A Short Trip to 函館
※一日目(1999年2月23日17時〜24日午前02時)
※二日目(1999年2月24日09時〜 24日13時半)
※写真1:函館駅前にて

宿泊した、函館駅前の“第二オーシャン・ホテル”を出て、駅前に幾分戻ったあたりから、函館駅を写した一枚。中央の三角屋根の建物が函館駅。青函連絡船で内地から帰ってくると、この駅の左方向奥にあった出口に出てくるようになっていた。
※写真2:函館駅前電停

車の向こうに見えるのは、函館駅前から函館山方向に向かう電車の電停。以前には、この反対方向(手前側)である、亀田町方向(私の暮らしていたあたり)にも電車の路線が延びていたのだが、その路線は廃線になっていた。また、電停の向かい側(写真上では左方)には(函館としては)大きな電気屋があったのだが、現在は倒産して、ビルも空きビルになっている。商業地区としての函館駅前の地盤沈下状況は恐ろしく厳しいものがあるようだ。
写真3:電停向かいから函館駅を望む。

函館駅前電停から函館駅方面を写した。当時、しばしば駅前繁華街(大門地区)を訪れていた私は、廃線になってしまった路線と、この電停にはお世話になったものなのだ。
写真4:大門地区のはずれにて

北島三郎の“函館のひと”という唄の中で、“明かりさざめく松風町云々”という歌詞が出てくるが、これが松風町の電停なのである。しかし、現在は“松風町”界隈の賑わいにかっての面影はない。
※写真5:東宝映画館より函館山を望む。
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駅前から大森浜に向かって進み、楽器店を通り過ぎてすぐ、右へ向かう通りにて写した一枚。奥に見えるのは函館山。車の通りもまばらだが、かってはこの一帯も繁華街だったのだ。
※写真6:空き地と倉(くら)

松風町電停から大森浜に向かってすぐの所に空き地(駐車場)と倉(くら)を発見。倉は古い建物だが、空き地は記憶にない。いずれにせよ、かって繁華街であったところのすぐ近所という風情ではない。
※写真7:売物件!

“写真6”からさらに少し大森浜方向に進んだあたり。パチンコ店からホテルに至る一角で営業しているのはジンギスカン屋一軒のみ、他の商店は全てシャッターが降りていた。
※写真8:大森浜脇の道
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函館駅正面の大通りをまっすぐに進むと大森浜に突き当たる。大森浜からすぐ側の道から函館山方面を写した一枚。ちなみにこのとき零下3度。道は一部凍結してつるつるになっている。日もかなり落ちてきた。
※写真9:大森浜
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18年前、函館を離れる最後の夜、一本の安ワインを持って私は大森浜に行った。大森浜には、もう、本当にとても沢山の思い出があったし、とても、この海岸が好きだったのだ。その夜は満潮で、岸壁のすぐ側まで波が迫っていた。迫る波の中には夜光虫が無数にいて、波とともにきらきらと光っていた。とても寒い夜だったが私はコートのフードをかぶってワインを飲み、海にも幾らか流した。その夜から18年、私はやっとここに帰ってくることが出来た。
※写真10:大森浜・焚き火をする人
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浜辺で焚き火をする人がおり、その近くにカモメが群れていた。夕暮れの逆光の中、覆い被さってくるような函館山が絶景だ。
※写真11:立待岬・カモメ・流木

向かいに見えるのが立待岬。この岬に至る道の途中に石川啄木の歌碑がある。私は立待岬には一度しか行ったことがない。岬そのものから見える風景よりも、この大森浜から見える岬の風景の方に、より深い詩情を感じる。
※写真11:漁師小屋
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大森浜から見えるのは日本海だ。浜のあちこちでは、こうして、漁具が乾かされている光景や、漁具がしまわれている掘っ建て小屋が見られる。その向こうには日本海、そして、夕暮れの青空の中をぽっかりと浮かんでいる雲。こんな雲をサルバドール・ダリの絵の中で見かけたような気がする。
※写真12:浜の側の道
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左手はすぐに大森浜。浜沿いに函館山に至る道にて写した一枚。
※写真13:廃校と夕日
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左手には大森浜が拡がっている。正面、夕日によって逆光となっている建物は廃校の一部。市役所からいくらも離れていないロケーションにこうして、広いスペースが打ち捨てられているという事がこの界隈の経済的地盤沈下を物語っているとも言えるのだろうが、こうした光景さえ、たとえようもなく美しく街の中に静かにとけ込んでいるのが函館のすばらしさだ。
※写真14:廃校と漁師小屋

