ハルディオスの化け獅子退治

 ある日、リヴァ・ダーン王国の国王が言った。
「近頃、我が国を獅子の化け物が荒らし回っていると聞く。勇敢なる我が孫よ、この怪物を退治してまいれ」
 王子ハルディオスは、答えて言った。
「やなこった。面倒くせえ」


「殿下! ハルディオス王子殿下!」
 背後から追いすがってくる声を無視して、ハルクは王宮の廊下を歩いていた。
「お待ちください、殿下! こら殿下! ハルディオス王子! 王子殿下!」
 殿下殿下と、追いかけてくる声はとにかくしつこい。最初のうちは完全な無視を決め込んでいたハルクも、「王子殿下」の呼びかけが十回を超えたあたりで、とうとう振り返って怒鳴った。
「いいっ加減にしやがれこのクソ野郎! オウジデンカとか気色悪い呼び方するなっつってんだろうが! それから俺の名前はハルクだ! ハルディオスでも王子でもねえ!」
「何をおっしゃいますか。殿下は正真正銘、陛下のご子息のそのまたご子息でいらっしゃいます。お父上のお若い頃に瓜二つではございませんか」
「知るかよ俺は親の顔なんざ見たことねえんだよ。いきなり王子だなんだと騒ぎ立ててこんなところに連れてきやがって。王家の血なんざクソくらえだ。さっさと俺をシャバに帰せ」
「王宮は監獄ではございません、殿下!」
 悪態をつくハルクと教育係のベルゼンの怒鳴り合いは、最近の王宮ではお馴染みになりつつある光景である。
 ハルクは、つい最近まで自分の素性を知らずに暮らしていた。原因はよくある宮廷内の権力争いで、幼い頃、暗殺者の手を逃れるためにひそかに王宮から連れ出されたのだ。その後、行方知れずとなった王子ハルディオスはほとんど死んだものと思われていたが、当人は何も知らないまましぶとく生き延びており、裏街の不良どもを従えるリーダー的存在にまで成り上がっていたのである。出世なのか落ちぶれたのかよくわからないところだが、本人の自己評価としては、もちろん前者だ。
 そんなハルクであるから、王宮から使いが来て「あなた様は我が国の王子殿下でいらっしゃいます」などと言い出したときも、感激するどころか迷惑千万でしかなかった。実際、あれは迎えというより拉致だったと、ハルクは今でも思っている。拉致監禁だ。これまでに企てた脱走計画は、ことごとく失敗に終わっていた。
 王宮の一角にはいくつもの部屋からなる広大かつ豪華な「王子の部屋」があるが、ここに戻って来る度にハルクはうんざりする。贅沢な暮らしが嫌いなわけではない。むしろ望むところだ。しかし、貴族やら役人やらという連中を目の敵にして育ったハルクとしては、王侯貴族としての贅沢など軽蔑の対象でしかないのである。
「ときに殿下」
 部屋に入ったところで、ベルゼンがやや口調を改めた。どうやらここからが本題らしい。
「陛下からの獅子退治のご命令を断られたそうでございますが」
「ああ? それがどうした」
 ハルクは振り返りもせずに、やる気のない口調で答えた。途端に、ベルゼンがカッと目を見開く。
「それがどうしたではございません、殿下! 臣民の暮らしを守るのは王族たる者の務めでございますぞ。だいたい殿下は毎日ぐうたらぐうたらと、たま精力的に活動しているかと思えば脱走のための変装だの穴掘りだの、ろくでもないことしかなさっておられないではないですか!」
 大筋ではその通りだが、さすがのハルクもまだ穴までは掘っていない。今後の攻防戦のなりゆき次第では考えないこともないが。
「王族の務めならあのジジイが自分でやりゃいいだろ。今まで権力の椅子に座って好き放題やってきた張本人じゃねえか。それとも何か、その怪物退治とやらには俺ひとりで行かせてくれるのか」
「むろん、殿下おひとりに責任を押しつけるようなことはいたしません。このベルゼンと、その他屈強な兵士たちが全力でお供させていただきますとも」
 言うまでもなく、その屈強な兵士たちは全力でハルクの逃亡も防いでくれることだろう。
「そんなことだろうと思ったんだ。とにかく、俺は行かねえからな。もしくは交換条件だ。その怪物を追い払ったら俺も自由の身にしろ。それなら行ってやってもいい」
「まったく、またそのような駄々をこねて……」
 ベルゼンはやれやれとばかりにため息をつくと、手を叩いて侍従を呼び、グラスに注いだワインを持ってこさせた。
「まあ、とにかく、これでも飲んでもう一度ゆっくりお考えになってみてはいかがでしょう」
 テーブルの上に置かれたグラスに、ハルクは胡散臭げな視線を向けた。
「……おい、まさかとは思うが、何か妙な薬が入ってるんじゃねえだろうな」
「いえいえ、まさか、そのようなことはございません。どうぞご安心を」
「…………」
「さあ、殿下。ひと思いにぐぐっと!」
「よし、じゃあ、まずてめえが飲め。それで何もなかったら俺も飲んでやる」
「さっきから何をおっしゃっているのやら。どう見てもただのプラージュ産の最高級ワインではありませんか。いいからつべこべ言わずにさっさとお飲みください、この不良王子」
「本音が出てるぞ。ちょっ、おいコラ、何強制的に飲ませようとしてやがんだ。ふざけんなむしろてめえが飲め! 飲んでくたばれ!」
「私が飲んでどうするんです! 人体に害はないと言ってるでしょうが!」
「ホラ見ろやっぱり何か入ってるんじゃねえか!」
 互いに押しつけ合った末、とうとうふたりの手からグラスが飛んだ。床には豪華な絨毯が敷かれていたためにグラスが割れることはなかったが、こぼれたワインが派手に飛び散り、ジュッ、という何やら不吉な音とともにあたりに異臭が漂う。
「ああっ、せっかくの“正義感と責任感が芽生える薬”が!」
「おいふざけんな絨毯が溶けてんじゃねえか! 殺す気かッ!」
