金の小鳥と約束の空

 小気味のいい音を響かせて、木刀が宙を飛んだ。
「さあ、わたしの勝ちよ」
 自分の木刀をトンと地面につき、満足そうに言ったのは、淡く紫がかった瞳をした少女だった。長い金髪は、動きやすいように頭の後ろでくくられている。年の頃は十六、七か。
「うるせっ。合計ではまだ俺のほうが一勝多いだろうが」
 両膝に手をついて息を整えながら噛みつくように言い返したのは、少女と同年代の少年だ。赤茶の髪の間から、短気そうな灰緑の瞳がのぞく。
「でもアルマったら、息上がるの早くない? 最近、鍛錬サボってるんじゃない?」
 ふたりの勝負を見物していた黒髪の少女がおっとりと口をはさんだ。こちらも年頃は同じくらいだが、ほっそりと華奢で、清楚な花のような美少女である。
 アルマと呼ばれた少年は顔をかしめて黒髪の少女を振り向いた。
「こっちは病み上がりだっての。てめえこそそんなひらっひらした日傘なんか差しやがって、たるんでんじゃねえのかイーファ」
「馬鹿は風邪ひかないっていうのにねー。不思議よねー。それに、こんな強い陽差しなんだもの。うっかり日焼けしてこの白い肌にシミでもできちゃったら大変でしょ?」
「どこが」
「わかってないわねぇ、アルマ。あたしの美貌は一家の武器なのよ? ねえ、リィラ?」
 同意を求められ、額の汗を拭いながら木陰に避難してきた金髪の少女がちょっと首をかしげる。
「そうね。わたしもイーファには美人でいてもらったほうがいいと思うけど。なにかと便利だし」
「ねえーっ、そうよねーっ。ていうかリィラもあんまり日焼けしちゃダメよ? せっかくきれいな肌してるんだから」
「いいわよわたしは。イーファとは分担が違うし」
「そういうことじゃなくて、女の子としてもっとちゃんと気を遣いましょって話! あ、ごめーんこういう話アルマは蚊帳の外ね。名前は女の子なのにねー。こんな可愛げのかけらもなくなっちゃってイーファがっかりー」
「うるせえてめえたたっ斬るぞイーファ!」
「やーん、アルマこわーい。名前可愛いのにこわーい。リィラ助けてー」
「名前の文句ならイヴァに言って。イーファも面白いからって遊ばない」
 リィラは呆れ顔でさっさと歩き出している。
「リィラ待ってー」
 日傘をくるりと回してイーファが追いかける。チッと舌打ちしてアルマも後に続いた。
 森の中の宿営地に戻り、水を飲んで一休みしていると、仲間のひとりが三人を呼びに来た。
「ああ、戻ってたな。おまえたち、頭領が呼んでるぜ」
「はぁい。すぐ行きます」
 可愛らしく返事したのはイーファだ。リィラとアルマも、それぞれ立ち上がる。
 天幕の入り口をくぐると、中にいた男が、おお、と杯を持った手を上げて合図した。濃い灰色の髪に髭をたくわえた、堂々たる体躯の壮年だ。強面だが、笑った顔は意外に人好きがする。
 一家の頭領、イヴァである。
「お呼びとか」
 腰を降ろしたリィラとアルマを見やって、イヴァはにやりと笑った。
「どうだ、おまえら、そろそろ勝負はついたのか」
「わたしの勝ちです」
 リィラが澄ましてこたえる。
「今日のところは、だろ」
 不機嫌な顔でアルマが補足した。
「そう言って油断してると、リードしてる一勝もすぐもってかれちゃうわよー」
「ほう、今はアルマが一勝多いのか。イーファは今日も変わらず美人だな」
「やあん、もうっ、イヴァったら。そんなほんとのこと〜」
 イーファが照れながら隣のリィラをバシーッと叩いた。金髪の少女が顔をしかめる。
「それで? わたしたち三人をまとめて呼び出すなんてめずらしいですね。何かあったんですか?」
「おお、うむ。おまえたちに頼みたい仕事があってな」
 イヴァは髭に覆われた顎をさすった。
 仕事と聞いて、三人が姿勢を正す。
「ある人物の護衛だ。少しばかり危険だが、やってくれるか?」
 もちろん、彼らに否のあるはずがない。


 闇商人、ドーリー一家。それが彼らの名である。
 裏の社会では名の通った組織で、ドーリー一家に依頼すれば手に入らないものはないという。物資でも、情報でもだ。また、一家の中に特殊な技能を持つ者も多く抱えている。さまざまな方面につなぎを取る仕事もするが、ときにはそういった技術そのものを商品として貸し出すこともあるのだ。
