2001年8月1日(水)

MBS「コンちゃん」の中継で箕面の「ダスキンレントオール」へ。レンタル屋さんだが、ホントいろんなモノを貸している。夏祭りの「タコ焼き器」や「おでん鍋」に「金魚すくいセット」。さすがに破れてしまうポイの紙も金魚も買い取りだが、金魚は時価だとか。盆踊り用のヤグラも借りられるし。それも大中小。また、秋に控えている運動会の道具も。「綱引きの綱」や「紅白玉入れセット」。紅白玉は1個40円でレンタル(!)。あと「ムカデ競争」で使う「ムカデ下駄」も!勿論、そういう変わったモノ以外にも、旅行カバンなどの定番商品を始めとする全2000アイテムを揃えているが、残念ながら漫才師の相方はレンタルしていないらしい・・・。

2001年8月2日(木)

遂に検閲が!「楽屋へ行こう・7月下席号」が丸々削除されてしまいました。詳しく書くと、この日記まで削除されかねないので、色々と予想していただいてcinpre@docomo.ne.jpまで送って下さい。夜は大阪厚生年金会館で「レッド・シャドー赤影」の試写を観る。あの赤影のタイトルを引き継いではいるのだが内容は殆ど関係有りません。赤影も秘密パーティーのような仮面はせずに素顔、ただ赤いマフラーをしてるだけ。少しというか、かなり残念でした。でも「赤影」と思わずに観ようとしたら、それなりに楽しめるかもしれません。「サムライ・フィクション」や「シュリ」の映画本編ではなく、日本向けの予告編を監督した人なのでテンポはよく、飽きさせません。でも、「赤影」が観たかったのに!。

2001年8月3日(金)

昨日のヨルは雨がたくさん降らなかったので、今夜の”営業のスケ”はナシ。昨日よりも天気が良くないなぁなんて思っていると、辺りが暗くなる頃に外ではゴロゴロと鳴り出した。雷か?と思ったが、どうやら花火のようだ。この時期はあちらこちらで花火大会があるので、毎日のように音だけが聞こえる。話は変わって、今年の芸術祭ですが、参加は認められませんでした。なので、秋の「シンプレ大阪決戦!!」は”芸術祭不参加作品”という冠でやります。

2001年8月4日(土)

今日から二日間は浪花座の”若手大会”に出演。またまたトリですが、よく考えるともういい加減、若手や無いと思うんやけど・・・。確かに、自分の少し上のキャリアの漫才師といえば、”酒井くにお・とおる”さんになってしまうほど、皆辞めちゃっていないわけですが。でも、若手では無い・・・と客人が突っ込んでると思いながら舞台に上がりました。しかし、ずっとずっと後輩のコンビも去年と比べて解散してるのが結構いたりして、なかなか苛酷なんだなぁと。まぁ、残った者だけでいずれは”中堅大会”ってのをやってもいいんじゃないか。けど、そんなタイトルってのも華が無いね。

2001年8月5日(日)

”偽り”の若手大会の最終日・・・二日目です。今日は相棒の地元の門真で行われる「門真まつり」の仕事が入っている(勿論、ヤミでは無く会社からの仕事です。)ので、劇場は昼の部のみの出演。昨日のヨルの部は持ち時間の倍の30分喋ったので、今日はなるべく時間内にと、20分喋りました。やっぱり、自分の出番前までの笑いが薄いと意識してしまう。もう、反則だろうがなんだろうが行ってやるよって感じだ。ただ、漫才というよりは、かなりフリー・トークだったりするが・・・。相棒が、いつもの劇場ネタに戻そう戻そうとするのが妙に可笑しかった。器を見て器に合わす、これ芸人の性なり!。

2001年8月6日(月)

大変、大変。Lマガの締切です。今日です。でも、全然書けてません。本当は今日の昼間にやるべきだったのです。でも、何を思ったのかビデオ屋で「ダイナソー」を借りて来て観て、案の定、ガッカリして返しに行って時間を費やしてしまってました。しかし、先日の”楽屋へ行こう”事件からどうも”書くという作業”にナーバスになってます。非常に甘えた事を承知の上です。でも、なんか自分の中の”信頼”という部分にまで抵触する出来事です。この文面自体、ボカシ過ぎてるので読んでる人の内、どれだけ理解してくれることか。それでも、この日記は、限りなく自分に正直に向かっていくと決めてるもので。

2001年8月7日(火)

暑いねぇ。何をするにも汗が吹き出てきます。でも、汗をいっぱいかくからか意外と体調は良かったりします。サウナってのはあまり好きでは無いのですが、この日々の”強制的サウナ”ってのもなかなかいいのかも知れません。サラリーマンにならずに芸人になった自分ですが、この時期のスーツ姿の人には一目置いてます。Tシャツ一枚でも暑いのに、ビシッと着こなした人は格好が良いと思います。けれども、どうやって体温の調節をしているのでしょうか?長年の会社勤め期間で、汗をかかない体質になってしまっているのか?芸人でスーツ着てる人はドロドロに汗かくのになぁ・・・。

2001年8月8日(水)

今日は「今日は8・8文珍デーの日です。」というメールが僕のところにたくさん届きました。いつも、ライブで言ってたので皆が覚えていたのでしょう。でも、そういう着信メールの羅列ってのも異様な光景ですが・・・。昼間のMBS「コンちゃん」の中継先は神戸市中央区のオリバーソース株式会社。なんと社長自ら取材に応じていただき感動。そして、ソース工場まで案内していただき感激。その上、中継終了後、次週の取材先を90分間に渡って一緒に考えてもらい、帰る時には非売品の幻のウスターソースまで頂き感謝。ヨルは松竹座で「大江戸ロケット!」を観劇。途中に25分の休憩を挟みつつ、イッキに3時間を駆け抜けた。先日の「赤影」以来、”奥菜恵”づいてます。でも、非常に前向きな人だと思います。それがこちら側に伝わってきます。ゴチャゴチャ言わずに舞台で決着という、芸人の基本なのかも知れません。でも、こんなに笑う大型ミュージカルは初めての体験でした。満員の客席は客層がまばらで、隣に座っていた”歌舞伎常連”っぽいオバさん二人も爆笑してました。また、客席に座って観る側であるからこそ気付く事も有り、娯楽というものは奥が深いとつくづく思いました。何に気付いたかは内緒。何?具体的に?人を竹中平蔵氏みたいに・・・。

2001年8月9日(木)

家の隣を駐車場にするらしく、朝から取り壊し作業で騒がしい。一応、近所に配慮しているのか、朝8時半過ぎに始めたようだが、一軒の家を壊すとなると大変だろう。来ている職人さん達の中にも、当然、先輩・後輩はあって、「あ〜っ!違うやろ!分かってない奴やなぁ。」と熟練の職人さんが新人を怒鳴る声が度々聞こえてくる。かなり厳しい新人教育と言うには、いささか怒号がきつかったりする。そんなやりとりが一日中続き、夕方に彼らは引き上げていったのだが、何処まで進んだのか外に出て見ると、隣とウチとの境界線に防塵用のシートが立てられているだけで、他は何の進展もなさそうだった。「隣に迷惑をかけては・・・。」と思い慎重に立ててくれたのだろうが、取り壊し以前の段階でこんなに怒鳴られた新人クンは、明日からはそれ以上ということか?防塵よりも防音でお願いしたいが・・・。

2001年8月10日(金)

世間は盆休みに突入したりしているようだが、芸人という仕事をしているとピンと来ない。しかし、この時期は放送局も事務所も休みを取る人がいるので、業務は行われていても何となく、学校でいうところの”午前中授業”のような雰囲気で、ポヨ〜ンとしている。だから、こういう時は、こちらも逆に顔を出しにくかったりする。とはいっても、生のレギュラー番組を抱えている関係者は休みは取れないので、ポヨ〜ンとした雰囲気なのは、そういう人達が現場に出払っているからだろう。ほぼ全員が同じ時間に仕事をして、休日はほぼ全員が同じという世間のカレンダーで動いていないから、なんとなく足並みの揃わない雰囲気になってしまうのも仕方がない。でも、芸人なんてもっと足並みは揃わないわけで、気付けばアッという間に一年中、ポヨ〜ンとしてたりする・・・。

2001年8月11日(土)

今日、高校時代の友人が遊びに来てくれた。しかも、お酒とおつまみを沢山お土産に。車で来たので、酒はクーラーBOXで二つも。本当に申し訳ない。おつまみといっても、百貨店の地下売場で買い込んで来てくれたのだ。有り難くいただいたが、またまた飲み過ぎてしまい、友達を取り残したまま熟睡してしまった。これって、ひょっとして、酒が弱いというよりも酒癖が悪いということなのか?ふと、目覚めれば2時間もワープしていたようで、その間、ジッと待っていてくれたようだ。本当にご免なさい。また来て下さいというのは虫が良すぎるわなぁ・・・。

2001年8月12日(日)

今日は浪花座に。TKOのスケです。ただ今、”盆興業”の真っ只中ということもあって、一日三回まわし。朝の十時半から幕が上がってます。そんな時間からでも見に来る人がいるというのも有り難いというか不思議というか。そういう人たちは九時半には家を出るのでしょうし、逆算して八時過ぎには起きてるわけで。つまり、朝の八時過ぎの段階で「浪花座へ行こう!」と脳は思っているのでしょう?我々の出番は三回ではなくて、十二時二十分と三時二十分の二回で、トップバッター!二回とも振り逃げ・・・。

2001年8月13日(月)

やばいっ!舌を噛んでしまいました。物凄く血が噴き出てなかなか止まりません。しかも、舌先です。「どうやったら噛むの?」という場所ですが、兎に角、噛んでしまったのです。またもや、口内炎の不安が頭をよぎります。これが悪化すれば、本当に喋れません。舌の横ならかばう事が出来ても、先はどうしようも有りません。自分でシミュレーションしてみましたが、やはり舌先が歯に触れます。小林製薬から口内炎に塗ると膜を作ってくれるという薬が新発売されているようなので、探すとしよう・・・。

