── 移転します
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 まあ,ここの場所に格段の不満があるわけではないのだが,自分のネット上の基本的な生活の場をNiftyに移すこととした関係上,このblogについても@Niftyのココログへと移すこととした次第。
 これまでの記事をどうするかはもう少し考えてみることとし,したがって,ここも性急には閉じないつもり。

 なお,新アドレスは以下のとおり。

           http://crime.air-nifty.com/criminolog/
# by kriminalisto | 2005-01-30 17:08 | Trackback | Comments(0)
白子屋事件
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 昨日は京都南座で前進座の「髪結新三」。授業やら何やらに忙しい中,年に一度だけの贅沢と自分に言い訳しながらの舞台見物だったが,案に相違して,いろいろと面白かった。
 この演目,黙阿弥の生世話(きぜわ)物の名作ということになっているが,江戸時代に実際にあった「白子屋事件」を題材に,幕末から明治にかけ寄席で真を打っていた春錦亭柳櫻という噺家の創作した人情噺「白子屋政談」を基に黙阿弥が脚色したものらしい(岡本綺堂による)。今回は中村梅雀が髪結新三と大岡越前守の二役を演じ,老獪な家主を演じた梅之助との親子の競演だった。
 予備知識なしに舞台の進行を追っていて,途中気になったのは,「白子屋」の娘の巧妙な誘拐がなされたにしては,一向にこれを犯罪として見る目が現れてこないで,新三も周囲の者も当然のように親元からの使いが身の代金=示談金を持参して馳せ参じるものと予定してかかっていることだ。当時の「かどわかし」というのはそのような性格の「犯罪」だったのだろうか。そもそも,この場合新三は身代金目的があったのか,その要求もしていない。手代の忠七が嘆くように,娘のお熊は「てごめ」にあったらしく,それなら「わいせつ」目的か──であればこれは営利誘拐か,など。「白子屋奥の間」の場では,すでに婿を取っているはずのお熊がまだ振袖姿だったが,刺された婿の恨み言からも推測されるように,婚礼以来一度も添い寝もせず,家付き娘のわがままを通していたと言うことなのだろうか。いずれにしても,最後の「町奉行所」の場に至って,それぞれの真犯人は良心の呵責に耐えず自白に及び,「殊勝なり」として,あるいは罪一等を減じられ,あるいは妻子の面倒を見ることの約束がなされるという,きわめて日本的な決着がつけられて安心した。
 もう一つ印象深く聞いたのは,公演が跳ねた後のホテルでの会食の際,同じテーブルに座った梅之助氏の話した「梅鉢」その他の京都の飲み屋との因縁のいくつかだ。とりわけ,朝鮮戦争時の北海道公演での官憲の妨害とのかかわりででっち上げられた刑事事件のあおりで中国に「亡命」していた翫右衛門(梅之助氏の父親)が帰国後に,その裁判費用の捻出のために「名士書画展示販売会」を企画し,その出展作品を集めるために来た京都で,今は故人となった某画伯が若い彼を要所に紹介してくれ,また夜は多くの店に彼を連れてその「顔を売る」ために回ってくれた,という回顧談だ。
 来年は前進座(村山知義の発案による命名とのこと)の創立75周年ということだ。血のにじむような多くのエピソードに溢れて,このような劇団が今日になお長らえていることを喜びたい。
# by kriminalisto | 2005-01-16 20:08 | Trackback | Comments(0)
ペドフィリア
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 3ヶ日が過ぎると,テレビも新聞も定常のサイクルに復帰,予期したとおりに奈良の少女誘拐殺人事件に関する周辺情報・コメント類の氾濫となっている。次いで,おそらく,週刊誌がさまざまな「情報」を提供してくれることだろう。
 朝方,××新聞社の記者から電話。疲れた声で,事件に関する特集を組みたいので,「わいせつ事犯の再犯率の高さに照らしての対策について」話してくれないか,という。一瞬考えたが,やはり,これは自分には難しいと判断し,その旨伝えた。少し話したのは,結局はメーガン法の是非ということになるのではないかということで,早くからこの問題を研究してきた人として平山真理さんの名を教えた。
 しかし,あらためて思うのは,わが国の犯罪学の層の薄さということだ。たとえば,性犯罪について,その予防と性犯罪者の矯正について,専門的に検討している者など,(小田晋博士を除けば)居ないのではないか。実務との共働作業を志向する研究者となるとなおさらだろう。そしてそれ以前に,どのような対策が可能なのだろうか,と考え込んでしまう。
 メーガン法にしたところで,その過去の性犯罪(とりわけペドフィリア傾向の)経歴を地域住民に公表されて,なおかつ人は生きていけるのだろうか。効果的な方法だということは,それだけ被適用者の自由一般を制限しているということなのだ:たとえば97年に制度をスタートさせた英国では最近,幼児ポルノサイトを見たことが発覚した場合も指紋,DNAなどを採取され,性犯罪者リストに登録されるようになった,という。一般公開はされないが,地域の学校などに関連情報を提供。対象者は,子供にかかわる仕事やチャリティーに参加できなくなる。〔毎日新聞〕 そこまでいくのであれば,あるいは,ホルモン療法や性腺除去といった直接的な治療の方がかえって人道的なのではないか。
 矯正教育で,と多くの論者が口をそろえる。しかし,確信もないままに,「はずだ」という原則だけを唱えるのは──
# by kriminalisto | 2005-01-04 12:50 | Trackback(1) | Comments(1)
一年の終わりに
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 暮れも押し詰まった30日になって,奈良の少女誘拐殺人事件が真犯人と思しき人物の逮捕により一転解決した。が,この事件にはいろいろと考えさせる要素が存在する。
 一つは,ペドフィリアpedophiliaという厄介な性倒錯の問題だ。性はきわめて個人的な嗜好に基づく肉体的精神的欲求充足の行為であり,その多様性はかなりの限度まで社会的に容認されている。が,その限度を超えるとき,とりわけ対象者の権利や自由の侵害をともなうときはおぞましい犯罪となる── おぞましいのは,それが被害者に人格的な屈辱感,精神的な傷痕を残すからだ。ペドフィリアは一面において典型的な老人の犯罪であり,女性に対する通常の性行為を行えない老人の代償的な性的行為だが,他面では,マルキ・ド・サドの多くの作品に描き出されるところから知られるような,権勢ある大人の子供に対する一方的な玩弄的性行為でもある。わが国でも武家や寺社の「お稚児さん」の存在が知られており,その意味では洋の東西を問わずにこの種の倒錯行為は歴史的な伝統を持っている。しかし,かといって全ての大人がそのような嗜好を持つわけでもないし,興味のない者からすればそのような性衝動は不可解という他ない。ある個人がこの種の倒錯的な性衝動に走るについて,何が決定的なものであるかは明らかでない。おそらくは,それは,人間の深層において個性と人格を規定している諸要素のもたらした結果なのだろう。であれば,そのような嗜好を除去することは決して容易ではない。現に今回の被疑者も,過去に2回にわたって少女に強制猥褻や殺人未遂の罪に問われた前歴があったと伝えられている。人格は変わらない,のだ。
 では,どうするか。かつては治療法として,去勢(生殖腺の切除)ないし断種(輸精管・輸卵管の結索),ホルモン療法,定位脳手術などが用いられたことがあるが,それらの多くは被術者の基本的人権を侵害する可能性があるとして今日では一般的に用いられない。わが国でも旧優生保護法が断種手術につき規定していたが,1996年の母体保護法への全面改正の際に削除されている。その判断は,おそらくは,やむをえなかったものだろうが,悔やまれるのはそれにともなう社会的な論議がまったくなかった点だ。
 犯罪傾向を持つ性倒錯者(その判定がいかにして可能かの論点は別にして)の上のような方法での隔離が不可能であれば,結局は,メーガン法Megan's Law のような社会的隔離の手段が必要なのかもしれない。おそらく,今後急速にこの種の議論が活発化するに違いない。だが,本当に効果があるのか,その否定的な副作用を超えるメリットがあるのか.... 慎重な検討が必要だろう。
 もう一つ,考えさせられたのは,携帯電話という"利器"をめぐるさまざまな現象のことだ。最近読んだ典型的な評価は斎藤貴男のものだが,そこでは「携帯を持ったサル」を超えて,全ての情報あるいは自身の存在そのものすら他人(国家)に掌握されて安心しきっている心理に潜む自由の危機という視点からこれを検討していた(『安心のファシズム』岩波新書)。だが,そのような指摘に深く共感はしても,鉄道の自動開札システム同様,そこから引き返すことはもはや無理だろうと思う。今回の被疑者の逮捕に至った最大の功績者は携帯電話に関係するGPSシステムだが,これが市民の自由に対する究極の統制手段とならないことを祈るばかりだ。それにしても,多機能になった携帯電話が脅迫手段にも,わいせつな画像や動画の提示装置にもなり,それを手にした者は他人にそれを見せて自慢せずにはいられないという現象。これはいったい何なのだろうか。
# by kriminalisto | 2004-12-31 17:56 | Trackback | Comments(0)
「われわれは不安でたまらないのです」
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 仕事中,職場に妻が電話してきて,マンションの隣人の留守宅に2人の男が押し入ろうとしてドアを壊している,どうしよう,と言う。もちろん警察に電話するように言って,自分も急いで帰宅したが,1時間後に自分が帰ってみると,確かに隣家は無残に荒らされていた。が,警察官の姿は無い。電話で催促して,それで,実際に警察官数名が到着したのはそれから5時間後だった。あるいは,職場の秘書の女性が夕方,帰宅しようと地下鉄の駅を出たところでニ三名の男に殴り倒され,やがて気がついてみるとバッグも買い物をしてきたビニール袋も奪われていた。多くの通行人もいたはずなのに,誰も助けてくれなかったし,警察へは自分が通報した。回答はただ,被害届けのために警察署に来るようにとの指示だけだった── 
 「われわれはどうすればいいと思いますか。われわれは怯え,常に不安におののいています。できるのはただ,電話をかけてお互いの安全を確認し,情報を交換しあうだけなのです。」

