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「ヒカル」と「かず」の物語


『今から8年前。以前住んでいた家の近所にとても親しくしていた家族がありました。小学5年、3年、1年生の男の子ばかりの穏やかな5人家族。我が家にまだワンちゃんのいない頃からのお付き合いで、捨て犬のチュピ、千空(ちから)、ロビンを飼い始め、徐々に増えて6匹になった頃まで、皆でキャンプに出かけたり、公園でわんこ達を遊ばせたり・・・。空は広く、空気は澄みわたり、目に映るものは緑ばかり。都会から田舎に移り住み、私達はとてものどかな日々を送っていました。そんなある日、車で20分ほどの親戚に用事があるから一緒に行かないかと誘われ、それが「ヒカル」「かず」に出会うきっかけとなりました。

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真夏のうだるような暑い日、大きな農家の軒先に繋がれていたヒカルは、ワンワン吠えっぱなしで何とも可愛げのない犬!・・・そんな印象。かずはぼんやりこちらを見ている。(今思うと可愛げがないのではなくて、吠えて何かを訴えていたのですね、当時はまだ分かりませんでした)。あまり気にも止めずに最初は近寄ることもないまま帰りました。そこの家族構成は、中学を出てぶらぶらしている長男を頭に全員男の4人兄弟。下は幼稚園、両親は離婚したばかりで母親不在でした。おばあちゃんが炊事、洗濯、掃除と一家を支えていたのですが、上の3人は既に不良化して乱暴そのもの、父親はやけになりパチンコ三昧。何とも危なっかしい家なのに、その後間もなくおばあちゃんが亡くなってしまったのです。数ヶ月の間に女性二人を失い、父と4人兄弟で男ばかりの家族になってしまいました。

ある日こんな事もありました。夜の10時半頃尋ねた時の事ですが、農家の庭先の暗がりに誰かうずくまっているのです。よく見ると、末っ子の順平が一人しゃがんでカップ焼きそばのお湯をこぼしています。家は薄暗く人の気配がありません。「どうしたの?一人?お父さんは?お兄ちゃん達は?」「知んねぇ・・・」「ご飯食べたの?」「食べてないから焼きそば作ってんだ」テレビも点けず、こんな時間まで一人でどうやって過ごしているのだろう・・・胸が痛み、返す言葉が見つかりませんでした。同じ光景を三度も見てしまいました。その後、交流が始まり、私は又そこを訪れる事になって、今回はヒカルとかずが気になり近寄ってみる事にしました。

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2匹は犬小屋も無く納屋の軒先の柱に繋がれただけ、水は取り替えない為ドロドロ。散歩は気まぐれで殆どしません。蚊がまるでオーラのように身体を囲んで群がっていました。よく見るとかずの方は失明している風で、目の周りがパンダみたいにくっきりと黒くなっていました。目は膿と目ヤニで塞がって何も見えないようです。砂埃の中、かずの背中全体は毛が抜けて皮膚が固く黒光りし、そこに日が当るととても暑そうです。全てが悲惨としかいえない状態なのです。「かずの目は?」と聞くと子供達はゲラゲラ笑って、「こいつ、もうすぐ死ぬんだぜ、目が腐ってるんだよ」と言ってまるで無関心。そのくせ、「ヒカルはゴーレデンリトリバー、かずは柴犬、2匹とも血統書付きなんだ!」と誇らしげに言います。気に入らない時はシャベルで殴るのだそうです。犬を買ったという自慢以外、まともに面倒を見れる人間がいなかったのです。当時の私はまだ、よその犬の汚れた目を触るほどの勇気は持ち合わせてませんでした。「何故獣医さんに見せないのだろう」とか、「誰か手当をしてあげれば良いのに」と思い、何とか自分の気を逸らそうとするのですが、放っておけばずっとこのままである事は分かりきっていました。始めは気持ち悪かったけど、思い切って水とタオルを用意して目を洗ってみました。拭っても拭っても膿が沸いてきます。夢中になっている自分に気がついた時はすっかり触るのも平気になり、とにかく硬い膜を取り除けば失明しているのではない事が分かりました。