 今回の場合でいえば、戦力である。
 単純なようだが、ドーリーから派遣される戦力に必要な能力は、兵士や傭兵のそれとは微妙に異なる。いわゆる裏向きの仕事が多いからだ。
「しかしまた、パラジャとはな」
 剣帯の具合を確かめながら、アルマがぼやいた。
 護衛の対象は、東部のミンハルの地を支配する氏族のひとつ、パラジャの長の息子だという話だった。
 ミンハルでは近年、有力氏族間での抗争が激しく、ごたごたした状況が続いている。パラジャも長年敵対関係の続いていたスーマ氏族に攻め入られ、抗戦を続けてはいるが、長くは保ちそうにない。戦況に見切りをつけたパラジャは、敗北が決定的になる前に、せめて氏族長の継嗣だけでも秘密裏に脱出させることを決めた。いずれ一族が散り散りになっても、旗印が無事なら復興を図ることも可能だからだ。依頼は、パラジャの命運を握るこの人物を友好関係にある別の氏族のもとまで無事に送り届けてほしいというもの。
「あたし、ミンハルってあんまり好きじゃないのよねー。ごつい男ばっかりで」
 イーファは先程木の枝にひっかけた髪を丁寧に直している。服はさすがにレース過多のドレスではなく、しっかりした旅装束だが、だからといって身だしなみまでないがしろにするというわけではない。イーファのポリシーである。
 三人は、指示を受けてすぐに一家を離れてひそかにミンハル入りし、パラジャ領の山中にやってきていた。ここで、城を抜け出してきた若者と落ち合う手筈になっている。
「……どうやら来たようよ」
 身を潜めていた岩屋から外をうかがっていたリィラが報告した。
 ざっ、と斜面を滑り降りるようにしてやって来たのは、二十歳になるかどうかというところの青年だった。ブーツも外套も泥で汚れている。だが、すぐに岩屋の中に入って来ようとはせず、入り口で立ち止まったまま慎重に声を投げかけた。
「……このあたりで、金色の鳥を見かけませんでしたか?」
「小鳥はフィーロの泉に帰ったわ」
 落ち着き払ったリィラの返答に、目に見えて青年の肩から力が抜けた。
「ああ、よかった。ジャルヤの言っていた人たちですね」
「ええ。あなたがパラジャのハイン?」
「そうです」
「うまく城を抜け出してこられたようでよかったわ。ここからはわたしたちが責任を持ってあなたの身を守ります。わたしはリィラ。イーファと、アルマよ」
 紹介されたふたりを見て、一度はほっとした様子だったハインが、あからさまに不安げな表情になった。
「あの……失礼ですが、他には誰も……?」
「だったら不満か?」
 灰緑の瞳にぎろりと睨まれ、慌てて首を振る。
「いえ、そういうわけでは……」
 おそらくハインは、もっと年長の、歴戦の戦士のような傭兵を予想していたのだろう。それが、全員が自分より年下、しかもうちふたりは少女という構成だ。特にイーファなど、荒事どころか、この山さえ無事に越えられるのかと疑いたくなるほどの儚げな美少女である。戸惑うのも無理はない。
 しかし、程度の差こそあれ、こちらの予想を裏切っていたのはハインも同じだった。
 一概に、ミンハルの男というのは大柄で筋骨逞しく、イーファの言うところの「ごつい」体格の者が多い。しかしながらハインは、髪と瞳こそミンハル人らしく黒い色をしていたが、どちらかといえば細く、すらりとした体つきをしている。容貌もそれほど濃くはない。そこそこの好青年だが、覇気というものとは縁が薄そうだった。
 氏族長の跡取り息子がこれで、周囲から舐められないのかとも思うが、それはさすがに余計なお世話だろう。
 これを素直に喜んだのはイーファだ。
「やだ、意外。ちょっと好みかもー。困っちゃう」
「阿呆か」
「あらなぁに、アルマ、ひょっとしてやきもち?」
「誰がだっ!」
 ハインが少し驚いたように目をしばたいので、リィラが尋ねた。
「何か?」
「いえ……あの、どうもおふたりの名前を逆に思っていたみたいで」
 途端にアルマが半眼になって振り返った。
