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デッキゴルフの歴史

◆お詫び◆
デッキゴルフの起源について、当サイトではこれまで「シャッフルボードのルールを元に大阪商船の船員が考案した」と記述しておりました。この記述は、執筆当時の知見に基づく推測により書かれたものですが、その後の調査により誤りであることが判明したため、本ページの記述を全面的に変更しました。
ポイントは、デッキゴルフの起源が昭和初期頃にさかのぼることです。また昭和天皇が楽しんだゲームも、シャッフルボードよりは現在のデッキゴルフに近いものであろうと推測されますので、そのように記述を変更しております。2009年2月までに本ページをご覧になった方には大変ご迷惑をおかけしました。

1.船上のゲーム『シャッフルボード』

クルーズ船にっぽん丸でのシャッフルボード
この写真ではカーペットシートのコートが用いられている

デッキゴルフの祖先は『シャッフルボード』という名前の船上のゲームです。
シャッフルボードは、遊び方もルールもカーリングに似たゲームで、13世紀の英国が起源と言われていますが、多分カーリングとは共通の祖先があると考えられます。

シャッフルボードとカーリングとの大きな違いは、得点エリア内に数字の書かれた区画があり、ディスクのとまった位置によって その数字が得点になるという点です。カーリングの方は、ペタンク競技などと同様に目標に近いストーンがいくつあるかということで得点が決まります。

シャッフルボードは、その後 19世紀後半頃に英国の定期航路客船の甲板(デッキ)でのスポーツになり、世界の客船に広まりました。そして、大陸間移動の手段が客船しかなかった第2次世界大戦後しばらくまでの時代は、シャッフルボードは船上での娯楽として非常にポピュラーなものでした。今日でも 世界中のクルーズ客船で、レクリエーション・スポーツとして行われています。

2.しかしルールは統一されていなかった?

しかし、それほど楽しまれたシャッフルボードですが、コートのサイズや用具についての詳細のルールは、必ずしも統一されていなかったようです。ゲームの基本的な内容は同じなのですが、コートの寸法もいろいろでしたし、得点エリアの形状が三角形のものや角丸四角形のものなどがあったり、各区画の得点数値なども船によってバラバラだったりしたのです。
それは、用具にせよ、コートにせよ、当時は船員が手作りで作っていたからです。この「船員の手作りである」ということが、後の『デッキゴルフ』の誕生に繋がっていったものと、私たちは考えています。

得点エリアの例(1)
現在の統一ルールによるもの

得点エリアの例(2)

それはさておきシャッフルボード競技は、米国フロリダのホテルオーナーが船で覚えたこのゲームを陸上でも楽しもうと、自分のホテルにコートを設置したことから米国で陸上の競技として普及が始まり、1931年には全米シャッフルボード協会が設立されるなど、現在では陸上のスポーツとしても親しまれています。シャッフルボード競技は、この間にルールが統一・確立されて現在に至っています。
今、世界のクルーズ客船上で楽しまれているシャッフルボードは、ほぼ この統一ルールに沿うものです。また、陸上の競技としては日本でも楽しまれています(cf:横浜シャフルボード協会のホームページ)。

実は、現在 世界のクルーズ客船上で楽しまれているシャッフルボードは、ほぼ この統一ルールに沿うもので、いったん陸上の競技となったものがいわば再輸入されたものです。

こうなったことには理由があります。現在世界で有力なクルーズ会社は、ほぼ全てが1960年代以降にクルーズ専業として起業したものでかつての定期航路客船やその伝統とは無関係であること、また当初から集客の主たるマーケットをアメリカに置いていたことからアメリカ人にポピュラーな娯楽が船上に導入されたことです。

3.『デッキゴルフ』の起源は明確でない

デッキゴルフはシャッフルボードと同じ船上のゲームであり 類似の用具を使うにもかかわらず、ルールはまったく異なります。シャッフルボードは要するに一つのターゲットを使った一連のプレイの結果による得点を争うのが目的ですが、デッキゴルフは陸上のゴルフと同様に 複数の『ホール』を順にクリアしてゆくことがゲームの目的だからです。
シャッフルボードと類似の用具を使う点から、最初はシャッフルボードを遊んでいた人たちがそのルールに飽き足らずに新しいルールとしてデッキゴルフを発案したと考えられますが、その時期や発案者などについては残念ながら不明です。

