My Favorite Things
よしひこが好きなものは、もちろん、ガメラやキムスヒや函館や韓国やタイランドだけではありません。このコーナーではよしひこのお気に入りの色々を紹介してみます。面白そうだと思ったら、見聞きしてみて下さい。感想を聞かせていただければ、更に嬉しいです。
ウーピー・ゴールドバーク
主演の“天使にラブソングを”という、音楽映画は第一作の大ヒットにより、シリーズ二作目が制作されました。
で、一作目も好きなのですが、私の特別なお気に入りは第二作目の方。
この2作目にはウーピーの生徒役で、今をときめくローリン・ヒル(公開当時は日本では全く無名)がキー・パ ーソンで出演しているのですが、この、ローリン・ヒルの唄が、もう、極めつけに素晴らしい。とりわけ、終盤、 “よろこびの唄(ソウル・バージョンなのだが)”の冒頭を独唱するあたり、劇場で最初に観たときには、あん まり素晴らしい歌声に、思わず滂沱の涙が溢れてしまった程に素晴らしい歌唱です。で、“一体、このローリン・ ヒルって何者だ、これは何時か、大メジャーになるに違いない、”と思い続けること数年、予感は大当たりでした。 現在の大活躍は皆様ご存じの通り。
ただ、彼女の最近の活動は、ラップ的なアプローチが先行していて、“天使 に、、”の中で聴かせてくれたような、 バラードをその絶妙な節回しで歌う、って事があまり無いようで残念です。うーん、ローリン・ヒル、 ラップはちょっとお休みして、バラード集でも出さないかなぁ。傑作になるのに なぁ、、。
それから、このサントラ盤、ローリン・ヒルの歌唱による唄ばかりでなく、他のトラックも皆、なかなか聴き応えがあります。とりわけ、ライアン・トビィのリード・ボーカルによる、“Oh Happy Day”は大層御機嫌な仕上がりでお勧め。
言わずと知れた、ザ・バンドの
一大傑作。私にとってのザ・バンドは、“Music from Big Pink”でもなく、“The Band”
でもなく、この“南十字星” という一枚なのでした。もう、どれをとっても最高の名曲揃いなのですが、敢えて言えば、“It
makes no difference” のリック・ダンコの切々たる名唱が最も印象に残るところ。勿論、“Forbidden
Fruit” も“Ophelia”もいいんだけどね。
このレコードが発売された頃(1975年)は“通”のロック青少年(特に札幌では)の間には、 英国製のロックンロール・ミュージックを聴くより、米国産ロックンロール・ミュージックを聴く方が粋だ、という風潮があり、 なかでも、ザ・バンド、レーナード・スキナード、オールマン・ブラザーズ・バンドあたりに痺れているのが格好いいのだ、 という雰囲気がありました。へそ曲がりな私は、人前では、“南十字星”がすっかり気に入ってる、何て事はおくびにもせず、 こうした、米国産ロックンロール・ミュージックは下宿で一人酒をたしなむ時の専用としていたものです。
私にとってのオールマン・ブラザーズ・バンドは、実はデュアン・オールマンではなくて、彼の死後に発表されたレコードの方に愛着があったりするのです。勿論、“フィルモア・イースト・ライブ”も嫌いじゃないですが、その中で一番好きな曲、“ホット・ランタ”と、“ブラザーズ&シスターズ”収録の“ジェシカ”と、どちらか敢えて選べ、と言われれば、“ジェシカ”を取ってしまう。ディッキー・ベッツのギターのちょっとカントリー・フレイバーがする、軽やかなギターも御機嫌です。
曲の方も粒よりの名曲揃い。“ランブリン・マン”“ジェシカ”の二大名曲は勿論、一曲目の“Wasted Words”や“Come and Go Blues”“Southbound”等々、どの曲もなかなか聴かせます。
多くの曲で、長めのソロ(インタープレイ)が繰り広げられる(ジェシカなど、7分半に及ぶインスト・ナンバー)のですが、全く飽きさせない。とにかく、バンド全体が織りなす、軽やかで、よくバネの利いたしなやかなリズムの素敵さったらありゃしません。
ジョン・スコフィールドと言えば、マイルスバンド加入後の活躍が知られているのですが、私はそれ以前、アコースティックな編成(とは言え、本人の音色はマイルドだが歪んでおり、所謂、ブルースギター的な音色)で演奏していた頃のプレイの方が好きだったりします。と言うのは、彼のギター、カチッとした、8ビート(ないし16ビート)のファンクバンド的なバックよりも、オーソドックスなアコースティック・バンドをバックにした、スウィンギーな曲の方が、ずっと映えるのです。実際、リズムのノリもそうした曲でのプレイの方が変幻自在で、凄くスウィングしていると思うのです。
この盤では、スタンダード・ナンバー“朝日の如く爽やかに”での演奏がとにかく素晴らしい。ぐいぐい盛り上げる、これでもか変態フレーズの山脈が、豪快にスウィングしまくります。また、ジョン・スコフィールドだけでなく、この曲ではどの演奏者も大熱演。珍しくピアノのリッチー・バイラークまでも捻りはちまきものの大スウィング・プレイを聴かせます。バイラークさん、あまし耽美にばかり嵌っていないで、もっとこーゆー豪快プレイを聴かせてちょうだいな、と言いたくなるほど。はっきりいって、この一曲の存在だけで、十二分な値打ち物の一枚だと思います。
