月と太陽の螺旋
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第九章 神殿の使者

 王都カンザは、普段とまったく変わらない活気で溢れていた。一見しただけでは、つい先日まで侵略軍の占領下にあったとはとても思えないほどだ。
 その理由のひとつとして、市街地や城壁にほとんど破壊の跡が見当たらないことが挙げられる。背後から襲われ、本格的な市街戦が行われるより先に王宮が陥落したという今回の攻防戦の特殊さから、被害の大半は北側の城壁や王宮などあまり庶民の目に触れることのない区画に集中し、また指揮官ユンギルが無用な破壊や殺戮を厳しく禁じたこともあって、カンザという都市そのものはほとんど無傷で保たれたのである。
 そして、占領期間そのものが短く、解放後のヴァーニらによる秩序再建が迅速かつ適切に行われたこともあって、住人たちはそれほど違和感もなく普段の生活に戻ることができたのだった。街路に立つ兵士の姿が目につくことだけが平時とは違っていたが、それも監視ではなくほとんど市民や商人たちの苦情や質問受付といった体であったし、それがサウザー兵ではなくラキトス兵であるというだけで、ラキトス人にとっては歓迎すべき光景なのであった。
 その王都の喧噪の中をひとりの少年が駆けていた。腕には屋台で買い込んだ食べ物を抱えている。身長は平均的だが、やさしげな顔立ちの、すらりと整った容姿の持ち主だ。同年代の少女十人とすれ違えば、そのうちの三、四人は振り返るだろう。
 少年は城門前広場に停められていた一台の荷馬車に駆け寄ると、空の荷台に飛び乗るようにして、出発の支度を整えていた姉に声をかけた。
「姉ちゃん、やっぱりそうだよ。絶対リューオだって。まるでジルヴァ姫将軍の再来みたいだったってみんな噂してるし!」
 興奮気味にまくしたてる弟を、ユネは御者台に足をかけながらやや呆れた表情で振り返った。
「姫将軍の再来っていうのは、王女殿下がリューオだって確信する理由になるの?」
「なるよ。だってオレ想像してみたんだけど、姫将軍の軍装のリューオってすごく似合ってるし。リューオなら絶対そう言われるし。見てなくてもオレにはわかる」
「あんたのそれは想像っていうより妄想でしょ」
「妄想ってなんだよ、失礼な。ていうか代わって、オレがそっち座るから。姉ちゃんが手綱取ると暴走気味で危険だし」
「ちょっと、失礼なのはどっちよ」
「これは客観的な事実だから。あ、昼飯買ってきたから食おうよ」
 呑気に言い合いながら出発し、城門をくぐって南へ下る街道に出る。サウザー軍の主力を討つためにリリズへ向かった王女の軍が通ったのと同じ道だ。
「だいたい姉ちゃんだって、冷静ぶってるけどほんとは気になってるんじゃん。情勢が落ち着くまで待つって言ってたのにもう商売再開してるしさ」
「誰かがあんまりそわそわしてるから、やむを得ずね」
 本当をいえば、リューオを送り出した後、いまひとつ落ち着かなかったのはシュウもユネも同じだ。
 栗色の髪の少女が姉弟のもとを去って間もなく、挙兵を宣言する王女の布告が発せられた。クィーゼまでにかかる移動の日数を考えると少し早すぎるようにも思えたが、それだけを理由にリューオとは関係のない事柄であると断定してしまうことはできなかった。
 シュウが目に見えて落ち着かなくなったのは、もし王女がリューオなら、安全な後方に留まるよりも自ら戦場に立つことを選ぶかもしれないと考えたからだった。しかし、実際にはその予想でさえ甘いと言わざるを得なかった。王女セフィアはわずかな兵力を率いただけで鮮やかに王都奪還を果たし、その上で戦場に向かったというのである。銀の鎧に身を包んで毅然と馬を進める王女のイメージと、別れる直前のリューオの凛とした表情を重ね合わせるのは、まったく難しいことではなかった。
「やっぱりオレも志願兵として駆けつけるべきだったかなぁ……」
「あんたひとり程度が行こうが行くまいが、大勢にもリューオの身の安全にもまったく影響しないわよ」
「あ、ホラ姉ちゃんもリューオが王女だって思ってるじゃん」
「思ってないとは言ってないでしょ。ただあたしはあんたと違って妄想は根拠にしない主義なの」
「妄想って言うな」
 憮然と抗議しつつも、シュウは手綱を操って進路を変える。そのまま街道を南に下ればやがてイズアラ平原に行き着くが、目的の町に行くためには途中で方向を変える必要があった。
 “それ”が降ってきたのは、姉弟の荷馬車が街道を逸れてしばらく進んだときだった。
 おんぼろの幌を突き破って、叩きつけるような衝撃が荷車を大きく揺らす。呑気な馬のミカンもさすがに驚いたらしく、高くいなないて棒立ちになり、シュウが慌てて宥めた。
「どう、こらミカン、大丈夫だから落ちつけって。ちょっと姉ちゃん、なにごと?」
「人が降ってきたわ」
「は?」
「上から人間が落ちてきたの」
「上って空しかないけど」
「だから、空から」
