戻る - 参加 

キユーピー林の亜細亜備忘録へようこそ!

2002年5月12日  海雲台の怪人

海雲台の怪人

出張で韓国を、馬山→麗水→鹿洞→順天→釜山と5泊6日で回ってきまして、先ほど(16:30頃)帰宅した所です。

釜山海雲台の天然温泉のモギョクタン(大衆浴場)で妙なオヤジを見ました。幾分シモネタなので、ちょっと女性向けの話ではないのですが、あんまり可笑しかったので書きます。

サウナに水の張った洗面器を持って入ってきたそのオヤジ、しばらくするとおもむろに両足で洗面器を挟み、その張られた水のなかに男性自身を浸したのです。男性自身はあまり熱しない方がよいという、○冷法という精力増進法がありますが、その信奉者なのであろうか、とあきれながら見ておりますと、しばらくしてオヤジ、その男性自身が浸っておる洗面器の水でバシャバシャと顔を洗いだしたのであります。これにはビックリしました。まぁ、きっと石けんで体全体きれいにした後なのでしょうが(そう思いたい)、、。

モギョクタンに同行していた韓国人の知人に、あーゆー事はしばしば見受けられる行為なのだろうか?と訊いたところ、いや、それは前代未聞だ、と笑っておりました。その後、その知人の奥さんを含め、会食をしたのですが、この話題でしばらく盛り上がりました。

会食は釜山広安里の巨大刺身屋台街で刺身・メウンタン・焼酎、という楽しいものだったのですが、食事の後、ノレバンでしばらく唸って、コンナムルクッパプを二人で一杯ずつ&マッコリハンジャンしたら12時近くになっていました。さあ、それからが大変。タクシーがつかまらない。例によってタクシーの取り合いです。もちろん、ハプスンだし。広安里は夜更けまで大変な人出で景気の良いこと羨ましいものがありました。





(写真は巨大刺身屋台街にて)
2001年8月26日  『All That Jazz』再訪

『All That Jazz』再訪

2年ぶりにソウル・イーテウォン(梨泰院)の本格ジャズクラブ、『All That Jazz』に行った(2001年8月17日)。この店、一昨年のソウル訪問時に訪れて、その時のグループが素晴らしく、また、あのようなジャズが聴きたいものだと今回の再訪となった。

こちらで聴かせるジャズは、所謂、ムードミュージック的な、『カクテル・ジャズ』では全然なくて、本格的、アグレッシブなそれなので、本当のジャズファンの鑑賞に充分耐えるというか、挑んでくるジャズなのである。だから、逆に、ピアノトリオとカクテルで彼女と良いムードにという手合いには向かない筈なのだ。何故、ここで『向かない筈』などと書いたかというと、凄いアグレッシブな演奏をしている、その面前でイチャイチャしているカップルが二組もあったのである。いやぁ、まいるねぇ。

この日のグループは、ギター、ドラム、ベース、パーカッション、ピアノという編成。曲の多くはスタンダードなのだが、そのアレンジはかなり大胆で、すこぶるモダン。ヨシヒコの好きなYou don't know what love isも演奏されたが、なんとボサノバになっていた。これも、なかなか濃密なムードで宜しい。その他、ファンク・ビート仕立ての『朝日の如くさわやかに』なども印象に残るアレンジだった。一昨年この店で聴いたグループではドラム・ギター・ベースの韓国人奏者三人につき、幾分かの力不足が否めなかった。しかし、今回聴いたグループは全員が韓国人奏者だったが、素晴らしいギターを筆頭に、ベースもかなり迫力あり、ドラムも好感持てる力いっぱいなプレイを聴かせた。ピアノの女性プレーヤーの力不足が残念だったけれど、他のメンバーのプレイで十分にカヴァーされていた。

ギターのキム・ミンスク氏は中でも素晴らしい演奏を聴かせてくれた。論理的にアウトするプレイと、軽やかな運指とピッキングは見事なものだが、単なる、早弾きでアウトするフレージング満載というだけでは、グイグイと来る迫力は生まれない。盛り上げを作るのが上手いのだ。そして、その盛り上げが、これでもか、これでもか、と何度もやってきて、一度目より二度目、二度目より三度目、と回を重ねるほどに迫力の盛り上げを作るのだ。パット・メセニーあたりの影響を感じさせるところもあるが、ペンタトニック・フレーズ(ギタリストは多用しがちである)をあまり感じさせない所はハンコックあたりのピアニストのフレーズを研究したのかも知れない。と言っても、右手中指、薬指、小指を使ってのアルペジオ・フレーズの上手な使用はギタリストらしく、ギターの様々な可能性を良く研究していると、大変感心させられたのだった。関西の素晴らしいピアニスト、中村真とでも組ませたら、本当に凄いユニットが出来るのでは無かろうか。是非、セッションさせてみたいものだ。

(帰国後、韓国ジャズファンのサイトの掲示板にて問い合わせたところ、キム・ミンスク氏はすでに二枚のリーダー・アルバムを出していて、ジャズファンの間では才人として知られている人物とのことであった。しかし、現在リーダーグループを持っていないので、彼のプレイが聴けたのはラッキーだそうだ。うーん、こういう才能あるギタリストこそ、どんどん活躍して欲しいものだが、、、)


(写真はAll that jazz入り口)
2000年9月3日  Basilisk IIでKorean Language Kit その2

(→続き)