 国際シンポジウムのために来訪した北の国の研究者の言葉である。
 シンポジウムの最中にも,思いがけない場面で彼の携帯電話が鳴り,うつむき込んで低く応答する彼の姿を見た後だけに,何とも印象的な会話だった。
# by kriminalisto | 2004-12-15 16:39 | Trackback | Comments(0)
電気窃盗
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 本日の共同通信配信で珍しい犯罪のニュースが報じられている。
 「茨城県警つくば中央署は5日までに、不法に電気を使ったとして、窃盗容疑で、同県つくば市上岩崎、無職大野光夫容疑者(55)を逮捕、送検した。調べでは、大野容疑者は今年11月29日午後6時20分ごろから約4時間、部屋の照明を点灯させ、不法に約0・1キロワット時(14円相当)の電気を盗んだ疑い。大野容疑者は電柱から電気を自宅に引き込む線に、ビニール製のコードをつなぎ、電気メーターを通さずに自宅の配電盤につなげていた。パトロール中の同署員が犯行に気付いた。」というもの。
 0.1キロワット時・14円相当の被害額だが,検察庁はこれを起訴するのだろうか。
 昨年11月に枚方市であった事件(街頭でダンスのパフォ-マンスを披露しようと、自販機用のコンセントから伴奏用ラジカセの電気を拝借した男子大学生(22)が府警枚方署に電気窃盗容疑で検挙されたもの)や門真市の事件(ドーナツショップで電光看板の電源コンセントに充電器をつなぎ携帯電話を充電していた男性会社員(38)が門真署に検挙されたもの)では,いずれも微罪処分で終わったはずだが,今回は送検したわけだ。
# by kriminalisto | 2004-12-05 16:17 | Trackback | Comments(0)
練炭自殺からの連想
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 奇妙なものが流行り始めたと思っていたのだが,まだまだ続きそうな気配だ。最近の集団自殺のキーワードはインターネットと練炭。この二つの取り合わせのちぐはぐさも印象的だが,何らかの対応が必要だと叫ばれるに及んでは,感心しているだけではすまないだろう。かといって,インターネットの掲示板やメール交換を規制するなどは非現実的なことだ。であれば,この際,練炭の販売もシンナーの場合と類似の規制が必要だということになっていくのだろうか。

 それにつけても,昨今のニュースで「練炭自殺」の文字を目にしたり聞いた人の全てが練炭なるもののイメージをちゃんと思い浮かべているのだろうか── たとえば学生諸君が。
 炭は独特の俵に入ったものを炭屋で求め,自転車の荷台にやっとのことで乗せ,落ちないように支えながら自転車を押して持ち帰った。炭団(たどん)はもっぱらコタツ用の燃料で,大きな紙袋で売られ,練炭はそれより安いが煙と悪臭の出る燃料だった。そのうち,練炭は蜂の巣型に整形され,大量に売られるようになった。遠い昔の,四国の郷里の町での記憶である。http://www.chiba-muse.or.jp/OTONE/dougu/dougu2_129.htm 練炭はなかなか便利な燃料で,大振りな火鉢(ひばち)にセットしておくと,終日,ゆっくりと燃え,暖房にも,煮炊きにも使えた。
 かつて,大学院生の頃,何人かで先生のお宅を訪問すると,先生の居間には練炭火鉢が置かれており,座談が長引いたあとには決まってその練炭火鉢を使ってのスキ焼をふるまわれたものだった。それらの日々はすでに遠く,記憶の風景の中で,先生と奥さん,若いわれわれの姿とともに,練炭火鉢の輪郭も徐々にぼやけ始めてはいるのだが。 
 