 油断も隙もないとはまさにこのことである。この城に来てからというもの、ハルクは心安らかに食事ができたためしがない。特に色や味が濃かったり香りが強かったりするものは要注意だ。加えて、それをハルクが口に運ぶかどうかベルゼンが異様に熱心に見守っていたりしたら、間違いなくビンゴだと思っていい。
 と、そこへ場違いに呑気な声が割り込んできた。
「やれやれ、失敗か。また新しく薬を作り直さねばならんのう」
 よっこらせ、とかけ声をかけて部屋に入ってきたのは、うっかりすると枯れ枝と間違えそうな小柄な老人だった。
「……おい、ジジイ。言っとくがそこはドアじゃねえぞ」
 振り返ったハルクが言うと、老人は「うん、知っとる知っとる」と軽く答えた。
「さっきからこの窓の外に潜んで様子を窺ってたんじゃが、いちいちドアのほうまで回り込むのが面倒でのう。まあそう固いことを言うなて」
「おお、これはラムス殿、よいところに。ご覧の通りまたしても殿下に勘付かれてしまいましたので、次の薬をお願いしたいのですが」
「残念じゃのう……今回のはかなりの自信作じゃったんじゃが。次は、そうじゃな、“他人を疑わない純粋な心が芽生える薬”というのはどうじゃ?」
「なるほど、それは素晴らしいですな! それさえなんとか飲ませてしまえば、あとの薬は飲ませたい放題です」
「うむうむ、いい思いつきであろう」
「いい思いつきじゃねえ! 阿呆かてめえら、そういう話は普通密談でするもんだろうが。なんで俺の目の前で俺に薬を盛る計画を立ててやがるんだ。つーかそもそも、そんなわけのわからん怪しい薬を作るな! 俺を殺す気か! 錬金術師なら錬金術師らしく金でも量産してろ、このクソジジイ!」
「うん、まあそりゃ、ワシがその気になれば賢者の石も作れるけど? でもあれって面倒くさいんじゃもん」
 いっそ今すぐ絞め殺してやろうか、とかなり真剣にハルクは考えた。
 窓から侵入してきたこの老人の名前はラムス。リヴァ・ダーン王国の宮廷付き錬金術師だ。胡散臭いことこの上ないが、一応、そういうことになっている。
 三十年ほど前、近隣諸国の間で空前の錬金術ブームが巻き起こった。最終目標はもちろん、不老不死と黄金変成である。リヴァ・ダーンも流行の波に乗って宮廷に錬金術師を招き、研究にあたらせたが、当然ながらはかばかしい結果が出ることもなく、そのうちにブームそのものが過ぎ去ってしまった。その後、雇った張本人である国王を含め、ほとんどの人間が錬金術のことなどさっぱり忘れてしまったが、雇われた錬金術師は忘れられたまま解雇もされずに、人知れず城に住み着いた妖怪のようにひっそりと怪しい研究を続けていたのである。そして、不良王子ハルディオスが城に連れ戻されてから、ベルゼンがその妖怪ジジイの存在を思い出し、画期的な活用方法を思いついたのである。
 しかし、今日のところはラムスの首が締め上げられることはなかった。なぜなら、ハルクが妖怪退治を決行すべく手を伸ばそうとしたそのとき、
「聞いたぞ、ハルディオス!」
 若々しく張りのある声とともに、バンッ! と勢いよくドアがぶち開けられた。
「化け獅子退治に行くことになったそうだな!」
「おう、なんだレイか」
 颯爽と部屋に入ってきたのは、ハルクとそう歳の違わなさそうな若者だった。ただし、印象は百八十度違う。上品に整った顔立ちと、陶器のようななめらかな額にさらさらと落ちかかる癖のない金髪。手足はすらりと長く、流行りのデザインの高価な服をさらりと嫌味なく着こなし、ひとつひとつの動作が優雅で洗練されている。ハルクよりもよほど貴公子然とした白皙の美青年だ。
 しかしながら、レイと呼ばれたその青年はキッとハルクを睨みつけた。
「勝手に縮めて呼ぶな! 僕の名前はレイユールだと何度も言っているだろう」
「べつにいいじゃねえか。長いんだよ、おまえの名前」
 面倒くさそうにひらひらと手を振ってから、「で」とハルクはレイユールを見た。
「おまえが俺のとこに来るなんて珍しいじゃねえか。何か用か? 妖怪退治ならつい今し方しようとしてたところだが」
「好きで来たわけじゃない。それと妖怪じゃなくて怪物だ」
 妖怪とは何のことだ、とは聞かないらしい。
「おまえが討伐の責任者に抜擢されたそうだが、僕も同行させてもらう。おまえがこの事件をどう解決するのか、お手並みを拝見させてもらうぞ」
「ああ? 何言ってんだ、俺は行くなんてひと言も言ってねえぞ」
「いいや、確かにそう聞いた。おまえが精鋭の兵士を引き連れて辺境を荒らし回る化け獅子を退治しに行くことになったと、さっき正式発表があったんだ。すでに城中が知っている」
「おい待て、なんで本人より先に城中が知ってんだよ。誰だ、勝手に話を進めやがったのは……」
 言いかけて、ハルクはふとベルゼンを振り向いた。疑わしげな視線を受け、重々しくうなずく教育係。
「わたくしめの誠心誠意をこめた説得により、必ずや殿下のお心に正義感と責任感が芽生え、この任務をお受けくださると信じておりましたので、先に準備だけでもと」
「あれのどこが誠心誠意の説得だ! 怪しげな薬を盛ろうとしただけじゃねえか!」
「いいか、ハルディオス」
 ぐいとレイユールが割って入った。
「おまえが戻ってこなければ、この国の王位を継ぐのは僕だったんだ」
「ああ? だったらそうすりゃいいだろ。俺は玉座になんざ興味はねえんだ。おまえが次の国王、俺は自由の身。これで全員納得で万々歳じゃねえか」
「殿下!」
「そういう問題ではないっ!」
 両側からものすごい剣幕で怒鳴られ、さすがのハルクもやや逃げ腰になった。
「な、なんだよ。最善の解決策を示してやったんだろ」
「いいか、ハルディオス。すっかり腐りきったおまえの頭でも理解できるように説明してやるが、おまえが生きている以上、王位継承権の第一位はあくまでもおまえなんだ。それをお情けで譲られるなど、僕のプライドが許さないし、国民も納得などしないだろう。僕がおまえから玉座を奪い取るのは、おまえがあらゆる面で僕よりも劣り、生ゴミよりも役に立たないどうしようもないクズ人間だと誰の目にも明らかな形で証明されたときだけだ」