以下に、現在までに判明している事実について述べます。

(1)第二次世界大戦前、既にデッキゴルフは船上で楽しまれていた。

これは写真によって明らかです。撮影時期と場所は明らかではありませんが、人物の服装などから見て昭和初期であろうと考えて間違いないでしょう。

この写真からだけではゲームの名称やルールがどのようなものであったのかは不明ですが、少なくともホール(甲板上に円形のラインを書いたもの)にパックを入れる(円の中に入るようにパックを押す)動作が写っており、シャッフルボードとは異なった性格のゲームであることが明らかです。そして現在のデッキゴルフではまったく同様の動作をしますので、この写真がデッキゴルフに類似したゲームであると推定されるのです。ただし、細かなルールは現在と異なっていた可能性があります。

昭和初期のデッキゴルフ
「開港5都市 モボ・モガを探せ!横浜展」でのスナップ
(原写真の提供は和泉 勇氏とのこと)

(2)『デッキゴルフ』という言葉自体は第二次世界大戦前から存在した。

これについては、当時商船の船員であった方やその家族の方の証言があります。(例:協会名誉会員T氏など))ただし、どのような内容のゲームであったのかは、残念ながらそれらの証言では明確ではありません。また『デッキビリヤード』という呼称も存在し、起源を明確にする上で混乱を招いています。

(3)戦前の旧海軍でも『デッキゴルフ』が行われていた

1921年に当時摂政宮皇太子だった昭和天皇が訪英されました。その際乗船されたお召艦『香取』の艦上で「デッキゴルフに熱中された」という記述が同行者の日記に見受けられるそうです。「ボールを打ち、ビリヤードのようにして他のプレイヤーのボールにあてる遊びである」(福田和也著『昭和天皇』より)
また阿川弘之著『軍艦長門の生涯』13章には、昭和天皇が軍艦長門の艦上で「ボールに相当するものは、木製の平べったい円板である。耳かきのお化けのような棒で、これを突き辷らせてマークの中へ入れたり、相手の円板をはじき出したりしてポイントを争うゲームで、デッキビリヤードともいい、ルールはゴルフと玉突きの折衷のようなものであった」というゲームを楽しんだという記述もあります。
これらから、当時の旧海軍では『デッキゴルフ』というゲームが楽しまれていたことがわかります。ただし、実際のルールについては不明です。

(4)戦後の日本船では、ほぼ現在と同じルールのデッキゴルフが存在した。

日本郵船(NYK)の乗組員の間には、『デッキビリヤード』という名称で現在のデッキゴルフとほぼ同じルールのゲームが伝えられており、現在も同社の貨物船上では乗組員の親睦のためのゲームとして楽しまれています。
大阪商船(OSK、後に合併により商船三井(MOL))は、戦前から引き続き南米航路を経営していましたが、この南米航路客船の船上では乗客と乗組員が一緒に楽しむゲームとして『デッキゴルフ』が行われていました。(協会名誉会員T、I、Nの各氏やMOPASのOBであるTm氏などの証言による))OSKの客船運航の伝統はこの後商船三井客船(MOPAS)に引き継がれ今日に至っていますが、このゲームが現在のデッキゴルフの基礎です。
NYK、OSKとも、これら戦後のデッキゴルフ(あるいはデッキビリヤード)については起源がはっきりせず、戦前に存在していたデッキゴルフ(デッキビリヤード)と同じものなのかどうなのかも不明確ですが、多分同じものであろうと推定するのが自然でしょう。

(5)日本の船以外でデッキゴルフは見かけられない。

日本の船(厳密にはNYKとMOL、および両社に関係する船社)以外では、『デッキゴルフ』に類似するルールのゲームは見当たりません。これは、このゲームが日本で発明されたことの証拠でしょう。

これらの状況証拠から、当協会はデッキゴルフの起源を次のように推定しています。

まず船上ゲームとしてシャッフルボードが外国の客船から輸入された。

このゲームの欧州での普及時期から考えて、時期的には明治末期から大正初期と推定されます。渡欧した日本人が欧州客船の船上で覚えて、帰国後に日本の船で始めたものでしょう。