2001年8月14日(火)

来週の火曜日は「第4806回シンプレ大阪決戦!」の開催日です。場所は難波の大阪府立体育会館で、18時40分開演です。入場料は当日千円というお笑い事務所間のセーフ・ガード発令ギリギリの安価です。今回も大変な出来事が起こりそうな予感がしますので、是非、皆さん目撃しに来て下さい。昨日は小泉総理が靖国に行ってA級戦犯にも参拝するのかと問題になってましたが、もしも、総理が構造改革を失敗すれば、日本はガタガタになり、マスコミによって小泉内閣は”A級戦犯”とか書かれたりするのでしょうか?杞憂であって欲しいのですが・・・。

2001年8月15日(水)

MBS「コンちゃん」の中継で、JR新長田駅近くの「伍魚福」さんへ。此処は”おつまみ”専門に商売をしていて、乾きものは勿論、ソーセージや焼き鳥などの冷蔵のおつまみも開発・販売していて、スーパーへは全国200件、酒屋さんへは500件、商品を納入している。取材中に色々と試食させてもらったが、中でも「牛舌スモーク」は絶品!霜降り状で柔らかく、スモークにありがちなヘンな煙臭も無い。お世辞でも何もなく、本当に旨い。この会社は、営業部のことを”お客様繁盛推進部”と呼んでおり、納品した先のスーパーや酒屋さんが繁盛して欲しいという願いが込められているのだとか。味付けに関しては、万人向けではなく、十人に一人がクセになる味を心がけているようだ・・・。

2001年8月16日(木)

芸人仲間の呼称で”選手”というのを使っています。先輩なら○○師匠や○○さんですが、同期や後輩だと○○と呼び捨てする程仲良く無いし、かといって、○○クンと呼ぶのも気持ち悪いだろうし、その上、芸人さんの中には”どう扱っていいの?”というキャリア不詳の人もいたりするので、そういう人たちを一括りにして”選手”と呼ぶことにしているのです。実はこの”選手”という呼び方を教えてくれたのは先輩の芸人さんでした。その人は草野球が好きだったことから思いついたようで昨日今日入った僕を「渡辺選手」と呼んでくれて、呼び捨てにされるより居心地が良かった記憶が有ります。要するに仲が良ければ問題は無いのでしょうが・・・。てなわけで、今週の土曜日ですが、KBS京都で松本美香選手がやっているラジオに乱入します。まぁ、「乱入します。」と言って乱入するのは変ですが・・・。当然、ウチの事務所と向こうと話がついてのことです。大体、ヨルの10時過ぎから出ると思うので皆さん見守っていて下さい(笑)。

2001年8月17日(金)

夏バテかなぁ?非常にありきたりな始まりの日記で申しわけないが、もう体が鉛のようだ。べつに犬のように働いたわけでも無いのに、丸太のように横になりたいと歌ったビートルズの気持ちが分かります。こういう時は取り合えず寝ることでしょう。けれど、いつもの強迫観念の仕業で、次から次へとやらなければいけない事が頭に浮かぶので落ち着けません。いっそ、商売替えでもすりゃあ沈静するのでしょうが。いや、それでも結局は何かに急き立てられる感覚は変わらないかも。これは性分なので。体的には空いていても、精神的に時間が無いって感じかなあ。よう分からんけど・・・。兎に角、何も考えずにゆっくりしたい!。

2001年8月18日(土)

今夜はKBS京都でやっている松本美香選手のラジオ番組にゲスト出演した。「シンプレ大阪決戦!」の告知ってことで行ったのだが、殆どが相棒の「コンパ決戦!」話に終始。あんなに活き活きと喋る相棒も珍しかった・・・。僕はというと、口内炎の猛襲に言語機能を奪われかけたのを”口内炎パッチ”という薬付きシールで覆ってなんとか喋れるようにしての参戦。しかし、KBSのスタジオは良いねぇ。内装とかは垢抜けないけど、”ラジオをやる!”という雰囲気が抜群だ。窓から青い海も、美しい夜景も見えなくても、それで良い。

2001年8月19日(日)

TVでは、研ナオコさんが走ってます。もう、面ワレしないやろって程の素顔になって。80キロなんて凄い挑戦だと思います。でも、なんか見てると大名行列のような感じです。確かに、研さんは大変ですが、進行方向の安全確認をしながら研さんを振り返りつつ一緒に走っているスタッフの方が疲れるでしょう。なぜ、最近は”感動=走る”になるのか?寛平さんで終わりにすべきでしょう。偉そうな事を書いてるのは承知で。感動を作ろうとすると、こうなるのでしょう。長く白いフォーマットに感動を綴っていったのが最初の24時間テレビだとすれば、今は感動というテーマで答えを作る大喜利のようなものではないでしょうか?そんな事は無いと思いながらも、もしも、自分がその中に入ったら、自分はどうするだろう・・・と。”どうする”というより、”どうすべき”かを優先するのが、タレントとしての正解なのでしょうが。

2001年8月20日(月)

いしだ壱成が逮捕されて「大江戸ロケット」が公演中止に!その前に見ておいて良かった・・・。面白かっただけに残念だ。しかし、まさか、ロケットで飛ばずに大麻で飛んでいたとは・・・。ところで、台風が近付いて来ています。かなりのモンらしいけど、明日は「シンプレ大阪決戦!」ではないか!山口マネージャーから携帯の留守電に「リングは無しにしようと思ってますが・・・。」と入っていた。リングは舞台セットとして製作してもらったもので、芸人は常に挑戦者だということから青コーナーとなっているが、この青に塗っている塗料が豪雨に耐えれないのだ・・・と内輪の話で申し訳ないが、明日の「シンプレ大阪決戦!」は果たして、どうなるのだろうか?。

2001年8月21日(火)

今日は雨も風も凄い!台風だ!何処もかも早じまい!浪花座なんて6人しか客来ないから、昼の部だけで閉めたぐらい。しかし、「シンプレ大阪決戦!」は台風にもめげずに決行!出演者をはじめとする関係者の誰もが「中止にする?」なんて言わないってのも可笑しいが・・・。果たして、こんな悪天候過ぎる日に、電車が止まるリスクも顧みずというより、命に関わるかも知れない時に、お客さんが来るのか?楽しみでもあり、不安でもあった・・・。でも、でも!会場には総勢18人のお客さんが!感激!もう、嬉しくて全員の顔を覚えたいぐらい・・・と思ったが、皆、常連さんの顔(笑)。それでも、足を運んでくれたって事がどれ程、支えになったことか。本当に有り難う!。

2001年8月22日(水)

今週の「コンちゃん」は高槻市にある「サンスター」の本社へ取材に。まさか、あのサンスターが大阪だったとは知りませんでした。しかも、もともと、サンスターの前進は自転車のパンク修理用のゴム糊を作っていた会社で、チューブに入れて売る技術を活かしてチューブ入り歯磨きに参入したのだとか・・・。いやぁ、なんでも調べてみないと解らないものです。社名となった”サンスター”は”太陽と星”、つまり、朝と晩に歯を磨きましょうという意味だとか。一切、お笑いに関係の無いジャンルかも知れませんが、非常に楽しんでやらせてもらっています。なんせ、知らなかった事が解るってのが快感なので。まだまだ、関西発の企業や技術や品物を追求するぜ!。

2001年8月23日(木)

久しぶりに「コーナン」へ行ったけど、どエライことになってるねぇ。目的は自転車の空気入れを探しにいったんだけど、フット式のコンパクトタイプが三百数十円でした。もう、安いと喜ぶよりも正直言ってヒキました。空気圧計まで付いたのをこんな値段で売って、一体、誰が儲かるというのだろう?空気入れ如きで熱く語る僕の日記に読者はヒイテいるだろうが、これは凄いことだと思う。きっと、影で誰かが泣いているに違いない。とは言うものの、店内の込み具合は相当なものだ。運転が下手なので車を持たない僕だが、車関係のところも歩いたが、下手すりゃあチョットした修理だったら自分で出来そうなぐらいに色々と揃ってます。で、帰りがけに驚いたのは、自転車も以前の7980円から6980円になっていたこと。これでは、自転車屋さんが自転車操業化しても仕方が無いって。えっ?こんなに垢ぬけない芸能人の日記にもヒクって?。

2001年8月24日(金)

iモードサイトの「エンタメ王国」(注:携帯の機種によっては「ガクヤ姫」というサイトです)の原稿を仕上げ、会社にメールで送るのに「送信」キーを押したところで、ひとまず締切に追われた日々とはお別れ。「シンプレ新聞」と「エルマガジン」の締切は来月だし、「エンタメ王国」は来週なのだ。とりあえず「楽屋へいこう!」の締切である30日までは書く方は充電ということで・・・って、格好いいこと言ってますが、もう少しおいとかないと意欲が薄れてきそうなので。この数日間は楽しい「芸人ライフ」でいこうと思ってます。まあ、要するにブラブラするってことですが・・・。

2001年8月25日(土)

非常にゆったりと流れる時間。いやあ、何事にも追われない日々ってのはこんなにも退屈なものだとは・・・。もう、創作貧乏性です。何かを考えとかないと気が焦って仕方ないです。あれだけ待ち望んだ「芸人ライフ」も満喫できそうにありません。よく考えれば、毎日脳細胞が何万個と死滅していってるというのにダラダラして過ごすことはなんと無駄なことか!ラジオだテレビだって発散する場がないのなら、自分で場を作るしかないわけで。そうなると、僅か数日とはいえ「絶筆宣言」は愚かなことなのだと気付かされます。こんな僕は「A・I」なんかより経験学習能力は高いと思います(笑)。

2001年8月26日(日)

今日突然、松竹芸能の小川マネージャーより電話がかかって来たが用件に驚いた。というのも「マトリックスに出てた人は誰でした?」だったからだ。この別段、難題でもない質問に却って「えっ?キアヌ・リーブスや無かったっけ・・・。」と考え込んでしまう僕。しかし、それ以外ないから答えを小川氏に告げた。すると、彼は「いやあ。今マトリックスの話をしてたんですけど、主演は誰やったっけってことになって。映画に詳しい渡辺さんに聞けば分かるやろうってことで電話したんです。」と言った。まあ、映画に詳しい人で僕を浮かべてもらったのは光栄に等しいが、あまりにも設問自体が・・・。だって、キアヌ・リーブス以外にないではないか。電話を切った後でも何か釈然としない。えっ?待てよ。ひょっとして彼は芸人としてのトッサの返しを試したのでは?あまりに素の答えに「普通やったなあ。」と思ってたりして。う〜ん。自責の念に駆られる。どうせなら、反り返る主人公の動作から「ちゃらんぽらん大西」とでも言えば良かったのだろうか?