「生ゴミ……」
「生ゴミは肥やしになる。牛糞も肥やしになる。つまり生ゴミ以下とは、牛糞以下でもあるということだ」
 腕を組んで偉そうに生ゴミと牛糞について語る美貌の貴公子というのは、世界広しといえどもなかなかお目にかかれるものではない。
 それまで傍観していたラムスが呑気に口を開いた。
「ま、それもええんじゃないかのう。これでもあえて行かんということになれば、殿下は自動的に『調子よく任務を引き受けておきながら出発直前で怖じ気づいて逃げ出した、王族どころか男の風上にもおけない卑怯で軟弱な臆病者』に成り下がるわけじゃからな。評判が地に落ちて誰からも期待されんようになれば、脱走したところで探そうとする者もおらんじゃろうて」
「…………」
「王位につくのを嫌がって出奔したというほうがまだしも聞こえがいいというものですが、こうなってしまった以上、致し方ありませんな。もはや殿下にご退場いただくには、『肥溜め以下の男』というレッテルを背中に貼り付けていただくしかございません」
「…………」
「どうだ、ハルディオス。尻尾を巻いて逃げ出すか」
 もはや、外堀は完全に埋め尽くされていた。
 王族の責務も誇りもどうでもいいが、下町の不良どもを牛耳っていたハルクにはハルクなりのプライドがある。ベルゼンの見え透いた作戦に乗せられるのは癪だったが、売り言葉には買い言葉。売られた喧嘩は必ず買う。不良の流儀に則って、ハルクはテーブルを蹴飛ばして立ち上がった。
「牛糞だの臆病だのうるせえんだよ、てめえら! いいか、その化け獅子とやらを仕留めた後で、てめえら全員肥溜めにぶち込んでやるから覚えてやがれッ!」


 こうして、半ばやけくそ気味に城を出発したハルディオス王子とお供の一行は、辺境のある村までやってきた。ちなみに錬金術師のラムスは「だってワシ、腰が痛いもん」とのことで同行していないが、だからと言って油断は禁物だ。やたらとかさばっているベルゼンの荷物には怪しげな薬の瓶が大量に含まれていると見てまず間違いない。
「王子殿下が直々においでくださるとは、なんと心強いことでしょう! お願いです、どうか我々をあの化け物からお救いください。村の男たちだけではどうにも太刀打ちできず、ほとほと困り果てていたのでございます」
 村長の話によると、噂の怪物は近隣の村や町に度々現れては、暴れ回ったり食料の備蓄を食い尽くしたりしているらしい。
「幸いまだ死者だけは出ておりませんが、これでは生活が立ちゆきません。しかもこの村では先日、若い娘たちが生贄として連れて行かれてしまいまして……」
「おい、生贄なら死人が出てるんじゃねえか。悠長にしてる場合じゃねえだろう」
「いえ、どうやらすぐに殺すつもりではないようなのです。化け物は娘たちを西の山の岩屋に閉じ込め、毎日村から大量の供物を運ぶよう要求してきております」
「ふむ、すると……その供物が絶えたときに、その娘御たちも食い殺されるというわけですかな」
 物騒な予想を口にしたのはベルゼンだ。途端に、村長がワッと泣き出してハルクに取りすがる。
「ああっ、どうかお助けください、王子殿下! 村の蓄えもあとわずかなのです。このままでは娘たちがあの血に飢えた化け物に殺されてしまいます!」
「まあ、落ち着け。ときに聞くが、村長。その連れて行かれた娘たちの中に美人はいるか」
「は? はあ……実はその中には私の娘もおりまして、親の私が言うのもなんですが、このあたりでは一番の器量よしと評判で……」
 脈絡のない質問にやや戸惑いつつも答えた村長に、ハルクは「よし」と満足げにうなずいた。その様子を、ベルゼンが横目でちらりと見やる。
「殿下、念のため申し上げておきますが、美人であろうがなかろうが、我が国の民であることに変わりはございません。顔の美醜などにとらわれ、差別することがあってはなりませんぞ」
「ああ? 誰も不細工は助けないとは言ってねえだろ。美人に敬意を払うのは男として当然の礼儀ってもんだ」
「まあ、ごく正直に申し上げますと、わたくしめも美女にお会いするのにやぶさかではございませんが……」
 相変わらず本音を隠す気がまるでない教育係である。
 ともあれ、美人がいると聞いて俄然張り切りだしたハルクたちは、村の青年に案内されて、問題の化け物が根城にしているという岩屋に向かった。
「あれです、あそこに入り口が見えるの、わかりますか? ああ、ほら、今出てきました!」
 青年が声を殺して叫ぶ。確かに一瞬、木立の向こうに獣のような姿がちらりと見えた。すぐに奥に戻ってしまったので全身をはっきり見ることはできなかったが、大きさはかなりあるだろう。
「ふん、ツラは拝めなかったな」
「あっ、そうだ、奴の顔を見るときは、気を確かに持って見るようにしてくださいね。本当に、この世のものとは思えない恐ろしい顔をしてるんです」
「心配するな、この世のものとも思えない顔なら見慣れてる。ラムスのジジイとかな」
「確か、矢は効かないのだったな? 剣で斬りつけても傷を負わせられなかったという話も聞いたが」
 ハルクのどうでもいい発言を無視して的確な質問をしたのはレイユールだ。「ええ、そうなんです」と、やや肩を落とし気味に青年がうなずく。
「そのために、僕らでは手も足も出なくて……。おまけにあの化け物は夜も眠らないみたいで、寝ている隙を狙うこともできません。王子殿下、みなさん、どうかよろしくお願いします! あの中には、僕の婚約者も囚われているんです」
「なんと、それは一大事でございますな。いや、ご安心ください。我々にはリヴァ・ダーン王国の希望の星、ハルディオス王子殿下がいらっしゃます。怪物の一頭や二頭、ちょちょいのちょいで片付けてくださいますとも」