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ここの家族に頼んでも無駄だと思い、人間用の目薬を買って、その日から毎日通い始めました。後で分かったのですが、かずは逆さまつげといって、まばたきをする度に上のまつげが目の中に刺さるのです。手術をしなければ治らないと電話相談した獣医さんに言われました。そんな余裕はないし、飼い主と話し合いをして何の成果もなく、挙句に口論となる事も避けたかったのです。目の洗浄後、かずの顔を両手で包むようにして、親指を其々の方向、上下に目を見開くよう、まつげが少しでも上にむくように何度も何度もマッサージをします。根気よく洗い続け目薬を差し、その都度散歩にも連れて行く。そのうちにヒカルもかずも私が行くと喜ぶ仕草をするようになりました。最初はとても気が荒いか、無気力だったのに、やはり他のわんこと変わりありません。そんな中、そこの次男坊の宏、「ひぃ君」と少しずつ歩み寄るようになってきたのです。ひぃ君は中学校一のワルで、ポケットにはナイフ、ドライバーを忍ばせ、両手は中に突っ込んだまま顎を突き出し、目はそっくり返り、靴の踵を踏んづけて、人を見る時は下から上へ往復して、眉間にしわを寄せて睨むのです。中学でただ1人茶髪にしていました。見るからに手がつけられないと言う感じ。けれど、素直なところもあって、ヒカルとかずが大好きで、私の言う事を良く聞くんです。一緒に水汲みや散歩をしたり、目薬の差し方を教えていくうち、気の遠くなるような夏も過ぎ、秋の日差しが濃くなる頃、ひぃ君は自発的にヒカルとかずの面倒を見るまでになりました。連絡を取り合いながら任せられるようになったので、安心してやっと毎日通わずに済むようになりました。ほんの数ヶ月でしたが、とても長ーい時を過ごしたように思います。それ以上の事はしてあげられなかったのに、かずの目はすっかり治ってしまったのです。ぐるぐる巻いていた縄を解き、首輪を買い、マッサージしていく内に、全く毛根なんて見えなかった背中に毛が生え出し見違えるほどになってきました。ひぃ君はますます私を信じだしたみたいです。どんなに遅く遊んで帰っても2匹を可愛がり、散歩に連れて行くまでに成長し、まるで充実感を味わっているかのように見えました。自由に遊んで帰った時、繋がれっぱなしの2匹を見ると放っておけなくなってきたのだそうです。それからすこしずつ打ち解けて、秋には順平の運動会にお弁当作りを頼まれたり、細かな出来事はあったにせよ、全てが良い方向に向かい始め、とりあえず皆なんとなくまとまりかけて来た矢先、ひどい事件がおこりました。

