参考

 

 万葉集や源氏物語では、「(とお)朝廷(みかど)」と詠われた太宰府。道真が、名ばかりではあるが大宰権帥として下った901年より173年前(728年頃)大伴旅人が大宰帥として赴任している。同じ頃(726年)には、山上憶良も筑前守として赴任していた。

 日本では花と言えば「桜」だが、唐では「梅」であり、中国江南地方より日本に伝来した。日本で初めて梅が意識的に鑑賞されたのは、奇しくもこの太宰府の地。天平2年(730年)正月13日、太宰府赴任中の大伴旅人邸で梅の花を題材として歌を詠む宴が催された。このことは万葉集巻5「梅花の歌32首」に載っている。

「初春の佳き日、風もおだやかで、梅の花は美しく化粧をした女性のように白く咲き、心地よい香りを放っている。天を屋根とし、みな膝を突き合わせ、楽しくくつろいで飲み交わしている。こんな満足した心のうちを、文章以外でどう表現できよう。さあ、この梅を題材として歌を作ろう」と主人の旅人が言う。

 

○大宰帥大伴旅人の作った歌

我が園に梅の花散るひさかたの (あめ)より雪の流れ来るかも

○筑前守山上憶良の作った歌

春さればまづ咲くやどの梅の花 ひとり見つつや(はる)()暮らさむ

 

太宰府天満宮、菅原道真と言えば「梅」。しかしこんな万葉の時から既に梅にまつわる話があったとは。なんだか不思議なつながりを感じる。ちなみに道真のお母さんの出身は大伴家。この大伴旅人・大友家持とも、姻戚関係にあるらしい。

 

 

 

天拝山(筑紫野市

 

↑武蔵寺

九州最古の寺で、奈良時代、藤原虎麿によって建立

紫藤(しとう)の瀧

天拝山登山口近くにある。

道真はこの瀧で身を清めてから登った。

↑菅公衣掛けの岩

紫藤の瀧の前にあり、

この岩に衣を掛けた。

 

 

↑天拝山頂上

↑天拝山社

↑つま立ちの岩(天拝岩)

 榎社から南へ約2km、徒歩で1時間弱のところにあり、高さ258m、当時は天判山と呼ばれていた。

謫居生活2年目、道真はこの天判山の麓の龍王の滝(紫藤の瀧)で50日(または100日)間の禊の後、山頂で77夜自分の無実を訴え、また国家の安泰を祈り続けたという。

現在は楽に登れるハイキングコースができているが、道真が登った険しい道を辿り、登ってみた。麓の登山口から頂上に至る間を10区に分け、1区ごとに道真の歌が刻まれた碑が置かれている。1句ずつ詠みながら頂上を目指した。結構アップダウンの激しい道で、1区ごとの碑を読む時間がちょうど良い休憩となった。この道はよほど菅公に興味のある人でないと通らないと地元の人は言っていた。

頂上には「天拝山社」があり、その先に「つま立ちの岩」があった。道真はこの岩の上に立ち、天を仰ぎ、77夜祈り続けたという。しかし、その祈りも叶えられず、名誉の回復もなく無念の旅立をした道真の気持を思うといたたまれなかった。そしてその横には「霊魂尚在天拝之峯」と刻まれた石柱がある。吟詠教本(二)p.157高杉晋作の「獄中作」にも出てくる。

 

神牛塚(太宰府市

 

 道真公の遺骸を運んでいた牛が、榎社を出て、ある寺の前まで来ると動かなくなってしまった。近くの井戸の水を飲ませるとまた歩き出し、今の天満宮のところまで来て、ついに止まってしまった。牛を引いていた味酒安行は、道真公の遺言として「骨は故郷に返すことを習慣とするが、私はそれを望まない。遺骸を牛車に乗せ、人に引かせず、牛の赴くところにとどめよ。」と聞いていたので、これは道真公の御意思と思い、その場所(現在の天満宮本殿)に葬った。その後、牛は帰る途中で息絶えたという。地元の人々がそこに牛を葬り、「神牛塚之碑」を建てた。今、西鉄五条駅から程近い民家の片隅に、それはある。

安楽寺天満宮(太宰府市

↑天満宮本殿

1月の飛梅

5月の飛梅

「道真公が永遠にお鎮まりになる聖地」 

太宰府天満宮は道真公を祀る神社として有名だが、道真の死から2年後の延喜5年(905年)819日、京から随行してきた味酒安行が神託により道真公を埋葬した場所を墓所とし、そこに「安楽寺」を建てたのが最初である。延喜19年(919年)には左大臣藤原仲平が社殿を造営した。その後、数度の兵火により炎上。天正19年(1591年)秀吉の命を受け筑前国主小早川隆景が5年の歳月をかけて造営したのが現在の本殿。その本殿の地下に菅原道真公は眠っている。

春は夏の御衣(羽二重の単衣)、秋には冬の御衣(羽二重の綿入れ)を奉る衣替えをする。境内には飛梅伝説で有名な梅の木が本殿右側にある。「神牛」は宝物殿入口の左側に、今も人々の痛いところや悪いところを治すために伏している。やはり頭の部分が一番光っていた。60年に1頭ずつ寄贈されているらしく、境内には現在計7頭の牛がいるという。

 

 

菅公   平池南桑

時しも頃は延喜元年春二月 右大臣菅原道真公は藤原時平の讒言により、罪あらずして大宰府の権の帥にぞ貶せらる。

  流れゆくわれは水屑となり果てぬ
  君しがらみとなりてとどめよ
  切なき思ひ空しくも 紅梅殿の梅の花
  別れを惜しむ人々の あつき涙に送られて
  君が住む宿の梢を行く行くも
  かくるるまでに 返り見しはや

慣れぬ旅路の草枕 幾夜かさねてはるばると
筑紫の里に見る月の 影も悲しき侘住居

 去年今夜侍清涼 秋思詩篇獨断腸
 恩賜御衣今在此 捧持毎日拝余香

至誠貫徹純忠の 身は柴荊にあり乍ら
寸時忘れぬ君の恩 栄華の昔偲び泣く

 都府南館の明け暮れを 観世音寺の鐘の音は
 諸行無常と告げわたる 延喜三年如月二十五日
 御年五十九才を一期とし 遂に此世を去り給ふ
 星霜一千七十年 天満宮に詣で来て廟前に咲く飛び梅や
 清き香りはそのままに 文神菅公の御徳は
 千代萬代に薫るらん 千代萬代に薫るらん

 

 

 

 

平池南桑の「菅公」に関係する場所をピックアップ致しました。この他にも、戒壇院(鑑真関係)、光明禅寺(菅家関係)、延寿王院(明治維新勤皇の志士関係)、隈麿の墓、水城跡、大野城跡、宝満山……等々、見所がたくさんありますので、興味のある方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。梅ヶ枝餅もふぐもとんこつラーメンもおいしかったですよ。

疲れたら薬師湯として伝説がある二日市温泉のやわらかいお湯で、疲れをとることもお勧めします。良いお湯でした。

                               木村心風