「…………」
「さて、ハルディオス。相手は剣も矢も効かない上に、人質まで取っている。どう対処するつもりだ?」
「なんだよてめえら、俺に丸投げかよ」
「言ったはずだ。お手並みを拝見させてもらうとな。それとも僕やベルゼンの助言がないと考えることもできないか?」
「おまえそれは、肥溜めの前にそこの池に突き落としてほしいって意味か?」
 ハルクはぎろりとレイユールを睨んだが、実行には移さず、「まあいい」と鷹揚に腕を組んで大人の対応を見せた。そして、改めて同い年の従兄弟に向き直り、
「とりあえずレイ、おまえ女装しろ」
「だから縮めるなと言っているだろう! ……は? 女装?」
「そうだ。女のフリをして奴を穴蔵から誘い出せ。わざわざ女だけを連れてきて閉じ込めてるくらいだ、鼻先に餌をぶらさげてやりゃあ興味を示すだろ」
「なるほど、囮作戦か……いや、納得したわけじゃないぞ。なぜ僕なんだ! 普通、そういう身体を張る役目は発案者が自分でやるものだろう!」
「わかってねえな、おまえは」
 ハルクはやれやれとため息をついた。
「よく考えてみろ、このミッションは女装なんだぞ。仮に俺が女物の服を着て裏声を出したとして、怪物を騙せると思うか」
 これに対して、
「それはちょっと……無理があるんじゃないかと思います」青年がごく控えめに意見を述べ、
「おそらく、逆に怪物を怒らせ、その場で頭から食われるのがオチでしょうな」ベルゼンは正直かつ無礼であった。
「な? どう考えても、この中で一番女装が似合いそうなのはおまえなんだ。そこらの女よりも女みてえなそのツラを存分に活かして化け物の気を引け。――そういうわけで、悪いがあんた、ちょっと村に戻って適当な服を見繕ってきてくれねえか。髪が短いのはフードでも被れば誤魔化せるだろ」
 指示された青年が「は、はいっ」と駆け出そうとするのを、レイユールが慌てて止める。
「おい待て、僕はまだやるとは言ってないだろう!」
「なんだよ。ははあ、そうか、さては怖いんだな? なんだかんだ偉そうなことを言っても、結局は口先だけってことか。まったく、これだから温室でヌクヌク育ってきた軟弱な貴族の坊ちゃんってやつは」
 城での仕返しと言わんばかりの嫌味ったらしい口調。先程の大人の対応は、この大人げない意趣返しを思いついたためだったらしい。低レベルな嫌がらせだが、レイユールもレイユールでぴくりと眉を跳ね上げた。
「聞き捨てならないな。誰が軟弱で口先だけだって?」
「おまえの他に誰がいるよ。それとも何か、また口先だけでうまいこと言い抜ける気か?」
「よかろう、そこまで言うなら受けて立ってやる。僕は人食いの化け物など恐れてはいない。女装でも仮装でもやってやろうじゃないか!」
 あっさり挑発に乗せられている。
 そこでふとベルゼンが「そういえば」と声を漏らした。
「そういうことでしたら、衣装やカツラよりもいいものがございますぞ。確かこの中に……」
 ごそごそと荷物をあさり、何やら怪しげな液体の入った小瓶を取り出す。
「おお、ありましたありました。これぞ“性別が逆転する薬”にございます!」
「…………」
「つまり、これを使えば、男性なら女性に、女性なら男性に、性別を逆転させることができるのでございます」
「いや、まあ、意味はわかるが」
 問題は、なぜそんな薬を用意していたのかという点である。
 受け取った小瓶を、ハルクは微妙な表情で見やった。
「……これもラムスのジジイが作った薬か?」
「もちろんでございます」
「効き目は実証されてるんだろうな」
「ヒキガエルとニワトリでは確かに成功したとのことでした」
「飲ませればいいのか」
「いえ、この薬は服用するのではなく、頭から振りかけるのだそうです」
 ハルクはしばし沈黙すると、おもむろにキュッポンと栓を開けた。視線に気づいたレイユールが、じりっと後ずさる。
「……おい、ちょっと待て。その妙な薬を僕にかけるつもりじゃないだろうな。だいたい、それが本当に効くというならべつに僕でなくても……」
「まあそう言うな、レイ。いっちょ人体実験といこうじゃねえか」
 ハルクは逃げようとするレイユールの襟首をむんずとつかむと、その頭上に瓶の中身を一気に振りかけた。
「待て、おい、やめろと言っているだろうが! 人体実験とは何だ、この無礼者め! そもそもおまえには真剣味というものが足りないんだ。そんなことで一国の指導者が務まると……」
 猛然と抗議していたレイユールの声が途中から勢いをなくし、中途半端に途切れる。
 ハルクやベルゼンたちも、ぽかんとして目の前の光景に見入っていた。
 つい今の今までレイユールがいたはずの場所に、少女がひとり立っていた。ゆるく波打つ長い金髪と、泉のように澄んだ青い瞳。肌は透き通るように白く、ほっそりと華奢で、まるで朝露を含んだ花の蕾のように瑞々しく可憐な、まごうかたなき美少女だ。身長も骨格も完全に変わっているし、一体どういう仕組みなのか、着ているものもいつの間にか清楚な白いドレスに変化している。変化は彼らの目の前で起こったはずなのに、何がどうなってこうなったのかさっぱりわからなかった。
「これが僕の声か? 何やら妙な感じだな。目線も妙に低いし……。おい、ぼけっと阿呆面を晒してないで何とか言わないか、おまえたち。結局僕はどうなったんだ」
 軽やかに澄んだ声でぶつくさ言いながら、レイユールによく似た顔立ちの少女はさっさと後ろにあった小さな泉に近づき、鏡のような水面をのぞき込んだ。
「……ほう」
 小さく息を漏らし、改めて自分の身体を見下ろし、白く細い手を伸ばしてしげしげと眺める。
 そこでようやく、気を取り直したハルクが声を発した。
「いや、なんつうか……マジだったんだな、この薬」
 正直、もっと気色悪いオカマ的な何かになるのではないかと想像していたのである。