 振り返って荷台をのぞき込んだシュウは、思わず「うわっ」と声を上げた。
「誰!」
「だから降ってきたってさっきから言ってるでしょう」
「いきなり頭上から謎の男が降ってきて、しかも危うくその下敷きになるところだったってのにどうしてそんなに落ち着いていられるのか、オレはものすごく聞きたいよ」
 言いながらもシュウは御者台を飛び下り、荷台の後ろに回り込んだ。まだ荷物を積む前の荷台はほとんど空だ。かろうじて壊れてはいないようだったが、先程の音からしてかなりの衝撃だったことは間違いない。その真ん中に、二十代の前半くらいに見える青年がぐったりと倒れていた。意識がないのかぴくりとも動かない。おまけに怪我だらけで、服のあちこちが血で赤く染まっていた。
「なにこれ、今した怪我……じゃないよね。ええと、止血、薬、とにかく手当てしないとマズイよ」
「この服装……まさか神官?」
 そのとき、青年の目がうっすらと開いた。乱れた薄茶の髪の間から、淡いアイスブルーの双眸がのぞく。
 青年は顔をしかめながら身体を起こすと、自分をのぞき込んでいたユネとシュウを見て軽く頭を下げた。
「お騒がせしてすみません。どうも失礼しました」
 かすれた声でやけに礼儀正しく言い、ぎこちない動作で荷台を降りる。そのまま立ち去ろうとしたらしいのだが、よろめいてどさりと道脇に倒れ込んだ。それでもまた起き上がろうとするのを、慌てて駆け寄ったシュウが押しとどめる。
「無理だって。動ける状態じゃないって、あんた。ちょっとおとなしくしてろ」
「シュウ、薬」
 ユネが荷物の中から取り出した袋を投げて寄越す。わけのわからない青年だが、こんな状態で放っておくわけにはいかなかった。
「いえ……俺は大丈夫ですから、どうかお構いなく」
「どう見ても大丈夫じゃないでしょう。いいからじっとしてて。幸い薬なら二人旅とは思えないほど量も種類もそろってるし」
「ノイエンのじいさんも素直じゃないからな。心配なら心配だって言えばいいのに」
 軽口を叩きながらも、シュウの手際はいい。ふたりは手分けして手当てに取りかかったが、不意にユネがあっと声を上げた。
「なんなの、これ……!」
 地面から奇妙な蔦が伸び出して、青年の腕に絡みついていた。半透明で鈍く明滅しながら、一本、また一本と地中から姿を現し、青年を地面に縫い止めようとするかのように横たわる身体に這い登る。シュウも気づいて思わず「うへっ」と腰を浮かせたが、蔦はシュウやユネには触れようともしなかった。
 青年はまた閉じていた目を開けると、身体に絡みつく蔦を見やって忌々しげに舌打ちした。
「くそっ……しつこい術を……!」
「あなた、やっぱり神殿の関係者ね? どういうこと、神殿に追われているの?」
「なんかさ……ただの怪我人とか病人じゃなくて妙なワケありばっかり拾っちゃうのって、何かの宿命? そういう巡り合わせなわけ? まあ、リューオはいいんだけどさ。うん、全然いいんだけど」
 シュウの呑気なつぶやきに、青年が驚いたように顔を上げた。
「リューオ? 彼女を知っているんですか?」
「いや、いきなり彼女とか言われてもどの彼女? って感じだけど。あんたの知り合いにも同じ名前の人がいるんだ?」
 内心はどうであれ、欠片ほどの警戒心も見せずにシュウは首をかしげる。あの赤毛の剣士のときのように最初から気圧されて動揺していなければ、彼とて無邪気にシラを切るのは得意なのである。
 しかし、青年はシュウの言葉など聞いていないかのように、かすかに眉根を寄せてじっと姉弟を凝視した。ややして、得心したようにつぶやく。
「そうか、あなたたちはあのときの……この地点に落ちたのは、そういう縁もあってのことか……」
 言いながら、からみつく蔦を引きちぎって上半身を起こす。ユネが手を貸してそばの木に寄りかからせたが、それだけの動作でもかなりの力を要するのか、息が上がり、額にもうっすらと汗がにじんでいた。光る蔦のほうも、彼の動作に合わせて背後の幹からも触手を伸ばしてくる。
「頼みがあります」
 真剣な、必死と言ってもいい眼差しがシュウとユネに向けられた。
「俺はダーシェンの正三位神官で、イアスといいます。リリズにいるラキトス軍の本営へ伝えてください。王女はダーシェンに連れ去られたと」
 このときばかりは、シュウも平静ではいられなかった。誤魔化すことも忘れ、思わず青年のほうに身を乗り出す。
「王女? 待って、王女ってリューオのこと? 王女はラキトス軍と一緒にリリズにいるはずだろ? 攫われたってどういう……!」
「頼みます。俺はどうやらこの場から動けない。急がなければ取り返しがつかなくなる」
 シュウはユネを振り返った。目を見交わして小さくうなずき合い、イアスに視線を戻す。
「よくわからないけど、リューオとラキトス軍に何か大変なことが起こってるんだな? わかった、その伝言、オレたちが届ける」