冒頭から急速調のシーケンス・フレーズがこれでもか、と迫ってくる、“Yesterdays”、及び、超絶技巧の持ち主であるタルが、敢えてシンプルに淡々とメロディをなぞる、“You
don't know what love is”、この二曲につきます。他の曲もなかなかの出来なんだけどね。もう、とにかく、この二曲は凄い名演。
ジャズ・ギターに対してありがちな、柔らかい音色で心地よくスウィングする、という、イメージからちょっとかけ離れた、無骨で硬質な音色で、イーブンに近いノリの八分音符を力業で弾きまくる“Yesterdays”の凄みはちょっと他では聴いたことがない程に個性的。また、それ程の技巧の持ち主が、訥々と演奏する、“You
don't know what love is”の孤独感の深さ。素晴らしいです。
ギターのタルのみならず、ピアノのエディ・コスタがまた鬼気迫る名演で凄い。強靱でパーカッシブなタッチの魅力(打楽器的ですらある→彼はヴァイブ奏者としても有名→でもピアノの方がずっと良いんだけどね)全開であることは勿論だが、そのフレージングの個性的なこと!一般にピアノ奏者はソロの盛り上がり部分を高音域にもって行くがちなのだが、エディ・コスタは盛り上がりは低音域のガンガン・フレーズになる。低音限界を超えてグワシグワシと弾くので音は渾然一体となるのだが、それが大層パーカッシブで格好いい。音のつながり自体は意外に典雅であり、ジャズ的というより、時折、バロック的なメロディであったりするのだが、なんせ、この特異な盛り上げ方とパーカッシブなフレージングだから、もの凄く個性的となるのでした。
で、この素晴らしい夭折のピアニスト、エディ・コスタの最高の名演も“Yesterdays”と“You
don't know what love is”の二曲になるのではと思う私です。
チック・コリアが好きなのです。初期の作品の中ではこれが一番好き。カモメのレコードや、“スペイン”の入った盤より、こちらの方が私にはピッタリ来ます。それも、昔、レコードの時代にA面であった、Valcan
Worlds, Where Have I Loved You Before, The Shadow of LO, Where Have I Danced With
You Before, Beyond The Seventh Galaxy, の冒頭から5曲がお気に入り。レコード時代のB面である残り3曲はつまらないです。
とにかく、レニー・ホワイトの豪快ながら、はじけるようにスウィングする、強力なドラムと、それを盛り上げるベースのスタンリー・クラークの二人がつくるリズムの素晴らしさ!アル・ディミョオラのギターは少しうるさくてあれですが、そーゆーちょっとした不満を吹き飛ばす、凄いリズムの快感。スタンリー・クラークもこの頃が絶頂期だと思うな。
で、ガンガンに盛り上がる系の曲の間に挟まれた、チックのアコースティック・ピアノ独奏による小品がまた、耳休めになってとっても宜しい。
超絶技巧ピアノトリオの代表的作品。ただ超絶技巧に驚かされるだけでなく、、フレーズの新鮮さ、発想の大胆さ、また、どんな大胆なフレーズにも一瞬の隙もなく相互反応する緊密で怖ろしく緻密なミュージシャン間の会話(インタープレイ)、それらが産む、シャープな緊張感。とにかく、どうしようもなく格好いい。すっごい憧れてしまう世界なのだけど、こりゃ、小生如きには、生まれ変わってもたどり着けそうにない境地であるなぁ。
と言うわけで、憎たらしいほどヒップな一枚。
映画の方のガメラはもう、当然ながら最愛の一本なのですが、(スーミー茶館よりガメラ・コーナーをご参考に、、)このサントラ盤がまた聴かせるのです。単独に聴いても畏怖すべき傑作になっています。実際、大谷 幸さん、これを越える仕事をするのはちょっと大変なのではないか、と思ってしまうほどに入魂の一作です。
素材がガメラだけに、男性的・骨太一本の音楽だろうと思うと大間違い。ある時は神秘的に、ある時は繊細に、ある時は悲劇的に、(実際、このガメラIIIという映画がそういう映画なのですが)とにかく、サントラを聴いているだけで一編のドラマを堪能させられるほどの出来なのです。
エロスとタナトス、崩壊と再生、世界没落幻想とガイアの生命との闘いを、怪獣映画というジャンルを舞台にしながら、見事に描ききった不世出の傑作、ガメラIIIにふさわしい、これまた不世出のサントラ盤なのです。
これももう、ホントに懐かしい一枚で、何が懐かしいかというと、とても個人的な思い出が付帯しておるのです。このレコードが発売された頃、NHK
FMで、エアチェック(FM番組からカセットに録音すること)をしていたのですが、そのカセットと、別の日にとった、オールマン・ブラザーズの“ウィン・ルーズ・オア・ドロウ”“ブラザーズ&シスターズ”の入ったカセットを聴きながら、友達と家でビールを飲んで酒盛りをしたのですね。
その時、私はまだ高校生でした(悪い子だなぁ)。で、何故、高校生の私が家で酒盛りが出来たかというと、丁度両親が法事のために家を不在にしておったので、これはシメシメと友人(二人)を呼んで一杯に及んだ訳です。
