2008 shelf 2


著者名 タイトル 出版社
40 イタロ・カルヴィーノ 木のぼり男爵 白水社
39 本谷有希子 腑抜けども、悲しみの愛を見せろ 講談社文庫
38 クリストファー・プリースト ドリーム・マシン 創元推理文庫
37 マイケル・マーシャル・スミス みんな行ってしまう 創元SF文庫
36 恩田陸 木曜組曲 徳間文庫
35 笙野頼子 笙野頼子三冠小説集 河出文庫
34 桜庭一樹 私の男 文藝春秋
33 メルヴィル 白鯨(上・下) 新潮文庫
32 佐藤亜紀 戦争の法 新潮文庫
31 宮部みゆき 楽園(上・下) 文藝春秋
30 平山夢明 ミサイルマン 光文社
29 ジェイン・オースティン エマ 中公文庫
28 野村美月 ”文学少女”と月花を孕く水妖 ファミ通文庫
27 伊坂幸太郎 ゴールデンスランバー 新潮社
26 J.L.ボルヘス 伝奇集 岩波文庫
25 田中啓文・他 ハナシをノベル!! 花見の巻 講談社
24 松村栄子 雨にもまけず粗茶一服 マガジンハウス
23 イーユン・リー 千年の祈り 新潮クレスト・ブックス
22 イタロ・カルヴィーノ くもの巣の小道 福武書店
21 恩田陸 いのちのパレード 実業之日本社



























    いのちのパレード(2008.2.7)
恩田陸   実業之日本社


 どこにいっても絶賛の嵐。
 いやそうじゃない人もいるけど。
 恩田陸が捧げる、異色作家短篇集へのオマージュ。

 うーん。
 わたしには全然ダメだった。
 なんていうか、やっぱり恩田陸って発想だけがすべてで詰めが甘いというか、なんというか。不穏な雰囲気を書かせれば天下一品なので、この短篇集の狙いはすんごく素敵だとは思うんだけれど。

 でも、奇妙なテイストの作品って、やっぱりいくら短篇とは言え、世界構築はきっちりされていないとダメだと思う。わたしはこの世界に全然入り込めなかった。なんていうか、すごーーーーーくよくできた書き割りみたい。裏を覗いたらベニヤ板…の気配がすごくするというか。

 最初の「観光旅行」でダメだった。
 とある村への厳しい人数制限を課したガイドツアーがあって、その村には奇妙な噂がある。村の入り口も人にはわからないようにしてある。そのツアーに参加した夫婦の物語なんだけれど、なぜこの村の人口がどんどん減るのか、そこからしてわからん(笑)。過疎の村のイメージなんだろうけれど、この条件じゃ過疎になれないじゃん? 過疎の原因って基本的に都会への人口流出だと思うんだけれど、わたしのその認識が間違ってる?
 それから石切場みたいな工房があってそこはつねに必然性があって稼働しているのに、なぜか泊まった宿で木くずが…。え、ここは石造りの建物であるべきじゃないの? とか思っちゃうわけですよ。そうすると、奇妙な世界を楽しめない。その前になんか萎える。
 しかも入り口わかんないのにこの人たちこれからどうするのか、とか。


 続く「スペインの苔」も主人公(?)の少女が壮絶な過去を持っているんだけれど、語り手がまるきり彼女に関わっていない人物だということもあって、彼女の苦しみとか悲壮さとかまるっきり伝わってこなくて。「ああ、この設定は彼女の持つ”そこはかとない不穏さ”を裏付けるために設定された状況に過ぎないんだなあ」とか思っちゃう。さらに彼女がなんでスペインの苔についてそんなに詳しいのか。あの人に聞いたのか。どの状況で!?

 「蝶遣いと春、そして夏」はそれなりに愉しめた。蝶遣いという職業はすごく魅力的。

 「蛇と虹」はチャンの「あなたの人生の物語」みたいだなと思った。

 「夕飯は七時」は好きかな。バカバカしくてかわいらしくて。

 「隙間」これも…。ううーん。すごく面白く読んだのにラストでなんだかがっかり。

 「かたつむり注意報」は好きです。これはキャロルの『死者の書』入ってる?

 「走り続けよ、ひとすじの煙となるまで」はプリーストの逆転世界?

 収録作は全部で15作。悪くはない作品もたくさんあったけれど、衝撃的な作品はない。異色作家短篇集は2冊くらいしか読んでいないからわからないけれど、やっぱり”異色”さはあんまりないかなあ。設定で他の作品を連想させるものがチラホラあるってことは、そこからしてやっぱり”異色”じゃないってことであって。

 ああ、なんだかまた辛口になっちゃったなあ。


(収録作:「観光旅行」、「スペインの苔」、「蝶遣いと春、そして夏」、「橋」、「蛇と虹」、「夕飯は七時」、「隙間」、
      「当籤者」、「かたつむり注意報」、「あなたの善良なる教え子より」、「エンドマークまでご一緒に」、
      「走り続けよ、ひとすじの煙となるまで」、「SUGOROKU」、「いのちのパレード」、「夜想曲」)



    くもの巣の小道(2008.2.21)
イタロ・カルヴィーノ/米川良夫・訳   福武書店


 イタロ・カルヴィーノのデビュー作。

 イタリアのとある路地裏に住む少年ピン。彼が働く靴の修理屋の親方・ピエトロマーグロは不幸な生まれつきで、一年の半分は牢屋で過ごす。姉のネーラは娼婦で、相手がドイツの水兵だろうが気にしない。夜になるとピンは酒場で大人たちをからかったり、得意の歌で彼らを陶酔させたりするが、本気でピンを仲間にしてくれるような大人はいない。かといって彼を仲間に入れて遊んでくれる子ども達もいない。
 どこにも居場所がないピンの大切な場所は、だれも知らないくもの巣の小道だ。とあるきっかけでドイツ水兵のピストルを盗んだピンは、それを小道に隠すが逮捕されてしまい、脱走したなりゆきでパルチザンの落ちこぼれ部隊の一員になる…。