2001年8月27日(月)

今日はABCで「気晴亭」の大喜利打ち合わせ。いつもながら皆でネタを出し合うのだが、ちょっと今月からは前に出ようかなあなんて思っています。とは言うものの集団芸なのでどうなるかは分かりませんけど。打ち合わせ終了後は広報局長の岩本さんに喫茶室でコーヒーをご馳走になり、2時間の談笑。「稲垣吾郎事件」の影響で色々と忙しいのに時間をさいていただき感謝。岩本さんは制作畑の人でいろんな芸人さんを東京から呼んだ人なので、興味深い話が聞けるのだ。その後、ABCリブラにお邪魔。有ること無いことを喋りに行ったけど、松田さんと伊藤さんはよく笑ってくれるので喋り甲斐があります・・・といいながらも、こちらが子守された形に(笑)。こういう「芸人ライフ」なら楽しいかも。

2001年8月28日(火)

今日は朝から眠たくて眠たくて・・・って表現は明らかにおかしいのだが、前の晩からそこそこ寝て朝目覚めたのにもかかわらず、朝っぱらからもう既に眠たいってこと。なので、今日は気の向くままに意識が遠のきました。たまにはこんな日が有ってもいいでしょうに。なんか、こういう時にフト思うのだが、仕事って忙しくなけりゃあいけないと分かっていながらも、こうやって自由に眠れる日が無くなってしまうことも、結構辛いような気もします。非常に馬鹿な考えなのでしょうが。でも、暇なのも同じくらいに辛いわけだし・・・。

2001年8月29日(水)

今日は朝日放送「気晴亭」のスタジオ収録日。いつもは土曜日なのだが、誰かの都合で今日に。誰かって、鶴瓶さんしかいないのだが・・・。しかし、水曜といえば「コンちゃん」の日。中継先の奈良公園から急いで大阪に戻るも、ABCに着いた時にはリハは始まってました。すんません。で、いつもの如く、レギュラーコーナーの大喜利に出演。今回はちょっと、夜中ってのを意識したネタを発表したのだが、鶴瓶さんに張り扇で殴打されてしまった。もう、一瞬、目から”青い火”が飛び散ったほどだ。ひょっとしたら、オン・エアでは”お蔵入り”になってるかも知れませんが、流れるのを期待しておいて下さい。収録後は、鶴瓶さんの仕切りで総勢20人での晩餐!馬鹿話よりも、真剣な大喜利談義が時間を割いた。取り合えず、奥が深いという事は学習した一日だった。でも、バタバタした一日で疲れた・・・。

2001年8月30日(木)

僅か一日バタバタしただけで、今日は朝からお疲れ。ホント、サラリーマン諸氏には申し訳ない。まぁ、昨夜、飲みすぎたってのもあるのだろうが・・・。あっ!飲み過ぎたって”ジョッキ”に二杯ね。自分にすりゃあ許容量ギリギリってことなので。言わなきゃ良かった・・・。しかし、そろそろ日差しも何か勢いがなくなって来ましたねぇ。ジリジリとした感覚が薄れて来てるもんね。となると、我々で言うところの”改変期”が迫ってきてるってことです。同業者は皆、この時期には身が締まる思いを感じていることでしょう。さぁ、夏は過ぎたが、ホットな秋を迎えれるか!。

2001年8月31日(金)

朝9時に関西テレビに集合して、茨木へ。今日は「痛快!エブリデイ」の再現コントの収録だ。僕は”子供に甘いお父さん”という設定で、奥さん役が小川恵理子ちゃん。ちなみに、恵理ちゃんは松竹芸能養成所の同期なのだ。そして、僕の子供役に5才の男の子。この子も松竹芸能で児童部・・・つまり、子役さんだ。初めての体験なので、現場でどう演じたらいいのやらと考えていたところ、先に子供と母親のシーンを撮影してたのだが、子役の泣き声が響き渡った。母親役の恵理ちゃんに叱られるという設定を子役が本当に叱られていると思ったようだ。この後、現場の人間全員であやすこと一時間半・・・。やっと、機嫌が直ったので撮影開始!終わった頃には、愛らしい子役になってました。ヨルはシアター・ドラマシティーで「ラッシュアワー2」の試写会。J・チェンのヒット作の第2弾だが、少し期待外れ。二作目が一作目を超えたのなんて「チャイルドプレイ2」以来、出会っていないよ(笑)。

2001年9月1日(土)

本日より、浪花座九月上席に出演。自分が漫才師だというのを思い知らされ・・・いえ、噛み締める瞬間です。そう思いつつ楽屋に入ったわけですが、嬉しいことが!急に声が出なくなって八月の盆興行を休演していた「じゃんけんぽん」の笠谷師匠が今席からめでたく復帰です!しかし、まだまだカスレ声で、喉元にピンマイクを付けて声を拾うという状態。本当に早く良くなって欲しいと心から願っているのだが、それでもタバコをパカパカ吸い続けている師匠・・・。やはり、真の芸人というのは刹那主義なのだろうか?非常に短絡的な答えですけど・・・。

2001年9月2日(日)

劇場二日目です。自分たちの前に出ているのは演歌歌手の林健二さんなんですが、凄い人気だ!あの、濃いいというか屈折した(?)演芸ファンの吹き溜まりと化した浪花座に自分の歌に惚れさせたオバチャン軍団を連れてくるのは流石だ。もう、皆は”健ちゃん命”!劇場内には「健ちゃん!」と叫ぶオバチャンの黄色い・・・もとい黄土色の声が飛び交い、客席に降りて歌う林さんに花束攻勢!そして、祝儀が乱れ飛ぶのだ!その後に我々が出たところで、なんと地味な舞台に見えることだろう。しかし、ここは芸人の意地とばかりに相棒を客席に歩かせるという・・・もう、思いっきりの”汚れ舞台”を!甲斐あって(?)、我々もめでたく祝儀を獲得!こうなったら、林健二の寄生虫となって、今席は荒稼ぎしてやる(笑)。でも、心にポッカリと穴が・・・。

2001年9月3日(月)

今日は、恵美須町にあるインディペンデント・シアターで行われたウチの事務所の若手ライブ「DO AHO!ライブ・グランプリ」の司会を担当した。若手といっても、キャリアで3年ぐらいまでの芸人たちの集いなので、本当に初々しい。今回のライブでは漫才・コントのコンビが計13組出演して、新人賞を一組選出するのだが、賞金3万と「ABC新人漫才コンテスト」の予選出場権を獲得出来るとあって皆必死だ。そんな大切な舞台で司会が出来るとあって、思いっきりハメを外してしまいました(笑)。でも、優勝したラインバックは、断トツだったと思う。このぐらいのキャリアの芸人って、浮かれてるか、浮かれてないかが、結果の別れ道ではないだろうか?。

2001年9月4日(火)

劇場の合間に事務所でDA−DAの二人とお話。皆、頑張っているのだと改めて思う時間だった。ヨルは、飲み会。久しぶりに日本酒を熱燗で飲みました。とても美味しかった。しかし、ビールってなんとなく美味しさが減退しているように感じる・・・涼しい気候になったということか。自分にしては、日本酒をグイグイとやったので、結構、酔いが廻ってしまいました。でも、よくよく考えてみると、毎日お酒を飲んでいるよなぁ。たまには、飲まない日をなんて思うのだけど、晩になれば飲まないと口寂しいというか、別に飲みたくて仕方が無いってわけでも無いのに飲んでしまう。誰か!このアル中予備軍から酒を取り上げて下さい!。

2001年9月5日(水)

浪花座の合間に「コンちゃん」の中継で海遊館へ。しかし、難波から市バス(なんと垢抜けない!)に飛び乗って向かったのだが、渋滞に巻き込まれ50分もかかってしまい、到着するや否や取材に取りかかったものの、アッという間に生放送の時間に!放送終了後、浪花座にとって返すも再び市バス(なんと懲りないことか!)に乗ったため、またもや渋滞に巻き込まれ(当たり前!)、浪花座に到着したのは何と(!)出番時間の2分前でした。が、時間自体が押していたので助かりました。浪花座終了後、知り合いが近くに来ていたので、海原はるか師匠と三人で喫茶「ナピア」で歓談。しかし、はるか師匠は好奇心旺盛な人だとつくづく思う。親と子ほど年齢が離れている知り合いと対等に話そうと努力しているからだが。その後、豊中に戻って知人の家で宴会!おめでたい集まりというのは良いものだ。今日は珍しくワインを飲んだ。しかし、振り返れば今日は慌ただしかったよぉ。

2001年9月6日(木)