しかし、起動は成功したものの、ここからの道のりの長かったこと、、。まず、
CDを認識してくれない、Ethernetにつながらない、モデムを認識してくれな
い、私のVAIOにはフロッピーがついていない(USBやEthernetを利用すればフ
ロッピーがなくても普段は全然不便しないのである)、つまり、外部とのデータ
のやり取りが全く不能なマックになってしまいました。まるでウィンドウズ内の
座敷牢に閉じ込められた可哀想なマックちゃん、といった風情です。CDの認識
は設定ミスだったので比較的容易に解決しましたが、Ethernetへの接続は、も
う、大変でした。Basilisk専用のドライバーファイルをウィンドウズ側にイン
ストールしなければならないのですが、それがどうやっても成功しない。イン
ターネット上のBasiliskの会議室の過去ログを読んだり、質問をしたり、メー
リングリストのログを読んだり、ずいぶんあれこれと試しましたがどれも失敗。
結局、分かったのは、Basilisk のダウンロード・ページ、トップページからダウ
ンロード出来るようになっているファイル(build130)は何と最新のファイルで
はない!のでした。実は、最新のファイル(build135)は"recent"と言う階層
の方に入っているのであり、それもダウンロードして来てbuild130に上書きコ
ピーし(build135はフルセットでないので)、尚且つ、同階層にあるEthernet
ドライバーを落としてきてbuild130のドライバ類と入れ換えねばならないので
した。大変複雑怪奇ですが、こうしなければ、VAIOで動くドライバーはインス
トール出来ない、という事なのであります(8月中旬現在)。これは数週間に及
ぶ試行錯誤、及び、Basilisk関連掲示板での探求の結果、やっと明らかになっ
た正しいインストール法であります(8月31日現在は、その掲示板が設置されて
いるホームページ(http://write.asahi.ne.jp/computer/BasiliskII/
basiliskII.html)に、それらの詳しい情報が記載されています)。

こうした長い道のりの末、やっと私のBasiliskはEthernetでアップルトークに
も、プリンターにも繋がりましたし、CDも認識するようになり、入出力環境が
整ったのです。

さて、ここに至り、私は当初の目標のKorean Language Kitのインストールに
かかったのですが、ここにも障害が。Korean Language Kitのインストーラー
が“ハードディスクの空きが不足しています”と言うのです。しかし、作成した
ハードディスク・イメージのサイズは110M。システムが使用している領域は
70M。インストーラーが要求してくるディスクの空きは24M。40Mも余裕が有
るのに、なんで駄目なのぉ?とプッツンしそうになりながら、あちこちとチェッ
クしても理由が分からない。Basilisk付属の設定ユーティリティーで作成し
た、300Mのハードディスク・イメージは起動ディスクとしては使えないので、
そちらにシステムを作っても意味がない。どうしろってーの、と叫びそうになっ
たとき、ハタ、と気がついた。仮想メモリーがオンになっているのではないか?
で、ディスクを浪費しているのではないか?その通りでした。仮想ディスクを
300Mのディスクの方に設定して再起動したのち、インストールについに成功し
たのです。

さて、使用感ですが、結構快適です。実際、処理能力そのものも実機のL/C575
より早いのではないでしょうか。そして、多分、ハードディスクへのアクセスも
ディスクイメージを使っているからかどうか分かりませんが、何だか早そうで
す。ただし、フォルダーの開閉、アイコンの選択がギクシャクしますが、これは
ひょっとするとOS7.6.1の元来の特性かもしれない。それにしても、68Kマッ
クのエミュレーションとは言え、これだけの体感速度があれば、ワープロ利用に
は十二分な性能と思います。有り難いことに、親しんできた、Mac用の暇つぶ
しゲーム類(テトリスとかコラムスとか、、)も使えるようになりました。
2000年9月3日  Basilisk IIでKorean Language Kit その1

Basilisk IIでKorean Language Kit

先般(7月の中旬)まで、PowerBook 1400 with G3 card(マッキントッ
シュのノートパソコンにG3アクセラレータをのせたもの)を会社でも使ってい
ました。Korean Language Kitをインストールしていたので、主に利用してい
るワープロソフトのWord Perfectで快適に韓国語文書も作成出来ていました。

しかし、寄る年波(って、一体、何歳だ?)には勝てず、重いPowerBook
1400を持ち歩くのが辛くなり、また、会社のランがご多分に漏れずWindows
NTだし、ネットワーク・ページプリンターがマックからは使えないし、そんなこ
んなで、VAIOのZ505G/BPってのに乗り換えました。と言っても、会社でだけ
ですが。自宅では変わらずMacintosh派。

さて、困ったのが、韓国語環境とHyperCardです。HyperCardは経理が各部門
に経費を割り振ってくる、その経費を部門内の各課に割り振る、その金額を計算
するスクリプト(スタック)を作っており、それを月末・月初に使っていたので
すが、ウィンドウズでは走りません。また、ウィンドズのワードで韓国語を使お
うとすると、新たに環境に投資を要すると。

どうしたものかなぁ、と考えていた所に目についたのがパソコン雑誌に載ってい
た、フリーウェアの68Kマッキントッシュのエミュレーターである、Basilisk
IIに関する記事。これをインストールすればバッチリではないか、と考え、早速
に着手しました。

まぁ、しかし、そのインストールの一筋縄では行かぬ事ったらありゃしません。
随分、苦労しました。手持ちの68Kマック(9,000円で買ったL/C575)か
ら、Basilisk付属のユーティリティーでROMイメージを吸い出します。これは
簡単でした。それから、システム(8.1 より古い68Kマックのシステム)の
入ったディスク・イメージを作るのですが、これが面倒くさい。L/C575にヤノ
製128M・MOのドライバをフロッピーからインストールしてMOを認識させるよ
うにしました。それから、アップル製のユーティリティー、ディスクコピーを起
動して、110Mのディスク・イメージを作り、そこに575のシステムを丸ごとコ
ピーします。それから、DOSでフォーマットしたMOを挿入して、出来たディス
クイメージをコピー。この時、575に入っている、圧縮・解凍関係やアップル付
属の各種アプリケーション(ハイパーカード等)、また、各種ユーティリティー
等々も別のDOSでフォーマットしたMOにコピーしました。