気持ちよくなって身体の火照ってきた私たち三名はよせばよいのに近所の公園まで散歩に出ました。で、その夜の公園にて、向こうから自転車の灯りが近づいてくるではないですか。何だろな、と見ていると、近づいてみれば困ったことにお巡りさん。で、大学生だと嘘をつくと生まれ年は何年かと訊くんでやんの。あれれとしどろもどろになってると、ちょっと交番に来なさいとなりまして、検挙されてしまった私たち。友人達の母親が迎えに来てくれて(うちの母は法事で不在)開放されるまでの居心地の悪さといったら、、。やだったなぁ。
その後は親父に頭下げにゃぁならんわ、学校に通報されてセンセに呼び出されて説教食らうわ、そのメンバーの内の一人は問題行動が多いからつき合うな、なんて言われるわ(所が彼は今、センセをして飯を食っているのだから人生不可解)、まぁごたごたしました。
しかし、あの夜、友人達と、慣れぬ酒に酔いながら聴いたイーグルスとオールマン・ブラザーズは今でもとても懐かしく、心にすっと入ってくるのです。
全編、豪快にして素晴らしくスウィングするエラの唄が楽しめる、もう、ジャズ・ボーカルならこれ、って一枚なのですが、中でも、“Mack
the knife”“How high the moon”における、凄味溢れる、ドライブ感には圧倒されます。また、スキャットソロの構成の見事さ!とにかく、おそろしく盛り上がるのですから。かつて私はこの演奏を評して、“スウィングの神髄、快楽としての音楽の真骨頂がここにある”と某所に書いたことがありますが、今でも誠にその通りであると思っている次第。
ところで、ジャズファンたる小生、神戸三宮あたりのクラブでも、唄もののジャズってのを何度も聴いてきたのですが、どーしてあーゆーところで唄ってらっしゃる方達ってのは、あーもつまらんのでしょうか?まぁ、エラやカーメンじゃないのだから、って言ってしまえばそれまでですが、それにしてもなぁ。
相当に名が通ってるらしくて、あちこちのクラブで名前を見かける人でさえ、声が腹から出てなかったり、喉が開いてなかったり(口先で唄っておったり)、リズムが平板で全然スウィングしてなかったり、、、こういう事って音程以上にジャズ・ボーカリストにとって重要な資質だと思うのですが、殆ど感心したことがないのです。こういう似非ジャズ・シンガー諸氏は、すべからく毎朝起床時には“How high the moon”を一回聴いて、前夜の我が貧困なる唄を反省して欲しいものであるなぁと、切望する次第。
なんせ、日本には“都会派”などと称して、ヘレン・メリルあたりの猿真似に堕した、退屈で眠気を誘うシンガーが多すぎます。そんなに上手じゃなくても良いから、目指すはエラかカーメン・マックレーの境地、って心意気の人がもっといるといいのになぁ。
所謂、フリージャズを代表するサックス・プレイヤーの一人、Albert
Aylerのファースト・アルバムがこれ。しかし、このレコードは折衷的な作品で、というのは、アイラー以外の奏者は、ベースのペデルセンをはじめとする、オーソドックスなバップ系の奏者であり、演奏されている曲も多くはスタンダード・ナンバーなのです。ですから、小生など、どうも、多くの曲には違和感を感じざるおえないのでして、一枚のレコードとしての完成度を言うならば“スピリチュアル・ユニティ”あたりが上になるのでしょう。
しかし、この盤には一大傑作、“サマータイム”が納められています。同曲でのアイラーは凄い。ものすごく唄ってます。唸ってます。実際、演歌的なまでに聴く者をして泣かせます。それでいて、鋭利な刃物のような凄味がある。この演奏一曲、この8分45秒のトラックひとつを聴くためだけにこの盤を買ったとしても十二分な値打ちがある一枚なのです。
ところで、この盤にまつわる思い出話を少しだけ、、
私がこの盤の存在を知った頃、それは20年程の昔、函館で学生生活を送っていた頃でした。私は当時所属していたジャズグループの先輩に誘われて、当時、五稜郭公園の近くにあった“宇宙人”という小さなライブハウスにしばしば足を運んだものです。私たちは、コーンのバター炒めなどを肴にサントリー・ホワイトを飲んだりして過ごしました。
ある日、その店で、先輩氏&先輩氏の友人&その友人の彼女&私、という4人でサントリー・ホワイトを飲む、という機会があったのですが、“先輩氏の友人の彼女(目下同棲中)”という女性はたいへん印象に残る人でした。
“私、根室から函館に流れてきて、目下、この人と同棲中なの”と、ケロッとして語る彼女は長髪にジョン・レノン風の眼鏡が似合う、とても美しい人でした。
“高校生の頃からジャズが好きで、「流氷(日野元彦&渡辺香津美等による根室録音の名盤)」を録った頃の根室ホットジャズクラブの会員だったのよ”“そうね、好きなジャズと言えば、、アイラーのサマータイムが私にとって最高のジャズね”
このような事をニコニコしながらのたまっていた彼女は、その後先輩とは別離してしまいました。彼女の浮気が原因だったと風のうわさに聞きました。函館の氷雨降る夜にこういう音楽(アイラーのサマータイム)を聴きながら独り部屋にいたりすると、そういうこと(寂しさに耐えられなくなる事)もあるのだろう、と、当時まだ童貞だった青二才の私は彼女の神経質そうだが美しい笑顔を思い出しながら考えたのでありました。