今日は浪花座終わりで、事務所の野畑さんに貰ったチケットで急遽、松竹座で市川猿之助の十八番である「スーパー歌舞伎三国志2」のヨルの部を観た。ヨルの部といっても夕方4時半開始なので、浪花座終わりで行った時には既に5時を廻っていた。観客席はほぼ満席で、普段の歌舞伎公演に比べて観客の年齢層はかなり若い。やはり、”スーパー歌舞伎”の派手な演出目当ての人が多いのだろう。その反面、上演中にもかかわらず、帰っていく人も何人かいた。後で関係者に聞いたのだが、観に来たものの「歌舞伎らしくない」からと出ていくらしい。新しいことをするというのは容易ではないのだ。特に伝統に築かれた世界なら尚更だろう。確かに僕自身、数少ないけど歌舞伎を観ている者にとっても、戸惑う演出ではあった。終演の時間は午後9時を廻っていたが、不思議と長いとは思わなかったが・・・。

2001年9月7日(金)

今日も相変わらず浪花座三昧。金曜日というか平日だというのに客席は埋まりまくっていた。けど、「招待券ですか?」と問いかけたら場内大爆笑だったので、そういうことなのか・・・。終了後、横山ひろし師匠のお誘いで焼肉屋さんへ。でも、6時にマネージャーと食事の約束があったので、一度はお断りさせてもらったのだが、「6時まで、まだ20分も有るやんか。」という師匠の一言で御一緒させてもらったが、やはり師匠は”横山”の血をひいていると思った。僕はそんな豪快で強引な芸人・横山ひろしが大好きだ。

2001年9月8日(土)

土曜日です。が、今日も浪花座です。休日ということもあって、遂に立ち見が出る始末。まったく、このラインナップでよく皆、満足出来るものだ・・・と自虐的に考える僕。昼食は,と言っても三時過ぎになるのだが、ラーメン「神座」へ。劇場に入っている10日間で、大体3,4日は食べに行くほど大好きです。もう、スープなんて一滴も残さずに飲み干してしまいます。レンゲですくい切れずにラーメン鉢に口をつけてまで飲む客なんて、僕ぐらいでしょうが・・・。恥ずかしいけど、こればかりは止められません(笑)。まぁ、どんな状況下に身を置いていようが楽しい事を見つけないとね。満腹になって、眠たくなってきた頃に二回目の出番なのが、かなり辛いです。

2001年9月9日(日)

くる日もくる日も浪花座です。実は今日は大変でした。楽屋に芸人さん宛てに届くそれぞれの差し入れを我々のような若輩芸人におすそ分けしてもらえるのですが、それがえらいことに・・・。一回目の出番を終えて楽屋に戻ると化粧台の上には皿に盛られた大型シュークリームがドンと置いていたのですが、それが僕一人の分だと聞いてビックリ!数にして6個。恐ろしい数だ。そんなに芸人の血糖値を上げてどうするのか?そんなに食えるか!と心で思いながらも、いただいたそれぞれの心優しき芸人さんのところに挨拶に向かった。あ〜今度は、お茶が恐ろしい〜!。

2001年9月10日(月)

おめでとう!今日で浪花座は終了。10日間も休みなく頑張ったものだと我ながら思う。そして、今席は演歌歌手・林健二さんの後に出てたってことで、かなり反則技を使わせてもらった。でも、まぁ、いいかと心をリセット!夕方、楽屋に森脇健児さんがやって来たので、終演後に相棒と三人で事務所に行き、その後、勝執行役員と四人で前の事務所の地下にある「江戸沢」というちゃんこ鍋屋さんで、ご馳走になった。勝執行役員は休みの日は水泳をしており、今度、マスターズの大会に出るのだとか。それを相棒が「俺の方が泳ぐの早いっすよ。」なんていうものだから、役員もムキになって「よしっ!競争だ!」となって、どうやら、森脇さんと僕が立会い人となりそうな勢いだった。お酒の席でのこととはいえ、いや、本当に競争は有りそうである。

2001年9月11日(火)

夜、「火曜サスペンス劇場」を見ていると画面がニュースに。貿易センタービルにジェット機が突っ込んでいるではないか!凄いぞ、こりゃあ!さすがにCGよりも実写は迫力が・・・なんて不謹慎なことをフト考えてしまうほど、嘘のような光景だ。いったい誰の仕業なのか?”火サス”なんかよりも謎が深いし、今後の展開はとんでもない方向へ行きそうである。何が何だか詳細は分からないが、一瞬にして多くの人々が亡くなった。犯人はけっして許されないが、こうなった責任はそれ以外の者にも有るのではないだろうか。多分、報復という事で武力行使になるだろうが、それが成功したとしても、そんな事で騙されてはいけないと僕は思う。為政者の責任は重いのだから・・・。

2001年9月12日(水)

今日のMBS「コンちゃん」の中継は急遽、予定を変更して関西国際空港へ行くことになった。空港内の様子をリポートすることになったのだが、確かに閑散としており、アメリカ方面の便以外にもバンコク、シドニー行きも欠航となっていた。聞いたところ、飛行機の振替が出来ないのだとか。米国内では飛んでいない飛行機が多く有るために、飛行機が足りないらしい。韓国、香港への便は通常どおりだったが、この先、アジア方面への影響が無いとも言えない。出国カウンターの椅子に三人の外国人が座っていたので話しかけてみたが、一人はニュージーランド、二人はロサンゼルスに帰りたいのだが、キャンセル続きでヘトヘトだと疲れた表情で答えてくれた。そのうちのニュージーランドの人は、いつ再開するとも分からない状態でただ待つしか無いとばかりに椅子に仰向けになって本を読みだした。が、もう少しで本も読み終わりそうなとこまで進んでいた。

2001年9月13日(木)

今日は、ワッハ上方にて「お笑いネットワーク」の収録。我々の漫才が終わった後、楽屋でコメワンの坂田師匠と初めて会話する。真面目な話をした後に「そしたら、ワシ、アホな顔して行ってくるわサァ。」と舞台袖に入って行った。夕方より、収録が一緒だった”いま寛大”師匠のお誘いで花園町の飲み屋さんへ。後に、宮川青丸師匠も泣く赤ちゃんを自宅に置いて合流。世間から見れば、非生産的な職業の男三人が、カウンター前でグラス片手に立ち飲みしながら、店のテレビに映るテロ事件の続報について真剣に語る様は、間抜けに見えたことだろう・・・。

2001年9月14日(金)

朝から奈良テレビの特番の収録のため、当たり前だが奈良へ。この世界に入って、奈良テレビの仕事をするのは初めて。しかも、収録場所は実家から車で10分ぐらいのとこ。でも、今日は実家には寄りません。番組での私の役割は司会なのだが、オープニングの出演者紹介から既にカンでしまいました。それに、最初から最後までノー編集で一時間流すので、やり直しが効かず、そのまま先に進行しなければならなかった。オン・エア日ですが・・・その日の夜8時からって!もう、撮って出しなんて経験も初めてでした。

2001年9月15日(土)

今日は「敬老の日」。ですが、営業は有りません。この日は、どんな芸人でも動き回るなんて話をよく聞いたけど、最近は、そうでもなさそうです。でも、なんか損した気分で一杯の心の小さき芸人です。まぁ、ゆっくりするのもイイかもね。ここんとこ、少し疲れ気味だったので休みってのも嬉しかったりもします。と言いつつも、18日の「シンプレ大阪決戦!」の新聞を制作しないといけないので、結局、自室に籠りっきりで、一段落着いた時には朝以上に疲れが・・・。なんか暗い気分で一杯の心の病んだ芸人です・・・。

2001年9月16日(日)

日曜日。今日は奈良の実家へ。ウチの親父が仕事を辞めて隠居生活を始めるってんで、兄弟三人が音頭を取って(厳密に言うと上の兄貴が言い出したのですが・・・。)お祝いのパーティーを開こうってことになった次第です。でも、用意とか後片付けなんかが大変なんで、焼肉屋さんで厳かにやりました。こうして”一族”が集まったわけですが、総勢11人という大所帯のためにテーブル二つってことに。しかも、男テーブルと女テーブルに分かれての会食に、女テーブルは何処かギクシャクしているような感じも(笑)。とりあえず、親父!長い間、お疲れ様でした!!。

2001年9月17日(月)

朝の10時からABCで「気晴亭」の”大喜利コーナー”の打合せ。こんな早い時間から、面白い事を考える仕事ってなんて素敵なことだろう!いゃ、ホントの話・・・。途中で鶴瓶師匠も加わって、実戦形式のリハーサルに突入した。張り扇に見立てて丸めた紙でバンバン叩く鶴瓶師匠。どんな時も手を抜かないのはさすがだ!いゃ、ホントの話・・・。ふと、時計を見たら11時です。でも、本当に楽しいというか不思議な世界に身を置いているんだなぁとつくづく思う。本番は、今週の土曜日。さて、何をしでかそうか?(笑)。

2001年9月18日(火)

”シンプレ大阪決戦!”開催日!今日は、この渡辺自ら”モ切り”を務める。まるで、インディーズ団体の社長兼レスラーのようだ。だが、こうやって受付に座って、お客さんを一人一人迎えていると、皆、自分たちを観たくて足を運んでくれたのかと感慨深い。その日の仕事を終えて駆け足で来る人や遠方からの人もいて、奈良で仕事を終えてウチのライブに来て京都に帰る会社員の人、三重県から近鉄特急に乗って毎月来てくれる人、福知山から通ってくれる人・・・と時間を自分たちに預けてくれているのだから、そんな光栄なことはない。終演後、ミナミで飲んだお酒は心地好く、いつもより廻ってしまった・・・。

2001年9月19日(水)

