2000年度立正大学政治学原論・政治学概論
閉講の辞


 今年度の講義を締めくくるにあたって、この1年間の講義で皆さんに伝えたいと思っていたことを、少しまとめて話してみたいと思います。
 まずわかっておいていただきたいのは、この授業が、日本やあるいは世界の政治、社会の将来ということについて、皆さんが明るい希望や夢を持つことができるように、という目的をもって講義されたのではない、ということです。もし、小学生や中学生に対して政治を教えようとするのであれば、そうしたかもしれません。しかし、皆さんは小学生や中学生ではない。
 この講義を通じて一貫して私が主張してきたテーマの一つは、いかに政治の世界が残酷であり、無慈悲であり、不完全であり、汚いものであるか、ということでした。例えば民主主義という私達が普通はごく当たり前のように良いものであると考えているイデオロギーにしても、それがあるいは戦争への市民の参加拡大から生まれたものであるということ、あるいはシステムの機能からするならば独裁制に劣るものでありうるということなどをお話してきました。両方ともアメリカについて例を出しますが、最初の点を考えるならば、アメリカが銃社会であるのはむしろ民主主義国家であるからだともいえますし、今回の大統領選挙の混乱も民主主義国家だからだとも考えられる。そう考えると、拳銃の所有を認めていない日本はアメリカに比べて優れた民主主義国であるとか、アメリカほどの民主主義国家でどうして大統領選挙の混乱がおきるのかとか、そういったいわばおめでたい、でも、多くの人々に共有されている政治認識がいかに稚拙なものであるかがわかっていただけると思います。民主主義を否定しているわけではありません。政治学者として、私は、民主主義が現在人間の利用し得る最高のシステムの一つであると考えています。しかし、「民主主義さえ完璧に実現されればそれで政治的な問題は全てなくなる」、そんな簡単なことではないのです。この意味で、私達が考えている「良い政治」「優れた政治」というものは実は先入観でしかない。この世の中に、言葉の純粋な意味での「良い政治」や「優れた政治」というものは存在していないんです。
 こうした認識からはいくつかの結論が導かれます。一つは、この1年間皆さんが受けてきたこの政治学の講義が、おそらく無駄であった、ということです。今言ったように、理想の政治システムはまだ見つかっていない。ということは、これまで私がお話してきた様々な制度や考え方は、全て失敗した、ということになります。皆さんが1年という時間をかけて見てきたのは、人間社会をより良いものにしようとする試みが、2500年間に渡って失敗し続けてきた、その失敗の歴史に他なりません。だからおそらく、この講義はせいぜい、皆さんが公務員試験を受験したり、あるいは期末試験で優をとったりすることにしか役に立たない。優を取ったとしてもそれはしょせん失敗した試みの歴史に関する知識です。卒業するための単位以外には何の役にも立たないでしょう。
 そしてもう一つ、皆さんは、これから先、ずっと責められ続ける。僕たちの世代と同じようにです。皆さんは、もう人から物事を学ぶと言う年齢を終えつつあります。短い人はあと数ヶ月、長い人でも数年で、皆さんは教わる側から教える側に回る。教員として教えるのか、自分の子供に教えるのか、それとも次の世代に対して前の世代の大人として教えるのか、どのような立場かはわかりませんが、とにかく教える立場に立つということだけは間違いない。そうするとこんな風に聞かれるようになります。「なぜ、あなた方は、こんな夢も希望も持てないような社会を私達に与えるのか。こんな社会では、私達は生きる意味を見出せない。私達がこんなに苦しい思いをするのは、あなた方の責任だ。あなた方大人がもっと良い社会を作らなかったから、私達がこんな思いをしなければならないんだ。」おそらく、皆さんは、それは自分達の責任ではない、と思うでしょう。そして、それは真実です。別に皆さんが夢をもてない社会を作ったわけではない。さっき言ったように、社会科学は2500年間、失敗し続けてきたのですから。でも、そういう言い訳、言い訳といっても本当のことなわけですが、その言い訳は後から来る世代には通用しない。後から来る世代にとっては、社会を動かしているのは、自分達にとっての大人、つまり紛れもなく皆さん方ですから。だから、皆さんに逃げ道はない。好きだろうと嫌いだろうと、皆さんは答えなければならないんです。「違う。社会は、いずれもっと良くなる。良くすることができる。自分は、そのためのヴィジョンを持っている」と。もし答えられないのならば、皆さんは、私たちの世代と同じ運命をたどることになる。本来ならば将来への明るい見通しを伝えてよいはずの、こうした晴れがましい講義の場で、あるいは他に次の世代に向けて話をする色々な場所で、いかに今の社会が暗く寂しいものであるかを伝えなければならないということになる。
 もっとも、僕たちの世代もあきらめてしまったわけではありません。もし完全にあきらめてしまったのならば、こんなところで必死になって喋ったりしていません。あきらめているのなら、講義もゼミも適当に流して、そこそこの給料とボーナスをもらって、平和に暮らしている方がよっぽど楽です。単位さえ垂れ流しにしておけば、それで別に学生から苦情も殺到しないでしょうし。
 ただ、いずれにしろこれは難しい仕事です。人間が今まで成功したことのない実験を成功させようという試みですから。そのためには、一人でも多くの仲間が欲しい。別に僕と同じ考え方を持っている人を集めて徒党を組もうというのではありません。自分のコピーを作るためにこうして授業をしているわけじゃない。ただ、まだ社会を良くすることが可能だと信じてくれている人が、世界の色々な場所にいて欲しい。そして、もしごく僅かなチャンスでもあるのであれば、ほんの少しだけ社会を良いものにするという、ほとんど面白みなど何もない地味な仕事を、それぞれの場所で、自分なりのやり方で、引き受けて欲しい。そう思っています。
 今日で、皆さんは私から学ぶという作業を終えます。そしてあと何分かして、この教室のドアから一歩外へ踏み出した時、私と皆さんは、教員と学生ではなく、完全に対等な、同じ一票の権利を持った市民同士となります。その後、いつかお会いする機会があるのか、会えるとしても味方として出会うことになるのか、敵として出会うことになるのかはわかりません。でも今度は、こんな狭く薄暗い教室という場所ではなく、社会という人と人との広大なつながりの中で皆さんとお会いできる日が来ることを、楽しみにしています。その広大な社会こそが、本来の政治の舞台であり、本当の政治学の力が試される場所なのですから。
 それでは、これで本年度の政治学概論・政治学原論の講義を終了いたします。
 一年間、どうもありがとうございました。