# by kriminalisto | 2004-11-29 10:26 | Trackback | Comments(0)
秋の夜長に
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 こんな静かな夜に,人は死のうとするのだろう。自分の責任も,後で人がするであろううわさや責任追及のことは,どうぞご勝手に,と。
 たまたまに生じた忘れ物のような時間。しかし,この一日,机を離れずに何をしてきたことか──
 こんな仕事。仕事というに値しないそれらに時間の,生命の大部分を費やしている毎日に,果たして意味なぞあるものだろうか。アブソリュートの量ばかりが増えていく。
 アブソリュート,アブソリュート,究極という名のスェーデンの水。 思わずスタンドの光にかざしてみる,今何か言ったか,と。
# by kriminalisto | 2004-11-14 02:02 | Trackback | Comments(0)
気になる本
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 おそれていた通り,後期に入って極端に忙しくなった── しばらく忘れていられた細かい解釈論議に相当に手をとられているのだ。それと,お決まりの,さまざまな事務仕事。
 そんなこともあって,このblogも開店休業状態になってしまっているのだが。

 読むべく入手して机の脇に積み上げられている本の高さはもう数十センチになっているが,その一番上と通勤鞄の中とを行き来しているのが,河合幹雄・安全神話崩壊のパラドックス(岩波書店)だ。
 従来より彼の主張には注目してきた。日本の犯罪現象の実態を、公表されている各種統計資料の慎重な突合せと分析によって,正確に見たときには事実としてのわが国の安全が浮かび上がってくる,というのが彼の基本理解だ。見かけ上,犯罪が増加している最大の原因は,警察が犯罪被害の届け出を受理しない「前さばき」が減ったため,実際の犯罪件数と統計とのギャップが縮まったことで,検挙率の低下している原因も,この母集団の増加にくわえて,軽微な犯罪や余罪の追及に警察が力を割かなくなったことでほぼ説明がつくというのである。

 このあたりのことは,しかし,龍谷大学の浜井教授などもつとに指摘してきたことで,それ自体は新奇の論ではない(大「岩波」に負うところの影響力の大きさはけた違いだろうが)。
 河合説の真骨頂はそれに続く分析・考察にある。
 つまり,殺人の実質的な発生率に典型的に示されるように,日本社会は今も相対的には安全なのだが,問題は,以前には地域的・社会的・文化的に一定の特徴を持つ範囲の中で凶悪犯罪を含む多くの犯罪が行われてきたものが,近年は一般的な「境界線消失社会」化の進行もあって,犯罪問題が多くの一般市民の身近に立ち現れた,ということにある,ということのようである(まだきちんと読み終えていない)。

 この説明は,ある意味ではありふれた説明だが,うまいなと思う。案外,あたっているかもしれない。
 だが,そこに行く前に解明して欲しい問題は,わが国の犯罪現象の爆発と警察力の低下という事態を当の警察と政府がどう捉えてきたかということだ。このことにこだわるのは,このような「安全神話」の崩壊を煽ったのが一部ジャーナリズムだったとしても,多くの場合それは警察当局との共演として進められたという印象を持っているからだ。
 実際には何があったのか。

# by kriminalisto | 2004-10-29 23:08 | Trackback | Comments(0)
技能水準の高さを試したか
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 ネット上で行き当たった何とも不可解な事件──

 「埼玉県内の自動販売機から大量の偽千円札が見つかった事件で、県警捜査二課は9日、通貨偽造などの容疑で同県三郷市高州、無職二宮正容疑者(38)を逮捕した。
 調べでは、二宮容疑者は5-9月、自宅で本物の千円札の上下両端を切断し、パソコンで印刷した中央部分にテープで張り付け214枚を偽造。うち10枚を同県狭山市の自販機で使った疑い。
 偽造を認めているが、使用についてはあいまいな供述をしているという。埼玉県南部で5月以降、同様の偽千円札がほかに452枚見つかっており、同課は余罪を追及する。
 札の両端部分をセンサーで読み取る仕組みを悪用した手口だが、1枚偽造するために本物の札1枚が必要。残った中央部分を換金しなければメリットはないが、金融機関に持ち込まれたという情報はなく、同課は「目的が不明」としている。(共同通信 - 9月9日21時22分) 」

 脈絡なしに思い出すのだが、団藤先生の研究では、明治初年の犯罪激増の状況下でひときわ目立ったのは通貨偽造行為の横行だったとのこと。そこには、おそらく、紙幣という新しい形の通貨の登場があり、物珍しさとともに、印刷技術における官民の差の縮小があったのだろう。その伝で行けば、今日の通貨偽造の流行は、明らかに、パソコン、スキャナ、カラープリンターという技術手段の発達と、自販機に採用されている各種のセンサーの機能水準との競争、その格差の極限までの縮小にあることは明らかだ。
 それにしても、通貨偽造罪に関わってのいつもの感想なのだが、個人がこの犯罪を実行して莫大な利益を上げるなどということはありうるのだろうか。大概は、その準備の苦心惨憺におよそ引き合わないみみっちい利益しか上げていないように思うのだが。しかも我が刑法のこの種犯罪に対する厳罰(無期または3年以上の懲役:148条)がある。
 不思議だ。
# by kriminalisto | 2004-09-10 00:18 | Trackback | Comments(0)
不愉快な出来事
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 ある国のある町の地下鉄駅での話である。

 二つの研究所で緊張した議論をした後、夕方からはホストの先生が自宅に招待してくれることになっていたので、一行4人は一旦ホテルに帰ることにした。
 広い通りのはるか前方には目印のオベリスクが立っているのが見えるのだが、かなり距離があるので、ここはやはりと地下鉄に乗ろうとしたのが間違いだった。二つの駅が連絡している駅の窓口で4人分のジェトンを買う際に胸ポケットから財布を出したことで彼らの注意を引いたのだろう。地下鉄に乗り込もうとしたとき、あれわれの前の数名のコーカサス系の男たちが「間違えた」と叫びながら急に向き返り、われわれとぶつかる形になり降りていった。一体何の騒ぎだ、と動き出した車両の中で今の出来事を話し合いながら、ふと胸に手をやると── 財布をすられたことに気がついた。同行のもう一人も財布がないと言う。