630MのMOも持っているのですが、これはマックにはUSBでつながっており、
DOSフォーマットを認識してくれないのです。で、110Mのディスクイメージ
しか起動ディスクとしては持ってこれなかった事が、Basilisk上においても起
動ディスクは110M迄、となってしまうのでありました。というのは、
Basilisk付属の設定ユーティリティーで作成出来るハードディスク・イメージは
大きな容量を設定出来るものの、どうも、それで作ったイメージにマックのシス
テムをコピーしても、それを起動ディスクと認識させるのが一筋縄ではないよう
なのです。少なくとも私には出来なかったし、他でも起動ディスクはマック側で
作ったディスク・イメージをコピーするのが一番早道との記述を多く見ました。

VAIOにつないだ630MのMOに128MのMOを挿入して、Basiliskのセットアッ
プ・フォルダーにディスク・イメージをコピー、Basilisk付属の設定ユーティリ
ティーにて各種設定を済ませ、はじめてBasiliskを起動。しゃーん、という、
マックの起動音がVAIOから流れて起動成功!

(→続く)
2000年2月17日  シュリ

シュリ

マイカル明石で韓国映画の“シュリ”がかかったので観に行きました。こー
ゆーメジャーな小屋で韓国映画が掛かるのは近辺では初めてです。ただし、こ
の映画、神戸では三宮近辺でもちょっと前までかかってましたが。マイカル明
石でかかったのは、この土曜日(2月12日)からです。

お話は、ニキータとヒートを併せて、間諜物&悲恋物にしたような話ですが、
大層楽しめました。とにかく、テンポの小気味よさと銃撃戦の迫力、悪役の存
在感・重量感が凄いこと。率直なところ、ひょっとしたら制作中に意識してい
たかもしれない、“ニキータ”より個人的には感情を揺さぶられました。

銃撃戦については、ちょっと、揺れすぎるカメラが気になるのですが、それを
割り引いても迫力はハリウッド映画以上かも知れない。というのは、やはり画
面の中で銃火器を扱う男性達が隅々まで皆、徹底して凄みがあるのです。多
分、徴兵制のある国だからだろうと思います。

悪役の説得力、存在理由、これも大した出来でした。悪役にも感情移入させて
しまう演出と役者の演技、脚本の妙を十二分に堪能させてくれました。

惜しむらくは、編集の問題か、何かの都合でカットされたのか、シーンとシー
ンのつながりが良く分からない箇所が一カ所あったのですが、それをさっ引い
ても、是非、一見の価値ある作品になっていると思いました。
2000年2月17日 (土)  インドネシアは苦手

インドネシアは苦手

2月5日から2月9日までスラバヤを訪問しました。今回はデンパサール(バリ)
で一泊して、その翌日から9日までをスラバヤで過ごし、9日の夕方の便でジャ
カルタに飛び、ジャカルタ夜出発、関空早朝着の便で帰国した次第。

それで、ジャカルタ出国の際なのですが、イミグレの管理官に“あなたが観光
で入国したとは思えない、だから、簡単に出国させる訳にいかない”と文句を
つけられました。いや、観光です、ととぼけたのですが、“じゃぁ、バリに一
泊だけで、スラバヤあたりで何泊もして何を観光していたのか、それにノート
ブック・パソコンを担いで観光と言うのは信じがたい”と言うので、“友人に
会ってました”と言うと、“君は会社員だと言うことだが、何の仕事をしてい
るのか、また、その友人とはどういう知り合いだ”と訊きます。それで、“貿
易の仕事、干し小魚の仕事をしていて、その取引を通じての友人だ”と答えた
ところ、じゃぁ、それは仕事ではないか、君は我が国の入国管理法に違反して
いる、と偉そうにのたまうのでした。

まぁ、正直なところ、主目的は取引先に会ったり、商品を検品したりでしたか
ら、本来はビジネス・ビザを取得しなければならないのですけどね。でも、干
し小魚業界の関係者で、実際にビジネス・ビザを取得して訪インドネシアし
たって話は聞いたことないです。また、イミグレで捕まったって話も聞いたこ
とがない。大体、一回の訪問でせいぜい、四日〜一週間ぐらいしかいないです
し。ビジネス・ビザの取得には招請状だの、過去の訪問記録だの、ごちゃご
ちゃ書類が必要な上、経費も掛かるわ、日数もかかるわ、面倒で面倒で。

しかし、今回は、出国の際に別途に書類に色々書かされた上、次回からはビジ
ネス・ビザを取得してこなければ、入国させないなどと説教されましたので、
ひょっとすると、入国管理のブラックリストに入力されたかも知れません。
こっちに問題あるだろーけど、やっぱり腹立つなぁ。しかし、なんで、こんな
に官僚的に細かいことを言うのだろう。

過去、訪インドネシアでは二回も食あたりにあってるし(抗生物質を飲まねば
治らないしつこい奴)、一回はスラバヤからジャカルタへの飛行機が遅れに遅
れて、日本に持って帰ってもどーしよーもない、インドネシア・ルピアの札束
を抱えて右往左往させられたって事もあったし(空港内の銀行が閉まってし
まったのである)、関空からジャカルタへのガルーダ便が飛ばず、他の会社の
便に乗せられて、到着が何時間も遅れてしまった事もあったし、そういった些
末と言えば些末な事ながら相性がどうも良くない。対インドネシアの商売で
は、一旦、商談のまとまった商品が無断で他のより価格の高い先に流されて損
をさせられた事をはじめ、他にも、実に様々なトラブルと実に大きな損を経験
させられた事も幾度にもなります。

