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虹色の世界を化学する


鹿島長次





   1961年にソヴィエト連邦の人工衛星ボストーク1号に乗って、宇宙飛行士ガガーリンが人類で始めて地球を外側から見ましたが、そのときの第1印象を「地球は青かった」という言葉で表現していました。しかし、この地球の中では場所や時間や天候により陸地も海もその色が変化し、混ざり合って美しく地表面を飾り挙げています。このように自然が織り成す色とりどりの色が混ざった景色を平安時代の歌人素性法師と能因法師は美しい錦織の布に例えた歌を残しています。

見渡せば 柳桜を こき混ぜて 都ぞ春の 錦なりけり
嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり


   錦織の布にたとえられるような極彩色の世界の中で人間は時と場所と状況で変化する種々の色に対して種々の感情や意味を感じています。明度の低い色は地味で暗く感じ、赤や黄色の明るい色は華やかな暖かさを感じさせます。古きよき時代のドイツ義勇軍とブラバンド公国を象徴する黒と赤と黄の色が感傷を込めてそれぞれドイツとベルギーの国旗を染め分けています。フランス革命の時に始めて用いられたフランス国旗は自由を意味する青と平等を意味する白と博愛を意味する赤の三色旗(トリコロール)になっています。横縞のロシアの三色旗も同じ色の組み合わせですが、白は高貴と率直の白ロシア人を、青は名誉と純潔の小ロシア人を、赤は愛と勇気の大ロシア人を表わしているそうです。緑と白と赤の三色旗〔トリコローレ〕は国土と平和と熱血を意味するイタリアの国旗です。これらの三色旗の赤一色だけを見てもフランスでは博愛を、ロシアでは愛と勇気を、イタリアでは熱血を意味し、フランス革命やロシア革命や中国国共内戦の象徴の色とされたことから、日本では1950年代に革命を夢見る共産主義を意味していました。オリンピックのシンボルはヨーロッパと南北アメリカとアフリカとアジアとオセアニアの5大陸を象徴するように青と黄と黒と緑と赤の5色の輪を繋いだ形をしていますが、それぞれの色に抱く感情や意味が人々により異なりますから、個々の大陸と色との間の特定の対応をあえて避けています。
   春秋戦国時代の中国では万物が4つの独立した元素とそれらを繋ぐ中心の元素でできているとする五行思想が考えられていました。人間の身体は肝臓、心臓、脾臓、肺臓、腎臓の5臓が働いて機能し、穀物は麻と麦と稲と黍と大豆の五穀からなると考えていました。うなぎを食べる習慣のある夏と秋を結ぶ土用を含めて、季節は春夏秋冬の四季とその間を結ぶ土用からなると考えていました。また、動物の代表は龍と孔雀と虎と武と麒麟の五獣(五龍)が考えられていたようです。当然、青と朱〔赤〕と白と黒と黄の5色の組み合わせで地上のすべての色ができていると考えられていました。例えば、色と季節が結びついた青春、白秋、朱夏、玄冬などの言葉が残っていますし、色と動物が結びついた青龍、白虎、朱雀、玄武、麒麟(黄麟)は高松塚古墳の壁画に描かれ、平城京の入り口の朱雀門や幕末会津で討ち死にした白虎隊や火山岩の一種の玄武岩に名が残っています。
   著者が利用しているプリンターは黒と黄とシアンとマゼンダの4色のインクを用いていますが、シアンとマゼンダはそれぞれ青と赤に相当し、これらに加えてインクを用いず紙の白地を利用してあらゆる色を合成して印刷しています。五行思想で考えられていた青と朱〔赤〕と白と黒と黄の5色の中で、最も明るい白色から最も暗い黒色まで白と黒が明るさの基本ですから、色の基本は残りの青と赤と黄の3原色となり、奇しくもプリンターの基本となるインクの色と全く同じです。この3原色のインクの混ぜる割合を変化させることによりあらゆる色が合成されていますが、すべてのインクを混ぜますと黒になってしまいます。
   夕立の後にはしばしば7色の虹が現れますが、太陽から地表に届く光をプリズムに当てても同じような虹色の7色が現れます。この現象はプリズムが太陽の光を7色の光に分けていると考えられています。日本では虹の色は一般的に赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色と考えられていますが、著者は子供時代から藍をあまり識別できませんでした。この虹の色も地域や民族や時代によりそれぞれ異なることを最近になって知り、何となくホッとしました。例えば、欧米では虹の色が赤と橙と黄と緑と青と紫の6色と感じる人が多いようです。アメリカの画家Munsellは虹の6色の両端を結んでマンセルの色相環を考え、光もインクと同じように赤と黄と青の3原色を混ぜると、それぞれ中間の橙と緑と紫は調合できると整理しました。このことを利用して、劇場では赤と黄と青の3原色の光を照明に用いて色とりどりの色を造り出して舞台を演出していますが、照らしている3原色の光が一点に集まりますと無色の光に変わります。このことから、五行思想の昔から考えられ、感じられてきた3原色も光とインクでは混ぜ合わせた時に大いに違いのあることが分かります。
   林檎の赤色、苺の赤色、葡萄の紫色、紫蘇の紫色、茄子の紫色など野菜や果物の色素は酸性では弱い赤色ですが、無色の塩基性溶液を加えますと青色の色調が強くなることが多いと思われます。また、黄色い塩化第2鉄水溶液にフェロシアン化カリウム(黄血塩)の黄色い水溶液を混ぜますと、紺青と呼ばれる鮮やかな青色に変化します。光とインクの場合には赤色と無色を混ぜれば赤が保たれ、黄色と黄色を混ぜれば黄色になりますが、これらの2色の水溶液を混ぜますとどちらも青くなります。このようにマンセルの色相環では説明できない現象を、化学の研究を続けてゆきますとしばしば体験できますから「化学する」ことは楽しいのです。
   光のない闇の世界ではすべてのものが黒一色にしか見えませんが、光が当たりますとそれらの黒一色のものが色とりどりの色に輝きますから、色と光は切っても切れない関係にあると思われます。言い換えれば、原子やイオンや分子などで構成されている物質とその物質に光が照射されたときに起こる変化により、色とりどりの色が目の前に開けてくるものと思われます。本書では日常生活で目にする色とりどりの色に化学の知識を織り交ぜながら独善的に調べて、色とりどりの色の光と物質の間にどのような関係があるか見てゆこうと思います。さらに、身近な事柄として動物や植物の色に対する感覚や色の変化のからくりの合理性を化学的に考えてみたいと思っております。日常生活で見られる色の中に隠れた技術や知識のうちで、何か一つでも化学の研究や教育に役立つものが見つけ出せれば良いと思っております。また、逆に多くの化学的な技術や知識が日常生活を豊かにする新たな色の世界を生み出す助けになれば、本書はさらなる意義を持つことになると思われます。
   私の独善的な発想を織り交ぜて考察した結果は 「虹色の世界を化学する」 としてpdfの形式でまとめましたので、以下に目次をあげておきます。気楽に読んで頂ければ嬉しく思います。さらに、この 「虹色の世界を化学する」 に対するご意見、ご質問、ご感想をchoji.kashima@nifty.ne.jpにてお待ちしております。