 ひとりの孤独な少年の目を通して描かれるパルチザン部隊。誰からも相手にされない少年の目から見た世界は、透明なガラスの向こう側に繰り広げられる景色のようで、その悲惨さも、残酷さも、どこか無音の無関係な出来事のように思われる。ピンの秘密のくもの巣の小道のことを打ち明けられるような仲間は、ピンには見つけることが出来ない。

 わたしはイタリアのパルチザンのことは何一つ知らなかったんだけれど、この物語は少年の目を借りることでその姿を皮肉にあぶり出す、とか、そういう意図じゃないんじゃないかなあ、と思う。

 読んでいてずっと胸に迫っていたのはいつもいつも、ピンの孤独だった。けして彼のせいじゃない原因で、どこにも属すことが出来ない少年はひとりでとぼとぼと泣きながら歩く。いつだって彼を本気で相手にしてくれる人間なんていやしない。寂しい、悲しい、寂しい、悲しい。そして彼の手を握ってひっぱってくれる大きな温かい手がやっと彼にさしのべられるのだ。

 泣ける。
 けしてあざとくない、繊細で悲しくて美しい物語。

 けれど少年の行く手には未来は何一つ見えない。
 ピンが幸せな大人になれることを、痛いくらいに願う。


千年の祈り(2008.2.28)
イーユン・リー/篠森ゆりこ・訳   新潮クレスト・ブックス


 なんていうか、非常に力を感じる短篇集だった。
 でも、読み終わってすごーく重かった。
 現実ってつらいというか、殺伐としているというか、救われないというか。

 51歳まで結婚しなかった林おばさんの結婚相手はお金持ちの老人で、その実態は介護目的でしかなかった。老人の死と同時に短い結婚生活は終わり、林おばさんは住み込みで働き始めた金持ちの子供が集まる全寮制の学校で小さな男の子に恋をする。(あまりもの)

 寝たきりの障害者の娘を隠して生活している蘇夫婦の関係は、健康な息子が生まれて以来壊れてしまったままだ。彼らは夫が株式市場で知り合った方夫婦に振り回される。(黄昏)

 わたしたち、の一人称で共同体が自らを語る、宦官を代々輩出してきたある村の壮大な物語、「不滅」。

 などなど、物語はどれも読ませるし、心を動かされる。
 でも、苦い。
 いつまでも口の中にザラッとした感触が残る。
 それこそがこの物語の持つ力なんだろうな。


(収録作:「あまりもの」、「黄昏」、「不滅」、「ネブラスカの姫君」、「市場の約束」、「息子」、
      「縁組」、「死を正しく語るには」、「柿たち」、「千年の祈り」)



    雨にもまけず粗茶一服(2008.3.2)
松村栄子   マガジンハウス


 これはよかったなー。
 なんていうか、安心して読める。

 東京の茶道の家元の家の嫡男・友衛遊馬(あすま)。受験した大学すべてが不合格だった彼は、あろうことか受験そのものをサボっていたことがバレて比叡山の寺へ送られそうになる。
家を飛び出し友人の家に転がり込んだ遊馬は、なりゆきで京都で暮らすことに。世話になることになった京都の畳屋のお祖母ちゃんは、友衛家と流れを同じくする京都の巴流茶道の先生だった。
 どうにか生活をしていかなければならない遊馬は金策に苦戦。彼の周りにはナゼか風変わりな茶人ばかりが集まってしまう…。

 なんだかんだ言って育ちのいいお坊ちゃんの遊馬。
 最初はホントに、もうこいつダメだろ、というくらいやる気も何もないわがままなだけの青年なんだけど、これが少しずつ逞しくなっていく。
 ああ、なんてベタな展開。
 でもちょっととっつきにくい感じの「茶道」が、すごーく魅力的に思えてくる。

 久しぶりに、続きが読みたい!と思える話だったわ。


ハナシをノベル!! 花見の巻(2008.3.5)
田中啓文・他/月亭八天・演   講談社


 豪華な小説家陣が持ち味を活かした創作落語に挑むアンソロジー。

 これは高座で観てみたいな…と思った。一通り本を読んで、その後CDを聴いて、原作よりCDの方が断然おもしろかったから。
 原作とCDではオチが違ったりするんだけれど、本で読むとなーんか落語っぽくないというか、「ふーん…」で終わるようなものも、高座にかかるとおもしろくなってたりするのよね。

 正直、収録作品を読んでみて落語としておもしろいか、と言われると、ほとんどがピントがぼけているというか、なんといいうか、個人的には笑えるものが少なかった。「え、これ落語?」っていうものもあったし、オチがわざとらしいものもあったし、無理矢理作者の個性を出そうとしてる?と感じられるものもあって。小説の才能があるからと言って、落語の原作がかけるわけじゃない、という当たり前のことを感じた。「正直課長」なんて落語じゃないでしょ…。

 わたしは落語に関しては全然素人だから、あまり批判がましいことを言える立場じゃないけれど、素人でも素直に愉しめなくちゃダメじゃないのかな、と思う。七度狐など、落語っぽい雰囲気があって素直に愉しめる作品がいくつかあったことも確かだけれど。

 うーん…。
 たぶん、普通に落語のCDを買ってきた方がいい、と、個人的には思います…。


(収録作:「真説・七度狐」田中啓文、「寄席の怪談」北野勇作、「病の果て」田中哲弥、「時たまご」田中啓文、
      「貧乏花見殺人事件」我孫子武丸、「動物記」朝暮三文、「百物語」牧野修、「戯作者の恋」飯野文彦
      「正直課長」森奈津子

CD収録作「真説・七度狐」、「寄席の会談」 月亭八天・演)


    伝奇集(2008.3.19)
J.L.ボルヘス/鼓直・訳   岩波文庫


 何とも奇妙な短篇がぎっしりとつまった短篇集。さすがボルヘス、さすがラテン・アメリカw。読む前は取っつきにくそうな雰囲気なんだけれど、読み出すと最初の短篇からすっかりヤられてしまった。うう、たまらん!