という訳で、ホントの所はインドネシアはちょっと苦手。だから、帰国便の中
でいちゃいちゃしている、バリ帰りの若いカップルや、女性グループを見てる
と何だか、腹が立ってくるやら、むなしいやら。あぁ、バンコク出張したい
なぁ。
1999年12月31日 (土)  釜山での食事(99/12/29-12/30)

三日目

朝食はホテルの近所の食堂で食べました。食べたのはスンドゥブ(柔らかい豆腐の入った辛いチゲ)です。これもまた素朴で大好きな料理です。それから、取引先と一緒に馬山の冷蔵庫を二軒、検品とサンプル取りのために訪問しました。

昼には馬山のロイヤルホテルの近所の日式店で生明太(助宗鱈)のメウンタンを食べました。ヒラメの刺身少々とその他色々のパンチャン類、それからメウンタンです。明太は鮮度の落ちるのが早いですが、鮮度の良い内は真鱈より美味しいぐらいです。で、卵(明太子)も持っていて、なかなか旨いメウンタンでした。

それから、もう一軒、冷蔵庫をまわってサンプル取りを行い、2時間かかって釜山のホテルに戻り、日本の顧客のあれこれに電話を入れ、検品の報告や、商談を行いました。また、電子メールをチェックすると、韓国から中国に以前直送した商品の荷姿について問い合わせが来ており、至急に返事されたい、という事でしたので、方々に電話して、必要事項を調査し、電子メールで返信を送りました。ラップトップを担いで出張するのは大変ですが、こんな事もあるので手放せません。ビジネス用に小型の機器が欲しいですが、先立つものが無いですし。

夜も取引先と会食です。釜山海雲台にてヘームルタン(海鮮鍋)を頂きました。タコ、手長蛸、つぶ、イカ、エビ、蟹、蛤、浅蜊、等々の海鮮物に、モヤシ、白菜等の野菜がたっぷり入り、ちょっとだけ辛めのスープで煮ながら頂きます。最後に、この鍋で煮られたモヤシと、鍋のスープ、それからコチュジャン、胡椒等で味付けされた、焼き飯が出るのですが、これが旨いこと、旨いこと。実に、この最後の焼き飯を頂くためだけに、この鍋を食べても良いな、と思わせるほどに旨い焼き飯でした。

四日目

ソウルでヘージャンクッを食べると、ソンジが入っているのが普通ですが、どうも他の都市では、ソンジがそれほど一般的でもないようで、ただヘージャンクッッと注文すれば、コンナムル・ヘージャンクッと言う、豆モヤシ入りのヘージャンクッが出ることが多いようです。しかし、釜山海雲台のマリオットホテル〜ハイアットホテルの山側の通りにある、コンビニの向かい側のヘージャンクッ専門店では、そのどちらも扱っており、釜山では珍しく、たっぷりのソンジが入っている、ヘージャンクッを頂くことが出来ました。私は朝食にはこれが一番です。

それから、ホテルに戻って荷物を整理し(サンプルが大量で重いこと重いこと)、帰国の途につきました。


(写真はソンジ・へージャンクッ)
1999年12月31日  釜山での食事(99/12/27-12/28)

釜山での食事(99/12/27〜30日)

一日目。

金海に到着するとそこから直接トンヨン(統営)に車で向かいました。途中、馬山の先の休憩所にて昼食にテンジャンチゲ。アサリ、蛤、ワタリガニが入っている、ヘームル・テンジャンチゲというシロモノで、これがなかなか旨かった。トンヨンで当日の検品を済ませて、夜は刺身で一杯やりました。刺身と言っても、刺身の他にもごちゃごちゃとパンチャン類(オカズの大皿・中皿・小皿)の出てくるあれですが。なかなか流行っている店で、忘年会(マンニョネー)の客ですし詰めでした。

二日目

朝、市場に出かけて魚を漁りました。メーギとか言う、アンコウもどきの妙ちきりんな魚が大量に売られていました。海水のたたえられたバケツの中で、丸くなって(あたかもコタツで眠るねこが如く)います。これは主にタン(湯)料理にして頂くのだそうです。我々はメーギは敬遠しまして、天然物の中くらいな鯛を二尾買って、スチロールボックスに氷と一緒に入れて貰い、釜山に持ち帰りました。これは晩に焼き魚となりました。

朝食には市場の中の食堂にてヘージャンクッ(解腸湯)を頂きました。ソンジ(牛の血を煮こごりのように固めた物)が入っていないのが、ちょっと寂しかったですけれど、味の方はなかなかのものでした。市場の食堂は旨い、と韓国でも言われている由。確かに店構えの方は、そうとう年季が入って、まぁ、率直に言えば、ガタが来ている塩梅でしたが、素朴な食べ物は往々にしてこういう所で頂くのが旨いものです。

その後、一仕事してトンヨンでの検品を終わらせ、釜山に戻りました。昼は前回の出張の時にも行った、銀行員上がりのオヤジがやってるカルビ屋にてヤンニョムカルビを食べました。