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その頃うちには既にワンちゃんも増え、毎朝の世話のためいつものように早寝しました。深夜突然、電話が鳴り響き、出てみるとひぃ君が大声で泣き叫んでわめいているのです。「ヒカルとかずが轢かれたー!ひかれたー!ひかれちゃったんだよー助けて、助けて、たすけてぇー!」・・・すごく興奮して泣き叫んでます。私は飛び起き、まずひぃ君をなだめました。落ち着いてくれないと聞き取れません。ヒカルは2台の車にはねられ、かずは頭を強くぶつけて耳と口から血を出してぐったりしていると。・・・轢き逃げです。動物だからって車を止める気にもならなかったのでしょう。誰も助けてくれません。私が駆けつけるにはとても時間がかかるので、とにかくそこから動かないように言い、電話でひぃ君の家族を起こし、戸板を持って急ぐように、そして何よりひぃ君が取り乱しているので、大丈夫心配するなと言ってやって!・・・私も必死で叫んでいたような気がします。暗闇の先で3人の喘いでいる姿を思うと泣き出したくなりました。その間、急いで近くの獣医さんを捜し、何件か連絡してやっと取り次いでくれた先生に説明をしたのですが、「連れて来ても無駄です。様子を聞いた限りではもう助からないので無理です」と断られました。私は何だかこれでは駄目だと強く感じたので、食い下がって、どうかどうか、子供達が納得いくように、診察の上、先生の口から「助からない」と云う事だけでも伝えて貰えないかと頼み込みました。もう夜中の2時でした。面識もない先生だったのですが、私の執拗さに負けたのか引き受けて下さいました。しかし、見て頂いたところ、かずは最後の脱糞までしていて、やはり無駄なので何も手当はしませんよと言われ、為すすべも無く皆帰途に着いたのです。帰ってからもまだ僅かに意識があるのですが、ヒカルはぐったりして反応がありません。かずの方は「きぇー!きぇーー!」と断末魔のような大きい叫び声を上げています。皆呆然としています。・・・このままでは又この家族はバラバラになってしまうような気がして私自身諦め切れません。かずだってあんなに頑張ったし、ヒカルもやっと散歩や遊ぶ楽しみを覚えたばかり、死なせてなるものかってきっと皆思っている。そう感じました。私達は医者ではないから治療の事は分からなくても、絶対、決して諦めないで考え得る最善を尽くすと言う事なら出来るはずです。枕を置いて頭を乗せ、首がうな垂れないよう、内出血の流れを少しでもゆるめるよう身体を固定させて、体温が下がらぬよう毛布を掛け、4人兄弟は必死で看病しました。そして1番肝心な事。ずーっと朝まで途切れることなく語りかける事、うるさくしないで、過去の話ではなくて未来の楽しい事、泣くと感づかれるので笑って。身体を揺さぶらない事等々・・・。一番下の順平も交代で朝まで語りかけ、一丸となりました。目を閉じて眠ってしまうと体内の具合の悪さに誘われて死んでいってしまうのでは・・・、もしこちらに気を向けさせる事が出来て、皆が何を言っているのか分かろうとすれば、又それが皆の笑い顔だったりすれば、気が集中して心と身体が分離して、その間に体内の方は軌道修正するのではないかって感じたのです。願ったのです。・・・そして心から祈りました。

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ワンちゃんは驚くほど治癒力があり、それにとっても人に気を使います。死んではいられないんだなって思わせなくてはなりません。もっと生きてこの子達の笑顔を作ってあげなくてはいけないのだと思わせなくては。夜明けから昼になり、4人はずっと付きっきり。眠っている間も交代で話しかけ楽しい夢を見るようにと・・・。そして夜になり1日持ちこたえました。そして、なんと翌日も意識があるんです。2匹とも目がしっかりしていて何だかもう大丈夫のような気がしてきました。みんな「奇跡だー奇跡が起きたー!」と大喜び。ひぃ君は一睡もしていません。皆くたくたです。でもそれじゃぁ大変!2日も経ったので、今度は栄養補給をしなくてはと、病院に連れて行き点滴をして頂きました。先生も「この子たちはあの時はもうお花畑まで行っていたのによく頑張りましたね。皆の気持ちが伝わったんですね」と言って下さり、こうしてヒカルとかずは皆の諦めないという力と愛によって助かったのです。ところが、2匹ともよく頑張ったのに災難はまだあったのです。病院の検査により2匹とも強度のフィラリアに罹ってました。あんなに蚊が集っていたのですから当然なのかもしれません。ほんとに不幸な境遇で、生きていない方が良いのかもと思わざるを得ません。このまま放っておくと半年持たないとの事。今までは犬の病院なんてとんでもないと言うような家族でしたが、今となっては子供達が納得しません。相談の結果、長男とひぃ君がアルバイトをして返す事にして、治療費を親戚のおばさんに出して貰う事になり、再びヒカル達の闘病生活が始まりました。