私にとってのビル・エバンスもジム・ホールも、このレコード一枚なのです。実際には他にもそれぞれ何枚か持っていたりするのですが、極端な話、それらは無くなっても構いません。しかし、この一枚は別格。レコードは二枚聴き潰しまして、現在はCDで聴いております。
I hear a rhapsodyやRomain等のナンバーで聴かれる、繊細極まる、気品溢れた演奏の素晴らしさも勿論ながら、圧巻はやはり冒頭のMy funny valentine。アブストラクトな程に大胆な、主題の分解処理の緊迫感!絡み合う複雑なリズムが織りなす緊張感!デュオという形式で行われた演奏の中でも最もハードな演奏のひとつがここに記録されているのです。
名ドラマー、森山威男がトロンボーンの第一人者、向井滋春と組んで録音した名盤なのですが、実際の聞き所というか、圧巻なのはテナーの小田切一巳と森山威男の絡みです。
とにかく小田切がいい。素晴らしくて切ない。なんせ、小田切の素晴らしいテナーが聴けるのはこの録音一枚しかないのです。と言うのは、この録音の後、彼は風邪から進行した肺炎をこじらせて亡くなってしまったのですから。
そういう悲劇的のバックグラウンドは勿論、演奏そのものとは関係ありません。そうした予備知識が無くてまっさらの状態で聴いたとしても圧倒される名演がレコードの表題ともなったスタンダード・ナンバー、“Hush-A-Bye”の演奏です。ここで小田切のテナーは、少しかすれた、まさにこの曲のためにあるかのように訴求力に満ちたトーンで、凄まじいまでに唄いまくります。これでもか、これでもか、ってぐらいに次々と美しい音列が生まれてくるのです(ちなみに私はこの小田切のソロをギターでも完コピーしたのである。だから今でも音源に合わせて唄えるよ)。小田切に続く板橋文夫のピアノ・ソロもとても良いのですが、そのピアノ・ソロの終了に合わせて再度現れる小田切のテナーの素晴らしさ!これはおそらく、日本のジャズが到達した一つの境地といっても差し支えなかろうと、それがここにこうして録音されていて、身近に接することの出来る悦び、、。
それにしても、日本のジャズ界が小田切一巳を失った、と言うことは残念なことでした。そして、録音がこれ一枚しか残っていないなんて!うーん。
近頃では少しポピュラーになったマーラーですが、最初に私が8番のレコード(バーンスタイン盤)を買った、四半世紀前には今ほど聴かれてはいなかったのではないでしょうか。いや、映画“ヴェニスに死す”で使われた五番とか、“大地の唄”などはすでに良く聴かれていたのだろうな。
しかし、マーラーって人は嫌う人は随分嫌うようで、以前に私がある人にマーラーは如何ですか、って訊いてみた所、あんなハッタリのオバケのような音楽は大嫌いです、と随分な言われ方をしてしまいました。
なんでそんなに酷く言うのかなぁ。私はマーラー、なかんずく、この8番が大好きなのです。甘味な中に繊細な不安感がよぎる独特の親しみやすい旋律、壮大なオーケストレーション、ストラビンスキーの出現直前らしい、近代的なサウンド(和声)の格好良さ。そして、これほどまでの人数を動員しても(演奏に千人近く要する為、別名、千人交響曲と呼ばれる)表現しきれぬ何かに突き動かされていた、マーラーの狂おしさに対する親近感、、、。
年末になると、恒例でベートーベンの第五をやるじゃないですか、あれだけの人数が集まるのだし、たまにはこの、マーラーの八番ってのをかわりに上演しないかなぁ。内容的にも何せ、ゲーテのファウスト最終章そのもの(後半部分)なのですから、行く年来る年の雰囲気にピッタリだと小生などは思うのであります。
これはもう、ドルフィと言えばこれ、って塩梅の、ドルフィ、究極の傑作であります。ドルフィの凄いのは勿論のこと、ピアノのメンゲルベルク、ドラムのハン・ベニング、ベースのジャック・ショールス達、ドイツ人リズム隊の演奏もまた、素晴らしい。メンゲルベルクも、この時の演奏が彼のベストなのではないかなぁ。
ただ、問題はあれです。凄まじい緊張感の連続ゆえに、聴く者をして安易な態度を許さんのです。豪快で楽しいぜ、とか、バカテクでカッコイイぜ、といった視聴態度を許さん、怖ろしい演奏の連続なのです。
冒頭、モンク作の名作、エピストロフィーからして、驚愕すべきバスクラリネットのソロ&たいへんな緊張感を強いるメンゲルベルクの素晴らしいソロが繰り広げられますが、その雰囲気が続くのですねぇ。だから聴くに従って疲れてくるのですが、、、5曲目に至り、聴く者は真に畏るべき体験をするのです。
そうです、5曲目、スタンダード・ナンバーの“You don't know what love is”の限りない美しさはいったいどうしたことでしょう?神秘的なまでに美しい、それは凡そ人がここまでの境地に至ることが出来るという事が信じられない程に美しく、孤独で、軽やかな、ドルフィのフルート・ソロに始まります。そして、素晴らしいベースの弓弾きがそっと寄り添って来ますと、あの“You don't know what love is”の感動的なメロディが奏でられてくるのです。やがて、ソロは鳥のように自在に宙を駆けめぐり、続くメンゲルベルクの、これも高い評価を与えられてしかるべき、シンプルで短いけれど、印象的なソロがあらわます。そして、その後に再び現れる、ドルフィの吹くテーマの解釈の素晴らしさ。静かに、そして、神秘的に曲は幕を閉じます。