 イアスはかすかにうなずくと、左腕を持ち上げた。神官身分を表す銀の腕輪がにぶく光を弾く。留め具もなく、溶接されたそれは、切断しない限り外すことはできない。
 その腕輪の周囲に小さな火花が散った。チリ、と空気が震える。次の瞬間、するどい光を放って腕輪が割れた。
 真っ二つになった破片の片方を、イアスがシュウに差し出す。
「これを。イアスからだと、王女の護衛官に伝えてもらえばわかります」
「まかせろ」
 いくら代理人であることの証明のためとはいえ、この地上でもっとも権威のある神官身分の証を迷わず壊したのである。腕輪を受け取ることは、彼の覚悟を受け取ることと同義だった。
「よろしくお願いします。お礼はいずれ、必ず」
「いいからそんなことは。リューオの一大事なら、オレたちにだって他人事じゃない」
「出すわよ、シュウ。どこか途中の町で頑丈な馬を手に入れるから、あんたが腕輪を持って先に行ってちょうだい。このままミカンの足で行くより、そのほうが確実に早い」
「わかった」
 ユネはすでに御者台で手綱を握っている。シュウが荷台に飛び乗ったとき、「待ってください」とイアスが声を上げた。
「リリズの近くまで送ります。そのくらいならできますから」
「送るって……」
 聞き返す間もなく、金色に輝く線が地面を走った。その軌跡は正確に真円を描き、内側に複雑な神聖文字が浮かび上がる。イアスが何か唱えているのはわかったが、音が遮断されているのか、こちら側にはその声は聞こえなかった。
 そして、まばゆい金色の光が膨れ上がり、何も見えなくなった。


 姉弟の荷馬車を送り出すと、イアスは再び木の幹に背を預けた。
 結論からいえば、彼は一度、オルジアンたちに敗れたのである。幾重にも張り巡らされた拘束の術式は、監禁というより封印の域に達していた。生半可な処置ではすぐに逃げられるとわかっていたからだろう。実際、イアスはその手の前科に事欠かない。
 まったく、魔術とは術師の性格をよく反映するものだと思う。オルジアンが中心となって施した封縛の術は嫌になるほど正確で隙がなく、おまけにしつこかった。なんとか脱出を果たしてもなお、まだこうしてイアスの動きを封じようとしている。ねばり強いのもほどほどにしてほしいところだ。
 晴れ渡った初冬の空には、ぼんやりとした金色の弧状の筋が浮かんでいる。それが雲でも光の乱反射の産物でもないことを、イアスは知っていた。
「“金の蛇”……」
 呻くようにつぶやく。
 それは災厄の前兆だ。天地の理に大きな歪みが生じる不穏な先触れ。五百年前の“大異変”の前には、美しく輝く金色の帯が数ヶ月にも渡って天空を彩り、特に漆黒の夜空にかかるさまはえも言われぬ美しさだったという。
 ナーエの限界が近づいているのだ。
 この“金の蛇”の出現がオルジアンたちに、強硬手段に訴えることを決意させた。
 ナーエが導こうとした運命はことごとくその予測値を外れ、手をつかねていればリューオがこのままラキトスの女王として生きることはもはや明らかだった。新たな手段を講じている猶予はなく、強引に拉致してでもリューオをナーエの後継に据えるしかないと、彼らは判断したのだ。
 だが、それでは何の意味もない。たとえその目論見が成功したところで、また同じことが繰り返されるだけだ。同じ犠牲と苦しみが、同じように。
 イアスはしばらく目を閉じて体力の回復を待った。あの姉弟を送り出してから通りかかる人間がひとりもいないのは、イアスを縫い止めている呪縛が一種の結界装置の働きもしているせいだった。この道を通ろうとした旅人や商人たちは、みな磁場の狂った森に迷い込んだように同じ場所をぐるぐると堂々巡りしていることだろう。迷惑極まりない話だ。ぜひ苦情を言ってやってほしい。オルジアンに。
 次にイアスの薄水色の両目がとらえたのは、青い夕闇の中に沈む景色だった。空には、星とともに天球をめぐることもなく無秩序に方角を変え高度を変え、だが決して消えることなく朧に浮かぶ淡い金の帯。イアスはひとつ息を吸い込むと、渾身の力を込めて魔導の蔦を引きちぎった。
 蔦は抗議するようにせわしく明滅し、イアスの全身を激しい痛みが襲う。歯を食いしばって両腕を自由にし、背中を引き離し、幹に手をついて身体を支えながら立ち上がると、しつこくその手に絡みついてくる触手を焼き払い浄化する。
「まったく、本当に厄介な……」
 つぶやく声はほとんど声にならず、喘ぐように荒い呼吸を繰り返す。一度破った後の残滓だけでもこれほどなのだ。彼らがいかに念入りにイアスを拘束しようとしたかが知れるというものである。
 イアスはこめかみをつたう血を神官服の袖口で拭うと、街道に通じる方向に歩き出した。少しふらついたが、今度は倒れない。束縛を脱したとはいえ、彼自身を移動させる空間転移はまだ危険だった。先程のように途中落下しては元も子もない。
