<試作中>

 松井成行(まつい なりゆき)
S39.9.16
大阪府出身
好きな物
ボクシング・・・世界戦ビデオ
200本以上所有
読売巨人軍・・・勝利を金で
買う姿勢がすき
映画・・・恥ずかしながら恋愛
もので涙
AV・・・評論家はだし
(橘ますみが永遠のアイドル)
酒・・・永遠の相棒
掃除・・・コロコロおたく
後輩・・・飲み屋でバカ話

座右の銘
「田舎の学問より京の昼寝」
 渡辺裕薫(わたなべ ひろしげ)
S42.11.3
奈良県出身
好きな物
プロレス・・・大阪プロレスに夢中!
オリックス・・・実は阪急ブレーブス
ファン
映画・・・往年の角川映画通
嫁さん・・・1番好き!!
チョコレート・・・・チョコベビーが
好き
新聞作り・・・シンプレ新聞編集長
先輩・・・飲み屋で芸人論

座右の銘
「Go Ahead!! Make My
 Day」
血液型
星座
身長
体重
A型
おとめ座
172cm
60kg
B:86 W:75 H:85
靴:25.0cm
血液型
星座
身長
体重
B型
さそり座
159cm
50kg
B:88 W:63 H:83
靴:25.5cm


シンデレラエキスプレス・栄光の軌跡!
昭和63年  コンビ結成
平成元年  NHK「第19回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞受賞
平成2年  ABC「第11回ABCお笑い新人グランプリ」審査員特別賞受賞
平成3年  YTV「めざせ!21世紀の漫才グランプリ」準優勝受賞
平成21年 第44回上方漫才大賞・奨励賞受賞
これまでの主な出演番組
日本テレビ
朝日放送
朝日放送
朝日放送
朝日放送
朝日放送
ラジオ大阪
朝日放送ラジオ
朝日放送ラジオ
朝日放送ラジオ
KBS京都ラジオ
KBS京都
KBS滋賀
毎日放送
毎日放送ラジオ
日本テレビ
読売テレビ
読売テレビ
テレビ大阪
FM802
「進ぬ!電波少年」電波少年的ペナントレースに松井出演
「ますだおかだの角パァ」
「今夜はちょっと気晴亭」
「Risky Night」
「リビドーの乱」
「森脇・山田の抱腹Z」
「プロジェクトe」
「シンプレの底底ラジオ」
「ラジオパラダイス」
「誠のサイキック青年団」
「森脇健児のサタデーミーティング」
「シンデレラエキスプレスの電リクGO!GO!」
「土曜が一番楽市タウン」
「空飛ぶ!映画猿」
「一撃!ネオ・ラ・ジオ」
「LIVE 笑 ME」
「ざまあKANKAN!」
「藤本義一のおもちゃ箱」
「ココほれ!ワンワン!」
サッポロビール「関西三都物語」 カラオケ教室編
現在の活動
劇場道頓堀角座・昼寄席(詳しいスケジュールはこちら)
ライブ「夕刊シンプレ新聞社〜レジェンド〜」大阪難波・笑穴亭
ラジオ MBSラジオ「こんちわ コンちゃん お昼ですよ」
12時30分〜15時45分・水曜日に渡辺が出演
KBS京都ラジオ「森脇健児のサタデーミーティング」
18時00分〜21時20分・渡辺が出演。



Life is laugh


≪シンプレ最近のヒストリー≫
1998年7月、難波P−cube3Fフロアにて「シンデレラエキスプレスの漫才ターヘルアナトミア」開催スタート。30席限定を売り文句に、単独ライブを密やかに?スタート。
1999年2月、シンプレにもリストラのあおりが?。ライブ会場の難波P−cupe3Fフロアは、松竹芸能養成所練習スペースに当てられていた。松竹芸能は、このスペースからの名誉ある撤退≠決定。松竹芸能のコストカットにより、シンプレのライブ開催までカットの危機に陥る。
1999年4月、ライブ開催の危機をのらりくらりと乗り越えて、新しいライブ会場として関西格闘技の殿堂・大阪府立体育館を確保。この月より名称を「シンプレ大阪決戦!」とリニューアルするが、30席限定とスケールは相変わらず。「シンデレラエキスプレスの漫才ターヘルアナトミア」は、3月までの全9回となった。