 生涯初めての不快な事件。明らかに、組織された集団での職業的な犯行だろう。もう取り返すことなど不可能だし、警察に届けることも無意味だろう。いっぺんに気落ちし、どっと疲れが出た。ホテルから日本のカード会社の事故処理センターに連絡、カードを無効化して、あとは現金(ドルと現地通貨で数万円)の被害。
 だが、考えてみれば、暴力沙汰に巻き込まれたわけでも、これで人生が終わったわけでもない。パスポートも高額紙幣も別にして鞄の中にあり、旅行を続ける上での障害もない。気を取り直して、これもcriminologとしての実地体験ではないか、と自分を納得させたことだった。

# by kriminalisto | 2004-08-27 20:45 | Trackback | Comments(0)
夏を送る
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 今日は京都五山の送り火。京都では昔から、祇園祭の山鉾巡行からこの日までが一年のうち最も暑いといわれ、この日を境に夏はその勢いを失うのだとされる。
 だが今年はそれより先に、秋を体験することになりそうだ── あすから短期間だが北欧のニ都市へ出張。昨日の最高気温は21度、最低は8度とのこと。まったく現実感覚がないが、晩秋といったところか。
 いつものことながら、出発間際のこの気分。何でこんな出張を企画したんだろう、それにしても、こんな旅程を組んだのは誰だ、などと。
# by kriminalisto | 2004-08-16 23:36 | Trackback | Comments(0)
責任を追及するということ
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 思えばそれが僕の数多い欠点のうちでも大きい方のものだろう。僕は人の責任の追及を徹底することができない──
 いつでも、自分を相手の立場に置き換えてみて、相手の振る舞いの背後のさまざまな事情を推し量ってしまうのだ。同じような立場におかれて、同じような事情があったのであれば、自分だってそうしたかもしれない、仕方がないよ、と思ってしまう。あるいは、責めてみたところで何が変わるというのか、むしろこれ以上の事態の悪化を防ぐための方策を考えた方がよい、などと。多少の負担を僕個人かかぶることとなっても、とりあえずは対応策の方へと僕の頭は向かってしまう。
 しかし、これは単に気が弱いというようなことではなくて、やはり、無責任さの表れなのだろう。相手の引き起こした損失をきちんと評価せず、その失敗の原因を究明せず、相手の謝罪と再発防止の措置を求めないままに済ましてしまうというのは、結局は「いいかげん」に物事を済ませることなのだ。それはわかっているのだが。
 相手を責めない、それはいろいろと面倒だから、というのは、相手を非難するためにはきちんと事実を整理して原因を明らかにし、相手を「おそれいりました」といわせるためには「罪状」を切り分け、自分ならこうするという正しい代替策を提示する必要がある。要するに、相手より優れた者が、相手以上の問題処理能力ある者だけが、相手を非難でき、その責任を追及できるのではなかろうか、僕にはできそうにない、と思ってしまうのだ。
 では、責めないまでも怒れよ、といわれる。
 そうすべきなのだろう。だが僕は、むしろ諦めてしまう── これって、一種の「甘えの構造」なのだろうか。

 戦争責任から不貞、水道水「温泉」の告発まで、声高に責任追及と非難が飛び交う日に。
 
# by kriminalisto | 2004-08-15 20:27 | Trackback | Comments(0)
免許証の更新
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 今朝は早朝から運転免許試験場めざして出発。バス電車バスと乗り継いで、予定通り午前8時30分に到達してみると、もう長蛇の列が出来上がっていた。窓口に向けての列に並ぶ経験は日本ではあまりない──他に何があるだろう、空港での出入国審査ぐらいのものか──し、行列の進み方もロシアやアメリカのことを思えば速いものだ。それでも、窓口から窓口へと、次々に指示に従って進み、3,950円の手数料と訳の分からない「交通安全協会」会費1.000円を払い、機械的に写真を撮られて3階の教室へ。交通安全講習2時間を義務付けられているとのことで、ビデオ2本とこの間の交通事故実態、道交法の改正点などについての講義。きわめて手際がよい。
 講習の要点は、結局、車には乗らない方が幸せでいられる確率が高い、乗るのであれば安全の上にも安全に運転を、ということに尽きる。
 新しい免許証(3年・青)を受け取って外に出ると、この時間帯バスは40分に1本しかなく、膨大な数のタクシーが客待ち状態。いくらか天邪鬼な気分になって、歩けるだけ歩いてみようということにした── ここから先は書きたくない。思い出すだけで汗が滴るようだ。

 それにしても、新規の試験受験者も山のように居たし、運転免許試験場は賑わっている。そこに詰めかけている多くの人のうちで一体何人が本当に運転免許を必要としているのだろうか。
 例えば僕にしたところで、人が驚くほどの歳になって教習所に通い免許証を手にしてから、実際にはほとんど車を運転していないし、自家用車も持っていない。街中で暮らす限り、公共交通機関でそれなりの用は足りるし、必要なときにはタクシーを利用する。その方が便利でもあり、経済的でもあるからだ。 では、なぜ免許を取ったのか── まあ、それにはいろいろと理由があるのだが、簡単に答えるのは難しい。
 しかし、案外、こんな風に、免許は持っているが実際には運転しないというのが、理想的な行きかたかも知れない。
# by kriminalisto | 2004-07-23 16:32 | Trackback | Comments(0)
「私には気がかりなことがある」
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 参議院選挙投票日。当然のことと投票には行ったが、そして自民党政権には打撃となる結果が予想されているとはいえ、その結果として現在の閉塞状況が好転するとは思われない。
 一転して、気になった報道二つ。

 「小6女児連れ去ろうとした小学校教諭逮捕 大阪」:大阪府警豊能署は11日、小学6年生の女児2人を車で連れ去ろうとしたとして、同府池田市立石橋南小学校教諭、川瀬正博容疑者(55)を未成年者誘拐未遂の疑いで逮捕した。大阪教育大付属池田小の乱入殺傷事件を機に同市が始めた携帯電話のメールを使って危険情報を提供する情報サービスが逮捕のきっかけになった。(毎日新聞)
 *容疑者の55歳という年齢──人生の第2の危機としての男性更年期