写真向かって左の建築物も廃校の一部。中央の掘っ建て小屋は漁師小屋。右から二番目の建物は“写真13”でその一部が写っていた廃校。もっとも右のオレンジ色の建物はもちろん現役マンション。校庭に人が侵入できないように緑のフェンスが張られている。
※写真15:街路灯とカモメ
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大森浜を函館山に向かってずっと歩いて、浜が果てるところから函館山に向かって写した一枚。街路灯の上に鎮座しているのは一羽のカモメ。
※写真16:大森浜を振り返る
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“写真15”の地点から、大森浜を振り返って観た。寒く、ひとけもまばらな今日の大森浜だが、かっては夏になれば海水浴客で賑わったものだ。今でもそうなのだろうか?
※写真17:捨てられたキリン
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大森浜から函館駅前に戻る途中で見かけた光景。大きなキリンのぬいぐるみが打ち捨てられていた。様々な事情があって捨てられたのだろうが、なにかしら痛ましいものを覚えざるおえない。
※写真18:あうん堂
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中央に写っている、壁にジョッキ&ビールの看板がある建物こそが“あうん堂”だ。えー、今をときめく、“グレイ”と言う函館出身のバンドが函館時代にしばしばライブをしていたという、ライブホールです。
かって、私が函館にいた頃は、この建物の一階はビアハウス、二階は“トップ・オブ・ザ・ゲイト(通称ゲイト)”という、ジャズ喫茶だった。壁のジョッキ&ビールの看板はそのころの名残だと思う。一階のビアハウスがあったスペースは今は使われていない。“あうん堂”は現在も活発にライブを行っており(ロックンロールバンドだけでなくジャズ系のライブも活発に行われている由)、ライブのない夜も酒が楽しめる。
“あうん堂”の隣の赤い格子を有する建物は中華料理店。この料理店も古くからあり、現在も健在。赤い格子も当時のままだ。
それにしても、全く人影が通りに見えないのが寂しい。かってはここは本当に“繁華街”だったのだ。夕暮れのこの時間ともなれば、多くの人が行き交い、とても賑やかだったのだ。
※写真19:“あうん堂”から若松町方面を望む
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右手にあるのが、“写真18”の“あうん堂”。この道を進めば若松町に至る。本当に誰も歩いていない。“あうん堂”の建物が昔の“トップ・オブ・ザ・ゲイト”時代のままであるだけに、まるで異次元世界に墜ちてしまったようだ。しかし、それでも(いやそれ故に一層かもしれない)、夕暮れが降りてくる時間、函館の町のたたずまいは比類無く美しい。柔らかな夢のような手触りがする。
※写真20:千代の湯
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駅前でタクシーを拾い、昔暮らしていた、ガス会社(亀田町)にやってきた。昔ならば電車で来るのだが、廃線となっていては致し方ない。ガス会社から亀田方向にしばらく歩いたところにある銭湯。学生時代は風呂のある部屋に暮らすことなどもちろん出来なかったので、この風呂屋に通ったものだ。あまり、清潔好きの性格でなく、寒い季節など特に風呂屋に行くのが億劫で、“毎日のように”通ったとは言えない。では、どれくらいの頻度で通っていたか?それはご想像に任せます。
※写真21:てんぷら屋

昔すんでいたところからすぐ近くにあった天ぷら屋。当時から、(失礼ながら)オンボロ家屋で営業していたのだが、今でも変わっていない。親切で、元気な、函館弁丸出しのおばさんが切り盛りしていた。今でもそうだろう。当時、学生定食ってのがあって、確か、@500円だか、@600円だかで、とんでもない大盛りの天ぷらとご飯、みそ汁がでてくるシロモノだった。よほどに腹の減ったときでなければ食いきれないほどの分量だったのを思い出す。そして、時にはおばさんのサービスで瓶ビールが一本ついてきたりしたのだ。
※写真22:“野武士”のママさま。