1999年10月、世紀末の為か、それとも恐怖の大王が来なかった為か、はたまた松竹芸能の陰謀であろうか。松竹芸能より提出される、「文化庁芸術祭」参加の申し込みに、シンプレのライブを紛れ込ませたら受理される!。この為10月のライブが、芸術祭参加作品「シンデレラエキスプレスの120分ノンストップ漫才」となる。ちなみに会場は、これまでの「シンプレ大阪決戦!」同様、大阪府立体育館・会議室。30人程で満員の会場に、芸術祭審査員共が来場!。ライブ途中で席を立つ審査員も・・・。審査結果は、聞くだけヤボ!。
1999年12月、朝日放送(ABC)の番組「サンタの街に行って来た!」のロケで、シンプレが持田真樹と共に北欧スカンジナビア半島へ。オーロラを見に行くこのロケで、シンプレが持田真樹と長期間行動を共にする。相手が持田真樹だけに、シンプレは気を使いまくり。汚れ芸人ぶりがばれたのか?松井は持田真樹から距離を置かれ、やはり愛妻家?渡辺の方が持田真樹と仲良く振る舞う始末。持田真樹の相手が何故シンプレだったのかは未だに謎だ。
1999年も暮れる年の瀬、シンデレラエキスプレスのホームページを作る企みが発生。非デジタル化の松竹芸能内で密やかに進行する。
2000年2月、無事Y2K問題もクリアされたかに見えたのだが、大相撲開催の為、2月と3月の府立体育館使用が不可能に!。文化庁の次は大相撲か!、と言ってもしょうがないので、また会場が移動に・・・。新しい会場は、なんとアメ村。服屋のビルの3Fのフロアとなる。また、これまで再三ライブの乗っ取りを宣言していた、前座を務める若手芸人、代走・光國とU・F・Oに、シンプレ派のロビンスをぶつける、「世界最強タッグ決定リーグ戦」を開始。
2000年3月、昨年開催の「シンデレラエキスプレスの120分ノンストップ漫才」を独立させる形で、新たに隔月ライブ「CIN−PRE・15$[Manzai]」をスタート。入場料は、前売りを日本円、当日を15$のドル建てで、当日の為替レート換算という外為法改正を大いに?利用した方式を採用。
2000年3月、松竹芸能非公認の「ミスター・松竹」ことシンデレラエキスプレス・松井成行と、「日本一うるさいDJ」こと山本シュウのライブが実現。「Fuckin’Bro Shit!」のタイトルで、シンプレ・松井のキーボード弾き語り(曲はビリー・ジョエルのオネスティ)は出るわ、山本シュウの「矢沢永吉」話は出るわの内容で全く行き当たりばったりのライブとなる。
2000年4月、「シンプレ大阪決戦!」の会場が大阪府立体育館に戻る。会議室から、多目的ホールCに少々グレードアップ?する。あまり広さが変わらないと言う話も・・・。隣から、空手の練習の掛け声も聞こえる会場になる。
2000年5月、関西テレビ「乗ってけ!北野誠タクシー」に持田真樹がゲストで出演。シンプレとのロケ話になり、「シンプレ渡辺と友達」と宣う。松井はやっぱり相手にされてなかったらしい?しかし渡辺の家に持田真樹から電話があったという話は未だ無い・・・。番組の後半、シンプレ松井がおまけで出演。森脇健児と松竹若手勢の花見に合流するところが放映される。シンプレ松井は、持田真樹に相手にされずとも、お酒さえあればそれでいい?
2000年5月、非デジタル化の松竹芸能が、あまりに遅すぎるが、その重い腰をやっとこ上げ、会社ホームページを立ち上げる。それを祝うかのように、全世界に、「I Love Youウイルス」がばらまかれる。それに呼応するかのように、ひっそりと蠢いていた当サイトもサナダ虫よろしく、もとい、パラサイトイヴのミトコンドリアよろしく、松竹ホームページに潜り込むことに何とか成功する。これをもって当サイトも正式発足となった?
