(ガメラ&ギャオスに囲まれてご満悦のよしひこ&スーミー)






ガメラ絶対支持宣言



ガメラIIIは伝説になるぞ

 ついに待ち焦がれていた、ガメラIII・邪神(イリス)覚醒 (The Absolute Guardian of the Universe)が公開されました(1999年3月6日)。で、私はどうしたかというと、当然です、初日を観てきました。初日にとどまらず、3月10日にも再度、別の映画館にて観ました。ですから、この一文を書くまでに都合2回は劇場に足を運んでいるという次第。しかも、二回とも、スーミー奥様も同行ですから、現在の所、我が家だけで延べ4人分の興行収入に寄与している塩梅です。
 で、肝心の映画の出来については、以下の報告のとおりです。もし、あなたが未見でしたら、この報告読了後、直ちに映画館に直行するべきでしょう。初公開時にガメラIIIを観劇したということは、もしあなたが映画ファンであるならば、将来あなたの勲章になるでしょう。また、もし観損ねたとすれば、きっとそれを残念に思う日が来ることでしょう。

 なぜなら、ガメラIIIは間違いなく、日本映画史上に残る、伝説的・歴史的作品になるからです。

 “ブレードランナー”という作品(ハリソン・フォード主演、リドリー・スコット監督)があって、映画ファンなら知らぬもの無い、伝説的な映画になっています。“ブレードランナー”以前と以降が分けられるんじゃないだろーか、ってぐらい、映画に於ける未来社会の描き方に重大な影響を与えた一本です。で、私は真剣に、ガメラIIIは日本映画に於ける“ブレードランナー”になるぞ、と思っておるのです。(ちなみに小生、初公開時にブレードランナーを神戸で観たのですが、観客がらがらで、公開期間も短く、当然、ロングランなどには至らなかったのでした。誰も、この時、これがディレクターズカットだの完全版だのがゾロゾロ提供される問題作になろうとは思わなかったことでしょう)


公開初日観劇直後の感想

(以下の一文は初日観劇直後に某映画フォーラムにアップした観劇報告)

2月は石巻〜静岡〜琴平〜函館、と全国各地を渡り歩く、出張の嵐でした。それで、封切りは『ラッシュアワー』と『メリーに首ったけ』の二本を観ましたが、感想を書くゆとりもなかった次第です。

しかし、これだけは書いておかねば。

昨日(3月6日)初日レイトショーでG3(ガメラ3・邪神覚醒)を観ました。

す・す・す・凄いです、、、。

中盤以降は、映画の世界に引き込まれて、思わず前のめりになり、そのままの格好で最後まで観てしまいました。見終わった後も、しばらくは後頭部がじーんと痺れっぱなし。興奮が凄かったので、涙も出ず、とにかく、後頭部がじんじんと痺れていました。

三宮のOS系シネフェニックスで観終わったのが22時20分。それから、行きつけの韓国料理店に行きましたが、閉店が22時だったのでアウト。それで、三宮あたりの居酒屋で一杯、と思い、適当な店を探しましたが、どこも閉店間際ないし閉店後でアウト。仕方なくJR大久保まで戻ってきたのが23時15分。大久保駅前の炭火焼き焼き鳥の店で一杯引っかけながら、一緒に見に行ったスーミー奥様と、あそこがすごかった、ここが綺麗だったと話しているうちにやっと現実感が戻ってきました。00時に帰宅して、さらにビールを飲みながら、あれこれ話しているうちに01:35分になりました。で、01:35分からは読売テレビで“ガメラ2・レギオン襲来”が放映されたので途中まで観たのですが、さすがに02時近くになると、眠気に勝てず、眠ってしまいました。

今朝は10時近くまで爆睡しましたが、起き出して、映画のパンフ(豪華版1500円の方を買いました)を読んでいますと、映画の隅々が思い出されてきて、ここに来て突然、じょびじょびと涙が溢れてくるは、鼻水がずびずびでるは、いい年こいて、朝から何をやっておるのだろうという次第。

あんまり、衝撃が深くて、翌日になってやっと、その衝撃が心の表層に現れてきたという塩梅でしょうか?うーん。

で、肝心の映画の方ですが、まさにあれは、凄惨な美です。もう、特撮が現実に迫ってるのどうのというレベルの映画ではなくなりました。巨大生物が都会の真ん中で暴れる、という事の恐怖を超えて、破壊と滅びと神秘の美学になっていました。どんなにガメラやイリス達が美しいか、映画館で体験して下さい。ガメラに上空で破砕されて、炎の塊となって、天空からふってくるギャオス、雲海の上を飛翔するイリス、そのイリスめがけて回転しながら襲いかかるガメラ、炎上する京都、その炎を背に京都駅を目指してやってくるイリス、、、網膜に焼き付いて忘れられない名場面の数々を今日、明日にでも映画館で確かめて下さい。

音楽と効果音も文句無く素晴らしかったです。感動を深める“静寂”の使い方の見事さに圧倒されました。京都駅のシークエンスでイリスと交感する少女“比良坂綾奈”がイリスの到来を予見して“来るよ”と呟くシーンの静寂の重さは衝撃といって良いほどです。また、音楽の大谷幸は、私の最愛の一本、“ラピュタ”での久石譲の仕事に匹敵する仕事をしています。G1の時の、どちらかというと、盛り上げが多すぎて、緩急に若干欠ける仕事と比すと(この時は時間的・スケジュール的な無理があって、画面との突き合わせが充分出来なかった由)、細かいところまでコントロールされた、素晴らしい仕事だと感じました。特にエンディング、ガメラ→紅蓮の炎→暗転と同時にユリアーナ・シャノーによるテーマ曲が流れる瞬間など、背筋をぞくぞくさせます。