 「20歳女性を刺殺?全裸の22歳男が交番に自首 東京」:10日午後10時10分ごろ、東京都杉並区高円寺南4の交番に全裸で血だらけの男が「許してください。女を殺した」と自首してきた。警視庁杉並署員が約100メートル先のアパート2階の男の部屋を調べたところ、胸などを刺されて死亡している若い女性(20)を発見、同署は男を殺人の疑いで緊急逮捕した。 <中略> 容疑者は、交番に向かう途中、自動販売機で買い物をしていた女性(36)の後頭部に数回かみついて軽傷を負わせていた。調べに対して女性を刺したことは認めているものの、そのほかは「分からない」と繰り返しており、動機を追及している。(読売新聞)
 *全裸の22歳男、通行人の頭に噛み付く──覚せい剤による幻覚下での犯行か 
# by kriminalisto | 2004-07-11 22:16 | Trackback | Comments(0)
警察・裏金・パトカー修理費
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毎日のように警察の「裏金」報道が続く。今度は京都府警。
 ここでも、最近まで、各捜査員に支給される捜査旅費(国費)は事実上、捜査員名義の通帳や暗証番号を添えたキャッシュカードを保管する中間管理職の警部らの処理にゆだねられ、彼らが勝手に引き出した金の多くは、飲食代や必要経費として流用され、幹部クラスが分配を取り仕切るなど、組織的な裏金作りと運用が行われていた疑いがあることが複数の現職警官らの証言でわかった、というもの。
 同種類似の「事件」が次々と報じられる中で、それを目や耳で知るわれわれの方の感覚も鈍りそうだが、その悪弊を断つ必要は誰の目にも明かだ。
 だが、この種の報道でいつも不思議に思うことは、その種の「裏金」が必要とされる実態をどう変えていくかという視点の不足だ。警察活動に必要とされる捜査協力者への謝礼、情報提供者への支払い、飲食費など、必ずしもすべてが「必要経費」として公的に支給されるものばかりではないだろうし、職場の「潤滑油」としての茶菓や「慰労会」も必要かもしれない。それらすべての費用をきっぷのよいところを見せたがる上司の「ポケットマネー」に期待したり各個人に請求するというのでなく、何らかの「プール」を作ることはむしろ当たり前のことだろう。(実際、公務員と民間とを問わず、給与から固定した額の「懇親会費」などが毎月天引きされている例は多いだろう。) おそらく、本当に必要なことは、そのようなかなり細々とした、しかも公的に請求しにくい、経費の必要とされる実態をなくすることなのだろう。
 それにしても、今回の報道では、裏金としてプールされた金の使途は、飲食代のほか、「捜査車両が事故を起こした際の修理費など、予算では支出が認められていなかった緊急的な経費に充当されたケースもあった」とのこと。何をかいわんや、だ。
# by kriminalisto | 2004-06-30 09:31 | Trackback | Comments(0)
警察官という仕事
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 朝方、通勤の途上で自転車に乗った男性から声をかけられ、昔のゼミ卒業生に再会。この間、さまざまな機会にもすれ違ってばかりで、彼の卒業以来のことだったが、16年たっても学生時代の風貌は基本的に保たれている──もちろん、その気になって見れば、ということだが。今は◎警本部に帰っているとのこと。
 そのときには公道の真ん中で、しかもお互い時間に追われていたので、久闊を叙して別れたのだが、夜になって彼からメールが届いた。
 最近、たまたま僕の教科書を書店の棚に見つけ、読んでいるところだと。 
 「ところで、学問として「犯罪」関係の本を読むのは久しぶりです。就職してからは、どうして も、現象面として、犯罪を見てきていますし、考え方も現象面を最初に捉えて考えてしまいます。今回、先生の本を読ませていただいて、凝り固まった頭を涼しくして、仕事にそして市民のために役立てられる何かをつかみたいと思います。とは言え、仕事柄思うことは、現在これだけ犯罪が増加している、あるいは抑止が効かないのは、コミュニティーの崩壊が最大の原因と思います。昔の近所付き合いを、『個人への干渉』とか『自由の侵害』としか考えられない、心狭き大人たちと、その大人から教育を受ける子供たち、では…… と、ややぼやき気味になりましたが、今後とも── 」
 わが国の警察制度に関連しては、もちろんさまざまな議論があり、批判されるべき現象も散見されることは事実だ。しかし、この蒸し暑い街中を汗まみれになって走り回っている個々の警察官をどうして尊敬せずにいられよう。彼らの使命感と奉仕の精神に期待するものは大きい。
 最近の当地の警察の動きで、それらとは違った新たな展開を予測させる2点に注目している。ひとつはWinny騒ぎで全国的にも有名になったハイテク犯罪捜査体制の充実振り、もう一つは「犯罪情勢分析室」の活動だ。それらをはじめとして、腰を落ち着けて、その意味と今後への影響について考えて見なければと思う犯罪学の課題は多い。 だが実際には、日々の「ロー・スクール教育」(刑法解釈論!)に追われていることに自責の念さえ覚える。困ったことだ。
# by kriminalisto | 2004-06-26 12:31 | Trackback | Comments(0)
「迫りくるカタストロフ」は本物か
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 季節はずれの台風接近とあって、明日の授業がどうなるのか、気がかりな状態だが、学生諸君はもっと気になっているだろう──あわよくば休講かと。

 この機会に講義ノートとPPTファイルを整理していて、改めて気になった点。本当に正確に、彼らに現在の問題状況を伝ええただろうか。
 たとえばわが国の現在の犯罪情勢。「迫りくるカタストロフ」といった類の危機感をあおる説明をしなかっただろうか。
 あるいは、講義の最後にでも、事態を正確に見ることを強調しておくことが必要かもしれない。
 これに関わって重要な2点。

1)認知件数の跳ね上がりの理由:
 99年の桶川ストーカー事件および栃木リンチ事件における警察の対応への批判は凄まじく、警察庁は抜本的に対応を改善、その「結果」は全国の交番・駐在所などの窓口での「警察安全相談」件数の激増(09年の34万4千件が00年には74万5千件、01年93万件、02年105万7千件へと、この3年間で3倍にまでなっている)が潜在していた事件の発掘につながり、認知件数を押し上げた、という事実。

2)余罪調べの簡略化?
 この間、検挙人員はむしろ増えている(93年から02年まで10年間に、29万8千人から34万8千人へ)のに対し、検挙件数は72万4千件から59万2千件へと急降下しているが、このことの意味するところは明白──余罪調べが十分に行なわれていない! 
 それを証明するのが、重要窃盗犯についての同じ比較だ(93年から02年までに、検挙人員は27千から22千へと漸減に対し件数は224千から134千と惨めな減──住居侵入盗などの一人当たり件数は8.3から6.1へ)。
 余罪取調べと称して被疑者被告人の勾留の長期化あるいは代用監獄への収容を正当化する論調には警戒を要するが、そもそも、一人の住居侵入盗は概ね50~100件の余罪があるのが当たり前で、だからこそ彼らはそれで食っていけるのではなかったか。