2000年6月、「シンプレ大阪決戦!」の開催曜日が第3火曜日に変更され、隣の部屋から「セイヤセイヤ」の空手の掛け声もなく、又シャルウィ・ダンスのおばちゃん連中もおらず、これで静かに興業に集中できる・・・と思ったら、翌月の開催日は第2火曜日・・・。すわっ、全日分裂の影響か、はたまた「パート2」さんの怨念か・・・、なわけはない。
2000年7月、「シンプレ大阪決戦!」の開催曜日が翌月は第4火曜日に・・・。そごう倒産の影響か?!はたまた、ホープ・ユタカ氏の松竹離脱の影響か・・・な訳はないが、シンプレ新聞編集長が、ロビンス佐野の額を割るという暴挙?に出ると共にUFOをシンプレ派に引き込む始末。これからの展開やいかに・・。
2000年8月、浪花座若手大会にシンデレラエキスプレスが出演し、トリを務める。しかし、客いじりについて、浪花座支配人の怒り?を買うという見事な?トリぶりを発揮する。
2000年9月、「開催決定」と銘打ってチラシまで配っておきながら、「シンプレ大阪決戦!」のエンディングで、プロレス的展開の中でうやむやに(芸祭参加・CIN−PRE15$「manzai」)の中止を告知するという暴挙に出た!しかし、何故中止になったのか?本当に「松竹正規軍」の犯行か?それとも、三菱のリコール問題の影響か?それとも・・・。そう言えば、松竹からは、笑福亭小松氏が芸祭に参加するが、ひょっとして・・・。小松氏を芸祭に勝たせるための「名誉ある撤退」か?それともただ単にネタが間に合わなかっただけなのか?まさしく「アンビリバボー」である・・・。
2000年11月、シンプレが朝日放送(ABC)の「新・部長刑事アーバンポリス24」に、密輸犯役で出演。シンプレ松井はなぜかすぐに捕まり、警官役の亀山忍を人質に取るのは、なぜかシンプレ渡辺。大柄な元野球選手を小柄な漫才師が人質に取るといういかにも部長刑事らしい説得力のない設定で、おまけに最後は刑事役の杉本彩に背負い投げを食らうというオチまで付く。しかし、杉本彩は柔道経験者ではないため、リハーサルから本番まで不格好に何度も何度も床に叩き付けられる羽目に。それを椅子に座り、タバコを吸いながらニヤニヤ見つめる京本政樹。何処まで行っても部長刑事は部長刑事である?!。
2001年1月、テレビ大阪で新番組「ココほれ!ワンワン!」が始まる。シンプレは、「畳返し」のコーナーを担当する。民家の畳をひっくり返し、その下から出てくる新聞を見つけるというコーナー。一体誰が企画したのだろうか?
2001年4月、朝日放送(ABC)の新番組、「今夜はちょっと気晴亭」が始まる。と言っても、月一回の放送。シンプレは大喜利のコーナーに出演。鶴瓶師匠に頭をはたかれまくる番組?である。
2001年6月、「情熱バラエティ」のサブタイトルで始まった、テレビ大阪の「ココほれ!ワンワン!」がひっそりと終了する。やはり「情熱バラエティ」のタイトルが悪かったか?
2001年8月、「シンプレ大阪決戦!」の開催当日、大阪に台風到来!よりにもよってライブ当日に来襲とは!JRが次々と特急を運休する中、ライブは何事もなかったように開催。中止の話は・・・誰からも出なかったらしい。
2001年10月、「シンプレ大阪決戦!」に東京より、ハチミツ二郎氏が来演!。大阪でのイベントの告知にやって来たのだが、そのイベントのチケットを、大阪決戦にやって来たお客さんに無料で配るという暴挙?に出る。さすが、トンパチプロの社長!この売上げを全く無視したサービスに、来場したお客さん全員がチケットを持ち帰った。トンパチプロに栄光あれ!!。
2001年12月、激動の21世紀最初の年を象徴するような出来事が!「シンプレ大阪決戦!」で配布されている「夕刊シンプレ新聞」が、編集長自らの手で会場に運び込まれた後、松竹芸能本社の命で「発禁処分」に!やむなく今月号の配布を断念する。「免責人編集長」を名乗るシンプレ渡辺も免責しきれず?!。
2002年1月、シンプレ新聞発禁処分の直接の原因でもあった「演芸の浪花座」が遂に閉館・・・。演歌歌手・林健二氏のファンから、もう祝儀が貰えないと嘆くシンプレ松井であった・・・。