役者さん達も良かったです。特に、中山忍!凛々しい!貫禄まで出てきて、堂々とした説得力ある演技には驚きました。当たり役とはまさにこの事。G1・G2の時には泣き言が先に立って、ちょっと五月蝿かった蛍雪次郎も今回は、世捨て人から再び人生に戻ってくる、という微妙な役を落ち着いた演技で好演しています。藤谷文子もすっかり女らしくなり、とても良いです。それから、イリスに(一種の巫女として)取り憑かれ、イリスの京都襲来を巻き起こしてしまう少女“比良坂綾奈(ひらさかあやな)”を演じた前田愛もとても良かったです。でも、一番、凄い役者はガメラ自身かもしれない。それは驚くべきラストシーンにおいて、いかに彼が深い孤独であるかが明らかにされると共に実感できることでしょう(でも、中山忍演じる長峰が“ガメラは独りじゃないわ”と言うので幾ばくかの救いがあるのですけども)。

あら探しをすれば、辻褄のあわない点が残っている事にこだわる人もいるかも知れません。例えば、とても凝縮した、濃密なお話を107分に纏めてあるので、山咲千里・手塚とおるの二名が演じたのは何物だったのだろう、という点が分かり難いとか(映画のテンポを活かすために説明的な部分を最終的にカットした由)、あれだけ激しい京都駅炎上の中、主人公達が焼死せず助かることが出来るだろうか?とか、、。でも、これらは僅かな傷です。

映画全体が放出する、ものすごい熱気の中では、本当に僅かな傷です。

まさに掟破りに衝撃のラストシーンを観るために、是非、映画館に足を運んで下さい。この一本はきっと、長い間、語り続けられる、伝説になるでしょう。


PS:“人は緩慢な自滅の道を歩んでいる。ギャオスがいなくてもいずれ滅ぶ。しかし滅亡よりも悪い未来が待っているかもしれない(手塚とおる演じる「倉田」の台詞)”という立場が一方にあって、また、長峰真弓のように、生物としての人間の生き続けようとする意志を信じようとする、立場がある(長峰が生物学者という設定が活きている)。また、前田愛が演じた少女の名前が“比良坂”という名字であることは“黄泉津比良坂(ヨモツヒラサカ=黄泉(死の国)とこの世を結ぶ暗く長い坂)”を連想させて、映画の隠れた主題に、エロスとタナトスがあることを窺わせていました。

ともあれ、今は映画のヒットを祈っています。でなければ、今後、日本映画界から、平成ガメラシリーズに劣らぬ、凄い異世界を創ろうとする機会が奪われてしまうでしょう。あそこまで創り上げても、観客はついてこなかった、となれば、、。


ガメラIIIを徹底的に擁護する!

(以下の一文は二回目の観劇直後に某映画フォーラムにアップした観劇報告)

ガメラIII、二回目の観劇を行い(3月10日)ました。最初に観たときには気がつかなかったディティールにも気がつき、二回目にもかかわらず、一度目よりも更に楽しめました。一回目の観劇中には、情報量と衝撃の深さに圧倒されて、観劇と言うよりは体験しているような気分となり、後頭部がジンジンと痺れてくるものの、“感激の涙”ってのが全然出てこなかった(翌朝、パンフを見返していてジョビジョビになりましたが)のですが、今回の観劇中は、後半、雲海の上を華麗・神秘的に舞うが如く飛来するイリスのシーンあたりから先はエンディングロールに至るまで、恥ずかしくなるほどの滂沱の涙、止まらぬ落涙に困ってしまうほどでした。で、二回目の観劇で特に心惹かれたシーンを幾つか上げようかと思います。

前半では、イリスが、前田愛演じる、“比良坂綾奈”と最初の融合を試みるシーン、夕暮れの優しい木漏れ日の中、綾奈の持つ勾玉が熱を持ち、綾奈“イリス、あついよ、”と前を少しはだける→イリス、にわかに触手によってそびえ立ち、更に触手を伸ばして綾奈を抱きしめる→イリス、胸から光を発する、このシークエンスの素晴らしさ。神秘と香気とエロティシズム溢れる、凄い場面。エロティシズム、と言っても、卑俗なそれでは勿論ないのですよ。聖としてのエロス(性)。ここは所謂、恋愛映画の名作でさえ得難い、名場面です。このシークエンスで一旦、イリスと融合してしまう“比良坂綾奈”は、以降、イリスと交感する、というより、イリスに魅入られて半ば神懸かり状態に陥ります。それも、恋愛のメタファーになっているのですね。脚本の伊藤和典が“GIIIは恋愛映画だ!”と言っていたのがうなずける次第。ともあれ、この最初の融合シーンは私のような40オトコはともかく、青少年には特に鮮烈なインパクト溢れるシーンであろうと感じました。

また、中盤、雲海の上を飛翔するイリスの凄艶な美しさを再確認。ため息。思わず落涙。そのイリスを追う二機の自衛隊機の真ん中からヌッと顔を出すガメラの表情の凄まじさ。そして、CGを駆使したガメラの回転ジェットの青光りする美しさ。スピード感。また、翼竜モードでイリスを追うガメラの加速感。このシークエンスでは音効が非常に加速のスピード感を際だたせています。