「俺の名前に何か文句でもあるのか? ああ?」
 先程よりもはるかに物騒な口調である。
「あっ、ダメよハインさん、彼、名前のこと気にしてるの。どう見ても似合わない可愛い名前だけど、あんまりつっこまないであげてね」
 一見フォローしているようだが、本人の目の前でそういうことを言うあたり、率先してからかっているイーファである。
 実はこの赤茶の髪の少年は、幼い頃は非常に愛らしい容姿をしていたため、はじめて一家にやってきたとき、イヴァが女の子と間違えて名前をつけてしまったのである。それが何をどう間違ったかめきめきと男らしく成長してしまい、今となってはお世辞にも「少女めいた」とは形容できない。本人はいい加減に名前を変えたがっているのだが、命名権を持つ頭領のイヴァが「もう呼びなれちまったんだからいいじゃねえか」と取り合わないので、今のところその希望はかなえられそうにない。
 アルマはぎりぎりと歯がみしたが、仕事中だという自覚はあるらしくすんでのところで剣を抜くのをこらえた。
「……てめえ、覚えてろよイーファ」
「やん、こわーい。猛獣があたしのこと狙ってますう。守ってくれますよね? ハインさん」
 イーファはちゃっかりハインの腕にしがみついている。
「は、はあ……あの」
「困らせてどうするの、イーファ。いつまでも漫才してる暇はないわよ。スーマに嗅ぎつけられる前にこの山を越えてしまわないと」
「はぁい」
 イーファが小さく首をすくめ、ハインの腕を放した。
「ルートは? 外に助けを求められることは向こうも警戒してるはずだ。最短距離で行くのはかえって危険だろう」
 アルマの言葉に、ハインは表情を曇らせた。
「ええ……それは、わかってはいます。けれど、あまり悠長にはしていられないのです。一昨日の戦闘で、氏族長……父が命を落としました。間もなく城は落ち、スーマ氏族は我々を根絶やしにかかるでしょう。できるだけ早く、僕が新たな長として立ち、完全に離散してしまう前に一族をまとめなければ」
 つまり、危険を承知で最短ルートを行くということだ。
「すみません。ずいぶん勝手なことを言ってしまって……」
 ハインは申し訳なさそうにうつむいたが、アルマはなんということはないといった顔でうなずいた。リィラとイーファも同様だ。
「それならそれで構わない。もとより、危険があるから俺たちを雇ったわけだろう」
「では行きましょう。日が暮れる前に、少しでも距離を稼がないと」
「大丈夫ですよ、ハインさん。あたしたちがついてます」
 アルマとリィラはともかく、イーファのノリは軽い。ハインはやはり、やや不安げだった。


 懸念は的中した。
 と言っても、ハイン個人の不安が的中したというのではなく、予想通りスーマの警戒線にぶつかったのだ。
「リィラ」
「ええ、囲まれたわね」
 アルマが警告を寄越したときには、リィラも気配を察知していた。
「相手が誰かも確認しないで襲おうなんて、野蛮な連中」
 イーファが肩をすくめてぼやく。
 朝から降り続いている小雨のせいで視界は悪く、注意して進んではいたものの、先に発見されてしまったらしい。とはいえ、リィラたち三人が余所者であることは遠目にも明らかだし、相手がはっきりとハインの顔を確認したとも思えない。おそらく、山を越えようとする者は残らず始末するつもりなのだろう。
「ハインさん、念のため、いつでも抜けるようにしておいてください。わたしたちはあなたの安全を最優先に行動しますが、おそらく向こうのほうが数が多い。ご自分の腕も、身を守る手段として使ってください」
「大丈夫です。か弱いお姫様ではないんですから、頼り切りになるつもりはありませんよ」
「ときどき、こういうことで文句をつけてくる人もいますから。一応断っておくことにしてるんです」
「……落ち着いていますね」
 感心とも苦笑ともつかない声でハインはつぶやいた。こちらを殺す気でいる敵に囲まれたというのに、イーファですらまったく動じる様子がない。
「でなきゃ仕事になりませんから」
 リィラがさらりと言い、
「くるぞ」
 アルマが低くつぶやいた。