2002年4月、「シンプレ大阪決戦!」の当日になっても、シンプレ松井はライブに現れず・・・。すわ、松井失踪か?!。遂に、シンプレ渡辺一人でライブが始まる。海原かなた師匠をゲストに迎え無事ライブが終了するが遂に松井の行方は分からず・・・。
2002年5月,シンプレ松井の失踪の理由が,「シンプレ大阪決戦!」の会場にて,シンプレ渡辺から発表となる。その理由とは,「電波少年に拉致されたから」と言う内容だった!。「電波少年的ペナントレース」で,愛するジャイアンツを応援する松井の姿を自宅のテレビで目撃した渡辺であった・・・。
2002年11月、ジャイアンツファンのジャイアンツファンによるジャイアンツファンの為のイベント「Gメン2002・松井凱旋スペシャル」が開催される。笑福亭銀瓶氏とのこのイベントも3回目を迎え、遂に電波少年から帰還した松井の口から拉致監禁の実態が会場で語られると、お客さんも期待したが、松井の口からは「今はこれ以上は・・・」と、まるで北から帰ってきた拉致被害者のような口ぶりに終始したが、「ワールドカップはいっぱい試合見た!。」と、電波少年的ペナントレースの裏側を紹介し、「試合に勝ったらエビフライ定食ばっかり頼んでた。だから2Kg太って帰ってきた。」と相変わらずの松井節!?を披露した。
2003年1月、CS・プラットワンの「電波少年的放送局」に、シンプレが出演。24時間の出演だったが、開始早々に酒を飲みだしたシンプレ松井が、夜を迎える頃にはすっかり出来上がってしまい、まだ加入者が少ないとはいえ、CS放送で全国にへべれけの姿をさらけ出すという御乱心ぶり!?。散々酒を飲み御陽気に寝てしまう始末。2003年になっても、相変わらずのシンプレ松井であった。
2003年9月、毎度シンプレ大阪決戦の前座を務める若手芸人、代走みつくにがこともあろうに、「シンプレ大阪決戦!」のライブ中に彼女に結婚のプロポーズをする暴挙(?)に出た!。ライブでも以前話題になったみつくにの彼女を客席から呼び出し、客の面前で婚姻届を手渡すという、大阪決戦らしいセレモニー(?)が行われた。この日のお客さん達は、芸人が結婚を申し込む瞬間を目撃するという、ある意味歴史的瞬間に立ち会うこととなった。しかしどれだけの歴史的意味があったのかは、お客さんが考える事である。確かに、めったに見れるものではないのだが・・・。結果は、彼女が結婚を了解するというおめでたい結果に終わったが、ここで断られていたら・・・。果たしてみつくににとって、ここで断られていたほうが芸人として良かったか、了解されたのが良かったか・・・。その結果は、神のみぞ知る・・・である。
2004年1月、大阪南港WTCにて年越しライブイベントの一部「スーパー笑撃ライブ」にシンプレ以下大阪決戦メンバーが出演。新年最初の初仕事を、赤字にあえぐ南港WTCにて行う。イベント内で、タージンさんよろしくビンゴゲームの司会までこなし、元旦から皆様の御機嫌を伺ったが、果たして来年もこのイベントは存在するのだろうか?。
2004年2月、昨年「シンプレ大阪決戦!」のライブ中に結婚を彼女にプロポーズするという前代未聞の珍事?を行った若手芸人・代走みつくにが、この結婚問題でテレビ大阪の堀ちえみ・オセロ松嶋司会の特番「ハハトコ」に出演。大阪決戦のライブに来たお客さんだけでなく、世間にもこの問題をさらけ出すという芸人としてしごくまっとうな(?)結果となった。もちろんこの続報が、聞きたくなくても聞けるのが「シンプレ大阪決戦」の持ち味。続きを知りたい人は、府立体育館まで足を運んでください。
2004年6月、これまで大阪府立体育館にて開催してきた「シンプレ大阪決戦!」がなぜか今月よりB1角座にて開催となり、これが大阪決戦が松竹芸能本社に認められた結果なのか、それとも真夏の阪神タイガースよろしく「死のロード」なのか・・・ただ府立体育館よりもイスが良くなったのは確か。
