●国鉄名古屋駅

画像:240ピクセル幅・全11枚


当時小学生だった私は毎月、兄にくっついて名古屋市立科学館詣でをしていた。目的地もさることながら、早めに家を出て電車を眺めるのが楽しみであった。しかもお昼は科学館の屋上か名駅方面を望みながら。
このネガフィルムの撮影日は不明。昭和49年3月の時刻表ではネガとの整合が難しかったので、新幹線博多開業の昭和50年以降と思われる。本文中の解説は手許の交通公社時刻表「昭和51年(1976)5月号」を参考に記す。

中央西線ローカル電車
72系通勤型電車(左)・113系近郊型電車(右)

72系は旧型国電と呼ばれるうち通勤型の決定版。中間車モハ72形・先頭車クハ79形で、全金属車体を持つ近代的な車両もあり名古屋地区では中央西線で使用。当時は折り返しの際、サボ(側面の行先表示板)を差し替えるためにホームと反対側の扉も開放するのは当たり前。
113系は主として中央線快速等に使用(東海道線快速は主に153系急行形冷房車等を充当)。もっとも「中津川〜米原」という直通快速も設定されていた。01meieki-01.JPG

381系電車特急「しなの」

おそらく9:00発の3号(1005M)、中央西線〜篠ノ井線経由の長野ゆき(終着12:22)。当時は中央西線に単線区間が残り、塩尻駅移設前のため同駅で進行方向が逆転していた。
名古屋駅では少々ヨソ者くさい「しらさぎ」以外では唯一の、名古屋の誇れる在来線昼行電車特急。当時は日本で唯一の振子式列車であった。01meieki-02.JPG

14系客車

当時は「ブルトレブーム」に当たり、チビッ子カメラマンが集まる。もっとも「ブルートレイン」は夜行寝台特急の総称であり、14系座席車は正確には該当しない。
この名古屋駅の情景は、車掌さんのサービスにより妻面の方向幕に色々な愛称名を掲示してくれているのである(画像は飛んでいるが「はつかり」)。01meieki-03.JPG

キハ58系気動車急行401D「大社」

下り東海道線、名古屋駅9:10発、東海道〜北陸〜小浜〜宮津〜山陰本線経由で、出雲市以遠普通列車の大社ゆき(終着20:24)。
名古屋駅発車時点でこそ4連だが、金沢〜米子間の編成を敦賀で連結(金沢〜大社という区間での乗車も可)。また日によっては大阪ゆきの急行「比叡51号」を併結(名古屋〜米原)。
奥にEF58形電機が見える。当時は荷物列車牽引用に多くのゴハチが行き交い、またホーム突端の先の側線に留め置かれていた。01meieki-04.JPG

14系客車

「静岡ゆき」の表示は事実か、団体用列車なのか(名古屋発静岡ゆき列車は記憶にない)。車内は座席が向い合せにセットされ同じ飲み物が各座席に配布されているようなので、貸切だと思われるが。01meieki-05.JPG

14系客車

DD51ディーゼル機に牽引されて発車。01meieki-06.JPG

90系気動車キハ91形
急行「のりくら」

同形式の活躍も末期の頃である。下り東海道線、おそらく名古屋駅9:25発の2号(713D)、東海道〜高山本線経由の高山ゆき(終着12:41)。
キハ90系は大出力機関(500馬力×1)を搭載した試作的要素の強い急行形ディーゼル車。1列車分の少量生産にとどまり、中央西線「きそ」ほか中部地区の急行に使用された後に引退。その技術は急行用のキハ65、また特急用では181系気動車に継承・熟成され、電車化以前の特急「しなの」としても活躍。両形式とも中部以西で現役であり、90系気動車の功績は大きい。01meieki-07.JPG

東海道線ローカル・80系電車

「湘南電車」と呼ばれた80系電車。先頭車クハ86初期ロットの前面3枚窓タイプは、この地域では大垣区(東海道線用)に配属され、神領区(中央線用)には存在しなかった。80系の後輩である153系急行形電車の登場や東海道新幹線開業以降の当時すでに、80系電車は地域輸送用に転用されていた。大垣車は6連で、6+6の12連による列車もあった。01meieki-08.JPG

東海道線ローカル・159系電車

元来は、首都圏に配置の155系に倣った中京地区発の修学旅行用。終生、大垣区に所属し当初は12連で集約臨東京方面ゆき「こまどり」・準急「ながら」等に、晩年は6連で行楽用快速「近江路」にも使用。撮影時は東海道線普通列車、まだ修学旅行用の装備と車体塗色が健在であった(後に湘南色となり昭和50年代後半に廃車)。
右は旧名古屋駅舎。0番線ホームは改装後の現1番線に相当し(位置はズレたかも)、快速列車の少なかった当時は東海道線上り列車の大半が使用していた。向かい側の1番線(現2番線に相当)は荷物列車が塞いでいる場合も多かった。01meieki-09.JPG

80系気動車キハ81形
特急1D「くろしお5号」

関西本線、名古屋駅9:50発、関西〜伊勢〜紀勢〜阪和線経由の天王寺ゆき(終着18:14)。
80系特急形気動車は、とりわけ貫通型先頭車キハ82以下、平成に入っても現役であったなど全国の特急ネットワーク形成に貢献し活躍した。
ボンネットタイプの先頭車キハ81形は、初のディーゼル特急「はつかり」として記念碑的な名車であったが、この「くろしお」が晩年の職務であり間もなく姿を消した(昭53.10引退 大阪弁天町の交通科学博物館に静態保存されている)。01meieki-10.JPG

583系電車特急3M「しらさぎ2号」

下り東海道線、名古屋駅10:15発、東海道〜北陸本線経由の富山ゆき(終着14:10)。
2号と5号の1往復は昼夜兼行仕様の583系電車ならではの運用。名古屋駅6:10終着の博多発上り寝台特急「金星」をいったん中央線沿線の神領区に引き揚げ、寝台を座席にセットし直して運用した。
昼間の座席は向い合せのボックス席で不評を買った一因でもあったが、大変ゆったりした造りになっており、知人の父親はむしろ好んで2号を利用していたと聞く。
写真は向こうにキハ58系(10:05発中央西線急行「赤倉」?または10:25発高山線急行「のりくら3号」か)と、中央西線ローカルの70系電車が並ぶ。01meieki-11.JPG