 同時に、霧雨のヴェールの向こうから、鬨の声を上げて男たちが襲いかかってきた。
 ふわりとイーファが動いた。何をしたとも見えないのに、次の瞬間には、ふたりが地面に倒れている。
 リィラとアルマも、ほとんど斬り結ぶことすらなく次々と敵を沈めていった。無駄のない流れるような動作は、まるで剣舞でも見ているようだ。腕力にものをいわせるミンハルの無骨な剣とは、太刀筋からしてまったくちがう。
 結局、ハインの出番はまったくなかった。
「……すごい。お強いんですね」
 素直な賞賛が口をついて出る。それほどに、敵を撃退したリィラたちの腕は際立っていた。
 リィラの返答は「これでお金もらってますから」と相変わらずそっけなかったが、ここぞとばかりにイーファが抱きついた。
「ああん、こわかったですうっ。でもイーファ、ハインさんのために頑張りましたぁ。ハインさん、お怪我はありませんでした?」
「あ、は、はい……あの、おかげさまで」
 水色の瞳に至近距離から見つめられ、しどろもどろになるハイン。
 拭った剣を収めながらアルマがチッと舌打ちした。
「死体を片づけて、早くここを離れましょう。新手がくると厄介だわ」
「あ……待ってください」
 ハインは慌てて膝をつくと、息絶えているスーマの男たちの額に順に指を置き、祈りとおぼしき言葉をつぶやいた。
「たとえ敵であれ、死者には敬意を持って接する。我々のしきたりです」
「意外と品がいいんだな」
 そう言ったのはアルマだったが、言葉の中身ほど皮肉な口調ではなかった。祈りの言葉こそ唱えないが、その精神は一家のそれと似ている。
 その晩は、岩陰にひそむようにして休んだ。水と携帯食料だけの食糧は味気ないが、もとより逃げる身で火を焚くことなど考えてはいないし、この湿った山の中ではそう簡単に薪も見つからない。
「馬があれば、もっと早く山を抜けられたのですが」
 すまさそうに言ったのはハインだ。夕刻には雨は止み、空には切れ切れに星が見えている。凍えるほどではないが、日が沈むとそれなりに冷える。
「人数分の馬なんか用意していたら目立って仕方ないでしょう。それにこういう野営には慣れてますから。あまり気にしないで」
「そうですようハインさん、あたし、ハインさんの隣なら露に濡れたってぜんぜんへいきですっ」
「あ、あの……イーファさん、あまりその、くっつくのはどうかと……」
「あらあら、ハインさんたら照れちゃって。かーわいい」
 アルマはこのふざけたやりとりには参加せず、黙って周囲に目を光らせている。
 奇襲は、夜半に起こった。
 四人が交替で仮眠を取っていたとき、突然矢が射かけられたのである。
 目を開いたリィラはとっさに外套の裾をつかむと、さっとはね上げた。はたき落とされた矢が地面に落ちる。イーファとアルマも、それぞれに対応してやりすごしていた。
 ちらりと見交わした目の中に、互いに無言の了解を確認する。
「ハインさん、立ってください。走れますか?」
「え、ええ。けれどなぜここが……」
「詮索は後だ。とにかく包囲を抜けるぞ」
 ひそめた声を交わし、ハインを促して駆け出す。すると案の定、暗がりから次々とスーマの男たちが斬りかかってきた。
「逃がすか、パラジャの小倅!」
「!」
 ハインを氏族長の息子と知っての襲撃か。ということは……。
「どうやら、取り逃がしたのがいたみてえだな」
 小さく舌打ちしながらアルマがつぶやいた。おそらく昼間の残党が、本隊に情報を持ち帰ったのだろう。たとえハイン本人を直接には知らずとも、攻防戦の続く城から息子の姿が消えていることがすでに知れていたのだとしたら、密かに山を越えようとしているパラジャの若者と氏族長の息子を結びつけるのはたやすい。
 雨の後で、足場は悪い。頼りない星明かりの下、土地に不慣れなリィラたちとスーマの戦士、囲まれた者と囲む者、どちらが有利かは明白だ。
 今回はハインも剣を抜くことを余儀なくされた。いささか心許ない動きだが、それは護衛に比べての話で、腕は悪くない。むしろ並みよりも上だろう。必死に剣を振るい、敵を退け、突破を目指す。