MBS「コンちゃん」の名物(!)「シンプレいろは辞典」の今週のテーマは”む”てことで、長居公園内にある自然史博物館へ”虫”の取材に行く。ところが、ところが、虫に詳しい専門家の人が学会に参加されているとかで留守・・・ということを前もって聞いていたが、いざ行ってみて展示されている標本を前にしても何をどうリポートするべきか困ってしまい、隣接する資料コーナーで必死に調べモノをして本番に挑んだ。なので、いつもより内容が薄かったかも知れませんが、どんな時でも対応する訓練としては良い機会だったのかも・・・と自分に言い訳しとりますです。

2001年9月20日(木)

今日は、山口マネージャーとMBSへ侵入!「コンちゃん」の近藤さん始めスタッフの皆さんと”レツゴー長作さん”について談笑後、「シンプレ大阪決戦!」に足しげく通って下さってるラジオ制作の寺西氏と下谷氏と番組の企画について話し合った。それを元にウチ側から企画書をあげることになったが、実現するかどうかは未知数の段階だとしても、番組が出来るまでの行程に初めて携わっているという気がした。舞台で演じるということから始まって、様々な枝葉が生えていくのが芸人だとよく云うが、自分は際限なく色んな事をしていきたいと思っている。

2001年9月21日(金)

今日は、事務所で山口マネとラジオ番組の企画書の作成にいそしむ。しかし、企画とかって、いざとなると何がしたいなんて結構難しいものです。なんせ、今まで演者としての意識が強すぎたというか、全体までを考える事をあまりにもしなさすぎたというか。頭の中で企画を生み出す方程式が完成するまでは、とんでもなく時間が掛かりそうです。ただ、番組で喋りたいだけでは何も実現しないのだという現実こそ全てなのです。そう。なんでも動き出すまでが一番大変なのだから。『驚きももの木21世紀』で笑っている自分の顔をイメージしつつ頑張るとすっか!って、なんて薄い(笑)。

2001年9月22日(土)

月イチの朝日放送『気晴亭』の収録日。今月からスタジオのセットも一新!ってことは、番組も継続ってことだ。しかし、継続しても大喜利が続くかどうかは・・・なので、今月は更なる気合い(これって空回りするもんやからねぇ)を入れつつの大喜利収録へ。いつにも増して賑やかな客席なので、ついやってしまいました。反則技を・・・。勿論、確信犯です。でも、異様にウケて拍手が巻き起こりました。お客さんの物凄い支持を得ました。ただし、反則技で・・・。でも、この場面は流して欲しいよねぇ。現場としては“痛し痒し”なのでしょうが。まぁ、これも“お笑い”には重要な共感に属すという意味で、理解してもらいたい。いつも、何処でもコレでは無く、今日・此処だからこそコレだったとは思っているので。なんせ、確信犯なもんで。

2001年9月23日(日)

昼過ぎから浪花座で、翌週に控えた松竹若手芸人総出演ライブ『チクる』のネタの打ち合わせを相棒とする。いとし・こいしさんなんて、いつネタ合わせをしてるのかなんて周囲には決して見せないってのに、劇場の楽屋で芸人たちの目の前での行動は値打ちがないよなぁと思いつつ。でも、この作業は楽しいものではなくなって来ています。僕は自分の表現の場が欲しいのです。我が強すぎるのかも知れないけど、ここは自分を過信してでも何か形になることがしたいと考えています。ひょっとして、多くの漫才コンビが陥りやすい幻覚なのかも知れませんが、確実に言えるとしたら僕は、はるか・かなたさんにはなれそうも有りません。

2001年9月24日(月)

月曜日。朝から難波をブラブラ。『はり重』でビフカツを食べたあと、心斎橋でソフトクリームを食べ、梅田に出て阪神の地下でミックスジュースを飲むという“関西ウォーカー”な過ごし方。たまには、こんな気ままな一日もいいもんです・・・って、いつも気ままですけどね。そうそう、阪神百貨店の9Fだったかで“アロマカプセル”なるものを体験しました。25分で3000円の、いわゆる仮眠体験カプセルなんですが、普通の時間の三倍くらい寝たのと同じくらい疲れが取れるらしいってのでやったのですが、残り5分ぐらいからウトウトし出したので、時間切れで起こされた時は少し不機嫌の自分に。倍の時間のコースにすれば良かったと後悔。

2001年9月25日(火)

来週の金曜日にあるNHK『上方演芸会』の公開録音でするネタ打ち合わせのため、谷町四丁目のNHKへ。新築したNHKに足を踏み入れるのは初めてだったが、引っ越ししたてとはいえ、本当に立派な建物だ。さすがに受信料を合わせると大金になるものだなぁと妙に納得してしまった。で、来週の公録先だが、奈良県・吉野村だとか。この番組って普段行かないところへ向かうのが楽しい。 夕方はTV大阪に『ここほれ!ワンワン』での“畳返し”というコーナーで使用していた衣裳を貰いに行く。しかし、徳岡プロデューサーが不在だったので残念。徳岡氏は話を爆笑しながら聴いてくれるので、こちらも喋り甲斐がある・・・と言うのは失礼かなぁ(笑)。

2001年9月26日(水)

今日のMBS『コンちゃん』の中継先は『チョーヤの梅酒』。漢字で書くと“蝶矢”。元々はワインの製造から始めた会社で、昭和37年ぐらいから本格的に梅酒製造に着手、昭和50年代に入ってからやっと梅酒が軌道に乗り出したという根性の企業だ。そもそも、梅酒は家庭で造られるものだったらしく、ワインで稼いだ分で梅酒の赤字を埋めていたというのだ。確かに、何でも見極めることは大切だが、自分を信じた結果、形を成すというのも一つの答えだったりもする。要は精神力に尽きるのでは?たかがリポート、されどリポート。最前線の声が聴けたとき、奥の深さを感じる瞬間だ。 夜はライブ『チクる』に出演。

2001年9月27日(木)

疲労こんぱい。体がダルくて起きられず。なんですが、んなことも言ってられず、豊中市民なのに箕面市の図書館で調べものに励む。よくよく考えれば久しぶりの図書館来訪である。相変わらず“人生の縮図”と化していた。単に椅子に座って新聞読んでる人ってなんなのだろう・・・なんてこと言ったら駄目ッすか? かなり長時間いたので辺りは既に薄暗く、かと言ってこのまま戻ったところで時間を持て余しそうなので、ビデオ屋さんで『キャスト・アウェー』を借りる。まぁ、何処にいようとも無駄な時間の経過を無駄だという認識を失ってはいけないというのを実感。一日一日、人は衰えていくのだから・・・。

2001年9月28日(金)

朝からiモードサイト“エンタメ王国”の原稿に取り掛かるも、どうしても完成出来ずに今日の締め切りを月曜まで延ばしてもらうことにする。というのも、今ってどうしてもニュースが片寄ってしまっている時期なので、まぁ、報道機関自身の指針でもあるだろうが。ともかく、ネタを絞り出す者にとってはストライクゾーンが狭いです。昼から夜中まで気の向くまま楽しく過ごす。そして、人と話すということの大切さ、ありがたさを実感する。こんな日も有るからこそ、芸人を続ける自分を吟味し続けることが出来るのかも知れない。何事も、深く考えない限りはシンドクは無いが、楽も無いと思うから。「芸人でございます!」で通用した時代なんて、とうに過ぎ去っているということに気付かない芸人は・・・。

2001年9月29日(土)

午後二時より守口市の文化センターに芝居のオーディションを受けに行く。一時半に山口マネと京阪・守口市駅改札に集合ってことにしてたのだが、地下鉄谷町線で早くも一時五分に守口駅に着いていたのにもかかわらず京阪への道に迷ってしまい、結局は五分の遅刻。しかし、この“運動”が良いウォーミング・アップとなったようで、オーディションに合格しました。作品名は『秋田實物語』で、来年の二月に関西一円で17公演やります。共演は、いとし・こいしさん、海原小浜さん、曽我乃家文童さんで、僕は“ロシアで戦死する若手漫才師”の役です。覚えてたら、観に来て下さい。 そして、ヨルは帝国ホテルで行われた松竹芸能美人敏腕マネージャーの一人・宮島さんの結婚披露パーティーに出席。家がご近所ってことで、KBS京都での『サタデー・ミーティング』の帰りに車に乗せてもらってました。お世話になり、どうもありがとうございました。結婚後も仕事を続けるらしいですが、喜んでいる芸人は多いですよ。おめでとうございます。そして、お幸せに!パーティーがお開きになった後、高山重役と山口マネとでミナミの『アグレアブル』へ。話し上手の“高山節”を聴いて、自らを奮起させた夜であった。

2001年9月30日(日)

朝から雨。そして、気温は上がること無く、肌寒い一日の始まりである。こんな日は何もする気がしない。ひょっとして、鬱の状態か?いや、自分で鬱だなんてフカンで観れるうちは鬱では無いはずだ。誰もが雨の日は、こんな気分だと思うから。 昨夜の“酒宴”で体は眠たくて仕方が無いですが、心はそれをヨシとしないようです。「今、寝ると一日が台無しだゾ!」とアップかましてます。確かに、この天気も相乗効果となって、とめどなく眠れそうです。でも、外へ行くったって、この雨じゃあねぇ。何かにつけて言い訳してしまう芸人でございます・・・。

2001年10月1日(月)

月曜日。朝早くから、奈良の実家へ。両親はもうすぐ姫路の兄貴のとこへ引っ越すので、荷造りの手伝いだ。普段、実家へ行っても目にしないものでも、荷物をひっくり返すと懐かしい物が沢山出てくる。昔、遊んだラジコン、教科書、作文、絵など。作文なんて、久しぶりに読んでみると自分が書いたなんて気がしないから不思議である。それと、今ならプレミア物の“少年サイボーグ”という人形の手下にあたるジャガーの形をした人形(名前は忘れた!)が出てきたのだが、後ろ足が一本無くなっており、非常に寂しい。でも、これはウチに持って帰って飾っておくことにしよう。16才の時に引っ越しして、27才で独立するまで住んでいたこの家とも、間もなくお別れだ。僕よりも、親父が寂しそうだった・・・。