 内容は9篇の短篇からなる”八岐の園”と10篇からなる”工匠集”に分かれている。

 ”八岐の園”は著者がざっと収録作を紹介する「プロローグ」に続いて「トレーン、ウクバール、オリビス・テルティウス」。もう、わたしはこれでボルヘスにイチコロだった。友人とふと鏡について交わした会話から不思議な架空の一地方が発見され、やがてまるまる1冊架空の世界について記述された百科事典が見つかる。やがて、頭の中で造り上げた世界に現実が浸食されていく…。読んでいて背筋がゾクゾク。なにが面白いって大まじめに小難しく書いているけどこれって大ボラだよね?というあたり(笑)。

 続く「アル・ムターシムを求めて」もまた、架空の小説『アル・ムターシムを求めて』を大まじめに評論する、という内容。小説の粗筋、書き手の小説に対する評価、それを読んで作品についてわかったつもりになれるかと言えばそれはもちろんさっぱりわからない。なぜなら私たちは作品そのものを読んでいないのだから。

 「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」は、ピエール・メナールという作家が彼自身の『ドン・キホーテ』を未完で遺していた、その遺作がオリジナルと引き比べていかに素晴らしいか、を延々と述べる。けれどこの遺作がオリジナルとまるっきり同じ文面なんだよね!(笑) そして何を大まじめに比べて論じてるのか、またまたふざけた話だなあ…と思っていると、思いがけず話は「読書法」へ移ってゆく。バカバカシイなあ、と笑っていると最後にドキッとする。

 「円環の廃墟」は美しく幻想的な物語。どこまでもどこまでも続いていく円環。

 「バビロニアのくじ」は、くじ引きによって人生を変転させた男がそのくじの歴史を語る。講社はあまねく世界を支配している、のかもしれない、なんてね。(笑)

 「ハーバート・クエインの作品の検討」もまた、架空の不遇の作家の作品について語っている。わざわざ図式まで書いちゃってノリノリ(笑)。クエインの言葉として語られる「読者はすでに絶滅した種である」、「潜在的に、あるいは現実に、作家でない者はいない」、「すぐれた文学は非常にありふれたもので、その域に達していないような街の会話はほとんどない」などは、ボルヘスの本音かなあ、と思ったわ。

 「バベルの図書館」は無限数の六角形の回廊で成り立つ、あらゆる言語で表現可能なもののいっさいを含んだ図書館の話。なんという本好きを痺れさせる設定。山尾悠子の「遠近法」(『山尾悠子作品集成』収録)やガモフの『1,2,3…無限大』の中にもこういう設定が出てきたなあ。
 図書館の中を放浪する人々の間では、人間一人ひとりの行為を永久に弁護し、その未来のために驚くべき秘密を蔵しているといわれる『弁明の書』が血眼になって捜されたり、何百万冊もの本が破棄されたり、他のすべての本の鍵となる1冊の本を発見し、読み通して神に似た存在となった「書物の人」がどこかにいると噂されたりする。けれど誰もがほとんど何の実りもなく、孤独にただただ図書館の中を彷徨う。読書ってホントに、どれだけ読んでもきりがないよなあ…。

 「八岐の園」は一転してサスペンスタッチの物語。1916年、とある中国人の大学教師が、ドイツのスパイだと露呈し、逃走する。彼が逃げ込んだのは”八岐の園”のある屋敷。それは彼の祖先が遺した1冊の本であり、”見えざる時間の迷路”だった。
 1冊の本の内包する世界観にうっとり。凝縮される無限の世界。


 さて、次は”工匠集”。
 「記憶の人、フネス」は落馬事故を堺に、目にしたものすべてを完全に記憶する能力に目覚めた若者の物語。彼はその記憶力のゆえに、さまざまな大きさや形をした多くのことなる個体を包括的に「犬」という記号で示すことが理解しがたく、鏡に映った自分の顔や自分の手につねに驚かされる。強烈な記憶力は彼の思考を妨げる。
 人間には忘却する能力が備わっていて、フネスはそれを失った。

 「刀の形」はどこかからやってきて土地に住み着いた、額に刀傷のある男の話。ある日彼はその傷の由来を話し出す。アイルランド独立を計画していた時代に出逢ったジョン・ヴィンセント・ムーンという酷く臆病な男。刀傷の男は兵隊に追われ、ムーンと一緒に逃亡することになるが…。
 これはボルヘスの中では異色な感じ。小説としてすごく普通に愉しめるから。w

 「裏切り者と英雄のテーマ」は思いついた物語の筋をそのまま記録した、”作品”とは言えないようなアイディアの断片。の形をとった作品。w
 文学や歴史がすべて入れ子になって、模倣と剽窃と暗示に満ち満ちたイメージの断片。どこまでが筆者の意図なのか。

 「死とコンパス」は頭脳明晰な名刑事・レンロットが挑んだ最後の事件。街で起こる連続殺人事件。第一の殺人現場に残されていた「御名の第一の文字は語られた」と書かれた紙片。殺人の意味を説き明かしていくレンロット。そして彼が辿り着いた先には…。
 これもやっぱりコメディだよね!?と思うわたしは間違っているのかしら。w

 「隠れた奇跡」は、ゲシュタポに逮捕され、銃殺刑に処されることになったフラディークに起こる奇跡の話。一瞬の中に潜む永遠。誰一人気づくことはなくても、確かに奇跡は起こって、それはおそらくはフラディークを救ったんだろう。

 「ユダについての三つの解釈」は、20世紀の神学者・ルーネベルグが唱え、無視されたユダについての解釈。個人的にはすごーく興味深くて、おもしろかった。最初の解釈から2回改訂を加えて最終的な解釈を提示しているのだけれど、最後の解釈は刺激的。

 「結末」は町に流れ着いて雑貨屋に出入りするようになった黒人の男が、長年待ちつづけた男とそこで出会う話。彼は待ち続ける理由があった。相手が彼を待たせたのはもって生まれた星のせいだった。邂逅の結末に、希望は見えない。

 「フェニックス宗」は、世のあらゆる人間集団の中にその信徒が存在するある宗教についての話。彼らにほとんど共通点はなく、ただひとつの”秘技”が彼らを結びつけている。正直、これは話がよく掴めなかった…。orz