次に、シャッフルボードのルールに飽き足らない日本の船員または乗客が、その用具を活用し陸上のゴルフのルールを取り入れた新しいゲームを始めた。このゲームは、シャッフルボードに由来する「相手のパックをはじき出す」動作から『デッキビリヤード』、または 陸上のゴルフに由来する「複数ホールを順にクリアする」動作から『デッキゴルフ』と呼ばれたが基本的には同じもので、詳細なルールは 実際に遊んでいく中で徐々に形成されて行った。

時期としては大正末期から昭和初期頃であろうと考えられます。そもそもシャッフルボードも船員手作りのゲームなのですから、「文字通りのゴルフを船上で楽しもう」というアイデアさえ生まれれば、コースやルールを作るのは簡単な事だったでしょう。発案者は民間人とは限らず軍人かも知れません。また組織的にルールが確定されたものではないので、細部の異なるルールが複数存在していた可能性は大いにあります。

4.日本の客船でのシャッフルボード(戦前〜クルーズ元年まで)

第2次世界大戦まで、日本の外国航路定期客船は 大阪商船(OSK)と日本郵船(NYK)の2社によって、ほぼ独占されていました。そしてシャッフルボードは、当然これらの客船においてもデッキスポーツとして楽しまれていましたが、前述のとおり『デッキゴルフ』も同様に楽しまれていたようです 。

パナマ運河通航中の初代「ぶら志゛る丸」(昭和14年竣工)
当時、西航南米航路で世界一周していた。

第2次世界大戦が終わった時点で日本の大型外国航路客船は、病院船となっていたOSKの『高砂丸』とNYKの『氷川丸』の2隻しか残っていませんでした。『高砂丸』はそのまま引揚船として生涯を終えます。『氷川丸』はシアトル航路に復帰しますが1960年に引退し、NYKの客船運航の歴史はその時点で一旦途絶えました。NYKにおけるデッキビリヤードすなわちデッキゴルフは、その後 同社の乗組員によって貨物船に引き継がれます。

一方 戦前から引き続き南米航路を経営していたOSKは、南米への移住者輸送のための補助金が交付されていたこともあり、1973年まで客船運航を続けます。この目的のために、戦後『ぶらじる丸(2代目)』『あるぜんちな丸(2代目)』が建造されました。OSKは1964年に合併して、大阪商船三井船舶(MOL 現在の『商船三井』)となり、客船運航は子会社の商船三井客船(MOPAS)に移管されますが、このように南米航路を継続していた結果、現在に至るまで客船運航の伝統とノウハウが戦前から引き継がれています。

戦後の南米航路とその後の商船三井客船の船たち

ぶらじる丸(左上)
初代にっぽん丸(右上。建造時は あるぜんちな丸)
さくら丸(左下)
2代目にっぽん丸(右下)

OSKの戦前のデッキゴルフの伝統は、これら南米航路の客船から、その他の航路の貨物船へと広がります。1960年代初め頃までは、たいていの貨物船にも客室が設けられており、少数でしたが旅客サービスが行われていたことも関係したと考えられます。その頃は旅客だけでなく、非番の乗組員が数少ない船内娯楽の一つとして楽しんでもいました。タンカーなどの広い甲板にもデッキゴルフのコースが描かれた例があり、南米航路客船の経験のある乗組員が特に上手だったという話も伝わっています。
1964年の合併により、デッキゴルフはMOLの船隊に広がりますが、一方では合理化の進展で乗組員も少なくなり、貨物船では自然にデッキゴルフは行われなくなりました。また旅客が航空機に移るにつれ、南米航路も客船サービスが終了してしまいます。
このようにしてデッキゴルフは、南米航路の客船サービスを引き継ぐMOPASのクルーズ船上だけで見られるようになっていきます。しかし、当時の客船には適当な広さのスペースがなく、デッキゴルフはMOPASにおいても一旦下火となります。

5.新さくら丸でのデッキゴルフ

新さくら丸は、1974年に日本産業巡航見本市船協会が建造した見本市船で、見本市開催時期以外は貨物船としてMOLが運航していました。1980年、国策としての輸出振興の時代が終わり同協会は解散、新さくら丸はMOLが買船して純客船に改装し、1981年からMOPASがクルーズ船として運航することになります。