音効と言えば、終盤近く、京都駅にてイリスの到来を予見する“比良坂綾奈”が“来るよ”と呟くシーンの静寂の重さは衝撃といえます。喧噪がぴたりと静まる中、静寂が緊張を高め、来たり来る悲劇を予感させます。

また、終盤、イリスとガメラとの最後の戦いのシークエンス、初見時には、構造が分かりにくかったのですが(それでも“体験”として圧倒されるので私はOKでした)、今回は、なにがどうしてどうなったのか、よく分かったです。

さて、これほどに私をして感激せしめている、GIIIなのですが、最初にも書きましたように、インターネットやBBSを見て回っていますと、“今回のガメラは、、”といった論調が散見されるのです(勿論、断固支持!ってのも多いのですけどね)。それで、ちょっとだけ、反論など書いてみようかと思うのでした。

GIIIに対して厳しい評価を下している方達の評を読みますと、幾つかに大別できるようです。

  1. ラストバトルのシーンで何がどうしてああなるのか分かりにくい。


    具体的に書くと、終盤のハイライトシーンの完全ネタばれになってしまうので、こんな分かりにくい項目名になってしまいました。お許し下さい。とにかく、このシーンは情報量が圧倒的なので、初見時には理性的には分かりにくいかも知れません。でも、理性的に納得できずとも、体験として身体が観ているから、いいんじゃない、と思うのです。当初のコンテでは、説明的な台詞も入るし、実にわかりやすくなっていました。しかし、敢えて、公開された形に決着、編集されたという事です。観客に理解されやすい事を選ぶより、流れとテンポ、それと、リアルさを追求したのでしょう。しかし、もし、ここがこーして、こーなったから、ああいうなったんだ、と順を追って理解したいのであれば、もう一度観てみることをお勧めします。初見時には圧倒されて理解しにくかった流れが、不思議に二度目になると、よく見えてきます。多分、初見時には、鑑賞というより、体験になってしまうほどの迫力に圧倒されて、目には見えているのに理性の理解に至らないのでしょう。それほどの映像なのです。

  2. ガメラは渋谷で余りに多くの人的被害を出しすぎている。また、京都炎上の主犯はイリスというより、ガメラではないか。多くの人を死に至らしめている癖に、特定の個人を救うのは偽善的で御都合主義ではないか?

    ガメラは大地のマナ(地球の生命力そのもの)の器として創造されたのだ、という前提があり、それが為に、人工の生物というより、むしろ、地球の意志を反映する、神に近い存在として描かれています。残念ながら、地球は常に人類に優しいとは限らない(自然の暴威ってのに多くの人命が奪われているのですから)。その反面、人類を養ってくれているのも自然なのですね。しかも、神威ってのは、一面、暴虐でもある。まして、世界中でわらわらとギャオスが蘇っている、という最悪の状況下、ガメラに人間の都合を説いて、ここは人口密集地ですから戦わないでね、なんて人間の都合を説いても仕方がない。

    また、ガメラ自身、好んでそういう闘いをしているわけではない、荒ぶる地球意志に身を任せてギャオスと闘っていた時、ふと子を思う母の必死の祈りが聞こえてきた、それで、我に返って、その子を助けたのだと考えてもおかしくない。まぁ、こうした、ガメラを理解可能な存在として扱うことその事に私は違和感を持つのですが。

    何より基本的に、宇宙が人の単純な解釈を拒む存在であるのと同じ地平でガメラも人知の及ばぬ存在なのだと解釈すべきだと思うのです。そして、素直に映画の世界に入ってゆくなら、まさにそうであることが体験できるように描かれている、と思うのです。それは、「解説調の台詞などからそう理解できる」、といった地平での描き方ではなく、まさにSFX、音効、音楽、を含めた、映画の完成度がもたらす“体験”として受け取られるように描かれているのです。

  3. 山咲千里扮する朝倉&手塚とおる扮する倉田の役割が説明不足

    これも、元来、もっと説明的な台詞があったのを最終的にカットした由。で、私としては、もう少しばかり説明となる場面を残しておいても良かったのでは、と思わなくもないものの、それが、指弾されるほどの傷とは全然思えない。そもそも、“ものがたり”というものは、それほどに隅々まで了解可能性に満ち溢れてなければならないのか?そんなもんじゃない事は当たり前の事です。

    説明的なセリフがボロボロ出てくる“2001年宇宙の旅”(キューブリックのあれね)なんて、いったい誰が観たいものか!あれは観客の想像力に多くの部分を委ねた映画だったし、それだからこそ、百人の観客がいれば、百人それぞれの“2001年宇宙の旅”をあらしめる可能性に溢れた、そういう映画だったのですね。勿論、キッチリ、ドラマの終始が一貫したものがたりもあるし、それがより低レベルの作品だ、なんて言うつもりもないのですが、“現実”そのものが了解可能性からほど遠いものであるだけに、虚構の作品の中に、(それが良心的に作られている如何を問わず)謎が残るのは致し方なく、それをもってして作品を論ずるのは愚挙だと思うのです。