 「南部」は、ごく些細なことで敗血症にかかった男が一命をとりとめ、南部の農場に静養に出かける話。ある意味、彼の願いは叶えられた、と言えるのだろう。


 さてさて、ダラダラ長く書いてしまったな。一篇一篇はすごく短いのに、その中にはものすごく豊かな宇宙が内在しているんですもの。読んだ後、なんだか脳の中身を一回全部取り出して水洗いして頭に入れ直したみたいな気分になったわ。w

 すごく好きかも、ボルヘス。


(収録作:八岐の園「プロローグ」、「トレーン、ウクバール、オリビス・テルティウス」、「アル・ムターシムを求めて」、
            「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」、「円環の廃墟」、「バビロニアのくじ」、
            「ハーバート・クエインの作品の検討」、「バベルの図書館」、「八岐の園」
      工匠集  「プロローグ」、「記憶の人、フネス」、「刀の形」、「裏切り者と英雄のテーマ」、「死とコンパス」、
            「隠れた奇跡」、「ユダについての三つの解釈」、「結末」、「フェニックス宗」、「南部」)


    ゴールデンスランバー(2008.4.10)
伊坂幸太郎   新潮社


 仙台で人気絶頂の首相が暗殺された。宅配ドライバーの青柳雅春は理由もわからずその犯人に仕立て上げられる。日本のオズワルドとなった青柳は逃亡生活を余儀なくさせられる。あまりにも大がかりな暗殺計画に青柳の濡れ衣をはらす手だては皆無と言っていい。
 青柳の父親は彼の無罪を信じている。
 青柳の元彼女・樋口晴子も彼の無罪を信じている。
 さまざまな人の助けを借りて、青柳はこの絶体絶命の危機を切り抜けることが出来るのか?

 構成が伊坂ならではで、事件が始まったと思ったらいきなり話が二十年後に飛び、さらに時が巻き戻されて青柳の逃亡生活が語られる。意味不明のバラバラのピースが終盤にバシバシはまっていく快感はまさに伊坂の本領発揮。エンタメとして素晴らしい。

 いろいろ凝った伏線が張ってあって、読み終わって「??」と思って読み返すとなるほど!とか、何ていうの、これって職人芸?

 でも、何ていうのかな、予測の範囲内なんだ。
 このくらい伊坂はできるよね、というところなんだ。
 もちろん片手間にサラサラ書いたんだろう、とかそういうことを言っているわけじゃなくて。だってホントにこれはこれで素晴らしい傑作なんだから。

 でも、伊坂は本当にこれからも、こういうのを書きたいのかな。


    ”文学少女”と月花を孕く水妖(2008.4.12)
野村美月   ファミ通文庫


 ”文学少女”シリーズ6冊目は「姫」こと姫倉麻貴フィーチャーの番外編。時系列的には2巻の後、心葉クンの夏休みのお話。これが番外編と思わせておいて(いや番外編なんだけど)最終巻へのものすごいヒキになっている。最終巻を読む前には必読(多分)。

 夏休み、麻貴への「借り」を返すために姫倉の別荘に連れ込まれた(?)遠子先輩と、彼女のおやつ係(?)として強制的に連れてこられた心葉。しかし別荘の使用人達は何やら不穏な雰囲気を醸し出しており、それはどうやら別荘で八十年前に起こった事件が原因のようだった。
 次々と起こる奇怪な現象に泰然と微笑む麻貴、ビビる遠子先輩。果たしてこの別荘でいったい何が起こったのか…?

 学校を離れた古い洋館モノになっているのだけれど、とにかく遠子先輩のかわいらしさを堪能するべき巻なんだろうな、これは。
 ラストを予感させる独白部分は次巻への牽引力バッチリ。
 心葉くんもオトナになるんだな…。


    エマ(2008.4.20)
ジェイン・オースティン/阿部知二・訳   中公文庫


 美しく聡明なエマは由緒あるウッドハウス家の次女。幼い頃に母を亡くし、姉と、母親替わりだった家庭教師のアナ・テーラーが嫁いだ後、父親と二人でハイベリーの自宅に暮らしている。姉の結婚相手であるジョンの兄、ジョージ・ナイトリーは彼らを何かにつけ気にかけてくれる。
 ハリエット・スミスという身よりのない同世代の少女と親しくなったエマは、彼女にふさわしい結婚をさせるために奮闘するが…?

 非常に安心して愉しめる平和なドタバタ・ラブストーリー。時間の流れがゆるやかに感じるのも時代のなせるわざかしら。大団円に向けてまっすぐに物語が進んでいくのが丸わかりなんだけれど、そこがいいのよねー。

 愚かなエマと彼女を唯一甘やかさないナイトリー。なんというか、ゆる〜い風と共に去りぬみたいだなあ(笑)。

 エマの勘違いっぷりはお見事で、聡明だと思っているのはもしかしたら自分だけ!?みたいな感じなんだけれど、いちいち失敗に気がつくとちゃんと反省して直そうとするところはエライなあと思ったわ。だから鼻につきそうなキャラなのになんだか憎めない。ほかにもちょっとピントがずれた上品なエマの父親とか、罪のないおしゃべりなベイツ嬢とか、おかしみのあるキャラがたくさんいるのだけれど、なんといってもエルトン夫人が出色(笑)! 登場はけっこう後の方なのに他のキャラを圧倒するものが。

 たまにはこんなゆったりした読書も素敵。
 ハイベリーの新鮮な空気を胸一杯に吸い込むような、気持ちのよい読書が愉しめた気がするわ♪


    ミサイルマン(2008.4.22)
平山夢明   光文社


 『独白するユニバーサル横メルカトル』に続く短篇集。

 わざとらしい昭和の時代に暮らす少年達に大人が隠していたある秘密。クラスメートが遭遇する連続殺人事件。ある日、教室に制服の兵隊達が並ぶ…。『輝夜姫』や『わたしを離さないで』を彷彿とさせる「テロルの創世」を読んであれっと思った。SF…!? なんか妙に希望の輝くエンディング…わたしのイメージと違うっ。けれど読み進めればそこにあるのは確かに平山夢明ワールド。吸血鬼をモチーフにした醜男の三角関係「Necksucker Blues」、本当に恐ろしいのは狼男なのかそれとも…?という「けだもの」、快楽殺人鬼の男が自らにはめた枷とその凄惨な顛末を描く「枷」、80歳のハニーとの腐臭のただようような純愛「それでもおまえは俺のハニー」、タクシー運転手の一家が引っ越してきた家で、少しずつ家族の様子がおかしくなる「或る彼岸の接近」、女を拾っては殺しまくる二人組の男達に因果が巡る「ミサイルマン」。