「レイ、おまえいっそ女に生まれてきたほうがよかったんじゃねえのか?」
「いやはや、まったくでございます。もはや元に戻る必要もないほどでございますな」
 これにはさすがに怒り出すかと思ったが、振り返ったレイユールは意外にもあっさりとうなずいた。
「当然だろう。つまりそれだけ僕が完璧だということだ」
 胸を張って偉そうに言う。どうやら自分でも納得のいく出来だったらしい。
「よし、とにかくそれだけ化けれりゃ十分だ。その美貌と色香で化け獅子とやらをさくさく誑かしてこい」
「ご健闘をお祈りいたします、レイア様」
「レイア?」レイユールが首を傾げる。
「せっかくお美しいレディになられているのですから、お名前もそれに合わせると良いのではないかと思いまして。いわゆるコードネームというものでございますな」
「ふん、なるほど。この姿のための仮の名というわけか」
 まんざらでもなさそうだ。
「確かに、同じ薬を浴びてもおまえではこうはいかなかっただろうな、ハルディオス。そこでこの僕の実力を見ているがいい」
 自信満々に言い切ると、レイユール(コードネーム・レイア)はひとりでさっさと歩き出した。颯爽とした足取りで、先程問題の怪物らしき姿が見えた岩屋の入り口へと向かう。
「あ、あの、レイユール様をおひとりで行かせてしまって大丈夫でしょうか。女装ならともかく、あの状態では体力も腕力も普通の女の子と変わらないんじゃ……」
「心配するな、腕力は女になっても図太さと判断力はそのままだからな。それより、おい、レイ! そんな大股で歩くんじゃねえよ。もっと女らしく歩け」
 ひそめた声で呼びかけるが、聞こえていないのか聞く気がないのか、レイユールは知らん顔だ。
 仕方ないので、ハルクたちも岩屋の様子がよく見えるようにごそごそと位置を移動する。
 入り口の正面に仁王立ちになったレイユール(美少女)は、腰に手を当て、堂々と声を張り上げた。
「出てこい、化け物! リヴァ・ダーンの純白の薔薇と讃えられるこのレイユール、いやレイアが貴様に会いにはるばるやってきてやったのだ。どうした、この可憐な僕が怖いのか? 怪物なら怪物らしく、正々堂々と姿を見せろ!」
「……あの、怪物っていうのは正々堂々としてるのが基本なんですか?」
「俺に聞くな。つーか純白の薔薇なんて呼ばれてんのか、あいつは」
「さあ、あまり聞いたことはございませんが、ご自身がそうおっしゃっているのですから、そうなのでしょう」
 たぶん自称だな、とハルクは思った。
 バラでもバカでもいいからもう少し喋り方をどうにかしろ、とハルクが声をかけようとしたとき、雷鳴のような声が岩屋の奥から轟いた。
「何者だ、貴様。我の長き眠りを妨げるのは、何の故あってのことか」
 大気が震え、木々がざわめく。その威厳と迫力に、長き眠りっておまえ最近散々このあたりで暴れ回ってんじゃねえかそれは昼寝のことか、というつっこみを、誰もがウヤムヤのまま胸の内にしまわざるをえなかった。
 そして、声の主がゆっくりと暗がりから姿を現した。
 それは巨大な獅子だった。茶褐色の毛並みに覆われた堂々たる体躯と力強い四肢。そして、炎のようなたてがみに囲まれたその顔は……。
「……俺の目がおかしいのか? どうもあの顔が人面みたいに見えるんだが……」
「いいえ、おかしくはございませんぞ、殿下。わたくしにも人面に見えます。それも、見るに耐えないオッサン面でございます」
 自分もオッサンのくせにベルゼンは容赦ない。
 そう、化け獅子は人間の顔をしていた。具体的には、人間の中年男性。そして、ごく率直に言えば、極めて不細工だった。ぶつぶつした皮膚、厚ぼったい唇、ひしゃげた鼻、もっさりとした毛虫のような眉毛、他人のあら探しが得意そうな目つき、等々……近づく前から「息が臭そう」と思わせるような、それはおそろしいオッサン顔だったのである。しかも、やたら大きい。確実に通常の人間の二倍はある。迫力ももれなく二倍で、離れているのにやたらと圧迫感がある。
「なんかこう……遠近感がおかしくなったような気がするな」
「ええ、あの巨大な顔のせいで、何人の腕のいい狩人が矢を放つタイミングを見誤ったことか……。もちろん、矢を射かけても効果はなかったわけですが、この世のものとも思えない恐るべき顔であることに変わりはありません」
「ああ、まあ……この世の存在として許されるもんじゃねえよな。あの大きさであの顔は……」
 そして、その恐るべき人面獅子の背中には、申し訳程度の小さな翼が生えていた。混じりけのない純白の翼だが、あの巨体を宙に浮かせるには、どう考えても小さすぎる。実用性があるとは到底思えないが、装飾目的なのだろうか。
 いろいろと意味不明な化け獅子は、再び重々しく口を開いた。
「我が名はジャンジャローン。名を名乗れ、小娘」
「さっき名乗っただろう。この短時間でもう忘れたのか」
「我が名はジャンジャローン。名を名乗れ、小娘」
「……レイユールだ。いや、レイアだ」
「レイか。つまらん名だな」
「どいつもこいつも、なぜ勝手に縮めるんだ!? しかもつまらないとは何事だ!」
「ふん、文句を言うだけなら一人前のようだな。これだから最近の若い娘というのはなっとらんのだ。服装もレースだのリボンだの、ヒラヒラチャラチャラしおって。髪くらい束ねたらどうなのだ。サラッサラのブロンドヘアの自慢でもしているつもりか? え?」
「むろん、これは自慢の髪だ。悔しければ貴様もそのボサボサでもっさりしたたてがみにブラシでも入れてみるがよかろう。僕のような輝かしい金髪とまではいかずとも、多少はマシになるかもしれんぞ」
「フン! 身を飾るしか能のない小娘には、長年の風雨を堪え忍んできたこのナチュラルヘアーが体現する質実剛健の精神は理解できんのであろう。偉そうなこと言って、どうせ女のくせにキャベツの千切りもろくにできんのではないか?」