    私は海外からの輸入商品を扱う仕事をしています。その中で異文化というものを実感することが非常に多いです。異文化と言っても、文脈のつかめる(習慣、傾向、好み等、ある程度の学習可能性のある文化の側面)点については苦労はあるものの了解可能性の範疇にあります。しかし、時折、そうした文脈をつかんでいる、と思いこんでいる要素でさえ、複雑に絡まりあって、押し寄せてくるような事態に至ることがあります。そうなるとお手上げです。誰もが何の悪意も抱いていないのに事態が紛糾し、私を大変に困った立場に追いつめてくる、そんな出来事に巻き込まれることがあります。しかも、どうしてそんなことになったのか、説明がつかない、まるで不条理劇の中に入り込んでしまったような気持ちになる事があります。同じ人間同士でも異文化が絡むとき、そうした事が起こりがちです。

    実際、半世紀前の大戦の詳細についてさえ、いまだに生存者が多く活きているあの大戦の時期のことでさえ、国が違い、立場が違うと、一つの出来事について、その出来事の有無、そしてその推移について180度異なる解釈(立場)が生まれてしまうのです。

    このように、所謂“現実”と呼ばれている世界に於いてすら事物の了解可能性というものがあやふやなのです。映画の中の事物に対して、それらがことごとく整理されて、これはここ、こちらはそこ、と塩梅良く十分に解説されていなければ駄作だ、という認識のなんたる貧困!それは極論するならば、想像力の不足、ないし、全てを自分の了解可能性の中に貶めようとする、世界に対する甘えの露呈に他ならないのです。

    こうして考えてみると、何故、朝倉と倉田の輪郭をより明瞭にするはずだったセリフが何故極限まで削られたのか、それがおぼろげながら見えてくると思うのでありました。

  4. 比良坂の終盤、最後のセリフは甘い。自分のために多くの人命を犠牲にしておきながら、ああいえば済むと思っているのは甘えだ。許せない。

    もー、こーゆー意見には反論を書くというのも馬鹿馬鹿しいというか、徒労感さえ覚えるのですが、まぁ、書きます。誰も、そのように誰かを責める権利は持っていない、という事に気づかない鈍感なやからの意見です。そーゆー自分だけは無垢だと思いこんでいる能天気なやからとはお近づきになりたくない。彼らには歎異抄でも読ませたいものです。他にどう言うことが人間にとって可能だというのでしょう?

    また、もし、そうした捉え方をせず、より映画のストーリーに沿って考えたとしても、また、比良坂が恐らくPTSD(心的外傷後ストレス精神障害)にあること、また、名前からしてもイリスと出会うことは運命であったとおぼしい事、そして、イリスと出会ったことにより、依代の資質である部分がイリスと共振して神懸かり状態に陥っていること、これらを考えあわせれば、彼女を責めることが妥当かどうか、また、映画の終盤が甘いのかどうか、分かろうというものです。


とりあえず、今日はここまで、、(サントラ盤まで買ってしまった)



(我が家のPowerBook1400。このBookCover交換可ってのがGファンを泣かせる)




帰ってきたガメラ

※君はガメラを見たか!

 ガメラという映画をご存じでしょうか?大方30年ぐらいも昔、大映で製作されていた 怪獣映画シリーズで、最近、1995年には“ガメラ・大怪獣空中決戦(以下G1と略称)” また、1996年には“ガメラ2レギオン襲来(以下G2と略称)”の二本の新作も公開され たのでご記憶の方も多いと思います。
 で、私、この平成ガメラ映画の大ファンなのであります。実際、熱烈に愛してる、と言っ てもいい(涙)。どーしてなんだろう、なにゆえに38才、もうすぐ40代も遠からずな 年齢になって、こーゆーのにこんなに入れ込んでしまうのであろうか?と幾分情けないさ を正直なところ薄々感じなくもないのであるが、、、でも、G1,G2のパンフなどを見 ていると、映画のコーフンが甦ってきて、あぁ、G3を早くみたい!!などと真剣に願望 してしまうのであった(涙)。
 まったく、率直に言ってしまいます。劇場でG1,G2を観なかったあなた!あなたは何と いう残念なことをしたのであろーか!!これこれ、そこのあなた、“へぇ、何言ってんだ い、怪獣映画なんだろぅ、あーゆー子供向けのもんに入れあげる奴もいんだねぇ”何て思 ってっでしょー。それがかぁいそーだと言ってんです。あー、大ヒットしたジュラシック・ パークなんてのも、まぁ、あれも一種の怪獣映画ですわな。怪獣nealy equal巨大生物、と 乱暴に断じるなら、怪獣映画=巨大生物映画ですもんね。あの映画の面白さって言えば やはり、生きている(かの如き)恐竜を大画面の迫力で拝めるってところにつきるのでは ないかと思うのですが違ってるかしらん?だってお話のなかみってそんなに濃くないでし ょ?なんだか訳知り顔のすかした数学者がカタストロフィ云々ってごちゃごちゃ言ってる けど映画の中では(小説の中ではどー何だかしらんよ)全然説得力ないもんね。で、あれ が日本でも結構ヒットしたのであるからホントはG2などもっと当たってもよかったと思う のであるよ。少なくとも、私はG2の方がよっぽどジュラシック・パークより興奮もした し、その興奮が反芻できちゃうという状態に陥っているのであります。

※巨大生物映画は想像力が勝負だ!