2001年10月2日(火)

午前中は図書館で調べ物をして過ごす・・・というより、深く検索し過ぎて意外と時間を費やしてしまった。おっ、こうしてはいられない! 午後からは、梅田スカラ座で『千と千尋の神隠し』を観る。ずっと前から観たい観たいと思いながらも、いつ行っても入れなさそうな脅迫観念を克服出来ずにいたのだ。もう、今日しかないと思った!なぜなら、明日は“映画の日”で千円均一になるので、きっと今日は少ないと踏んだからだ。案の定、二時前の回は半分強の入りで十分に座れた。で、感想だが・・・婦人と子供を動員出来たらこうなるのかなぁと。作品自体は何てことの無い“御都合”モノって感じだが、ここまで流行るというのはそういう事に尽きるのでは。かと言って、上映前の予告で流れていたが、『ゴジラ』が『ハム太郎』と併映なんてことはバカげている。ノウハウを確立した者と、ノウハウを模策するあまりにプライドを失ってしまう者。いずれも現実は甘く、一方では厳しい。

2001年10月3日(水)

今日はMBS『コンちゃん』の中継で、上本町へ。今月から『コンちゃん』の放送枠が3時間に拡大。それに伴って、僕の担当するコーナー“シンプレ渡辺のいろは事典”の中継時間は一時間繰り上がって午後2時15分ぐらいからになった。そして、持ち時間は今までよりも若干長くなって約15分くらいに。で、今日は“ゐ”にちなんだ場所へってことで、上本町西四丁目にある井原西鶴さんのお墓が安置されている誓願寺という寺の近くからのリポートとなった。古語でいうところの“井原”は“ゐはら”なのだ。苦し紛れだが。秋から、また孤軍奮闘は続くのであった・・・

2001年10月4日(木)

木曜日。昼から事務所で打ち合わせ。しかし、“打ち合わせ”って言葉は都合がいいねぇ。この言葉を記しておけば何か忙しそうに見えるでしょ?まぁ、バラしちゃあ駄目でしょうが・・・。とにかく、何だかんだと忙殺されてる日々は本当で、その後、NHKへ。明日の公開録音でやる台本漫才の最終打ち合わせです。が、二十分程の遅刻をしてしまいました。ゴメンなさい。そのかわり、雑談で取り返したので(笑)。と小生意気な13年目の芸人です。フラフラしてるようでも、今日は結構疲れてしまいました。今夜は早く休・・・めるわけもなく、新聞作りに没頭。でも、楽しい。

2001年10月5日(金)

朝から引き続き新聞作りに夢中。気が付けば昼下がりなので、急いで身支度を整えてから出発。16時30分近鉄難波駅発の特急に乗るのだ。が、難波到着時点で少し時間が有ったので、事務所で暫し11月に控えているライブの打ち合わせ・・・といってもを立ち話で。その後、無事に電車に乗り込み約30分後には大和八木駅に到着。そこからNHKの車に乗って目的地の東吉野村まで約1時間。結構、乗り物酔い状態です。移動中の閉鎖された車(車種によっては換気もままならない)の中で、煙草を吸う奴は誰であろうと許さない。自分が我儘を聞いて貰えるようになった時は、唯一、移動時の禁煙の徹底である。その後、楽屋に籠って本日が締め切りの『エンタメ王国』の原稿を完成させてメールで送信。肝心の舞台は18時40分から開演。2週分の録りで我々は一本目のトップ。次は敏江・玲児師匠。二本目は、海原やすよ・ともこちゃんと横山ホットブラザーズさんだった。約三百人の観客の前で漫才を20分し終わった時にはもう送りの車が待ってくれていたので飛び乗って、ひたすら来た道と逆の長旅へ。自宅に着いてから、今日中が締め切りのLマガジンの原稿を仕上げて何とか23時過ぎにはFAX送信完了!後は知りません(笑)。

2001年10月6日(土)

土曜日ってことで、一日中ゆったり過ごそうと思ったというか想った(この微妙な違い!)が、結局は新聞作りに没頭することに。まぁ、没頭というよりも、期限間近という外圧にせざるをえないという状況に。先月の大阪決戦から一月も空いていないので・・・という言い訳など通用するはずもなく、ただひたすら自分自身との我慢比べのようなもの。少しでも、楽したいなぁなんて考えてしまうと、すぐにそこへ寄りかかろうとする男であるというのは自分が一番解っている。とにかく、好きな事をしているんだと、いつも考えるようにしている。そうすると、心は踊るのだ。

2001年10月7日(日)

朝から新聞に時間を費やし、夜はKBS京都の伊藤健氏、構成作家の徳田博丸氏と一緒に大阪厚生年金会館大ホールに“コブクロ”のコンサートを観に行く。コブクロとはKBS京都『森脇健児のサタデーミーティング』で一緒だったこともあって伊藤氏に誘って貰ったのだが、コブクロに会うのは本当に久しぶりだった。しかし、凄い人気だ。2400人の客席はギッシリ埋まり、それも二日間だ。一年半前に、番組の最終回企画として京都・三条鴨川の三角州で開いた野外イベントが懐かしい。あの時、コブクロは二百人のリスナーを前にして歌い、イベントが終わっても、出演者やスタッフだけで四条の河川敷きに場所を移して皆一緒に夜中まで歌ったっけ。今、僕の前で歌っているコブクロはあの時と同じである。長身のボーカル、黒田が言っていた「人前で歌うという事が好きなら、真剣にやるべきなんだけど、真剣にやれる人達って意外といないんです。でも、僕らはそれしか考えて無いんです!」という言葉が浮かんだ。

2001年10月8日(月)

朝から、関西テレビ『たかじん胸いっぱい』のロケで道頓堀へ。企画内容が『芸人の母親』ということで、ウチのおふくろと共に出演する。が、この“夢の共演”は実は二回目なのだ。前回も同じ番組であった。で、今日は他にTKO・木下親子、技ありーず・中務親子、そして、猿岩石・有吉親子とも共演。母親が独りで“引っかけ橋”の上を歩いている若い女の子に「ウチの息子、知ってる?」と声を掛け、知らなくても強引に連れてくれば1ポイントになるというゲームだった。結果、木下親子が19ポイントで優勝し、ウチは11ポイントで最下位だった。収録終了後、「もっと、私が頑張って連れてくれば良かったなぁ。」としきりに謝っていたおふくろだったが、3年前に脳内出血で一時は危篤状態に陥った同じ人とは思えない程、元気に回復したことが嬉しかった。

2001年10月9日(火)

今日は月イチのスペシャル120分フリートーク・ライブ“シンプレ大阪決戦!”の日。てことは、夕刊シンプレ新聞の発行日ってことで、朝から入稿作業に大わらわ!脇目もふれず必死に頑張ったが、それでも時間が足りず・・・。仕方無いので事務所にまで持ち込んで仕上げに入ったものの、結局、完成して印刷完了した時点でライブの開場時間ギリギリ!?入場を待つお客さんの前を走り込んで来た僕に「来月からは新聞製作をあと二時間早く取りかかって下さい!」と言った山口マネージャー。ごもっとも・・・。
 ライブのエンドには東京から浅草キッドの弟子のハチミツ二郎選手が大阪でやるライブの告知に訪れた。頑張って行こう!というこのシンプレ渡辺も、11月26日の月曜日に『ジャングル・インディペンデント・シアター』という会場で『シンプレ渡辺の他言無用“密室”落語会』という単独ライブをやることになりました。内容は勿論、僕が落語をします。何をしようかは今のところ全く考えてませんが、時事ネタを扱った渡辺オリジナルの噺をやります。といっても、僕は落語なんて一度もやったことが有りません。でも、自分が面白いと思う事を落語という形で伝えれば、それも面白いモノになるのではと考えてのことです。何分、初めての落語体験ですが、渡辺の笑いが好きだという人は勿論、単に落語が好きだという人も是非、観に来て貰えたら。けっして、落語を簡単だと見くびってるのではなく、自分の創作落語は落語家さんのやるのとは全く異なったものになると想っているので。良いにしろ、悪いにしろですが・・・。詳細としては、開演は午後7時で前売り1000円の当日1200円です。お問い合わせはチケットぴあ(06−6363−9999)、または松竹芸能(06−6649−8600)まで。会場の『インディペンデントシアター』は地下鉄堺筋線・恵美須町駅が最寄りです。前売りの発売をしていますので、どうぞ宜しく!。

2001年10月10日(水)

水曜。今週のMBSラジオ『こんちわ コンちゃん お昼ですよ!』のコーナー『シンプレ渡辺のいろは辞典』はテーマが“の”ってことで“海苔”にしぼって、兵庫県にある松谷海苔株式会社さんから中継。話を社長さんに直接伺っての取材。いつも思うのだが、こうしてトップ自ら出てきていただけると、緊張以上に嬉しくてたまらない僕である。やはり、聴ける話の深さ、説得力は一番だし、会社に対する愛情の一端が垣間見えた時が、このコーナーのやり甲斐に思えたりもする。今日は、こちらが「そこまで良いのですか?」と思わず突っ込んでしまうくらい海苔の話を全て包み隠さず話して下さった社長。どうも、ありがとうございました。

2001年10月11日(木)

またもや、物凄い口内炎に襲われてしまってます。ドデカイのが二つ出没し、日にち薬の苦行に突入という感じなのですが、いつもの口内炎とは少し・・・というか大きく違っているところが有ります。それは、その二つの出来た場所が口内の中心部ないし主要部を大きく外れ、口内と唇境界線上に一つと、下奥歯の隣り。なので、喋る分にも食べる分にも全く影響は有りません。鏡に映して観るとかなりの大物なのですが、その割りに痛いと感じる場所では無いので助かりました。これは、体が「まだまだもっと無理出来るよ!」と言っているような気が・・・。まぁ、無理からでも自分を急き立てる芸人です。