 どれをとっても残酷で酸鼻極まる話ばかり。でも、わたしは感じるのだ。スプラッタで凄惨な物語の、いちばん底に確かに流れているきらめくような清流の存在を。

 なんていうかね、多分平山はそのへんのハートウォーミングな物語を書く作家よりもずっと人間として暖かいんじゃないかという気がする。

 まあ、そうは言ってもわたしは痛いのがとっても苦手なので、読むのは非常に疲れますが(笑)。

(収録作:「テロルの創世」、「Necksucker Blues」、「けだもの」、「枷」、「それでもおまえは俺のハニー」、
      「或る彼岸の接近」、「ミサイルマン」 )


    楽園(上・下)(2008.4.23)
宮部みゆき   文藝春秋


 『模倣犯』で凶悪な連続殺人犯と対決したルポライターの前畑滋子。彼女はその強烈な経験から9年を経ても、未だ事件から立ち直ることが出来ずにいた。そんな彼女の元へ舞い込むひとつの依頼。依頼主は中年女性で、小学生で亡くなった彼女の一人息子が生前に描いていたスケッチブックを持ち込み、彼が超能力者であったことを証明してほしい、という現実離れした希望を述べる…。

 なんという暗い話(笑)。
 しかし相変わらず宮部みゆきは読みやすい。というか読ませる。ここしばらく読書に腰が重かった私も一気読み。文章が巧いというのはやっぱり素晴らしいし、売れる理由としてすごく納得がいく。

 しかし、やっぱり冗長だなあ(苦笑)。  
 模倣犯ほどではないけれど、やっぱりあまりの文章の巧さに筆が滑っている、という気がする。細かく書き込みすぎ。想像の余地がないほどに。

 そして大事なところは省きすぎなような…。
 「風見蝙蝠の家」の次女・誠子が結局どういう人間なのか、わたしには最後まで浮かび上がってこなかった。なぜ彼女は冷たいとも言える言動を取ったのか。彼女を事件から決別させた本当のきっかけはなんだったのか。この事件で一番心の葛藤が大きかったのは彼女でしょうに。彼女を描かないで何を描くというのか。

 超常現象の扱いについては…なんとも言えないなあ。でも少なくともこの作品の扱い方は作品にマッチしていて、浮いていなかった、と思う。

 しかしドンペリはいったい…。誰に少年は遭遇したのか、結局そこはわからずじまいだったなあ。

 大変おもしろく読んだけど、うーん。
 「読んでいる間はおもしろかった」のは確か。w


    戦争の法(2008.5.6)
佐藤亜紀   新潮文庫


 1975年、N県は突如独立を宣言し、町にはソ連進駐軍が押し寄せた。織物工場を営む”私”の実家は零落し、父は政治的に窮地に立って出奔し、残された母は軍人相手に娼宿を始めた。そして中学生になった”私”は、ゲリラ部隊に身を投じた…。

 何度も読み返すように文章を追い、2週間も手こずった上やっとの思いで読了(苦笑)。もちろん駄文なわけじゃない。なんというか、文章の情報量が違う気がするのね。1文1文がみっしり。おもしろいんだけど進まない。すごーく気力を使う。精神力を振り絞るような読書だったなあ。

 動乱の時代に投げ込まれ、それぞれの生き方を探る主人公たち。誰もが生き延びるために逞しくならなくてはいけない。
 けれどやがて情勢はおちつき、N県は再び日本に吸収され、平和が戻る。
 そのとき、動乱にあまりにも適応してしまった人間達は取り残される…。

 ”私”は戦争から無事に日常に復帰し、読書三昧の日々を送っている。けれど彼は本当の意味で復帰した、と言えるのかな。
 一緒に命がけで戦った魅力的な仲間達は失われた。
 千秋。伍長。
 彼らの影がいつも”私”から離れない。

 耳に残る「ラ・トラヴィアータ」。

 ”栄光”の時期が過ぎても、残った人々は生きて行かなくてはいけないのだ。


    白鯨(上・下)(2008.6.24)
メルヴィル・田中西二郎・訳   新潮文庫


 ”風来坊”イシュメールが親友となった銛打ちのクィークエグとともに乗り込んだ捕鯨船・ピークォド号。なかなか姿を現さなかった船長のエイハブは、かつて海の怪物モービィ・ディックに片足を奪われ、彼に対する狂気的な復讐心に燃えていた。モービィ・ディックの姿を求めて大海原をゆくピークォド号。果たして彼らの運命は…?

 とある読書会の課題図書として手に取ったのだけれど、そこである方が各種ある訳本の書き出しを並べてくださった。

・新潮文庫版 「まかりいでたのはイシュメールと申す風来坊だ」
・岩波文庫版 「わたしを『イシュメール』と呼んでもらおう」
・講談社文芸文庫 「イシュメール、これをおれの名としておこう」

 この比較でわたしは迷わず新潮で読むことに決定。この選択は間違っていなかった、と思う。


 イシュメールは結局徹頭徹尾”語り手”だ。主要登場人物にはなり得ず、ただ、物語の最初から最後までの傍観者。捕鯨船初心者の割にやたらエラそうなクジラと捕鯨に関する蘊蓄の数々には感心しながらも何度も「ナニサマ?」気分に。w で、ラストを読んで、やっぱり語り手はイシュメール以外あり得なかったんだなあ、と改めて感じ入った。

 エイハブの周囲の人間すべてを引きずり込まずにいない狂気、スターバックの逡巡、スタブの陽気さ、ピップの哀れさ、パーシィの壮絶な最期、わたしはデータ的なものって苦手なヘタレ読者なので、蘊蓄よりもやはり船員達の人間的魅力に惹かれつつ読了。
 しつこいけれど(笑)文章が素晴らしかった。これぞ「文芸」。今パラッと上巻を開いて目に付いた文章。