 巨大生物映画の見せ場ってのはやはり巨大生物が暴れるってシーンにあるのですが、その シーンと人間との関わり合いってのが映画のドラマツルギーを支配するわけで、だから 巨大生物暴れシーン V.S.人間ドラマ、この両者のバランスと絡み方ってのが当然重要に なるのですね。で、ジュラシック・パークって映画はそこらへんがどうだったかというと どうも動く巨大生物の絵を見せるための狂言回しとして登場人物達が扱われていたという感じが否めないのですね(小説ではどうなのかは知らないよ、あくまで映画での話)。 対するG1,G2に於いてその辺がどーなってるかというと、Gの方は、人類の生存を 脅かす巨大生物が現れたとして、人間達はどう反応するのだろうかって所がドラマの中心 になっているので、人間は当然いっぱい出てきますし、自衛隊だの環境庁だのワイドショー だの、しまいに週刊誌に夕刊紙なんてのまで出てきます。また、ジュラシック・パークの 場合は“謎”ってものは何にもないのであって、恐竜も科学的に復活させられた存在である し、その方法も丁寧に説明されている。恐竜の暴走に至る経過も順番に説明的に描かれて います。Gの方はといと、何故、この現代に突然、ガメラだのギャオスだのが復活して しまうのだろう?という疑問が大人には当然わいてくるのでして、だから馬鹿馬鹿しくて 観てられないってのも大人なのだろうけど、平成ガメラシリーズはその回答をちゃんと 用意してくれています。また、プラズマ火球を吐いたり、超音波メスを発射するような 生物が進化の過程で生まれるわけないじゃないの、って疑問についても、おぉ!成る程、 って回答が用意されているのですね。で、そういう謎があってそれに対する回答が用意さ れている分、そしてそれを人間達が明らかにしていくというドラマがある分、ジュラちゃ んより文字どうりドラマティックなのでありました。その上、過去に存在した恐竜をただ 復活させてしまったジュラちゃんの恐竜達より、大人を説得できる説明を用意しさえすれ ばどんな奇怪な巨大生物を登場させてもよかったガメラの方が登場する巨大生物に創造的 な面白さがある。特にG2は過去のシリーズに縛られず、従ってギャオスのような以前の シリーズで創られた巨大生物をなぞる必要がなかっただけ敵役の巨大生物が鮮烈でした。

※いとしの草体

 G2の敵役、レギオンは単体の敵ではありません。巨大レギオン、兵隊レギオン、草体の 三位一体の敵役です。単に敵が三種類いるってのじゃぁ全然なくて、生態系ぐるみの侵略 というか、この三者が切っても切れない共生関係にある生物軍団としてやってくるって 所からして凄い新鮮な発想です。しかも、その三者、どれをとってもかっての日本怪獣 映画の敵役達、まあつまり、中には人間がはいって演じてるのだろうなぁと想像される 敵役達と全くかけ離れた、素晴らしく斬新なデザインで造られています。あっ、日本映画でもこんなに凄いイメージの敵役が つくれたんだぁ、と嘆息してしまいます。特に私は“草体”ってのが大のお気に入り。 これはまぁ、レギオン軍団の卵みたいな物です。といっても、卵と言うより花に似ている。 だから草体という。レギオンは丈夫な隕石様の種子で宇宙を渡ってやってきます。で、 その繁殖はどうなされているかというと、

あ)珪藻土を分解してシリコンを作り、巨大草体を育てる(レギオンはシリコン生物)。
い)分解に伴って発生する酸素を利用して草体を大爆発させ、そのエネルギーで種子を
  宇宙に発射する。

 つープロセスを経て繁殖するのですが、この“草体”、オブジェとしてもすっごい良い。 まさに悪夢の中で開花する花とはかくの如しと思わせる代物です。巨大な花弁。吹き出す 酸素、渦を巻いて尖った、巨大な花芯のまがまがしい極彩色。この“草体”の素晴らしい 美術にはショックを受けました。ノックアウトです。かって映画上でこれだけ鮮烈な オブジェを見せられたのはクローネンバーグ監督の映画“戦慄の絆”に登場する奇怪な 手術道具以来です。草体の爆発シーンも良かったなぁ。おかげで仙台が消滅してしまい ます。大爆発で都会が消滅するシーンってアニメーションや劇画の世界ではかって幾度も 表現されたイメージだけど特撮で描かれたのは観たことがないなぁ。G2では大変な 迫力で描かれています。G2を二回観た私など何だか、映画に洗脳されてしまって、今 こうしていても仙台が何事もなく無事存在しているのが半分信じられない(オイオイ、、 仙台の方、お許し下さいませ)よーな気分です。先日も勤務先の子会社の仙台営業所から 電話がかかってきたとき、思わず、被害はなかったですか?と訊きかけてしまった(オイ オイ、ホントかよ?)。

 当たり前ですけど、映画って、いい“絵”があってこそグッと引き締まるでしょう。 ジュラシック・パークなんて、恐竜があたかも眼前で生きているかのように動く、って 絵を撮りたくて作られた映画のように思えてしまうのですが、平成ガメラシリーズにも 勿論、草体や仙台消滅だけでなく、数々の名場面=“絵”があります。それがあってこそ の傑作であり、強烈な印象であり、こーしていい年こいたオッサンが延々とガメラ、ガメラ 、と書き綴っている訳なのですが。G1での名場面と言えば何と言っても東京タワーに 営巣するギャオスですねー。東京タワーはギャオスの巧みな逃げの為に自衛隊のミサイル が誤って当たってしまい展望台上部の所から折れてしまいます。で、そこにギャオスは営巣 してしまいます。破壊された東京タワーに巣を作り羽を休めるギャオス、それを夕暮れの 沈み行く太陽の光に逆光で捉えられたショットの素晴らしさ!なんという素敵な、まさに 映画的というべき映像美!G2では先に書いた草体、もー、私はこの草体ちゃんにノック アウトされてまして、草体の出てくるシーンはどこも大スキって塩梅で我を失います (苦笑)。それから仙台消失ですね。その他にも名場面が沢山ありました。

