1.「政治」っていったい何だろう?

B.「公」と「私」

 実は、この違い、一目見て感じるよりもはるかに重要な問題なのです。家族という例を考えてみましょう。家族もまた、何人かの人が集まってできているからには組織・集団の一つですから、「広い定義」で言えば、「政治」の対象になりそうな気がします。でも、家族が「政治」の問題だ、と言われると、ちょっと嫌だな、と思う人もいるのではないでしょうか?家族というのは、「政治」なんていう難しい問題抜きで、心が休まる場所。世の中の辛さや苦しさから避難するための休憩所だ、と考えている人もいるかもしれません。

 これは、「私(し・わたくし)」と「公(こう・おおやけ)」の区別、という問題にからんでいます。私たちは普通、他の人から干渉されたくない領域、私だけのプライベートな領域を持っていると考えています。サッカーが好きなのは私の自由であって、「サッカーをやるな!」とか「サッカー中継を見るな!」と他人から言われれば、「大きなお世話だ!」と反発したくなりますよね。これに対して、自分だけでは物事をうまく進めていくことができないという事柄もあります。消費税を何パーセントにすればいいか、なんていう問題は、自分一人で決めるわけにはいきません。話し合いをするなり、誰かリーダーを決めて判断してもらうなりしなければならない。サッカーが好きなのは自分だけの「私」の事柄、税金を決めるのは他の人も含めた「公」の事柄、ということですね。

 こうして見ると、「政治」が「公」に関わる活動なんだ、ということに私たちは気がつきます。「広い定義」にせよ「狭い定義」にせよ、そこでは複数の人々がいることが前提になっていますから、自分個人だけのことではすまない。となると、「政治」とは「公」の事柄を取り決めることであって、「私」のことには政治は関わらない、と結論づけてよさそうです。

 ではここで、家族の問題に戻ってみましょう。家族は、「私」のものでしょうか、「公」のものでしょうか?一つには、家族とは個人が結婚等によって自由に作るものだから、集団であっても「私」のもの、という考え方ができそうです。でももう片方では、やはり何人かの人からできている以上、「公」のものだとも考えられるかもしれません。これは、自由に作られる会社にしても同じこと。つまり、私たちが直感的に考えているほど、「私」と「公」の区別ははっきりしていないのです。となると、そこに「政治」が関わるべきかも実は結構難しい。例えば、家族内での暴力的な夫婦喧嘩を、私的事柄として警察は見過ごすべきでしょうか?公的事柄として止めるべきでしょうか?「政治」をどう考えるかは、私たちの生活のどこまで政治が介入してもいいのかという問題と深く関係しているのです。

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