 このあたり、より厳密な統計(そして警察活動の)分析が必要なことは明らかだ。
# by kriminalisto | 2004-06-20 23:31 | Trackback | Comments(0)
みなし月曜日
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 世間は土曜日で、多くの企業も学校も休みとあって、公共交通機関も「土曜日ダイヤ」という間引き運転の朝なのに。 緊張もなく眠り呆けている家族をほったらかしにして、一人で朝ご飯を食べ、出勤。 ──今日はわが大学だけは月曜日なのだ。
 学生の出席状況はいまひとつだが、それでも普段の半分ぐらいの学生は出席している。手回しよく「ゼミは休講」と宣言しておいたので、ゼミの学生も教室には少なかったのではないかと思われるが。
 だいたい、不自然で無理があるのだ。
 しかし、時間割がカレンダーによって組まれ、それぞれの科目が週日のいずれに割り振られるかは偶然的なものだとするなら、各科目間での時間数の確保の平準化が問題になることは当然だ。そして、この馬鹿な「ハッピー・マンデー」法!休日が多く、しかも連休を確保するために月曜日を休日とすることが、どうして「ハッピー」なのだろうか。多くの国民が本当に喜んでいるとはとても信じられない。
 では、どうすればよいのだろうか。どんないかがわしい動機によるものであれ、いったん休日として立法化された日を普通の勤労日に戻すことは至難の業だということは、説明されずとも明らかだ。どうすればよいのだろうか。 
# by kriminalisto | 2004-06-20 00:46 | Trackback | Comments(0)
自治会の「町内大清掃」行事
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 今日は梅雨の晴れ間の爽やかな日曜日だが、われわれの町内では一斉大清掃の日で、朝の9時から共有地の草取りや植え込みの剪定で1・2時間。もちろん、これは(やわらかな)義務で、各戸から1名は出てきている。雑談をしながら、短時間とはいえ共同作業に取り組み、そのあとは例によって I さん宅の庭で何人かがビール・パーティをやっている。
 この町内は20年前に住宅都市整備公団が開発し、一斉に入居した90戸ほどの団地で、周囲の高層住宅とは打って変わって2階建ての、数タイプの家屋から成っている。地形上の特徴もあって、かなりにまとまりやすい広さの町内となり、同時に入居した90家族ほどの多くがそのまま住み続けていることから、町内のまとまりもよい方だろう。
 ──つまり、これはかなり理想的な地域コミュニティであり、犯罪・非行に対する基本的な抑止力を持つ地域社会であるように思う。何家族かは年金生活の高齢者のみになり、適当な「うるさい爺さん・婆さん」としていろいろの出来事に口を出し、朝方から夕方まで、事実上町内の人の出入りを見張ってくれている。男どもは、普段は留守がちなのだが、適当に子供たちのレクレーションを組織し、一声かければ夜回りだってやる人には事欠かない。
 だが、おそらくは、この町内はその戸数の少なさのゆえにうまくいっているのだろう。これが5倍、10倍になったときに、同じような地域社会の諸機能がうまく働くという保障はない。おそらく難しいだろう。しかし、だからといって既存のコミュニティを人為的に再分割することも非現実的だ。どうするか。
 
# by kriminalisto | 2004-06-13 17:12 | Trackback | Comments(0)
投書・電話・メール
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 以下の記事。どう評価すべきだろうか。

 「小学六年女児による同級生殺害事件が起きた長崎県佐世保市の市立大久保小学校や県教委、市教委に対し、中傷や批判の電話やメールが殺到していることが四日、分かった。同県内では昨年七月に長崎市で中一男子の男児誘拐殺人事件が発生しており、二つの事件を結びつけて「長崎は犯罪者を育てているのか」といった感情的な意見が多いという。関係者は「批判は受けとめるが、これまでの取り組みを全否定されているようでつらい」と困惑している。
 県や市教委によると、電話やメールは事件が発生した一日夕から始まり、二、三日にかけて急増した。ほとんどが匿名で一方的に話した後、電話を切るケースが目立つ。時間帯によっては担当職員全員が、殺到する電話の応対に追われ、ほかの仕事ができない状態だったという。」(西日本新聞/6月4日)

 11歳の少女による同級生の殺害というセンセーショナルな事件であり、それをめぐって多くの論議と検討(原因の究明、同種事件の予防を中心に)がなされるであろうことは当然だ。
 だが、それとは別にここで気がかりなのは、この種の事件が起きるたびに学校や両親に対し投げつけられる無意味でヒステリックな罵倒の言葉だ。匿名で、まるで暗がりから投じられるつぶてのように、送りつけられる手紙や電話、最近ではメール。憎むべき卑劣な行為と言わねばならない。ものによっては脅迫罪や侮辱・名誉毀損罪の適用を考えるべきなのではないか。
 そして何よりも問題なのは、そのような手っ取り早い感情的な行為ですべてが終始してしまい、本当に必要な、社会の広い範囲での落ち着いた検討が妨げられることだろう。
# by kriminalisto | 2004-06-05 10:28 | Trackback(3) | Comments(0)
ロースクール・新司法試験
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 このところ忙しくて、この blog のメンテも怠りがちだが── 何が忙しいのかと考えてみると、一つは週末の日程がここのところ連続して詰まっており、おかげで授業の準備が十分にできないということがある。一週間のルーティンは、やはり、授業中心に回っており、週末は次の週に向けての授業準備の貴重な時間なのだ。昨年までの法学部教員時代にはあまり考えなかったことなのだが。
 ロースクールの学生と話していて、彼らが異口同音に話すのは、今までの自分のどの時間よりも充実した勉強中心の生活を送っているという満足感と、そして「この調子で勉強していけば司法試験に合格するのだろうか」という不安感だ。一方でロースクールの教育は手探りで突っ走っており、他方で新司法試験の内容は明らかにされていない。こんな状況では、彼らの不安は当然だろう。