このオヤジ、某銀行で支店長代理あたりまで勤めたという、人品骨格卑しからぬ人物なのですが、思い立って職を辞し、カルビ屋を始めたという御仁。儒教文化の影響が今も色濃く残る韓国では、食べ物商売と言うものが、どちらかというと卑しい職業と考えられている傾向があります。だから、食い物商売で当たって、ちょっとまとまった金が溜まると、店を畳んで、実業に打って出たりする事も多い。それで、あそこの店は旨くて、客の入りも良くて流行っていたのに、なんで店を閉めてしまったんだろう、という事がしばしばあるわけです。また、多くの食堂では、おかみさんがひとり料理から接客、レジまであたふたとこなし、旦那と言えば、髪結いの亭主ではないですが、なんかそこら辺で一日中ごろごろしていたり(外でのんびりサウナに入っていたり)します。これも、男子たるもの、料理屋の仕事などやっているのは恥ずかしい、という妙な感覚があるのかもしれません。そんななか、このカルビ屋のオヤジは自ら包丁をふるって料理に励み、また、自ら毎朝早朝に起きて車を走らせ、オニャンという有名な肉の産地にて食材の仕入れを行っている、という熱心なオヤジです。で、確かに、味の方も、肉はもとより、パンチャン(おかず類)からパジョリ(肉と付け合わせて食べる、ネギの和え物)に至るまで大層旨いです。

昼食を済ませた後、釜山市内の冷蔵庫にて検品&サンプル取り。これで釜山での仕事は終わりました。ホテルにチェックインして、メールをチェック、インドネシアからメールが来ていたので返事を書いて送信。ラップトップを持ち込んだのでインターネット接続も簡単ですが、韓国にアクセスポイントがないので、福岡のアクセスポイント(釜山からの海底ケーブルは多分、福岡辺りに上陸しているのでは、という単純な発想)まで電話しているので、経済的ではありません。

夜、取引先(と言っても随分古いつきあいで殆ど友人である)の自宅にて、刺身と朝トンヨンで買った鯛をヤンニョムクイ(薬味焼き)にしたものを頂きました。刺身は私が包丁をしました。少し小骨が残ってしまいましたが、魚が良かった(天然もの)ので、二日続けての刺身ながら、また旨かったです。
1999年9月29日  バンコクのシーフードレストランにて。その2

(→続き)

すこし食べてみて、不味いから、ないし、自分の嗜好にあわないから食べな
い、と言うのではない、はなから全然食べてみようともしないのであります。
一応、彼らもモノがエビとは言え、シーフードのバイヤーなのになぁ。自己主
張、というより、保守的、というか、異文化に頬っかむりで(全然興味がない
のだ)、俺、世界中どこ行ってもアメリカの食いもんしかくわんけんねー、あ
んたら勝手に食べてりゃいいじゃん、って塩梅なのでしょうか?別段、喧嘩腰
とか、非友好的、とかそーゆーのではないのです。立ち居振る舞いは紳士的な
のですよ。しかし、その底に、他の文化の文脈で作られた食べ物に対する全き
無関心と、無意識的・消極的無視があるわけです。

彼ら米人の分も材料を買ってしまったですから(食べないって予想しなかっ
た)、食べきれずに料理が残ってしまいました。それらは招待者サイドの方達
がお持ち帰りにして貰ってましたから、残飯になったのではないですけれど
も、何やら、買い込みすぎて悪いことをしたなぁ、という気分にさせられまし
た。

食事会が終わって、招待者の方がホテルまで私を送ってくれたのですが、その
道中、車内にて、どうも、彼らが食べないとは思わなくて食材を買い込みす
ぎ、悪いことをしました、と話したところ、“彼らは小さいときから自己主張
を第一とする文化で育てられているので、皆と同じものを食べてみよう、そし
てまわりに溶け込んでみよう、というような意識はないのだ。だから、ハード
ロックカフェとかブルースウィルスの店とか、アメリカンフードの店が米人で
一杯だろう、タイ料理を試している米人もいることはいるが、こんな遠くまで
わざわざやって来てるのに、いつも喰ってるようなものしか食えない、いや、
喰わない連中が殆どなんだぜ。ちなみに昨日、あの二人とランチを一緒したん
だが、ステーキだったよ。やれやれ”という返事でした。

全ての米人が彼ら二人と同様って事はないのでしょうが、何だか、げんなりさ
せられた一夜でした。



(写真はバンコクのシーフードレストラン)
1999年9月29日  バンコクのシーフードレストランにて。その1

バンコク市内のスクームヴィット・ソイ24にある、巨大シーフードレストラ
ン、その名も“シーフード・マーケット”にて、先般、取引先主催の食事会に
誘われて出席する機会がありました。

このレストランは、大きなスーパーマーケットほどの建物でして、その内部も
スーパーマーケットのように、野菜コーナー、各種お酒のコーナー、鮮魚コー
ナー、果物コーナーと食材がずらりと並んでいます。それを手押し車に載せた
かごの中に放り込んで、レジに持って行って調理法を指示すると、これまた巨
大な調理部で調理してくれた上、客のテーブルに届く、というシステムです。
食材がどれも良く(活魚でない、死んだ魚の中には鮮度落ちを見掛けたことも
あるが、総じて悪くない)、調理も上手いので美味しく楽しいレストランとし
て、大変な人気を誇っているのです。

取引先は日本向けの各種冷凍水産物を扱うだけでなく、米国向けの商品も色々
と作っている会社で、この日も、米国からのエビのバイヤーが丁度来ていて、
食事会に同席しました。私と、他に日本から来ていたエビ関係の商社の方、そ
れと、取引先のマーケッティング担当者の三人が買い出し(食材の買い込み)
を頼まれました。それで、買い込んだのが、活魚のグルッパー(ハタのたぐ
い)、リービングのワタリガニ、ロブスター(上物とプーケットロブってい
う、ちょっと安いロブの二種類)、マナガツオ、アサリもどき、野菜類、ポマ
ロ(夏みかんとザボンを足して甘くしたような旨い果物)、フランスパン
等々。

