「ポスト・モダン」の政治の位相

・・・・・・(前略)・・・・・・
 問題は、「多元主義」の機能不全が明らかになった時、それを解決する道がはたして「多元化」戦略だけだったのか、ということである。「多元化」は、「多元主義」における政治の自明性を、いわば「政治」の位相を変化させることで突破し、再活性化を試みた。他方で、秩序と統合という伝統的な政治の働きについては、そもそも問題として扱わないという姿勢を見せる。だが、「多元主義」の機能不全がその伝統的な政治の働きの不可視化に起因しているのであるならば、「多元化」による解決は問題の根源を意図的にではないにせよ回避しているということにはならないだろうか。国家や秩序のみが政治ではないにしても、国家や秩序は政治ではないのであろうか。国家や秩序があるからこそ生じてくる問題、国家や秩序があるからこそ解決できる問題というものは存在しないのであろうか。
確認しておくが、ここでは、「ポスト・モダン」を非難し、伝統的な政治を復活させることを主張しているわけではない。単純な復古主義は、「ポスト・モダン」万能論と同様、素朴に過ぎる。ただ、「ポスト・モダン」が政治を論じる時、一定の問題が抜け落ちる、ということを指摘したいのである。しかも、その問題とは、「ポスト・モダン」の不安を惹起し、それでもなお憧れの対象である理性的な「政治」、自由民主主義体制をどのように理解し、把握するのかという問題なのだ、ということである。自らの不安の根源を見据えようとしない時、それが意味するところは何か。「ポスト・モダン」を支持するにせよ批判するにせよ、その意味について自覚的であってもよい。
・・・・・・(後略)・・・・・・