 本来、司法試験も研修所も廃止すべきだったのだ。

 各ロースクールの設置、その教育課程の構成と内容についての実質的で公正ななコントロールを条件として、ロースクールでの学習についての修了認定が同時に法曹資格の獲得となるような制度こそが、当然あるべきロースクール=法曹養成制度だ。それを、法務省や最高裁の権益や思惑やら何やらに文部省の無責任・無能さが加わった挙句の、なんとも言いようのない、不思議な「法科大学院」の乱立となり、「自己責任」でのロースクール選び、そしてロースクールには経営手腕の発揮と「閉鎖の自由」が認められるという、情けない結末となっている。
 それでも、希望をもって難関試験に合格し、貴重な数年間の時間と高い学費とを支払って、現に勉強している5千数百人の学生がおり、わがロースクールにも多くの優秀な学生が集まっている以上は、教師たるもの勝手な放言をしているわけにはいかない。せっせと教材作りに工夫を凝らし、教室では最大限の効果を心がけて教育に当たり、学生が求めれば補講にも、ネットを通じての質問にも力を尽くして応じている── むしろ、学生諸君が抜け道のない檻に落とされたと同様に、あるいはそれよりはるかに過酷な坩堝に、われわれも一緒に落とされたのかもしれない。
# by kriminalisto | 2004-05-29 13:25 | Trackback | Comments(1)
ロシア・マフィア!
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 火曜日のNHK『クローズアップ現代』は「ロシア・マフィア」がテーマ。
 釜山で殺されたロシア・マフィアの大物が、じつは過去に何度も北海道に渡航した記録を持っており、彼が北海道で何をしていたかが調査された、という経過から、ルポルタージュは始まる。
 このあたり、最近のアルカイダのメンバーといわれる人物の新潟潜伏の事実もそうだが、日本での出入国管理のありかたを考えさせるところだ。
 今回の「ロシア」は極東ロシアに限定されての報道だったが、沿海州のマフィアのボスとおぼしき人物が、中古自動車と薬物とのバーターを中心とする日本との関連を語っていた。かつてはカニだったものが、最近では薬物(MDMA)を支払い手段とすることが多い、北海道沖で海中にブイをつけて投下し、その位置をGPSコードで日本側の暴力団員に連絡、暴力団はチャーターした漁船でそれをなんなく回収するのだと。
 ありうるだろうな、と思う。
 最近のアメリカでの研究やウラジオストークの研究所のサイトなどで伝えられていたことの範囲を出ないが、映像をまじえるとなかなか迫力があった。

 この夏にはペテルブルグの研究者を訪ねて情報交換と考えているのだが、やはり、極東を加えるべきだろうか。しかし、ウラジオストークやナホトカは危険だし、ホテルの質も悪いから.....
# by kriminalisto | 2004-05-20 23:30 | Trackback | Comments(0)
誤記載
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 参った、まいった──
 どうすりゃいいんだか、本当に弱ったことになってしまった。
 機嫌よく出版した本の中に間違った記述をしてしまったことに気づかされたのだ、それも自分の先生の指摘で。
 もちろん言い訳はいくらも可能だ。あんなにも、こんなにも忙しかった上に、事実経過は混沌としていたのだから、不注意で見落としたことも.....  といくら言って見ても、言い訳は言い訳にすぎない。多くの読者は気づかないままに、間違った情報を含む本を買ってしまうだろう。
 改訂の際に訂正しなさい、と先生は優しく言ってくれたが、心の中ではあきれ返っているだろう。
 ああ、失敗したなあ。ここニ三日、息苦しさが夢の中にまで追いかけてくる。
# by kriminalisto | 2004-05-19 14:06 | Trackback | Comments(0)
雨の降る日には
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 晴れる日もあれば雨の日も、暑い日も寒い日も、ごく当たり前にあり、繰り返してわれわれの生活に振幅を与えるのだが、それらは犯罪に関係しないのだろうか。
 多くの犯罪要因は暑さによって増幅されるように思われる──アメリカの大都市での黒人暴動やわが国のドヤ街での衝突も暑い夏のことが多く、ラスコーリニコフの老婆殺しにしたところで、多くのペテルブルグ市民が郊外の避暑地に逃げ出した7月のむっとした悪臭の立ちこめる中でのことだった。
 雨の日には財産犯罪が少ないという説があるが、低く垂れ込めた雨雲の圧迫もあって気分の沈む雨の日は一時的にせよ多くの人を鬱状態へと追いやり、その影響の下で(拡大)自殺その他の退行行為がなされるのではないだろうか。
 もちろん、これらのことを否定し、自然現象としての天候がそのままに犯罪行動に反映するわけではなく、その間には多くの要素が介在し、両者の関係ははるかに複雑だ(要するに、わからない)、とするのが常識的な説明だろう。何よりも、暑さ寒さとか晴雨といった自然条件は多数の人々を同じく暑がらせたりふさぎこませるのであり、そのうちの特定の人々だけが問題行動に出るとしたとき、そのような行動の「要因」はむしろそれらの人々の個体的な条件にあるとすべきだろう。しかしそれでは生物学派になってしまう、というのであれば、次のようなことでどうか。つまり、暑さであったり雨であったりという条件は、劣悪な住宅環境その他社会的インフラの整わない貧困地域の住民に耐えがたい苦痛を及ぼし、失業者や独居者にとって雨は深刻な思い出を呼び出す、などといった。
 しかし、暑さ寒さや雨晴れが人々の「心」に直接に作用すること自体は認めざるをえないのではないだろうか。
 ヨーロッパ人はよく、今日は気圧が高いので頭が痛いとか、気分が優れないのは気圧が低いからだなどと、われわれには不可解なことを口にする(中央アジア出身の僕の知人もそう意って日本人の医者を絶句させたことがある)。だが、思えばこれは正しい感覚なのだろう──現にわれわれでも、血圧の上下によって体調や気分が変わることを知っているが、であれば、外気圧の変化がわれわれの健康や気分に影響しないはずがない。では、なぜわれわれはそのように感じないのだろうか。
 これは不思議な、「文化依存症候群」の一つであり、きちんとした研究が必要な現象のように思うのだが。
# by kriminalisto | 2004-05-16 16:10 | Trackback | Comments(0)
日中刑事法学学術討論会
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土曜日の今日は早朝に起き出して、9時よりかなり前に同志社大学に到着。
第9回の「日中刑事法学学術討論会」に出席するため。──西原先生が早稲田の総長の頃に始められたこの企画だが、今回は京都で始めて開催ということで。今日から月曜日まで、3日間も。
日本側は宮澤、大谷、鈴木、山口などなど、そうそうたる顔ぶれだが、中国側にも何人か面識のある名前が出ていて、案内をもらえば出席しないわけには行かない。

本当は、いろいろと忙しいのだが。

財産犯罪に関わるテーマで日中双方が一人ずつ報告者を立てて問題提起をし、それに関連した質疑応答という手順。成文堂が用意した「報告集」は完璧で、中国側報告もきちんと翻訳されて収録されている。となると、ますます議論にならない、のは困ったものだ。

さあ、明日はどうしよう。出るか、さぼるか。雨のようだし、家で仕事ということにしようか。いや、しかし── (と迷う。)
# by kriminalisto | 2004-05-08 21:57 | Trackback | Comments(0)
「21世紀日本に死刑は必要か」
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 この問題についてはあまり話したくないのだが.....
 事務室脇の控え室で弁当を使っている僕の目の前に、きれいなポスターが貼られている。
 日弁連のポスターだ。