  1. ガメラの登場シーン。三陸沖、海中からイルカの群を割ってその巨体を現す。そして天空に舞い上がり、夜空に青い炎で美しい十字を描く。CGですね。とってもファンタスティックです。“Guardian of the universe(大宇宙の守護神)”としてのガメラのイメージが鮮烈にアピールされます。
  2. ガメラ、札幌退却のシーン。まとわりつく小レギオン(群体レギオン)を身体から振り払うように巨体を回転させながら夜空に飛び立つガメラ。この回転するガメラの重量感!ジェット噴射の美しさ。
  3. 霞目飛行場でのガメラとレギオンの対決シーン。人間の目の高さから捉えたガメラとレギオンの対決はその巨大さが怖ろしくリアルに伝わってきて大迫力。その上、視点 とガメラ&レギオンの間に実物の航空自衛隊ヘリが翼を回転させているから、より一層 リアル。どーやって撮影して合成したのだろう?という技術的疑問も考えていると夜も 眠れぬ程不思議なのであるが、そーゆー技術的問題でコーフンするのではなく、カメラ アングルと、迫力がまさに“絵”になって迫ってくるのですね。この後、ヘリが飛び立 ってからは一転してカメラは俯瞰になります。でも、ヘリが手前にいて、怪獣が下にい て闘っていて、飛行場は戦いの為に滑走路がぼこぼこになっていて、、こんなアングル、かってどの巨大生物映画でも撮られたことないんじゃないとおもう。見事!です、、。

 どーです、そこの未見のあなた、失敗した!そんなファンタスティックな映画なのだったら 観とくんだった!と思ってるんじゃぁありませんか?そーです、あなたは失敗しました。 でもまだチャンスはあります。ビデオじゃぁ迫力は全部伝わらないだろうと思いますが、 それでも観ないよりはましかもしれない。LD(G2のLDは1997年1月発売開始予定!) ならより一層ましだろう、、、、、。とりあえずそういったメディアで観てみましょう! でも、もし、リヴァイバル上映、上映会等あったら是非スクリーンで体験してみて下さいね!

※G3の運命や如何に!?

 とゆー、結構ガメラに入れ込んでしまっている私の目下最大の個人的関心事と言えば、これ はもう、平成ガメラシリーズの第三作は製作されるのだろうか?それとも、G2をもって、 平成ガメラシリーズは打ち切られてしまうのだろうか?といういう点にあります。G2の 劇場販売パンフに記載された脚本の伊藤和典氏の発言を引用します。

}}「こりゃ三部作だわ・・・・」
}}前作『ガメラ・大怪獣空中決戦』の初号
}}が終わってまもなくのころ、脚本家は思
}}ったのでした。

(中略)

}}というわけで、この『G2』は序破急の
}}破に当たる部分になります。

 このような発言を目にした者としてはどーしたって次回作に期待してしまうじゃぁあーりま せんか!で、現実的にはどうかというと結構厳しい状況のようです。何故でしょう?まぁ、 単純にして困難な問題です。つまり、観客動員が制作側の期待に満たなかったのですねぇ。 (涙)もー、ジュラシック・パークは見に行くくせにガメラというとハナっから相手にして いない人達が多いんだからー。えー、G2の配収は約7億円だったらしいです。制作側は あわよくば15億ぐらいとれないだろーか、と思っていたらしいのですねー。うーん。邦画 で15億と言えばスタジオ・ジブリの作品並みのヒットをしなければ、、、G1が映画 ファンの間では結構話題になり、数々の映画賞でも受賞(ブルーリボン賞、大阪映画祭、 よこはま映画祭、キネ旬6位etc)するなど高い評価がされたことにスタッフも自信を深め ていたのでしょーね。残念です。しかし、映画から得られる収入は配収だけではない。 ビデオの売れ行き、LDの売れ行き、関連グッズの売れ行きはまだまだこれからが勝負! どーです、そこのG2を見逃してしまった貴方、LDなどいかがでしょーか?(くどいよう だがG2のLDは1997年1月発売開始予定!です)