2004年7月、シンプレ渡辺がMBSラジオの「シネコン倶楽部」のルートを利用し、上戸彩主演の「あずみ2」の撮影に参加するという暴挙(?)に出た。エキストラ扱いの為、「その他大勢」として斬られる役だったが、シンプレ渡辺以外のほとんどが、上戸彩目当ての一般応募のエキストラだった。死体として地面に横たわるシーンで、殆どの死体役のエキストラが、上戸彩が見たくて顔を上げその度にカットになるという始末。その時シンプレ渡辺も・・・もちろん顔を上げていたのはいうまでもない。
2004年9月、「シンプレ大阪決戦!」に毎月参加している若手3組の、ロビンス・代走みつくに・みわゆーすけに新たな若手3組をぶつけ対抗戦を実施、負けたら入れ替えという入れ替え戦を実施。ロビンスが勝ち、誰もが危ぶんだみわゆーすけが何と勝ち残り、代走みつくにが敗戦、追放となった!。これまで、開演前にネタを披露し、ライブの手伝いを続けてきた男にこの試練。果たして代走みつくには、来月以降も大阪決戦に参加できるのか?。
2006年1月、大阪府立体育館からB1角座に移って継続してきた、『シンプレ大阪決戦!』がこの月をもって終了となり、翌月からタイトルが「夕刊シンプレ新聞社」に変更となった。調子に乗って「有刺鉄線ファイヤーデスマッチ」を開催したのが原因か?それとも増えもせず、減りもしない観客動員のおかげか?とにかく2月から新イベントへと移行となった。
2006年2月、今月よりシンプレのイベントが、これまでの「シンプレ大阪決戦!」から新たに、「夕刊シンプレ新聞社」となる。これまで毎月発行して、イベントでお客さんに配布してきた「夕刊シンプレ新聞」を前面にフィーチャーしたイベントとなる。
2008年5月、難波・B1角座がビルの建て替えに伴い閉館。松竹芸人の出演する劇場が、通天閣の地下劇場に移行する事が決定。自動的に、B1角座での「夕刊シンプレ新聞社」の開催も5月で終了となる。難波の一角にあるビルP−cubeの一室から始まったイベントは、流転流転の末に再び開催会場が変わる事になった。シンプレのイベントは、開催会場の移転とは切っても切れないようだ。
2009年2月、シンデレラエキスプレス結成20周年記念公演が、心斎橋そごう劇場で行われた。チケットは、好評のうちに完売したのだが、会場となった「そごう劇場」のある「心斎橋そごう」まで、大丸に売れてしまったのだった・・・。
2009年3月、ついに「夕刊シンプレ新聞」が通巻第百二十号を迎えた。創刊から丸十年、シンプレのイベントでのみ配られるこの新聞の歴史は、そのままシンプレのイベントの歴史でもある。その創刊十周年を記念して難波のラーメン店・鶴心にて「夕刊シンプレ新聞社・シンプレ新聞創刊十周年記念パーティー」が開催された。いつもイベントに足を運んでくれるお客さんと、イベントに出演するシンプレ以下芸人が楽しいひと時を過ごした。
2009年4月、第44回上方漫才大賞・奨励賞を今年で結成20周年を迎えたシンデレラエキスプレスが受賞!。実は事前に受賞を知らされながら、イベントでそれをお客さんに言えなかったもどかしさから受賞後の「夕刊シンプレ新聞社」ではその裏話を披露したのだが、そのイベント後配布された「夕刊シンプレ新聞」には、いたる所に「墨塗り」が・・・。上方漫才大賞・奨励賞受賞でも検閲には勝てなかったようで・・・。
2009年5月、「夕刊シンプレ新聞社」のライブ中、シンプレ松井が入籍を発表。これまで、コンパとAVをこよなく愛し続けてきた男が、これからは妻をこよなく愛し続けられるか?ファンならずとも注目のシンプレ松井氏の新婚生活が始まることとなった。
2011年1月、大阪歴史博物館・講堂にて「シンプレ漫才1・23」開催。シンプレの結成23周年を記念して単独ライブを開催した。しかし2009年に結成20周年のライブを開催して、2011年に23周年記念とは・・・。単純に2008年が結成20周年だったという事が真相だった。
2011年3月、これまで前身のライブ「シンプレ大阪決戦!」から参加してきた、ユースケ・アルバチャコフこと、みわゆーすけが落語家・桂福若氏に弟子入りし、「桂若寅」として再スタートを切った。しかしそれより少し前、吉本で活躍するジャリズムの世界のナベアツが桂三枝師匠に弟子入りし落語家として再スタートと言うニュースが全国を駆け巡った後だけに、早速世界のナベアツの後追いの様な格好に。ちなみに落語界に身を投じたみわゆーすけは、新弟子となるため三年の見習い期間を終えるまで落語に専念する事になり、「夕刊シンプレ新聞社」のイベントを離れる事になった。