幸い順調に回復して退院という事になったのですが、しばらくは安静、散歩も身体を動かさず抱きかかえるようにして排泄のみ。常に様子を見る事が必要となりました。そこでひぃ君が私に頼みがあると言い出したのです。それは、ヒカルとかずがせっかく退院しても、家に戻ればリハビリどころか犬小屋もなく、何のために助かったのか分からないので、どうかやっちゃん(私の事)の家で預かってくれないかな、と言う事でした。そして、「僕も付いていきたい、学校もちゃんと行ってヒカル達の看病をするから・・・」。それは小さな問題ではなかったけれど、私もそれ以外方法はないのではと思い、良く考え、又周囲の人達を説得して、ひぃ君、ヒカル、かずを引取り、四畳半の和室を与える事にしました。3人(?)水入らずの仲良し生活が始まりました。学校は以前より遠くなってしまったので、朝は自転車を車に積み、私が実家まで送るのです。そこから学校へ通う。また二人の二人三脚です。ひぃ君は中学の3学期、それまでは休みがちで学校では保健室ばかり行っていたのに、1日も欠かさず、遅刻無し、保健室無しで通い通しました。彼の将来についての作文が発表されたり、日に日に明るくなって、卒業式を迎えた時には担任の先生が、座り込んで嬉しさのあまり泣き出したそうです。ひぃ君頑張りました!

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中卒で就職をしたのですが、職場でも仕事が出来ると評判も良く、充実した2年半が過ぎました。その間、我が池田家は、不幸なワンちゃんという事に目を向けるようになり、捨て犬の保護、里親探しの活動を徐々に、又真剣に始めるようになったのです。ひぃ君はどんどん捨て犬が増えていくのにも根を上げず、朝から晩まで、私達と一生懸命全ての犬の面倒を見てくれました。雨だろうが寒かろうがどんなに辛くても朝5時半に起き、仕事の時間ぎりぎりまで、夕方帰っては休む暇もなく世話をしたのです。15歳でした。冬の寒さは半端じゃありません。どんなに着込んでも口が開かないほどの厳しさです。朝と言っても外はまだ真っ暗。リードを引く手はしもやけとあかぎれでいつも血が滲んでいます。暑い時の辛さも同様です。「よくやった!根性の二年半」と言っても決してオーバーではありません。

ヒカルとかずは同じ屋根の下に住み、繋がれることもなく、驚くほど家庭的で個性豊かな子達と変わっていきました。毎週のようにひぃ君の家族が遊びに来て、ヒカル達の面白可笑しい表情に笑いが絶えることはありませんでした。

やがてひぃ君が18歳になろうとする夏の初め、私達に働いて貯めたお金を置いて、ヒカルとかずを託し立派に独立して行きました。最初の頃、憎み嫌っていた母親とも交流するようになり、とても荒んでいた家族も今は何となくまとまってきたようです。その父親と私の壮絶なバトル!殴り合いの喧嘩寸前になった事も今は可笑しな想い出です。笑い話になっています。その間主人はと云うと、ワンちゃんに対しての見事なまでの献身ぶり(?)。私達にも陰になり日向になり守って貰いました。・・・感謝です。』


ここまでが2002年に作成した手作り写真集第2からのお話しです。ヒカル哀悼の意を込めて、載せていただきました。それから半年の後、現在の場所へ池ワン一家の大移動。ヒカルとかず。メッチ(姫ちゃん)とムック姉妹。あとから加わったジョリィが1グループとして、家の周りを囲うようにフェンスを張り、自由で大がかりなハウスを作ってヒカル達にあてがいました。今はもう慣れっこになってしまいましたが、引っ越した当初は、こんなに自然が多く広々としヒカル達にとって遊び放題の我が家に驚喜しました。HPも始めてヒカルは実に多くの人たちに愛されました。訪れる全てのボランティアさん達を癒してくれたと思います。ヒカルも世界一楽しい日々を送れたワンちゃんのひとりだと信じています。ヒカルを知ってからの10年間、どれだけの愛嬌と愛情を私達に振る舞ってくれたことか、感謝し尽くせません。ありがとうと叫んでも叫び足りない。まだまだ昨日のことで、「お母さんをおいていかないで」と、やり切れなくて寂しい気持ちで一杯ですが、今更になって大きな愛で私達が包まれていたのだと云うことに気が付きました。

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ヒカルありがとう、
これからもどこにも行かないでずっとそばにいてね・・・。
2005年1月12日PM9:00

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