなどなど。散々飲んでも2人で¥3000くらいだった。帰り際、バーテンに「ドブロウノツ(お休みなさい)」と言ったら、これまた「チェコ語話すの?」と聞かれ、また「挨拶だけね」と。この国の人は、仕事のために英語を上手に話す人は多いけど、観光客がチェコ語で挨拶してくれるなんて考えてもいないようだ。少しチェコ語を口にするだけで、若い人もびっくりして大喜びなのだ。考えてみれば、アメリカ人なんて英語以外話せないだろうし・・・チェコで多い観光客は、ロシアやウクライナの富裕層、中国、韓国からも最近は非常に多い。彼らは英語が話せる人は多いが、その他の言語に通じている人は少ない。俺みたいに、いんちきだけどいろいろな原語をかじって挨拶とビールを注文くらいその国の言葉で話したいという人は少ないだろうなぁ。でも言葉は、その国の文化そのものだから、やはり言葉を話せるようになりたいというのは、当然のことだと思うのだけどね。なんて言う俺は、変な奴かも知れないが・・・

=プラハ音楽紀行(2006年5月7日編)=

 さてこの旅行最終日。今までの海外旅行だと最後の日は、早朝に起きて早々に空港に向かい、乗換えで3時間くらい待って翌日午前中に成田に着くというパターンであったが、今回は違う。午後遅い飛行機でパリ経由で成田には夜着く。これだと最終日が有効に使えるのだ。
 今日は、10時前にホテルをチェックアウトして取り合えず荷物を預けにプラハ中央駅に向かう。荷物を預け、そのまま地下鉄でヴィシェフラートへ。ヴィシェフラートと言っても、地下鉄ですぐ。
 ヴィシェフラートはまさに高い城である。ここからヴァルタヴァを見るとこんな感じ(左写真)。あまり良く判らないかもしれないけど・・・・ここには国の偉大な人物が眠る国営墓地がある。ドヴォルジャーク、スメタナ、フィビヒ、オスカー・ネドヴァル、クーベリック親子、アンチェルなどなど。この墓地はプラハに来た時は必ず来なくてはならない場所だ。
 そして友達をドヴォルジャーク博物館、スメタナ博物館へと案内する。今日は日曜日なので、世界的な観光地であるプラハは、観光客でいっぱいだ。なんて観光客の1人である俺がどうこう言うのもなんだけどね。みんなだらだとビール飲んでのんびり過ごしている。暖かくて季節が良いときだと、この国ならではのんびりとした時間の流れが若干違うようにも感じられた。
 そしてお土産をスーパーで買い、ヴァーツラフ広場にある以前から気に入っているビュッフェで巨大なフライドチキンとビールで最後のプラハでの食事をし、のんびりと時間を過ごす。ヴァーツラフ広場は、観光地のど真ん中なのでやや物価が高いのだが、この店は周りと比べてかなり安くて美味しい。観光客よりも地元の人がビールを飲んでいると言う点でも素晴らしい。
 そして良い時間になったので、駅で荷物を引き上げで、一路空港へ向かう。旅の最後はなんだか物悲しい気分になるのはいつものことだ。空港でチェックインしたが、空いていたのであっという間だった。時間を持て余してしまい。結局、買い物してビールを飲んで過ごす。そして21時前の飛行機でパリ経由で一路日本へ。パリで12時前の深夜の飛行機なので、空港は静かである。こんな飛行機に乗るのは初めてである。飛行機に乗り込み、食事が出てきて酒を飲んだら一気に眠くなり爆睡。2度ほど起きて軽く酒を飲んだけど、あっという間に成田に着いてしまった。飲んで寝て、飲んで寝てというこれまた良いパターンだ。
 そして成田からは、丁度良いタイミングで立川行きのバスがあり、乗り込む。月曜の夕方に大荷物を持って、都心を抜けて帰宅する事ほど最悪な事はない。立川からタクシーで帰っても良かったが、まぁモノレールに乗り、普通に帰宅。あっという間であったが、実に充実した旅行であった。次は何時行く事ができるのかは、まったくわからないなぁ

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