クルーズ船時代の「新さくら丸」

この船の純客船への改装の際、最上階に広大なスポーツデッキが設けられ、これが格好のデッキゴルフコースになりました。さらに少し後には、小改造により「さくらプラザ」というイベントホールが新設されましたが、その屋上甲板は ほとんどデッキゴルフの専用スペースとなりました。これにより、新さくら丸は日本で唯一最大のデッキゴルフ場となります。
新さくら丸のデッキゴルフ場は本格的なものでしたが、プレイはそれほど盛んではありませんでした。それは、クルーズでは催事スケジュールが盛り沢山なため、当時行われていた比較的短期のクルーズではデッキゴルフを楽しむ時間が無いためです。

MOPASは、後に「クルーズ元年」と呼ばれるようになった1989年、日本初の本格的クルーズ客船『ふじ丸』を建造しました。この時、『ふじ丸』のデッキにもシャッフルボードのコートが船員の手で描かれました(このコートは『ふじ丸』の8階プールサイドに見ることができます)が、このような事情もあってかデッキゴルフのコースは作られませんでした。

なお「ふじ丸」のシャッフルボードコートは、統一ルールに準拠していません。このことはMOPASには戦前からの「手作り」シャッフルボードコートの伝統が受け継がれていたことを証明するものです。

『ふじ丸』の竣工に引き続く『にっぽん丸』(3代目)の竣工(1990年)後もその事情は同様で、デッキゴルフコースは設けられませんでした。
1989年以降、日本では『飛鳥』などのクルーズ客船がMOL系以外の会社で建造されますが、それらの船ではデッキゴルフは全く顧りみられませんでした。また、新さくら丸は2000年に引退します。

3代目『にっぽん丸』の進水

6.デッキゴルフの再発見と発展(〜現在)

1994年、『新さくら丸』はNGO団体「ピースボート」のチャーターで世界一周クルーズを行いました。世界一周のような長期間のクルーズでは、コンサートなどの催事だけでは時間をもてあますため、乗組員が乗客にデッキゴルフを教え、ゲームが楽しまれました。
また、1995年には『にっぽん丸』もカリブ海とアラスカの氷河を巡る長期クルーズを実施しましたが、この際 『新さくら丸』での経験を元に『にっぽん丸』にデッキゴルフコースが新設され、初の本格的デッキゴルフ大会が開かれました。最初は練習用コースも設けられ、競技方法の教室も開催されました。

これがデッキゴルフ再発展のきっかけとなります。このクルーズでのデッキゴルフ経験者が、その後のクルーズでデッキゴルフを楽しみ、またその輪を広めてゆきます。次の年から『にっぽん丸』は、毎年 世界一周クルーズを実施しますが、これがデッキゴルフの興隆と日本デッキゴルフ協会の設立に繋がってゆきます。またルールも明文化され、誰もが楽しめるようになりました。

にっぽん丸コース

『にっぽん丸』のデッキゴルフコース

カリブ・アラスカ・クルーズで『にっぽん丸』に設けられたゴルフコースは、最初は甲板にチョークで書かれたものだったと言います。クルーズ途中で乗組員の手でペイントされた本格的なものになりました。
また今日では『ふじ丸』にもデッキゴルフコースが設けられています。
日本のクルーズ客船でシャッフルボードでない本当の「デッキゴルフ」が楽しめるのは、現在『にっぽん丸』と『ふじ丸』の2隻だけです。

2006年、本協会の会員でもあるデッキゴルフ愛好者の手によって、姫路に日本で初めての陸上のデッキゴルフコースが開設されました。
このコースは、協会会員が幾度も集まってデッキゴルフを楽しんだコースですが、残念ながら2009年におしまれつつ閉鎖されました。
日本デッキゴルフ協会では、さらに多くのデッキゴルフコースが設けられることを願っています。

ただいま工事中

姫路の陸上「デッキゴルフ」コース

文責:日本デッキゴルフ協会事務局
参考文献:(文中に明記したもの以外)

  • 「大阪商船三井船舶株式会社100年史」
  • 「日本郵船株式会社社史」
  • 商船三井客船(株) 社内資料
  • 「デッキビリヤードの遊び方」日本郵船
  • (株)商船三井、商船三井客船(株)のOBの方々の証言

copyright: Japan Deck Golf Association 2007