私はこの、“You don't know what love is”に出合う機会に恵まれた事を凄い幸運だったとさえ思っているのです。もしも、これ以上にドルフィが音楽で自由を表現できる事が出来るようになったなら、それは神の領域なのではないか、だから、そこに至る前に(そうなってしまえばもはや人ではなくなってしまうから)神は彼を天国に召したのでは、とさえ、微かに疑っているのです。
シナトラはいいです。何だか、ゴージャスって言うか、生活感が無くて。どうも、あのマイ・ウェイって曲は好きになれんのですが、後はおおむねどの曲を聴いてもご機嫌に聴けます。特に、ヒット曲、“夜のストレンジャー”なんて大好きだなぁ。南国のリゾートホテル、夜な夜な椰子の木陰のバーでカクテルを一杯、というシチュエーションにはやっぱりこれではないでしょうか?それぐらい、浮世離れしてるっつーか。良いですねぇ。貧乏くささってのが微塵もない所が宜しいです(そういう幾分かうじゃじゃけたシチュエーションを思い浮かべてしまう私は貧乏人なのであるが)。
音楽的にも、どの曲をとっても伴奏のオケが素晴らしくヒップです。ネルソン・リドル、アーニー・フリーマン、クインシー・ジョーンズ、ウッディ・ハーマン、クラウス・オーガーマン、ニール・ヘフティ、といった、当時の超一流どころのアレンジャー、オーケストラが伴奏なのはやはりスーパースターでありますが、これが一段と聴き応えをましておるという次第。
低音の魅力、カーメン・マックレイです。女性歌手に低音の魅力ってのも変なようですが、実際、良い女性歌手は洋の東西を問わず、低いところで声が良く響く。ニーナ・シモン、青江美奈、ちあきなおみ、山口百恵、キム・スーヒ、皆さんそうです。
で、カーメン・マックレイですが、この人の低域も凄い。ファンキーなのだけど、何処かの国の勘違いボーカリスト達(うぉぉわわーって叫んでればファンキーだと勘違いしてやんの)と違って、やたらとガアガア唸ったり、叫んだりなんか絶対しない。だから、聴く者を包み込むように優しいのですねぇ。私が男だからだろうか、母性愛、みたいなものさえ感じてしまう。
盤中、キャロル・ベイヤー・セイガーの作品が多く取り上げられています。例えば、表題曲の“I'm coming home again”“Come in from the rain”“Sweet alibis”などですが、よほどカーメンと相性がいいのか、これらは皆、これが決定版じゃなかろうか、ってぐらいに素晴らしい出来です。また、ポール・ウィリアムスの“I won't last a day without you”、ニーナ・シモンも唄っている、“Everything must chage”なども決定版級の出来。サイドメンも良くて、特にベースのバスター・ウィリアムスの良く唄う素敵なプレイが印象に残ります。
サンボーンって好きなのですよ。とにかく、ワン・アンド・オンリーに個性的なプレイで、もう、この人じゃなけりゃ、って世界があるところが凄い。ジャズのアルトサックス・プレーヤーって、ほとんどがチャーリー・パーカーの呪縛、みたいなものに縛られてるでしょ。それはそれで良いのだけども、サンボーンほど、アルトプレーヤーであるに関わらず、その世界から孤高でいるってのも大変なことです。
それに、なんたって、気品があって宜しい。結構、熱いプレイを聴かせたりするのですが、それでいて、何処かに品位ある静謐さが漂っていて、所謂、フュージョン系のプレーヤの中ではダントツに品位を感じさせるのですね。
この盤も、すがすがしい程の静謐さ(それゆえの幾ばくかの孤独感)が横溢した、品位ある一枚なのですが、なかでも、アル・ジャロウの唄をフューチュアした、スタンダード・ナンバー、“Since I Feel For You”は鳥肌もんの出来。アル・ジャロウってどうも、巧いなぁ、とは思っても、胸にジンと来るものがなくて、あまり好きな歌手ではないのですが、ここでの唄は絶妙のアレンジ、メンバー、プロデュース(トミー・リピューマ)を得て、ひょっとしたら、彼の最高の出来(かもしれない)の唄を聴かせておるのです。
ハード・バップなら絶対これっ!っていう、おっっそろしくスウィングする一枚。ゴゴゴォォォと唸りあげる、御大アート・ブレイキーの超ファンキー・ドラミングも凄まじいですが、カーリー・ラッセルの、ブンブン・ズンズンと響く、ごっつい太い音色のベースの素晴らしさよ!バカテクで器用なソロを聴かせるというタイプのベーシストではなかったのですが、とにかく、ズンズンと唸るリズムのファンキーさ。70年代マイルスバンドのベーシスト、マイケル・ヘンダーソンもおそろしくファンキーなベース弾きでしたが、その原点はここらへんか、ってぐらい、この人の4ビートはとても深いのであります。だから、御大ブレイキーのドラムとの相性も最高!思わず、踊りたくなるほど腰に来るご機嫌なリズムです。
