J.デリダ『法の力』書評(岩波書店『思想』2000年7月)
                      早川誠(立正大学法学部専任講師)

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 さらに言えば、これは単に論理の問題であるだけではない。実は、法学や政治学において、暴力は決して無視されてきた要素ではない。むしろ、暴力に「とり憑かれ」ていたことが、これほどの長い時間にわたって法学や政治学が存在してきたことの理由であり、自由主義や民主主義を含めて様々な思想や制度が生み出されてくることになる動因であったとも言える。追放することのできない暴力と格闘する中ではじめて、最低限の手段として、一定の暴力と共生し、それを飼い馴らす術が考案されてきたのである。実際、デリダすら、「表象を超越しており、唯一無比のものや、さらにはあらゆる唯一性を、一般性の秩序ないしは比較作用の秩序の中に再び書き込まれることのないように守る掟」と「啓蒙、理性、対象化、比較、説明」を扱う「表象の掟」との間の妥協が、宿命的であるとまで述べている(192頁)。もっともその妥協が、デリダの留保するように、通約不可能で根本的に異質な次元の間のものに留まるということは避けようがない。だがいずれにせよ、妥協を語る以上は、「表象の掟」から生み出される工夫の内容について、何らかの提案があっても不思議はなかろう。しかし、本書にこの点に関する言及はなく、また本書の議論の行程からしてそのような言及が可能であるとも思われない。脱構築へと至るデリダの議論は、「表象の掟」が振るう暴力への高度の敏感さによって、逆に、暴力に対してこれまで積み上げられてきたささやかな防壁一切を無力化する、という政治的含意を持ちかねないのだ。
・・・・・・(後略)・・・・・・