    目次

1. まえがき
· 「地球は青かった」
· すべての色を混ぜたら白か黒
2. 粒子の性質と波の性質を持つ光
· 飛び込んだ蛙の運動エネルギーを伝える波
· 電磁波は磁場と電場の波
· 速度が遅くなると曲がる光
· 波長の長さで変わる光エネルギーの大きさ
· 右に磁場を持つ光と左に磁場を持つ光
3. 原子が興奮すると色っぽい
· 太陽系と良く似ている原子の構造
· 不連続光を吸収や発光する原子
· 金属陽イオンは色が付き難い
· 人間の眼の不思議
· 絵の具は化学変化し難い色素物質
4. 軟弱な結合ほど色がある
· 2重結合が連なると色付く
· 亀の甲を持った物質は色彩豊か
· 遷移金属元素に鮮やかな色を与える配位結合
· 発光や太陽光発電をするダイオード
· 紺碧に見える深水の水も救えば無色透明
5. 光の吸収で始まる光化学反応
· 単結合を切る紫外線
· 紫外線の光が密接に関係するオゾン
6. 眼が見えるようになる2重結合の回転異性化
· 加熱しても回転異性化し難い2重結合
· 光に照らされると回転異性化する2重結合
· ロドプシンの回転異性化で光を感じる網膜
7. 光化学反応は4員環化合物の簡便な合成法
· 環歪みを蓄えている4員環化合物
· 容易に光エネルギーで生成する4員環化合物
· 4員環の分解で蛍は光る
8. 生物の活力を生み出す太陽の光
· 生物の活力となるエネルギーは酸化反応から
· 結んで開いて合成するブドウ糖
· 太陽の光を効率よく栄養に変える葉緑素
9. すべての色の基準は虹の色
· 遷移金属元素や多重結合を含む物質には色がある
· 虹色の光に適応して棲息する生物
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