 ”これ以上に含蓄ふかい意匠がありえようか?――なぜならば、説教壇こそはこの地上の船首であり、その他のあらゆるものはそのあとに従うべきものだからだ。説教壇は世界をみちびく。神の気短かな怒りの嵐がまっさきに発見されるのもそこからであり、舳はその衝撃をまっさきに受けねばならぬ。順逆ともに心のままに風を呼ぶ神に向って、最初に便りよき風を祈願するのもそこからである。然り、世界はおのが旅路をゆく船であり、その船旅に終わりはなく、して説教壇はその船首にほかならぬ。”(第8章終わり)

 か、カッコイイ…!w

 この弁論口調というか、躍動感ある文章が勢いを衰えることなく続くのがスゴイなあ、しびれるなあ、と、そんなことを感じながら読んだ(2ヶ月も)。古きよき日本語がここにある気がする。しかも翻訳に違和感がない。

 というわけで、他のを読み比べてないクセにわたしは断然新潮派、田中西二郎派。他の訳者で読むなんて絶対に白鯨を損しているに違いない!w

 読んでいていきなりなぜか内容が台本調になったり、いきなり酒場での物語風になったりするのもちょっと今まで読んだことのない感覚でブッ飛んだ。ざ、斬新…。

 たぶん読書会課題という形でなければけして自分からは手に取らなかったであろう作品。でも、読んだ後のこの満足感といったら。ああ、出逢いって大切だ。食わず嫌い、イクナイ!w


    私の男(2008.6.26)
桜庭一樹   文藝春秋



※この感想は、作品の内容に触れる部分があります※



 結婚が決まった花。彼女は小学生の頃に災害で家族をすべて失い、遠い親戚の淳悟の養子となった。独身の淳悟は花と16歳違い、引き取られて以来、二人きりで、寄り添うようにひっそりと暮らしてきた二人には、誰にも言えない秘密があった…。

 うーん、もしかしたら、わたしは桜庭一樹の文体が肌に合わないのかも、と思った。作品のテーマよりも何よりも、言葉遣い。「おとうさぁん…」の「ぁ」とか。ひらがなに開きすぎの文章とか。なんかこれって作者にとっても読者にとってもどうしようもない話なんだけど。そういうのにイチイチ引っかかってると作品世界にはまれない。
 物語はあちこちツッコミどころ満載で、作品はしかもそういうところをきっちり組み上げることが大事な物語じゃない。だから、世界に浸れないと全然楽しめない。

 で、そういうところを置いておくとして、わたしはこの二人の関係は、説明し切れていないんじゃないかなあ、と思った。そういう関係はあるかもしれない。だから、それを生理的に拒否する、ゆえにこの作品も拒否する、って言うんじゃない。でも、淳悟が母親に執着するその気持ちが理解できなかったし、花が最初っから淳悟を受け容れてしまう気持もわからなかった。彼女が「生きろ」と言った父親を激しく憎む気持はよくわかったけれど。でも、その反動だけで? ぼんやりと自分の家族は本当の家族じゃないような、どこかに自分をよく知っている人がいて、いつか迎えに来てくれるんじゃないかという願望を抱えていた、というだけで?
 どうして「神様の決めた線」を踏み越える人とそうでない人がいるのか。
 どうして「なにもかも俺のもん」だと思うほど血の繋がりに固執するのか(これは台詞の中でサラッとは触れられていたけど)。

 わたしの読み方もどうかとは思うけれど(苦笑)、これじゃあ、「欠損家族で育った人間にはまともな家庭は築けない」ことを証明するような話に過ぎないんじゃないのかなあ。淳悟はあまりにも、人間的におかしい。そして、そのおかしさを読者であるわたしは理解できないし、だから全然同情できない。

 雰囲気が大事な小説なのかなあ、と思った。
 暗い、目をそらしたくなるような、つい見てしまうような、おぞましいけれど惹かれてしまうような、夜に咲く花みたいな雰囲気。

 そういう雰囲気はたしかにものすごく、ある。


    笙野頼子三冠小説集(2008.6.30)
笙野頼子   河出文庫


 笙野頼子が前人未踏の三冠獲得で話題になった、野間文芸新人賞「なにもしてない」、三島由紀夫賞「二百回忌」、芥川賞「タイムスリップ・コンビナート」の3作を収録。これが文庫1冊で読めるんだから、お得だなあ。

 笙野頼子を初めて読んだのは『説教師カニバットと百人の危ない美女』。なんか間違ってる気がするけれどw、その後対談集『おカルトお毒味定食』を経て『金毘羅』を読み、今回文庫で手にしたこの『三冠小説集』が4冊目。
 ずっと同じことを繰り返し書いているような気がするし、でもそれでいてすべてまるっきり違う味わいの作品に仕上がっているのがスゴイ。

 「タイムスリップ・コンビナート」が個人的には一番難解だった。難解というか、物語としての筋がないというか。湧き上がる連想をそのまま書き連ねたような、一個人の脳内をそのまま見せられるようなふしぎな流れにくらくら。底辺に懐かしいコンビナートの情景があって、その上をゆらゆらと流されていくような感じ。どこにたどりつくかわからない一抹の不安。この不安は読者に与えられたものなのか、それとも筆者の不安に共鳴しているのか。

 「二百回忌」はドタバタなんだけれど、登場人物達が「非日常」を意識的に徹底的に実現しようとすればするほど、いかに彼らが普段「日常」に固執しているかが浮き彫りにされていくようで、その辺りがおもしろい。こういうところが笙野頼子の「毒」なんじゃないかな、と思う。死者の二百回忌の法要には、生者も死者も区別なくやってくる。この時のためだけにある真っ赤な喪服。爆笑を誘う烏経。壁を作る無数のかまぼこ。彼らが必死に守っているモノは本当はなんなんだろう?