日も暮れて、屋外の写真は写せなくなったので、夕食がわりの一杯をひっかけに、かって足繁く通った、居酒屋“野武士”を訪問した。昔は西武デパート前、五稜郭電停の近くにあったのだが、現在は万代町に引っ越している。以前の店は、入り口扉の建て付けが凄く、風の強い日など、店内を風が吹きさらし、コートを着たままで熱燗をあおらねば寒いほどだったのだが、現在の店の建て付けはとてもしっかりしている。でも、南部鉄でできた酒を暖める容器や、炭焼きのいろり、丸太を切っただけの椅子等々、昔のままだ。
ママさんも、髪こそすっかり白くなってしまったが、お顔の血色、肌の艶など、若返ったようにさえ見うけられ、すっかり嬉しくなってしまった。メニューも当時とあまり変わらない。この夜のメニューは“ほっけ”“さば”“生身欠”“むつ”“きゅうり魚”“あげ”“天かま”等々。今、ママさんが焼いているのは“あげ”と“天かま”。私はこれときゅうり魚を頂いた。とてもとても美味しかった。
※写真23:杉の子

“杉の子”は大門地区、柳小路にある、とても安く洋酒が飲める店。昔、ハイボール一杯を150円ぐらいで飲ませていたと記憶する。ハイボールに限らず、何のカクテルを頼んでも素晴らしく安かった。そして音楽も“ジャンゴ・ラインハルト”のような、とても渋い音楽がかかっていたのだ。シャッターが閉まっているのは廃業したからではない。残念ながら今夜は定休日だったのだ。
※写真24:“あうん堂”店内

この夜はライブが無かったので、酒が飲める夜だった。それで、階段を上がってゆくと、“トップ・オブ・ザ・ゲイト”の頃と全く変わらない、とても懐かしい、匂いがした。ああ、これはゲイトの匂いだなぁ、と思いながら二階に上った。すると、マスターとギタリストの方、そして、もうじき函館を離れるという方のお三方が、一杯やりながら話し込んでいらっしゃった。
私はどこに座ったものかと一瞬ひるんだのだが、すぐにマスターが、お一人でしたら、このテーブルでご一緒しませんか、と優しくも声をかけて下さり、お三方のテーブルで共に一杯ひっかけさせていただいた。
私は席に着くとすぐ、実はこの店には18年ぶりに訪れるのであり、昔ここがゲイトであった頃の常連だったのだと伝えた。それを聞いて、マスターもとてもよろこんでくれ、私たちはすっかりうち解けて深夜に至るまで、かっての函館、現在の函館について、話し込んだ。
※写真25:あうん堂のピアノ

このピアノはゲイト時代から使われていたものだ。かなり古くなってしまっているのだが、ゲイト時代への思い入れのあるマスターは頑固にこのピアノを使い続けているという。懐かしく、また嬉しい。ゲイト時代、私が大学で所属していた軽音楽研究会のコンサートでもこの店を何度もお借りしたから、このピアノは私のバンドのピアニスト達も使ったピアノなのだ。
※写真26:あうん堂のテーブル

この丸テーブル、四角テーブルもゲイト時代から使われているテーブル。すこぶるつきに懐かしい。
※写真27:深夜の“あうん堂”

“トップ・オブ・ザ・ゲイト”は素晴らしい店だった。しかし、現在の“あうん堂”もまた、とびきりステキな店だ。外見は古くなり、建物に幾分の傷みもあるようだが、それは更に店に風韻を与えている。そして、店内には素晴らしいマスターと常連さんがいる。私がこの次に函館を訪れるときは、懐かしさを辿る旅ではなく、彼らにまた会うための旅になるだろう。
※写真(番外):在りし日の“トップ・オブ・ザ・ゲイト”
(拡大写真640×432)
これは18年前、ある夜のトップ・オブ・ザ・ゲイト。少し写真が波打って見えるのは、拙宅の壁に貼ってある写真をデジカメで更に撮影した為。大判の写真なので、我が家のスキャナーでは取り込めないのです。中心でギターを弾いているのはイニシエの私自身なのだが、こうしてみると、現在の姿とは別人二十八号である。
一日目終了