それらの食材を、

※グルッパーは中華風の蒸しもの。白髪ネギと香菜(シャンツァイ・タイ語でパ
クチー)をあしらったもの。
※ワタリガニはワタリガニのカレーと、プーオブウンセンといって、小鍋で緑豆
の春雨と煮込んだもの。
※ロブスターは焼いて割いて食べやすくしたもの。
※マナガツオは揚げ物。
※アサリもどきはタイ式のバジルが利いたソースを絡めて炒めたもの。
※野菜類は野菜炒め。
※フランスパンはガーリックトースト。

このように調理して貰いました。それらの料理はどれも極楽なほどに旨かった
です。

食事会のはじめに、招待してくれた取引先が、米国向けに輸出している商品の
サンプルを出してきまして、試食しました。それは、ボイルして、頭、しっぽ
を取り、身をむいて、すぐに食べられるようにしたブラックタイガーをプラス
ティックにきれいに並べてパッケージしたもので、パッケージの中心には生の
トマトケチャップが充填してあります。で、エビにケチャップを付けて頂く、
というシロモノなのですが、ボイルして剥いたエビなんて淡泊な味です。それ
に濃厚なケッチャップをベターとつけて食べても、ケチャップの味しかしませ
ん。はっきり言って、大変不味いです。で、米国人バイヤーもいる事ですか
ら、小声で“あの、これ不味いというか、ケチャップの味しかしないんですけ
どぉ?”と恐る恐る言いました。すると、“いや、実は私もそう思う、しか
し、米人バイヤーがこれじゃなけりゃ売れないって言うから、、”という事で
した。で、こんな味の商品が大量に売れている市場ってなんなんだ、文化の違
いってだけの問題じゃないのでは?うーん、と密かに思う私でした。

そんな私を尻目に取引先の社長は、“このボイルむきえび&ケチャップ”こそ
が、本日のメインディッシュであって、これから運ばれてくるシーフード料理
の数々は、サイドディッシュでしか過ぎません!などと冗談を飛ばし、それを
聞いて皆、笑ったのでした。しかし、笑ってる場合じゃなかったのですね。

というのは、米人二人組は、運ばれてくる豪華シーフード料理の数々に全然、
見向きもしないのです。どうですか、これは旨いです、これこれの調理法で調
理した由緒或る料理です、などとしきりに勧められるのに、箸もつけようとし
ない、というか、自分の取り皿に運ぼうともしないのでした。それで、ケ
チャップエビやガーリックトーストを肴にワインをちびちび飲むのです。あま
つさえ、途中から、中位(成人男性中指大)のエビフライを別途に頼んで、そ
のエビフライを食べておりました。

(→以下続く)
1999年9月5日  姫路、コリアンタウン探訪記

姫路の魚町界隈がちょっとしたコリアンタウンの様相を呈している、という、
らみさん(パイザさんの掲示板の常連さん)からの情報を受け、早速偵察して
きました。

山陽姫路で降りて、大劇の筋を大劇を横目で見ながらしばらく直進し、ひめし
ん(姫路信用金庫)の角、タバコ屋の筋を入っていきます。すると、その一帯
にはハングルの看板がひしめいているのでした。

ミンソクチョン(民族村)、ナミチプ(なみの店)、三千里、ソウルプラザ、
ソウルサムゲタン、等々、、、

私たち(私と配偶者さん)は通りを奥の方まで一旦歩いて、それから、少し
戻って、一本、大劇よりの別の筋を通って戻りました。その途中にも、“カ
ヤ”“麗水”等々の多くの韓国居酒屋、料理店などが、、

こうして、通り二本分の偵察をしたのですが、あまりの韓国料理店の多さに、
一帯どこに入ったらよいのかさっぱり分からない。しかも、土曜の夕方7時15分
頃、というゴールデンタイムな筈なのに、多くの店がまだまだ準備中の風情
(実際には開店しているのに客が全然いなくて従業員がうだだってたりして)
で、どうも入りづらい雰囲気。

それで、探索中、外から見て客の姿が散見された、最初の通り(ナミチプの通
り)の奥の方にある、焼肉“テグ”に入りました。で、ブルコギとテンジャン
チゲ、白菜キムチ、生中2杯、ソジュ一本を食べました。感想:

ブルコギ:やや甘い。もう少しボリューム欲しい。
テンジャンチゲ:これは結構いける。しかし、あくまで単なるテンジャンチゲ
です。
白菜キムチ:旨い。
付け合わせのミッパンチャン類:カットゥギとイワノリが旨かった。

で、ネカの方。高い。ブルコギ¥2000X2&テンジャンチゲ¥1000X2&キムチ
¥300X1&生中¥600(たけーでやんの)X2&輸入ソジュ¥1000X1&白飯¥?
(失念)x2&消費税で合計¥9,500円。

料理の方はメニューによれば、他にもケージャン¥4000(どえれー値段!)、
ヘームルタン¥3500、サンナクチ鍋¥4000、キムチチゲ¥1000、テグタン¥?
(表記無し)、ナクチポックム¥?(失念)等々、色々あるようでした。焼肉
のメニューで、サムギョプサルが“三段腹”と漢字表記されているのには笑っ
てしまいました。ホントにこう呼ぶの?