「調理イコール女の仕事とは短絡的な発想だな。知らんのか、料理人には男のほうが多いのだぞ。現に、我が城のシェフは全員男だ」
「へ、屁理屈を言うな、屁理屈を! 自分がろくに料理もできんことをそうやって誤魔化すつもりだろう」
「なぜ僕がそんなつまらんことを誤魔化さないといけないんだ。よし、そこまで言うならここにキャベツとまな板と包丁を持ってこい。千切りにおいても僕がパーフェクトだということを証明してやる」
 何かよくわからない方向に会話が進んでいる。
「あの、レイユール様はキャベツの千切りがお得意なんですか?」
「包丁を握っている姿をお見かけしたことはございませんが、まあ、ご自身がそうおっしゃっているのですから……」
「つーか何なんだ、あの怪物は。ただの説教オヤジか」
 ともあれ、よくわからないなりにレイユールが化け獅子の気を引くことに成功しているのは事実である。お供の兵士たちを見張りに残し、ハルクたちはこの隙にこっそりと岩屋の中に忍び込んだ。
 入ってすぐは細い通路のようになっていた。ふたり並んでは歩けないくらいだから、あの化け獅子が通るにはぎりぎりの幅だろう。少し歩くと、ぽっかりと開けた明るい空間に出る。
 誰かが横からハルクにぶつかったのは、ちょうどそのときだった。
「きゃあっ」
「あ、悪ィ、大丈夫か」
 反射的に手を差し出す。ぶつかった拍子に尻餅をついたのは、布を腕に抱えた若い娘だった。
「あんた、あの化け獅子に連れて来られた麓の村の人間か? 俺たちはあんたらの救出を頼まれて……」
 少女は驚いたようにぽかんとハルクの顔を見つめていたが、やがてその大きな瞳いっぱいに涙を溜めたかと思うと、ハルクの言葉が終わらないうちに顔を伏せてわっと泣き出した。
「わたし、わたし……もう無理ですっ!」
「は? ああ、ここの監禁生活がか? 大丈夫だ、俺たちがちゃんと……」
「わたし、自慢じゃないけど針仕事にはけっこう自信があったんです。友人たちの中では一番うまかったし……でも、でも、もう無理です! 何度やり直しても、歪んでるとか縫い目が荒いとか……これ以上細かくなんて縫えません! 一体どこまでやったら完璧だって言うんですか……!」
「……はあ?」
「服を仕立てておられたのですかな」
 ベルゼンが横から手を伸ばし、「失礼いたします」と少女が抱えていた布を広げた。
「ふむ、なかなかの仕上がりでございますな。特にこれといってケチをつける部分があるようには見えませんが……」
「あ……ありがとうございます! なんて心に染み入るお言葉……!」
 この程度が染み入るとは、今まで一体どれだけけなされていたのだろうか。というか、それ以前の問題として、なぜこんなところで服など仕立てているのか。
 改めて見回してみると、岩屋の中は意外なほど明るかった。上の岩盤が薄かったのか、天井部分が半分ほど崩れて空がのぞいているのだ。一番奥には小さな湧き水もある。そして、そのあちこちで、何人もの娘たちが何やら作業に追われていた。縫い物や掃除、即席で組んだらしい小さな竈で鍋をかき回していたりと、やっていることはそれぞれだが、どうやら誰もが自分の仕事で手一杯になっているらしく、ハルクたちの存在にも気づいていないようだ。
「あたしにこれ以上どうしろって言うの!? 味が薄すぎるとか具が固いとか、何度作り直しても文句ばっかり! 挙げ句の果てに『おまえにはまともな味覚というものがないのか』ですって!? ええ、ええ、味見のしすぎでもうわけがわからなくなってるわよ!」
「こんな屋外同然の場所で砂粒ひとつ残さず掃除しろなんて、無理に決まってるじゃない! しかもあいつ、外に行くたびにわざわざ足を濡らしてきて泥のついた足跡つけて、『なんだ、ここもまだ汚れているぞ』とか、何あの勝ち誇った表情! ああ、あのふざけた顔面に雑巾を投げつけてやりたいっ……!」
 そこらへんにある岩を化け獅子の顔面に見立てて雑巾を叩きつける少女もいれば、「無理! もう無理! そもそもあたしに編み物なんか向いてないのよ!」と編み棒を投げ出す少女もいる。
「……なんつーか、全員ブチ切れ寸前って感じだな」
「ああっ……あの、僕、聞いたことがあります! まだあの化け獅子が現れて間もない頃、ある町の男たちが見かねて退治に出かけ、数日経って戻ってきたのですが、全員がほぼノイローゼ状態になっていたんだそうです。なんでも逆に捕まってひたすら薪割りをさせられ、完全に真っ二つになってないとかどうでもいいことを延々とダメ出しされ続けたらしく、もう二度と薪を見たくないとうわごとのように繰り返していたとか……。なんていうことだ、ここでもその惨劇が繰り返されていたなんて……!」
「…………」
 まあ、惨劇と言えば惨劇かもしれない。なにしろ、女の子たちの形相がものすごいことになっている。助けてあげなければという使命感を刺激されるどころか、できれば見なかったことにして帰りたいくらいだ。
 重々しい声が岩屋中に響き渡ったのは、そのときだった。
「何者だ、貴様ら! ここで何をしている!」
 振り返ると、例の化け獅子が戻ってきたところだった。ハルクたちのほうにのしのしと歩み寄ってくると、まだベルゼンが手にしたままだった服をしげしげと眺め、「時間がかかったわりにこの程度か、ふん」と偉そうに鼻を鳴らす。
「おい、何あっさり戻ってこさせてるんだよ! せめて何か合図くらいしろ、何のための見張りだ!」
 化け獅子の後ろからひょいと顔を覗かせた兵士たちにハルクが怒鳴ると、
「いえ、それが、レイユール様……ではなくレイア様が、キャベツの千切りを終えるまで黙って見ているようにとおっしゃられまして……」
「はあ?」