そうした最高のコンビの上に繰り広げられるソロのまたご機嫌なこと!クリフォード・ブラウンのトランペットはもとより、ルー・ドナルドソン、ホレス・シルバーの両名も素晴らしい。ルー・ドナルドソンはパーカー直系ってイメージで、実際にもそうなのだけど、ここではスムースなだけでなく、意外にもジグザグとした階段状のフレーズや、ペンタトニック手法を強調したフレーズを聴かせるなど、面白いプレイを存分に繰り広げている。また、ホレス・シルバーも“ファンキー・ピアノ”ってイメージが強いのだけど、なかなかアブストラクトな演奏を聴かせます。特に、チェニジアの夜、でのプレイなど、バッキングを含めて、随分、面白く聴かせます。
バラード:ジョン・コルトレーン
セルフレスネス:ジョン・コルトレーン
“ロシアより愛をこめて”という邦題も良い。しかし、“From Russia With Love”という原題も口の中で転がすとなかなか心地よいです。マット・モンローの唄う主題歌、“From
Russia With Love”がこれまた良くて、私のカラオケ・レパートリーの一つでもあります。
テレビの旅番組でイスタンブールだとかオリエンタル急行などを見たとしませんか。そうすると、そわそわとこのビデオを取りだしてまた観てしまう、という傾向があり、随分、幾度も見直しています。この作品、他の007シリーズ諸作品と違った、不思議に落ち着いた品位と雰囲気があって、それが魅力なのですね。
ジプシー女(ロマ族女性、というべきにやあらむ)の決闘なんて、如何にものうじゃじゃけたオリエンタリズム漂うシーンもあるものの、印象に残る名場面も(繰り替えしみても飽きない場面)も多いです。それは、
前半では、地下水道を通ってロシア大使館の地下に至るシーンや、女性の顔が大きく描かれた看板の、その女の口の部分から逃げ出してくるロシア・スパイを、赤外線照準機を装着したライフルで狙撃する闇夜のシーンなど。
しかし、やはり最も印象に残るのは中盤以降のオリエンタル急行に乗り込んでからで、これはもう、ホントにいい。ロバート・ショー演じる、スメルシュの殺し屋も凄い存在感で、007との死闘も大変にリアルな迫力。双方が超人的に強いって訳では全然なくて、文字通り、生身の人間がぶつかり合う“死闘”である所が迫真の緊迫感を生むのですね。ワインのチョイス云々、なんてちょっとした小道具も効いているし、シーンは短いですが、夜の東欧の駅舎なども雰囲気を盛り上げます。
つづくアドリア海での追跡シーンはモヒトツなのですが、終盤、スメルシュの女スパイ、クレッグ大佐に猛キック攻撃で襲われる所がまた見せます。この女スパイも忘れがたいキャラクターで、後年、オースティン・パワーズにも、明らかにカリカチュアなキャラクターが出てました。
ショーン・コネりーも、ダニエラ・ビアンキも、ロバート・ショーも、クレッグ大佐のロッテ・レーニャも、英国情報部イスタンブール支局長を演じたペドロ・アルメンダリツも、皆さん引き締まった快演で飽きさせません。
アクションや小道具が古くさい、とおっしゃる方もいる映画ですが、そーゆー見方で観る映画ではなくて、趣(おもむき)を楽しんで欲しいものであるなぁ、と思う私なのでした。現代的なアクションを求められる向きは、“ザ・ロック”などが宜しいのではないかと。これも、ショーン・コネりーが重要な役で出ていて、なかなか観させる一本でした。でも、これはまた、“ロシアより、、”とは楽しみ方が違うのであります。
1987年の秋、私は小魚の検品と買い付けの為に韓国に滞在していました。9月30日に出発して、途中3日間だけ帰国して、またとんぼ返り。それで、最終的に韓国から引き揚げたのは12月の7日前後だったと記憶しています。仕事はソウルと全羅南道麗水市、釜山、この三カ所に分散している仕入先をぐるぐると順番に廻って、商品の検品、箱詰めを行っていくことでした。中でも、ソウルでの滞在が長かったのですが、この時、ソウルの定宿にしていたのが、ノンヒョンドンの旧ヒルタップホテル。
この“風吹く良き日”に初めてであったのは、このホテルでの館内無料ビデオ放映サービスなのでした。
全羅道出身とおぼしき三人の仲の良い若者達、その中で、幾分、吃音気味な若者がアン・ソンギ演じる主人公=トッペ。若者達は何時も仕事を終えると、ポジャンマチャ(包装馬車=屋台)で焼酎をひっかけてます。そのポジャンマチャは子連れの仲の良い夫婦が経営しています。
主人公=トッペはある日、中華料理の出前に行った先のお嬢さん=ミョンヒ(ユ・ジイン)に散々にからかわれてしまいます。
また、若者達の一人=チュンシク(イ・ヨンホ)の妹=チュンスク(イム・イェジン)が故郷からソウルに出てきます。故郷で母と二人暮らしだったのですが、お母さんが再婚したので、母を残してソウルに出てきたのでした。チュンスクは九老工業団地の職工になります。
主人公はある日、再び、お嬢さん=ミョンヒに出会います。ミョンヒは、つき合っていた男への当てつけとして、主人公をデートに誘います。主人公は誘われて入ったディスコで、酔いも手伝って、古里のノンアク(農楽)を思わせる、とても力強い踊りを踊ってみせ、お嬢さんも何だか、主人公のことがホントに気になりだしたようすです。主人公の友人=チュンシクの妹=チュンスクも主人公が満更でないようで、“日曜日にお嬢さんとデートだ”と聞かされると、“日曜日には雨でも降りゃいいのに”なんて口を尖らせたりします。