 不幸なのは、そのときたまたまカンザ方面に向かっていたラキトス軍の巡回兵だった。彼は先程からちっとも脇道から街道に出ることができずに困り果てており、実は二重にとばっちりを受けたことになるのだが、やっとこれで夜までに城門に着けそうだと馬の足を速めたところで、突然何かに引っ張られるようにして鞍から転げ落ち、何が何だかわからないうちに気を失ってしまったのである。
 まんまと馬を強奪した不届きな青年神官は、茂みの中に放り込まれて目を回している不運な兵士に向かって軽く手を上げた。
「すみません、後でちゃんと返しますから。ラキトスの危機でもあるんで大目に見て下さい」
 ひらりと鞍にまたがり、馬首を返す。レオンへの伝言はもう頼んである。向かうはダーシェンだった。


          *

 夜が明けたとき、王女の天幕はすでに空になっていた。
 それを発見したのは、セフィアの身辺警備を任されている近衛兵たちである。彼らの王女は兵士たちと同じ時間に起床し、同じ内容の食事を取るのを常としていた。その王女がその日に限ってはなかなか天幕から出てこないことを不審に思った彼らが、体調でも優れないのかと声をかけ、それでも応答がないのでとうとう中をのぞき込み、そこでようやく事態が発覚したのだった。
 すぐさま周辺の捜索が行われた。男ばかりの軍隊の中で、いくら武装に身を包もうともリューオの姿は目立つ。いればすぐに分かるし、もし夜陰に紛れて自ら陣営地を抜け出したのだとしても、天幕の出入り口に立つ不寝番や交替で見張りを行う兵士たちの目を完全に欺けるとは考えにくかった。何より、そのような行動に出る理由がない。
 捜索はカーヴァルの指示で密かに、そして迅速に行われたが、司令部の慌ただしい動きを一般の兵士たちに対して完全に隠しおおすことはできなかった。また、いつまでも隠し事にしておくわけにもいかなかった。一兵卒の脱走というならともかく、ことは全軍に関わるのだ。
 堅固に築かれた陣営地の中心から王女セフィアが消えたという事実は、ラキトス軍全体を激しく動揺させた。しかし問題は、それが単なる動揺に収まらず、怒りに転化したことにあった。
「サウザー軍の仕業だ!」
 兵士たちは口々にそう叫んだ。
「あいつら、講和を受けると見せかけて殿下を油断させておいて、その隙をついて殿下を連れ去ったに違いない」
 サウザー軍内部で意見が決裂したのだ、という者もいた。
「ユンギル王子は本気で応じるつもりだったが、反対した部下が強硬手段に出たに違いない。姫様を人質にして講和条件の変更を要求してくるつもりだ」
 どちらにしろ、サウザー軍が王女の身柄を楯にしてラキトス軍に脅しをかけようとしているに違いないという点では一致していた。
 そして、このときばかりは兵士たちの王女への心酔と忠誠心が裏目に出た。怒りに駆られた一部の部隊が、確固たる証拠もないままサウザー軍に襲いかかったのである。
 しかし、突然王女を拉致した犯人と決めつけられ、襲撃されたサウザー兵のほうも黙ってはいなかった。彼らは取り上げられた武装の置き場所を襲って武器や防具を取り戻し、猛然と反撃に出たのである。濡れ衣を着せられた怒りからか、とにかく一度撃退しないと話もできないと思ったからなのか、おそらくその両方だったのだろうが、これもまた火に油を注ぐ結果となった。
 野を焼く火のように、混乱は瞬く間に拡大した。両軍とも上位の指揮官ともなれば簡単には感化されなかったが、もはや指揮系統などという次元の問題ではない、剥き出しの敵意と怒りの無秩序なぶつかり合いである。事態の収拾は容易なことではなかった。
「一体どういうつもりだ、あいつは!」
 苛立ちもあらわにレオンが拳を机に叩きつける。ラキトス軍の陣幕のひとつに、カーヴァルら幕僚たちが顔を揃えていた。ただし、フェレイを筆頭に手分けして混乱の沈静化にあたっているため、全員とはいかなかったが。
「殿下が自らの意思で出て行かれたとは考えにくい。今の時期の重要さは、誰よりも殿下ご自身が理解しておられるはずです」
 ヴァーニの言葉に、レオンはくしゃくしゃと鮮やかな緋色の髪をかき回した。
「そんなことはわかってる。俺が言いたいのは、簡単に拉致されやがってあの馬鹿、って話だ」
「問題は」冷ややかなほど落ち着いた声音でカーヴァルが言った。「誰に、どのようにして拉致されたのか、ということです」
 彼らの間では、サウザー軍の仕業ではないという認識で一致していた。ユンギルがそのような短絡的かつ自らを不利にするだけの手段に訴えるはずもなく、また、これまでのサウザー軍の戦いぶりから見ても彼の統率力の高さは明らかだ。部下の暴走ということもないだろう。仮に彼らがそれを目論んだとしても、厳重に警備された本営から騒ぎひとつ起こすことなく王女を連れ去るという行為は、物理的にも困難を極める。
 つまり、状況は限りなく「犯行」よりも「神隠し」に近かったのだ。そしてレオンには、そういったことが可能な、その上、動機も十分と考えられる相手に心当たりがあった。
「おい、おまえら、いいからちょっと黙って聞けよ。こうなったら可能性はひとつだ。あいつはおそらく……」