    第47回人権擁護大会 シンポジウム第3分科会
        「21世紀日本に死刑は必要か」
 -死刑執行停止法の制定と死刑制度の未来をめぐって-

 しかし、この問題について、シンポジウムでいまさら何を議論しようというのだろうか。企画者の予定している結論は明確で、にもかかわらず白々しく「死刑は必要か」と問いかける必要があるだろうか。
  見ているうちにだんだん不愉快になってくる── いわば、気心の知れた仲間内でのイニシエーション類似の集まりではないか。それに向けて全国で連続のプレシンポを開催するとも知らせている。

 ことはやはり死刑制度の存廃論に関係するわけで、それをここで簡単に済ませてしまうわけには行かない。それなりに準備をして、きちんと説明し、議論を提起するのでなければ、中途半端な物言いは何の役にも立たない、と言うことはよくわかっているので、これ以上は書かない。
 日弁連にしてもアムネスティにしても、その活動には大きな意義があると思うし、実際の活動に果たしている役割には尊敬を惜しまない。「無辜の救済」と「良心の囚人の解放」の運動にどうして共感しないでいられようか。にもかかわらず、死刑問題への過剰なこだわりが、問題を拡散させ、本来得られたはずの多くの市民の支持を失わせているのではないか。
 やはり、近いうちに、この点についてはまとまった発言をしなくてはならないようだ。だがそれにしても.....
# by kriminalisto | 2004-05-07 23:42 | Trackback | Comments(0)
自殺関与
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 「大型連休」4日目は雨。
 格別どこに出かける予定も無いから、かえって落ち着いて仕事ができるというものだ。
 この連休を逃すと、あとは夏休みまで、まとまった休みなしで授業に追われることになるので、同僚各位もおそらくは同様に机に向かっての「連休」だろう。

 今朝の新聞で めずらしいニュース が目を引いた。34歳の「養子」を自殺させたということで35歳の男が自殺関与罪の容疑をかけられているというのだ。
 年齢の不自然さにはいろいろの事情がありそうだが、それにしても、34歳の男性(車に乗っているところを見れば、精神的にも健康そう)を「教唆し若しくは幇助して自殺させ」ることが可能なのだろうか。
 報道では、この男は継続的な暴行・脅迫によって被害者を完全に従属させていたとの事だが── この種の犯罪の場合、被害者はすでに死んでいるわけで、事実の解明と認定には困難が伴うはずで、この事件もどのような「事実」が明らかにされるのだろうか。
 和歌山の事件ということなので、和歌山市で開業しているOk弁護士にでも、いつか、その後の経過を尋ねてみようと思う。
# by kriminalisto | 2004-05-04 11:27 | Trackback | Comments(0)
刑法にどう入門するか
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 初めて法律学を勉強する人たちが戸惑い、音を上げそうになるのは、やはり民法の膨大な分量と基礎的な概念の頻発にのようだ。それに比べて、刑法については格段に取り付きやすいのではないか。
 これはおもしろい事実で、日常生活の基本にかかわる法的な諸問題、その意味では最もなじみの深いはずの法領域がかえって難しく、実際には身の周りにほとんど無い(そうであるべきだ)犯罪にかかわる法領域が、多くの初心者の興味関心を引き付け、積極的な勉強意欲を引き出すことがやさしいようなのだ。
 だが、それでも、やはり難しい局面はあちらこちらに隠されている。
 たとえば「因果関係」とか「構成要件」といった概念。
 自分自身の学生時代を思い返してみても、刑法総論の最初の授業で先生が、突然、「裸の行為論は必要か」と論じ始めたときは慌ててしまった。代表的な教科書にそんな論点についての説明は無かったし、先生、まじめな顔して昼間から何を言い出すことやら、と。── 何しろまだ19歳、幼かったのだ。
 しかし、そんな訳もわからぬ概念や論理にそれでも食いついていったのは、なぜだろう。
 それは、多分、今はよくわからないが、ここを過ぎればその先には何かすばらしく面白いものがあるに違いないという期待あるいは好奇心(あるいは幻覚)があったからだろう。何しろ、先生は楽しそうで、嬉々として講義をされ、それに惑わされているうちに受講生も何か世界の秘儀をひそかに教えられたような気分になって教室から出てくるのだったから。
 そのこともあって僕は思うのだが、最初から全て理解してでなければ次に進めない、というような勉強法は、少なくとも(刑)法学の場合は間違いだろう。たとえば因果関係論は殺人罪や傷害罪といった各論の問題を抜きにしては具体的に理解できないし、過失論における予見可能性の理論を考慮せずに因果関係の相当因果関係諸説の批判的な検討はできない。その意味で、(ここでは刑法だけをとりあげるが)理解はまさにらせん状の発展経過をたどる、というべきなのだろう。各論点を一巡して、再度ある論点に取り組むときは、前回には見えなかったその広がりや深さが見えるというような。
 その際、もちろん、各領域の論点を「ザーッと見る」のではない。それなりに一所懸命に考え、しかし、その結論が出なければ先には進めない、というような態度はとらないことが必要だと言っているのだ。
# by kriminalisto | 2004-05-01 01:07 | Trackback | Comments(0)
血液型
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 先日、新しいゼミ生が集まった際に、ふと思いついて全員に血液型を訊いてみた。その結果:
   A型  5名
   O型  4名
   B型  6名
   AB型 3名
 これって、標準とはかなり違うのでは。
 確か、日本人の多数はA型で、Oがそれに次いだはず。──やはり、犯罪学を専攻するような学生は標準から外れた者が多いのだろうか。(念のため確認。ものの本にはやはり、日本人ではA型、O型、B型、AB型の順に多く、その割合はだいたい 4:3:2:1と書いてある。)
 ちなみに僕はA型。
 A型の特徴は物事をこまめ・几帳面に処理し、規則正しい生活を送るということだろうが、これはよくわかる。現に、わが家でA型は僕だけだが、洗濯物から食器から、ぶつぶつ言いながら片付けに回っているのは僕だけだ。
 この辺り、参考になるかもしれないページはhttp://www.abo-world.co.jp/index.html
 など。

 冗談は抜きにして、結局、「几帳面」をキーワードとするような日本人の性格が、戦後の復興から今日の安定までのわが国の社会のありようを支えてきたのではないかと思う。
 というようなことをまじめにぶって、「いつから生物学派になったの?」とO型の妻にからかわれた。
# by kriminalisto | 2004-04-26 17:44 | Trackback | Comments(0)
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