2001年12月の本棚

『憲法への招待』

渋谷 秀樹 著

岩波新書
740円+税
ISBN4−00−430758−9

憲法と立憲主義
 憲法というと、「基本的人権の尊重、国民主権、平和主義」という三大原則を中学校などで習ったことを思い起こす方も多いのではないでしょうか。これらは、第二次大戦後の日本が民主政治を実施する際の基本原則だったわけですが、しかしこれがあまりにも自明の原則とされたため、そこに込められた意味をじっくりと考えてみる、という作業を行うことはなかなか難しかったといえるかもしれません。改憲・護憲をひとまずおいても「論憲」を、という議論は、この点では意味ある主張といえるでしょう。新書でコンパクトにまとめられた本書は、「立憲主義」という観点から、憲法の根源的意味に踏み込んでいきます。著者によれば、「立憲主義は、『個人の自由』が人間社会において一番大切な価値である」とする思想であり、そのため「個人の自由を守ることを目的に、政治の基本的なルールは作られなくてはならない」。そして、「そのように作られたルールが、『憲法』であり、政府は、それにのっとって政治をおこなわねばならない」と論じられます(iii頁)。そして、個人の自由が尊重される以上、憲法を所持する国家も、国民個人個人の契約による「社会契約」の産物であるとされます。つまり、国家も憲法も個人を守るためのものであり、個人が国家に奉仕することが最優先なのではない。「憲法のどの条項にも一般市民に憲法を守れと命じた規定がないのは、『法の支配』の考え方からして、当然の帰結なのです」(21頁)。この点では、実は、現憲法を民主主義の体現と見なすのは正確ではない。「民主主義は、多数決原理によってその結論を出す営みである限り、立憲主義と相反する可能性がある。現行憲法は、立憲主義と民主主義を基本原理として組み込んでいますが、人権規定を置くことによって、両者が衝突すればそこで問題となる権利の性質によっては、立憲主義の原理に重きをおくことを定めていることになります」(148頁)。こうした言明に、著者のスタンスが明確に示されているといってよいでしょう。

普遍的正義はあるか
 こうした個人の権利の尊重は、いかなる理由によって担保されるのでしょうか。人民による決定という意味での民主主義を重視する立場からは、過度の個人の権利の尊重が独裁エリートの台頭や衆愚政の到来によって民主主義を破壊するのであれば、より義務を重視した憲法を支持した方が良い、いう考え方もあるかもしれません。この点で面白いのが、憲法改正に関する解説です。それによれば、日本国憲法には憲法改正の手続きが定められていますが、しかし、憲法の中には他の規範よりも重視され、堅守されなければならない規範を区別することができる。「したがって、改正手続によって改正できるものと、改正できないものがある」(23頁)とされるのです。どれが改正不可能化については個別の議論が必要だとされますが、一つ例として挙げられているのは、主権の所在を国民から天皇に変えることができるかという問題です。この問題について著者は否定的ですが、それは憲法の正統性が国民の支持とともに「憲法の内容的な正しさ、つまり普遍的な正義や理念を規定しているということ」(28頁)に依拠しているからとされます。こうした普遍主義は他にも、中間団体についての議論に垣間見ることができます。著者は、立憲主義の礎をなした市民革命は、君主主権の否定とともに、中間団体という社会的な桎梏から個人を解放するものであったと論じます(52頁)。ここにも、普遍的権利としての個人の権利をあくまでも貫き通そうという、著者の強い意図を感じ取ることができます。

立憲主義と政治の課題
 本書は、このように個人の権利と立憲主義という太い軸を設定することによって、日本国憲法の一つの統一的な理解を明示することに成功しています。しかし、著者自身後書きで述べているように、おそらく憲法論議はさらに豊かで複雑な、太く曲線的な議論を経なければならないでしょう。例えば、本書では国家を論じる際に社会契約説を強く打ち出していますが、ナショナリズム等の問題は(明示的に)回避されています。民族や文明といった問題が入ってきたときには、おそらく本書の枠組みだけで法や政治を語ることは不可能でしょう。また、著者は権力分立や法の支配を重視する立場から首相公選制より現行の議院内閣制を支持していますが、仮に制度として優れていたとしても、それが現在の日本政治の機能不全(小泉政権による構造改革が実施されるにせよされないにせよ、少なくとも現在では歩みは遅々としています)にどのように対処できるかは不明です。あるいは、それは本書の領域を超える問題ということかもしれません「日本は、今、憲法論議が過剰であり、かつ過少である、といった状況にあると思います。憲法の本質を知らないままに自分の思い込みによって憲法を論じたり、自分の主張に都合の良い憲法解釈を展開する傾向が強いという意味で過剰であり、にもかかわらず、憲法の本質をしっかり踏まえた議論がほとんどなされていないという意味で過少なのです」(218頁)という著者のメッセージを重く受け止めて、この本の議論とともに、あるいはこの本の議論に反して、憲法を考えていく「練習」が私たちにも求められているといっていいでしょうか。靖国参拝問題や、外国人参政権問題など、具体的な問題がちりばめられている本書は、まさに「招待」という意味で格好の入門書になっていると思います。

2001年12月9日
文責 早川 誠