 しかし、赤毛の傭兵が最後まで言い終えることはなかった。上げたままにしていた天幕の出入り口から、ひときわ大きな喚声が飛び込んできたのである。
「何事だ?」
 ヴァーニが眉をひそめて振り返る。
 外に出ると、彼らのいた天幕からさほど離れていない一画に人だかりができていた。陣営地を囲む柵に群がって、一様に何事かわめき立てている。
 見れば、森の中の道から走り出てきたらしい一台の荷馬車がこちらに向かってこようとしていた。しかも、突っ込んでくるとしか形容のしようがない、馬に鞭をくれての全力疾走である。ぼろぼろのみずぼらしい幌といい、疲れた雰囲気を醸し出している馬といい、明らかに軍用ではなく民間人、しかもしょぼくれた民間人のものだったが、一直線に丘を駆け上ってくる様子にはただならぬ気迫がある。
 停止を命じる叫び声や合図にも、荷馬車はまったく応じる気配がなかった。殺せ、という声もあちこちから上がっている。彼らは「殿下を誘拐した犯人の一味だ!」「針鼠にしてやれ!」と口々に叫び、すでに何人かは矢をつがえていつでも馬と御者を射殺せるよう狙いを定めていた。ここにいるのはサウザー軍との乱闘には参加していない者たちだが、彼らも気は立っているのだ。
「何者でしょう」
「少なくとも、道を尋ねに来た旅人でないことだけは確かでしょうな」
 ヴァーニのつぶやきに淡々と答えたカーヴァルが「殺さずに捕らえよ」と命じたとき、不意に兵士たちのざわめきが静まった。
 待ち構えていた兵士たちの一群に飲み込まれる寸前で馬車を急停止させ、荷台から飛び下りた若い娘が、銀色に輝くものを高く頭上に掲げてこう叫んだのである。
「私たちは神殿の代理人です。王女殿下の護衛官に会わせてください!」


 腕輪の効果は抜群だった。
 陽光を弾いてきらめくその銀の腕輪の意味に気づくと、ラキトス兵たちは武器を下ろして次々と片膝をついた。これが神殿の持つ権威であり、イアスを神官と知っても態度を変えなかったユネたちのほうが変わり者なのである。
 だが、次の瞬間、シュウがあっと声を上げた。人垣の後ろから歩み出てきた長身の青年が見覚えのある人物だったのだ。
「あんた、あのときの……!」
「妙な縁だな。おまえらが神殿の関係者だとは知らなかったが」
 言葉の内容よりも、平静そのものといったその口調と表情が、シュウの頭に血を上らせた。考えるより先に手を伸ばし、自分より背の高い相手の胸ぐらをつかむ。
「そんなこと呑気に言ってる場合かよ! あんたがついてて、なんでリューオが攫われたりしてるんだ! ちゃんと守れって言っただろ!?」
「シュウ」
 ユネが弟をたしなめる。それから、改めて緋色の髪の青年に向き直った。
「ダーシェン神殿のイアス正三位神官様からお預かりしました。――渡す相手は、あなたでいいのね?」
 その確認には額面通りの意味以上のものが含まれていたが、レオンはシュウの手を無造作に振りほどき、差し出された腕輪の破片をちらりと一瞥しただけだった。
「話を聞く。ついて来い」
 言うだけ言って、さっさと踵を返して歩き出す。シュウはなおも口を開きかけたが、すんでのところで言葉を飲み込み、手近にいた兵士にミカンの手綱を預けてユネとともにその後を追った。滅多にしない全力疾走をさせられたミカンは息も絶え絶えで、もしイアスに飛ばされた場所からラキトス軍の陣営地がもう少し遠ければ、兵士たちの矢に射られるまでもなく自滅していたことだろう。
 “神殿の使者”が通り過ぎると、他の兵士たちもすぐに立ち上がって持ち場に戻り始めた。慌ただしく命令の飛び交う声も復活する。シュウたちがやってきたのはサウザー軍の宿営があるのとは反対の方向からだったが、ラキトス軍陣営地の様子が尋常でなく、サウザー軍との間で暴動に近い乱戦状態になっている様子も見て取れた。それでも問答無用で突っ込むことに決めたのは、だからこそ急ぐ必要があると判断したためだった。
「サウザーの王子を捕虜にして、一度は決着がついた。講和を結ぶってことで話もついた。それが昨日だ。今日になってあいつが消えて、サウザー軍に疑いの目が向いてこの騒ぎになった」
 殺気立った陣営地の中を足早に通り抜けながら、振り返らずにレオンが言う。シュウは何気なくその言葉に耳を傾けてから、彼がシュウたちのために状況を説明してくれているのだと気づいた。
 そして、さらに一拍を置いてその意味するところの重大さが飲み込めた。一度は講和の約束が結ばれた。だがそれが破られたと誤解されてしまっているのだ。誓いを破った敵は、単なる侵略者以上の憎悪の的になる。混乱の拡大は、この場の戦闘だけでなく、終わったはずの戦争そのものの再開にも繋がりかねないのだ。王女としてのリューオの存在は、それほどに重い。イアスが急いでいたのも、おそらくこのあたりの事情も考慮してのことだったのだろう。
