ショスタコービッチの証言


8月の16日だったか、うる覚えだけれどもNHKのBSでショスタコービッチのドキュメンタリーをやっていた。私はBSに入っていないので身内に録画してもらって見た。
スターリンによる粛正時代の恐怖を、様々な関係者の「証言」で暴いた秀作。西側に住んでいた我々が、当時の恐怖を理解し、かつ、ショスタコービッチがどのような気持ちで日々を生きていたか、それを実感することは全く不可能だ。とにかく衝撃の一言に尽きる。

80年代の初頭、ヴォルコフの「証言」が出版された当時、私もすぐ読んだが、やたらと冗長な本で、中味を良く理解できぬまま時は経ち、やがて旧ソ連は崩壊して、ベルリンの壁は壊された。

次々と親族が収容所に送られていく中で、あるときは体制に迎合しなければならず、またあるときは反体制の音楽を書き続けた強靱な精神と、薄氷を踏むような運命。さらに国際的評価を勝ち得た彼の天才性には言葉もなく、ただ、うなだれる他はない。

ドキュメンタリーを見た結果、今世紀、最も成功した交響曲である第5番は、当局によって国家賛美を強制された音楽、喜ぶフリをしなければ殺されてしまう人民を表現した音楽であることが明らかになった。だが、初演当時はそんなことを考える者は誰もおらず、1時間以上も喝采が続き、ソビエト音楽の最高傑作として名声を獲得することになった。そして海外における第5交響曲の名声はそのまま、ソビエト国家の名声へとすり替えられた。

ショスタコービッチの才能を利用したのは、ソビエト当局だけではない。例えば第7番「レニングラード」は、ナチスドイツ軍によるレニングラード包囲を批判し、自国民を鼓舞する目的で作曲されたと「喧伝」された作品だが、楽譜はマイクロフィルムに納められて密かに運び出され、連合国側の手に渡って反ナチの音楽として賞賛された。・・・・そう、多くの解説にはそう書かれている。

しかし私には、この曲がナチスだけを批判したとは全く思えない。むしろ戦争をやらかす全ての人々を、揶揄しているように感じてしまう。特に最後の楽章は、第5番の書法とそっくりなのである。分かりやすく言うと、ショスタコービッチは、第5番を書いたときと同じ気持ちで、わざとカッコヨク書いたとしか思えないのだ。つまり第5番が国家賛美の強制なら、第7番には戦争を強制される人々の悲劇を感じてしまうのである。

戦争を強制されるのは西側であろうと、東側であろうと変わりがない。その意味で、ショスタコービッチの作品は、間違いなく人類的規模の狂気であり、悲劇であり、絶望の後に訪れるみすぼらしい「笑い」の音楽であると思う。

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ドキュメンタリー中の交響曲第8番のリハーサルシーン。中堅指揮者ゲルギエフはオーケストラにむかって言う。
「そこは音楽的ではなく・・・ブラームスやベートーヴェンのような音楽的なものを忘れて演奏してほしい・・・・」
そしてオーケストラは何かに取りつかれたように、無心で音を鳴らす。過去の忌まわしい記憶がフレーズのあちこちから立ち登り、聴いている私の、第3者でしかない私の胸に迫ってくる。

その影響もあって、この曲の非音楽性を体感すべく、第8番のCDを探したわけだが、先日買ったザンデルリンク指揮・ベルリン交響楽団の第8番に欲求不満を感じたので、本日、ロジェストヴェンスキー指揮・ソビエト文化省交響楽団の7番と8番の2枚組CD(BMG)と、ムラヴィンスキー指揮・レニングラードフィルの7番(53年録音・BMG)を購入した。

書きたいことは山ほどあれど、とにかくですね。ロジェストヴェンスキーの第8番の録音は断固推薦いたします。黙って聴きましょう、みなさん。7番の方は、残念ながら録音が扁平で物足りないけど、でも内容は充実しています。2枚組でこのお値段は得ですよ。ムラヴィンスキーのは、迫力ありますが録音古すぎかつ悪すぎ。いわゆる歴史的演奏ですね。

ショスタコ節は、やはり身体のでっかいロシア人がバリバリ吹きまくった血管切れそうな金管楽器の音で聴きたいではないですか。ウォッカの臭いのしない洗練されたどっかのオーケストラが演奏しても、お稽古事みたいで、なんとなくつまらないですよ。
というわけで、本日のお買い物には大満足なのでありました。


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