 だが不意に、ひとり欠けていることに気づいた。
「待って……待ってください! イーファがいない」
「心配ないわ」
 横合いから打ち下ろされた剣の軌道をそらし、相手の手から飛ばしながらリィラが短く返事をする。
「射手がいる限りこちらが不利だから」
「まさか、ひとりで行ったっていうんですか!? 危険です、そんな……!」
「いいから黙って走れ!」
 アルマが低く怒鳴りつける。
「だって、彼女はあんな……!」
「心配ないと……」
 言いかけたリィラの声が不意に途切れた。
 泥に足を取られ、一瞬体勢の崩れたハインを、背後から白刃が襲う。だが、刃が切り裂いたのはハインではなく、彼を突き飛ばすように割って入ったリィラの肩だった。
「リィラ!」
「いいから、走って!」
 振り返りざま敵の喉笛を掻き斬る。
 しつこく追いすがってくるスーマ族をようやく振り切ったのは、すでに闇も薄くなり、夜が明けはじめた頃だった。
「うかつだった……まさかこんなに早く来るなんて」
「仕方ない。もともとここは相手のテリトリーだ。それよりリィラ、傷は」
 尋ねたアルマもあちこちに小さな怪我をしていたが、一番ひどいのは、やはりリィラの肩の傷だった。
「平気よ。利き手じゃないし、動かせないほどのものじゃない。血止めと痛み止めでしばらくはもつわ」
「リィラさん、あの……」
 ハインが思い詰めた表情で言いかけたとき、場違いに呑気な声が降ってきた。
「みんなお待たせ〜。射手を全員仕留めたついでに偵察もしてきちゃいましたあっ……って、リィラ! 肩!」
 横手の崖からひらりと身軽な動作で飛び下りてきたのは、今まで別行動を取っていたイーファだった。ハインが大きく目を見開く。
「イーファさん! 無事だったんですか!」
「心配してくれたんですか? ハインさん。イーファうれしいっ。でも大丈夫、これくらいあたしにはちょろいもんですもの」
 その言葉通り、イーファは怪我どころか返り血ひとつ浴びていない。まるで今までちょっと散歩に行っていましたというような雰囲気だ。
「さすが、『ドーリーの毒針』の異名は伊達じゃないわね」
「やだ、そんな、照れるじゃないの。暗殺と闇討ちならまかせてちょうだい」
 可愛らしく照れているが、言っている内容は物騒である。
 ハインは呆気にとられたようにぽかんと口を開けていたが、すぐにまた表情を曇らせた。
「みなさんは腕利きだと、聞いてはいましたし、実際そうなのでしょう。でもやっぱり、心配はします。イーファのような女の子をひとりで残してきたのかと思ったときには、心臓が止まるかと思いました」
 率直な告白に、イーファが「まああっ」と頬に両手をあてる。だがそこに、リィラがずばりと切り込んだ。
「そういう心配なら、今後はしなくていいわよ。イーファは男だから」
 沈黙が落ちた。
「…………は?」
 ようやくそれだけ言うハイン。頭の中が真っ白になっているらしい。
「だから、イーファは男なんだって。女装は趣味」
「ったく、男のくせになよなよしやがって」
 苛々とアルマが吐き捨てる。
「え……だって、イーファさんが……え?」
 まだ混乱している。無理もない。どこからどう見ても、イーファは文句のつけようのない可憐な美少女だ。身長も、リィラと同じか、少し低いくらいだろう。
「もーっ、リィラ、だめようバラしちゃ、そういうことはっ」
 文句を言う様子も、女の子そのもの。怒った顔もかわいい、というやつだ。
「だいたいリィラは乙女心ってものを……じゃない、そうじゃなくてリィラ、肩! 怪我! 痛む? ひどいの?」
「痛み止め飲んだから」
「そういう問題じゃないし。もおおうっ。後でちゃんと、治療しましょうね。痕なんか残ったりしたら大変」
「……どうかしたのか」
 アルマが声をかけたのはハインだった。パラジャの青年は、また先程の、張りつめた表情に戻っていた。まだイーファのショックが抜けないのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
「みなさん……あの、聞いてほしいことがあるんです」
「なに?」