チュンシクは、理髪店の同僚ミス・ユー(キム・ボヨン)を愛しているのですが、彼女の家は貧しく、彼女の働きで弟はやっと高校に通っています。そして、その下にも弟や妹がいる上、父はどうも病床の様子。理髪店で働く女性に対しては、“イーバル・アガシ(理髪店女性)”という言葉が一種の蔑称として使われるほどに、偏見があったのですが、それでも彼女は頑張って働かねばならなかったのでした。やがて、彼女は、理髪店の常連客(成金不動産業オヤヂ)に半ば手込めのように抱かれてしまいます。しかし、それは弟、妹や、体の不自由な両親の為なのでした。そうして彼女は金持ち客の愛人になり、恋人=チュンシクから去ってしまいます。
チュンシクはオヤヂと彼女の密会の場にナイフを持って現れます。そしてそのナイフで、、、
主人公=トッペとお嬢さん=ミョンヒの間にも波乱が起きますし、また、主人公が住み込んでいる中華料理店の夫婦(主人は老人で入院中、奥さんは女盛り・・・)の間にも波乱が・・・。また、ポジャンマチャの夫婦には悲劇が・・・。
一つ間違えれば、じめじめ・どんより・重苦しい、観るのが辛い作品になりそうなのですが、名匠、イ・ジャンホは素晴らしくテンポの良い演出と、随所に光るユーモア(それはちょっと苦いユーモアだったりするのですが)で、青春映画の畏るべき傑作に仕上げています。軽快且つ飄々とした音楽も忘れられません。とにかく、内容が内容なのに、妙に熱気と活気に溢れた一本なのです。
私の韓国語のレベルなんて、商売の語彙と自身の移動のための語彙、食事のための語彙、ぐらいしかなくて、実際の所、映画を観てその内容が良く掴める、なんてレベルでは全然ないのですが、それでも、ヒルタップホテルの部屋で、初めて観たとき、それも途中から(冒頭10分ぐらい過ぎてから)だったのですが、画面に目が釘付けにされてしまいました。そして何だか、ショックを受けて茫然としてしまいました。まさに、“ガーン!”って感じだったのです。それで、見終わってから、早速にフロントに電話を入れ、“一体、今、流れていた映画はなんて映画なのですか?”と訊いたのでした。で、帰国時点には、ソゴンドンのビデオショップでこのビデオを入手していた、という次第。
のちに関川夏央の本で、この作品が韓国映画の新しい時代の幕開きを告げる一本であった事を知りました。若いアン・ソンギも素晴らしい演技で光っています。
鯨取り:アン・ソンギ、イー・ミスク、キム・スチョル
ギブ・ヒム・ジ・ウーララ:ブロッサム・ディアリー
サリー・キャント・ダンス:ルー・リード
オン・ファイアー:バーニー・ケッセル
大編成(実にストリングス・セクションを含んだことさえある)とジャズ的なアプローチが特徴であったバンド、(第一期)コロシアムのリーダーであった、ドラマー、ジョン・ハイズマンがコロシアム解散後に組んだバンドがこのテンペスト。そして、これはその一枚目のアルバムです。
結成当時のテンペストの音楽はとてもユニークなものでした。まず、リーダーのジョン・ハイズマンのドラミングは手数が多いタイプで、今の耳で聴けば、もう少し押さえて叩いても良いのに、とも思えるのですが、技術水準はかなり高い。トニー・ウィリアムスやジャック・ディジョネット、ビリー・コブハム、レニー・ホワイトなどのジャズ系の馬鹿テク・ドラマー達がジャズサイドからの ビート、 ビート的アプローチをはじめた頃、ロック・ミュージックからのジャズ的アプローチへの接近、その先駆者の一人が、このジョン・ハイズマンであったと言えます。だから、この『テンペスト』というレコードでも、まるでエルビン・ジョーンズのようなフレーズが聴けたりします。
しかし、テンペストの音楽を最も特徴づけているのは、ギターのアラン・ホールズワースのとんでもないプレイです。そしてまた私は、アラン・ホールズワースの最高のプレイが聴けるのはこの盤だと思っています。アラン・ホールズワースはプリングオン、プリングオフを多用した、とてつもなく早くて流麗なフレージングを組み立てるので高名なギタリストですが、私にとって、このレコード以外のアラン・ホールズワースは、流麗すぎて引っかかる物がない、というか、何だか何かが欠ける、一本調子で気の抜けた音楽を作るギタリストとさえ感じられて、ピンとこないのです。でも、この盤での彼は違う。もう、本当に良く唄い、良く盛り上げています。
この盤の制作後随分立ってから、彼はあるインタビューで、“ピッキングの音が嫌いだから、ピッキングを極力減らしてプリングオン、プリングオフを多用し、流れるようにギターをサウンドさせる事に最近は気を使っているんだ”という内容のことを言っていました。それはもう、彼の独自性というか、哲学なのだろうと思います。しかし、私に言わせれば、それが彼のギターをつまらなくさせたのではと思うわけです。と言うのは、テンペストの盤で聴ける、ピッキングの音がしっかり聴こえる、彼のギターは迫力に満ちてとても魅力的だからです。