2001年10月12日(金)

金曜日。お昼に事務所に寄って11月26日の『シンプレ渡辺の他言無用“密室”落語会』のチラシを受け取る。その後、ブレインの山口氏と昼ご飯を食べつつ落語会の打ち合わせをする。まだ、内容は殆んど何も決まっていないものの、あれこれとアイディアを出し合う。何も無い状態から造り上げるという作業は楽しい。まだまだ先のこととはいえ、気持ちは少し焦っています。でも、楽しい。 その後、夕方より浪花座楽屋にて相棒の松井と20日の『気晴亭』収録で演る15分漫才の打ち合わせ。造り上げるという作業で心踊るはずなのだが、何かが違う・・・。

2001年10月13日(土)

気乗りはしなかったが、阪急梅田駅前の書店でベストセラーの『ハリー・ポッターと賢者の石』を買う。当然ながらかなりの人が買うのでレジを打つ店員さんの顔が一瞬、「また、来たな・・・。」って感じになった。いや、世間の流れに流されていることに抵抗を感じる僕の思い込みなんだろうが・・・。とにかく、買って家で読んでみるが、やはり気持ちは乗らないままである。シドニー・シェルダンしかり、この本しかり、僕は海外のベストセラーは信用しないことにしているが、読んでみて納得した。とはいうものの、450ページ以上を一気に読むのは大変なので、続きは先延ばしにするが・・・いや、読まないなぁ。

2001年10月14日(日)

午後から浪花座楽屋にて、相棒の松井と漫才の打ち合わせ。しかし、日曜の楽屋のテレビは必ずと言っていい程、競馬中継が流れている。僕は個人的に競馬は好きではない。人は「ロマンだ!」なんて言うけど、それは最初にそう言い切った人が凄いのであって「そうだ、それだよ!」と後に続いて同じ事で括りたがる人々が殆んどだ。まぁ、僕自身、賭け事が嫌いだというのもあるが、昼下がりの楽屋で古びたテレビ画面に向かって必死になる姿なんてねぇ・・・。“それが芸人だ”なんて免罪符が通用するようじゃあ、芸人の地位なんてそんなものってことだろう。“飲む・打つ・買う”なんて言葉が芸人の行動パターンとして世間に流布して久しいが、それを否定しているのでは無く、芸人としての動作の延長線上に起こりうるからこそ“肥やし”になるのであって、芸人としての幹がおろそかだと根グサレしてしまう。楽屋でそんなことを考えると疲れる。夜、ニュース番組で、何処かの自治会の祭りのアトラクションで空気で膨らました子供用の大きな滑り台が横転したというのが報じられていた。一緒に倒れ込んだ子供は幸いケガで済んで良かったが、画面に映された滑り台が良くない。全体像では斜めになった滑降面に船のマストのようなものが出ている。ん?これって船が斜めになったのを模したものなのか・・・。そしてアップの画像で不謹慎ながら笑ってしまった。その船に“TITANIC”と記されている!沈む前に船体が斜めに傾いた状態を滑り台にしたのだ。キャスターは「明日にでも横転した原因を・・・。」なんて真面目にコメントしているが、また、とんでもない物を造って、とんでもない事故を起こしたものである。

2001年10月15日(月)

今日は昼から梅田で構成作家の徳田博丸氏と茶屋町近くのマクドナルドで11月26日の『シンプレ渡辺の他言無用“密室”落語会』の打ち合わせ。取り合えず、ネタは3題演ろうかなぁという簡単な枠組みだけ決まった。当然、内容は古典落語ではなくオリジナルの新作なので、肝心の噺を創らなきゃならないわけで・・・。とかなんとか喋ること3時間半!同じマクドで!でも、マクドって結構長くいられるもんやねんねぇ。喫茶店とかと違って、“おひや”をガラスコップごと取り返るというウェイトレスの無言の追い立てが無いってのが、腰を落ち着かせられる要因だ。そんなこんなで店の外へ出ると夕暮れ時、秋だなぁ・・・。時間が無い。頑張るとしよう!。

2001年10月16日(火)

火曜日です。外は雨ってことで何となく鬱状態なので家に引きこもって落語の構想を練る・・・なんて書けば格好つくが、今日はネタを考えることさえも煩わしい気分につき、ひたすら眠ることに。けど、けっして熟睡モードに陥らず、精神的に不安定に間違いないと自分で想う。まぁ、この天気が全ての呼び水なので、とにかく晴れないことには何も収まらないわけで。でも、天気如きにイチイチ気分を左右される弱い自分に嫌気がさしたり・・・アカンねぇ。こんな日は。何がしたいかも判らない。全ての欲求がマヒしてしまうのです。

2001年10月17日(水)

本日のMBS『コンちゃん』の中継先はフェスティバルゲート内にある大阪プロレスの常設会場であるデルフィン・アリーナ。リングアナウンサー兼広報担当の吉田司氏と相談役の小林広和氏に話を伺う。スタジオの近藤さんも大阪プロレスが好きとのことで良い感じでのコーナー進行となった。夕方より、朝日放送にて今週土曜に収録する寄席番組『気晴亭』の大喜利コーナーのリハーサルと、トリで演る漫才のネタ最終チェック。漫才師として第三者にネタを見せて意見を聞くということは大切な事だと思うが、その意見を何のてらいもなく受け入れるという行為は僕には出来ない。こちらには考えが有ってそのネタにしているということが大前提である以上、なぜそういうネタ運びにしているかというこだわりが有って当然だからだ。少なくとも、僕は人の意見を聞くことは出来るが、それは“聞き入れる”という行為とはかけ離れたことだと思う。漫才師である以上、そのこだわりを持って相手と対峙していくべきだと思う。夜は朝日放送近くでマネージャーと食事を摂る。食べ終わって帰ろうとしたところで、北野誠氏一行とバッタリ。3年ぶりぐらいの出会いに挨拶すると、一緒に飲んでいかへんかってことになり、一杯だけご馳走になり失礼する。最終に乗って帰宅すると、携帯に森脇健児氏から「サタデーミーティングが復活するぞ!」と電話。受話器の向こうの声は弾んでいるが、僕もそれ以上に嬉しい気分に。番組自体は4年目に突入し、僕もアシスタントをして3年目になる。11月3日スタートの『森脇健児のサタデーミーティング』は毎週土曜日の午後6時から9時20分までKBS京都ラジオでにて生放送!伊藤さん、徳ちゃん頑張ろう!みなさんも宜しく!。

2001年10月18日(木)

昨日はいろんなことが有ったせいか、一睡も出来なかった。案外というかやっぱり、精神的に弱いのかも知れません。コンタクトを外していても眼がショボショボしてます。そんなことは言ってられないと、昼間は知り合いとHEPナビオにある“串かつ食べ放題”の店へ。本当に動けないくらいに満腹になる。その後、阪急百貨店に入っている『BOYCOTT』でパンツを購入、裾上げも頼む。ここの服は小さい僕でも着れるのが多いので助かるのだ。夜はミナミで知り合いと食事を・・・と思うが、昼間の串かつが貯蔵されており専ら飲むことにするが、元々そんなに飲めないので、専ら喋る喋る。でも、喋るといい運動になるのか、寝る前になって空腹を感じたので、カレーを二杯とキャラメル・デニッシュと板チョコ一枚を食べてフトンに入った。満腹過ぎて寝られへん!。

2001年10月19日(金)

金曜日。何となく疲れが溜まってるなぁなんて思ってたらお馴染みの偏頭痛がしてきたので今日はゆっくり過ごすことにする。とは言うものの、本当にボゥ〜っとなんてなかなか出来るもんじゃあないわね。ジッとしてると「何か忘れ物してなかったっけなぁ?」という脅迫観念が首をもたげ出します。そうなると、自分の意思で寝ているのにもかかわらず、もう一人の自分に対して狸寝入りしているような気分に・・・。しょうが無いので、ムックリ起き出して「さて、じゃあ何をしようか?」と自問自答。これって、やることを探すというより、沢山有る宿題からもっとも早くしなければいけないモノを選ぶって感じです。で、取り合えずは『落語』に取りかかった。4分分の噺まで出来た。あと、残りは66分ぶん・・・。

2001年10月20日(土)

今日は朝日放送『気晴亭』の公開録画の日。レギュラーの大喜利コーナー以外にトリネタもってことで非常に嬉しい。前回に漫才した時よりも楽しもうと思う。そして、収録開始。番組がすんなり進行したのか、思った以上に早く自分たちの出番になり、お囃しとともに舞台に上がる・・・あとは、11月2日のオンエアで確認して(笑)。しかし、今回の大喜利は荒れまくったねぇ。若井はやと師匠は泥酔状態でした。楽屋で飲んでたからねぇ。誰か何か言いたいとこだろうけど、喜味こいし師匠も飲んでたりして・・・言えません。そのへんの行動って個人のキャラなので、しかも、後輩の身としてはとやかく言えませんが、それなら、グデングデンであっても、それがベストの状態だというのならベストの仕事をしなければいけないのでは。言い過ぎかなぁ・・・。

2001年10月21日(日)

日曜日。MBSラジオ『コンちゃん』の商店街リポの時のディレクターとして半年間お世話になった制作会社トニーズ・カンパニーの谷川陽三氏の結婚式・披露宴が新神戸オリエンタルホテルで行われた。新婦が吉本興業の人なので、木村常務・笑福亭松之助師匠・ぼんちおさむ師匠・礒辺さんなど吉本軍団が大挙して出席!その上、勝新太郎の息子さんの雁龍太郎氏の姿も・・・。ウェディングケーキ入刀の時は真剣を使うのかなぁなんて想像してる自分。しかし、披露宴自体は笑いあり涙ありで三時間という長丁場を感じさせないくらい素晴らしかった。お開き後、ホテルの喫茶店でウチの高山重役と読売テレビの藤井氏に交じって談笑、藤井氏が演出しているドラマ『本家のヨメ』の話を聞く。ほどなくして、新幹線の時間が。藤井氏が東京に戻ったので重役とともにエンドレス・トークを・・・。家に帰ると喉が炎症起こしてました。