 腰を降ろしたままのリィラと、隣にしゃがみこんだイーファもハインを見上げる。
 ハインはしばらくためらっていたが、やがて思い切ったように、ひとつ息を吸い込むと、言った。
「ここで、お別れにしましょう」
「どういうこと?」
「もう、スーマは僕を長の息子だと知って……思っている。手加減はしてこないでしょう。無事に味方のもとへ辿り着ける保証はありません。ここまで一緒に来てくださって、ありがとうございました」
「何言ってんだ、俺たちはあんたを」
「僕は」遮るように、わずかに声を高める。「僕は、本当はハインではありません」
 絞り出すように告げられた言葉に、三人は一瞬、声を失う。
「従兄弟なんです。本物のハインは、もっと早くに、出入りの商人に混じってパラジャ領を逃れました。スーマの目を欺くために、歳も近くて背格好の似ていた僕が替え玉になって……この脱出も、ハインが確実に逃げられるよう、敵を引きつけて時間を稼ぐためのものだったのです。だからわざと目立って、スーマに見つかるよう、この道を選びました。城のほうでも、ハインが山に逃げたという噂をわざとばらまいたはずです。ここまで来たら、もう役目は果たしたでしょう……。偽物のために、あなたたちがこれ以上危険に身をさらす必要はありません」
 かすかに微笑んで、背を向けようとする。
「僕がこれから、連中をおびき寄せます。その間に、あなたたちは山を降りてください。ハインさえ無事に着けば、報酬は支払われる手筈になっています」
 止めたのはアルマだった。
「待てよ」
 黒髪の青年の進路をふさぐように立ち、リィラたちに目を向ける。
「イヴァの指示は、なんだった?」
「“合流場所にやってくるパラジャの若いの”を護衛すること」
 よどみなくリィラがこたえた。続けてイーファが。
「そうね、確かに跡取り息子を脱出させるとは聞いていたけど、イヴァはその“若いの”と“ハイン”が同一人物だとは一度も言わなかったわ」
 普通に受け取れば、わざわざ明言するまでもないからなのだが、こうなってくると、頭領の意図は別のところにあったのだとしか思えない。
「つまりイヴァは、“パラジャのハイン”ではなくあなたを、他でもないあなたという人間を守れと、そう言ったんだわ」
「だから」
 アルマがうなずく。
「俺たちの仕事は、まだ終わってない」
「しかし……」
 なおも言いかける青年を、アルマは強制的に黙らせた。すなわち、
「今ここで死にてえのか、あ?」
 剣の柄に手をかけてこう言ったのである。
 とても冗談や脅しには聞こえない殺気がこもっている。
「あの、ええと」
 こころなしか青ざめて、もごもごと青年が言葉を濁した。
「名前は」
「え?」
「従兄弟じゃない、あんた自身の名前だ」
「……ウィルト」
「ウィルト」
 リィラの紫がかった青い瞳が、まっすぐにウィルトの黒い瞳を射抜いた。
「ドーリーにあなたの護衛を依頼した人は、あなたにハインの身代わりになれと命じた人間とは別人でしょう。違う?」
「え、ええ……ジャルヤは最後まで反対して……」
「ね。ほら、そういうことよ」
 ジャルヤがなぜ、パラジャの戦士ではなく、土地勘すらない外部の者に彼の護衛を任せたのか。
 身内には頼めなかったからだ。
 彼らでは、ウィルトの身を第一には考えないから。
 止めることができないのなら、せめて生き延びてほしいと願って。
 アルマは口元だけでにやりと笑い、剣から手を放した。
「さあ、それじゃウィルト、あんたの希望を聞こうか」
「僕の……希望?」
 戸惑ったように聞き返すウィルトに、イーファがうなずきかけた。
「もう役目は果たしたって、さっきウィルトさんが自分で言ったでしょう? 本物のハインの無事さえ確認できれば、その後はどうしようとあなたの自由なはずよ」
 氏族長となる従兄弟のもとに戻り、彼に従って戦うか。
 それとも、“身代わりのハイン”は死んだことにして、別の土地で自由に生きるか。
 それはとても魅力的な選択肢だ。
 一族のために、こうするしかなかったことはわかっている。納得し、覚悟を決めて役目を引き受けた。けれど。
(戻れるのか?)