 「なにもしてない」は一番怖かった。怖いというか、これ、わたしにも読んだら痛くてたまらなかった時期があった気がする。そういう時期に出逢えなかったのは幸せと言うべきか不幸せと言うべきか。もっと前に読んでいたら、その後の読書体験がまるきり変わっていたかも。
 「ひきこもり」という言葉も「ニート」という言葉もなかった時代に、部屋に閉じこもって親の仕送りを受け、”ナニモシテナイ”状態を続ける主人公の足掻き、後ろめたさ、自意識過剰さ。そういうものをみっともないくらいに赤裸々に描き出すその筆力には圧倒された。やっぱり笙野頼子ってパワーがあるなあ。

 読者にもパワーがないと、作品のパワーに押されて呑み込まれてしまうような迫力が笙野頼子にはあるんじゃないかと思う。あとがきで筆者が「いちばん難解」と言っていた『硝子生命論』をぜひ読んでみたい、と思った。それから、ずっと以前に途中まで読んで挫折した『徹底抗戦!文士の森』も(苦笑)。

 あとがきと言えば、この中で筆者は唐突に野良猫をいかに保護していくべきか、ということを熱く語り出す。収録作品と全然関係ない。w 読者はたぶんほとんどが面食らうんじゃないかと思うんだけれど、こういうあとがきを書いちゃうことこそが、「笙野頼子らしさ」なのかも、なんて思った。

(収録作:「タイムスリップ・コンビナート」、「二百回忌」、「なにもしてない」 )


    木曜組曲(2008.7.3)
恩田陸   徳間文庫


 おもしろかった! ラスト近くはちとしつこすぎ…と思ったけれど。

 耽美派小説の大御所、重松時子が薬物によって死亡したのは4年前。以来毎年、彼女が住んでいた「うぐいす館」には5人の女達が集まって、彼女を偲びつつ気のおけない会話を楽しむのが恒例だった。時子の異母妹・静子、静子の母方の姪である絵里子、時子の弟の娘であるつかさと尚美、そして時子の担当編集者であり彼女の生活すべての面倒をみていたえい子。しかし彼女たちはそれぞれ胸に秘めている秘密があった。腹に一物持つ女達が美味しい食事と酒を楽しみつつ、手持ちのカードを切り出していく。そろそろはっきりさせなくてはいけない。真実に近づいていく手応えと戦き。時子は果たして自殺だったのか、それとも…?

 なんていうか、これは素直に愉しめる。破綻がないし、だんだん話が失速していくこともない。何が起こる物語かって言うと、ぶっちゃけ何も起こらない。ただ延々と、食事を楽しみ、酒を楽しみ、会話を楽しむ女達の描写が続くのだ。でも、それがどれだけスリリングか、これは読んでみないとわからない。

 5人の女達は全員が文筆業に携わる。編集者のえい子はもちろん、静子は出版プロダクション経営、絵里子はノンフィクションライター、尚美は少女小説からデビューした注目の流行作家、つかさは純文学で注目されているホープ。それぞれの業界の愚痴や相手に対する劣等感などは、わたしにはすんごく興味深くておもしろかった。ここには恩田陸の本音が出ている気がするし、それぞれにモデルになりそうな作家を考えてひとりニヤニヤしてしまったり。”小説家花魁説”は素晴らしい。わたしも「小説家を目指しています」って人に言えてしまう人っていろんな意味ですげーなあと思います。

 女ならではの分析視点も非常に切れ味が良くて小気味いい。トマトと茄子のスパゲティが得意な男に対する評価は、わたしも彼女たちと完全に一致するわ!w

 恩田陸はこういう会話劇とか本当に巧い。話の筋と全然関係ない会話がいちいちおもしろい。そして、最初から最後まで物語の筋はちゃんと一本通っているのだ。

 ああ、女に生まれてよかったな。w
 あれ、なんかわたしはこの小説を読み違えているのかしら。w


    みんな行ってしまう(2008.7.8)
マイケル・マーシャル・スミス/嶋田洋一・訳   創元SF文庫


 帯に「哀感と郷愁に満ちたSFホラー12編」とあったけれど、そんなに怖いわけじゃない。でもすごい面白かった!!
 短篇集なのであらすじを紹介するとつまんなくなってしまう物が多くてなかなか感想を書くのが難しいんだけれど。けっこうラストでびっくり、とか今までの話ががっと裏返るとか、そういうのが多いかな。でもびっくりさせることだけじゃなくて、そこまでの話の持っていき方が巧み。

 タイトル作の「みんな行ってしまう」は、ノスタルジックで暖かくもしんみりする作品。ああ、みんな行ってしまうんだよね…。

 「地獄はみずから大きくなった」はまあいわゆるアウトブレーク物なんだけど、何がアウトブレークするかって言うとちょっと想像できないと思うわ。

 「あとで」はホラーなんだけど夫婦愛な作品。

 「猫を描いた男」は一番話の先が読めるかなあ。

 「バックアップ・ファイル」は面白い。便利だけど、そうだよね、そういうこともあるよね。

 「死よりも苦く」は個人的にはちょっとイタくて怖かった(苦笑)。でもそれは話の本筋ではない。

 「ダイエット地獄」は、バカバカしいコメディ。ダイエットの為にタイムマシンを発明なんて、どんだけ才能の無駄遣い。w

 「家主」もホラーに入るのかなー。何も所有していない女の行く末、みたいな。

 「見知らぬ旧知」も意外な結末もの。でもなんとなくこの終わり方は納得いかないわ。返してほしかったの?

 「闇の国」も思いも寄らなかった結末に読者を連れて行く。えー!

 「いつも」はホラーっぽいけど暖かい父親の愛を感じる作品。この父親のワザにはびっくりだ!

 「ワンダー・ワールドの驚異」これが個人的にはいちばん素晴らしいと思った。某ねずみ王国を彷彿とさせるテーマパークの未来の姿。でもあのポリシーは確かに生きている。子ども達にまやかしの夢と魔法を信じさせることは善か、悪か?