 連れて行かれた天幕で、改めて説明を求められた。そこにはレオンだけでなく、シュウやユネでも顔を知っているヴァーニ将軍を筆頭としたラキトス軍幹部が顔をそろえていたが、物怖じとか萎縮という単語とは縁のない姉弟である。イアスと出会った状況と託された言葉とを、手短かつ正確に説明する。
「……で、イアス正三位は腕輪を壊してまでオレたちに託した。あんたに渡せばわかると言われた。オレたちの役目はここまでだ」
 だからさっさと動け、リューオを助けるために行動を起こせと、シュウは暗に言っている。
 短い沈黙の後、最初に口を開いたのはカーヴァルだった。
「レオザルク、先程おまえが言いかけたのはこのことか」
「ああ」レオンは無造作にうなずいた。「濃厚な可能性だったのが事実に変わっちまったがな」
「しかし、どういうことです。なぜダーシェン大神殿が殿下を?」
 ヴァーニの問いはその場の全員の心情を代弁したものだ。幕僚たちだけでなく、行商人姉弟の視線も、赤い髪をした背の高い傭兵に向けられる。
「どうもこうも、そもそもこの戦争はダーシェンに踊らされて始まったようなもんなんだよ。連中の狙いは、最初からあいつだった。生きる場所と理由を奪った上であいつを手に入れるために、サウザーは体よく利用されただけだ。おそらく思うようにことが運ばなかったことに焦れて、平和的にケリがついちまう前に強硬手段に訴えることにしたんだろう。てめえらで散々掻き回しておいて今さら」
 淡々とした口調の中で、最後の言葉だけが吐き捨てるように鋭かった。
 その段になって、ようやくシュウにもわかった。レオンは平静ではない。まったく落ち着いてなどいないのだ。榛色の瞳に浮かぶ光の鋭さに、今さらのように気づく。
 ダーシェンの神殿長ナーエが後継者としてリューオを欲している。それはリューオが、次の「ナーエ」となるための条件を満たした、稀有な体質の持ち主であるからだという。
 それらの説明に対し、驚く声は上がったが、馬鹿なと否定する言葉はひとりとして口にしなかった。それは、シュウたちがもたらした「神官の腕輪つきの伝言」に対する信用からだけではない。
 すでに事実が存在しているからだ。ラキトスと結んでいたはずのナギ神殿は、サウザー軍の領内通過を黙認したばかりか、ラキトスへの連絡さえ怠った。それはこの戦に神殿組織が関与した、しかもラキトスに不利な形で関与したという証拠だ。
「では、ダーシェンが殿下を人質にして我々に何か要求をつきつけてくるという線もないわけだな」
「ないだろう。敢えていうとしたら、サウザー軍に全面降伏でもしてラキトスって国を跡形もなく解体しちまうってところだろうが」
「なるほど、それは確かにないな。その条件を呑めば、逆に我々にとって殿下は必要ではなくなる」
 必要なのはラキトスの王女であってリューオという個人ではない、という意味だ。当たり前のような言い様にシュウが噛みついた。
「おい、そういう言い方ってないだろ!? 要るとか要らないとか道具みたいに。王女様自身の心配はしないのかよ!」
 最初は動揺もあってリューオという呼び名を使ってしまったが、さすがに天幕に入ってからはユネもシュウも「王女殿下」や「セフィア様」で通している。その名前が身分を隠すために使われた便宜的なものだとわかっているからだが、少なくともシュウは使いたくなかったのだ。こんな場所では。リューオというのは、彼女が自分の口でシュウたちに教えてくれた、大切な名前だったから。
「それがあの方の選ばれた道だ」
 カーヴァルの返答は冷ややかだった。
「その覚悟をされたからこそ、我々はあの方に従ってここにいる」
「…………」
 言い返す言葉がなく、ぐっと歯を食いしばる。そんなことは、シュウにだってわかってはいるのだ。
「となれば、我々がまず決めなければならないのは、セフィア殿下をダーシェンから取り返す試みをするか否かということです」
 やや口調を改めてカーヴァルが居並ぶ顔を見回した。如何にして取り戻すか、ではなく、取り戻すべきか否か、である。
 誰もが一瞬押し黙った。セフィアはラキトス王国に残された最後の王族であり、今やラキトス軍にとっても欠くことを許されない人物になっている。相手がサウザーや別の近隣国であったなら、彼らは牙を剥くことを躊躇ったりはしないだろう。
 だが、相手が神殿、それもダーシェン大神殿ともなると事情が違ってくる。神殿への畏敬の念は、人々の意識深くにすり込まれた第二の本能のようなものだ。その上、神殿に弓引くことは、世界最高の権威を敵に回すことと同義である。容易に決断できることではなかった。
 沈黙を破ったのはレオンだった。
「俺が行く」
 迷いを振り切った声、ではない。最初からそう決めていた、一切の躊躇のない声だった。
「幸い俺はラキトスの家臣でもなんでもない、あいつ個人に雇われた護衛だ。何かあったら混乱のどさくさに紛れた傭兵の独断で通せ。悪いがカーヴァル、おまえの名前を勝手に出して手勢を少し借りるぞ」
 言うだけ言って、返事も待たずにさっさと天幕を出ようとする。