2001年10月22日(月)

午後三時より、事務所で『Lキャン』の取材を受ける。勿論、11月26日に日本橋のインディペンデントシアターで行う『シンプレ渡辺の他言無用“密室”落語会』の取材です。なぜ、この時期に落語をするのかを熱く語るわけですが、まだ何も出来ていないってのに…。しかも、写真撮影にこだわる柄じゃないのにこだわってしまい迷惑掛けました。その後、四時半より『関西一週間』の取材。こちらも落語会について。しかし、記者さん達は「なんで、この人は落語するのかなぁ?」という共通した疑問を持ちながら事務所を後にしたことだろう。熱く語っている僕自身も同感だから…。夜、雨の中、梅田をブラブラしていると寒気が。やばっ…。

2001年10月23日(火)

思った通りだ。朝から微熱が…。テルモの体温計数値で37.3℃。これくらいの体温ってやたら体がしんどい。関西芸能界において、立原さんの次に薬に詳しいと自認している身としては、医者へ行かずにストックしてある薬の中から、消炎剤のミナルフェンで喉の痛みを取りさることにする。この熱は喉の炎症から来ているのは確実なので。しかし、ここ数日。何となくやばいなぁとは感じていた。ついに来たわけだ。が、今日中には回復に持っていくようゆっくり眠ることにする…ものの、何もしないわけにも行かず。どうなることやら。

2001年10月24日(水)

熱は下がった。喉はやや引っ掛かりが有るもののほぼ全快に近い状態だ。今日は水曜日ってことでMBS『コンちゃん』の中継で南海電車・堺駅前にある『タケモト・ピアノ』の本社にお邪魔して、社長の竹本功一さんに取材。まぁ、今でこそCMバンバン流しているタケモトだが、最初の頃は社長自ら“ピアノ買います”と書いたチラシを南海沿線の駅前に停めてある自転車のカゴに入れて、売り希望の電話が掛かってくると、ピアノの見積もりも、これまた社長自らお客さんの家まで自転車(!)で走って交渉しに行ってたらしい。一日の走行距離は100キロを軽く超えたというから物凄い苦労の人である。ちなみに、ピアノの引き取りはレンタカーのトラックで行っていたとか…。始めた当初は月10台ぐらいだった買い取り数も現在では1000台まで増え、それらは海外33ヶ国で販売されてるというから驚きである。 リポート終了後、MBSに行き、僕の入館証と名刺が完成したので受け取る。生放送終了直後のスタジオに近藤氏とシルクさんが座っていたのでしばし歓談。僕が座った椅子には奇しくも先程まで米朝師匠が腰を掛けていたらしい。ちょっとだけパワーを下され!。

2001年10月25日(木)

うわぁ〜!!近鉄が負けたぁ…といっても、この日記は“松井のジャイアンツ日記”では有りません。念のため。パ・リーグから阪急ブレーブスが消滅して以来、あまり観なくなり、芸人になってから全く観なくなった野球ではあるが、今回の日本シリーズは別。ていうのも、近鉄が日本一になった時点で営業(いわゆる余興。勿論、会社からの…。)が決まる事になっていたのだ。が、それは近鉄が優勝しなければ消滅するので、なんか、心は近鉄に“握っている”ギャンブラーの心境でした。まぁ、顔で負けたというか、ヤクルトと近鉄じゃあ比べものにならないくらい、近鉄の選手は地味やったと思います。実は、先日行ったカフェ・レストランに中村紀洋選手が来てたのですが、最初は“ヤバ系”の人だとばかり思って、ようく見たら中村選手だったのです。確かに、人間は顔で判断出来ませんが、或る意味、自信が顔を創ると思うのですが…。

2001年10月26日(金)

本日、仲良くさせてもらっているマグナム北斗氏が加古川でスポーツ・バー『マグナムT&A』を開店。マグナム氏秘蔵のレアなプロレスビデオを随時流すということなので、興味有る人はどうぞ。まぁ、マグナム氏だけに我々としては他の秘蔵ビデオに興味が有ったりもするが…。しかし、この人のバイタリティーは凄い。ついこの前にAV男優として復活したかと思うと、バー開店だったりと。本人は「これで、芸人として腰据えて頑張れるわ。」と涼しい声で語っていたが、僕なんかよりもずっと芸人でいる事に喜びという価値観を持った人だと思う。遠くて店は行けませんが、頑張って下さい!。

2001年10月27日(土)

夜7時より、京都・四条のインド料理屋さんで、森脇健児氏とKBS京都の伊藤ディレクターと森脇氏担当の大谷マネージャーと僕の四人で、来週から始まる『サタデーミーティング』の打ち合わせをする。打ち合わせというと何か堅苦しいが、いわば“決起集会”だ。来週に備えての景気付けってやつ。正直、今年は無いものとばかり思っていたし、事実、この10月からは別の番組が始まっていたのが、奇跡の復活である。出演者もスタッフも皆、信じられないという気持ちで一杯だ。たかがラジオでと思う人もいるかも知れないが、この番組がスタートして今年で四期目、僕がアシスタントで参加して三期目。最初はどうしても「森脇氏の番組だから…。」と自分でも遠慮している部分が有ったが、今ではかなり自分でも気が入ってます。半年間の放送ですが、一年一年と積み上げてきたという皆の気持ちが、この番組を何とか復活させようという気運に高まったのだと確信しています。来週の11月3日より、毎週土曜の午後6時から午後9時20分までの3時間20分間という生放送で『サタデーミーティング』は帰ってきます!!。

2001年10月28日(日)

雨が降ると言われながらも降らないようなので、近所の『神戸屋』でゆっくり昼食を摂ってから、図書館で落語に関する書物を読み漁る。中には古典落語の粗筋を百話ほど集めたものがあったが、あんまり面白くなさそうなので全く参考にならなかった。ちょっと偉そうですかね…。でも、古典落語って、読んでも全く面白くない噺でも落語家さんの口を通して語られるとイッキに面白く…ならない場合が殆んどだが、演じる人によってはとてつもなく面白いモノに変わるから凄い。そう考えると、落語を観客に見せるということは、それを演じる芸人の素養までをも見せているようで、かたはら痛しってやつだ…。

2001年10月29日(月)

頭の中の思考が“落語”という新参者に支配されそうな毎日です。へたしたら、“漫才”が隅に追いやられた格好です。やはり、常に攻めの姿勢に憧れている薄い芸人なのかも知れません。なぜ、落語をするのかという自問自答はいまだに続いていますが、ただ漠然と刺激を求めているという単純なことなのでしょう。元々、築いてきた事を守ろうなんて気が薄いというより、築いてきたという自負が少ない方なので、いつでも、自分の想いのままに転換したくなるのです…なんて書くと、すぐに周りは言葉の深読みをしたがりますが、そういうことです。やはり、想った事をすぐに思う存分。その実現のためにこの世界に身を投じたわけなので・・・。

2001年10月30日(火)

夕方より事務所にて『ぴあ』の取材を受ける。何か変わったイベントを開催するときには取り上げてもらっているが、今回は11月26日の『シンプレ渡辺の他言無用“密室”落語会』です。この取材を受けるという行為って、自分で打ち上げたモノを自分でプレゼンするという…つまりは自然と自分のケツを叩かざるを得ないっていう、時間にルーズな自分にとっては格好のタイミングで入る刺激です。夜は、大阪府立体育会館の第2競技場に大阪プロレス“天王山2001”決勝戦を観に行く。会場には桂三枝師匠、ハイヒール・リンゴさん、円広志さんの姿が。TV中継の解説者(?)として来ていたリンゴ・円の両氏とは違って、三枝氏は観戦に訪れたって感じか?“えべっさん”の要望で“いらっしゃい!”を連発していた。僕自身、大阪プロレスの定期試合(土日で、フェスティバルゲート内のデルフィン・アリーナが主会場)には忙しくてなかなか行けず久しぶりに試合を観たが、かなり迫力が増していた。特に、Jrヘビー級であっても選手の体は数段にデカくなっていた。メインでは、スペル・デルフィン選手が見事優勝!お笑いと同じ、そこへ行くまでどうやって持って行くかという点では共通しているなぁと再認識する。

2001年10月31日(水)

今日のMBS『コンちゃん』の中継先は日本一低い山の天保山。何と標高4.5m!それでも、国土地理院の2万5千分の1の地図には表記されているから本物の山なのだ。ちなみに、茶臼山は標高20mで地図に載っている。天保山も茶臼山も自然の山ではなく人工的に土を盛ったものだが、これも“山”として地図に表記されるとは知らなかった。天保山は江戸時代の天保2年に安治川の川底を深くするために堀下げた時に出た土砂を一ヶ所に集めて出来た山で、当時は標高20m、周囲は200mだったらしい。それが、雨水の浸食や地盤沈下で現在の高さに。ただ、意外だったのは天保山の“頂上”を示す三角点が埋められている場所に立っても周囲との高低差の無い平地だということ。小さくも土が盛られた場所をイメージしていたのだが、よく考えれば標高というのは海面からの高さなのだ。しかし、ふと周囲を見渡すと海遊館、観覧車と天保山よりも遥かに高い建物が見下ろしている。そして、隣りには土を盛った山状の公園が!これを天保山と勘違いする人は多いらしいが、地図に載ってる山の方が載ってない山よりも低いのだから…。

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