 とにかく12編、まんべんなく楽しませていただきました♪ なんだかすごーくお腹がいっぱい、満足満足な短篇集だったわー。

(収録作:「みんな行ってしまう」、「地獄はみずから大きくなった」、「あとで」、「猫を描いた男」、
      「バックアップ・ファイル」、「死よりも苦く」、「ダイエット地獄」、「家主」、「見知らぬ旧知」、
      「闇の国」、「いつも」、「ワンダー・ワールドの驚異」)


    ドリーム・マシン(2008.7.14)
クリストファー・プリースト/中村保男・訳   創元推理文庫


 1985年、複数人の無意識により理想的な未来世界を構築して、そのバーチャルな世界に人間を送り込み、現在持ち上がっている問題をその未来世界がいかにして克服したかを調査する「ウェセックス計画」が実行された。しかし、送り込まれた39人のうち1名の意識が戻らなくなるという事態が発生する。計画に参加中のジューリアはその人物・ハークマンを未来世界で見つけだし、連れ戻す命を受けるが、休暇中に二度と会いたくなかったかつての恋人・ポールと思いがけない場所で再開してしまい、激しく動揺する…。

 おもしろかった!!
 わたしはこういう話がホントに好きなんだなあ、とつくづく思う。バーチャルと現実を往き来しながら2つの人生を歩むジューリア達。参加者達はやがて当初の目的ではなく、ある意味彼らの理想の具現であるバーチャル世界で生きること自体を計画の目的とするようになる。闖入者ポールはどこまでも悪人で、読んでいて本当に憎々しくなるし、バーチャル世界と現実世界のどちらもが本当に作品の中に生き生きと存在している。そしてやっぱりある、めまいが起こるような記述の罠が!!(正確には”罠”というのじゃないのよね。ひっかけではないから)
 ああ、プリーストはやっぱりプリーストなんだ。
 表面の字面だけ目で追ってストーリーを理解した気になることを許さない。
 ある意味読者にいろんな努力を強要する、そういう力のある物語。

 なにが現実で何が仮想現実なのか。人はどうやって、今生きているこの世界が現実であると確信できるのか。
 まあ、そういう物語は数多くあるわけだけれど、でもその中でもやっぱりプリーストはその持ち味でひときわ飛び抜けている気がするわ。

 ただ、あまりにもあんまりだったのが、や、訳が…。orz
 会話文の不自然さもさりながら(知的な人たちが集まる研究所内で初対面に近い相手と「あんた」呼ばわりし合うとかさ…)、わたしはどう考えてもこれは登場人物の名前違いだよね!?と思う部分も見つけてしまい、なんだかそういう部分で現実(こっちの現実だw)にちょくちょく引き戻されてしまったのが非常に残念だったわ…。


    腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(2008.7.17)
本谷有希子   講談社文庫


 非常に迫力のある物語だった。

 典型的な日本の田舎町に住む和合一家。両親が突然事故死して、残されたのは新婚の長男夫婦と、高校生の次女。そこへ女優を目指して東京に行った長女が戻ってくる。長女の帰還によって、閉ざされていた和合家の蓋が開く…。

 登場人物は誰も彼もが一癖ある人物。みんなが不幸で、その不幸の原因は絡み合って離れない。あまりに極端な人物ばかりな気もするけれど、それってやっぱり著者が演劇の人で、この作品も舞台の脚本の小説化、だからかなあ。でもわざとらしくて鼻につく、というのとは違ってよかったんじゃないかと思うけれど。

 とにかく根拠のない自信に溢れて周囲を振り回しまくる長女の澄伽と、澄伽に抑圧される被害者のような次女・清深の二人のキャラがすごい。つねに「最悪のちょっと上」くらい不幸な兄嫁・待子もスゴイな。底抜けに絶望的なんだけど、妙にカラッとしたところもある不思議な雰囲気の小説。迫力に押されて読了した感じ。w

 映画化されたモノもかなり好評らしく、さらにラストがちょっと違う、という話なので、ぜひDVDも観てみたいと思った。

 ただ、ちょくちょく出てくるゴシック体は鼻についたなあ。


    木のぼり男爵(2008.7.21)
イタロ・カルヴィーノ/米川良夫・訳   白水社


 これまたおもしろかった〜!

 『まっぷたつの子爵』は思いっきり子どもでも楽しめるファンタジーだったのに対し、こちらもファンタジーとは言えオトナ度高め。

 18世紀のイタリア。語り手である”わたし”の兄、オンブローザの男爵の嫡男・コジモは、ある日食卓にのぼったかたつむりの皿を拒否し、窓から食堂を逃げ出してかしの木によじ登り、その後生涯、地に足をつけることがなかった。

 相変わらずなんというむちゃくちゃな話。
 でもこれが全然読んでいてむちゃくちゃに感じられないのはわたしが間違っているんだろうか。w

 コジモは木から木へ伝い歩いてどこまでも行くことが出来る。
 犬猿の仲である隣の公爵家の庭で彼はヴィオーラと出逢う。近所の果物泥棒の子ども達を手玉に取る彼女は強烈な個性の持ち主。コジモはたちまち彼女に激しい反発と魅力を感じる。
 樹上のみを生活の場とするコジモは、その制限をものともせずに様々な人たちと交流し、成長する。人々はなんだかんだ言いつつも、みんながコジモを暖かく受け容れる。
 木の上での狩猟生活。
 悩みながらやがて彼を認めていく両親。
 荒れ草ジャンとの交流。
 海賊との戦い。
 スペイン貴族の娘との恋。
 フリー・メイソン活動。
 そしてつねに彼のかたわらにいるオッティモ・マッシモ。

 エピソードの数々がいちいち素晴らしい。
 なにより彼のファム・ファタルであるヴィオーラとの会話と言ったら!
 ああ、本好きとしてはもちろん、荒れ草ジャンもよかったなあ。

 けして地面に降りないコジモは、わたしたちとは少しだけ、別の世界に住んでいる。交流はできるけれど、立ち位置は違う。
 彼の世界に好きなときに自由に入り込めるのはヴィオーラだけなのだ。
 そして、彼女はいつでも樹下に降りてゆけ、コジモはいつも樹上に取り残される。
 彼は樹上の世界を選んだのか、それとも樹上の世界に捕らわれたのか。

 言えるのはひとつだけ、彼は最後の最期まで、地面に降りることを望まなかった、ということだ。