 だが、一歩外へ踏み出したところでレオンは足を止めた。わずかに目を細めて顔を上げる。その視界に映ったのは、周囲のラキトス兵たちを蹴散らさんばかりの勢いで疾駆してくる騎馬の一群だった。
 制止の叫び声にまったく応じないのは先程の行商人姉弟と同じだが、弓や槍を構える者はいない。本営の警備にあたる兵士たちともなれば、彼らに矢を射かけることの重大さは心得ていた。
 天幕前の広場に躍り込んできた騎士たちの軍装はサウザー軍のものだった。先頭の若者は兜すら被らず、あざやかな金色の髪を陽光にさらしている。完全武装ではないのも、十騎に満たない少数であることも、必要以上にラキトス側を刺激しないための配慮だろう。
 彼らは手綱を引き絞って馬を急停止させると、すぐに鞍を降りた。サウザーの若き王子が声を張り上げる。
「ラキトス軍の最高司令官と話をしたい。カーヴァル卿はこちらにおられるか!」
 しかし、すぐには誰も動かなかった。当然だろう。王女誘拐を疑われている当の人物がラキトス陣営のただ中に、しかも強引に割り込むようにしてやってきたのだ。攻撃は控えたとはいえ、とても和やかに出迎える雰囲気ではない。
 緊張した空気の中、レオンだけが平然とした様子で彼らに歩み寄った。
「よう、王子殿下。よくここまで来られたな」
 ユンギルのほうもレオンの姿を認め、「ええ」と応じた。
「敵軍の正面突破でもするほうがまだ楽でしたよ。それより、セフィア姫がいなくなったというのは事実なのですか」
「ああ。厄介なことにはるばるダーシェンまで出張中らしい」
「ダーシェン……まさか神殿が?」
 ユンギルの見せた驚きは、まったく予想外なことを言われた者のそれではなかった。「ふん、心当たりはあるらしいな」とレオンがつぶやく。
「まあいい。ちょうどよかった、おまえも来い」
「行くとは、どこへ」
「ダーシェンに決まってるだろう。他にあるのか?」
「それとも、行けない事情がおありですかな」
 そう尋ねる声はレオンの後ろから上がった。他の面々も騒ぎを聞きつけて出て来ていたのだ。その中からカーヴァルが一歩進み出る。
「セフィア殿下がダーシェンに連れ去られたという知らせは、それに反対した神官の使いによって我々のもとへ届けられました。ただ、明らかになったのは拉致を実行したのが神殿であるということだけで、この件に関してサウザーとの間に何らかの諒解があったかどうかまでは何の証拠もない状態です。そのあたりの釈明をなさるために、わざわざおいでになったのでしょう」
 問いかけというよりは試すような響き。この冷徹な黒髪のクィーゼ城主がサウザーの若き王子に求めているのが、答えそのものではなく、それをどう答えるか、という点にあるのは明らかだった。彼にとってはユンギルもリューオも、価値を測る対象であることには変わりないのだろう。
「その通りです」
 ユンギルは怯みもせず、鮮やかな緑の瞳で居並ぶラキトスの諸将をまっすぐに見回した。
「確かに我々はダーシェンと手を組みました。ナギ神殿領の通過の黙認と、この戦争に介入しようとする他国に対して圧力をかけることが、ダーシェン側から提供された協力事項でした。しかし、今回のセフィア姫の件に関しては、神殿の完全な独断です。我々は一切関知していない。昨日の誓いこそがサウザーの、そして私の真実です」
 へりくだるでもなく弁解めいてもいない、きっぱりとした口調。堂々とした態度が尊大に見えるかどうかは、そこに他者への敬意と誠実さが存在しているかどうかで決まる。そして、ユンギルはこの両方を持ち合わせていた。
「では、こうなることはまったくの予想外であったと?」
「神殿長ナーエが彼女に特別な関心を持っているらしいことには、しばらく前から気づいていました。しかし、まさか今になってこのような行動に出るとは……」
 声に悔しげな響きが混じる。それは勝手な行動を取ったダーシェンに対してだけでなく、事前に予想し阻止することができなかった自分自身へも向けられているようだった。
 カーヴァルはしばらくユンギルを見つめてから、「信じましょう」とうなずいた。
「で、どうする」レオンが再び口を開いた。「選ぶ道はふたつにひとつだ。このままダーシェンの道具として使い捨てられて終わるか、連中の手を噛んででもてめえの国を守るか。このままあいつが戻らなきゃ、ラキトスとサウザーの修好は夢物語で終わるぞ」
 赤毛の傭兵の言葉に、ユンギルとは別の場所から「そうですね」と同意する声が上がった。のんびりとした表情で、シュトラッドがユンギルに視線を向ける。
「行ってください。いえ、あなたは行かれたほうがいい、ユンギル殿下。あ、べつにサウザー側からも人手を出させてウチが楽をしようと思ってるわけではないですよ」
 いちいち言わなくてもいいことまで言う。