2012年4月、シンプレ渡辺が自身で作詞作曲した「松竹の芸人(おとこ)」のCDを自主制作。自身の漫才ネタを地で行く演歌歌手デビューをはかる。それに対して相方のシンプレ松井は、自身アナログ芸人であるにもかかわらず、「これからはダウンロードやで!」と得意気に語るのであった。
2013年5月、シンプレ渡辺が声優として出演した映画「燃える仏像人間」が公開される。この作品は「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2013」に正式出品され、全国単館系の映画館で公開される。何気に「声優デビュー」を果たしたシンプレ渡辺であった。
2013年6月、通天閣劇場の閉館に伴い、シンプレのイベント「夕刊シンプレ新聞社」も6月をもってひとまず終了となった。かつて難波P-Cubeの一室から始まったイベントが、様々な会場を経て辿り着いた通天閣直下「通天閣劇場」だったのだが、またしても会場の閉館に伴い他の会場に移る事を余儀なくされる。今後は「夕刊シンプレ新聞発行イベント」として新たなイベントを立ち上げる事となった。
2013年7月、前月で一旦終了となったシンプレのイベント「夕刊シンプレ新聞社」が新会場で新たな形で再スタートを切る。大阪難波の焼肉店、「五苑」西心斎橋店内にある会場「笑穴亭」にて「夕刊シンプレ新聞社〜レジェンド〜」としてリスタート!。シンプレ渡辺が自身に所縁のゲストを迎えて送るトークイベントとして、そして「夕刊シンプレ新聞」を唯一受け取れるイベントとして新たにスタートする事となった。
2014年10月、大阪・道頓堀角座にて「シンデレラエキスプレス漫才独演会」を開催。特別、何週年記念でもなく、また何かの受賞記念でもなく「現在のシンプレの現在地」を見て頂くという思いで角座での開催となった。
2015年2月、シンプレ渡辺が自転車で走行中に転倒してしまい、左腕を骨折してしまうアクシデントに見舞われる。しかし「口」が商売道具の漫才師にとっては不幸中の幸い、ギプスで固めて舞台を務めた。しかし、おかげで「夕刊シンプレ新聞」の発行が滞ることに・・・。この難局を「合併号」にして乗り切ることに・・・。
2015年4月、シンプレ渡辺がボーカルを務める「シンデレラエキスプレス渡辺バンド」のデビューCD「こけらおとし」が発売となり、発売記念のライブが大阪・難波のライブハウス「Mele」にて開催された。デビューCD「こけらおとし」が全国のタワーレコードにて発売され何気に「バンドデビュー」を果たしたシンプレ渡辺であった。
2016年9月、これまで「夕刊シンプレ新聞社〜レジェンド〜」を開催してきた会場「笑穴亭」が9月いっぱいで閉鎖となるため、「夕刊シンプレ新聞社〜レジェンド〜」は再び会場が変わる事態となった。様々な会場を渡り歩いてきた当イベントも、会場変更が恒例行事のようになってきたが再びの会場変更となった。笑穴亭最後のゲストに、よしもとからメッセンジャーあいはら氏を迎えて華々しく笑穴亭最後の回となった。
2017年8月、名古屋で開催された怪談イベント「怪談王2017」にシンプレ渡辺が出場。前年の優勝者や、怪談グランプリ優勝者を倒して見事優勝!。上方漫才大賞奨励賞以来の「タイトル」獲得となった。
2018年7月、以前から「いつか、いつか」と言われていた「道頓堀角座閉館」がついに現実に。
芸人が、「難波の一等地やのに閑古鳥」と嘆いていた客席の有り様に相反して、劇場前「角座広場」の「俺のフレンチ」等の賑わいぶりに、演芸ファンほど嘆いていた現状からは、必然の結果だったのだろう。
しかし、その劇場昼席最終公演をシンプレが務める事になった。「シンプレ寄席」と題して、横山たかし・ひろし、酒井くにお・とおる、森脇健児等の豪華なキャストが集まり、シンプレと共に角座の昼席最終公演を務め、劇場の最後を詰めかけた御客さんと共に見届けた。