8時半頃店を出て帰途、あれこれの店の様子を窺ってみたのですが、ナミチプ
(ポジャンマチャ形態の炭焼料理店)には、この時刻に至っても客がゼロ。
うーん、経営大丈夫なのだろうか?民族村もどうも、ひとけが無かった。コプ
チャンチョンゴルの三千里は数名の客が。でも、この店、調理場と客席が完全
に別の部屋になっており、その間にはビル内の通路が、、。で、客席は通路か
ら丸見え。うーん、この構造は入りづらいぞ。

その他の焼肉店を外から観察してもどうも閑古鳥状態の様子でありました。8時
半という時間はまだまだ宵の口なのでありましょうか(ターゲットがホステス
さん達だったりすれば、混むのは夜中になる可能性も)?それとも、平日の方
が仕事帰り客が多いのか?これだけの数の韓国料理店が軒を並べるという事は
需要がそれだけある筈。きっと、多忙な日or時間帯があるのでしょう。
1999年8月31日  ウンヒョングンのサンディ・アート・ショウ

地下鉄安国駅から程近く、三一路沿いにある小さな故宮、ウンヒョングンで
は、4月から10月中旬の毎週日曜日、午後5時より伝統芸能の無料公演が行わ
れています。で、私たちは8/15日の“ドラム・アンサンブル”って公演を観て
きました。いやぁ、実に素晴らしかったです。

小生、この十数年間、幾度と無く訪韓を繰り返しておりながら、伝統芸能って
殆ど観たことがなかったのでありました。これはたいへん迂闊でした。あれ
は、凄い楽しめます。

以前、サムルノリに凝りまして、カセットも何本も持っているし、愛聴もして
いたのですが、これも、実物は観たことがなかったです。聴いてるだけで十分
楽しめるので、ついつい、ライブに足を運んだことがなかったのですが、これ
も失敗だったと今では思っている次第。

で、当日の“ドラムアンサンブル”って出し物ですが、これは、当日のハイラ
イトでした。でも、他にも、様々な舞踊の出し物がありまして、その最後の演
目が“ドラムアンサンブル”だったのです。

踊りも“ドラムアンサンブル”も、演者はソウル芸術大学の先生と生徒さん
達。学生さん達が皆さん、たいへんな美人揃いなのには吃驚してしまいます。
というか、チマ・チョゴリを基本とした、あでやかな衣装があまりによく似合
うもので、ホントに美しく見えるのですよ。ムーダン(巫女)の踊りや、明る
い色の長い袖口の衣装で踊る踊り、先生によるソロの踊り、等々、どの踊りも
素敵でした。中でも、有名な“扇の舞”の美しいこと。こういうものはどう
も、韓国観光ってイメージが先行して、ひねくれた旅行者は敬遠してしまいが
ちなのか(そーゆーのは私だけか?)も知れませんが、それはあまりにもった
いない。もう、豊饒で華麗、優美な踊り(演者も良いのだと思います)には驚
いて、息を飲むほどでした。

そうした、踊りの後、舞台の後ろに、5色に彩色された、随分沢山沢山の太鼓
が並べられました。そして、前には男性によるパーカションアンサンブルが陣
取りました。で、綺麗な衣装の娘さん達が沢山出てきて、後方の太鼓群の前に
立ちました。そして、一斉に素晴らしい、パーカッションアンサンブルが演奏
されました。娘さん達はとても、息のあった演奏をしました。彼女たちが太鼓
を叩く行為、そのものが踊りのようにアレンジされていて、それは長丁場なが
ら、一糸も乱れず、最後まで、驚異的なパフォーマンスになっていました。

ただ、定められたように太鼓を叩いて、それが息が合っていて、良かった
ね、ってのではなくて、見せるパフォーマンスの素晴らしさもさることなが
ら、音楽的にも、間違いなく、凄いレベルに達していました。そのリズムの素
晴らしさ、躍動感、緩急ある表現、クライマックスの盛り上がり。観客席から
は何度も、自発的な拍手がおきました。

という訳で、実に良いものを観た、という満足感にどっぷり浸れた公演でし
た。別段、外国人向けの観光公演ではないので、肌の白い方達も幾人か散見し
ましたが、殆どの観客は地元の方達だった様子です。老人の方達もいらっしゃ
いましたが、若い方達も多く来ていました。

なお、“Sunday Art Show at Unhyon-gung Palace”の詳細については、以下の
サイトで読めます。

“http://www.metro.seoul.kr/eng/news/data/unhyon_event.html”
1999年8月23日  ブルースのライブハウスのこと(ソウルにて)

ブルースのライブハウスには4日目の晩に行った。店名:Just Blues、場所:
イーテウォン、ハミルトンホテルから道を挟んで向かい側の歩道を、しばらく
西に下ったあたり。店の看板に注意して歩けば直ぐに見つかる。

二日目に聴いたジャズが思いの外、ハードでご機嫌な演奏だっただけに、かな
り期待して入ったのですが、ちょいと期待はずれ。当日のメンバーはブルー
ス・ハープ(白人)以外は全員、韓国人奏者。編成はブルース・ハープ、ギ
ター兼ボーカル、ベース、ドラム、ギターの5名。

ブルース・ハープはなかなか聴かせる演奏でしたが、それ以外はいまいち。

唄   :ファンキーさに欠ける。気合いが入ってないのでのっぺりしてる。
ギター1:可もなく不可もなく存在感もなく。
ギター2:運指等の巧さはあるのだが、ソロが一本調子でボリュームがでかす
     ぎる。ようするに唄わない。
ベース :遊びがなさすぎる。のりものっぺりしててファンキーさに欠ける。
ドラム :これも、真面目なドラムなのだけど、のっぺりしててファンキーさ
     に欠ける。

おしなべて、ヘタではないんだが、大味で気合いに欠け、几帳面に一曲をこな
しはするものの、ブルースらしい、奔放さとファンキーさに欠ける演奏でし
た。まぁ、よーするに、もひとつです。

しかし、店のために擁護するならば、この夜は月曜日で客もまばら、演奏は全
然聴かず、わぁわぁと盛り上がってる小グループもいたし、やる気はあんまり
出なかったかも知れない。また、当夜のバンドはハウスバンドながら、水曜
(木曜だったかな?)はセッションの日になってるし、週末は別のバンドが入
るようでした。もしかすると、この週末の“別のバンド”ってのは、悪くない
バンドかも知れないです。