※昭和ガメラの思い出

-学園紛争の頃-

 すっごい、個人的なお話を書きます。こーして平成ガメラシリーズにすっかりノックアウト 状態の私ですが、なんと、昭和ガメラシリーズの頃もファンだったのだ。はじめて観た ガメラは“ガメラ対宇宙怪獣バイラス”でした。1968年って事は昭和43年ですねー。学園 紛争の盛んな頃でした。当時私は小学校5年生、広島市千田町二丁目って所にすんでました。
 ここは当時の広島大学本学に程近く、実際、家の隣は学生寮でした。小学校低学年の頃の 学生寮は平和で、時折の寮祭といえば、中庭にビアガーデンが出来て、テケテケの エレキバンドがベンチャーズを奏で、あの頃はまだ純情そうだった女子学生達と男子学生達 がダンスパーティなどしちゃう、なんてのどかなもんでしたが、小学生も高学年になってく るとピケはってロックアウトだの佐藤訪米断固粉砕だの70年安保断固粉砕だの全共闘の 巣窟になってきます。中庭でもビアガーデンじゃなくて黒テントだの赤テントだのの前衛 劇団がテントをはるようになりました。今思うと惜しかったなぁ、最も前衛だった頃 の赤テントなんて、観たかったもんですねぇ。でも、当時はなんせお子供様だったから テント芝居なんて怪しくて、あーゆーのはいけない造反学生が観るもんだと思ってました。
 8月6日(原爆記念日)の前になると全国からワサワサとヘルメットに手ぬぐいマスクの 学生さん達が大勢集まってきまして竹やり訓練をするのであった。しかしねぇー、竹やり 訓練ってのもなぁ、、子供の目から見ても、こんなもんじゃだめだわなぁーと思えてならな いのでありました。しかし、やってる当人達は必死であります。一晩中、突撃キィー!なん て女子大生が黄色い声で叫んでるのって五月蝿くてかないません。親父が遂にプッツンして 責任者は誰じゃ、なんてもんで文句を言いに行ったのですが、女子大生曰く、“革命のため です、あなた達も我慢しなさい!”とこれまた黄色い声でおっしゃったそーで。
 “革命”ねぇ、、こりゃだめだわと子供心に思ったもんでした。竹やり訓練で革命何て事を、大学生にもなって、しかも受験競争に勝残ってきた大学生が、わさわさと大量に集まってて誰ひとり その馬鹿馬鹿しさに気づかないようじゃぁ、あいつらどーしょーもないなぁ、などと思った ものでした。実際、それから30年近くが経って、彼等の世代が社会を動かす実権を握るよ うになっているのに、世の中、ぜーんぜん良くなんないもんね。気勢を上げてインターナシ ョナルをうたっていたあの人達の大半は結構、そこそこの所に就職したりしてんのにね。 定時になったら部長命令でタイムカードは押さされるけど、実際に帰宅が許して貰えるのは 最終電車ギリギリ前、なんて会社、いまでもゴロゴロしてるでしょー。そんでもって、その 部長ってのが元全共闘だったりすんの。アホらしくて。労働者大衆の為に闘っている、なん ていってたのは誰だったんでしょーね?あの日のインターナショナルの唄はやはり彼等の マスターベーションでしかなかったよーです。かくして日の本の国に過労死と家庭崩壊が はびこってゆくのであります。


(広島大学に籠城した全共闘によってなぎ倒されたメタセコイア群。命あるものとしての植物に対して、このような無惨なことが出来る連中によって、より良い社会が生まれるはずがない。ここに見られる、生命への冒涜からポルポトに至る距離は遠くない。写真は1969年、林邑一氏撮影)


(機動隊に向かって投げられた火炎瓶によって炎があがった広島大学構内。1969年、林邑一氏撮影)


(籠城する学生に対して催涙ガス弾を打つ機動隊。1969年、林邑一氏撮影)


(広島大学正門前にてジグザグデモを行う学生達。1969年、林邑一氏撮影)

-鷹の橋商店街-

 その頃、近所に鷹の橋商店街って所がありまして、当時は(今でもあるのかな)商店街の 本通りをちょっと横道に入ったところに幾つかの映画館がごちゃごちゃと入居している複合 施設がありました。複合施設と言えば聞こえがいいですが、ありがちな場末の映画館でした けど。今はどうだか知りませんが20年ぐらい前には一部の映画館はきれいに改装して 名画座になってパゾリーニ傑作選なんて上映してましたが、約30年前の当時は“温泉 芸者-イソギンチャク”だのと言った、何だか得体の知れない映画がかかっており、子供心もドキドキさせる原色な立て看板が出されていたものです。その頃から、邦画でも子供の休暇 (夏休み・冬休み・春休み)に合わしたファミリー路線の映画がかかるようになったような 気がします。あの、“夏休み・なんとか大会”って奴ですね。子供達が休みにはいると普段 は半分ポルノまがいの映画がかかっている小屋も一転して健全娯楽作品がかかることとなる のでした。