 見れば、いつの間にか美少女レイユールもやってきていて、手頃な石の上にまな板をセッティングしているところだった。ちなみに、隅のほうには村から運ばせたらしい食料が雑多に積み上げられている。おそらくその中にキャベツもあるのだろう。贅沢なことに酒樽まである。
 化け獅子はハルクたちを値踏みするようにじろじろと眺めた。
「ふん、どうせまた愚かにもこの私を退治しようなどと考えて忍び込んできたのだろう。見るからに頭の悪そうな顔をしおって」
「おい、化け物! 頭が悪そうとは何事だ! この御方はリヴァ・ダーン王国の王子、ハルディオス殿下であらせられるぞ。非礼にもほどがあろう! そういうことは普通もっとオブラートに包んで言うものだ!」
「非礼はてめえだろ、ベルゼン。なんで俺個人が言われたって解釈になってんだ」
 しかも、「頭が悪そう」という点をなにげなく肯定している。
 化け獅子は化け獅子で勝手に続けていた。
「貴様らごときに易々と倒される私ではないぞ。このまままとめて食い殺してやってもいいところだが、そうだな、これから私が出す問題に、見事正解することができたら生かして帰してやってもいい」
「ああ? 問題だ?」
「ではいくぞ。あー……ううん、ゴホン」
 わざわざ咳払いして声を整える。
「朝は四本足、昼は二本足、晩は三本足で歩くものとは何か?」
「人間だろ」
「朝は四本足、昼は二本足、晩は三本足で歩くものとは何か?」
「おい、今答えただろうが。聞かなかったことにしてんじゃねえよ」
「ふむ、この謎かけでは少々難易度が高すぎたか。よかろう、特別サービスでもう少し簡単なものにしてやろう」
「いらねえよ。人の話聞く気ねえだろ、てめえ」
「今この場所にいる中で、一番男前なのは誰だ?」
「…………」
「ホレ、どうした。簡単な質問であろう。早く答えんか」
 ものすごくわかりやすい、期待に満ち満ちた表情であった。
 ハルクはしばし沈思黙考した後、
「あー……まあアレだな、この場と言わず、国中の野郎を集めたところで、あんたに敵う男はそうそういねえよ、旦那」
「うむ、いや、まあ、それほどでもないが……うむ、やはりそうであろう。うむうむ」
 とりあえず、いい気にさせることには成功した。
 さてここからどうするべきかと思案するハルクに、ベルゼンがこっそりとささやきかける。
「殿下、この手の怪物というのは、己の真の名を知られるとその相手に逆らうことができなくなると言われております」
「真の名? さっき何とか名乗ってたのは違うのか」
「偽名でございましょう。ジャンジャローンというのは、古代の帝王の名でございます」
 なるほどな、とうなずいてハルクは化け獅子に向き直った。
「貴様ら、何をコソコソ話しておる」
「いや別に、あふれ出る旦那の威厳について話し合ってただけなんだが、ところでこれだけ立派な旦那のことだから、名前もさぞかし立派なんだろうな。ひとつ教えてくれねえか」
「む? まあ、そうだな、そういうことならば神聖なる我が名を教えてやろう。我はジャンジャローン。古代ゲルンゲルン王朝の聖王なるぞ」
「それじゃねえよ。あんだろ、本名が」
「よいか、聖ゲルンゲルン王朝とは古代イヴァレント大陸に突如として現れた高度文明であり……」
 勝手に蘊蓄を垂れ始めたところに、「おい、化け物!」と澄んだ声が呼びかけてきた。
「見ろ、このキャベツの千切りを! これが僕の実力だ」
 振り返ると、レイユールが包丁の切っ先をビシッと化け獅子のほうに向けていた。まな板の上には見事なキャベツの千切りの山ができあがっている。細くてふわふわとやわらかそうで、予想をはるかに上回る完璧な出来映えだ。
 化け獅子はしばらくその極細千切りの山を眺めた後、おもむろにハルクたちのほうに顔を戻し、
「そして聖ゲルンゲルン朝中期の戦乱時代には戦国武将のサールスキーとカニーニが王家の秘宝を巡って争い、これを一般にサルカニ合戦というのだが……」
 何事もなかったかのように蘊蓄を再開した。
「おい、見なかったフリをするな、化け物。負けを認めるのがそんなに悔しいか。つけ合わせにおまえの肉をはいでステーキにしてやってもいいんだぞ。まずそうだがな」
 確かにまずそうだが、どちらかといえばキャベツのほうがつけ合わせのポジションではなかろうか。
 延々とゲルンゲルン王朝史を語っている化け獅子の相手はベルゼンと村の青年に任せ、ハルクは備蓄されている食料のあたりで何やらごそごそと作業をしてから戻ってきた。
「まあ、とりあえず一杯やろうじゃねえか。昔話には酒がつきものだぜ」
「うん? それもそうだな。なかなか気が利くではないか」
 勧められるままに酒を飲み干す化け獅子。
「いやぁ、古代の歴史を語らせたら旦那の右に出る者はいねえな。ついでにもう一回名前を聞いときてえんだが」
「よかろう。我が名はケナス・マラ。ワグベーン遺跡の番人である」
 言ってしまってから、化け獅子はぎょっとしたように慌てて口をつぐんだ。
「なっ、なんだ? 今私は何か言ったか?」
「ほう、遺跡の番人か。それがなんでこんなところにいやがるんだ」
「な、なんのことを言っているのかわからんな。なぜなら長年番人をやっていたものの、最近は墓泥棒も勇者も来なくてヒマで仕方なかったので、なんとなく出てきたのだ」
「なるほど。で、あちこちで食料を食い荒らしたり若い連中をつかまえてどうでもいい説教を垂れていたと。傍迷惑極まりない暇つぶしだな、このたてがみ野郎」
「その通りだ! いや違う、おかしい、なぜさっきから口が勝手に喋るのだ!?」
 本名の発覚した化け獅子は冷や汗をかいている。ベルゼンが不審そうな表情で振り返った。
「殿下、まさか先程の葡萄酒に……」
「おう。適量がわからなかったからな、景気よく全部ぶち込んでやった」
 言いながら、ハルクはポケットから空の小瓶を取り出して振って見せた。貼られたラベルには“嘘をつけなくなる薬”と書かれている。