「いくらあなたがたは関知していなかったとしても、カンザ攻略戦においてナギ神殿とサウザーが結んでいたことが傍目にも明らかな以上、神殿の仕業だという理由であなたがたの潔白を兵士たちに納得させるのは難しい。完全に疑いを晴らすには、あなたの手で王女殿下を無事に取り戻すのが最も効果的です。幸いうちの騎士団員はほとんど暴動には参加していませんから、なんとか抑えてみましょう。もちろん、サウザー軍の方にも協力してもらう必要がありますが」
「無論です」
 ユンギルはうなずいた。そして傍らを振り返る。
「私はレオンどのとともにダーシェンへ向かう。ラクト、後を頼めるか」
 黒髪の青年は「御意」と年若い主君にうやうやしく一礼し、それからじろりとシュトラッドを見やった。
「貴殿らと協力態勢を敷くことに異存はありません。ただし、今度ばかりは真面目にやっていただきたい」
 特に後半を強調する。
「いやだなあ、私はいつでも真面目ですよ。めいっぱい真面目です」
 ものすごく嘘くさい発言ではあったが、この一見眠たげでやる気もなさそうな指揮官が、戦場では姑息と言ってもいいほどに巧みな用兵を行う戦術家であることはラクトも知っている。疑わしい表情を向けながらも、それ以上は追及しなかった。
「数を恃んでも仕方ない。二百騎ばかり精鋭を集めろ。すぐにダーシェンへ向かう」
 レオンの言葉にユンギルは短くうなずくと、鞍に飛び乗って来た道をとって返した。そのすぐ後にラクトらが続く。
 駆け去っていく彼らの姿を目で追いながら、列席していた指揮官のひとりが懸念を含んだ表情で口を開いた。
「この混乱の中ですぐに編成ができるでしょうか。今や我が軍がほとんどサウザー軍を包囲している状態です。彼らが無事に戻れるかどうかすら危ういのでは……」
 これにはシュトラッドが軽く肩をすくめて答えた。
「まあ、なんとかするでしょう。その程度の手腕も期待できない人物に苦戦した覚えはありませんよ」
 そして、おさまりの悪い黒髪をいかにも面倒くさそうに掻き回す。
「仕方ない、おれもひとつ真面目に働くとしますかね。真剣さをアピールしておかないと、今度こそあの副官どのにどつかれそうだ」
 先程いつも真面目だと言い張ったばかりの口でこれである。ラクトが聞いたら、この言葉だけで早くもどつかれたに違いない。
 すぐに臨時の部隊が編成された。まだラキトス軍には馴染みの薄いレオンが指揮を取る関係から、できるだけカンザ奪還作戦か、解放後のカンザから同行してきた、つまり少しでも彼とつきあいの長い者たちが選ばれる。編成役を買って出たのはヴァーニで、混乱の中わずかな時間で準備を整えてしまった彼の手腕も見事なものだが、それよりもレオンを驚かせたのは、カーヴァルが同行を申し出てきたことだった。
 私も行こう、とさっさと鞍にまたがった旧友に、思わず「おい」と声をかける。
「王女代理が戦場を空けてどうする。ここで全軍の手綱を握ってなくていいのかよ」
「ヴァーニどのとシュトラッドどのに頼んである。彼らに任せておけば確実だろう」
「……まさかとは思うが野次馬根性ではねえよな?」
「ごく正直に言うとそれもないではないな」
「おい」
「どのみち私も新参者だ。万一のときにおまえと並んで泥を被ってもラキトスは困るまい。それにおそらく、神殿はこの戦以前からすでに干渉をしていたのだろう。“セフィア殿下”のことに関して」
「……ああ」
 レオンは軽くうなずいた。口出しこそしてこなかったものの、クィーゼでリューオの治療にあたったのが神官だったことをカーヴァルは知っている。それと今し方聞いた話をつなぎ合わせれば、リューオとセフィアのねじれた関係にも神殿が絡んでいたことを想像するのは難しくないはずだ。
「ならば、私にも見届ける義務があるだろう。それを利用した者として」
「…………」
 カーヴァルの口調には後悔も自責の念もない。ただ淡々と事実を述べているだけだ。
 彼の行いを、レオンは許したわけではない。許すも許さないもレオンとは本来関わりのないことだ。それを決められる人間は、この世にひとりしかいないのだから。
「好きにしろ」
 それだけ言ってレオンは手綱を引いた。カーヴァルもその後に続く。
 それぞれに準備を整え、陣営地を離れたレオンとユンギルは、丘をひとつ回り込んだところで合流した。ラキトス側は三百騎。合わせても五百の部隊だ。わずかに先行していたレオンにユンギルが馬を並べると、レオンは追いついてきた金髪の若者を振り返り、速度を落とさないまま声を張り上げた。
「強行軍で行く。ついてこられない奴は置いていく。まさかとは思うが、ダーシェンに着いたときに肝心のおまえがいないなんてことにはなるなよ」
 にやりと笑いかけると、ユンギルも同じ表情を返した。
「その言葉、そのままあなたにお返ししましょう」
「ふん、いい性格してやがる」
 ラキトス兵とサウザー兵が轡を並べて、一路ダーシェンを目指す。彼らの頭上でも、不吉な“金の蛇”が美しい弧を描いて空を彩っていた。





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