 私自身は怪獣映画に殆ど興味のない子供でした。それなりにウルトラシリーズなんてのも テレビで見てはいましたが、怪獣・ヒーロー物で観てたのはそのウルトラシリーズぐらいで他の物は殆ど観ませんでした。もう少し大きくなって、SF色の強かった初期のミラーマンを幾らか観たのと、高校生だか中学生の夏休み、再放送の宇宙猿人ゴリとマグマ大使を観たですが、これはマジに観てたのではなく、笑える対象として観ていたのでした。
 怪獣物より むしろ、洋物のテレビドラマってあの頃は多かったでしょ。あーゆーのが好きだったなぁ。 最近これも“ミッション・インポッシブル”として復活した“スパイ大作戦”とか(新作、 観ました?あのラロ・シフリンのテーマを聴いてるだけでドキドキと嬉しくなってしまいま すねー)、“インベーダー”(デビッド・ビンセントはとある夜更け、疲労と闘いながら車 を走らせていた、、、、って奴ですね)、“0011ナポレオン・ソロ”とか、、。アニメでも 洋物アニメって良いのがあったですねー、“トムとジェリー”とか、ヒッヒッヒって笑う犬 のでる(ケンケンでしたっけ?)のは何だったっけ?チキチキマシン猛レースかな?それか ら熊ゴローなんてのもあったな。宇宙家族ロビンソンってのもアニメだったかな?首の細いオトーサンがエスカレーターの長いのに乗って出てくるオープニングのアニメは?まぁいい 、そんなわけで洋物が全盛期だったのですね。
 で、昭和ガメラシリーズも周辺の子供達の間 ではすでに相当話題になっており、ビニールで出来たバルゴンモデルなんてのを持ってくる奴などもいたわけですが余り興味がなかった。ですので、昭和ガメラシリーズは最初から観 ていたわけではない。最初に観たのは“ガメラ対宇宙怪獣バイラス”でして、これは既に シリーズの4作目にもなっていたのですね。シリーズの第一作“大怪獣ガメラ”が公開され たのは1965年ですからシリーズ開始後、数年が経っている。どーして、“ガメラ対宇宙怪獣 バイラス”を観たのかというと、目的はこの映画ではなかったのです。併映の“妖怪百物語”を観たくて行きまして、ガメラはついでに観たという次第。
 この“妖怪百物語”って映画も 子供心にこれ、結構、いい映画なのじゃなかろーか、と気に入ったのですが、目的でなかっ た“ガメラ”はすっかり気に入りました。まず、冒頭に登場するバイラスが乗ってきた 宇宙船のデザインが宜しい。えー、奈良県天川村の天河神社のご神体“五十鈴”と言えば、 角川映画にもなった“天河伝説殺人事件(内田康夫作)”に登場するのでご存じの向きも 多かろうと思うのですが、あーゆーデザインをしているのです。つまり、球体が幾つか輪に なって並んでいて、それを回廊で結んでいる、というデザインですね。なんだか、とても 新鮮なデザインに見えたのです。その宇宙船を追って出現するガメラ、それが平成ガメラで もお馴染みの回転ジェットで現れるのですねー。当時の操演って今と比べれば頼りないもの だったと思いますがそれでも何だかシャープな導入部に感じられたのです。ガメラが宇宙人に操られたりするのも面白いアイデアでしたし最後の戦いも良かったな。部下達を吸収して 巨大化したバイラスがその尖った頭部(頭の割れた巨大イカのような姿をしている)を ガメラの腹部に突き刺しますと緑色のガメラの血がドッバーァーと流れるのも痛々しくて 結構感情移入させてくれました。映画の最後に流れる、“ガメラのマーチ”ってのも ありがちな歌詞だなーと子供心に思いながら、その曲調のあまりの調子良さについつい覚えてしまい、覚えてしまえば口ずさんでしまうという塩梅で、すっかりガメラに洗脳されたと いう次第でした。
 その後、“ガメラ対大悪獣ギロン(1969)”“ガメラ対大魔獣ジャイガー (1970)”という二本の映画をもって昭和のガメラ体験は終わります。その後、更にもう 一本、“ガメラ対深海怪獣ジグラ(1971)”ってのが公開されていますが、さすがにその頃 となると中学2年生、反抗期のまっただ中の少年としては“今更ガメラもなぁー”って感じ でしたので観ませんでした。しかし、このジグラの公開後、大映が倒産します。そのニュース をきいて真っ先に思ったのは、あぁ、これでもう二度とガメラを観ることが出来ないんだな ぁ、という感慨でした。何やらとっても寂しく感じました。かって親しんだガメラのマーチ が脳裏にあざやかに甦り、そのメロディが口をついて出てきそうになりましたが、それさえ 、あの快活なメロディさえ、なんだかもの悲しく思いだされるのでした。ガメラも倒産には 勝てないよなぁ、、、という現実に情けなくなったのかも知れません。

 しかし、、しかし、、1995年、突如としてガメラは銀幕に甦りました。実際は1980年に 宇宙怪獣ガメラとして一度甦ってますが、この映画はパロディ映画のよーなもんです。 新しく撮られた特撮部分は殆どありません。過去のフィルムのつぎはぎにおざなりな ストーリーをくっつけて公開された映画です。ですから、本当のガメラの復活は1995年の 平成ガメラシリーズだと言いたい。しかも今度の平成ガメラは凄かった。スピードも迫力も ディティールも、、あの回転ジェットもパワーアップして健在でした。平成ガメラがはじめ て回転ジェットを見せたG1でのガメラが福岡ドームから飛び立つシーン、あのシーンで 思わず鳥肌が立ったり、涙腺うるうるになってしまった30代後半〜40才ぐらいの、かってのガメラファン少年って結構多かったのではと思うのです。

 これだけ素晴らしく復活したガメラがG1,G2の二作品でまた、いつ目覚めるか判らない 眠りについてしまうっていうのは、とっても、とっても寂しい話です。かって大映が倒産してしまった時以上にガメラにとりつかれてしまっている私としては、もーホントにやるせな い話です。ですから何とかせめてG3までは製作して欲しい!と切に願望する訳であります。 とゆーわけですから、そこのガメラ未体験のあなた、今すぐLDを買いに行きましょう! なにっ?LDプレーヤがないですと?では買いましょーね。実は私も持ってないので買わね ばの娘なのであります。ではでは、、、、、、、。(再三くどいけれどもG2のLDは1997 年1月発売開始予定!ね)



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