 ウィルトは思う。
 自分は、今までと同じようにハインに接することができるだろうか。自分を捨てる決断を下した一族に、変わらぬ忠義を捧げることができるのだろうか。
 好きな場所まで連れて行くと、異国の剣士たちは言う。
 ウィルトはゆっくりと顔を上げた。
「僕は……」


        *

 緑の平野を裂くように、栗毛の馬が駆ける。
 騎馬の一群が雄叫びを上げてそれを追う。黒髪の騎手は手にしていた抜き身の剣を振るい、追いすがってきた敵をあざやかに馬上から叩き落とした。
「小癪なァッ!」
 青年の背後に肉薄して剣を振り上げた男が、その直後、奇妙なうめき声を上げて地面に転がり落ちた。その肩には一本の矢が突き刺さっている。
 飛来する矢は次々に追っ手を仕留め、何頭もの馬が乗り手を失って逃げ出した。
 遠く丘の上、彼らと併走するように駆ける馬影があるが、青年は振り向かず、敵を蹴散らしながら一直線に馬を走らせる。
 やがてその行く手に、堅牢な砦が姿を現した。
 青年が見事に追っ手を退けた様子は、砦からも見えていた。感嘆の声をもらす人々に、彼は高らかに告げた。
「我はパラジャのウィルト! ディダンの友よ、開門を願う!」


「近くで見ると、あんまり似てないわねえ」
 のんびりと頬杖をついてイーファが感想をもらした。
 眼下では、馬を降りたウィルトと本物のハインとが、今まさに対面しようとしていた。
 ウィルトを援護して味方の砦までやってきたリィラたちは、裏からこっそりと潜り込み、塀の上からことのなりゆきを見守っていた。
 ハインはウィルトよりがっしりした体つきの、堂々とした青年だった。人の上に立つことに慣れた、自信と威厳を備えた若者である。
 だが今、死地に追いやった従兄弟の無事な姿を前にして、日に焼けた精悍な顔には安堵とも戸惑いともつかない表情が浮かんでいる。
「ウィルト」
 呼びかける声に、ウィルトは膝を折る。ともに育った従兄弟としてではなく、ひとりの臣下として。
「よく戻ってくれた。……戻って、くれたのだな?」
「我が魂は、命尽きるその日まで、ハイン、あなたと、我が一族とともに」
「……心より、礼を言う」
 差し出された手を、ハインは一瞬、驚いたように見つめたが、かすかに微笑むと、その手を取って立ち上がった。そして、いたずらっぽく笑ってこうつけ加えた。
「きみがまだ、僕を必要としてくれるのなら」
 ハインが破顔した。
「おまえがいなくなったら、俺は誰と馬術の腕を競えばいいんだ? ウィルト」
 これから彼らは生き残った者たちを集め、ふたたび一族を立て直さなければならない。それは決して易い道ではないだろう。だが。
「この分なら、大丈夫そうね」
「でも、ちょっとがっかりー。このままあたしたちと一緒に一家に来てくれてもよかったのに」
「ずいぶん気に入ってるのね?」
「あらぁ、だってステキなんだもの。ウィルトさん」
「いい加減にしろ、男のくせに気色の悪い」
 ひどぉい、気色悪いってなによー、と抗議するイーファを無視して、アルマはリィラに目を向けた。
「それはそうとおまえ、弓になるとどうしてああヘタなんだ?」
「……なんの話かわからないわね」
「気づいてないと思うなよ。命中したのは全部俺とイーファの矢で、おまえひとりも仕留めてないだろ。肩をかばってたのを差し引いてもひどすぎだぜ」
「あ、そうそう」
 ころりと機嫌の直った顔でイーファも参加する。
「一本なんか、あやうくウィルトさんの馬のお尻かすめてたわよねー? ひやひやしちゃった」
「決まりだな」
 アルマが重々しくのたまう。
「帰ったら、弓の特訓だ」
「うるさいわね! いいわよそんなの、わたしは接近戦担当で!」
「ふうん、そうか。じゃ、剣は互角だし、総合評価では俺の勝ちだな」
「…………練習するわ」
「あ、ねえ、馬はどうするの? スーマからかっぱらってきたけど、もう放しちゃう? それとも返しに行く?」
「このまま借りて帰ればいいだろ。そのほうが早い」
「それもそうねー」
 平原を渡る風が彼らの髪を揺らす。
 空はまぶしく晴れ渡り、ミンハルの地には、これから乾いた季節がやってくる。
 立ち上がったリィラが、風に舞う金色の髪を押さえながら言った。
「依頼は完了。これより帰還する」



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