「見事な策略です……と、申し上げたいところですが、殿下。まさかご自分にその薬が使われるとマズイことがおありだからわざと全部使い切ったとか、そういうことではございませんでしょうな?」
 視線がものすごく疑わしげだ。
「ああ? んなわけねえだろ。つーかてめえこそこんな薬を用意しやがって、一体俺に何を喋らせるつもりだったんだ!」
「特に何をということはございませんが、素直でない殿下のことでございますから、何かの折りに役に立つかと存じまして」
「存じてんじゃねえッ!」
 ベルゼンが“性別が逆転する薬”を取り出したときにチラッとこの薬が見えてよかった、とハルクは心から思った。あれだけ効き目があると、何を喋らされるかわかったものではない。
「……まあいい、この件は後でじっくり話し合うとしてだ。おい、ケナス・マラ」
 名前を呼ばれ、化け獅子がびくりと体を強張らせる。
「せ、せめてケイちゃんと呼ぶことにせんか」
「誰が呼ぶか、阿呆。いいからてめえはとっとと帰れ」
「むう……真の名を握られるとは、一生の不覚。若造、確か貴様、この国の王子だと言ったな。わかった、非常に不本意だが、致し方在るまい。貴様を新たな主と認め、王宮の中庭で飼われてやろう」
「なんで俺がてめえみたいな気色悪い生命体をペットにしなきゃならねえんだ。おとなしく元いた遺跡とやらへ帰れって言ってんだよ。それとも縄で縛り上げて肥溜めにぶちこんでやろうか、ああ?」
「な、なんという非道な……! この人でなし!」
「怪物に言われたかねえよ。帰るか肥溜め行きか、どっちにすんだ、ええ? ケナス・マラ」
 化け獅子は巨大なオッサン顔に苦渋の表情を浮かべて思い悩んだ末、
「……帰ります」
 しぶしぶ結論を出した。

 こうして、王子ハルディオスの化け獅子退治は決着した。


「助けてくれてありがとう。わたしたち、もう本当に限界だったの。これ以上あの化け物の性悪姑攻撃を食らい続けたら、相打ち覚悟で襲いかかって池に沈めてやるところだったわ……!」
 ハルクたちに駆け寄ってきてそう言ったのは、岩屋に囚われていた娘たちのうちのひとりだった。表情に穏やかさが戻ったおかげで、娘たちは皆それなりに可愛らしいが、その中でも特に目を引く美人だ。おそらく彼女が、村で一番器量がいいという村長の娘なのだろう。さりげなく混ざっている物騒な内容はともかく、目を潤ませた美人にお礼を言われれば悪い気はしない。
「なに、礼を言われるほどのことじゃ……」
「でもわたし、きっとあなたが来てくれるって信じてた! 会いたかったわ、ダーリン!」
「僕も心配したよ、ハニー。きみが無事で本当に良かった……!」
 美人がハルクをスルーして抱きついたのは、その横にいた村の青年だった。
「…………」
「おお、そういえば、彼には婚約者がいらっしゃるというお話でしたな。いやはや、無事の再会がかなってようございました」
 ベルゼンがわざとらしいほどしみじみとつぶやく。
 その後、化け獅子ケナス・マラは作りかけだった料理とレイユールのキャベツの千切りを強制的に食べさせられ、「二千年も真面目に番人をやっていたのにこの仕打ち」とか「ちょっとハメを外しただけなのに」とぶつくさ言いながら故郷の遺跡へ帰っていき、娘たちを連れて村に戻ったハルクたちはやんやの喝采で迎えられた。岩屋に残された食料は、後で回収しに行くという。
「……それで結局、俺には何のメリットがあったんだ? この化け物退治は」
「何をおっしゃいます、殿下。これでこの地方の民の心はつかんだも同然。見事化け獅子を退治した英雄として、殿下の評判はうなぎ登りでございますぞ!」
「だから俺は殿下じゃねえし、そんな評判はいらねえんだよ!」
 ぶつくさ言いながら城への帰途につく。退治したほうもされたほうも、なんとなく似たような風情である。同行の兵士たちは結局何の活躍もしなかったように見えるが、彼らのメインの任務はハルクの逃亡を防ぐことにあるので、むしろここからが後半戦というところだ。
 村を出てしばらくした頃、ふと鈴を振るような可憐な声が言った。
「で、僕は一体、どうやったら元に戻れるんだ?」
「……あ」
 振り返れば、レイユールが美少女のままハルクとベルゼンを交互に見ている。あまりに似合いすぎていたので、すっかり忘れていた。
「……おそらく、同じ薬をもう一度振りかければよいのだと思いますが……」
 問題は、あのラムスがまったく同じ薬を二度作れるのかということだ。「えー、ムリ。忘れたもん」とか言いそうな気が、ものすごくする。
「ストックは……ねえんだよな?」
「正真正銘、殿下が使い切ったあの一本のみでございます」
 ハルクはしばし沈黙した後、
「まあ、アレだ。別に無理して戻ることもねえだろ。今のほうが可愛げがあるしな」
 うんうんとひとりでうなずく。
「冗談ではないぞ! 僕は断固として元の姿に戻る! 勝手に僕に薬を振りかけ、後先考えずに使い切ったのはおまえなのだからな、ハルディオス。責任を取って、きっちり元に戻る薬を用意してもらおう!」
「ああ? 俺のせいじゃねえだろ。俺は女装すりゃいいっつったのを、ベルゼンの野郎が妙な薬を出してきやがったんじゃねえか。文句ならそっちに言え」
「なんと姑息な責任転嫁を……。これは、帰ったらさっそくラムス殿に“反省の心が芽生える薬”を作っていただかなくてはなりませんな」
「だからいい加減にその薬を盛るって発想をやめろってんだ!」
 ベルゼンはこれからハルクに飲ませるべき薬の名前を次々と挙げ、レイユールは責任を取れと迫り、兵士たちは不良王子を逃がさないようきっちり目を光らせている。
 ハルクの苦労の日々は、どうやらまだまだ始まったばかりのようだ。



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