テンペスト盤での彼のプレイはフレージング、リフの組み立て、コードワーク、どれをとっても驚異的に個性的で、一聴、これは何処でも決して聴いたことがない音楽だなあ、と吃驚してしまいます。なんでこんなにもアブストラクトなリフが、こんなに格好良く響くのぉ?!とこの文章を書きながら聞き返していても恐れ入ってしまいます。まったく、隅々まで、何時聴いても新鮮な驚きに溢れた音楽がここでは展開されています。兎に角、一体どんな音楽を聴いて育つとこういうプレイを組み立てるようになるのだろうか、という事が全く想像もつかないのです。ギタリストが多用する、ペンタトニック的な展開があまり使われない。と言っても、ビバップ的なジャズ語法も殆ど感じさせない。おそらく、ウェイン・ショーターとか、ハービー・ハンコックなどを聴いて研究したのでは、とかすかに思うのですが、まあ、これも単なる推測です。
それからギター、ドラム以外では、ポール・ウィリアムスのブルーアイド・ソウルを思わせるフィーリングの、太くて迫力あるボーカルも素晴らしい。これもなかなか聴かせます。多分、彼のベストプレイもこの盤なのではないでしょうか。
なお、この、“テンペスト”と題された、一枚目のアルバムはこのように傑作なのですが、二枚目は凡作です。と言うのは、ギタリストがアラン・ホールズワースから、オリー・ハルソールにチェンジしている上、どうも中途半端に大衆受けを狙った路線で作られており、一作目のレベルを期待するとがっかりしてしまいます。
Santana
III:サンタナ
レニー・トリスターノの音楽の特徴は、
こうした諸点にあり、サウンド的にはクールな響きがあるのですが、演奏そのもののテンションはかなり高く、スリリングな緊張感に満ちています。
所謂、"クール派"の生む多くの音楽が、耳に涼やかな、表面的な都会性、白人性を売り物にする音楽になっていったのに反して、トリスターノの音楽は常に厳しさの極北を目指して創造される、孤高の音楽だったのです。
彼の残した、決して多くないアルバムの中でも、とりわけ私の大好きな一枚がこれ。全編ピアノソロのこのアルバムは、最も、彼の音楽の独自性を強力に印象づける仕上がりです。それは、他のメンバーの余分な音が入らないだけに、彼独自の世界が存分に繰り広げらており、また、聴き手もそれに集中できるからでしょう。
身近だった人達からの、彼の人間性についての証言で、好意的なものを読んだことがありません。大変に偏屈だったとか、下劣すれすれの猥談を好んでしたとか、ドラマーのシンバル・プレイに対して、四つ打ちしか認めず、レガートを入れると、随分な言葉で罵った、とか、様々な逸話が残されています。しかし、その音楽を聴く限りでは、音楽の創造に際して、些かの妥協も譲歩も許さぬ、極北の知性の厳しい視線を感じさせるばかりです。おそらく彼には音楽に対する、余りにも独自な為に孤絶に至る程の峻険な理想(ヴィジョン)があり、それを表現するに際して、他人の介在がつらかったのではなかろかと思うのです。ですから、ピアノ・ソロ、というスタイルは彼にピッタリだったのでしょう。
名スタンダード・ナンバー、"You don't know what love is"に於ける、冥王星の氷原を想わせるほどに冷たい孤絶感の凄まじさ。私の配偶者さんは、この演奏を評して、『これが恋の唄なのなら、きっと火星人の恋の唄だわ』と言いました。けだし名言。同曲のソニー・ロリンズ録音の豊穣な官能性と比すれば、これが元は同じ曲とは思えないほどの解釈の差は、全く、人間と火星人ほどの隔たりを感じさせるのです。
また、"Cマイナー・コンプレックス"に於ける、凄まじい緊迫感とスウィング。そうです、レガートを排し、あくまでイーブンに迷宮を駆けめぐる、その音列は、とてもクールで空気さえ凍り付くかのようですが、それでも、真っ赤に燃え上がるほどの"緊迫感とスウィング"を同時に放っているのです。
ただ、ひとつ注意すべきは、この名盤の中でも、その頂点である、この名演、"Cマイナー・コンプレックス"が納められていないCDが出回っている、と聞いたことがあります。一体どういう経緯でそんな編集になったのか、よくわからんですが、それはあんまりだ、と思うのでした。
“ある年の万聖節前夜、ジムとウィルの十三歳の二少年は、一夜のうちに永久に子供ではなくなった・・・。”
十月になりました。十月と言えば、October Countryというか、十月は黄昏の国と言うか、レイ・ブラッドベリの月ですね〜。 十月は黄昏の国、もステキな作品集でしたが、敢えて一冊選ぶなら、“何かが道をやってくる”←これにつきます。これとヴォネガット・Jrの“母なる夜”、この二冊は、20代の私にとって特別中の特別な二冊でした。
結婚前、出来るならば、将来そうでありたい人間像としては、“何かが道をやってくる”のお父さんのよーなお父さんになりたかったんだけど、前提としての父親にもなり損なったなぁ〜。まぁ、それはそれで、そーゆー人生もアリと悔いなく受け入れてるんだけど。
望まなくて作らなかったんじゃないんです。ここには書けないアレヤコレヤの運命の翻弄があって駄目だったんです(汗)。しゃーないわな。
ところで、“何かが道をやってくる”はディズニーによって映画にもなってますが、あれはダメだ。あれを観て、原作を推し量らないよーに。くれぐれも。