それから、特筆すべきは、この店のウェイトレスの娘さん。明るく、元気が良
くて、愛想良くて、、つまり、はつらつとして可愛い。こーゆー、如何にも、
看板むすめって感じのお嬢さん、韓国の飲食店では滅多にお会いしません。こ
れは貴重なのでは?店を出るときにも、また来て下さいねーって元気にお見送
り。いいなぁ。気持ちが良かったです。ちなみに、さすがにブルースの店だけ
あってコミュニケーションは英語でした。

という訳で、週末以外は(週末がどうなのか未確認って意味で)今の所、バン
ドにはあまり期待できない予想でありますが、明るい看板娘さんに会いに行っ
てみられるのも男性諸氏には一興であろうかと、、。ちなみに、ネカの方です
が、二人でビール小瓶2、カクテル1、タコスチップ1、ワンステージ見て
W21,000ですから、約¥2100ぐらいって所でした。店の窓から見える、月曜夜
のイーテウォン通りがなかなか寂しくて味がありました
1999年8月22日  ソウルでジャズとブルースを、、

ソウルでジャズとブルースを聴いてきました。キャバレーで人気歌手達の唄を
聴いたことは何度か有るのですが、ジャズやブルースのライブハウスに行った
のは初めてです。

ジャズは土曜の夜にイーテウォンのAll That Jazzにて。ここは、ハミルトンホ
テルから、ハミルトン側の通りを西に幾分降りていった所にあるライブ・ハウ
ス。

いやぁ、なかなか良かったです。前半、ギター、ベース、ドラム、キーボー
ド、テナーといった編成。このうち、ギター、ベース、ドラムは韓国人ミュー
ジシャン。キーボードは幾分、黒人の血が入ったラテン系って感じ(ちょっと
よくわからんかった)。テナーは比較的小柄な白人男性。途中から、ソプラノ
とテナーの持ち換えの黒人男性も加わりました。

曲目はIt could happen to you等のスタンダードをはじめ、ウェイン・ショー
ターの曲あり、スティービー・ワンダーのアナザー・スターあり、バラエティ
に富みながら、良い選曲だったと思います。

演奏の方ですが、なかなかの御機嫌な演奏でした。幾分、マイケル・ブレッ
カーが入っている、白人のテナープレヤーも良かったですが、途中から来た黒
人サックス奏者と、ピアノの二名はかなりいけます。というか、たいした素晴
らしい演奏でした。黒人サックス奏者はバリバリファンキーにしたブレッ
カー、というか、コルトレーンフレーズを吹くテキサステナーか、ってな感じ
で、これでもか、あおり立ててくるプレイがスッゲエヒップです。ピアノの方
はと言うと、ピーターソンとボビー・エンリケスに影響されてしまったハン
コックって感じで、これは大エンターテイメント・ピアノなのでした。でも、
すっごい、スウィングするの。多分、このピアノの人物がリーダーではなかろ
うか。

残念ながら、我らが韓国勢は可もなく不可もなくって塩梅でイマイチでした。
ドラムは痩せ形体型から出てくる、シャープなリズムが気持ちよかったです
が、オカズのセンスがちょっと古く聴こえました。ギターは急速調ではちょっ
とついていくのが苦しかったかなぁ。それとフレーズが当たり前すぎて、他の
奏者が幾分アブストラクトなフレーズを出してくるだけに、ちょい、これも古
い感じが。ベースは重厚なノリは評価できるものの、少しボリュームが大き
かったのと、ソロを取らなかったのが残念。

しかし、全体としては、なかなか楽しいジャズ体験でした。十分にジャズを堪
能して、二人で18000ウォン(約1800円)ってのも嬉しかったです。ただ、週末
でしたから、出演していたのが、通常のハウスバンドであるのか、それとも特
別なセッションだったのか、そこらへんは定かでありません。ですから、何時
行っても、このような楽しい演奏に出会えるのかどうかわからんです。しか
し、値頃ではありますし、足を運んでみる価値ってのは、ジャズファンであれ
ば、絶対にあると思えるのでした。

長くなりましたから、ブルースの件については別項にて、、、
1999年8月22日  旨い!梨薑酒

先日、久しぶりに訪れたソウルでイガンジュ(梨薑酒)ってのを買ってきまし
た。焼酎なんですが、高級品で、“人間文化財・古泉謹製”って銘が入ってい
る。これが旨いのなんのって、こんな爽やかな味の焼酎は飲んだことがない。
これから、訪韓の際には、免税品店で買うアルコールはこれに限るなぁ、これ
なら、数量制限の3本、全部これにしてもいいや、って感じです。ただし、一
本が2千円以上しましたから、ちょっとしたスコッチ並の価格ですけれど。
きょうび、日本国内でも酒税が安くなって、ディスカウントで買えば、スコッ
チ類もかなり安く買えるので、免税品店の値打ちも酒類については下がってい
ます。してみれば、一層、このイガンジュを買って帰る値打ちがあろうという
ものです。

麦の焼酎なんですが、梨と生薑(ショウガ)、その他にも色々と併せて発酵さ
せて作っているシロモノらしいです。これらが、えも言えぬ爽やかな飲み口を
実現させておる次第。これはやはり、高名な“安東焼酎(アンドンソジュ)”
の一種になるのでしょうか?

そもそも、韓国焼酎は好きな方でして、安い真露や鏡月なども、焼肉や、辛い
鍋を作るときには必需品となっている我が家です。しかし、このイガンジュは
そうした安価韓国焼酎とは比較にならぬ気品に溢れた味です。帰国後、毎日の
ように飲んでいましたら、残り少なくなって来てしまいました。あぁ、寂しい
なぁ。